―――俺の隣でバットが物凄い勢いでイクラ丼を食い尽くしていく。喉に詰まらせないか心配になるほど、一度に大量のイクラとご飯を掬っては口の中に突っ込んでいく。バットがイクラ丼を飲み込むたびに、俺のよりも少しちっこい喉仏が上下する。
一裕と彗星は、仲良く並んでお互いの料理を半分こしながら食べている。こいつらは、俺達と同じ高校生。でも、楓の両親としての二人は、既に死んでいる…。サファイヤは、今俺達の目の前にいる一裕と彗星が同じ運命を辿ることはないって安心させていた。
『実質は違う人間でも、同じものがある』
サファイヤの言葉が引っかかってしょうがない。サファイヤ自身でさえ、何が同じなのかは分かっていないようだが…でも、『同じもの』が何なのかを突き止めないと、二人がまた悲劇的な運命に向かっていく気がして怖い。避けられるものなら、避けなければならない。いや、避けられないのなら、無理やりにでも避けるしかない。
『ごちそうさまでした』
俺達が食べ終わった頃、時計の針は10時半を指していた。普段なら少し眠くなってくるのだが、今日は全く眠気を感じない。
俺はサファイヤとエメラルドについて獣神国に行くことになってる。ただ、一応俺も地球人ではあるから、宇宙に行けば命を狙われるリスクもある。だから、コウモリ姿で行くことにした。エメラルドとサファイヤ曰く、地球人は忌み嫌われる存在だが、地球の人類以外の生き物はそうでもないみたいだ。理由は単純。「権力を貪る愚かな魂の持ち主」ではないから。
…愚かな魂だと?蓮も、佳奈美も、峻兄さんも、桜大も、圭吾も、りこも?
「ふざけるな」
俺はエメラルドも彗星も友人として好きだ。でも…。エメラルドと彗星の故郷は、到底許せそうにない…。
「ウルフ、行くか?俺の故郷に」
エメラルドが狼男の姿で台所の窓を開けて、ヒョイヒョイと身軽にアパートの屋根に登っていった。俺もコウモリになって、エメラルドのすぐ近くの木にぶら下がった。
「サファイヤ、お前も人間以外のものに姿を変えた方がいいんじゃないか」
俺はそう言ったものの、サファイヤが何になるべきかは全く分からない。ネッシーはデカすぎるし、でも魚だと空気中では呼吸できないから死んでしまう。
「そうだね。ウルフの言う通りだ。ええとね」
サファイヤは台所の窓の前に立つと、急に姿を消した。部屋の電気を消したときみたいに、あっという間に見えなくなった。
「サファイヤ!?」
サファイヤが消えたのとほぼ同時に、エメラルドが何回か瞬きをして右目を擦った。
「なんか、目にゴミが」
「ゴミとは失敬な」
エメラルドの右目からサファイヤの声がする。エメラルドは自分の体から自分以外の声が聞こえることに戸惑いを隠せていない。エメラルドは必死にその違和感を取り払おうと、頭を振り始めた。
「目が回るからやめろ!微生物としてお前の目にお邪魔させてもらうよ」
サファイヤの奴…変貌自在なんだな。
「あ、ああ。そうか」
エメラルドは頭を振るのを止めたが、それでも違和感は残っているみたいで何度も瞬きをしている。台所の窓から部屋の明かりが漏れている。現実組と一裕組が、押し合いへし合いしながら、屋上にいる俺達を見上げている。
「行ってきます」
「…おい?!」
エメラルドは当然のように、羽もないのに夜空へ泳ぐように飛んでいく。俺も遅れないように飛んでいく。でも、地球から別の星って、本当に飛べる距離か?そんなわけないな。
「おい、エメラルド。どこまで飛ぶんだ。どの星を目指してる」
夜空には小さな星がか弱く光っている。エメラルドが初めて俺たちの前に姿を現したあの晩に、自分はあの星からやって来たと示した緑色の星は、どんなに探しても見当たらない。
「大丈夫。近道がある」
エメラルドがそう言った瞬間、俺はバランスを崩して落ちそうになった。淡い緑色の温かい光が俺達を包んでいる。暗い夜の景色がぼやけていく。
