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狭間に生きる僕ら

#64

食う(1)

俺たちが食堂に着くと、晴馬と悠馬がわざわざ俺たちの分まで食卓の上に用意しておいてくれた。横に細長い木製の食卓に、ハンバーグと色とりどりの野菜サラダが盛り付けられた皿が、ズラリと列を作っている。
蓮と佳奈美さんは、りこたち女子の火の玉に囲まれるようにして座っている。
佳奈美さんの濃いピンク色の瞳。微笑む口から覗く白い歯。
蓮の両目は、夏のアイスクリームみたいに完全に溶けてしまっている。女子の火の玉たちも、蓮と佳奈美さんが両思いであることは見抜いているようで、わざとか偶然かは知らないが、一人の火の玉が、蓮と佳奈美さんの間をハートを描くようにして飛んでいる。峻兄さんは、蓮と佳奈美さんの向かい側の席に座って、氷の入った水を飲んでいる。火の玉が描くハート型の中から、蓮と佳奈美さんをジトっとした目で睨んでいる。苔むした夏の用水路のよう。
「楓ってさ、俺が思ってた以上に人懐っこくないか?」
晴馬と悠馬の間に座りがてら、バットが佳奈美さんたちがいる方を見つめながら、火の玉たちの話声の中、かろうじて聞こえる程度の声の大きさで呟いた。俺がバットの見ている方に視線をやると、楓が蓮とゲラゲラとお腹を抱えながら、指の動きが見えないほどの高速あっちむいてほいをして遊んでいるのが見えた。
中村が言うには、楓は普段、スタッフ室でスタッフたちと一緒に食事を済ませるようだが、今日は珍しく食堂で夕食を食べるようだ。
楓は佳奈美さんと蓮には、前に一度だけ会ったことがあると蓮が言っていた。
楓は宇宙人である彗星と、地球人である一裕の間に出来た子供。地球人の血を受け継いでいるために、楓は一裕と彗星の死後、フロストに保護されながらも澄白国で虐げられていた。楓がフロストの元を離れた後、誰も楓の苦しみに興味を抱くことはなかった。佳奈美さんと蓮は、初めて楓の本当の気持ちを聞いてあげようとした。それもあってか、楓は自分の将来の親となる一裕と彗星と同じかそれ以上に、蓮と佳奈美さんに懐いているように俺には見える。蓮と佳奈美さんが隣同士で座り、その向かい側に座っている峻兄さんの隣の椅子に楓は腰を下ろした。一裕と彗星は、まだ配膳代の列に並んで、コーンスープを夜桜から受け取っている途中だった。
「お父さん、お母さん、こっち」
楓が二人を自分の元に手招きしながら呼ぶ声が、火の玉たちのはしゃぐ声に混じって聞こえてくる。

シン…

一瞬だけ時が止まったような静けさが俺を襲った。だが、晴馬も悠馬もその他の火の玉たちも、変わらずお喋りを楽しみながら、中村の頂きますの合図があるのを大人しく待っている。

何だったんだ、今の。
俺は何となく楓の方が気になって、楓に視線をやった。楓の笑顔が、蓮と佳奈美さんの背中で見え隠れしている。
俺の腕を、誰かがチョンチョンと突いた。細くて小さな、柔らかい指の感触が、服の上から伝わってきた。
『ウルフ』
腕を突いたのは晴馬だった。思い詰めたような声。晴馬はハンバーグの横に、申し訳程度に添えられたミニトマト2つを、自分の皿から持ち上げて、俺の皿の上にボールを転がすように転がしてきた。俺の皿のど真ん中に盛り付けられたハンバーグにたっぷりと掛けられたソースが、そのトマトのへたを茶色に染めた。
『ウルフ、吸血鬼なんでしょ?赤いやつ好きだよね。あげる』
晴馬はそう言うと、安心したように席についた。俺の左隣からも、同じようにミニトマトが2つ皿の上に転がり入れられた。犯人は悠馬だ。俺の分も含めて、俺の皿にはミニトマトが6つも乗っている。

もしや…。

「俺が赤い食べ物が好きなの、知っててくれたの?ありがとうな」
俺は両手を伸ばして、晴馬と悠馬のデザートが盛り付けられた小皿に手を伸ばした。よく熟れたイチゴが3つ、小皿からはみ出すように盛り付けられている。食堂の照明が、イチゴの小さな種を照らしている。イチゴだって、赤い食べ物さ。当然、2人とも俺にイチゴもくれるよな?
『これはダメ!』
うん、分かってたよ。
晴馬と悠馬が、全く同じタイミングで全く同じ声で、イチゴを死守するように小皿の前に立ちはだかった。

