記憶の続きが見たい。でも、サファイヤは無情にもそれを断ち切った。
「圭吾がさ、あまりに可哀そうで」
圭吾くんはエメラルドの胸に顔をうずめて、カタカタと震えている。蓮くんがノートに書いてきた『事実』や『推測』を見直している。
「あの様子じゃ、そう簡単に記憶を共有できるとは思えないんだけど…」
「いや、何が起こるかは分からない」
エメラルドが圭吾くんの頭をポンポンしながら、ノートの内容を確認している。
「愛憎って言葉があるだろ。愛ってさ、もの凄く簡単に憎しみに変わってしまうんだ。クランシーも、今はリオンドール皇子を拒絶しているけど…。クランシーは自分を育ててくれたお婆さんを家族として愛している。クランシーは誰よりも家族という存在を欲しているはずなんだ。そこでリオンドール皇子という本当の家族が現れた。本当はクランシーだって、リオンドール皇子を抱きしめたかったんだと思う。でも、本当の家族が自分達を苦しめた。本当の家族を愛してしまえば、自分を愛してくれた人々を裏切ることになる。クランシーの奴、本当は弟として兄を愛したい気持ちを、王族への憎しみで無理やり押し込んでいるんじゃないか?愛を守るために、愛を捨てているんだ…」
蓮くんは、それをノートに書き加えた。
「ウルフ、バットに現実で今何時か聞いてくれるか」
エメラルドに頼まれると、ウルフは目を開けたまま斜め上を見て何回か瞬きをした。
「午後の3時だってよ。眠いのにりこが寝かせてくれないから困ってるっていう愚痴も一緒に交信されてきた」
夕飯まで、あと5時間。記憶の続き、あと二回くらいは見れるかな…。
「圭吾くん、君は記憶を見るのいったんやめておこうか」
圭吾くんはまだエメラルドの胸の中で震えている。圭吾くん自身も、どうすれば震えが収まるのかが分かっていないみたい。エメラルドが圭吾くんを抱っこして、小さい子みたいに背中を叩くと、圭吾くんはあっという間に安心しきった表情で寝てしまった。
「じゃ、続きを見ますか」
ズウゥーン…
『ありがとう』『好きです』『愛してる』『ごめんなさい』『返せ!』
今度は私の知らない女の人の声も含まれていた。とても可憐で、綺麗で、声だけで可愛い女性だろうなということが容易に想像できた。
『クランシー、こっち来てよ』
色白で、黒い髪を朱色のリボンで結んだ18歳くらいの女性が見える。クランシーより頭一個分背が低い。
『待ってくれよ、アンバー』
クランシーは、アンバーという名の女性に手を引かれて、明かりが灯り始めた夜の市場を抜けて、王城と城下町の間に掛かる橋のある方へ連れていかれていく。クランシーは半ば強引に手を引かれているけど、苛立った表情は浮かべていない。むしろ、アンバーの揺れる髪を愛おしそうな眼差しで見つめている。
だんだんと空の色が暗くなり始めて、星がポツポツと夜空に浮かび始めた。夜の市場の灯が、アンバーとクランシーの顔を照らしていく。
『絶対に見ておかないと、死んでも死にきれないよ。クランシー、来て』
『わーかった、わかった』
二人が橋に着いた。橋の下の川は緩やかに流れていて、夜空の星を反射している。天の川が、目の前で流れているようだ。二人が橋の真ん中に立って、夜空を見上げている。
『そろそろかな』
『だな』
二人以外の人も、続々と橋に集まってくる。
『赤戦神さまのお出ましだ!』
橋の上の群衆の中から誰かが叫ぶと、街の明かりがフッとすべて消えた。暗闇が街の人々を包んでいる。
『あー、いた!』
幼稚園児くらいの子が夜空に何かを見つけたようで、短い腕を一生懸命空に伸ばした。街の人々は皆、同じ一つのものを見上げていた。ちょうど橋の真ん中あたりの夜空に浮かぶ、一際明るい赤い星。私、知ってる。この星は…。
『ねえ、クランシー、知ってた?あれ、火の星っていうのよ』
『当然だろ。百年に一度しか夜空に現れない星が今、俺たちの真上にあるんだ。これで俺、明日にでも死ねるわ』
『ばか』
アンバーがクランシーの背中をバシンッと良い音を立てて叩いた。
『火の星って、戦いの神っていう別名も持ってるでしょ?クランシー、あんたの名前にピッタリね』
私も知っているあの星が、二人の瞳を照らしている。
