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狭間に生きる僕ら

#75

名前は

「山田 あろうって名前の子だった。私の記憶に間違いは無いはず」
彗星はそう言って、タブレットに映る少年の笑顔に視線を落とした。
「そいつに連絡取れたりする?」
蓮が彗星の横に立ってタブレットを一緒になって覗き込んだ。彗星は暫く悩んだように俯いてから、蓮の方に視線を移した。
「中学校が一緒だったから、もしかしたら同窓会とかで会えるかも…でも、いきなり、この小説の作者ですかなんて聞けない…」

カタカタ…

ソファの前に置かれた簡易式テーブルの上に置かれた洗面器が、カタカタと小さく揺れた。本の表紙を伝っていた天然水が、数滴洗面器の中に落ちた。
「地震?」
一裕は彗星の肩に腕を回しながら部屋中を見渡すように顔を動かし、佳奈美さんは自分のスマホをポケットから取り出した。
「震度2だって」
「一応テレビも付けとこうか。ポチッとな」
エメラルドは、テレビ台に置かれたリモコンでテレビを付けた。
『キャー!…』
テレビの画面の中央に、ある男性たちの笑顔がデカデカと映し出された。名前も知らない彼の頭の上に、さっき起こった地震に関する情報が、小さな文字で示されていた。
『本日は、最近話題のKPOPアイドルグループの皆様にお越し頂きました!』
テレビの画面の中で、妙に着飾った女性司会者が、アイドルと思われる男性たちの名前を紹介していく。韓国語なまりの拙い日本語で、彼らは自己紹介をしていく。
『ニッポンの、ミナサマ、ボクはキム・トユンです。アイシテル〜!』
『キャー!!』
彼らが薄っぺらい愛の言葉を投げ掛ける度、耳をつんざくような悲鳴が起こる。
「あれ?」
テレビ画面に映るアイドルは、全部で7人。最後の一人にマイクが向けられた時、彗星は首を少しだけ傾げて、画面に映る彼の顔を観察するように凝視した。
『皆様、はじめまして。この度、KORJAとしてデビューさせて頂くことになりました。』
司会者に渡されたマイクを手に持っている彼は日本人のようで、他のメンバーに比べると、圧倒的に日本語が流暢だった。まあ、彼が日本人なら当然だろうが。だが、よそ事を考えていた俺の思考回路に、突如としてある名前がテレビ画面から飛び込んできた。
『KORJAのリーダーを務めさせて頂きます、アローと申します。皆様、応援よろしくお願いいたします!』
『キャー!!』

「ア…アロー…?」
彗星は、既に画面が消えたタブレットをもう一度開けて、幼稚園のアルバムに映るアローの写真と、テレビに映るアローの顔を何度も交互に見比べた。
「…そう言えば、アロー君、高校から突然韓国に行ってしまって。特に仲良かった訳では無いし、理由も知らなかったんだけど…」
彗星は、テレビに映るアローに視線を向けた。アローは、薄いテレビの画面の中で、作ったような笑顔を見せながらヒラヒラと両手を振っている。
「コンタクト取るの、難しそうだな…」
蓮は、テレビに映るアローの作り笑顔を見ながら、溜息をついた。

アローが、人気の韓国アイドルになったのだとしたら、庶民である俺達がプライベートに接点を持つことは困難。ましてや、アイドルが異性といたというだけで、簡単に熱愛説が世間に出回るような世界。俺たちの中で唯一アローを個人的に知っているのは彗星だから、彗星がアローと連絡を取ってくれたほうが何かと都合が良い。でも、何処からか情報が漏れて、アローと彗星が付き合ってるなんてデマが浮上すれば困る。

「待ち伏せは駄目だしね。マナー的にも」
『ママー、お腹空いたー』
隣の部屋から、3歳くらいの男の子の声が聞こえてきた。俺のスマホで確かめてみると、時刻はちょうど1時を指していた。
「…いったん食べよう」
一裕は、暫くテレビの画面に映るアローの姿を疑り深い目で見つめてから、台所に向かっていった。