「なあ…」
夕食を皆が食べ終わる頃、バットが遠くの方の席に座っている楓を指差して低い声で言った。晴馬と悠馬は、既に食べ終わって椅子の上で相撲を取って遊んでいる。
「楓の口からさ…黒い煙みたいなの出てない?」
俺はバットが指差す方を見た。楓は、一裕と彗星に挟まれて、コップを口に付けて逆さまにし、オレンジジュースの最後の一滴を頑張って飲もうとしている途中だった。オレンジジュースが入っていたであろう透明なガラスコップの中に、漆黒の煙のようなものが充満している。
「なんで誰も気付かないんだろ」
バットは、楓を囲うようにして座っている一裕と彗星、蓮と佳奈美さん、峻兄さんを訝しそうに見つめている。

ガチャン!

俺の右隣から、ガラスの割れる音とともに、水が食堂の床の上に滴り落ちる音がした。
「まさ…か…」
エメラルドは楓の口から出ている黒い煙を見てワナワナと震えていた。エメラルドの瞳が、恐怖と絶望に震えている。エメラルドの右手には、確かに1秒前まで麦茶の入ったコップを掴んでいた名残を残していた。
「何だよ、エメラルド。どうした」
エメラルドは普段、冷静沈着であるが故に、エメラルドの何かに恐れ慄く様子は俺達にとっては見慣れないものだ。
「…え」
おかわりのデザートを貰いに、小皿を持って立ち上がったサファイヤが、中腰のまま楓を見つめていた。サファイヤが小皿をそっと机の上に置いた。
「あの黒いやつ…」
サファイヤがそう口にした途端、エメラルドが机に両手を付いて勢い良く立ち上がり、楓を目掛けて全速力で走り出した。

ガタン!

エメラルドの座っていた椅子が倒れた音に、食堂が静まり返った。
『エメラルド、どうしたの?』
晴馬と悠馬が、2人並んでエメラルドの後ろ姿を不思議そうに見送っている。
「え…あ…?なんですか?」
楓は、物凄い形相でいきなり自分を目掛けて走ってきたエメラルドに、戸惑いを隠せず、一裕と彗星の間でオロオロしていた。
「おい、お前…」
楓を食わんとするばかりの勢いのエメラルドを止めに、蓮が間に立とうとしたが、エメラルドはそれを押しのけて、楓を無理やり立たせたかと思えば、四つん這いにさせて背中を強く叩き始めた。エメラルドに押し退けられた蓮は、そのまま後ろに倒れて、佳奈美さんが座っている椅子の脚に背中を思い切りぶつけた。
「え、ちょっとお前、何してんの!」
バットが慌てて、エメラルドのもとに駆け寄る。賑やかだった食堂が騒然とする。
「吐け!早く!」
エメラルドは目の色を変えて、四つん這いになっている楓の背中に向かって怒鳴る。一裕と彗星がエメラルドを止めようとしたが、エメラルドの隣に立って様子を見守っていたサファイヤが2人を止めた。
『どうされました?!』
厨房の方から、中村が慌てた様子で走ってきた。エプロンが中途半端に脱がれた状態のままだ。ただならぬ様子に驚いた圭吾たち何人かの火の玉が、厨房にいた中村を呼びに行ったのだ。
「袋を!バケツでも良いです!」
俺が見るに、楓の体調は悪くはなさそうなのだが。気になるのは、口から出ている黒い煙だけだ。
「え…なんで?」
楓は四つん這いになったまま、エメラルドを見上げて戸惑った表情を見せている。
中村と夜桜が、掃除箱から大きめの袋とバケツを持って走ってきた。
「吐け!楓!」
エメラルドは四つん這いになっている楓の口に袋の口を当て、吐け、吐けと怒鳴り続ける。戸惑った表情を見せる楓に、サファイヤが一歩近付いた。黒い煙は絶えず、楓の口からモクモク上がっている。
「君は…楓くんじゃないね?」

「う…」
サファイヤにそう言われた途端、楓は拒絶反応を見せるように、口を押さえてガタガタと震え始めた。楓の額から、冷や汗が濁流のように流れている。エメラルドが、口を押さえている楓の口を無理やり剥がして叫んだ。
「出てこい!黒憶虫!」
「う…オエッ!」