『私、火の星が好きなのよ。クランシーの瞳に似ているから』
赤い星はものの数分で姿を消してしまった。百年に一度、たった数分しか表さない赤い星。だからこそ街の人々はあの星を神格化して崇めているのだろう。私からすれば、峻兄ちゃんの天体図鑑を借りればいつでも見られるけれど、王国の人々にとってはその行為すら恐れ多いものなのかもしれない。
『ねえ、クランシー?』
『お?』
二人は再び明かりの灯り始めた夜の市場を、ゆったりと歩いていた。家に着いてしまうまでの時間を、出来るだけ伸ばそうとしているように見える。
『お腹空いたでしょ。うちに来なよ』
『い、いやー、それは』
『良いの!』
市場を抜けて庶民の住宅が並んだところへたどり着くと、アンバーは自分の家と思しき建物にクランシーを無理やり押し込んだ。クランシーも一応抵抗はしているものの、まんざらでもない顔をしている。私、ママには男を軽い気持ちで家に上げるなって言われてるんだけどな。
アンバーはクランシーを家の中に連れ込むと、木で出来た扉の鍵を閉めた。電気が無いのか、あるいはわざとつけないのか、家の中は暗いまま。窓の外から差し込む、星の極わずかな光のおかげで、至近距離で近づけばお互いの顔を認識できるくらい。
『クランシー、私、18歳だよ?大人になった』
アンバーがクランシーの頬を撫でた。すると、クランシーがアンバーの腰に手を回して優しく口づけをした。…これを記憶しているときの龍の像は恥ずかしくなってこなかったのかな。逃げ出したいけれど、龍の像が見ろというように、視点を全く変えない。
『クランシー、私、あなたのことが好きです』
クランシーがアンバーの両手を掴んで床に押し倒した。待て。私の苦手なジャンルの展開が始まろうとしている気がする。
『アンバー、ありがとう。愛してる』
クランシーがアンバーに深い接吻をすると、アンバーがクランシーの首に腕を回した。待て待て待て、こら、待たんか―い!
「はい、ストップ」
…サファイヤ…ありがとう、助かった。
「待てよ、俺、もっと続きが見たいよ」
「…スケベ野郎」
「違うわ!絶対にアンバーっていう女の人、重要人物だろ。今のうちにアンバーっていう女性がどういう存在なのかをもっと見ておかないと」
サファイヤが目を瞑ったままの蓮くんと揉め始めた。
「そんなに見たいなら、どうぞ、ご自由に」
サファイヤがそういうと、記憶が再び流れてきた。
…モザイク、モザイク、モザイク、誰かモザイクをかけろー!
「だから、言ったろ?もうやめておけって」
蓮くんが顔を真っ赤にして俯いている。サファイヤの忠告に従わなかった気まずさか、あるいは記憶の映像か。
…私は後者だと思う。
でも、龍の像が私たちにあの記憶を遠慮なく見せてきたということは、その記憶が重要なカギになるということだ。
「まさかだけどさ」
圭吾くんを抱っこしたままのエメラルドが、蓮くんにシャーペンを持つように促す。
「俺、さっきの映像を見て思ったんだけど…アンバーは多分クランシーの子供を妊娠する。それで、アンバーっていう人、瞳が琥珀色をしていただろ。金色に茶色を混ぜたような色。アンバーの先祖の誰かが王族の血を引いている可能性があると俺は想定したんだ。それで、リオンドールもそろそろ結婚相手を探し始める年齢だ。リオンドールとクランシーは双子だ。好みの女性のタイプが似ている可能性は十分にある。それに、アンバーが王家の血を引いているなら、リオンドールがアンバーを妻に迎え入れようとしても王城の人間は反対しない可能性が高い。クランシーは抵抗するだろうけどな。でも、まさかいきなり王家の人間が庶民として暮らすアンバーを連れていくとは思いにくい。それに、リオンドールの性格を考えると、自分の弟の愛する女性を無理やりに奪うことはしないはずだ。だけど、もしリオンドールとアンバーが後々結婚することになるとしたら、ややこしいことが起きる。アンバーのお腹にはクランシーの子供が宿っているからな。クランシーの瞳は朱色だ。アンバーの瞳の色は琥珀色。前に、圭吾が第一王女様の名前がメイプルだったって言ってただろ?朱色と琥珀色を上手い具合に混ぜれば、まさにその色になる。本当はクランシーの子供だけど、社会的にはリオンドールの娘であり、第一王女ということになる。バットが、どうして第一王女の父親が国王ではなくて牢獄の監守をしていたかを気にしていたの覚えてるか?さっきの記憶の映像が、それに対する答えだと俺は推測する」
