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狭間に生きる僕ら

#71

別れ(1)

「なあ…?」
気が付けば俺達は、腕を広げて畳の上に横たわっていた。
明かりの消えた電気の紐が、扇風機の風に吹かれて振子のように揺ら揺らと揺れる。天井の模様を目でなぞる。
部屋にはバットと俺の2人だけ。
近くの公園で火の玉たちが遊ぶ声が、何処か遠くから聞こえてくるように感じる。バットは仰向けになって、部屋の壁に貼られた今月のカレンダーを目を細めて見ている。
「俺達、あとどれくらい死者の世界にいると思う?」

死者の世界…。

そうだった。俺達は桜大に連れられて楓に会うためにここに来た。

「俺達が死者の世界に来て、4日くらい。中村が、死者の世界の1日は、生者の世界の1時間弱だって言ってたよな?…ということは、生者の世界は多分4日前の午後10時くらいだ」

俺達は彗星の運転手さんにアパートまで迎えに来てもらって、確か夕方の6時か7時に死者の世界に飛ばされたはず。
「運転手さんを待たせたままじゃ…」
バットは無表情な天井をボンヤリと見つめている。
「…帰る…のか?生者の世界に」
俺が、暗がりに薄っすらと見えるバットの横顔に声を掛けた時。

ガチャ

部屋の扉が勢い良く開き、ヘトヘトに疲れた蓮たちと、まだまだ元気な大量の火の玉が一斉になだれ込んできた。蓮と一裕が、俺とバットを挟むようにしてほぼ同時に畳の上に倒れ込んだ。2人とも顔が火照っている。火の玉たちのはしゃぎ声に混ざって、2人の息切れが途切れ途切れに聞こえてくる。
「昼ご飯の後、5時間くらい休憩なしで遊びに付き合ってたんだ」
エメラルドとサファイヤは、もともと人間でない動物だから体力が人間の何倍もあるのか、少しも疲れた様子を見せずに、一裕が倒れ込んでいる畳に腰を下ろして寛いでいる。
「峻兄さんは?」
「シャワー浴びに行った」
エメラルドが立ち上がり、部屋の電気を点けると、部屋中を蝉のような元気な声を出して、トンボのような素早さで追いかけっこをしていた数え切れないくらいの火の玉が、畳に横たわる俺とバットの身体の周りをグルグルと回りながら飛び始めた。
『吸血鬼に変身して!』
『コウモリになって!』
『ワシになって!』
火の玉たちは、雛鳥のように甲高い声で俺達の耳に向かって口々に叫ぶ。

晴馬め。
俺達が吸血鬼だということ、バットがワシになれること、そして俺がコウモリになれることを友達に言ったな。

俺は重たい身体を起き上がらせ、目を瞑った。
ふうっと長い息を吐いて、俺は再び目を開けた。
目の前が、大量の火の玉の輝きで急に明るくなった。一瞬だけ、火の玉は息を飲んだように静かになったが、1秒経たないうちに再び喧しくなった。
『牙!』
『眼が赤い!』
『爪長ーい!』
火の玉たちが俺の口、目、手にぶつかる勢いで飛んでくる。口の中に入られて万が一飲み込んでしまうと大変だし、目に体当りされるのは、たとえ火の玉はマシュマロみたいな柔らかな身体だとは言え流石に危ない。俺は蓮の鞄からサングラスを借りて、口を固く閉じた。爪に関しては、剥がされない限り痛くも何ともないから、火の玉たちに順番に触らせてあげることにした。
「おーい」
バットの声に、火の玉が一斉に一瞬だけピカッと明るく輝いた。ワシ姿のバットが、エメラルドの頭の上に乗って火の玉たちを見下ろしている。
『ワシだ!』
『鳥だ!』
俺に纏わりついていた火の玉の半分くらいが、我先にとバットに向かって飛びついていく。俺を囲う火の玉の中の1つだけが、俺の太腿の上に行儀よく腰を下ろしている。
『ね?言ったでしょ』
晴馬だ。
晴馬は得意げな声で、吸血鬼姿の俺とワシ姿のバットに大興奮な火の玉たちに向かって言った。
『あのさ』
大興奮の火の玉たちの中、妙に2人だけ落ち着いた奴がいると思ったら、圭吾と桜大だった。
『晴馬。中村のオッサンが呼んでる。転生手続き内容変更申請書が準備出来たってさ』
『ああ、はいはい』
晴馬は桜大にそう言われると、半開きになった部屋の扉の隙間からマイペースで部屋を出ていった。圭吾と桜大は、晴馬が部屋を出ていったのをしっかりと確認すると、俺の右肩と左肩にそれぞれ乗ってきた。
『そろそろ帰ったほうが良いと思う』
桜大が、俺の耳に小さな声で呟いた。