透明な袋の中に、楓の口から漆黒の吐瀉物が流れ込む。
『ひっ…』
俺の後ろにいた晴馬と悠馬が、俺の服の中に潜り込んだ。

何だ…この…ゲロ。
今までにも、学校で友達が給食の後に吐いたり、自分が吐いたりしたこともあったが、こんなに泥みたいに真っ黒なゲロは見たことがない。

「オエッ!う…う…ぇっ!」
楓は咳き込みながら、漆黒のゲロを吐いていく。
「駄目だ!足りない!」
エメラルドの持っている袋が、黒い吐瀉物で満パンになり始めた。エメラルドは、ゲロが一瞬だけ口から出てこなくなる隙をついて、袋を楓の口から離し、楓の口の下に、中村が持ってきたバケツを用意した。

「はあ…はあ…はあ…」
楓は10分もの間、吐き続けた。バケツの中の真っ黒な吐瀉物が、まるで生きているように蠢いている。
「逃げろ!お前ら、早く!」
バケツの中から、黒い煙のようなものが登ってくる。ゲロ特有の刺激臭は全くない。寧ろ、雨が降った日の土の匂いみたいな湿った匂い。エメラルドは、楓の周りを2メートルくらい離れた距離から円になって見守っている火の玉たちに向かって怒鳴った。
『え…何で?』
俺は晴馬たち火の玉を夜桜に頼んで、食堂の外に連れて行ってもらった。晴馬がウルフは来ないのかと言ってきたが、俺はこの状況に向き合わないといけないと半ば衝動的に思った。
ほとんどの火の玉は、戸惑いながらも中村に食堂の外に連れていかれたが、火の玉も子供だ。ダメと言われたらしたくなる子だっているのだ。
『この黒いやつ、なに?』
三人くらいの火の玉が、黒い煙に近づいた。
「やめろ、馬鹿…」
エメラルドが手を伸ばして三人を止めようとしたが、既に手遅れだった。

真っ黒な煙が、三人を包んだ。

その瞬間。

『死にたくない…嫌だ!』
『怖い…怖い…』
『ママ…パパ…どこ?』

三人は、昨晩悪夢に唸っていた晴馬と悠馬と同じように、泣き始めた。
「あ…」
楓が三つの火の玉を見て、申し訳なさそうな表情を見せたかと思うと、バケツの中のゲロを飲もうと色白の細い腕でバケツを持ち上げて口に近づけた。
「何してんだよ!」
俺は咄嗟に楓からバケツを取り上げた。楓がバケツに手を伸ばそうとするのを、エメラルドが必死に止めている。
「まだそこにいる…どうしよう…このままだと」
エメラルドの瞳が、絶望に歪んでいた。
「心臓を手術できる人はいませんか!?」
エメラルドは楓を取り押さえたまま、食堂の外から火の玉たちと俺たちの様子を伺っていた中村に叫んだ。
『います!転生受付所の同僚に一人!』
中村が食堂の外から声を張り上げて叫んだ。
「今すぐ連れてきてください!」
エメラルドがそう叫ぶと、中村は火の玉たちを夜桜に頼むと、スタッフ室に向かって走り出した。

誰かが食堂に向かって、全速力で走って向かってきている足音。
食堂の扉が、ガラリと大きな音を立てて開く。
『どうされましたか』
扉の向こう。
30代くらいの、白衣を着た、顔の整った男性。転生受付所からそのまま走ってきたのか、中村と並んで肩を上下させている。
「この子の心臓を確認してほしいんです!地球人には、まだ分からないこともあるでしょうが、そこは俺に任せてください!」
普通なら、自分が宇宙人であることを仄めかすようなものの言い方をされたら気になって仕方がないところを、その男は、分かりましたと短く返事をし、どこからともなく現れた担架に楓を乗せて、スタッフ室に向かい始めた。
「楓がどうしたんだよ!」
やっと会えた息子に、異変が襲った。
一裕と彗星がエメラルドの襟首を掴んで、楓に何があったのかを問い詰めている。
「黒憶虫は…」
2人に激しく揺さぶられながら、エメラルドが静かに口を開いた。
「俺も昔に獣神国で寄生されたことのある虫だ。その寄生虫は、誰かの一番つらい記憶と誰かの一番幸せな記憶を餌に、体内に蔓延る。一番の問題は…」
エメラルドが自分の襟首から、そっと一裕と彗星の手を外し、2人の目をしっかりと見て言った。
「その巣が、心臓だってことだ」

