午後6時から午後9時までの3時間。
今宵は、生者の世界に生まれていく新たな命の送別会。
大広間の入り口には、合宿所裏の花畑から採ってきたと思われる色とりどりの花が、大袈裟なくらいに大きな花瓶に生けられている。見たことのない花もちらほら。彼岸花とタンポポが混ざったような黄色の花。菊とバラが混ざったようなピンク色の花。バットと蓮が腰を屈めて、それらを丁寧に一つずつ観察している。
『どうぞ』
中村に促されて、俺たちは入り口の敷居を跨いだ。同時に、大広間の中から火の玉が4人テケテケと現れた。
『こっちこっち』
現れた4人は、晴馬、悠馬、圭吾、桜大だった。4人は俺たちを率いて、大広間のど真ん中を突っ切っていく。
大広間の宴会場にズラリと並べられた、高級そうな木製の低い机。濃い茶色や薄い茶色の木目が、川のせせらぎのように滑らかに机の上を流れている。
大広間の一番奥の壁に、壁一面を覆い尽くすほどの荘厳な扉がある。幾重にも鍵が掛けられている。扉の取っ手には、鎖までもが何重にも巻き付けられている。
『ここに座って』
晴馬たちは俺たちを、その扉に一番近い席に座らせ、本人たちは俺たちの真後ろにある席に着いた。何の飾りもない、古びた扉が俺たちの前に静かに立ちはだかる。色とりどりに飾られた大広間とは、何処か違う世界にあるような感じがする。
『注目』
中村の声のアナウンス。
保育園児と幼稚園児と小学生を混ぜた、元気すぎる空間が、シン…と寝静まったように静かになった。
『第18回、転生者送別祭を開催します』
中村がそう言うと、大広間の照明がパッと消され、入り口だけが白い光に明るく照らされた。暗い大広間の真ん中を、幅1m位の白い線がゆっくりと走っていく。その白い光は、扉の前まで来るとピカッと一瞬だけ明るく光り、やがて霧のようにジワジワと姿を消していった。
フッと空気が和らぐと、火の玉たちがボソボソとお喋りをし始め、照明が付けられた。荘厳な扉が、再び俺たちの前に姿を現した。
「何だったのあれ」
俺たちの頭の中には、白い光の正体が何となく分かっている気がしていたが、確かめずには居られなかった。サファイヤがクルリと身体を捻って、後ろの席に座っている火の玉たちに何やら尋ねると、身体の向きはそのままで顔だけを俺たちに向けて言った。
「生まれ変わる子供達だってさ。生まれ変わる時、基本的には前世の記憶って失われる。だから、火の玉の姿でもなければ色もないんだって」
俺は3年くらい前にある海外の番組で、前世の記憶を持つ少年少女たちのドキュメンタリーを観たことがある。前世の記憶があるというだけで番組が幾つも作られるほど大騒ぎされる。それだけ珍しいということだ。どうして前世の記憶が失われるかは、多分企業秘密みたいな感じで俺たちには教えてくれないだろうが、何かしらの手違いがあったのだろう。
だけど、俺は覚えている。
前世の記憶を持つ彼らの記憶は、決して幸せなものではないということを。
飛行機事故で、燃える飛行機が墜落していく恐怖が脳裏にこびり付いている僅か2歳の幼女。
虐められて、金属バットで何度も何度も殴られて死んだ記憶を持つ少年。
前世では武士で、雨が激しく降る寒い夜に戦死した記憶を持つ、今はアメリカに生きる少年。
きっと、忘れさせようとしても忘れさせることが出来ないまま、死者の世界は彼らの魂を生者の世界に送り出してしまったのだろう。
晴馬たちは、生まれ変わる時、前世での辛い記憶を忘れ去ることが出来るだろうか。