「浮いてる?」
俺は何度も体を立て直そうとしても、上手く飛べないことに気が付いた。重力が…ない。
「異世界に移動できるスポットさ」
エメラルドは平気な顔をして、緑色の空間にプカプカと浮かんでいる。
「偶に地球でも、飛行機とか船が突然行方不明になるだろ?」
バミューダトライアングルってやつか。
「全部が全部そうじゃないとは思うが、中にはこのスポットに偶然入っていまったのもあるんだよ」
峻兄さんが聞いたら興味を持ちそうな話だな。帰ったら教えてやろ。
「ウルフ、掴まれ」
俺はエメラルドに言われた通りにエメラルドに掴まろうとしたが、エメラルドが勝手に俺の首を強く握りやがった。
「おい、苦し…」
「それ!」
ガクン
俺は再び重力というものを全身で感じ取った。
「どこだ…」
「俺の故郷…獣神国の宮殿の廊下だ」
宇宙の王国っていうから、もっと現実離れした世界かと思いきや、想像以上に地球っぽかった。俺たちがいた王国の方が、ずっと地球離れしているように感じる。宇宙らしい装飾は何もない。確かに豪華だし厳かな雰囲気ではあるが、似たような建物なら地球の遺跡にもありそうだ。
エメラルドが首を掴む力を弱めてくれたおかげで、随分と息がしやすくなった。
「思ったより地球っぽいな」
「しっ」
エメラルドが俺の口を塞いだ。そうか、しまった。宇宙で「地球」は禁句なんだ。
夜なのだろうか。廊下には窓が一つもなくて、明かりも点いていないから真っ暗で、至近距離を見るのがやっとだ。
「俺たちは自分の目を光らせられるから電気は使わないんだ。車のライトみたいなもんさ」
エメラルドの瞳が緑色に光っている。俺達を包んでいた、異世界への移動スポットよりは濃い緑色。
ほとんど黒に近い茶色の石で出来た床が、エメラルドの瞳に照らされて緑色に光っている。大理石みたいな、見覚えのある石で出来た床だ。
「おい、なんだあれ」
俺はエメラルドの背中側から、ピンク色の光が二つ近づいてくるのが見えた。
「何者だ!」
空気を切るような鋭い叫び声が、ピンクの光のある方からした。エメラルドの声に似ているが、少しだけ低い。もしかして…?
「お久しぶりです。ランドルフ兄上様」
「ラルフ…?」
ピンク色の光が近づいてきた。叫び声の主の顔がエメラルドの瞳に照らされた。ピンク色の瞳の狼男。エメラルドより頭一個分くらい大きい。こいつが、エメラルドの兄貴…。
「生きていたのか」
ランドルフの声は思いの外優しかった。地球人を忌み嫌うようには聞こえないし、エメラルドを弟として愛する気持ちさえ感じ取れた。
「少々地球に遊びに出掛けておりましたゆえ、ご心配をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
「地球…!」
エメラルドが地球という言葉を口に出した瞬間、ランドルフの眼が見開かれた。緑色の光とピンク色の光が暗闇の中で混ざっている。
「何故殺されに行くようなことをした!宇宙の民がどれだけ地球の民に愚かな好奇心を抱かれて、地球に肝試しに行った若者が行方不明になっていると思う」
…俺、勘違いしていたかも。こいつらは、ただ地球人を嫌っているんじゃない。怖れている。ランドルフは、兄として弟を守ろうとしているだけなんだ。
「こやつは?」
ランドルフのピンク色の瞳が俺の姿を照らしている。
「ペットにしようかと。愛着が湧きまして」
おい、ペットだと?でも、俺は今は尊厳を捨ててエメラルドのペットになるしかない。そうじゃないと、多分やっぱり殺される…。
ランドルフはラルフに気がつくと、真っ先に「生きていたのか」と言った。普通なら、何処に行っていたって聞くよな?やっぱり、エメラルド…碌な扱いをしてもらえなかったのか…?