『それではKORJAの皆様に、デビュー曲を披露して頂きます!』
俺達が昼ご飯にサラダとグラタンを食べている時、テレビの画面からアローたちの歌声が聞こえてきた。
「あつあつ…」
蓮は、たっぷりとホワイトソースを纏ったペンネにフウフウと息を吹きかけながら、テレビの中で踊り歌う彼らに視線を向けている。韓国語の歌詞だから、耳だけで聴くと何を言っているのかさっぱり分からないが、歌が上手いことだけは分かった。
「日本語訳が端っこの方にある」
佳奈美さんが、サラダの中からレタスと生ハムを箸で摘み、口の中に入れながら、テレビ画面の左端を指差した。アローたちが各々のパートを歌っていくと、歌詞は歌い手に合わせて色を変えていく。アローは、群青色。丁度、俺が削って姿を現した、小説の表紙に描かれていた矢の絵と同じような色合いだった。

[水平線]

[明朝体][斜体]네가 남긴 말은 like a sunshine, 따뜻했어
(君の残した言葉は 陽射しみたいに暖かかった)

But 널 그릴수록 더 깊이 아파와
(でも君を想えば想うほど もっと深く苦しくなる)

낙엽 위에 떨어진 웃음, 사라져가
(落ち葉の上に落ちた笑顔は消えていき)

차가운 눈빛, 얼어붙은 my heart
(冷たい眼差しが 凍りついた僕の心を突き刺す)

손을 뻗어도 (woo) 닿지 못해도 (woo)
(手を伸ばしても (woo) 届かなくても (woo))

유리 조각 속에 널 안고 싶어
(ガラスの欠片の中で君を抱きしめたい )

하얀 장미는 붉게 번져가
(白い薔薇は赤く染まっていく)

멈출 수 없어, I can’t let you go
(止められない I can’t let you go )

사라져 버려 (Disappear) ×2
(消えてしまえ (Disappear) )

아픈 기억 속에서 erase it now
(痛む記憶の中から erase it now)

사라지고 싶어 (Fade away) ×2
(消えてしまいたい (Fade away))

행복했던 순간도 let me go
(幸せだったその瞬間も let me go )

Yeah, 기억 속에 갇혀 버린 maze
(Yeah, 記憶の中に閉じ込められた迷路 )

빠져나갈 수 없어, 너란 daze
(抜け出せない 君という眩暈 )

가짜라도 좋아, 진짜보다 뜨거워
(偽物でもいい 本物より熱い )

거짓된 dream, 그 안에 네가 있어
(偽りの夢 その中に君がいる)

흐려진 눈물 사이로 널 불러
(滲んだ涙の隙間から君を呼んで )

사라진 불꽃처럼 난 타올라
(消えた花火みたいに僕は燃え上がる )

Break the wall, 달려가
(Break the wall 走り出す )

끝까지 널 향해, never stop
(最後まで君へ never stop )

사라져 버려 (Disappear) ×2
(消えてしまえ (Disappear) )

아픈 기억 속에서 erase it now
(痛む記憶の中から erase it now )

사라지고 싶어 (Fade away) ×2
(消えてしまいたい (Fade away) )

행복했던 순간도 let me go
(幸せだったその瞬間も let me go )

But you’re my firework, 밤하늘에 빛나
(でも君は花火、夜空に輝く )

Even if it’s fake, my love is true
(たとえ偽物でも 僕の愛は本物 )

사라져도 돼, 기억은 다 illusion
(消えてしまっていい 記憶なんて幻影 )

끝까지 난 너에게 달려가, it’s all for you
(最後まで君へ走る it’s all for you)

[/斜体][/明朝体]

『キャー!!』
アップテンポな曲調で明るい内容の歌かと思えば、叶わない想いを胸に抱いているような切なさを詠んだ歌だった。
彼らが歌い終わると、女性の観客たちが大袈裟なくらいに大きな歓声を上げて、アローたちの姿をまるで神のように崇める。
『ありが…』

フッ…

「あれ?」
アローたちが1列に並んで頭を下げた瞬間、テレビ画面が突然ブラック・アウトした。
「壊れた?」
一裕は、口に運ぼうとしていたスプーンを皿の上に置いて、立ち上がってテレビの裏を覗き込みに行った。一裕が試しにテレビの電源を再起動させてみると、テレビは何事も無かったかのように点いて、ニュース番組を画面に映した。
「何で急に画面が…」