大広間を囲んでいる障子が、一斉にザッと開いた音がした。毛並みの美しい狐たちが、大小様々な皿に盛り付けられた料理を持って立っている。カチッと、何処かでCDがラジカセに入れられた音がすると、狐たちは音に合わせて、天女が舞うような優雅な仕草で料理を俺たちのもとに運んでくる。
『ご自由に、お好きなだけお食べ下さい』
俺たちに食事を運んでくれたのは夜桜だった。火の玉たちは、唐揚げやらハンバーグやら子供達が好きそうなメニューばかり。俺たちのは、彗星の親父さんが経営している高級料亭に負けないくらいの豪華な食事。
机の上を覆い尽くすほど置かれた料理を眺めていると、夜桜の手がニュッと横から伸びて、箸置きの横に小さな皿を静かに置いた。
コロコロ…
陶器で出来た白い皿の上を、ナッツに似た何かが遠慮がちに転がっている。
『こちらは必ずお食べ下さい。それ以外の料理については、お腹が膨れましたら残して頂いても構いません』
夜桜は、俺たち全員にそのナッツみたいなものを配り終えると、トレーを脇に抱え、ナッツを手で指し示しながら説明し始めた。
『水無月の座という果物で、生者の世界には存在しないものです。死者の世界から生者の世界に移動するには、膨大なエネルギーを要します。皆様が生者の世界に戻られた際の疲労を最大限軽減するための、サプリのようなものだとお考え下さい』
水無月の座…。
ついさっきまで、ただのナッツにしか見えていなかったが、生者の世界に無いと言われると、急に不可思議な物体に見えてくる。
「何で水無月の座っていう名前に?…お、甘い」
バットは真っ先にその果実を口に放り込んだ。
『まあ、大した由来ではありませんが…』
夜桜曰く、この果実は「ザクロの逆」だという意味から名付けられたそうだ。ザクロを逆から読むと、ロクザ。それを漢字に直してみると、六座。それだけだとつまらないので、六から6月を連想させる水無月に置き換えて、水無月の座となったそうだ。
『ザクロは、ギリシャ神話では、冥界の王が恋した女性に食べさせた果実として描かれています。冥界の王は、恋した女性を冥界に拉致したのですが、女性が生きていた頃の世界に戻りたいと嘆いたので、冥界の王は彼女に帰ることを許したのです。但し、ある条件を隠して。冥界の王は彼女を返す前に、腹の満たしになるようにとザクロを一粒与えたのですが、それは彼女は永遠に冥界から逃れることは出来ないという運命を孕んでいました。冥界の王はそれを知っておきながら彼女にそれを隠して食べさせ、彼女が自分のもとを離れていかないようにしたのです』
夜桜の説明と一緒に、バットが果実を噛む音が聞こえてくる。俺は、親指と人差し指でその果実を恐る恐る摘んでみた。カサカサと乾燥した茶色い殻の中から、トロリとしたクリームの様なピンク色の何かが見える。殻の隙間から匂いを嗅ぐと、イチゴのような甘酸っぱい香りが俺の鼻先を突いた。バットは、果実を既に飲み込んだ。エメラルドは訝しそうな目線を果実に向けていたが、勇気を振り絞ったように口の中に放り込んだ。一裕は特に何も考えていないという様子で、果実をチビチビと少しずつ食べている。人差し指の爪の先にひんやりとした冷たさと僅かな重みを感じた。果実の殻の隙間から中のクリームが溢れたのだ。慌てて果実を口の中に入れ、卵の殻くらいの硬さの殻を噛み砕くと、桃のような控え目な甘さが口の中に充満した。
『今宵はお楽しみ下さいませ』
夜桜がそう言って、両手をパンッと叩くと、今度は全ての照明が消えて、大広間は暗闇に包まれた。火の玉たちがザワザワと騒いでいる。でも、何が起きているのかさっぱり分からない俺達とは違って、何かを知っているようで来るぞ、来るぞとソワソワしている。
『来た!』
