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可愛い恋愛です(?)
琥珀色の放課後
七葉は、歩くたびに周りの空気を明るく変えてしまうような女の子だ。
今日も、西日の差し込む図書室の廊下を、鼻歌まじりに歩いていた。
手には、ずっと読みたかった冒険小説の最新刊。
「あ、あった!」
目当ての棚に向かって手を伸ばしたとき、そこには先客がいた。
窓際の特等席。午後の柔らかな光を浴びて、一人の少年が本を閉じたところだった。
彼の名前はライト。学年でも「近寄りがたい秀才」と噂される、どこか冷ややかで、けれど透き通った瞳を持つ少年。
「……あ」
七葉の声に、ライトがゆっくりと顔を上げた。
普段なら気後れしてしまいそうなほど整った顔立ちだが、七葉は持ち前の明るさで、迷わず笑いかけた。
「それ、すごく面白いよね! 完結編、もう読んだ?」
ライトは一瞬、面食らったように瞬きをした。彼にこんな風に、遠慮なく距離を詰めてくる生徒は珍しい。
「……いや。今、読み終わったところだ」
「どうだった? 最後、泣いちゃわなかった?」
「……物語に感情移入しすぎるのは、効率的じゃない」
ライトはそっけなく答えて、席を立とうとした。
けれど、七葉は彼の腕を掴む代わりに、満開のひまわりのような笑顔を向けた。
「えー、もったいない! 心が動くのが、読書のいいところなのに。ライトくんって、もっと冷たい人かと思ってたけど……今、すごく優しい顔で本を閉じてたよ」
ライトの足が止まった。
図書室を吹き抜ける風が、二人の間を通り過ぎる。
「……君は、変なやつだな」
「よく言われる! 私は七葉。ねえ、ライトくん。もしよかったら、次のおすすめも教え合わない?」
ライトは溜息をついた。けれど、その口元はわずかに、本人も気づかないほど小さく綻んでいる。
「……気が向いたらな、七葉」
彼が初めて口にした自分の名前に、七葉の胸がトクン、と跳ねた。
夕暮れの図書室。埃がダンスする光の中で、七葉は自覚する。
(あ、私、この人のこと、もっと知りたいんだ)
それは、どんな冒険小説のプロローグよりも、胸が高鳴る恋の始まりだった。
[下線]翌週の「図書室の協定」[/下線]
それからというもの、七葉は放課後になると迷わず図書室へ向かった。
ライトはいつも同じ窓際の席に座り、まるで周囲に不可視の壁を立てているかのように静かに本を読んでいた。
「ライトくん、これ! 私のイチオシ!」
七葉が差し出したのは、表紙が少し擦り切れた古いSF小説だった。
ライトは顔を上げず、手元の数学の参考書をめくりながら答える。
「……効率が悪いと言ったはずだ。僕は試験前の自習に来ている」
「知ってるよ。でも、休憩なしで詰め込むのはもっと効率が悪いでしょ? 10分だけ、この世界の旅人になってみて」
ライトは観念したようにため息をつき、七葉の差し出した本に指を触れた。
「……貸しておけ。明日までに読んでくる」
崩れる「秀才」の仮面
翌日、図書室のカウンターの陰で、七葉はライトを待ち構えていた。
やってきたライトは、心なしかいつもより少しだけ、足取りが重いように見えた気がした。
彼は七葉の前に立つと、無言で本を返してきた。
「どうだった? 最後の、ロボットの決断……」
「……論理的じゃない」
ライトの声は少し掠れていた。七葉が覗き込むと、彼の透き通った瞳の縁が、ほんのりと赤くなっていることに気づいた。
「ライトくん、もしかして……泣いたの?」
「……朝方の、結露のせいだ」
ライトは慌てて顔を背けたが、七葉は逃さなかった。
「ふふ、やっぱり優しい人。ね、次はどっちにする? 宇宙の話か、それとも100年前のラブレターの話か」
[下線]動き出すプロローグ[/下線]
窓の外では、秋の訪れを告げる風が木の葉を揺らしている。
ライトは、自分の世界に土足で踏み込んできたこの「ひまわりのような少女」を、もう疎ましく思っていない自分に戸惑っていた。