「アドルフ兄上にご挨拶を申し上げたいのですが」
「そいつはお前の部屋に寝かせておけ。兄上には見せないほうが賢明だ」
エメラルドもランドルフも、何処かアドルフを恐れているように見える。アドルフに何かあることは確実だろう。第一王女様の瞳と髪の毛で王座に就いたかもしれないアドルフ…俺達はお前のことを知らなければならない。
「承知いたしました」
エメラルドはランドルフに一礼してから背中を向けると、俺を連れて暗い廊下の奥へと歩いていった。本当は何処に行くのか尋ねたいが、俺が人間の言葉を話しているのが他の人に聞かれたら、いよいよ命が危ない。サファイヤも自分の存在感を完全に消して黙りこくっている。ここしばらくは、俺、話せないな。
エメラルドは廊下の行き止まりに辿り着くと、壁を手で何かを探すように撫でると、一箇所に力を込めるようにして壁に全体重をかけた。
ギイッ…
隠し扉だ…。隠し扉の向こうは、廊下よりも暗くて完全に闇に包まれている。エメラルドの瞳の光で、辛うじて地下に続く階段がうっすらと見えた。
「二人とも、もう声出しても良いよ。外には聞こえない」
エメラルドがゆっくりと5段くらい降りてから、俺達に声を出す許可を出してくれた。エメラルドの声が暗闇に響く。
「お前、何処に行ってる」
「俺の部屋」
エメラルドの部屋が地下室にある?
「なるほどな」
サファイヤの声がエメラルドの瞳から聞こえる。
そうか…エメラルドは婚外子だ。王族扱いをしてもらえなかったっていうのは、こういうことだったのか。
「エメラルド…こんなこと聞くのは申し訳ないけど…地下に閉じ込められていたのならどうやってランドルフやアドルフに出会ったんだ」
百段くらい下り続けていた気がする。エメラルドはようやく、自分の部屋…地下牢に辿り着いた。
「それはね」
エメラルドが柵を開けて自ら地下牢に入っていった。自分は地下牢にいて当然だというように、少しの躊躇いも見せることなく。
「物心ついた頃に、ランドルフ兄上とアドルフ兄上がわざわざ地下牢に来てくれて、地球は大人が噂しているよりも綺麗な星だよって教えに来てくれたんだ」
「アドルフも?」
意外だ。俺はアドルフが地球を兄弟の中で一番恐れていると思っていたのに。
ガチャン…
エメラルドが地下牢の柵を自ら閉めた。鉄でできたような重い柵の金属音が、鈍く響き渡る。でも、待てよ。こいつ、自分で牢に出入りしたぞ…。こんなの、余裕で抜け出せるじゃないか。
「エメラルド、この地下牢、実質地下牢じゃないだろ」
エメラルドは俺を離すと、自分の足首に重そうな重りがついた鎖を慣れた手つきで巻き付けた。
「そうだよ」
エメラルドは、本当は…閉じ込められている振りをしていた?
「婚外子なら奴隷として働かせられた挙句、過労死するのが常なんだけどな。アドルフ兄上とランドルフ兄上が、当時国王だった父上に頼み込んでくれたんだ。可愛い弟を殺さないでくれって。」
エメラルドが目を瞑った。俺達は闇に包まれた。俺達の呼吸する音を除けば、他は何も聞こえない。音のない、真っ暗な世界。
「幸い、地下牢で過ごすことを許されたんだ。本当なら地下牢からは出られないはずなんだけど、アドルフ兄上がこっそり地下牢の鍵を壊しに来てくれたんだ。俺がいつでも出られるように」
アドルフ…お前、俺が思っていた以上にエメラルドを愛しているじゃないか。国の慣習を破ってまで。
「自分から出ることはしなかったけどな。兄上が咎められるから」
エメラルドが再び目を開いた。ほんの少しだけ、薄緑色に明るくなった。
「アドルフ兄上は、俺に地球を教えてくれた。いつか、兄弟3人で地球に旅行しようって。俺も無邪気にそれを楽しみにしてた」
エメラルドの声が震え始めた。顔はよく見えないが、泣いているのが分かった。
「アドルフ兄上は、お優しい方だ。だから…狂われた…」
「エメラルド、お兄さんに挨拶しなくて良いの」