暗闇の中から誰かが叫んだ途端、水と硝子で出来たような透明なイルカが突然何頭か現れ、机と机の合間を縫うように宙を泳ぎ始めた。水色やピンク、緑の光を纏っている。イルカが机の近くを、矢のような速さで泳いでいく度、その机に座っている火の玉たちがキャアキャアとはしゃぐ。まさに、イルカショー。
「あ」
サファイヤが指差した先から、紫色の光を纏ったイルカが泳いできた。そのイルカは、一度は俺たちの前を素通りしていったが、すぐに引き返してサファイヤの周りをグルグルと泳ぎ始めた。
「久しぶり」
サファイヤは、いつになく嬉しそうな表情を顔に浮かべて、イルカの背中を擦った。イルカはサファイヤに触れられると、ウンウンと頷いて見せた。暫くそうしていると、イルカはサファイヤから離れて、子供達の方へと泳いでいった。サファイヤはその後ろ姿を、名残惜しそうに見送っていた。
「友達だったんだ」
サファイヤはそう言って、首から下げたネックレスに優しく触れた。白い骨が、暗闇に薄っすらと浮かんでいる。
「いただきます」
幻想的なイルカショーに見惚れて、食事に全く手を付けていないことに気が付いて、俺達は箸を手に持って各自何かしらを口の中に運んでいった。口の中には、まだ果実の甘酸っぱさが残っている。白醤油を付けたフグの味と混ざって、不思議な感じがした。
ガァrrrrrr…!
エメラルドか?
俺はエメラルドが唸り始めたのかと思って、エメラルドが座っている方に視線を向けた。他の皆も同じ事を思ったようで、ある人は汁物を飲みながら、ある人は何かを噛みながら視線をエメラルドに向けていた。
「俺じゃな…」
ガァRRrr!!
エメラルドが顔の前で手を横に振ったのと同時に、猛獣の唸り声が大広間に突如として響いた。涼しかった大広間は、サウナのように暑くなり始めた。俺の背後で、大きな炎がメラメラと燃えているのを感じる。俺たちの影が、オレンジ色に染まった畳の上を揺ら揺らと踊る。俺は思わず、お茶の中から氷だけを口の中に入れた。燃えるように熱い身体とは対照的に、口の中はひんやりと冷たかった。
ダン!
俺の背後で、物凄く大きな何かが地上に降り立った音がした。
「ウソ〜ん」
一裕が、俺の後ろにいる何かを見て間抜けな声を出した。火の玉たちは、特に男子はさっき以上に大騒ぎしている。
恐る恐る振り返ると、想像していなかったものが姿を現した。炎とマグマで出来た何頭かの恐竜が、のっそのっそと畳の上を歩いている。彼らが歩く度、その振動が熱気とともに伝わってくる。
「ティラノサウルス…アロサウルス…ヴェロキラプトル…スピノサウルス…ギガノトサウルス…」
恐竜に関しては妙に詳しいバットが、自分の前を通り過ぎていく恐竜を1頭ずつ観察していく。
やがて、燃えるような暑さは薄らいでいき、気付けば恐竜も姿を消していた。代わりに、土臭い香りと森林の中にいる時のような香りと涼しさが俺たちを包んだ。
「お、おうお、おう?」
蓮がアシカのような上擦った声を出した。初めは何を言っているのだと思ったが、すぐに蓮の気持ちが分かった。畳から、草木が芽生えてきたのだ。数分も経たないうちに、俺の真ん前に生えてきた植物は、先端に小さな黄色の花を咲かせた。某アニメの某キャラクター、ト◯ロが何処かにいるのかと思う程の勢いで草木が芽生えていき、俺たちが食事を半分食べ終えた頃にはちょっとした草原が大広間に出来ていた。何処からともなく涼しい風が吹き、膝の高さくらいの草をサワサワと揺らす。見上げてみると、小さな光がポツポツと暗闇に現れ始めている。俺達が今、大広間にいることなど忘れてしまうくらいに、広大な夜の草原に腰を下ろして夜空を見ているような気分だ。
チラ…チラ…