「……七葉」
「なあに?」
「100年前の方は……ハッピーエンドか?」
「それは読んでからのお楽しみ。でも、私が保証する。絶対に、読んでよかったって思えるよ」
二人の距離が、本のページを一枚めくるたびに、少しずつ近づいていく。
ライトは、彼女が勧める物語を読み終えるたび、自分の心の中に新しい色がついていくのを感じていた。それは、彼が今まで「効率的ではない」と切り捨ててきた、鮮やかな感情の色だった。
「ライトくん、明日もここでいい?」
「……気が向いたら、と言っただろう」
そう言いながらも、ライトは自分の鞄の横に、七葉のためのスペースをそっと空けた。
琥珀色の放課後は、もう[太字]二人だけの、終わらない物語[/太字]の舞台になっていたのだ。
[下線]放課後の図書室:文化祭のあとがき[/下線]
文化祭の喧騒が嘘のように静まり返った月曜日の放課後。
窓から差し込む光は、少しずつ冬の気配を帯び、琥珀色から鋭い白金色へと変わりつつあった。
七葉は、いつもの窓際の席に座るライトの隣に、当たり前のように自分のカバンを置いた。
「……今日は、これ」
ライトが差し出したのは、一冊の真っ白なノートだった。
「え、これ何? おすすめの本じゃないの?」
七葉が不思議そうに首を傾げると、ライトは少しだけ視線を泳がせ、それから静かに口を開いた。
「『交換日記』という名の、非効率な共同制作だ」
「えっ! ライトくんからそんな提案が来るなんて……!」
七葉の声が少し大きくなり、司書の先生がこちらを向く。
二人は慌てて口を噤み、顔を見合わせて小さく吹き出した。
[下線]綴られる二人の物語[/下線]
ノートの最初の一行目には、ライトの几帳面な字でこう記されていた。
『11月1日。晴れ。図書室にて、物語の第二章を開始する。』
七葉はその下に、丸みを帯びた元気な字で言葉を添えた。
『11月1日。同じく晴れ! ライトくんが意外とロマンチストだということを発見。』
ライトはそれを見て、眉間に寄った皺を隠すように本で顔を覆った。
けれど、本の隙間から見える彼の耳の先は、夕日よりも赤く染まっていた。
「……効率的じゃない、とまた言うつもり?」
七葉がいたずらっぽく覗き込むと、ライトは本をゆっくりと下げ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「いや。無駄な余白があるからこそ、続きが気になる物語もある。……そう教えたのは、君だろう」
図書室の古い床が、外を走る生徒たちの足音でわずかに震えていた。
けれど、二人の座る窓際だけは、時間が止まったかのような静寂と熱に包まれていた。
埃がダンスする光の中で、七葉は確信していた。
このノートの最後のページに辿り着く頃、二人はどんな「物語」を共有しているのだろうか。
それは、どんな名作文学よりも美しく、何よりも愛おしい、[太字]二人だけの記録[/太字]になるはずだ。
[下線]埃の舞うグラウンド:体育祭の断片[/下線]
初夏の陽光が照りつける体育祭当日。
クラス対抗リレーで転んでしまった七葉は、膝に大きな擦り傷を作って保健室へ向かっていた。その途中の渡り廊下で、運営委員の腕章を巻いたライトと出くわした。
「……何をしている。注意散漫の結果か」
ライトは呆れたように溜息をついたが、その手は迷わず救急箱を取り出していた。
木陰のベンチ。喧騒から少し離れた場所で、彼は膝の砂を丁寧に払い、消毒液を染み込ませた綿をあてた。
「痛っ……! ライトくん、手際が良すぎるよ」
「効率を求めた結果だ。……それと、君が転ぶのは計算の内だったからな」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、絆創膏を貼る指先は驚くほど優しかった。
七葉が顔を上げると、ライトの瞳に少しだけ焦りのような色が混じっていた。
「……あまり無茶はするな。見ていて、心臓に悪い」