これ以上、エメラルドに話をさせると可哀想な気がした。エメラルドは、アドルフを恐れているかもしれないけど、決して嫌っていないことは分かる。
「そうだな。行ってくる」
エメラルドは目を拭うと、鎖を外して柵を開けて階段を登っていった。
「ウルフ」
サファイヤの声が階段の方から木霊して聞こえてきた。
「俺がお前に映像として見せてやるから。王国で見せたみたいに。少し待ってろ」
ギイッ…
隠し扉の開く音が、遥か上の方から聞こえた。何も見えない。何も聞こえない。これが、エメラルドの居場所だった…。
「寂しいな…」
俺の声が暗闇にポツリと力なく響いた。
一裕と彗星は、仲良く並んでお互いの料理を半分こしながら食べている。こいつらは、俺達と同じ高校生。でも、楓の両親としての二人は、既に死んでいる…。サファイヤは、今俺達の目の前にいる一裕と彗星が同じ運命を辿ることはないって安心させていた。
『実質は違う人間でも、同じものがある』
サファイヤの言葉が引っかかってしょうがない。サファイヤ自身でさえ、何が同じなのかは分かっていないようだが…でも、『同じもの』が何なのかを突き止めないと、二人がまた悲劇的な運命に向かっていく気がして怖い。避けられるものなら、避けなければならない。いや、避けられないのなら、無理やりにでも避けるしかない。
『ごちそうさまでした』
俺達が食べ終わった頃、時計の針は10時半を指していた。普段なら少し眠くなってくるのだが、今日は全く眠気を感じない。
俺はサファイヤとエメラルドについて獣神国に行くことになってる。ただ、一応俺も地球人ではあるから、宇宙に行けば命を狙われるリスクもある。だから、コウモリ姿で行くことにした。エメラルドとサファイヤ曰く、地球人は忌み嫌われる存在だが、地球の人類以外の生き物はそうでもないみたいだ。理由は単純。「権力を貪る愚かな魂の持ち主」ではないから。
…愚かな魂だと?蓮も、佳奈美も、峻兄さんも、桜大も、圭吾も、りこも?
「ふざけるな」
俺はエメラルドも彗星も友人として好きだ。でも…。エメラルドと彗星の故郷は、到底許せそうにない…。
「ウルフ、行くか?俺の故郷に」
エメラルドが狼男の姿で台所の窓を開けて、ヒョイヒョイと身軽にアパートの屋根に登っていった。俺もコウモリになって、エメラルドのすぐ近くの木にぶら下がった。
「サファイヤ、お前も人間以外のものに姿を変えた方がいいんじゃないか」
俺はそう言ったものの、サファイヤが何になるべきかは全く分からない。ネッシーはデカすぎるし、でも魚だと空気中では呼吸できないから死んでしまう。
「そうだね。ウルフの言う通りだ。ええとね」
サファイヤは台所の窓の前に立つと、急に姿を消した。部屋の電気を消したときみたいに、あっという間に見えなくなった。
「サファイヤ!?」
サファイヤが消えたのとほぼ同時に、エメラルドが何回か瞬きをして右目を擦った。
「なんか、目にゴミが」
「ゴミとは失敬な」
エメラルドの右目からサファイヤの声がする。エメラルドは自分の体から自分以外の声が聞こえることに戸惑いを隠せていない。エメラルドは必死にその違和感を取り払おうと、頭を振り始めた。
「目が回るからやめろ!微生物としてお前の目にお邪魔させてもらうよ」
サファイヤの奴…変貌自在なんだな。
「あ、ああ。そうか」
エメラルドは頭を振るのを止めたが、それでも違和感は残っているみたいで何度も瞬きをしている。台所の窓から部屋の明かりが漏れている。現実組と一裕組が、押し合いへし合いしながら、屋上にいる俺達を見上げている。
「行ってきます」
「…おい?!」
エメラルドは当然のように、羽もないのに夜空へ泳ぐように飛んでいく。俺も遅れないように飛んでいく。でも、地球から別の星って、本当に飛べる距離か?そんなわけないな。
「おい、エメラルド。どこまで飛ぶんだ。どの星を目指してる」
夜空には小さな星がか弱く光っている。エメラルドが初めて俺たちの前に姿を現したあの晩に、自分はあの星からやって来たと示した緑色の星は、どんなに探しても見当たらない。
