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狭間に生きる僕ら

#74

仮面を脱げ

[斜体][明朝体]悪い。道が混んでる。後10分くらいは遅れる。着いたら電話する。[/明朝体][/斜体]

とうとう、彗星の住むアパートにて、日下部透の正体について話し合う日が来た。一裕と彗星は双方の両親の許可のもと、2人が別々に通っている大学の丁度中間地点くらいにあるアパートで同棲している。一裕がアパートから車を出して、バットと俺を迎えに来てくれる予定だ。だが、休日なのもあってか、道はいつも以上に混雑している。俺達が待ち合わせをしていたのは、〇〇大学駅前の銅像。銅像は道のすぐ近くにあり、俺の前を、横を、後ろを、キャリーケースをガラガラと引いた観光客たちが、重そうなリュックを背中に背負って通り過ぎていく。見上げれば、銅像のハゲ頭が太陽に照らされてテカテカと眩しく光り輝いている。

ブブッ

俺の右手の中でスマホが静かに震えた。

[斜体][明朝体]遅れて悪かった。着きました。何処にいる?[/明朝体][/斜体]

一裕からメッセージだ。俺は太陽の光を避けるために銅像の後ろに隠れていたから、一裕からは見えなかったのだろう。俺は、例の小説と冷蔵庫の中の天然水が入った、重いような軽いようなリュックを背負って、一裕の車に小走りで向かった。一裕が俺に気が付いて、車の中から俺に手を振り始めた。

「悪かったな。待った?」
「いや、そんなに」
バットは後部座席の右側に座っていた。俺は左側に座ることに。シートベルトを締めながら、俺はふと、視界の隅に見慣れないものがある事に気が付いた。バットの視線を感じてバットの方を見ると、バットはあるものを俺に見てみろと目で合図していた。あるものとは。それは、一裕の首筋に残る、ピンク色の小さな痣。汗で湿ったシャツの襟は、昨晩の一裕と彗星の夜を隠しきれていなかった。
「お盛んなことで」
「えっ?!」
一裕はバットの言葉に、目にも止まらぬ速さで右手で首筋に触れた。一裕の人差し指と中指の間から、ピンク色の痣が小さく顔を出している。
「『息子さん』も元気みたいで良かったよ」
因みに、楓はまだ生まれていない。

ブオン!!

一裕が急発進して、俺とバットの背中は後部座席の背もたれに一瞬だけめり込んだ。
「…バカ!!」
一裕は慌ててブレーキを操作して、法定速度でアパートを目指し運転し始めた。薄緑色のフロントガラスに、顔を赤らめた一裕の顔が反射していた。

駅から彗星の住むアパートまでは、車で約5分だった。彗星の遠い親戚が所有しているアパートだそうで、駐車場から花壇に植えられた花まで、何もかもがお洒落だった。何処かの城から貰ってきたのかと思うほどだ。 普通のアパートといえば、〇〇メゾンみたいな感じの文字が刻まれた、せいぜい縦×横が1m弱の板が、シンプルな花壇の上に置かれているくらいだ。だが、このアパートに関しては、普通という概念が通用しない。

まず、駐車場の入り口で俺達を出迎えてくれたのは、2頭の雄鹿だった。一裕が運転してくれている車の前で、お互いの立派な角を突き合わせて睨み合っている。真っ白な身体に所々、煙みたいなグレーの模様。大理石で出来た鹿だ。鹿が、このアパートの門なのだ。

ピカッ

一裕の車が2頭の鹿まで、後数メートルくらいのところまで近付くと、2頭の両目が同時に赤く光った。

ウィーン…

2頭の鹿は目を光らせたまま、体勢は崩さずに滑らかに後ずさった。赤く光った鹿の目は、車が来たことを察知するセンサーだったのだ。
2頭の鹿の間を車で通り過ぎると、鹿たちは再び接近して睨み合った。後続の車はいなかったようで、彼らの目は赤く光ってはおらず、黒かった。
「家賃はさ、高いんだけどさ、翠ちゃんのご両親が払って下さってて…将来結婚して住むアパートは、もう少し安めのところにしようって翠ちゃんと話してるんだ」
一裕は、近いような遠いような将来を見据えて、苦笑いしながら青いプリウスを走らせた。

