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狭間に生きる僕ら

#65

食う(2)

エメラルドとレオの姿はもう見えない。
2人が遠のいていく足音だけが通路を木霊する。
皆の呼吸音が食道を静かに流れていく。
俺の心臓が、静かに息をする。
『ウルフ』
俺の服から顔を少しだけ出し、2人の後ろ姿を見送っていた晴馬が静寂を破った。
『なんでエメラルドはラルフ様って呼ばれてたの?』
「…後でな」
俺達がいつ、この死者の世界から生者の世界に戻るかは分からない。
俺がいつ、晴馬に別れを告げないといけないのかは分からない。
だが…今の俺には、ただ黙ってエメラルドを送り出す他ないのだ。
俺達は、種族など気にすることなく、この果てしない冒険を共にしてきた。
人間、吸血鬼、首長竜、狼男、宇宙人、そして火の玉たち。
だけど、時には行動を別にしなければならない時も確実にある。
「晴馬、あの3人は何処にいる」
俺は肩の上に乗っている晴馬に、あの3人の火の玉の所在を尋ねた。楓が吐いた真っ黒なゲロから立ち昇る、黒憶虫の胞子を浴びてしまって、辛い記憶を突然思い出したように泣き出した、あの3人だ。
『あいつらなら中村のオッサンが医務室に連れてった』

一裕と彗星は、2人並んで扉の敷居に立ち、楓が運ばれていった方を呆然と見つめている。
楓のところに駆け付ける事も出来ずに。
楓自身が、一裕と彗星が自分を訪れることを拒否しているのを感じ取っているように。
「はああ…」
俺の横に立っていたバットは長い溜息を付くと、一裕の後ろ姿に向かってポツリと元気なく呟いた。
「楓のことは、エメラルドたちに任せよう。俺達はかえって足手まといになるだけだ」
一裕は通路の奥に視線をやったまま、小さく頷いた。
『皆さん』

タッタッタッ

軽快な足音が通路の向こうから近付いてくる。真っ白な尻尾を左右に揺らしながら、走り寄ってくる。夜桜だ。
『伝言です』
夜桜は俺たちの前まで来ると立ち止まり、エメラルドからの伝言を俺達に伝えた。

[斜体][明朝体]楓の心臓の手術を急遽開始する。
レオは、獣神国建国当初から王族に仕え続けた医者の家系だから心配するな。
レオが言うには、今すぐに楓を手術すれば問題はないらしい。
一裕と彗星には心配をかけるが、俺を信じてくれ。
あと、黒憶虫の胞子を吸ってしまった3人についても、レオが対処してくれる。
他の火の玉たちが心配しなくても良いように、お前たちから直接伝えてやってくれ。
心配するな。
俺は必ず、元気になった楓を連れて戻って来る。[/明朝体][/斜体]

「…晴馬」
俺は、他の火の玉たちが今どこにいるのかを晴馬に尋ねた。エメラルドは、頑として俺達を黒憶虫に近付けないでおこうとする。それだけ、黒憶虫は俺達地球の存在には危険なのだろう。誰かがスタッフの目を掻い潜って、楓たちのお見舞いに行かれたら、もっと大変なことになるもしれない。
『みんななら、部屋にいると思うけど…』

ビリビリビリ!!

突然、真隣に雷が落ちたようなサイレンがけたたましく鳴った。その音に、誰もがビクッと身体を震えさせた。バットが両手で耳を塞いでいる。

『緊急事態、緊急事態』

機械音声が、嫌なくらいに冷静な声で合宿所全体に響き渡る。
『全員、地下のシェルターに避難して下さい』
火の玉たちの部屋がある方から、火の玉たちのどよめく声が通路まで聞こえてくる。晴馬が俺の腕を引っ張り、通路に連れ出した。
『なんかよく分かんないけど、来て!』
晴馬は、マシュマロくらいの小さな身体で俺を一生懸命に引っ張っていく。
「何?火事?地震?」
俺達が晴馬に導かれてシェルターのあるところを目指して通路を走っている時、一裕が晴馬の小さな後ろ姿に尋ねた。
「楓はどうなる。エメラルドも」
一裕と彗星は、楓のいる部屋を何度も何度も振り返りながら走る。
『大丈夫!』
「大丈夫」
晴馬の甲高い少年の声と、サファイヤの大人びた低い声が重なった。
誰かが後ろから俺の腕をいきなり掴んだ。バットだ。バットの爪が、俺の腕に突き刺さる感触。バットの強すぎる握力に、俺の腕の中の筋肉か骨かよく分からない筋のようなものが、ゴリゴリっと音を立てた。
「なんだよ、バット」
バットは俺の腕を強く引っ張り、晴馬を追い越す勢いで通路を走り出した。
バットの前髪が風に揺れる。
俺の前髪が風に揺れる。
風が俺の身体を包んでは、何事も無かったかのように通り過ぎてゆく。
「お前ら!今は信じるしかない!行くぞ、走れ!」

