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狭間に生きる僕ら

#69

本当の自分(3)

「ねえ、ちょっと!」
医務室の中から、慌てた様子で佳奈美さんと彗星が飛び出してきた。佳奈美さんは医務室と通路を分ける扉の段差に蹴っ躓いたが、何とか転ばずに身体を立て直した。
「戻ってきてる…」
佳奈美さんは興奮気味な震える声でそう言って、自分の右手の爪を左手で指差している。紫色だった爪は、先のほうが元の薄いピンク色に。爪の長さも5ミリほど短くなっているし、剃刀の代用にはなりそうなほど鋭かった爪も、段々と丸みを帯び始めていた。
「私も…お手洗いに行って確かめてくる」
彗星は顔を赤らめて恥ずかしそうに俯きながら、トイレがある方へと小走りで向かっていった。彗星の声は低くなかった。元通り、女性の声に戻りつつあった。トイレに向かって走る彗星の胸は、僅かに膨らみを取り戻しており上下に揺れていた。
「黒憶虫がいなくなったから…?或いは…」

カツ…カツ…

レオとフロストが医務室に向かう足音。
医務室の中の楓は、大人しくベットに横たわり両目を瞑っていた。一裕がベット脇にしゃがんで、楓の寝顔を横から覗き込んでいる後ろ姿。
「楓くん?」
レオとフロストが再び医務室に戻った頃には、楓は既に眠っていた。ベットで大人しくしてろと言われても、何も無い天井とにらめっこするうちに退屈になったのだろう。
「フロスト。今だ」
レオの低くて静かな声が医務室に響く。
「潜在意識を観察するには、眠っている時が一番だ」
レオの言葉に、フロストは覚悟を決めたような表情を顔に浮かべてしっかりと頷いた。
「一裕くん」
楓の寝顔を見つめていた一裕が、フロストの声に振り向いた。フロストはベットに歩み寄りながら宙に右手を翳すと、見たことのない機械のようなものが突然姿を現した。
「これは…?」
円柱形の透明な容器のようなもの。
1リットルの牛乳パックがすっぽりと収まりそうなサイズ。
上面には、見たことのない小さな文字がズラリと並んでいる。ところどころ赤文字が混ざっている。機械を使う時の注意事項だろうか。
フロストは、円柱をベット脇に置かれた小さな机に静かに置くと、今度は左手を宙に翳した。

ブワン…

空気が僅かに揺れるような音とともに、楓の頭上に弱い白の光を放つ、薄い長方形のようなものが現れた。フロストがそれを操るような仕草を見せると、その白い長方形の光は、形を自由自在に変え、楓の頭部を覆った。楓は全く気付かず、死んだように眠っている。

ピッ ピッ

軽快な電子音。
電子音が鳴るたび、楓の頭部を覆う白の光は、紫や赤、青など様々な色に変化する。
「澄白国創薬第一医学研究所が2年前に開発した、光線3D顕微鏡だよ。切開を行わずに脳の内部を観察するのに適しているんだ」

ピッ ピッ ピーっ!

タイマーのような電子音が医務室に響くと、机の上に置かれた透明な円柱形の中に、楓の脳の内部だと思われるものが映し出された。髪の毛くらいの細さの白い線が、迷路のように走っているのが見える。

これが…憶蔵線?

「ああ、フロスト。何ということだ」
レオは感嘆したように溜息を洩らし、円柱形に浮かぶ憶蔵線を指差した。レオが円柱形に触れると、青い文字が円柱形の下の方に現れた。その青文字をレオが指でなぞる様に触れると、円柱形の内部に浮かび上がる映像が徐々に拡大されていく。
「ああ…まさか…」
フロストも震える声で感動したように溜息を洩らし、円柱形の内部に浮かび上がる何かを見つめている。
『これ、何?』
俺の肩の上に乗っていた晴馬が、蝶のように舞い、円柱形の機械の上に浮かんだ、晴馬も円柱形の内部の中を覗き込んでいるようだ。