「ついてこいや〜い」
ワシ姿のバットが、羽根を広げて小ぢんまりとした部屋の天井付近を飛び回り、火の玉たちがバットを追って楽しそうな笑い声を上げて、グルグルと回りながら飛んでいる。

「でも…どうやって…」
『大丈夫。中村から命の灯火を返してもらって、繋ぎ駅ってところから電車に乗れば生者の世界に帰れる』
圭吾がそう言うと、窓の障子が勝手に開き、淡い光が部屋の中に差し込んだ。
遠くの方。
三途の川が流れている。
その手前に、人気のない寂れた駅が陽炎のように見える。
目を凝らすと、木製の古い看板に「繋ぎ駅」と習字の手本みたいな整った文字が彫られているのが見えた。
「でも…」
俺が部屋の扉に視線を向けた時、髪がまだ若干濡れた峻兄さんが、晴馬をタオルに包んで戻ってきた。
「シャワー浴びて、通路を歩いてたら、ウキウキした様子の晴馬とすれ違ったんだ」
峻兄さんが、晴馬を包んだタオルを優しく机の上に置くと、晴馬がタオルの中でウニョウニョと動き回る。タオルが生きているよう。
「生者の世界に帰ったら…皆に会えなくなる」
俺がタオルの膨らみに手を触れると、膨らみはピタッと動きを止めた。タオルがフワリと1人でに宙に浮かび、畳の上にはらりと舞い落ちた。
『いないいない、ばあ』
俺は考えるよりも先に、晴馬を両手に優しく包んで自分の胸に当てた。
晴馬の火の玉の輝き。
俺の心臓の音。
「晴馬。俺、お前らと一緒にいたらダメ?」
俺の問いに、晴馬は手の隙間から顔を出した。
『死んじゃダメだよ。ウルフのママもパパも悲しくなっちゃうよ?』
晴馬の言葉は、晴馬が死者であること、俺は本来死者の世界にいるべきでないことを残酷に突き付けた。
『こらこら、お前ら』
中村は、部屋の騒ぎを聞きつけて慌ただしく部屋に駆け付けてきた。
「あのさ、中村さん」
中村が火の玉たちを部屋の外に出す間、バットはワシから人間姿に戻り、中村に声を掛けた。
『俺達が生者の世界に帰る手続きってしても良いですかね』

その言葉に、桜大と圭吾の火の玉が淡い光を放って光り始めた。
部屋の中がシンと静まり返る。
時計だけは何の感情もなく時を刻んでいく。

『ええ、可能です。今すぐがよろしいですか?』
中村のやけに冷静な低い掠れ声が、部屋の中を流れる。
「いや、今晩か、明日の早朝くらいで」
『それでは明日の早朝で如何でしょう。命の灯火の管理局の会議が今晩ありますので』
バットと中村は、俺達が生者の世界に戻る予定を淡々とした様子で話を進めていく。
『帰るんだ』
晴馬はケロリとした声で、俺に向かって言った。
「寂しいよ、俺」
俺は晴馬を、圭吾と並べて右肩の上に置いた。
『なんで。また会う約束したじゃん』

わかってる。
俺達が、いつかは生者の世界に戻らないといけないことを。
晴馬が、将来は俺の子供として生まれたいと言ってくれたことを。
俺は将来、晴馬に違う形でもう一度会えることを。
でも…。

「お前の涙を見たのは、龍獅国で死刑宣告を受けた時以来だな、ウルフ」
俺の太腿に、生温い水滴が一雫垂れた。バットが、服の袖で雑に俺の目元を拭い、俺の背中を軽く叩いた。
『ウルフ』
晴馬が、俺の太腿に落ちた水滴を拾い上げると、水滴は蒸発して姿を消した。
『悲しい時は、僕が涙を消してあげる。悲しくないよ?』