[水平線]

車を地下の立体駐車場に停めてから、エレベーターを使って彗星たちの部屋がある8階まで来た。アパートの外観に劣らず、内装もかなり豪華だった。というのも、この建物は元はアイドルとか俳優といった有名人が多く利用していたホテルだったそうで、彗星の親戚が建物を買い取ってアパートにしたのだそうな。

エレベーターから出て、俺とバットは一裕の後をついて歩いた。白に限りなく近いクリーム色の壁に、焦げ茶の扉が一定間隔に並んでいる。各部屋の扉に小さいモニターのようなものが取り付けられている。俺たちが各扉の前を通り過ぎていく度、センサーが反応してモニターに俺たちの顔が映されていく。俺たちが通り過ぎていくと、何事もなかったかのように元通り黒い画面に戻る。
「俺たちの部屋はあそこ。276号室」
一裕はそう言って、通路の右端から5番目の扉に向かって歩き出した。

ピッ

扉の前まで来ると、一裕は財布から1枚の黒いカードを取り出し、モニターに翳した。

トットットッ

扉の向こうから軽い足音が聞こえてくる。一裕がカードを財布にしまい、その財布を鞄の中にしまったと同時に焦げ茶色の扉が開いた。
「おかえり」
扉は軋むことなく滑らかに開き、その向こうから彗星が顔を覗かせた。彗星は、俺とバットはそっちのけで一裕の前に、両腕を広げて立った。
「ただいま」
一裕は俺たちの前に立っていたから、どんな表情を顔に浮かべていたのかは分からなかったが、一裕はこれ見よがしに彗星を固く抱き締めていた。
「他の皆は?」
部屋の向こうはやけに静かで、俺たち以外に人がいる気配がしない。
「蓮と佳奈美さんが、今日のお昼ご飯の食材を買ってから来てくれるって言ってたんだ。数時間で終わる話ではないだろうし、確実に昼を跨ぐからな」
一裕は俺達2人を部屋の中に招き入れ、フッカフカのソファに座らせた。ソファの前には、俺が両腕を広げても収まりきらないくらい大きな画面のテレビが壁に取り付けられている。

カラン…

彗星が冷蔵庫からお茶を取り出し、氷と一緒にガラスコップに入れて持ってきてくれた。透き通った緑茶の中を、綺麗な立方体の氷がクルクルと回っている。
「ラルフたちは後20分くらいで来るって言ってる。サファイヤは何時でも来れるみたいだけど、ラルフの政治経済のセミナーが延長してるって」
「峻兄さんは今日は来れないって、昨晩連絡が来た。社会人になると仕事を簡単には休めないからな。今日の話は佳奈美さんから峻兄さんにしてくれるってよ」
彗星と一裕は、俺とバットを挟むようにしてソファに腰を降ろした。
「あっ、そうだ。2人にも見てほしいものがあるの」
彗星は突然、何かを思い出したように立ち上がって、部屋を出ていった。
「可愛いでしょ〜」
彗星は、何か大きな水色の物体を持って部屋に戻ってきた。

それは、全身が薄い水色のデカいぬいぐるみだった。デカいツム◯ムみたいな見た目。のっぺりとした円柱形の胴体。ピロピロとした尻尾が遠慮がちに付いている。顔は、何だかシロイルカに似ていて、彗星に抱かれながら俺たちに円らな瞳で笑顔を見せている。

何処かの店で、似たような抱き枕を見たことある気がする。

あ、あれだ。
隅暮らしのリザードっていうキャラクターだ。見覚えがある気がしたのは、俺が働くコンビニで最近そのキャラクターの景品が抽選で当たる商品を売り始めたからだ。

「ま〜た持ってきて〜」
一裕は彗星の腕からそのぬいぐるみを取り上げると、それを自分の背中の後ろに隠した。少し突かせてもらうと、思いのほか柔らかくて、水色の身体は俺の指を包み込んだ。
「可愛いのに、こんなことするの。どう思う?」
彗星は不貞腐れたように唇を尖らせて、俺とバットの顔を交互に見た。

まあ、恐らく。
彗星がぬいぐるみに夢中になってしまって、一裕が嫉妬しているといったところだろう。

「だってー、こいつ翠ちゃんに毎日ハグされてるし、チューしてもらえるし、よしよししてもらってるもん」
一裕はぬいぐるみを前に抱えてそれを抱きしめながら、駄々っ子のように足をバタつかせて彗星にキスを強請る。

俺、何度も何度も何度も何度も一裕と彗星のハグとキスを見てきた気がするんだが…。
まだ物足りないってこと?