ハート型の葉っぱが4つ集まったような、真っ白なクローバーのようなものが、憶蔵線に沿って生えている。淡いピンク色のラメのような細かい光を発しながら、海の中の海藻のようにゆらゆらと揺れている。

ガラ…

彗星がトイレから戻ってきて、一裕の耳に何かをささやいた。
「身体が女に戻ってたらしい…」
一裕はベット脇に立って楓の寝顔を見つめたまま、俺たちが何とか聞き取れるくらいの声の大きさでそう呟いた。
『あ』
真っ白な四つ葉のクローバーのようなものを覗き込んでいた晴馬の火の玉が、何かに気付いたように一瞬だけ明るく輝いた。

円柱形の内部。
ハート型の葉っぱから、僅かに白い光が放たれている。

「ねえ、みんな…」
俺たちは、佳奈美さんの震える声がした方を振り向いた。佳奈美さんは、楓のいるベットから一番離れたところから、背伸びをしながら円柱形の内部を見つめていた。
「見て」
佳奈美さんはそう言って、俺とバットを右手と左手でそれぞれ指さした。皆が俺たちの方を交互に見る。

身体の芯が燃えるように熱い。
身体中の血液が、騒ぐような感覚。
鉄分が欲しいという衝動的な欲求に襲われる感覚。

この感覚…!

俺はバットを見た。バットもまた、俺を見ていた。
バットの瞳は、紫色に染まり、口からは鋭い犬歯が顔を覗かせている。
俺は自分の口元に手を当てた。
「いて」
俺の人差し指に、俺の鋭い犬歯が突き刺さる。

俺たちが…吸血鬼に戻ってる。

「俺たちはただ、黙って見守っているだけで良さそうだな」
フロストとレオは、ベットの脇に置かれた、背もたれのない小さな椅子に上品な仕草で腰を下ろした。
「フロストさん、あれ、何なんですか?」
エメラルドがフロストに歩み寄り、楓の方に視線をやりながら尋ねた。楓の整った、気持ちよさそうな寝息と、俺たちの呼吸音が呼応する。
レオが遠い眼差しで何処かを見つめている。
「あれはな…」
フロストが、一度咳払いをしてから、何処を見るでもなく、虚空を見つめて溜息交じりの声で答えた。
「記憶の整理人…白四葉細胞だ」

白四葉…細胞…?
「師匠、白四葉細胞とは…?」
ベット脇に立って楓の様子を見守っていたリオネルが、視線は楓に向けたままレオに尋ねた。

フロストとレオは、椅子に全身を委ねるように背を預けて、遠い眼差しを何処かに向けながらポツリポツリと交互に語り出した。

[明朝体][斜体]白四葉細胞は、憶蔵線に根を張るようにして生える細胞で、澄白国人の中でも僅か0.0001%の割合でしか見られない、稀有な細胞。憶蔵線には、名前の通りそれまでの記憶が全て流れている。白四葉細胞は、憶蔵線に流れる記憶情報をもとに、記憶奪取・改竄能力によって掻き乱された記憶を整理し、もとに戻す役割を果たす。[/斜体][/明朝体]

