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狭間に生きる僕ら

#76

虚構と真実

「あっちい…」
俺は汗でずぶ濡れになった服を脱ぎ捨てて洗濯機の中に放り投げ、冷蔵庫の中から取り出した天然水を身体に流し込んだ。バイト先のコンビニは涼しいから良い。問題は、コンビニから家までの道だ。綺麗に舗装された歩道は、ギラギラとした太陽に照り付けられ、その上を歩く俺たちは最早、鉄板の上のナポリタン。歩道にポツリポツリと等間隔に植えられた、青々と繁った桜の木の陰が、屋外での俺の唯一のオアシス。

俺たちが彗星の家で、小説の作者である孔舎衙徹とARROWとの関係性について考えるよりも前に、それが最近デビューしたばかりの韓国アイドルグループKORJAのアローであり、それが彗星の幼稚園時代の知り合いだったかもしれないという事実にぶち当たってから、早くも4日が過ぎた。

ピロン

「ん?」
水で濡らしたタオルで全身を拭いていると、ベット脇の机に置いておいたスマホに、誰かからメッセージが届いた。汗で生温くなったタオルをパンッパンッと宙で払ってから、俺はそれを首に掛け、ベットに腰を降ろした。スマホのロック画面に、バットのLINEのアイコンが表示されている。中学生の時から一度も変えていない、赤煉瓦模様のアイコンだ。
『この動画を見てみろよ。面白いものが見れるぞ』
そのアイコンの横には、バットからのメッセージがそう記載されている。
「動画?」
俺はそのアイコンにタップをして、バットとのLINEのトーク画面を開けた。すると、最新のメッセージに、あるYouTubeの動画のリンクが貼られていた。

フォン…

俺がそのリンクをタップしようとした時、丁度バットから新しいメッセージが送られてきた。
『イ・ソクヒョンって奴に注目してみろ』
そのメッセージと一緒に、イ・ソクヒョンと思われるメンバーの顔画像が送られてきた。

アジア圏によくいるような、ごく普通の黒い瞳。地毛なのか染めているのかよく分からないが、少し乾いたような褐色の短毛。確かにイケメンではあるが、典型的なイケメン過ぎてかえって特徴が挙げづらい。模範解答のような容貌をした韓国人男性名。

…というだけではない。

俺のセンサーがさっきから敏感に反応する。
俺の直感が、俺の推測を確信に変える。

イ・ソクヒョン…。
お前が吸血鬼か。
アローの背後で顔が見切れていて、ピンボケしていたお前だったのか。

俺はそいつの顔をしかと目に焼き付け、バットが送ってくれたリンクをタップした。
『お願いです!脱毛してくれる人を探しt…』
「うぜ」
俺は、最近頻繁に見る脱毛の広告を飛ばし、バットが送ってくれたリンクの動画を見た。

それは、デビュー曲を発表した直後にリリースされた歌のMVだった。

[斜体][明朝体]Lier[/明朝体][/斜体]

歌の題名が、破かれた英字新聞を背景に、赤い文字で陽炎のようにボンヤリと浮かぶ。

バリバリバリバリ…!!

一瞬家の外で雷が鳴ったのかと思ったが、それは動画の中の音だった。英字新聞の紙が、オレンジ色の炎に燃やし尽くされていき、黒い縁の穴がジワジワと紙を侵食していく。その穴の向こうに、誰かの姿が見える。
「お。アローじゃん」
冒頭部分を歌い始めたのは、アローだった。冒頭部分は、淡々と話すような曲調。先日テレビで見た時はアローの髪は黒かったが、今回はアローお馴染みの群青色に染めている。俺は日本語字幕をオンにして、新曲の歌詞の文字面を、ベットに仰向けに横たわり、追っていった。
「こいつか」
ラスサビに入る直前、別のメンバーが公園のベンチに一人で腰掛けていた、夕方だった街並みは突如として闇に飲まれた。イ・ソクヒョンは、不気味に点滅する街灯に照らされて、夜空に光る星から目を背けるように足元に視線を落としている。彼の右手には、赤ワインがあと一口だけ残ったグラス。
「あら、もったいない」
彼はそのグラスを地面に叩き付けた。透明なガラスの破片が、冷たい音と一緒に夜のアスファルトの上に散らばる。その一欠片を彼が拾い上げると、本当に怪我をしたのかエフェクトなのか分かりづらかったが、真っ赤な血が彼の指先を伝った。イ・ソクヒョンは、暫くその血を遠い眼差しで見ていたが、ニヤリと口元に笑みを浮かべて、それを啜った。さも美味しそうに。そして、彼はそのままラスサビを一人で歌い始めた。他のメンバーの姿はない。彼だけが、誰もいない夜の街なかを彷徨う演出。俺は彼の歌声に耳を澄ませながら、日本語訳を目で追っていった。そして、歌の一番最後を、彼は歌声と言うよりは叫び声に近い声で訴えるように歌った。