「開けてー」
玄関の方から、蓮の声がくぐもって聞こえた。彗星が扉を開けに行って暫くすると、足音が部屋に近づいてきた。
「お前らもう来てたんだ」
蓮と佳奈美さんが、エコバッグを2つくらいずつ持って部屋に入ってきた。
「ありがとね。食材わざわざ」
「ううん」
一裕が2人からエコバッグを預かって、中から取り出した食材を冷蔵庫の中に閉まっていく。佳奈美さんが一裕の隣に並んで手伝おうとしたが、蓮が2人の間に割り込んだ。

「へあぁ…やれやれ」
俺とバットが座っているソファの真ん前に、一人の狼男が姿を現した。緑色と銀色の体毛に覆われた大きな背中。数年前に比べて、随分と筋肉質になったエメラルドだった。右手には一匹の魚が、ヒレをビチビチと激しく動かして藻掻いている。エメラルドが右手を離すと、魚はビタンとフローリングの上に落ちて間もなくポンと人間の姿になった。
「エメラルド。サファイヤ」
俺が2人の後ろ姿に声を掛けると、2人は同時に俺とバットの方を振り向いた。
「おお…!!」
エメラルドは両目を丸くして、俺の横に腰をどっこらしょっと下ろして、俺の顔を覗き込んだ。
「彗星から聞いたぜ。日下部透の正体が分かったかもってな」
随分と長い講座を受けてきたのだろう。目の下に隈が出来ている。いきなり英才教育を寝る暇もなくされたら仕方のない事かもしれない。それでも、エメラルドの両目は好奇心と興奮で明るく輝いて見える。
「例の小説って何処にある?」
サファイヤは、俺の足元に置かれたリュックサックにちらちらと視線を何度も送っている。
「皆もこっち来てよ」
サファイヤとエメラルドが部屋にやってきた頃、ちょうど一裕はトイレに、蓮は親から電話が来たと言って玄関にいていなかった。
「エメラルドとサファイヤが来てくれたよ!」
佳奈美さんと彗星は、俺たちの向かいにあるソファに腰を下ろして、水色のぬいぐるみを胸に抱きかかえながら各々の彼氏を呼んだ。
「ごめんごめん。お待たせ」
一裕と蓮が数分してから、部屋に戻ってきた。
「皆に見せたいのは、これ」
俺はリュックの中から、天然水が入ったペットボトルと小説の取り出した。表紙は既にカラカラに乾いて、浮かび上がって滲んでいた文字も跡形もなく消えていた。でも俺は知っている。濡らせばまた、文字が現れることを。皆が、小説とペットボトルを持つ俺の両手を覗き込む。
「洗面器借りても良い?」
俺は彗星に、風呂場からバケツなり何なり貸してくれるように頼んだ。上質なフカフカのソファを濡らすわけにはいかない。
「はい」
「どうも」
彗星はソファの前に、折畳式の小さな机を立てて、その上に空の洗面器を乗せた。淡いピンク色の無地のデザイン…かと思いきや、洗面器の底にはキスマークがさり気なく施されている。

これはこれは、また…。

俺は洗面器の中に小説の表紙が見えるようにして入れた。そして、ペットボトルの蓋を開け、中の水を表紙の上にチョロチョロと注いだ。その瞬間、誰もが息を呑んだのを感じた。いったい誰が好き好んで、本の表紙に天然水を注ごうか。でも、それが謎を解き明かす鍵なのだ。
「あ…ホントだ」
俺が表紙に水を少し掛けただけで、例の人名が浮かび上がった。
「この人が…日下部透ってこと?」
佳奈美さんは、表紙に浮かび上がった4文字をじっくりと観察するように眺めた。