その一言が、どんな応援歌よりも七葉の胸を熱くさせた。
琥珀色の終止符:卒業式の約束
そして、ついにその日がやってきた。
式典を終えた教室は、別れを惜しむ声とシャッター音で溢れていた。けれど、二人が最後に選んだ場所は、やはりあの静かな図書室だった。
西日の差し込む、いつもの窓際の席。
二人の間には、あの日から書き溜めてきた数冊の交換日記が置かれていた。
「結局、全部埋まっちゃったね」
七葉が寂しげに笑うと、ライトは最後の一冊の、まだ何も書かれていない真っ白な最終ページを開いた。
彼はペンを走らせ、迷いのない筆致で何かを書き記した。
「……七葉、これを持っていろ。僕からの『宿題』だ」
手渡されたページには、彼が進学する大学の図書館の住所と、短い一文が添えられていた。
『この物語に、完結編は不要だ。』
「ライトくん……」
「場所が変わるだけだ。続きは、向こうの図書館で書けばいい」
ライトは七葉の目を見つめ、初めて出会ったあの日と同じように、けれど今度は確信を持って彼女の手を握った。
図書室を吹き抜ける春の風が、二人の制服の裾を揺らす。
七葉は、込み上げる涙を堪えて、満開の桜のような笑顔を返した。
「……うん! 続き、楽しみにしてるね」
琥珀色の放課後は、ここで一度幕を閉じる。
けれどそれは終わりではなく、新しい街、新しい本棚、そして変わらない二人のための、輝かしい「新章」の始まりだった。
[下線]異国の物語と、変わらない背中[/下線]
工学部の棟に近い、日当たりの良い閲覧室。
テラスに続く大きな窓際に、一人の青年が座っていた。高校生の頃よりも少しだけ肩幅が広くなり、大人びた横顔。
けれど、本をめくる指先の繊細さは、あのいつの日かの放課後のままだった。
「お待たせ、ライトくん!」
七葉が声を抑えて駆け寄ると、ライトは視線を本から外し、柔らかく目を細めた。
「……3分遅刻だ。相変わらず、時間の計算が甘いな」
「ひどいなあ。これでも急いだんだよ? 講義が長引いちゃって」
七葉は彼の隣に滑り込み、自分のカバンから一冊の本を取り出した。
それは、最近彼女が夢中になっている異国の冒険譚だった。
余白に刻まれる「新章」
二人の間には、高校時代から続くあの交換日記が置かれていた。
今はもう三冊目になり、表紙には少しだけ使い込まれた跡がある。
ライトは自分のノートを閉じると、七葉が持ってきた本を手に取った。
「……この著者、新作を出したのか」
「そうなの! 完結編が出るまで5年もかかったんだよ。ライトくんも読む?」
「ああ。……ただし、僕が読み終わるまで、結末は教えるな」
ライトはそう言って、日記の新しいページに今日の日付を書き込んだ。
『4月20日。大学の図書館にて。彼女は相変わらず、物語の続きを急ぎすぎる。』
七葉はその一文を盗み見て、ふふっと小さく笑った。
「だって、楽しみなんだもん。ライトくんとの続きも、この本の続きも」
[下線]終わらないプロローグ[/下線]
窓の外には、大学のキャンパスを彩る新緑が揺れていた。
高校の頃のような夕暮れの琥珀色ではなく、今はまだ、始まったばかりの青い春の光が二人を照らしていた。
「……七葉」
「なあに?」
「来月の連休、少し遠くの古本市へ行かないか。君が好きそうな、古い詩集が出品されるらしい」
効率を何よりも優先していたはずの秀才は、今や一人の少女のために「非効率な旅」を計画するようになっていた。
七葉は彼の腕にそっと寄り添い、嬉しそうに頷いた。
「行く! 絶対に行く。……ねえ、ライトくん。私たちの物語って、あと何ページくらい残ってるかな?」
ライトは一瞬、答えを探すように空を見上げた。それから、彼女の手をしっかりと握り直し、静かに告げた。
「……ページ数は決まっていない。書き終えたら、また新しいノートを買えばいいだけの話だ」
図書館の静寂の中で、二人の鼓動が重なる。
それは、かつて図書室の片隅で始まった小さな恋が、広大な世界へと繋がっていくための、、、
