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狭間に生きる僕ら

#37

眠った記憶(5)

『お父様ー!』
第一王女は、ちょうどりこちゃんくらいの年齢になっている。リオンドールも30歳近くになって、青年らしさは失われている。書斎で色々な書類に目を通したりサインしたりしているリオンドールの太ももに、第一王女が抱きついた。楓色の瞳が金色の瞳を見上げている。
『メイプルよ、どうした』
リオンドールがとろけそうな目で第一王女を見つめている。リオンドールの大きな手が、三つ編みをしたオレンジ色の柔らかな髪を撫でている。
『メイプル、お父様に言いたいことがあるの。お父様、大好き!』
リオンドールは立ち上がると、第一王女を抱いて書斎の窓際に立った。
『おうさまー!』
窓の外から街の子供たちがリオンドールに手を振っている。リオンドールはその子達に威厳のある優しい笑顔で手を振り返す。街には子供が溢れかえっている。リオンドールが即位して、朱色を忌み嫌う風潮を積極的に正し、孤児院の整備をしたのだ。クランシーと同じように、朱色の瞳を持って生まれた赤ちゃんたちが捨てられずに済むようになったのだ。孤児も今では王国が直接経営する教育施設で最低限の学力を身に付けることが出来るようになったのだ。
『あの子、メイプルと似た色の目だね』
今では、朱色の瞳は、ただの瞳でしかないのだ。
『ああ、綺麗な瞳だ。メイプル、父には仕事が沢山あるんだ。遊んでおいで』
リオンドールは第一王女を下ろして侍女に連れて行かせると、書斎の椅子に腰を下ろした。娘を愛おしく見つめていた瞳は、再び真剣なものになった。
『犯罪を抑えることが出来ればどれだけ良いか。犯罪を犯すものが全員、悪人であるわけではあるまい。民の生活の質をもっと上げねば…親が牢獄に入れられている間、子供達は飢えてしまう…私があの日、橋の下で見たような光景は二度と繰り返してはならない…』
街では獅子王様の生まれ変わりだと噂される立派な君主でさえ、子供達全員を救うことは困難なのだ。
『伝令、クランシーを呼んで来い』

…え、クランシー?

10分くらいして伝令が朱色の瞳の男をリオンドールの元へ連れてきた。
『なんです、兄貴』

あれ…?クランシーがリオンドールのことを兄と呼んだ…?

『クランシー、そなた、牢獄で孤児を捕えては世話をしているそうだな。褒めて遣わす』
リオンドールとクランシーは、最初から兄弟であるように振舞っている。
『俺、あんたのこと嫌いだったんだけど、今の王国は好きなんだ。死んでいく子供たちを見ずに済む。俺は勝手に怖がられて捨てられたけど、俺も兄貴のことを拒絶してすまなかったよ』
クランシーがリオンドールの隣の椅子に遠慮することなくドカリと腰を下ろした。
『まあさ、兄貴だって完璧になんでも出来るわけじゃない。孤児の面倒を見る手伝いくらいはしてやる』
『孤児の養育施設の案を出してくれたことは今でも恩に着ている』
クランシーはリオンドールの顔に一度笑顔を見せると、床に視線を落とした。
『最近さ、刑罰を厳しくしただろ。良い考えだと俺は思うよ、治安は良くなってきているんだから。でも、その分、死刑囚も増えているんだ。死刑囚にだって子供はいる可能性は十分ある。だけど、死刑囚の子供に対する社会からの視線は厳しい。前だって、死刑囚の息子が心労に耐えかねて、幼い兄弟を道連れに命を絶っただろ』
リオンドールの瞳が曇った。
『…弟よ、私は間違っているだろうか』
クランシーは首を縦にも横にも振れないでいる。
『俺さ、死刑囚の子供を見つけたら孤児院で世話するから。…陛下、許可を』
リオンドールが首を縦に振ると、クランシーはリオンドールに一礼して部屋を出た。
『あ、叔父様』
『お前、大きくなったな!』
部屋の外で第一王女とクランシーが慣れ親しんだ様子で話しているのが聞こえる。リオンドール皇子、伝令、第一王女、そしてクランシー。この時は誰も、第一王女がクランシーの娘であることを知らない。