遠く高くの空に浮かぶ星は、瞬きながらゆっくりと降りてきた。飛行機雲のように、白い線を残しながら、その光は段々と俺たちの目線の高さまで舞い落ちてくる。俺たち自身が流れ星になったような気分。
フッ…
俺たちを照らしていた光が消え、大広間は再び暗闇に包まれた。俺たちが眩しくないようにと誰かが気を使ってくれたのか、照明はグラデーション的に、コンサートの時の同じような感じでジワジワと俺たちを照らしていった。
厳かな雰囲気に浸っていた俺たちを裏切るように、今度は聞き覚えのあるアニメの歌や、何時しか聴いた流行歌が大広間に放送され始めた。
『祭ってね、今からが本番』
晴馬は、自分の皿に乗っていたトマトを俺の皿に乗せて、ちょこまかと自分の席に戻っていった。その時、晴馬が俺の皿から苺を一つ奪っていったことを見逃さなかったが、不問にした。
晴馬は、祭は今からだと言ったが、結局は俺たちにも馴染みのある夏祭りと似た感じだった。水風船釣り、射的、カラオケ…。食事を食べ終えた頃、狐たちが食器を回収してくれて、俺たちも晴馬たちに連れられて諸々を楽しんだ。宙を泳ぐ透明なイルカや、炎とマグマで出来た恐竜を見てきた俺たちからすると、実に現実的で拍子抜けしたが、火の玉たちは寧ろより楽しそうにしていた。
『何世代?』
俺が蓮とダーツをしていると、知らない火の玉が2人話しかけてきた。
「世代?」
『そう。何のアニメ見てた?』
パチン
蓮のダーツが、的の真ん中より少しズレたところに刺さった。
「俺たちは、妖怪時計と、考える鳩と、ソクラテスイッチと…」
懐かしい番組名を、蓮が次々と言っていく。
『へえ、若いね』
『古いね』
2人の火の玉は正反対のことを同時に言った。恐らく、一人は俺たちよりも年上で、もう一人は俺たちより年下だ。
『晴馬、お前って何世代だったっけ』
蓮がダーツを打つのを横で見守っていた晴馬が、火の玉に尋ねられてこう答えた。
『ニュッキと、お風呂キライーと…』
あ…。それ、俺も見てた世代だ。
ということは…晴馬は俺と同い年くらいのはずだったということか…。
バチン
俺が打ったダーツは、突拍子もないところに飛んでいき、ボウリングコーナーに乱入して、カラオケボックスの看板に刺さった。
「ふう…」
祭も終わりに近づいてきた。子供達が食べ終えた皿は、綺麗に片付けられた。ただでさえ、沢山の高級料理を頂いた後に、晴馬たちに促されて焼きそばやたこ焼きを買って食べた為に、腹がはち切れそうだ。
『そろそろ帰ろっか』
火の玉たちが、ゆったりと、のんびりと大広間を出て部屋に戻っていく。
『祭は自由解散だから』
俺たちも晴馬に連れられて、満杯な腹を擦り、仰け反りながら部屋に戻り始めた。
『ちょっと待って』
部屋の方へと数十歩歩いた頃、俺達は後ろから、聞き覚えのある声に呼び止められた。俺の前を、手を繋いで歩いていた一裕と彗星が、誰よりも早くその声に反応して、クルリと後ろを振り向いた。
「楓…?」
視線の先には、楓色の火の玉が宙に浮かんでいた。
『僕、ちゃんと生まれ変わるから。待ってて』
火の玉から、楓の声がする。躊躇いを少しも感じさせない、明確な意志を胸に抱いた声。嘗て、生きることに絶望した面影は、少しも残っていたかった。
「うん…」
彗星が嗚咽混じりに返事をし、首を小さく縦に振った。一裕がその彗星の手を、ギュッと固く握っていた。
明日の朝、俺たちは生者の世界に帰る。
何気ない、他愛もない日常に戻る。
それでも、俺達は忘れられるわけがないんだ。
俺達が経験した、たった数日の日々を。
ここにいる、子供たちの過去を。
ここに集いし、魂の意志を。
今宵は、生者の世界に生まれていく新たな命の送別会。