[太字]終わることのないプロローグ[/太字]だった。
今日も、西日の差し込む図書室の廊下を、鼻歌まじりに歩いていた。
手には、ずっと読みたかった冒険小説の最新刊。
「あ、あった!」
目当ての棚に向かって手を伸ばしたとき、そこには先客がいた。
窓際の特等席。午後の柔らかな光を浴びて、一人の少年が本を閉じたところだった。
彼の名前はライト。学年でも「近寄りがたい秀才」と噂される、どこか冷ややかで、けれど透き通った瞳を持つ少年。
「……あ」
七葉の声に、ライトがゆっくりと顔を上げた。
普段なら気後れしてしまいそうなほど整った顔立ちだが、七葉は持ち前の明るさで、迷わず笑いかけた。
「それ、すごく面白いよね! 完結編、もう読んだ?」
ライトは一瞬、面食らったように瞬きをした。彼にこんな風に、遠慮なく距離を詰めてくる生徒は珍しい。
「……いや。今、読み終わったところだ」
「どうだった? 最後、泣いちゃわなかった?」
「……物語に感情移入しすぎるのは、効率的じゃない」
ライトはそっけなく答えて、席を立とうとした。
けれど、七葉は彼の腕を掴む代わりに、満開のひまわりのような笑顔を向けた。
「えー、もったいない! 心が動くのが、読書のいいところなのに。ライトくんって、もっと冷たい人かと思ってたけど……今、すごく優しい顔で本を閉じてたよ」
ライトの足が止まった。
図書室を吹き抜ける風が、二人の間を通り過ぎる。
「……君は、変なやつだな」
「よく言われる! 私は七葉。ねえ、ライトくん。もしよかったら、次のおすすめも教え合わない?」
ライトは溜息をついた。けれど、その口元はわずかに、本人も気づかないほど小さく綻んでいる。
「……気が向いたらな、七葉」
彼が初めて口にした自分の名前に、七葉の胸がトクン、と跳ねた。
夕暮れの図書室。埃がダンスする光の中で、七葉は自覚する。
(あ、私、この人のこと、もっと知りたいんだ)
それは、どんな冒険小説のプロローグよりも、胸が高鳴る恋の始まりだった。
[下線]翌週の「図書室の協定」[/下線]
それからというもの、七葉は放課後になると迷わず図書室へ向かった。
ライトはいつも同じ窓際の席に座り、まるで周囲に不可視の壁を立てているかのように静かに本を読んでいた。
「ライトくん、これ! 私のイチオシ!」
七葉が差し出したのは、表紙が少し擦り切れた古いSF小説だった。
ライトは顔を上げず、手元の数学の参考書をめくりながら答える。
「……効率が悪いと言ったはずだ。僕は試験前の自習に来ている」
「知ってるよ。でも、休憩なしで詰め込むのはもっと効率が悪いでしょ? 10分だけ、この世界の旅人になってみて」
ライトは観念したようにため息をつき、七葉の差し出した本に指を触れた。
「……貸しておけ。明日までに読んでくる」
崩れる「秀才」の仮面
翌日、図書室のカウンターの陰で、七葉はライトを待ち構えていた。
やってきたライトは、心なしかいつもより少しだけ、足取りが重いように見えた気がした。
彼は七葉の前に立つと、無言で本を返してきた。
「どうだった? 最後の、ロボットの決断……」
「……論理的じゃない」
ライトの声は少し掠れていた。七葉が覗き込むと、彼の透き通った瞳の縁が、ほんのりと赤くなっていることに気づいた。
「ライトくん、もしかして……泣いたの?」
「……朝方の、結露のせいだ」
ライトは慌てて顔を背けたが、七葉は逃さなかった。
「ふふ、やっぱり優しい人。ね、次はどっちにする? 宇宙の話か、それとも100年前のラブレターの話か」
[下線]動き出すプロローグ[/下線]
窓の外では、秋の訪れを告げる風が木の葉を揺らしている。
ライトは、自分の世界に土足で踏み込んできたこの「ひまわりのような少女」を、もう疎ましく思っていない自分に戸惑っていた。
「……七葉」
「なあに?」
「100年前の方は……ハッピーエンドか?」
「それは読んでからのお楽しみ。でも、私が保証する。絶対に、読んでよかったって思えるよ」