「つまりは、俺達は黙って楓くんを見守れば良いのだ。いずれ、身体に生じた異変は完全に治るだろうからな」
レオがそう言って仰け反りながら、腕をしっかりと上に伸ばしてストレッチした時、円柱形の内部に映る白四葉細胞が再び淡く光った。白四葉細胞が光るたびに、佳奈美さんの指の爪は元通り短くなっていき、爪の色も段々と薄いピンク色に戻っていく。白四葉細胞が光るたびに、彗星の身体は丸みを帯びていき、平らだった胸も徐々に膨らみを取り戻していく。
『ウルフ、後で良いから、吸血鬼に変身したところ俺たちに見せてね』
俺の服の襟にしがみ付いていた晴馬が、俺の頭によじ登りながら俺の耳元に囁いた。昔、俺が母さんに内緒で父さんと一緒に夜にこっそりと冷蔵庫からバニラアイスを取り出して食べた日の晩に似た胸の高鳴りを、晴馬から何となく感じた。
「フロスト、結局は呼び出しただけになってしまって、すまなかったな」
白四葉細胞は、絶えず淡く光っては消えるをゆっくりと繰り返している。その穏やかな点滅を見守っていると、呼吸をすることさえ忘れてしまいそうな気分になる。レオは、円柱形の内部で呼吸するように点滅を穏やかに繰り返す白四葉細胞を、息を飲んで見守っている。
「いいや、憶蔵線と白四葉細胞を生で見られたんだ。それに…楓に会えた」
フロストは椅子からゆっくりと腰を上げると、ベットに歩み寄り楓の寝顔を覗き込んだ。楓の頭部は、様々な色に変化する光に包まれたままだ。フロストが、左手で指を鳴らすと、その光も円柱形の機械も跡形もなく姿を消した。
「…身体の異変は、全て元通りになったみたいだから片付けさせてもらったよ」
フロストは静かな低い声でそう言いながら、胸ポケットから赤い宝石のついた指輪のようなものを2つ取り出し、彗星に歩み寄った。彗星の身体はもう、完全に女性に戻っている。
「あなたは…私の故郷を知っているわね」
彗星の透き通るような高くて儚げな声が医務室に流れる。

フロストは澄白国人。
彗星もかつて、澄白国人だった…。
その二人が、今、ここで向かい合って立っている。

「勿論でございます」
フロストはその指輪を彗星に差し出し、跪いた。フロストの白衣が、床と触れ合う音。
「あなた…」
彗星はフロストからその指輪を受け取ると、カタカタと手を小刻みに震えさせた。表情は辛うじて平静を保っているようだったが、跪くフロストの頭部を見つめる彗星の声は、自分の過去、そして故郷を思い出しているように震えている。
「フロスト…?お前、何やってるんだ…」
レオは腕を組んで楓の寝ているベットの縁の辺りをぼんやりと見つめていたが、フロストが彗星に跪いていることに気が付くと、妙に慌て始めた。そして、レオもリオネルもフロストに釣られるように彗星に跪いた。エメラルドだけは、何かを知っているような面持ちを顔に浮かべ、遠くからその様子を腕を組んで見守っている。
「エメラルド、いったい何が起きてる?あの赤い宝石は何だ」
一裕がエメラルドに近づくと、エメラルドの耳に自分の口を近づけて、もはや何を言っているのか聞き取れないほどの早口で尋ねた。エメラルドは俺とバットに目配せすると、一裕と一緒にトイレに行ってくると言って医務室を出ていった。
「お前は彗星の夫になり、楓の父親になる男だ。お前にだけ教えてやる」
エメラルドが一裕に、小声で話しているのがトイレの個室から聞こえてくる。

悪いな…。エメラルド。俺の身体は既にコウモリに戻った。聴力は人間の何倍もある。お前たちの会話は、俺には筒抜けさ。

俺は敢えてエメラルドと一裕のやり取りが全く聞こえないふりをして、こっそりと二人の会話に耳を澄ませながら彗星の背中を見つめていた。
「澄白国には、白以外はほとんど他に色がないことは知っているだろ」
「ああ。森の木も、岩も、何もかもが真っ白だった」
エメラルドと一裕の声が、真隣で話しているように思えるほど明確に聞こえてくる。
「色のついた宝石を献上するのは、相手が王族に限る。つまり、フロストはあの場で彗星が澄白国王女であるという扱いをしたんだ」
「…何でだ。翠は、地球人を愛してしまったために澄白国人から地球人になったのに」
「だからだよ」
エメラルドたちの会話と、彗星たちのやり取りが同時に聞こえてくる。