「大丈夫。近道がある」
エメラルドがそう言った瞬間、俺はバランスを崩して落ちそうになった。淡い緑色の温かい光が俺達を包んでいる。暗い夜の景色がぼやけていく。
「浮いてる?」
俺は何度も体を立て直そうとしても、上手く飛べないことに気が付いた。重力が…ない。
「異世界に移動できるスポットさ」
エメラルドは平気な顔をして、緑色の空間にプカプカと浮かんでいる。
「偶に地球でも、飛行機とか船が突然行方不明になるだろ?」
バミューダトライアングルってやつか。
「全部が全部そうじゃないとは思うが、中にはこのスポットに偶然入っていまったのもあるんだよ」
峻兄さんが聞いたら興味を持ちそうな話だな。帰ったら教えてやろ。
「ウルフ、掴まれ」
俺はエメラルドに言われた通りにエメラルドに掴まろうとしたが、エメラルドが勝手に俺の首を強く握りやがった。
「おい、苦し…」
「それ!」
ガクン
俺は再び重力というものを全身で感じ取った。
「どこだ…」
「俺の故郷…獣神国の宮殿の廊下だ」
宇宙の王国っていうから、もっと現実離れした世界かと思いきや、想像以上に地球っぽかった。俺たちがいた王国の方が、ずっと地球離れしているように感じる。宇宙らしい装飾は何もない。確かに豪華だし厳かな雰囲気ではあるが、似たような建物なら地球の遺跡にもありそうだ。
エメラルドが首を掴む力を弱めてくれたおかげで、随分と息がしやすくなった。
「思ったより地球っぽいな」
「しっ」
エメラルドが俺の口を塞いだ。そうか、しまった。宇宙で「地球」は禁句なんだ。
夜なのだろうか。廊下には窓が一つもなくて、明かりも点いていないから真っ暗で、至近距離を見るのがやっとだ。
「俺たちは自分の目を光らせられるから電気は使わないんだ。車のライトみたいなもんさ」
エメラルドの瞳が緑色に光っている。俺達を包んでいた、異世界への移動スポットよりは濃い緑色。
ほとんど黒に近い茶色の石で出来た床が、エメラルドの瞳に照らされて緑色に光っている。大理石みたいな、見覚えのある石で出来た床だ。
「おい、なんだあれ」
俺はエメラルドの背中側から、ピンク色の光が二つ近づいてくるのが見えた。
「何者だ!」
空気を切るような鋭い叫び声が、ピンクの光のある方からした。エメラルドの声に似ているが、少しだけ低い。もしかして…?
「お久しぶりです。ランドルフ兄上様」
「ラルフ…?」
ピンク色の光が近づいてきた。叫び声の主の顔がエメラルドの瞳に照らされた。ピンク色の瞳の狼男。エメラルドより頭一個分くらい大きい。こいつが、エメラルドの兄貴…。
「生きていたのか」
ランドルフの声は思いの外優しかった。地球人を忌み嫌うようには聞こえないし、エメラルドを弟として愛する気持ちさえ感じ取れた。
「少々地球に遊びに出掛けておりましたゆえ、ご心配をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます」
「地球…!」
エメラルドが地球という言葉を口に出した瞬間、ランドルフの眼が見開かれた。緑色の光とピンク色の光が暗闇の中で混ざっている。
「何故殺されに行くようなことをした!宇宙の民がどれだけ地球の民に愚かな好奇心を抱かれて、地球に肝試しに行った若者が行方不明になっていると思う」
…俺、勘違いしていたかも。こいつらは、ただ地球人を嫌っているんじゃない。怖れている。ランドルフは、兄として弟を守ろうとしているだけなんだ。
「こやつは?」
ランドルフのピンク色の瞳が俺の姿を照らしている。
「ペットにしようかと。愛着が湧きまして」
おい、ペットだと?でも、俺は今は尊厳を捨ててエメラルドのペットになるしかない。そうじゃないと、多分やっぱり殺される…。
ランドルフはラルフに気がつくと、真っ先に「生きていたのか」と言った。普通なら、何処に行っていたって聞くよな?やっぱり、エメラルド…碌な扱いをしてもらえなかったのか…?