大広間の入り口には、合宿所裏の花畑から採ってきたと思われる色とりどりの花が、大袈裟なくらいに大きな花瓶に生けられている。見たことのない花もちらほら。彼岸花とタンポポが混ざったような黄色の花。菊とバラが混ざったようなピンク色の花。バットと蓮が腰を屈めて、それらを丁寧に一つずつ観察している。
『どうぞ』
中村に促されて、俺たちは入り口の敷居を跨いだ。同時に、大広間の中から火の玉が4人テケテケと現れた。
『こっちこっち』
現れた4人は、晴馬、悠馬、圭吾、桜大だった。4人は俺たちを率いて、大広間のど真ん中を突っ切っていく。
大広間の宴会場にズラリと並べられた、高級そうな木製の低い机。濃い茶色や薄い茶色の木目が、川のせせらぎのように滑らかに机の上を流れている。
大広間の一番奥の壁に、壁一面を覆い尽くすほどの荘厳な扉がある。幾重にも鍵が掛けられている。扉の取っ手には、鎖までもが何重にも巻き付けられている。
『ここに座って』
晴馬たちは俺たちを、その扉に一番近い席に座らせ、本人たちは俺たちの真後ろにある席に着いた。何の飾りもない、古びた扉が俺たちの前に静かに立ちはだかる。色とりどりに飾られた大広間とは、何処か違う世界にあるような感じがする。
『注目』
中村の声のアナウンス。
保育園児と幼稚園児と小学生を混ぜた、元気すぎる空間が、シン…と寝静まったように静かになった。
『第18回、転生者送別祭を開催します』
中村がそう言うと、大広間の照明がパッと消され、入り口だけが白い光に明るく照らされた。暗い大広間の真ん中を、幅1m位の白い線がゆっくりと走っていく。その白い光は、扉の前まで来るとピカッと一瞬だけ明るく光り、やがて霧のようにジワジワと姿を消していった。
フッと空気が和らぐと、火の玉たちがボソボソとお喋りをし始め、照明が付けられた。荘厳な扉が、再び俺たちの前に姿を現した。
「何だったのあれ」
俺たちの頭の中には、白い光の正体が何となく分かっている気がしていたが、確かめずには居られなかった。サファイヤがクルリと身体を捻って、後ろの席に座っている火の玉たちに何やら尋ねると、身体の向きはそのままで顔だけを俺たちに向けて言った。
「生まれ変わる子供達だってさ。生まれ変わる時、基本的には前世の記憶って失われる。だから、火の玉の姿でもなければ色もないんだって」
俺は3年くらい前にある海外の番組で、前世の記憶を持つ少年少女たちのドキュメンタリーを観たことがある。前世の記憶があるというだけで番組が幾つも作られるほど大騒ぎされる。それだけ珍しいということだ。どうして前世の記憶が失われるかは、多分企業秘密みたいな感じで俺たちには教えてくれないだろうが、何かしらの手違いがあったのだろう。
だけど、俺は覚えている。
前世の記憶を持つ彼らの記憶は、決して幸せなものではないということを。
飛行機事故で、燃える飛行機が墜落していく恐怖が脳裏にこびり付いている僅か2歳の幼女。
虐められて、金属バットで何度も何度も殴られて死んだ記憶を持つ少年。
前世では武士で、雨が激しく降る寒い夜に戦死した記憶を持つ、今はアメリカに生きる少年。
きっと、忘れさせようとしても忘れさせることが出来ないまま、死者の世界は彼らの魂を生者の世界に送り出してしまったのだろう。
晴馬たちは、生まれ変わる時、前世での辛い記憶を忘れ去ることが出来るだろうか。
大広間を囲んでいる障子が、一斉にザッと開いた音がした。毛並みの美しい狐たちが、大小様々な皿に盛り付けられた料理を持って立っている。カチッと、何処かでCDがラジカセに入れられた音がすると、狐たちは音に合わせて、天女が舞うような優雅な仕草で料理を俺たちのもとに運んでくる。