圭吾くんがエメラルドの肩で気持ちよさそうに寝息を立てて寝ている。蓮くんがエメラルドの言ったことを、エメラルドの話に遅れないように急いで書いたせいか、いつも以上に字が乱雑になっている。
「でも、それって大丈夫なのか?第一王女様も、クランシーみたいに捨てられるんじゃ…」
「大丈夫だと思うけどな。おそらく国王は既に老衰で死んでる。それに、クランシーを愛そうとしたリオンドールがメイプルを愛さないわけがないと思うんだ」
蓮くんがエメラルドの言葉をノートに連ねていく。
「ウルフ、バットに時間を聞いてくれ」
「ええと…午後六時」
あと2時間。
「ちょっとだけ急ごうか。では、次の記憶をどうぞ」
ズウゥーン…
『名前は』『行ってくる』『愛した』『ご懐妊』『アンバー!』
これは…朝の市場だろうか。酸っぱそうな果実や甘そうな果実が市場に大量に売られていて、子どもを連れた若い女性たちが木で編んだ籠に入れている。市場が並んだ道に沿って立っている家のベランダには、白や黄色、ピンクの大小様々な花が咲き乱れている。太陽の光が眩しい。そよ風が吹くと、花びらが何枚か朝の市場の上を蝶々のように舞った。硬い木をノコギリで切っているような音、金づちで釘を打っているような音、大工らしき若い男の人達の大声で話している声がどこからか聞こえてくる。新しい建物を作っているようで、長い木材を馬に運ばせて朝の市場を、人をかき分けて進んでいく。
あ、リオンドールだ。
おそらく城下町の人々の生活をお忍びで調べに来たのだろう。例の毛布で頭を覆って、長いコートのようなもので全身を包んで、市場にいる人々を確認しながら歩いている。金色の瞳が太陽に反射している。だけど、誰もその瞳がリオンドールのものであることに気付いていない。果物や野菜を手に持った商人たちが、リオンドールに営業している。リオンドールは何かを探すように、毛布の中でその金色の瞳を動かして市場全体を注意深く観察している。リオンドールが王城と城下町の間に掛かる橋の下を流れる河川敷に腰を下ろした。川の水は太陽を反射して、リオンドールの顔を明るく照らしている。
『我が弟よ。何処におるのだ…』
金色の瞳は、弟からの愛情を欲している。権力、名誉、称賛。それら全てを犠牲にしてでも、クランシーからの愛情を欲している。リオンドールは眩しい川の光から目を背けるように、橋の下の河川敷に視線を向けた。おそらく、特に理由はなかったのだろうが、その瞬間、金色の瞳に絶望と驚愕が宿った。リオンドールの視線の先、橋の下の河川敷には、飢えた子供たちが物欲しそうにリオンドールのことを見ていたのだ。破れて今にも風に吹かれてしまいそうな布切れを服の代わりに下半身だけに巻いた少年。あばら骨が浮いていて、影がはっきりと出来ている。立つことが出来ているのは、その少年だけだった。何十人との子供達は、座ることすら出来ずに、うつろな目を真っ青な空に向けている。天国への入り口を一生懸命に探している。リオンドールの身体が、理性よりも先にその少年たちのところに駆けていった。リオンドールがその少年まであと一歩のところで、その少年の瞳から色が失われた。浮き出たあばら骨がもう、動かない。その少年は、市場を見たまま、息絶えた。市場の人間は、誰もその少年に気付いてやることが出来なかった。リオンドールが動かなくなった少年を抱きしめた。少年の瞳孔は、無機質に虚空を見つめている。少年を抱きしめるリオンドールの腕が小刻みに震えている。
『…悪かった』
少年の土のような色の顔に一滴の雫が垂れた。
『陛下』
リオンドールはいつの間にか即位していた。ベールで顔を覆った、15歳くらいの男が王城方面からやってきて、リオンドールの耳元に何かをささやいた。リオンドールの濡れた瞳が、再び絶望を宿した。
『敵国、襲撃…?』
「圭吾がさ、あまりに可哀そうで」