[斜体][明朝体]허구가 뭐 어때, 진실이 뭐 어때
(虚構がなんだ 真実がなんだ)

그마저도 바람 앞의 먼지라면
(それさえも風の前の塵ならば)

동경도 욕망도 없는 거친 소음 속에
(憧れもクソもない 無遠慮な喧騒に)

내가 보여줄게, 끝까지
(見せつけてやるよ、最後まで)[/明朝体][/斜体]

彼はそう歌い終えると、ふうっと一息ついてから、聞こえるか聞こえないかの声で寂しそうな表情を浮かべた。
「…こいつ…!」

イ・ソクヒョンの瞳が、血のような赤に染まっていく。
髪の毛が、赤ワイン色に、ごく僅かに発光している。
整った形の口から姿を現している、トラやライオンさえ尻込みするような鋭い牙が、夜の闇に朧げに浮かぶ。
色の白い手に生えた真っ黒な爪は、包丁を使わなくても肉を簡単に切り裂けるほど鋭く伸びでいる。

これは…エフェクトじゃない。

これは…こいつの、吸血鬼としての姿だ。

でも、一般的には吸血鬼は架空の存在であって、いないものと扱われる。この動画を見たいったい誰が、イ・ソクヒョンは本当の吸血鬼だと思うだろう。他のメンバーは…アローは、彼が吸血鬼であることを知っているのだろうか。

『ハッ…』
イ・ソクヒョンが、寂しそうな表情を浮かべたまま、空に向かって鼻で笑った場面で、その動画は幕を閉じた。
『動画見た?』
俺がYouTubeでついでに他の動画も見ようとしていた頃、バットからLINEにメッセージが届いた。
『見たよ。あいつ、吸血鬼に変身しやがったな』
俺がそうメッセージを送ると、バットから良いねサインのスタンプが送られてきた。
『気付いたか?』
『何に』
『コメント欄みろ』
バットから促され、俺はもう一度さっきの動画に戻って、コメント欄を開いた。この動画が配信されてから、僅か2日しか経っていないのに、コメント欄は既に数万件もの愛のコメントで溢れている。最初の方は丁寧に読んでいたが、段々と面倒臭くなってきて、俺は軽く読み飛ばしながら画面をスクロールしていった。
「あれ?」
そのうち、俺は一つの違和感を抱いた。メンバーに対する「結婚して♥」みたいなコメントはあっても、「吸血鬼のエフェクトがカッコいい♥」というコメントが一つも見当たらない。ファンが、推しを更に格好良くするエフェクトを無視するはずがないではないか。
『誰もイ・ソクヒョンが吸血鬼だって言ってないっこと?』
俺がバットにそう送ると、間もなく既読が付いて返信が来た。
『そう。多分、同じ吸血鬼同士にしか分からないようにしてる』

…そんな事できるか?
俺もバットも吸血鬼だが、吸血鬼に変身している間は、普通に人間である蓮や佳奈美さんにも、ちゃんと吸血鬼の姿で認識される。吸血鬼同士でしか認識出来ないような変身術って…?
『ごめん。もう無理。寝る』
『おい(笑)』
時刻は夜の10時。さほど遅い時間帯でもないが、バットは最近徹夜続きだったらしく、会話を中途半端なところで区切った。その後はいくら待てど、バットから連絡は来なかった。
「俺も寝ますか…」