晴馬の火の玉が、ジワジワと消えていく。
俺が咄嗟にそれに手を伸ばすと、一人の男児のふくらはぎに当たった。
幼稚園児くらい。
短くて、くねった赤髪。
茶色に少しオレンジが混ざったような色の瞳。
外見は、海外の子供みたいだけど、顔の輪郭は俺とそっくり。

誰だ…?こいつ。

『この顔を目印に彼女探ししてみて』
男児は自分の顔を指差しながら、無邪気な笑顔を俺に見せる。
『馬鹿たれ!』
桜大が慌てて、その男児の頭を軽く叩くと、男児の姿は跡形もなく消えて、そこには晴馬の火の玉が何事もなかったかのように浮かんでいた。晴馬は、桜大に叩かれたところを俺の太腿に擦り付けている。確かに目の前に男児がいたはずなのに、他の皆は誰も気付かなかったようだ。
『転生後の姿を見せるなって規則にあっただろ』
『でも〜、罰則も何も無いじゃん。ウルフって、彼女探しに苦労しそうだから、分かりやすい目印を教えておいてあげようと思って』

今、さり気な〜く失礼なことを言われた気がする。

『あのね!』
晴馬は俺の顔の真ん前で大きな声で叫んだ。
『ヒント!外国人!』
『バカ。それ以上言うな』
桜大は、畳に落ちている峻兄さんのタオルを晴馬に掛けようとし、晴馬はそれを防ごうとして、タオルを引っ張り合い揉め始めた。

俺って…。
外国人と結婚するの?
晴馬は、ハーフになるってこと…?

俺…英語できないんだけど。

『ウルフ、あのね』
圭吾は、俺の方の上から桜大と晴馬の攻防戦を横目で見ながら、俺の耳元に小さな声で呟いた。
『蓮お兄さんと佳奈美お姉さんには内緒ね?』
蓮は俺の横で、いびきをかいて気持ち良さそうに寝ている。
『ヒント。7年後』

7年後…?
蓮と佳奈美さんは、17歳。
いや、待て。俺、2人の誕生日知らないわ。
ってことは、17歳か18歳。
それプラス7年後となると…24歳か25歳。

あ…。

え…?

「もしかっああぁ!!」
何かを閃いた途端、俺の股間に激痛が走った。
俺は震える手で痛みの根源を抑えて、床に倒れ込んだ。畳の香りが柔らかく俺の鼻先に触れた。
「ごめん!ごめんって!」
バットが、俺の急所を踏み潰しやがった。
晴馬と桜大は、タオルを持って床の上を追いかけっこしている。
「トイレに行こうと思って立ち上がる時に晴馬たちを避けたらバランスを崩して…マジでごめん!」
バットが俺の腰を擦る感触。
波打つような痛みが俺の下半身に走る。

大丈夫…。大丈夫…。
俺の爺ちゃんは高校生時代の夏に、素っ裸で廊下に寝ていたら急所をムカデに噛まれたらしい。それでも俺の親父が生まれてこられたんだから、大丈夫。大丈夫。そう言い聞かせる俺に、俺の急所が「大丈夫じゃない」と泣き叫ぶ。

「明日の朝くらいに生者の世界に帰るから、今晩のうちに支度しておけって言ってくる」
峻兄さんはそう言って、晴馬と桜大からタオルを取り上げるとそれを肩から首に掛けて部屋を出ていった。
『じゃあさ、じゃあさ』
タオルを没収されて手持ち無沙汰になった晴馬と桜大がお互いに顔を見合わせてソワソワとしだした。
『オッサン、今晩は祭り?』
晴馬たちは、当然中村が「うん」と答えるのを分かっているような様子で中村の足元に戯れつく。
『ええと、そうだなあ。何人いたっけ…』
中村は胸から出したメモ帳をパラパラとめくり始めた。股間の痛みが徐々に和らぎ始めて、畳に手を付きながら俺はゆっくりと起き上がり、部屋の壁にもたれた。
『今日は2人だね』
中村はメモ帳をパタンと閉じると、再びそれを丁寧に自分の胸ポケットの奥深くにしまい込んだ。
「誰の人数を数えてたんです?」
痛みの名残が僅かに残る股間を手で軽く押さえながら、俺はメモ帳が入っているために少し膨らんでいる中村の胸ポケットの辺りを見つめた。
『祭りの主人公です。ここに忘れ物を取りに戻って来る子供達が毎年多数いるのですが、それは生者の世界では流産や死産として扱われます。私達は、その子が望めば同じ親のもとに生まれられるように送別会を開くのです。それを我々は祭りと呼んでいます。今宵は特別に、皆様も厚くおもてなしさせて頂こうかと』