ピリリリッ ピリリリッ

彗星の鞄から聞こえた着信音が、アナウンサーの声を遮った。テレビ画面が突然消えた原因が分からないまま、誰かが俺たちを呼んでいる。俺たちは皆、口に食べ物を運びかけた手を止めて、彗星のスマホの着信音に耳を澄ませた。
「…もしもし?」
彗星が恐る恐る自分のスマホを鞄から取り出し、スマホ画面を自分の右耳に近付け、席を外して玄関の方に行った。
「あ、チェリー、久しぶり〜。えっ!嘘〜?!」
玄関の方から、彗星のはしゃぐ声が聞こえてくる。
「チェリーって誰?」
バットはサラダの中の赤紫色の豆を、器用に箸で摘んでは口の中に放り込んでいく。バットの問いに、一裕は生ハムを口の中に入れながら首を横に振った。
暫くして彗星が、スマホを片手に持って部屋に戻ってきた。彗星の表情は何処か歓びに満ちている。
「高校時代の同級生が結婚報告をしてくれたの」
彗星はスマホを鞄の中にしまうと、一裕の隣の椅子を引いてその上に腰を降ろした。
「なあなあ、チェリーって本名?あだ名?」
一裕が、髪を食ってしまっている彗星の長い前髪を退けながら、彗星の美しい横顔に尋ねた。
「そう。その子もキラキラネームなの。果物の桃に恋心の恋って書いてチェリーって読むの」

桃恋=チェリー…

いやいや、読めないって。

「…チェリーとアローが親戚だったりしないかな。キラキラネーム同士でさ」
バットが、ふと思い付いたような声で、デザートのキウイとバナナをフォークで突き刺して大きな口を開けてそれらを頬張りながらそう言った。

ポポン ポポン

今度は俺のスマホに電話が掛かってきた。着信元の名前を確かめると、相手は同じ大学の3つ上の先輩だった。
「ご無沙汰してます、先輩」
俺が応答ボタンにタッチしてスマホ画面を耳に近付けると、先輩の大きな声が聞こえてきた。妙にテンションが高いような、でも何処か緊張したような声だ。
『夕牙か。少し報告したいことがあってな。今話せるか』

俺の名前はバットだ。だがそれは吸血鬼としての名前。人間としての名前は、血洗夕牙で、戸籍にもそう記載されている。

「はい、全然大丈夫です」
俺がそう返事すると、先輩は電話の向こうで何やら恥ずかしそうにモジモジし始めた。
『けっ…俺、結婚したんだ』
「…おめでとう御座います…?!」
正直、先輩が結婚したのはどうでもよかった。それ以上に、彗星の高校時代の同級生からの結婚報告と綺麗にタイミングよく重なったことに、俺はもっと驚いていた。
「先輩、彼女さんいたんですね。先輩、モテてましたけど全く女子に見向きもしなかったんで、女子に興味がないんだと思ってました」
俺は何とか先輩から、奥さんの名前を聞き出そうと、遠回しに尋ねて、先輩が奥さんの名前を言うように誘導した。
「でもちょっと噂にはなってたんですよ。先輩の彼女の名前を前に何処かで聞いたんですけど…何でしたっけ?」
本当は先輩に彼女がいるなんて噂は聞かなかった。だが、スポーツマンで筋肉質でイカツイ先輩のリュッサックに、妙に可愛らしいさくらんぼのキーホルダーが付いていたのは知っている。俺の中で、推測はほぼ確信に変わりつつある。
『俺の奥さん?チェリーのことか』
「…そう、そうです…?!」