ポチッ

俺はリモコンで部屋の電気を消し、薄い掛け布団を下半身に掛け、上半身は外に出したまま腕を広げて仰向けに横たわった。イ・ソクヒョンの、鼻で笑った声が、耳の中を木霊する。彼はいったい、何に呆れたのか。何に絶望したのか。世間か。或いは彼自身か。俺とバットは、処刑されて吸血鬼になった。彼はいったい、何の罪を犯したのか。
「頑張れよ…」
俺は、誰もいない薄暗い虚空に向かって、誰に聞かせるでもなく、息を吐くようにそう呟いた。

[水平線]

ピピッ ピピッ ピピッ ピッ…

スマホの目覚ましが鳴って、まだまだ重たい瞼を無理やり開ける。何だか夢を見ていたような気がするが、それが何だったのかはもう分からなくなった。今日はバイトも休みだし大学も休み。遊びに行く予定も特に無し。

ラーイン♪

ボヤケた視界。何を考えるでもなくベットに腰を下ろしながら宙を仰いでいると、ベットサイドの机の上のスマホから、LINEの着信音が鳴った。少し目が冴えて、LINEの画面を開けると、バットからメッセージが届いていた。
『おはよう』
『どんな夢だったか覚えてるか?』
たったその2行に、俺の心臓が呼応したようにドクンと波打った。
『おはよう。覚えてない。忘れた』
そう送ってからスマホを机の上に置き、うがいをしてトイレを済ませて戻ってくると、バットから新たに2、3通メッセージが届いていた。
『処刑された日の夢を見てた』
『目が覚めたら、ちゃんと生きてた』
『良かった』

俺達が処刑された日…。
俺達を罵る野次馬の声は、今でもふとした拍子に耳の中を煩く木霊する。その度に俺の心臓は、焦ったように鼓動が速くなる。もしかして俺も今朝、処刑された日の夢を見ていたのだろうか。


ピロン

『やっぱりあいつヤバイよ』
バットはLINEだと極端に修飾語を省く癖がある。
『どいつだよ』
『KORJAのイ・ソクヒョン』
『なんで』
俺は上半身だけをパジャマからTシャツに着替えた中途半端な格好で、台所の椅子の背もたれに背中を預けて、バットとのLINEの画面を見つめていた。
『深いかもしれん』
『だから何が』
『理由』
『何の』
『あいつが吸血鬼になった理由』

フォン…

気の抜けたような音ともに、ある画像がバットから送られてきた。それは、イ・ソクヒョンの顔画像が掲載された某〇〇ペディアのスクショ。送られてきた写真をタップして、写真を拡大しながら細かい文字を一つずつ、読み飛ばさないように丁寧に読んでいく。
「…は……?!」
整った顔立ちをした彼の顔画像の下に、彼の年齢や生年月日が記載されている。俺の視線は、彼の名前に吸い寄せられた。

「イ・ソクヒョン(本名:イ・ヨンシン:李龍臣)」

『あいつの下の名前、龍臣だろ。宮司龍臣と下の名前が一緒』
俺が、彼の本名に衝撃を受けている間にも、バットからは次から次へとメッセージが送信されてくる。

頭の仲がグルグルする。

待て…待て…。

一回整理させてくれ。

宮司龍臣は、小説の中では蓮の友人として登場した。でも、日下部透が現れ、宮司龍臣が第一王者様の守護竜であったことが明かされる。そして…ええ………何やかんやあって…。

えっと…?
これが、小説の中の世界。

…で?
この現実世界で起こったこととして、蓮と佳奈美さんが灰色の世界で圭吾とりこに出会った時に、一度だけ日下部透と、青竜になった宮司龍臣と対面したことがある。

あれ…?
何で、現実世界の人間と、小説の中のキャラクターたちが出会えるの。
っていうか…あれ…?