ドクン…

その瞬間。
俺の心臓が、バットに応えるように大きく俺の胸を叩いた。

鋼鉄の鎧の重みが、全身にのしかかる感触。
剣の重みが、腰に伝わる感触。
血腥い生温い風に包まれる感触。
ドラゴンの唸り声が、耳の中で木霊する。

ああ…。バット。お前ってやつは。

思い出した。
俺達がまだ龍獅国にいた頃、龍隊に所属して初めての戦。口では平気だと言いながら、心の中では死の恐怖に怯えていた俺達を、バットは隊の先頭に立ち、敵軍に突き進んでいった。
この世界に生まれ変わってから、またしてもお前にこうやって、導かれるとは思っていなかったよ。

「待って!マジでヤバいかも!」
蓮が俺の斜め後ろで後ろを振り返りながら走っている。
楓が吐いたのよりも更に真っ黒な煙が、楓が運ばれていった部屋の方から、俺達を追いかけるように拡がる。
「走れ!」
最後尾にいた峻兄さんが、ハエを追い払うように煙を手で払いながら、走る速度を速めた。
『ウルフ…』
晴馬の不安げな声が、皆の息切れに混ざって聞こえる。
「大丈夫だって。晴馬がさっき言ったんだろ?」
俺は晴馬をズボンのポケットの奥深くにしまった。晴馬の温もりが、俺の右太腿に伝わってくる。

『こっちー!』
通路を走り続けると、地下に続く階段が現れた。階段の下から、圭吾と悠馬の声が聞こえてくる。
階段を降りると、大量の火の玉が地下シェルターの扉を開けて俺達を待ってくれていた。
「大丈夫…大丈夫!」
俺は理由も分からずそう叫んで、シェルターの中に飛び込んだ。


真っ暗な天井と壁に包まれた密閉空間。
何処からともなく湿った香りが立ち昇り、俺達の全身を包み込む。
俺達は、火の玉仕様に作られた小さなシェルターの中、首を前に曲げて体育座りをしていた。
晴馬、悠馬、圭吾、桜大、りこ。
火の玉たちが燕の子のように、俺達の足元で小さい身体をくっつけ合って、不安そうにプルプルと小さく震えている。

ドクン…ドクン…

俺の心臓の音と、俺の呼吸音が共鳴し合う。
何も聞こえない。
俺の息遣い以外は。
俺の乾いた息が、膝頭に当たる。

俺の隣に同じような体勢で座っていたサファイヤが、ハッと目覚めたように突然顔を上げると、自分の唇に人差し指を当てた。サファイヤの水色の瞳だけが、光のないシェルターの灯りだった。
「聞こえるか…?」
サファイヤの声に、俺達は皆ほぼ同時に顔を上げた。
「誰かがやって来る…」
サファイヤは、シェルターの入り口を見つめている。サファイヤの後頭部のシルエットが、ボンヤリと陽炎のように見えた。