ドクン…ドクン…

俺の胸の中で、心臓が息をしている。
「楓は…どうなるの…?」
左目に涙を溜めた彗星の膝が崩れ落ちる。
「やっと…会えたのに…」
彗星は、顔を両手で覆って泣き始めたが、すぐに顔を上げて立ち上がり、楓が運ばれていった方に向かって勢い良く走り出した。一裕も彗星の後を追って走る。蓮と佳奈美さんも、釣られるようにして2人の後を走って追いかけ始めた。
「待て!」
食堂から飛び出していく寸前の彗星の前に、エメラルドが両腕を大きく横に広げて立ちはだかった。
「通して!」
「駄目だ!」
食堂と通路の間にある扉を挟んで、彗星とエメラルドが睨み合っている。
「彗星たちには見えなかったみたいだが、楓の吐瀉物から黒い煙のようなものが昇っていたんだ。黒憶虫は、植物みたいに胞子を撒くんだ」
バットが初めに気付いた黒い煙は、黒憶虫とやらの胞子らしい。
彗星は、自分の前に立ちはだかるエメラルドを強く睨んで叫んだ。
「さっきから何なの!黒憶虫なんて知らない!」
「そうだろうな!!」
狼の唸り声が混ざったような、エメラルドの怒鳴り声。鋭い緑色の眼光が、彗星を貫く。エメラルドの大きな口から、鋭い牙がギラリと光っている。彗星が一瞬だけ肩をすくめた。
「黒憶虫は、獣神国にしかいないんだからな…」
エメラルドはそう呟くと、溜息を付きながら広げていた腕をゆっくりと下ろした。
「兄上に連絡した。もうすぐで獣神国から、王族直属の医師が到着するはずだ」
エメラルドの後ろから、通路を火の玉が一つ飛んでくるのが見える。
『ねえねえ』
晴馬だ。
『エメラルドにそっくりな、狼男が一人俺の後をついてくるんだけど…』
晴馬が何かに怯えるように、俺の襟を通って服の中に潜り込んできた。俺の服の中で、晴馬の火の玉がポウッと小さく光る。

カツ…カツ…

晴馬が飛んできた方から、足音がゆっくりと近付いてきた。
『あいつだよ…』
晴馬が俺の服の中から、足音の主を見ながら俺の耳元で囁いた。

アドルフでもない。
ランドルフでもない。
全身が海のように深い青色の毛に包まれた、一人の狼男。
いや…違う。
ライオンだ…。
群青色のたてがみが、男が歩く度に揺れる。
夜空の中、金星のように光り輝く金色の瞳。

「ラルフ様」
彼はエメラルドの前に膝まづくと、エメラルドの爪先に口付けをした。
「アドルフ国王様の命で参りました」
床を伝って心臓に響いてくるような、深い声。
「レオ」
男の名前は、レオ。
エメラルドの声は、いつになく威厳に満ちていた。エメラルドはしゃがむと、レオの顔を上げさせた。
「レオ。頼む。黒憶虫に寄生された少年がいる。他の3人にも感染してしまった」
レオの金色の瞳が、エメラルドの言葉にキラリと光った。
「症状は」

ドクン…ドクン…

レオが声を発するたび、俺の心臓が呼応するように胸を叩く。

「少年が黒い吐瀉物を吐いた」
レオはエメラルドにそう伝えられると、カッと大きく金色の目を見開いた。
「ラルフ様。今すぐに少年のもとへ」
エメラルドはしっかりと頷くと、楓が運ばれていった部屋に向かって早足で歩き始めた。一裕と彗星が、エメラルドとレオの2人の後をついて行こうとしたが、レオがそれを止めた。
「恐れながら、黒憶虫が地球人にどのように作用するのか分かりかねますので、少年を訪れるのはご遠慮ください」
彗星は、レオから「地球人」と呼ばれると、一瞬だけ何かを言おうとして口を開いたが、すぐに思い出したように口をつぐんで俯いた。
「エメラルド、俺達どうすれば良い?」
遠のいていくエメラルドの背中に向かって、蓮が叫んだ。通路に蓮の声が木霊する。
「詳しい話は後でするから、今は兎に角俺達にも楓にも近付くな。それと、火の玉たちが、楓のお見舞いとかをしないように、スタッフたちに言っておいてくれ」
エメラルドは振り向きざまにそう言うと、再び俺達に背中を向けて通路の奥へと歩き始めた。その後ろを、レオが一歩遅れてついて行く。
「楓…」

火の玉たちがいない食堂。
食堂からは、いつも通りの賑やかさは完全に失われた。
遠のいていくエメラルドとレオの後ろ姿を見送りながら、何も出来ないもどかしさに抗う一裕の声が、静かすぎる食堂に寂しく響いた。
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2025/07/28 16:42

花火
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