なら…圭吾も?
だけど、それを本人に聞くのは不躾な気がする。

でも、知りたいことがある。

圭吾か。
圭悟か。
今となってはどうでも良いかもしれないが…。
圭吾は、自分の名前を圭吾だと思っている。
桜大は、圭吾の名前を圭悟だと思っている。
墓標には、圭悟の文字が彫られていた。

いったい、何処で名前が変わったのか…。

っていうか、圭吾は流産したんだよな?
名前の響きは兎も角、どうやって漢字まで分かったんだ。胎児が。

圭吾は、自分の名前は兄である桜大がくれた、とメイプル第一王女様に言っていた。桜大が、お腹の中の圭吾に、漢字の形を教えていたとしか俺には考えられない。
幼い子供は不思議なもので、大人には理解できないような喃語でも意思疎通が出来る。胎児はお腹の中から、お腹の外の音を聞いていると言うから、圭吾が自分の漢字を生まれる前に既に知っていたなんていう可能性も、もしかしたらあるのかもしれない。
でも、それだとしても、胎児が初めから「悟」のりっしんべんの形を知っているわけがない。
「圭」は、長めの縦棒に、短い縦棒と長い縦棒を交互に2本ずつ書くと無理やり言うことも出来る。
「悟」の右側は、……わからん。桜大は、どうやって漢字を一つも知らない圭吾に、「吾」の形を説明したのだろう。
まあ、それは置いておいて、りっしんべんは、細長めに書いた「小」と説明すれば…。

ん…?

小さい…?

そう言えば、圭吾がまだ俺たちとアパートにいた頃、圭吾の「吾」がやたら小さくて蓮と峻兄さんが何度も何度も文字の大きさにバラツキがあると読みにくいからといって注意していたが、圭吾は自分が正しいと言い張っていた。

まさか…。

圭吾は、桜大から、「悟」の文字を「小さい吾」と教えられたか…?

「桜大さ、お前がまだ生きてた頃にこの漢字を初めて習った時、どうやって覚えた?」
俺は、机の下に落ちていた裏紙を拾い上げて、その上に「悟」の文字を書いて桜大に見せた。桜大は、晴馬たちとお喋りするのを止めてその紙を見ると、悩まずに即答した。

「小さい吾」と。

お前が発端やないかい!

『なんで?』
桜大は、首を傾げるような仕草を見せた。
「いや、何でもない」
俺はその裏紙をくしゃくしゃと小さく丸めて、部屋の隅に置かれたゴミ箱に投げ入れた。そのゴミは、これ以上にないくらいに綺麗な放物線を描いて、プラスチックで出来た黒い円柱形の容器にスコッと音を立てて入った。
『では、そろそろ祭りの用意をしないといけないので、失礼します』
中村はそう言って、ペコリと頭を下げると、そっと扉を閉めて部屋を出ていった。扉が静かに閉まった後、廊下の方から中村と他の火の玉たちの話し声がボソボソと聞こえてくる。
『邪魔になるからダメ!』
まだ俺達と部屋で遊ぼうとしていた火の玉たちを、中村が通路で説得していたのだ。
「良いのに」
エメラルドは畳から立ち上がり、扉を開けて顔だけ出すと、中村に何やら声を掛けた。何回かエメラルドと中村の間でやり取りがあった後、エメラルドの身体とドアの隙間から、溢れ出すようにして火の玉たちが飛び出してきた。
『あーんして』
一人の火の玉が、俺の口を無理やり開けて口の中を覗き込む。俺の牙は、まだ健在。他の火の玉も次々と俺の口の周りに集まってくる。

俺たち吸血鬼と、サファイヤ、エメラルドは人外。
今宵、俺達は火の玉の格好の遊び相手となるに違いない。

今宵は忙しくなりそうだ。
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2025/08/10 16:37

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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