『ねえねえ、伝令』
クランシーが王城を去って牢獄に戻ったころ、第一王女は再びリオンドールの書斎にトコトコと入ってきた。伝令は常にリオンドールの側にいる。伝令は何かとリオンドールにも信頼されているらしい。
『いかがいたしましたか、メイプル様』
伝令が自分の腰より低い第一王女に深々と敬礼した。
『あれ、やってみたい。相手をして』
第一王女は伝令をどこかへ連れていく。キンッカキンッ金属と金属がぶつかる軽快な音がする。第一王女は、剣術を習おうとしているのだ。
『恐れながらメイプル様、剣術は男児の嗜みでございます』
剣術の稽古をしていた男の子たちは、第一王女に気が付くと、一斉に剣を振るうのをやめて第一王女に深く敬礼した。
『まあ、よいではないか。剣術を好む子供は偶然男児が多いというだけに過ぎぬ』
仕事をひと段落させたのか、リオンドールが二人の元にやってきた。リオンドールが来ると、男の子たちは一層深く頭を下げた。リオンドールはその中の一人に近づいた。タイガーアイのような色の長い髪の毛の男の子。
この子…どこかで見覚えがある気がする…
『そなた、娘の相手をしてやってくれぬか』
『光栄でございます、陛下、メイプル様』
…この声!
男の子が顔を上げた。
…圭吾くんだ。エメラルドに男の身体にしてもらう前の姿だ。
『圭吾よ、そなたは女の身にして剣術が強いと聞く。ぜひ娘の相手をしてやってくれ』
『は、ご拝命、しかと承りました』
第一王女が圭吾くんの手を握った。顔を上げた圭吾くんの瞳に、第一王女の姿が映っている。
『よろしくね、お友達になろう?』
圭吾くんが第一王女の前に膝を付いた。
『身に余る光栄でございます』
圭吾くん、私たちに、自分は第一王女様の親友だったって教えてくれたな。これが二人の出会いだったんだ。だけど、少し気になることがある。後で蓮くんにノートに書き加えてもらおう。どうして圭吾くんだけ、妙に私たちに近い名前をしているのかって。
リオンドールと伝令が見守る前で、圭吾くんは真剣を危なくない木の棒に持ち替えた。第一王女も同じものを持って、興味深そうな目で観察している。
『手加減はいらないわよ、圭吾』
『…そうですか、では』
私が一度瞬きをして再び目を開けた時には、第一王女は既に床に仰向けになって倒れていた。圭吾くんの木の棒の先が、第一王女の首に当てられている。
『はっはっは、頼もしい』
リオンドールは少しも怒ることなく、床に倒れた自分の娘を見て笑っている。
『メイプルよ、強くなって圭吾を倒してごらんなさい』
圭吾くんが第一王女を起き上がらせた。第一王女も、初めての感覚に興奮しているのか、輝く瞳で圭吾くんを見ている。
『圭吾、命令です。私の右腕となりなさい。私が息絶えるその瞬間まで、私を常に傍で守れ』
圭吾くんは真剣で自分の着ていた服の襟の部分を切った。圭吾くんの首が露わになる。
『命に代えてでもお守りいたすことを誓います』
圭吾くんはそうして自分の左胸に手を当てると、第一王女の前にひざまずいた。これは、主君のためなら首も心臓も捧げてみせるという、一生に一度しかすることを許されず、一生責任を全うしなければならない、この王国ならではの最大に敬意を示す方法だった。
『陛下、第一王女様。昼食のご用意が整っております』
侍従がリオンドールたちを呼びに来た。
『圭吾、来なさい。今からあなたは私の右腕だ』
そう言って第一王女は、大広間へと向かうリオンドールの後ろを歩き始めた。圭吾くんはポニーテールでくくった長い髪を揺らしながら、第一王女のすぐ後ろに付いて歩いていった。