先輩…。今、チェリーって言った。

俺はスマホを耳に近付けたまま、視線を彗星に向けた。彗星は何かを飲み込みながら、俺の顔を見て不思議そうに首を傾げた。
「先輩の奥さん、ついさっき高校時代の同級生に結婚の報告をしてませんでした?」
俺が先輩にそう尋ねると、先輩が一瞬だけ息を呑んだのがスマホ越しに分かった。
『何で知ってるんだ』
怒鳴っていたわけではないが、電話越しの先輩の声は、いつになく怖かった。俺が先輩の奥さんをストーカーしていると思われたらたまったもんじゃない。
「実はチェリーさんの高校時代の同級生と友達なんですよ、俺。今、その人も一緒に数年来の友人で集まって一緒に昼ご飯を食べてたところなんですよ」
俺の言葉に、昼ご飯を食べていた皆の手がピタリと止まった。彗星がサラダを食べるのを止めて、俺にスマホを貸せと口パクで伝えてくる。
「先輩。ちょっと俺の友人に電話代わりますね」
『おう』
俺は彗星に自分のスマホを渡した。彗星は飛びつくような勢いで俺の手からスマホを奪い取り、自分の耳に俺のスマホを近付けた。
「あ、初めまして。チェリーさんの友人の翠と申します。この度はご結婚おめでとうございます…」
彗星が先輩と話している間、俺は食べかけだったグラタンを食べていた。ペンネを覆うホワイトソースが、少しだけ冷めていた。
「あ、はい。あ、チェリー!びっくりした。まさかチェリーだとは思ってなかったから…」
どうやら先輩がチェリーに電話を代わったようだ。彗星の声は、少し緊張気味なものから、すぐにリラックスしたような声に変わった。が、何を言われたのか、彗星の声は途端に真剣なものになった。
「本当?…その人に会ってみても良いかな。…良い?!よかった〜」
彗星はその後暫く電話の向こうのチェリーと談笑し、俺にスマホを渡してきた。
「お電話代わりました、夕牙です」
俺はペンネを急いで飲み込んで、電話に出た。
『おう、血洗。凄い偶然だったな』
電話の向こうは、既にチェリーから先輩に代わった後だった。
『悪かったな。昼ご飯の邪魔をしてしまって』
「いえ、殆ど食べ終わる頃だったんで」
俺は何度かペコペコとお辞儀をして電話を切った。彗星だけが、異常に真剣な眼差しで俺のその姿を見つめていた。
「誰に会うことになったの」
俺が電話を切った後、佳奈美さんがお皿を洗いながら彗星の後ろ姿に尋ねた。彗星は、グラタンの最後の一口を飲み込んだ後、静かに口を開いた。
「チェリーの従兄弟…アローなんだって。KORJAの」

カチャン…

乾燥棚に置かれた食器が、水滴を反射しながら音を立てた。
佳奈美さんが水道の水を出しっぱなしにしたまま、彗星の方を振り向いた。佳奈美さんの目は大きく見開かれていた。
「来週、ライブをするためにKORJAが来日するみたい。ライブの後、アローが結婚のお祝いにチェリーの家に行く予定らしい。…流石にこのメンバー皆で押し掛けるのは向こうに迷惑だから、私だけ行ってくる」
そう言う彗星の声は真剣で、瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
「小説のことを何となく仄めかして、アローの反応を見てみる」
「…わかった」

俺は自分のスマホを取り出し、アローの画像を検索してみた。彗星のタブレットに表示されていた、あの無邪気なガキの面影は全く無かった。芸能界の最先端を走りつつ、何処か芸能界から一歩引いたような雰囲気を放っている。
「…あれ?」
特に何も考えずに画面をスクロールしていくと、俺の視線はある1枚の画像に奪われた。アローの背後に、顔が少し見切れた別のメンバーの姿が映っている。ピンボケしていて、容貌ははっきりとは見えないが、何処か俺に通じるものを感じた。容姿端麗のアイドルと、庶民の大学生。全く違う次元の存在のはずなのに、自分と同一人物のようだとさえ感じる。
「なあ、バット」
俺は、机の上を水で濡らして絞った布巾で拭いていたバットに、その画像を見せた。バットはその画面を見るやいなや、ニヤリと笑って俺の方を見た。
「会いたいね。こいつに」
そう言うバットの指先は、アローではなくその後ろに映る、姿のボヤケた例の彼だった。
「まあ、俺たちから会おうとしなくても、向こうから会いに来るよ。きっと。彗星に俺たち吸血鬼の匂いが付いてるだろうからね」
バットが言うなら間違いない。

アローの後ろに映るこいつ…。

吸血鬼だ。
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2025/08/23 13:19

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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