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狭間に生きる僕ら

#42

休憩タイム(2)

最近ますます日差しが強くなってきている気がする。私たち人間はすぐにへこたれてしまいそうな暑さだけど、朝顔はむしろここぞとばかりに花を大きく咲かせて、ベランダを紫やピンク、藍色に染めている。
朝顔が植えられた鉢植えの横に、峻兄ちゃんが幼稚園の時から使っているのに妙に綺麗なまま残っている、緑色の像の形をしたじょうろが置かれている。幼稚園児用だから、持ち手に片手を入れるのにも苦労をするのだけれど、水やりには丁度いいサイズ。中に入れた水の量が多すぎて、重くて運べないということもないのだ。
私がそのじょうろを鉢植えの横から持ち上げると、カラカラと乾いた音がした。
台所の水道の水を少し入れて、朝顔の根元に水がかかるように少しかがんだ。根元の土が小さく盛り上がっている。今日からこの鉢植えは、金太郎のお墓。
金太郎は、峻兄ちゃんが小学校に入学して初めて行った地元の夏祭りで金魚すくいをしてから、我が家の一員として暮らしてきた金魚。他にも3匹くらいいたのだけど、その子達は6年くらい前に亡くなってしまった。その日以来、金太郎は、峻兄ちゃんや私がパパとかママに怒られたり、学校で嫌なことがあった時の愚痴の聞き役を担ってきたわけだけど、とうとう金太郎も虹の橋を渡っていった。享年12歳。金魚の平均寿命が長くて10年だっていうことを考えると、人間で考えたら120歳くらいまで生きたことになるんだろうか。
「長い間、お疲れ様」
朝顔は空に向かって誇らしく花を咲かせている。雲一つない真っ青な空に、形が少しだけ金魚に似た雲が泳ぐように遠くへゆっくりと移動していった。
チョロ…
じょうろの中が空になった。そもそもじょうろ自体が軽いからなのか、目を瞑っていたら持っているか持っていないか分からないくらいに手への負担が少ない。
ベランダの扉を開けて台所に入ると、冷蔵庫の真上に取り付けられた冷房の冷気が服の隙間から服の中へと入っていく。蓮くんとウルフがリビングの方でバトルしてそうなドタバタした音が聞こえるんだけど、あの二人、何やってるんだろう。
「何してんの?」
蓮くんは漫画をソファに雑に置いたまま床に倒れ込んでウルフを見上げてるし、ウルフは蓮くんの前で仁王立ちしている。
「蓮くん、暑い?もっと冷房の温度下げてこようか?」
蓮くんの頬っぺたが少しだけ赤い気がする。
「佳奈美さん、俺たち今からショッピングモールに出かけることになったでしょ?」
ウルフが充電用のケーブルをスマホから抜きながら、画面を私に見せてきた。ウルフが私に見せていたのは、今、ショッピングモールで美術館が主催している期間限定のイベントの案内だった。
「蓮と佳奈美さんさ、美術部員なんだろ?興味あるかなって思って」
ウルフが画面を下にスクロールしていくと、興味深そうなキャッチコピーが次々と現れる。
『子供たちが描いたお魚さんの絵で、水族館を作ろう!親御さんも大歓迎!』これは私には少し早すぎるし遅すぎる。
『真珠の耳飾りの少女になってみよう!』ちょっと恥ずかしいかも。
『哲学と美術』これは難し過ぎる。
「これとか良いんじゃない?」
ウルフがある写真を指差した。色とりどりの花畑に、真っ黒な女性のシルエットが佇んでいる写真。紫色の大きな星雲の中で、腕を大きく広げて立っている子供のシルエットの写真。ウルフが私をソファに座るように促して、私がウルフと並んで腰かけると、床に倒れ込んでいた蓮くんがウルフと私の間に座った。蓮くんが邪魔で、ウルフのスマホが見えない。
「ちょっとどいて」
蓮くんの身体を無理やり押しのけて、私はウルフのスマホに映るイベントの開催場所と開催時刻を確認した。
『午後の部:13時~17時』
ショッピングモールで昼食を済ませてから帰るまでに4時間は楽しめそう。
「ねえ、蓮くん」
蓮くんの背中がソファの柔らかい背もたれに食い込んでいる。やっぱり、蓮くん、顔赤い気がする。
「これ、一緒に行こうよ。蓮くん、私の世界を描いてみてくれない?」
蓮くんは赤い顔のまま、私から目を逸らして小さく頷いた。
「ちょっと待っててね」
冷凍庫にアイスが大量に買いだめしてあるはず。圭吾くんとりこちゃんが好きな時に食べられるように、峻兄ちゃんが箱買いしてきた。でも、圭吾くんたちはしばらくの間は帰ってこれないだろうし、早いとこ食べておかないと消費期限が心配。
冷蔵庫の一番下にある冷凍庫を開くと、白くて冷たい空気が私の顔を撫でた。抹茶。イチゴ。チョコ。バニラ。パイナップル。パイナップル?何それ、私も食べてみたい。
私はパイナップルのカップアイスを取り出した。カップの側面に付いた氷の粒粒が、私の手の中で冷たい水滴になって、何滴か床に落ちた。台所の引き出しから私のスプーンと蓮くんのスプーンを取り出して、私はリビングに戻った。蓮くんは、まだ背中を背もたれに食い込ませたまま。
「蓮くん、半分こしよ?」
私は蓮くんのスプーンを蓮くんに渡して、蓮くんの横に座った。あ、しまった。
「蓮くん、ごめん。パイナップル苦手だったね」
私はアイスを自分の前のテーブルに置いた。蓮くんは幼稚園児の時に、パイナップルの棘が指先に刺さってけがをして以来、パイナップルを恐れてきた。
「いや、好き」
蓮くんは私の手を掴んで、オレンジ色のアイスにスプーンを指して口に入れた。
「…好きだよ」
あれ?蓮くん、もうパイナップルに対する苦手意識、克服してたんだ。ウルフが蓮くんのスプーンを凝視している。
「ウルフもアイスいる?」
「いや、俺は良いよ。ショッピングモールのフードコートに色々な食べ物があるみたいだから、そこでたらふく食べることにする」
ウルフはそう言うと、日焼け止めを塗りに洗面所へ向かった。リビングには蓮くんと私だけ。バットとサファイヤと峻兄ちゃんは、畳の部屋で何をするでもなく、ぼんやりと時間を消費している。
「蓮くん、好き?」
あんなに、パイナップルの絵を見ただけで逃げていったような蓮くんが、パイナップルを美味しそうに食べられるなんて、少し不思議な感じ。
「…うん、好きだ」
蓮くんが既にアイスを3分の2くらい食べてしまっている。私の分がなくなるから、私は無理やり蓮くんの手をアイスから引き剥がして、少し溶けたアイスをスプーンで掬って口に入れた。パイナップルの冷たい風味が口の中全体に気持ちよく広がる。確かに、この味なら蓮くんも好きかもしれない。
「私も好きだよ」
蓮くんはスプーンを持ったまま、私から目を逸らして本棚のあたりを凝視している。それにしても、さっきより顔が赤いのはなぜ。
「っあああ!」
一体何があったのか、洗面所の方でウルフがもどかしそうに叫んだ。