二人の距離が、本のページを一枚めくるたびに、少しずつ近づいていく。
ライトは、彼女が勧める物語を読み終えるたび、自分の心の中に新しい色がついていくのを感じていた。それは、彼が今まで「効率的ではない」と切り捨ててきた、鮮やかな感情の色だった。
「ライトくん、明日もここでいい?」
「……気が向いたら、と言っただろう」
そう言いながらも、ライトは自分の鞄の横に、七葉のためのスペースをそっと空けた。
琥珀色の放課後は、もう[太字]二人だけの、終わらない物語[/太字]の舞台になっていたのだ。
[下線]放課後の図書室:文化祭のあとがき[/下線]
文化祭の喧騒が嘘のように静まり返った月曜日の放課後。
窓から差し込む光は、少しずつ冬の気配を帯び、琥珀色から鋭い白金色へと変わりつつあった。
七葉は、いつもの窓際の席に座るライトの隣に、当たり前のように自分のカバンを置いた。
「……今日は、これ」
ライトが差し出したのは、一冊の真っ白なノートだった。
「え、これ何? おすすめの本じゃないの?」
七葉が不思議そうに首を傾げると、ライトは少しだけ視線を泳がせ、それから静かに口を開いた。
「『交換日記』という名の、非効率な共同制作だ」
「えっ! ライトくんからそんな提案が来るなんて……!」
七葉の声が少し大きくなり、司書の先生がこちらを向く。
二人は慌てて口を噤み、顔を見合わせて小さく吹き出した。
[下線]綴られる二人の物語[/下線]
ノートの最初の一行目には、ライトの几帳面な字でこう記されていた。
『11月1日。晴れ。図書室にて、物語の第二章を開始する。』
七葉はその下に、丸みを帯びた元気な字で言葉を添えた。
『11月1日。同じく晴れ! ライトくんが意外とロマンチストだということを発見。』
ライトはそれを見て、眉間に寄った皺を隠すように本で顔を覆った。
けれど、本の隙間から見える彼の耳の先は、夕日よりも赤く染まっていた。
「……効率的じゃない、とまた言うつもり?」
七葉がいたずらっぽく覗き込むと、ライトは本をゆっくりと下げ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「いや。無駄な余白があるからこそ、続きが気になる物語もある。……そう教えたのは、君だろう」
図書室の古い床が、外を走る生徒たちの足音でわずかに震えていた。
けれど、二人の座る窓際だけは、時間が止まったかのような静寂と熱に包まれていた。
埃がダンスする光の中で、七葉は確信していた。
このノートの最後のページに辿り着く頃、二人はどんな「物語」を共有しているのだろうか。
それは、どんな名作文学よりも美しく、何よりも愛おしい、[太字]二人だけの記録[/太字]になるはずだ。
[下線]埃の舞うグラウンド:体育祭の断片[/下線]
初夏の陽光が照りつける体育祭当日。
クラス対抗リレーで転んでしまった七葉は、膝に大きな擦り傷を作って保健室へ向かっていた。その途中の渡り廊下で、運営委員の腕章を巻いたライトと出くわした。
「……何をしている。注意散漫の結果か」
ライトは呆れたように溜息をついたが、その手は迷わず救急箱を取り出していた。
木陰のベンチ。喧騒から少し離れた場所で、彼は膝の砂を丁寧に払い、消毒液を染み込ませた綿をあてた。
「痛っ……! ライトくん、手際が良すぎるよ」
「効率を求めた結果だ。……それと、君が転ぶのは計算の内だったからな」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、絆創膏を貼る指先は驚くほど優しかった。
七葉が顔を上げると、ライトの瞳に少しだけ焦りのような色が混じっていた。
「……あまり無茶はするな。見ていて、心臓に悪い」
その一言が、どんな応援歌よりも七葉の胸を熱くさせた。
琥珀色の終止符:卒業式の約束
そして、ついにその日がやってきた。