『ご自由に、お好きなだけお食べ下さい』
俺たちに食事を運んでくれたのは夜桜だった。火の玉たちは、唐揚げやらハンバーグやら子供達が好きそうなメニューばかり。俺たちのは、彗星の親父さんが経営している高級料亭に負けないくらいの豪華な食事。
机の上を覆い尽くすほど置かれた料理を眺めていると、夜桜の手がニュッと横から伸びて、箸置きの横に小さな皿を静かに置いた。
コロコロ…
陶器で出来た白い皿の上を、ナッツに似た何かが遠慮がちに転がっている。
『こちらは必ずお食べ下さい。それ以外の料理については、お腹が膨れましたら残して頂いても構いません』
夜桜は、俺たち全員にそのナッツみたいなものを配り終えると、トレーを脇に抱え、ナッツを手で指し示しながら説明し始めた。
『水無月の座という果物で、生者の世界には存在しないものです。死者の世界から生者の世界に移動するには、膨大なエネルギーを要します。皆様が生者の世界に戻られた際の疲労を最大限軽減するための、サプリのようなものだとお考え下さい』
水無月の座…。
ついさっきまで、ただのナッツにしか見えていなかったが、生者の世界に無いと言われると、急に不可思議な物体に見えてくる。
「何で水無月の座っていう名前に?…お、甘い」
バットは真っ先にその果実を口に放り込んだ。
『まあ、大した由来ではありませんが…』
夜桜曰く、この果実は「ザクロの逆」だという意味から名付けられたそうだ。ザクロを逆から読むと、ロクザ。それを漢字に直してみると、六座。それだけだとつまらないので、六から6月を連想させる水無月に置き換えて、水無月の座となったそうだ。
『ザクロは、ギリシャ神話では、冥界の王が恋した女性に食べさせた果実として描かれています。冥界の王は、恋した女性を冥界に拉致したのですが、女性が生きていた頃の世界に戻りたいと嘆いたので、冥界の王は彼女に帰ることを許したのです。但し、ある条件を隠して。冥界の王は彼女を返す前に、腹の満たしになるようにとザクロを一粒与えたのですが、それは彼女は永遠に冥界から逃れることは出来ないという運命を孕んでいました。冥界の王はそれを知っておきながら彼女にそれを隠して食べさせ、彼女が自分のもとを離れていかないようにしたのです』
夜桜の説明と一緒に、バットが果実を噛む音が聞こえてくる。俺は、親指と人差し指でその果実を恐る恐る摘んでみた。カサカサと乾燥した茶色い殻の中から、トロリとしたクリームの様なピンク色の何かが見える。殻の隙間から匂いを嗅ぐと、イチゴのような甘酸っぱい香りが俺の鼻先を突いた。バットは、果実を既に飲み込んだ。エメラルドは訝しそうな目線を果実に向けていたが、勇気を振り絞ったように口の中に放り込んだ。一裕は特に何も考えていないという様子で、果実をチビチビと少しずつ食べている。人差し指の爪の先にひんやりとした冷たさと僅かな重みを感じた。果実の殻の隙間から中のクリームが溢れたのだ。慌てて果実を口の中に入れ、卵の殻くらいの硬さの殻を噛み砕くと、桃のような控え目な甘さが口の中に充満した。
『今宵はお楽しみ下さいませ』
夜桜がそう言って、両手をパンッと叩くと、今度は全ての照明が消えて、大広間は暗闇に包まれた。火の玉たちがザワザワと騒いでいる。でも、何が起きているのかさっぱり分からない俺達とは違って、何かを知っているようで来るぞ、来るぞとソワソワしている。
『来た!』