ーーーー俺は、洗面所で日焼け止めを塗りながら、ずっと蓮と佳奈美さんのやりとりに耳を澄ませていたんだけど。
…蓮の馬鹿野郎!なんで、主語と目的語を省くんだよ。ちゃんと言えよ、「俺は佳奈美が」って。「好きだ」だけじゃ、アイスの味がって間違われても当然だろうが!
そして…佳奈美さん、あんたも相当鈍感野郎だ!なんで、自分を抱き締めてくれて、自分の好きなアイドルに嫉妬して、自分をいつも見つめてる男に「好きだ」って言われて、「ああ、アイスがね」っていう解釈になるんだよ!
あの二人、中学時代に付き合ってたんだろ?復縁っていう言葉があるように、別れたら永遠に別れたままでいないといけないわけじゃない。
どうして、こうも、この二人は…もどかしいんだ!
「っあああ!」
俺は日焼け止めのクリームをたっぷり出して、全身に塗りまくった。
「ウルフー、俺の分も残ってるか?」
畳の部屋からバットが俺を呼んだ。
「…少しならあるぞ」
しまった。むしゃくしゃしているうちに、クリームを出し過ぎた。親父の言葉…。
「バット、悪い。俺が使い過ぎた」
「おーいおい、馬鹿か」
中途半端に残しておくのも不便だから、俺は残りのクリームを全部出して、首の周りに塗った。