圭吾くんはエメラルドの胸に顔をうずめて、カタカタと震えている。蓮くんがノートに書いてきた『事実』や『推測』を見直している。
「あの様子じゃ、そう簡単に記憶を共有できるとは思えないんだけど…」
「いや、何が起こるかは分からない」
エメラルドが圭吾くんの頭をポンポンしながら、ノートの内容を確認している。
「愛憎って言葉があるだろ。愛ってさ、もの凄く簡単に憎しみに変わってしまうんだ。クランシーも、今はリオンドール皇子を拒絶しているけど…。クランシーは自分を育ててくれたお婆さんを家族として愛している。クランシーは誰よりも家族という存在を欲しているはずなんだ。そこでリオンドール皇子という本当の家族が現れた。本当はクランシーだって、リオンドール皇子を抱きしめたかったんだと思う。でも、本当の家族が自分達を苦しめた。本当の家族を愛してしまえば、自分を愛してくれた人々を裏切ることになる。クランシーの奴、本当は弟として兄を愛したい気持ちを、王族への憎しみで無理やり押し込んでいるんじゃないか?愛を守るために、愛を捨てているんだ…」
蓮くんは、それをノートに書き加えた。
「ウルフ、バットに現実で今何時か聞いてくれるか」
エメラルドに頼まれると、ウルフは目を開けたまま斜め上を見て何回か瞬きをした。
「午後の3時だってよ。眠いのにりこが寝かせてくれないから困ってるっていう愚痴も一緒に交信されてきた」
夕飯まで、あと5時間。記憶の続き、あと二回くらいは見れるかな…。
「圭吾くん、君は記憶を見るのいったんやめておこうか」
圭吾くんはまだエメラルドの胸の中で震えている。圭吾くん自身も、どうすれば震えが収まるのかが分かっていないみたい。エメラルドが圭吾くんを抱っこして、小さい子みたいに背中を叩くと、圭吾くんはあっという間に安心しきった表情で寝てしまった。
「じゃ、続きを見ますか」
ズウゥーン…
『ありがとう』『好きです』『愛してる』『ごめんなさい』『返せ!』
今度は私の知らない女の人の声も含まれていた。とても可憐で、綺麗で、声だけで可愛い女性だろうなということが容易に想像できた。
『クランシー、こっち来てよ』
色白で、黒い髪を朱色のリボンで結んだ18歳くらいの女性が見える。クランシーより頭一個分背が低い。
『待ってくれよ、アンバー』
クランシーは、アンバーという名の女性に手を引かれて、明かりが灯り始めた夜の市場を抜けて、王城と城下町の間に掛かる橋のある方へ連れていかれていく。クランシーは半ば強引に手を引かれているけど、苛立った表情は浮かべていない。むしろ、アンバーの揺れる髪を愛おしそうな眼差しで見つめている。
だんだんと空の色が暗くなり始めて、星がポツポツと夜空に浮かび始めた。夜の市場の灯が、アンバーとクランシーの顔を照らしていく。
『絶対に見ておかないと、死んでも死にきれないよ。クランシー、来て』
『わーかった、わかった』
二人が橋に着いた。橋の下の川は緩やかに流れていて、夜空の星を反射している。天の川が、目の前で流れているようだ。二人が橋の真ん中に立って、夜空を見上げている。
『そろそろかな』
『だな』
二人以外の人も、続々と橋に集まってくる。
『赤戦神さまのお出ましだ!』
橋の上の群衆の中から誰かが叫ぶと、街の明かりがフッとすべて消えた。暗闇が街の人々を包んでいる。
『あー、いた!』
幼稚園児くらいの子が夜空に何かを見つけたようで、短い腕を一生懸命空に伸ばした。街の人々は皆、同じ一つのものを見上げていた。ちょうど橋の真ん中あたりの夜空に浮かぶ、一際明るい赤い星。私、知ってる。この星は…。
『ねえ、クランシー、知ってた?あれ、火の星っていうのよ』
『当然だろ。百年に一度しか夜空に現れない星が今、俺たちの真上にあるんだ。これで俺、明日にでも死ねるわ』
『ばか』
アンバーがクランシーの背中をバシンッと良い音を立てて叩いた。
『火の星って、戦いの神っていう別名も持ってるでしょ?クランシー、あんたの名前にピッタリね』
私も知っているあの星が、二人の瞳を照らしている。
『私、火の星が好きなのよ。クランシーの瞳に似ているから』