孔 舎 衙 徹

4つの文字は、真っ白な表紙の上に静かに浮かび上がる。
「実は俺、ウルフがLINEに連絡をくれた後に、この人名を調べてみたんだ。そしたら、どうやらプロの作家ではないみたいなんだ」
蓮はポケットからスマホを取り出し、ある画面を開けて、俺たちに順番に見せた。

『全国小中高生創作コンテスト 〇〇書店賞受賞 孔舎衙徹(仮名:本人希望)』

蓮のスマホには、ある書店のHPが表示されていた。
「どうやらこの小説は、素人の学生が書いた小説らしい。このコンテストで選ばれると、書籍化されるんだって」
一裕が蓮のスマホを覗き込み、ボソッとため息混じりに呟いた。
「でも、仮名なんだよなあ…」
一裕の言う通り、本名でないということは、名前だけを頼りに正体を突き止めることは出来ない。それに、作者が仮名を希望した点が、妙に胸の奥に引っ掛かる。それは、自分の正体を隠すという行為。サファイヤは暫く、スマホを覗き込む蓮と一裕のつむじ辺りを見ていたが、自分の手元に置かれた、濡れた表紙に視線を落とした。
「ん?」
サファイヤの目が、水色に光った。サファイヤは洗面器から小説を取り出し、表紙にキスしそうなくらいに顔を近付けて、水色の目を大きく開け表紙を凝視し始めた。
「これ……誰か、ヤスリ持ってない?」
サファイヤは顔を表紙から離すと、俺たちの顔を順番に見ていった。
「なんで?」
「…多分。何かの絵が隠されてる。ウルフさえ良ければ、表紙を削ったら見えるかも」

絵…?

「良いよ。削ろう。」
「髭剃りで良さそうか?」
一裕は洗面所から自分の髭剃りを持って戻ってきて、それを俺の手に渡した。
「削って…みよう」
俺は、皆が首を縦に振ったのを確認し、人名が浮かび上がっている周辺を恐る恐る髭剃りで削り始めた。

シャリ…シャリ…

鋭い刃が、真っ白な表紙を削っていく感覚が指先に伝わってくる。
「…矢?」
削っていくと、段々と矢の絵が浮かび上がってきた。

群青色の羽。矢じりの先端は、白く光っているようなデザイン。それは、夜空を掛ける流れ星を彷彿とさせる絵だった。

「アルファベットもある…」
矢の絵の下には、目を凝らせば辛うじて見ることが出来そうな、蟻ん子くらいの大きさのアルファベットも浮かび上がっている。

[明朝体]A R R O W[/明朝体]

「アロー…?はっ…?!」
彗星は、はっと思いついたような表情を見せると、ソファのすぐ近くに置かれた机の上からタブレットを持ってきて、慌てながら何かの画面を開けようとしている。
「翠ちゃん?どうした?」
「まさかだけど…まさかだけど…」
一裕の呼びかけにも気付かず、彗星はそう呟きながら、ある画面を俺たちに見せた。
「これ、私が通っていた幼稚園の卒業アルバム」
そこに映されていたのは、沢山の園児の弾けるような笑顔。彗星だと思われる幼女が、ぎこち無い笑顔を見せながら写真の隅っこで小さくピースをしている。一人一人の顔のすぐ近くに、園児の名前が印字されている。
「この男の子の名前を見てほしいの」
彗星はそう言って、写真のど真ん中にいる少年を指差した。
太陽のような眩しい笑顔を浮かべた少年。小さな口から、白い歯が並んでいるのが見える。写真の中では、彗星よりも小さいちびっ子だ。
「山田…なんて読むんだ?」
その少年の笑顔の近くにも、他の園児と同じように名前が印字されていた。だけど、下の名前の読み方がさっぱり分からない。

山田 空瞬

「中国の子?」
バットの問いかけに、彗星は首を横に振って、少年の名前を静かに口にした。彗星自身が、その名前をしっかりと確認するように。


「珍しい名前だったから、私、今も覚えてるの。この子の名前…アローだった」

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2025/08/20 21:00

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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