暗闇の中から誰かが叫んだ途端、水と硝子で出来たような透明なイルカが突然何頭か現れ、机と机の合間を縫うように宙を泳ぎ始めた。水色やピンク、緑の光を纏っている。イルカが机の近くを、矢のような速さで泳いでいく度、その机に座っている火の玉たちがキャアキャアとはしゃぐ。まさに、イルカショー。
「あ」
サファイヤが指差した先から、紫色の光を纏ったイルカが泳いできた。そのイルカは、一度は俺たちの前を素通りしていったが、すぐに引き返してサファイヤの周りをグルグルと泳ぎ始めた。
「久しぶり」
サファイヤは、いつになく嬉しそうな表情を顔に浮かべて、イルカの背中を擦った。イルカはサファイヤに触れられると、ウンウンと頷いて見せた。暫くそうしていると、イルカはサファイヤから離れて、子供達の方へと泳いでいった。サファイヤはその後ろ姿を、名残惜しそうに見送っていた。
「友達だったんだ」
サファイヤはそう言って、首から下げたネックレスに優しく触れた。白い骨が、暗闇に薄っすらと浮かんでいる。
「いただきます」
幻想的なイルカショーに見惚れて、食事に全く手を付けていないことに気が付いて、俺達は箸を手に持って各自何かしらを口の中に運んでいった。口の中には、まだ果実の甘酸っぱさが残っている。白醤油を付けたフグの味と混ざって、不思議な感じがした。
ガァrrrrrr…!
エメラルドか?
俺はエメラルドが唸り始めたのかと思って、エメラルドが座っている方に視線を向けた。他の皆も同じ事を思ったようで、ある人は汁物を飲みながら、ある人は何かを噛みながら視線をエメラルドに向けていた。
「俺じゃな…」
ガァRRrr!!
エメラルドが顔の前で手を横に振ったのと同時に、猛獣の唸り声が大広間に突如として響いた。涼しかった大広間は、サウナのように暑くなり始めた。俺の背後で、大きな炎がメラメラと燃えているのを感じる。俺たちの影が、オレンジ色に染まった畳の上を揺ら揺らと踊る。俺は思わず、お茶の中から氷だけを口の中に入れた。燃えるように熱い身体とは対照的に、口の中はひんやりと冷たかった。
ダン!
俺の背後で、物凄く大きな何かが地上に降り立った音がした。
「ウソ〜ん」
一裕が、俺の後ろにいる何かを見て間抜けな声を出した。火の玉たちは、特に男子はさっき以上に大騒ぎしている。
恐る恐る振り返ると、想像していなかったものが姿を現した。炎とマグマで出来た何頭かの恐竜が、のっそのっそと畳の上を歩いている。彼らが歩く度、その振動が熱気とともに伝わってくる。
「ティラノサウルス…アロサウルス…ヴェロキラプトル…スピノサウルス…ギガノトサウルス…」
恐竜に関しては妙に詳しいバットが、自分の前を通り過ぎていく恐竜を1頭ずつ観察していく。
やがて、燃えるような暑さは薄らいでいき、気付けば恐竜も姿を消していた。代わりに、土臭い香りと森林の中にいる時のような香りと涼しさが俺たちを包んだ。
「お、おうお、おう?」
蓮がアシカのような上擦った声を出した。初めは何を言っているのだと思ったが、すぐに蓮の気持ちが分かった。畳から、草木が芽生えてきたのだ。数分も経たないうちに、俺の真ん前に生えてきた植物は、先端に小さな黄色の花を咲かせた。某アニメの某キャラクター、ト◯ロが何処かにいるのかと思う程の勢いで草木が芽生えていき、俺たちが食事を半分食べ終えた頃にはちょっとした草原が大広間に出来ていた。何処からともなく涼しい風が吹き、膝の高さくらいの草をサワサワと揺らす。見上げてみると、小さな光がポツポツと暗闇に現れ始めている。俺達が今、大広間にいることなど忘れてしまうくらいに、広大な夜の草原に腰を下ろして夜空を見ているような気分だ。
チラ…チラ…
遠く高くの空に浮かぶ星は、瞬きながらゆっくりと降りてきた。飛行機雲のように、白い線を残しながら、その光は段々と俺たちの目線の高さまで舞い落ちてくる。俺たち自身が流れ星になったような気分。