『圭吾』『は』
記憶の中の二人は、12歳くらいになっていた。第一王女が私を、あ、違う、龍の像を見上げている。
『圭吾、この像は真実を示し裁くものだ。おぬしも知っておろう。私は今ここで、打ち明けねばならぬ。圭吾、聞きなさい』
第一王女は像の瞳と目を合わせたまま。圭吾くんが胸に手を当てて、第一王女の横にひざまずいた。
『なんなりとお申し付けくださいませ』
第一王女が深呼吸をして、再び像を見つめた。楓色の瞳。
『…私は本来このような姿をしているべきではない』
第一王女は薄いオレンジ色のドレスを、何か邪魔なものでも見るような眼差しで見ている。
『私は男だ。この身体が邪魔だ。圭吾、お前もそうであろう』
圭吾くんは頷かなかったけれど、私は圭吾くんの答えを知っている。
『…しかし、我らのような人間は王国に未だ嘗て存在しなかった。…私は、本来の自分を隠さなければなるまいの。お前もだ』
第一王女が像に背中を向けて、ひざまずく圭吾くんの手を握った。
『私と共に、秘密を抱えていく覚悟はあるか』
『はっ』
第一王女は圭吾くんを立たせると、圭吾くんを像の前に立たせた。
『圭吾。私はお前のことが知りたい』
像の瞳の中には、今度は圭吾くんの姿があった。
『私はお前の名前が不思議なのだ。お前の名前は私の知らない文字で書かれるの。圭吾、お前は何者だ』
圭吾くんの瞳は揺らいでいない。自分の真実を明かすことに、少しのためらいも感じていないのだ。
『申し上げます。わたくし、圭吾は…メイプル様と同じく精神と身体において違和を抱くものであり…迷い人でございます。…罪を受ける覚悟は出来ております』

『今までお隠ししていて申し訳ありません。私は一度、日本と言う異国の地で死亡したものにございます。その国では、人間は死後に閻魔大王によって生前の罪業を裁かれるという言い伝えがございました。しかし、私は罪を犯すには早すぎる齢で閻魔大王のもとを訪れたのです。流産でございます。それをお知りになった閻魔大王は私に寛大にも慈悲をおかけになり、再び生まれることをお許しになったのです。ただ、どういうわけか、日本ではなくこの龍獅国に生を受けた次第でございます。私が日本にいた頃、私は身も心も男児にございました。その結果、私は記憶だけを保持したまま、女としてこの国に生を受けました。圭吾という名は、日本にいた頃の兄が、私の誕生を楽しみにして付けてくれたものです』
『…兄の名前を聞いてもいいか』
『桜大にございます』

桜大って…交通事故で死んじゃった峻兄ちゃんの親友の名前じゃなかったっけ…?

…帰ったら峻兄ちゃんに確かめよ。

第一王女は、輝くようなオレンジ色の長い髪を風になびかせて、真実を伝えた圭吾くんの後ろ姿を見ている。第一王女はかんざしを頭から抜き取った。金色のライオンの装飾が付いている。ライオンの心臓部分には、ルビーらしき朱色の宝石が埋め込まれて眩しく輝いている。龍獅国には、父親が10歳を超えた娘にかんざしを贈る風習がある。つまり、このかんざしは、リオンドールの第一王女への最大の愛情の証なのだ。心臓と同じように、第一王女がいなければ自分は生きていくことが出来ないという、王様ではなく一人の父親としての最大の愛情の証なのだ。第一王女はそのかんざしを、自分に背中を向けて龍の像に向き合っている圭吾くんを自分の方に向かせると、圭吾くんの手に握らせて、それを自分の首元に当てさせた。これは、「お前なら私を欺かないと信じている」、そして「お前がたとえ私の命を奪おうとも許そう」という、一生に一度しかすることが出来ず一生その責任を全うせねばならない、主君が臣下に対する信頼を示す行為だ。
『私はそなたが私の親友であることを誇りに思う』