赤い星はものの数分で姿を消してしまった。百年に一度、たった数分しか表さない赤い星。だからこそ街の人々はあの星を神格化して崇めているのだろう。私からすれば、峻兄ちゃんの天体図鑑を借りればいつでも見られるけれど、王国の人々にとってはその行為すら恐れ多いものなのかもしれない。
『ねえ、クランシー?』
『お?』
二人は再び明かりの灯り始めた夜の市場を、ゆったりと歩いていた。家に着いてしまうまでの時間を、出来るだけ伸ばそうとしているように見える。
『お腹空いたでしょ。うちに来なよ』
『い、いやー、それは』
『良いの!』
市場を抜けて庶民の住宅が並んだところへたどり着くと、アンバーは自分の家と思しき建物にクランシーを無理やり押し込んだ。クランシーも一応抵抗はしているものの、まんざらでもない顔をしている。私、ママには男を軽い気持ちで家に上げるなって言われてるんだけどな。
アンバーはクランシーを家の中に連れ込むと、木で出来た扉の鍵を閉めた。電気が無いのか、あるいはわざとつけないのか、家の中は暗いまま。窓の外から差し込む、星の極わずかな光のおかげで、至近距離で近づけばお互いの顔を認識できるくらい。
『クランシー、私、18歳だよ?大人になった』
アンバーがクランシーの頬を撫でた。すると、クランシーがアンバーの腰に手を回して優しく口づけをした。…これを記憶しているときの龍の像は恥ずかしくなってこなかったのかな。逃げ出したいけれど、龍の像が見ろというように、視点を全く変えない。
『クランシー、私、あなたのことが好きです』
クランシーがアンバーの両手を掴んで床に押し倒した。待て。私の苦手なジャンルの展開が始まろうとしている気がする。
『アンバー、ありがとう。愛してる』
クランシーがアンバーに深い接吻をすると、アンバーがクランシーの首に腕を回した。待て待て待て、こら、待たんか―い!
「はい、ストップ」
…サファイヤ…ありがとう、助かった。
「待てよ、俺、もっと続きが見たいよ」
「…スケベ野郎」
「違うわ!絶対にアンバーっていう女の人、重要人物だろ。今のうちにアンバーっていう女性がどういう存在なのかをもっと見ておかないと」
サファイヤが目を瞑ったままの蓮くんと揉め始めた。
「そんなに見たいなら、どうぞ、ご自由に」
サファイヤがそういうと、記憶が再び流れてきた。
…モザイク、モザイク、モザイク、誰かモザイクをかけろー!
「だから、言ったろ?もうやめておけって」
蓮くんが顔を真っ赤にして俯いている。サファイヤの忠告に従わなかった気まずさか、あるいは記憶の映像か。
…私は後者だと思う。
でも、龍の像が私たちにあの記憶を遠慮なく見せてきたということは、その記憶が重要なカギになるということだ。
「まさかだけどさ」
圭吾くんを抱っこしたままのエメラルドが、蓮くんにシャーペンを持つように促す。
「俺、さっきの映像を見て思ったんだけど…アンバーは多分クランシーの子供を妊娠する。それで、アンバーっていう人、瞳が琥珀色をしていただろ。金色に茶色を混ぜたような色。アンバーの先祖の誰かが王族の血を引いている可能性があると俺は想定したんだ。それで、リオンドールもそろそろ結婚相手を探し始める年齢だ。リオンドールとクランシーは双子だ。好みの女性のタイプが似ている可能性は十分にある。それに、アンバーが王家の血を引いているなら、リオンドールがアンバーを妻に迎え入れようとしても王城の人間は反対しない可能性が高い。クランシーは抵抗するだろうけどな。でも、まさかいきなり王家の人間が庶民として暮らすアンバーを連れていくとは思いにくい。それに、リオンドールの性格を考えると、自分の弟の愛する女性を無理やりに奪うことはしないはずだ。だけど、もしリオンドールとアンバーが後々結婚することになるとしたら、ややこしいことが起きる。アンバーのお腹にはクランシーの子供が宿っているからな。クランシーの瞳は朱色だ。アンバーの瞳の色は琥珀色。前に、圭吾が第一王女様の名前がメイプルだったって言ってただろ?朱色と琥珀色を上手い具合に混ぜれば、まさにその色になる。本当はクランシーの子供だけど、社会的にはリオンドールの娘であり、第一王女ということになる。バットが、どうして第一王女の父親が国王ではなくて牢獄の監守をしていたかを気にしていたの覚えてるか?さっきの記憶の映像が、それに対する答えだと俺は推測する」