ーーーーショッピングモール最寄りの駅まで電車に揺られる。周りには塾の夏期講習や部活の遠征に向かうと思われる学生が、それぞれグループを作って吊革につかまりながら立っている。なんか、エメラルドやサファイヤたちと一緒に過ごすうちに、私も異世界の人間みたいな気分でいたけど、本来は私もこうしていないといけないんだな。毎日寝る前に4時間は勉強しているけど、もっと本腰入れないと。学校の勉強についていけなくなると困る。
「あのね」
サファイヤが窓の外を通り過ぎていく景色を遠い目で見つめながら口を開いた。黒い瞳が窓に反射している。サファイヤはエメラルドと一緒に、必要以上の注目を浴びなくても良いように、峻兄ちゃんが買ってきたブラックのカラコンをつけるようになったのだ。
「俺の同居人、金太郎って言うんだってね。遺言、聞きたい?」
金太郎の最期の思い。知りたい。私の一人の兄弟みたいな存在だったから。
「聞き…待って、後にして」
ショッピングモールでお昼ご飯を食べながら聞くとしよう。人々で賑わってて、私たちの会話に耳を傾ける人もいないだろうから。でも、ここは電車の中。皆、色んな参考書を集中して読んでいるから、たまにコソコソとお話以外は電車が走る音以外は何も聞こえない。金太郎っていう名前は、一般的には童話の主人公の名前。だから、その人の遺言なんてあるわけない。そこで、金太郎は飼っていた金魚の名前ですって言ったら一瞬納得してくれるだろうけど、男子高校生が金魚から遺言を言われたなんて、世間がそう簡単に理解できるとは思わない。そこで、実はこの男子高校生は人間に化けたネッシーで、普段はよく水槽で魚と一緒に泳いで過ごしていますなんて言った日には…。案の定、サファイヤの横に座っているエメラルドがサファイヤの口を塞いでいる。
そういえば、お昼ご飯何にしようかな。皆は何が食べたいんだろう。サファイヤ、エメラルドは私の向かい側に、蓮くんと峻兄ちゃんは私の横に座って、ウルフとバットは私たちの近くの吊革につかまって立っている。
「ねえねえ、サファイヤ、エメラルド、ウルフ、バット…はっ!」
乗客の不思議そうな視線が突き刺さる。私は思わず自分の口を両手で塞いだ。今まで全然意識せずに読んでたけど、そうか。この四人、名前が珍し過ぎる。後で皆で話し合って決めよう。この四人に、現実に生きる人間の名前として自然な名前を、決めておかないと。