俺が聖徳太子だったら良かったんだけど…。ちょっと、処理が大変だ。

「まさか…。あなたは、澄白国王女様…?」
彗星に跪いているレオの瞳が、彗星に畏れて揺れ動いている。
「ええ…。以前は、ね」
彗星がゆっくりと静かに首を縦に振ると、レオとリオネルは額を床にぶつけるほどの勢いでひれ伏した。
「恐れ多くも、王女様だとは気づかず…」
床にひれ伏すレオの声が、ブルブルで震えている。冬の氷点下の夜に、わざと素っ裸で出て話しているのかと思うほど声が揺れている。
「貴女様が王族であろうとなかろうと、私は愛証石を貴女様に献上いたします」
彗星がフロストから受け取ったネックレスをフロストに返そうとすると、フロストはそれを丁重に断り、静かな声で話し始めた。
「私は楓くんを引き取り、10年間育ててまいりました。しかし、私は楓くんを澄白国社会からの差別、排除から守ることが出来ませんでした。育ての親だと名乗る資格は微塵も御座いません。王女様、どうかこちらを」
「駄目!この愛証石は、あなたが楓のことを実の息子のように愛してくれたから出来たもの。それを私と一裕さんが受け取れるわけないわ!」

「一裕…フロストが彗星に渡した赤い宝石は、愛証石だ」
「愛証石…?」
エメラルドと一裕の会話が遠くから耳の中に流れ込んでくる。
「愛証石は、澄白国人の血から作り出される石だ。だが…愛証石は簡単に取り出せるものではないんだ。何故なら…」

「あなたは亡くなったら、必ず地球人に生まれ変わってしまうのよ?それでも良いの?」
エメラルドの語尾と、彗星の声が綺麗に繋がった。
「王女様は、地球人を愛し、地球人となったことを後悔なさっておいでですか?」
フロストの問いに、彗星は一瞬だけ戸惑った表情を見せたが、すぐに首を大きく横に振った。
「確かに地球は恐ろしい場所です。火事。地震。戦争。犯罪。でも…悪くないと思ったのです。色が溢れた世界に生きることも。それに…我々澄白国人がたった一人の少年…楓くんにした仕打ちを考えてみれば…私がいつの日か地球に生まれ変わったとしてさほど変化は御座いますまい」
フロストはそう言うと、2つの赤い指輪を持っている彗星の透き通るように色の白い手を両手で強く握りしめ、彗星の目をしっかりと見つめながら静かに頷いた。

「愛証石は、自分の命を捨ててでも守りたいと願う相手がいる時にしか作られない希少な石。フロストはきっと、楓を育てるうちに愛情が湧いたんだろう。石を取り出す方法は、自分の身体に傷をつけて血を流すこと。やがて血が固まり、宝石のような輝きを放つ石となる。フロストがそれを、彗星と一裕に譲ったということは…」

「王女様。どうか、一裕さまとご一緒に、楓くんを精いっぱい愛してやってくださいませ。私が愛せなかった分もどうか。どうか…お受け取り下さい」
フロストは真剣な表情で彗星を見つめる。彗星は暫く黙って俯いていたが、すぐに顔を上げるとしっかりと首を縦に振った。

「まあ、安心しろ。血で出来ているとはいえ、人間の物とはわけが違う。澄白国人の血は、ルビーとガーネットの液体混合物だから、人間の血みたいに臭くなることはないさ」

ガチャ…

トイレの個室が静かに開いた音がして、2人の足音が段々と近づいてきた。
「…一裕さん、これ」
彗星は一裕が戻ってきたことに気が付くと、片方の指輪を一裕の手にしっかりと握らせた。
「フロストさんが…」
一裕は、黙って首を縦に振ると、人目も憚らず彗星を強く抱き締めた。
『ウルフ…眠いから、少し貸して』
晴馬は、彗星たちが指輪について話し始めた頃からウトウトとしていたが、遂に我慢しきれなくなったのか、俺の服の中に潜り込むと、数秒数え終わらないうちに眠りに落ちた。

楓の寝息と晴馬の寝息。

2人の少年の息吹が、静かに流れていた。
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2025/08/04 22:00

花火
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