俺は、表紙が何度も濡らされてカピカピになった小説を手に取り、日下部透が宮司龍臣に、貴方はかつて第一王女様の守護竜であったと明かす場面をもう一度読んだ。

ええっと…。
小説の中では、第一王女様の名前が…圭吾になってる。小説の中でも言及されているように、第一王女様は性同一障害であったことが暗示されているから、性別と名前の違和は置いといて…。
んんっと?
ええっと?
この小説には、俺たち吸血鬼の存在も、エメラルドたち狼男の存在も、サファイヤみたいに首長竜の存在も仄めかされていない。

っていうことは、やっぱり、現実世界で起こったことが、そっくりそのまま小説に反映されているわけではない。

ちょっと待って。
何を考えているのか分からなくなってきた。

俺は一度目を閉じて宙を仰ぎ、再びスマホの画面に視線を落とした。そこには依然として、「李龍臣」の名前が表示されている。

「こいつが、小説の中の宮司龍臣とリンクした存在だとすれば…?」

ピロン

『あいつが吸血鬼になった理由が分かった気がする』

ピロン

『俺達が処刑された頃には、メイプル第一王女様様は既に山賊に惨殺されて、リオンドール国王陛下もお亡くなりになった後だったろ』
『うん』

つまり…?
小説では、圭吾という名の第一王女様を、宮司龍臣が守護していた。
この世界では、誰がメイプル第一王女様をお守りしていたのか。俺たちが知っている、第一王女様じゃない方の圭吾は、メイプル第一王女様の右腕だった。メイプル第一王女様の変わり果てた遺体を前に、圭吾は責任を取って自害した。

それで…?
いったい何処に、イ・ソクヒョン…李龍臣がいるというのか。小説と同じように考えるならば、イ・ソクヒョンがメイプル第一王女様の側に仕えるべきだという結論になる。だが、現実は違う。
…となると?

ピロン

『誰が俺達の処刑の引き金になったと思う?誰が、俺達が孤児であることを隠して龍隊に入隊したことを密告したと思う?』

ドクン…ドクン…

まさか…。

俺の心臓は、「信じない」と言うように、足掻くように、苦しそうに鼓動する。

『俺達を助けてくれたクランシーが乗っていた竜を覚えてるか?』
『あぁ』
勿論、忘れるはずがない。
孤児であった俺達を殺す役目を放棄し、龍隊に入隊するように促してくれた人。
俺達が処刑された直後に、俺達の遺体の前で、皮肉にも自分が乗っていた竜に食われた人。

ドクン…

ピロン

LINEの着信音がと、俺の鼓動が重なった。
『クランシーが乗っていた竜が、メイプル第一王女様の守護竜だったとしたら、イ・ソクヒョンは龍獅国では竜としてメイプル第一王女様をお守りしていたことになる』
『俺たちさ、一言も自分たちが孤児であることを外部に漏らさなかったよな。なのに、何でバレた?俺達が孤児だったことを知っているのは、クランシーだけだ。人間ではな』

人間では…。

俺は、クランシーに連れられて、誰もいない牢にバットと一緒に放り込まれた日を思い出した。腹が減りすぎて、いっそのこと死んでしまいたいと思っていた時、俺達はクランシーにパンを一欠片貰って命を繋いだ。その時、確か…クランシーの竜は、竜舎から顔を出して俺達の様子を伺っていた気がする。

ってことは……?!

イ・ソクヒョン…。

お前が…俺とバットを殺したのか…?

『宅配便でーす!』
「え?あ、はあい!」
そうだった。母さんが、俺の栄養を考えて、大量の野菜ドリンクを送ってくれるって、昨晩寝る直前に連絡貰ってたわ。わざわざ、有り難いことに、俺の苦手な人参とほうれん草のドリンクを、段ボール1箱分くらいくれるそうなのだ。
俺は宅配便のお兄さんの声で現実に引き戻され、玄関に小走りで向かった。

ガチャ…

「血洗夕牙さんですねー」
俺が扉をそっと開けると、緑の制服に身を包んだ配達員が、扉の向こうからひょこっと顔を出した。

うわあ…。

段ボール箱に、人参とほうれん草の写真と、嫌なキャッチコピーがデカデカと印刷されている。
『野菜の素材の味が楽しめる!
夏バテ対策にもオススメ!』

母さん…。

野菜ドリンクを(要らんお世話を)ありがとうございました。

美味しく(苦しみながら)頂きます。
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2025/08/25 16:12

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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