圭吾くんがエメラルドの肩で気持ちよさそうに寝息を立てて寝ている。蓮くんがエメラルドの言ったことを、エメラルドの話に遅れないように急いで書いたせいか、いつも以上に字が乱雑になっている。
「でも、それって大丈夫なのか?第一王女様も、クランシーみたいに捨てられるんじゃ…」
「大丈夫だと思うけどな。おそらく国王は既に老衰で死んでる。それに、クランシーを愛そうとしたリオンドールがメイプルを愛さないわけがないと思うんだ」
蓮くんがエメラルドの言葉をノートに連ねていく。
「ウルフ、バットに時間を聞いてくれ」
「ええと…午後六時」
あと2時間。
「ちょっとだけ急ごうか。では、次の記憶をどうぞ」
ズウゥーン…
『名前は』『行ってくる』『愛した』『ご懐妊』『アンバー!』
これは…朝の市場だろうか。酸っぱそうな果実や甘そうな果実が市場に大量に売られていて、子どもを連れた若い女性たちが木で編んだ籠に入れている。市場が並んだ道に沿って立っている家のベランダには、白や黄色、ピンクの大小様々な花が咲き乱れている。太陽の光が眩しい。そよ風が吹くと、花びらが何枚か朝の市場の上を蝶々のように舞った。硬い木をノコギリで切っているような音、金づちで釘を打っているような音、大工らしき若い男の人達の大声で話している声がどこからか聞こえてくる。新しい建物を作っているようで、長い木材を馬に運ばせて朝の市場を、人をかき分けて進んでいく。
あ、リオンドールだ。
おそらく城下町の人々の生活をお忍びで調べに来たのだろう。例の毛布で頭を覆って、長いコートのようなもので全身を包んで、市場にいる人々を確認しながら歩いている。金色の瞳が太陽に反射している。だけど、誰もその瞳がリオンドールのものであることに気付いていない。果物や野菜を手に持った商人たちが、リオンドールに営業している。リオンドールは何かを探すように、毛布の中でその金色の瞳を動かして市場全体を注意深く観察している。リオンドールが王城と城下町の間に掛かる橋の下を流れる河川敷に腰を下ろした。川の水は太陽を反射して、リオンドールの顔を明るく照らしている。
『我が弟よ。何処におるのだ…』
金色の瞳は、弟からの愛情を欲している。権力、名誉、称賛。それら全てを犠牲にしてでも、クランシーからの愛情を欲している。リオンドールは眩しい川の光から目を背けるように、橋の下の河川敷に視線を向けた。おそらく、特に理由はなかったのだろうが、その瞬間、金色の瞳に絶望と驚愕が宿った。リオンドールの視線の先、橋の下の河川敷には、飢えた子供たちが物欲しそうにリオンドールのことを見ていたのだ。破れて今にも風に吹かれてしまいそうな布切れを服の代わりに下半身だけに巻いた少年。あばら骨が浮いていて、影がはっきりと出来ている。立つことが出来ているのは、その少年だけだった。何十人との子供達は、座ることすら出来ずに、うつろな目を真っ青な空に向けている。天国への入り口を一生懸命に探している。リオンドールの身体が、理性よりも先にその少年たちのところに駆けていった。リオンドールがその少年まであと一歩のところで、その少年の瞳から色が失われた。浮き出たあばら骨がもう、動かない。その少年は、市場を見たまま、息絶えた。市場の人間は、誰もその少年に気付いてやることが出来なかった。リオンドールが動かなくなった少年を抱きしめた。少年の瞳孔は、無機質に虚空を見つめている。少年を抱きしめるリオンドールの腕が小刻みに震えている。
『…悪かった』
少年の土のような色の顔に一滴の雫が垂れた。
『陛下』
リオンドールはいつの間にか即位していた。ベールで顔を覆った、15歳くらいの男が王城方面からやってきて、リオンドールの耳元に何かをささやいた。リオンドールの濡れた瞳が、再び絶望を宿した。
『敵国、襲撃…?』
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線