フッ…
俺たちを照らしていた光が消え、大広間は再び暗闇に包まれた。俺たちが眩しくないようにと誰かが気を使ってくれたのか、照明はグラデーション的に、コンサートの時の同じような感じでジワジワと俺たちを照らしていった。
厳かな雰囲気に浸っていた俺たちを裏切るように、今度は聞き覚えのあるアニメの歌や、何時しか聴いた流行歌が大広間に放送され始めた。
『祭ってね、今からが本番』
晴馬は、自分の皿に乗っていたトマトを俺の皿に乗せて、ちょこまかと自分の席に戻っていった。その時、晴馬が俺の皿から苺を一つ奪っていったことを見逃さなかったが、不問にした。
晴馬は、祭は今からだと言ったが、結局は俺たちにも馴染みのある夏祭りと似た感じだった。水風船釣り、射的、カラオケ…。食事を食べ終えた頃、狐たちが食器を回収してくれて、俺たちも晴馬たちに連れられて諸々を楽しんだ。宙を泳ぐ透明なイルカや、炎とマグマで出来た恐竜を見てきた俺たちからすると、実に現実的で拍子抜けしたが、火の玉たちは寧ろより楽しそうにしていた。
『何世代?』
俺が蓮とダーツをしていると、知らない火の玉が2人話しかけてきた。
「世代?」
『そう。何のアニメ見てた?』
パチン
蓮のダーツが、的の真ん中より少しズレたところに刺さった。
「俺たちは、妖怪時計と、考える鳩と、ソクラテスイッチと…」
懐かしい番組名を、蓮が次々と言っていく。
『へえ、若いね』
『古いね』
2人の火の玉は正反対のことを同時に言った。恐らく、一人は俺たちよりも年上で、もう一人は俺たちより年下だ。
『晴馬、お前って何世代だったっけ』
蓮がダーツを打つのを横で見守っていた晴馬が、火の玉に尋ねられてこう答えた。
『ニュッキと、お風呂キライーと…』
あ…。それ、俺も見てた世代だ。
ということは…晴馬は俺と同い年くらいのはずだったということか…。
バチン
俺が打ったダーツは、突拍子もないところに飛んでいき、ボウリングコーナーに乱入して、カラオケボックスの看板に刺さった。
「ふう…」
祭も終わりに近づいてきた。子供達が食べ終えた皿は、綺麗に片付けられた。ただでさえ、沢山の高級料理を頂いた後に、晴馬たちに促されて焼きそばやたこ焼きを買って食べた為に、腹がはち切れそうだ。
『そろそろ帰ろっか』
火の玉たちが、ゆったりと、のんびりと大広間を出て部屋に戻っていく。
『祭は自由解散だから』
俺たちも晴馬に連れられて、満杯な腹を擦り、仰け反りながら部屋に戻り始めた。
『ちょっと待って』
部屋の方へと数十歩歩いた頃、俺達は後ろから、聞き覚えのある声に呼び止められた。俺の前を、手を繋いで歩いていた一裕と彗星が、誰よりも早くその声に反応して、クルリと後ろを振り向いた。
「楓…?」
視線の先には、楓色の火の玉が宙に浮かんでいた。
『僕、ちゃんと生まれ変わるから。待ってて』
火の玉から、楓の声がする。躊躇いを少しも感じさせない、明確な意志を胸に抱いた声。嘗て、生きることに絶望した面影は、少しも残っていたかった。
「うん…」
彗星が嗚咽混じりに返事をし、首を小さく縦に振った。一裕がその彗星の手を、ギュッと固く握っていた。
明日の朝、俺たちは生者の世界に帰る。
何気ない、他愛もない日常に戻る。
それでも、俺達は忘れられるわけがないんだ。
俺達が経験した、たった数日の日々を。
ここにいる、子供たちの過去を。
ここに集いし、魂の意志を。
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線