ショッピングモールに着いたのは、午前十一時。お腹が空いてるような、空いてないような。昼ご飯を食べるかどうか、一番迷う時間帯に着いてしまった。だけど、フードコートは既に家族連れや学生で賑わっていて、たこ焼きやクレープや焼きそばとか、色々な食べ物が混ざった匂いに包まれる。
「もう、今のうちに食べておこうぜ。席が無くなる」
私たちはフードコートの隅に空いていたテーブルに早足で向かった。だけど、四人分の椅子しかない。あと、三つ、どこかから借りるしかないかな。峻兄ちゃんとウルフ、バット、サファイヤは既に椅子に各自のカバンの紐を背もたれに引っかけた。
「あの人達から椅子、借りれないかな」
蓮くんが五つくらい離れたテーブルを見ている。四人掛けのテーブルに、お母さんと思われる女の人が一人座ってて、自分の横にベビーカーを置いて、時々揺らしてあやしては親子丼を食べている。席がちょうど三つ余ってる。
「行こう。今のうちに。他の人たちに借りられると困る」
エメラルドが真っ先にそこへ大股で歩いて行って、蓮くんと私は小走りでついていった。
「あのー、すみません、椅子を借りても」
「ああ、良いですよ。持ってって」
エメラルドは二つの椅子を両脇に抱えて、蓮くんは残った椅子を持ち上げた。ベビーカーの中で赤ちゃんがエメラルドを見ながらはしゃいでる。エメラルドは人間姿だし、カラコンも入れて瞳は黒いし…でも、確か赤ちゃんって第六感が優れてるって言われてるって、前にどこかで聞いたな。赤ちゃん、エメラルドの正体に気付いてる?
「あら、ごめんね。こら、静かに」
お母さんがベビーカーを優しく揺らすと、赤ちゃんは落ち着いてそのまま寝始めた。
「おーい」
私たちの席から峻兄ちゃんが財布を手に持って私たちを呼んでいる。
「何が食べたい。俺たちはかつ丼を食べることにしたけど」
テーブルの残り三人は、イヤホンを耳に指して、何かの音楽を聴いているのか足でリズムを取っている。
「俺、海鮮丼が良いです」
「ええと、僕はアナゴ丼で」
「じゃあ、私はいくら丼」
エメラルドと蓮くんが椅子を担ぎながら、丼もの専門店のメニュー表を見て値段を確認している峻兄ちゃんに伝えた。だけど、ますます人が増えてきて、近くにゲームセンターもあるから、騒がしくて私たちの声が届かなかったみたい。
「何丼だって?」
「海鮮!」
「アナゴ!」
「いくら!」
子供の頃は、親から店では叫ぶなって躾けられてきたけど、素直に従うだけじゃ世の中、上手くいくようにはなっていない。
「ねえねえ、みんな」
私は蓮くんが運んでくれた椅子に腰を下ろして、音楽を聴いている皆の肩を順番に叩いていった。
「どうしたの?今さ、佳奈美さんが昨日くらいに言ってた好きなアイドルの歌を聴いてたんだけど、カッコいいねこいつら」
あ、良い話題見―つけた。それはさておき。
「皆に私たちと同じような名前を付けたいの。皆の名前はかなり珍しくって、他の人が聞いてるところじゃ変に注目を集めちゃう」
皆がイヤホンを丸めてズボンのポケットにしまうと、サファイヤはスマホで「名づけ 男の子」と調べ始めた。
「バット、ウルフ、一応人間として学校に通っているんだったよね?名前、どうしてるの?」
バットはカバンから手の平サイズのメモ帳を取り出して、ペンで滑らかに何かを書きつけると、それを私と蓮くんに見せた。
「俺が鷲山翔飛。しょうとって読むんだ。で、ウルフは血洗夕牙。ゆうがって読む」
しょうと、と、ゆうが。なんだか新鮮な感じ。
「俺、名前、どうしよう」
サファイヤがスマホとにらめっこしているときに、峻兄ちゃんが商品受け取りのところから、丼が乗ったトレーを運ぶように叫んだ。
「お前は、えー、海斗だ。苗字は適当に考えろ」
エメラルドとウルフ、バットが私たちの分まで運びに行ってくれた。テーブルには蓮くんと私とサファイヤが残ってる。
「二人さ、苗字何なの」
峻兄ちゃんたちが美味しそうな丼を運んでくるのが見える。
「俺が成瀬で、佳奈美が渡辺」
「へい、お待ち」
バットが蓮くんの前にアナゴ丼を置いて、私の前にいくら丼を置いてくれた。
「じゃあ、俺、渡瀬海斗にするわ」
全員揃ってから、いただきますをしてすぐに、サファイヤがかつ丼を食べ始めた。
「ねえ、エメラルドは名前どうするの?」
エメラルドは口に運ぼうとしていたお箸を元に戻して、腕を組んで天井を仰いだ。
「…狼谷…碧。おおかみたに あおい、はどうだ」
「お前、苗字さ、もうちょっと考えたら。単純すぎないか」
峻兄ちゃんはもう、半分くらいまで食べ終えている。
「そんなこと言ったら、田中さんはどうなるんだよ。原さんは?林さんは?」
エメラルドの反論に峻兄ちゃんは何も答えられなくて、そのままかつ丼を食べ始めた。


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2025/07/02 23:25

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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