…ザザザッ
『父親は』『おいで』『贄』『第一王女様!』『返せ!』

え、なに?突然視界が揺らいだかと思えば、不気味なノイズが聞こえた。ノイズにかき消されそうになりながらも記憶の断片である五つの言葉が辛うじて聞こえた。砂嵐が止まない。龍の像の記憶が、何者かによって操作されているみたいな…ノイズが治まって砂嵐が止むと、何も見えない暗い海の中の光景が広がった。
コポコポ…
小さな空気の泡が太陽の光を目指して昇っていく。これは、何かしらの理由で海の底に沈められてからの、今まさに私たちの近くで身体を粉砕された状態で海の底に沈んでいる、真実を示し裁く龍像の記憶だ。
「だいぶ長く記憶を見せちゃったから、ここで今日のところは中断しよう」
随分と長い夢を見ていたような気分。目を開けると、サファイヤは蓮くんが整理していたノートを閉じて右手に持っていた。そういえば、一裕は?自分にまつわる壮絶な過去を目の当たりにしたら、自分の娘に関わる不穏な記憶を目にしたら…
「一裕はね、途中で寝たよ」
サファイヤの視線の先には、彗星さんの胸の中で眠っている一裕の姿があった。死んでいるかと勘違いするくらい熟睡している。圭吾くんは、少年の姿でエメラルドに抱かれてスヤスヤと眠っている。エメラルドは圭吾くんの背中を、ウルフは圭吾くんの頭を撫でてあげている。
「ウルフ、現実は今何時だ」
「…午後7時半。そろそろ帰ろう」
サファイヤは持っていたノートを蓮くんに預けると、私たち一人一人の顔を確認するようにゆっくりと顔を回すと、指を鳴らす準備をした。
「…まあ、気になることは大量にあると思うけど、いったん現実に帰ろう。夜ご飯を食べ終えて、りこちゃんと圭吾くんが寝てから、峻兄さんとバットも含めて王国で見た真実の記憶を初めから整理していこう」
コポコポ…ドーン…コポコポ…ドーン…
海の心臓の音みたい。海そのものが、一つの生命体のよう。
パチン
サファイヤが指を鳴らした。ああ、何だか眠りに落ちる寸前のような快感に包まれる。身体が宙に浮くような感覚。人間だって、カッコつけて指を鳴らすことくらい、あるんだけどな…何かしらの偶然で異世界に行けちゃったりしてな…そんなことを考えているうちに、突然全身が重たくなった。重力が私を地球の中心へと引っ張っている。床が冷たくて硬い。
帰ってきた、アパートに。
「あー、お腹が空いたなー」
ウルフが棒読みで寝室の鍵を開けて扉を開けた瞬間、りこちゃんが台所から走ってきてウルフにピョンと抱きついた。
「沢山寝てたね!夜ご飯、パスタだって」
あ、パスタ。口の中が唾液でいっぱいになる。峻兄ちゃんがパスタ用のお皿を持って、寝室に顔を覗かせた。
「…よう寝たな。冷める前に食え」
彗星さんは、両親が心配するといけないからと言って、運転手さんをアパートに呼ぶと一裕も乗せて帰っていった。空は黒くなって、三日月が遠慮がちに雲の後ろに隠れている。老朽化して倒れそうになっている街灯が点滅しているのが、窓の外に見える。
「沢山寝たのに、疲れてるの?」
パスタのソースを口の周りに付けたりこちゃんが蓮くんに尋ねると、蓮くんがギクッとしたように、フォークを持っている手を揺らした。
「なんかねー、すごい夢を見ちゃって」
ウルフは大量のトマトが入った真っ赤なパスタを器用な手つきでくるくるとフォークに巻き付けると、大きな口の中に入れた。
「佳奈美」
峻兄ちゃんがりこちゃんの苦手なキノコを自分のお皿に入れてあげている。
「少し相談したいことがあってな…」
「ちょうど良いじゃん」
バットがトマトジュースを飲んでいる。今思うと、やっぱり吸血鬼たちの食事って真っ赤っかだな。
「俺も混ぜてよ。夢の話、気になるもん」
圭吾くんがりこちゃんと一緒に早食い競争をしているのを、エメラルドが喉に詰まらせるといけないからと言って止めさせた。

午後十一時。圭吾くんとりこちゃんは、既に布団の中で夢の中。
カチ
峻兄ちゃんは台所とリビングの間にある引き戸を、音を立てないようにそっと閉めると、リビングの電気を点けた。
「じゃあ、王国の真実の記憶を皆で一つずつ整理していこうと思う」
サファイヤのささやき声がリビングに、とても静かに響き渡る。
「これ、見て」
蓮くんがノートをリビングの机の真ん中に開けた。
真実は少しずつ、目覚め始めている。


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2025/06/29 10:50

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
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