カツ…カツ…

硬い床を革靴で歩くような音が近付いてくる。
足音が近づく度、俺の心臓の鼓動が速くなる。
俺達は息をするのも忘れて、見えない足音の主を見つめていた。

カツ…カツ……

足音が…止まった。

「皆さま、宜しいでしょうか」
シェルターの扉の向こうから、レオともエメラルドとも中村とも夜桜とも違う、知らない男の声が聞こえた。プラネタリウムの司会者のような、安心感のある、でも何処かに若さも感じさせる声。
『誰…?』
火の玉の群れから抜けて、シェルターの扉を開けに行こうとする晴馬を、俺は考えるよりも先に勝手に手が動いて、晴馬を自分の背中の後ろに隠した。
「私はレオ師匠の弟子、リオネルと申します。只今、黒憶虫の胞子の除去作業です。扉越しで大変申し訳御座いませんが、私から少年たちの容態のご報告と、黒憶虫のご説明をさせて頂きます」
姿の見えない男の名前は、リオネル。
レオの弟子。
名前の感じと彼の肩書からして、彼もライオンだろうか。
「楓は…楓はどうなりましたか?!」
彗星と一裕が、シェルターの扉に飛び付き、へばり付くようにしてドアに向かって叫んだ。シェルターの南京鍵の、ガチャガチャンと鈍い金属音が響いた。
「嘔吐した少年の手術は、無事成功しました。今は眠っておりますが、3日間安静にしていれば、問題はないでしょう」
リオネルの言葉を聞くと、一裕は、笑っているような短い息を吐くと、そのまま力が抜けたように床に倒れ込んだ。
「あ…良かった…本当に…」
晴馬の後ろでリオネルの話をじっと黙って聞いていた桜大が、シェルターの扉に近付いていった。
『3人は…?楓のゲロの煙を吸った奴らは…』
「無事だよ」
レオの深くて低い声が扉の向こうから聞こえた。

ガチャ…ガチャン!

南京鍵の開く音が狭いシェルターに響いた。
扉がゆっくりと開く。
白い光の線が、扉から差し込む。
シェルターの中が、次第に明るくなる。
「ちゃんと治療したから」
扉の向こうには、レオがしゃがんでいた。
小さな火の玉3つを、群青色の獣毛が生えた大きな手の上に乗せて。
火の玉がレオの手から、1つ、2つ、3つと順番に飛び降りると、シェルターの中の火の玉の群れに向かって飛んでいった。火の玉たちが、一斉に3人を囲うようにして集まった。色とりどりの火の玉が集まって、お洒落なランタンみたいに輝いている。
「ラルフ様のご友人と伺いました」
レオが大きな身体を一生懸命にかがめて、シェルターに入ってきた。
「改めて皆様にご挨拶申し上げます。私は獣神国専属医師のレオと申します。この度、楓くんと3人の少年少女たちの治療をさせて頂きました」
レオはそう言って、俺達の前にひれ伏した。
「いや…ちょっと…。やめてくださいよ」
エメラルドは、王族の血を引いているが、俺達は生粋の庶民だ。
蓮が両手を顔の前でヒラヒラさせて、レオの顔を上げさせようとしたが、獣神国の専属医師に勝手に手を触れて良いものかと、行き場を失った両手が、蓮の隣に座っていたバットの太腿に理由もなく触れた。
「楓に…会えますか?寝てても良いですから…」
彗星の透き通った低い声が、夏の涼しい風のようにシェルターの中をスッと流れる。彗星の言葉にレオが顔を上げた。レオの群青色のたてがみが、風に吹かれる稲穂のように揺れた。
「構いません。ですが…私からもお伺いしたいことが御座います」
レオはそう言って俺達をシェルターから出てくるように促し、俺達を楓の寝ている部屋に案内し始めた。
『俺達もついて行って良い?』
振り向くと、晴馬を先頭に大量の火の玉がまるで大名行列のように1列に並んで俺たちの後をついてきていた。
「フっ…そうですね」
あまりにも大量の火の玉にレオは一瞬だけ吹き出したが、すぐに我に返ったような表情を見せて、火の玉たちは後で呼ぶから部屋で待機するようにと、先頭にいる晴馬にしゃがんで伝えた。
「師匠」
俺達が全員、シェルターから出て階段を昇り、通路に出たとき、俺の背後からリオネルの声がした。リオネルの声に、先頭を歩いていたレオが立ち止まり、ゆっくりと振り返った。レオの後ろを歩いていた俺達も、彼に釣られて後ろを振り向いた。