式典を終えた教室は、別れを惜しむ声とシャッター音で溢れていた。けれど、二人が最後に選んだ場所は、やはりあの静かな図書室だった。
西日の差し込む、いつもの窓際の席。
二人の間には、あの日から書き溜めてきた数冊の交換日記が置かれていた。
「結局、全部埋まっちゃったね」
七葉が寂しげに笑うと、ライトは最後の一冊の、まだ何も書かれていない真っ白な最終ページを開いた。
彼はペンを走らせ、迷いのない筆致で何かを書き記した。
「……七葉、これを持っていろ。僕からの『宿題』だ」
手渡されたページには、彼が進学する大学の図書館の住所と、短い一文が添えられていた。
『この物語に、完結編は不要だ。』
「ライトくん……」
「場所が変わるだけだ。続きは、向こうの図書館で書けばいい」
ライトは七葉の目を見つめ、初めて出会ったあの日と同じように、けれど今度は確信を持って彼女の手を握った。
図書室を吹き抜ける春の風が、二人の制服の裾を揺らす。
七葉は、込み上げる涙を堪えて、満開の桜のような笑顔を返した。
「……うん! 続き、楽しみにしてるね」
琥珀色の放課後は、ここで一度幕を閉じる。
けれどそれは終わりではなく、新しい街、新しい本棚、そして変わらない二人のための、輝かしい「新章」の始まりだった。
[下線]異国の物語と、変わらない背中[/下線]
工学部の棟に近い、日当たりの良い閲覧室。
テラスに続く大きな窓際に、一人の青年が座っていた。高校生の頃よりも少しだけ肩幅が広くなり、大人びた横顔。
けれど、本をめくる指先の繊細さは、あのいつの日かの放課後のままだった。
「お待たせ、ライトくん!」
七葉が声を抑えて駆け寄ると、ライトは視線を本から外し、柔らかく目を細めた。
「……3分遅刻だ。相変わらず、時間の計算が甘いな」
「ひどいなあ。これでも急いだんだよ? 講義が長引いちゃって」
七葉は彼の隣に滑り込み、自分のカバンから一冊の本を取り出した。
それは、最近彼女が夢中になっている異国の冒険譚だった。
余白に刻まれる「新章」
二人の間には、高校時代から続くあの交換日記が置かれていた。
今はもう三冊目になり、表紙には少しだけ使い込まれた跡がある。
ライトは自分のノートを閉じると、七葉が持ってきた本を手に取った。
「……この著者、新作を出したのか」
「そうなの! 完結編が出るまで5年もかかったんだよ。ライトくんも読む?」
「ああ。……ただし、僕が読み終わるまで、結末は教えるな」
ライトはそう言って、日記の新しいページに今日の日付を書き込んだ。
『4月20日。大学の図書館にて。彼女は相変わらず、物語の続きを急ぎすぎる。』
七葉はその一文を盗み見て、ふふっと小さく笑った。
「だって、楽しみなんだもん。ライトくんとの続きも、この本の続きも」
[下線]終わらないプロローグ[/下線]
窓の外には、大学のキャンパスを彩る新緑が揺れていた。
高校の頃のような夕暮れの琥珀色ではなく、今はまだ、始まったばかりの青い春の光が二人を照らしていた。
「……七葉」
「なあに?」
「来月の連休、少し遠くの古本市へ行かないか。君が好きそうな、古い詩集が出品されるらしい」
効率を何よりも優先していたはずの秀才は、今や一人の少女のために「非効率な旅」を計画するようになっていた。
七葉は彼の腕にそっと寄り添い、嬉しそうに頷いた。
「行く! 絶対に行く。……ねえ、ライトくん。私たちの物語って、あと何ページくらい残ってるかな?」
ライトは一瞬、答えを探すように空を見上げた。それから、彼女の手をしっかりと握り直し、静かに告げた。
「……ページ数は決まっていない。書き終えたら、また新しいノートを買えばいいだけの話だ」
図書館の静寂の中で、二人の鼓動が重なる。
それは、かつて図書室の片隅で始まった小さな恋が、広大な世界へと繋がっていくための、、、
[太字]終わることのないプロローグ[/太字]だった。
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