「アドルフ兄上にご挨拶を申し上げたいのですが」
「そいつはお前の部屋に寝かせておけ。兄上には見せないほうが賢明だ」
エメラルドもランドルフも、何処かアドルフを恐れているように見える。アドルフに何かあることは確実だろう。第一王女様の瞳と髪の毛で王座に就いたかもしれないアドルフ…俺達はお前のことを知らなければならない。
「承知いたしました」
エメラルドはランドルフに一礼してから背中を向けると、俺を連れて暗い廊下の奥へと歩いていった。本当は何処に行くのか尋ねたいが、俺が人間の言葉を話しているのが他の人に聞かれたら、いよいよ命が危ない。サファイヤも自分の存在感を完全に消して黙りこくっている。ここしばらくは、俺、話せないな。
エメラルドは廊下の行き止まりに辿り着くと、壁を手で何かを探すように撫でると、一箇所に力を込めるようにして壁に全体重をかけた。
ギイッ…
隠し扉だ…。隠し扉の向こうは、廊下よりも暗くて完全に闇に包まれている。エメラルドの瞳の光で、辛うじて地下に続く階段がうっすらと見えた。
「二人とも、もう声出しても良いよ。外には聞こえない」
エメラルドがゆっくりと5段くらい降りてから、俺達に声を出す許可を出してくれた。エメラルドの声が暗闇に響く。
「お前、何処に行ってる」
「俺の部屋」
エメラルドの部屋が地下室にある?
「なるほどな」
サファイヤの声がエメラルドの瞳から聞こえる。
そうか…エメラルドは婚外子だ。王族扱いをしてもらえなかったっていうのは、こういうことだったのか。
「エメラルド…こんなこと聞くのは申し訳ないけど…地下に閉じ込められていたのならどうやってランドルフやアドルフに出会ったんだ」
百段くらい下り続けていた気がする。エメラルドはようやく、自分の部屋…地下牢に辿り着いた。
「それはね」
エメラルドが柵を開けて自ら地下牢に入っていった。自分は地下牢にいて当然だというように、少しの躊躇いも見せることなく。
「物心ついた頃に、ランドルフ兄上とアドルフ兄上がわざわざ地下牢に来てくれて、地球は大人が噂しているよりも綺麗な星だよって教えに来てくれたんだ」
「アドルフも?」
意外だ。俺はアドルフが地球を兄弟の中で一番恐れていると思っていたのに。
ガチャン…
エメラルドが地下牢の柵を自ら閉めた。鉄でできたような重い柵の金属音が、鈍く響き渡る。でも、待てよ。こいつ、自分で牢に出入りしたぞ…。こんなの、余裕で抜け出せるじゃないか。
「エメラルド、この地下牢、実質地下牢じゃないだろ」
エメラルドは俺を離すと、自分の足首に重そうな重りがついた鎖を慣れた手つきで巻き付けた。
「そうだよ」
エメラルドは、本当は…閉じ込められている振りをしていた?
「婚外子なら奴隷として働かせられた挙句、過労死するのが常なんだけどな。アドルフ兄上とランドルフ兄上が、当時国王だった父上に頼み込んでくれたんだ。可愛い弟を殺さないでくれって。」
エメラルドが目を瞑った。俺達は闇に包まれた。俺達の呼吸する音を除けば、他は何も聞こえない。音のない、真っ暗な世界。
「幸い、地下牢で過ごすことを許されたんだ。本当なら地下牢からは出られないはずなんだけど、アドルフ兄上がこっそり地下牢の鍵を壊しに来てくれたんだ。俺がいつでも出られるように」
アドルフ…お前、俺が思っていた以上にエメラルドを愛しているじゃないか。国の慣習を破ってまで。
「自分から出ることはしなかったけどな。兄上が咎められるから」
エメラルドが再び目を開いた。ほんの少しだけ、薄緑色に明るくなった。
「アドルフ兄上は、俺に地球を教えてくれた。いつか、兄弟3人で地球に旅行しようって。俺も無邪気にそれを楽しみにしてた」
エメラルドの声が震え始めた。顔はよく見えないが、泣いているのが分かった。
「アドルフ兄上は、お優しい方だ。だから…狂われた…」
「エメラルド、お兄さんに挨拶しなくて良いの」
これ以上、エメラルドに話をさせると可哀想な気がした。エメラルドは、アドルフを恐れているかもしれないけど、決して嫌っていないことは分かる。
「そうだな。行ってくる」
エメラルドは目を拭うと、鎖を外して柵を開けて階段を登っていった。
「ウルフ」
サファイヤの声が階段の方から木霊して聞こえてきた。
「俺がお前に映像として見せてやるから。王国で見せたみたいに。少し待ってろ」
ギイッ…
隠し扉の開く音が、遥か上の方から聞こえた。何も見えない。何も聞こえない。これが、エメラルドの居場所だった…。
「寂しいな…」
俺の声が暗闇にポツリと力なく響いた。
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線