振り向いた先に立っていたのは、俺と丁度同じくらいの身長のライオンだった。レオと言い、リオネルと言い、ライオンを無理やり二足歩行できるように神様が身体を作り変えたような、無駄にガタイが良い。
黒に近い緑色のたてがみ。毛の先が、僅かに明るめの緑に染まっている。若草色の瞳。まるでそれは、森の化身のようだった。
「師匠、どうします?黒憶虫の説明を先に済ませておいたほうが良いかと」
楓の無事が分かったからだろうか。ついさっき初めてリオネルの声をシェルターの扉越しに聞いた時よりも、胸の蟠りを全て取り去られるような安心感を俺は覚えた。
「…ああ、そうだな。リオネル。私は先に医務室に戻って楓くんの様子を見てくる。皆様を医務室の横の仮設研究室にお連れして、黒憶虫の説明を済ませておいてくれないか」
「分かりました」
俺達を挟んで、2人のライオン男が向かい合って会話している。師匠と弟子と言うには、あまりにも打ち解け合っている気がする。リオネルと会話する時のレオの声は、何処か俺の親父を彷彿とさせた。
「皆様、こちらへどうぞ」
通路を暫く進んで、通路が二手に分かれた。レオは左手に。俺達は右手に。仮設研究室らしき小屋みたいな箱が通路のちょっとした空きスペースに設置されているのが見えた時、レオの後ろ姿が視界からフッと消えた。
「エメラルドはどうなりましたか」
佳奈美さんの問いに、リオネルはピタリと歩みを止めて佳奈美さんの方を振り向いた。
「エメラルド?」
「あ…違う、ラルフです、ラルフ。エメラルドっていうのは愛称で…」
佳奈美さんは、長い爪の生えた両手を顔の前で小刻みに横に振った。紫色の爪が、通路の照明に反射して鈍く光っている。右手の小指だけが、ピングに近い赤色の爪を生やしていた。
「ああ、なるほど。ラルフ様なら、今頃父が医務室で検査をしていると思います。ラルフ様も元気でいらっしゃいますよ」
リオネルのその言葉に、俺の斜め前に立っていたバットが安心したように溜息を付きながら足元に視線を落としたが、すぐに顔を上げてリオネルに尋ねた。
「今…父って…」
「え…あっ。」
リオネルはバットの方を見ながら口を手で軽く押さえた。そして若草色の瞳が、フフッと微笑みの色を宿した。
「レオ師匠は僕の父なんですよ」
リオネルはそう言って、誇らしげに微笑むと、再び俺達に背中を向けて研究室に向かって歩き出した。

「どうぞ」
レオがリオネルの父親だと知ってから研究室までは、さほど長くなかった。リオネルは金属か木材か何で出来ているのかよく分からない扉を手で押さえ、俺達を研究室の中に入れた。
「うわ…すげ…」
病院特有の、薬と医療機器が混ざったような不思議な香りが俺達を包んだ。通路から見た時の研究室は、たったの5畳半くらいの広さしか無いように見えたのに、中に入るとちょっとした運動場くらいは作れそうなくらい広かった。研究室の壁一面を覆うように取り付けられた棚。大小様々な試験管やフラスコのようなものが、丁寧に並べられている。ガラス張りの細長い箱のようなものが、研究室の隅に置かれた長細い机の上に置かれている。赤や青の液体が入った試験管が、その中でコポコポと音を立てる。
「こちらへお越し頂けますか」
リオネルは俺たち全員が研究室の中に入ったのを確かめると、扉をそっと閉めて、俺達を研究室の奥へと連れて行く。
俺達の視界を、水槽や籠に入れられた見慣れない生き物が前から後ろへと横切っていく。
胴体にある赤と白の縞模様が、ある時は直線になったりある時は曲線になったりと絶えず形を変えている、小指くらいのサイズの魚。
平然とした顔で皮膚から炎を上げる、手のひらサイズの真っ赤なトカゲ。
何の生物かは分からないが、透明な球体の容器の中で半径5mmくらいの球体のピンク色の生物が、クリオネのように水槽の中を優雅に泳ぐ。

「では、僕の方から皆様に説明致します」
リオネルはそう言って、研究室の床に取り付けられた縦×横が1mくらいの扉を、パスワードのような番号を入力して開けた。リオネルが開けた扉からは、雨の日の湿った香りがした。何だか、嗅いだことのあるような匂い。リオネルは床にあるその扉の中に身を乗り出し、底の方から虫かごを取り出した。
1cmくらいの真っ黒な虫。蟻とカナブンを混ぜたような形状。弱っているのか、その虫は虫かごの隅の方で仰向けになったまま動かない。細い足だけが、極僅かに動いている。
「これ…」
蓮が腰を屈めて、その虫かごの中のちっぽけな虫を凝視した。リオネルが首を静かに縦に振った。
「これが楓くんに寄生していた虫。…黒憶虫です」

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2025/07/31 12:06

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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