ズウゥーン…
像が返事するように、地球の底から聞こえてきそうな深い音が聞こえた時、見え始めた。視点は相変わらず、取り壊される前の彫刻の像のようだ。宮殿の5階くらいのベランダに、焦げ茶色の豪華な軍服に身を包んで、堂々と胸を張って宮殿の広場に群集に手を振っている20歳くらいの青年がいるのが見える。金色の瞳。茶髪に何本か金色の毛。それは、間違いなく、双子の片割れのうちの一人だった。群集は国旗と思われる旗を振って、5階にいる皇子を見上げている。何とか一目皇子を見ようと、群衆が押し合いへし合いしている。群集の顔は歓喜に満ちている。王国の将来が、自分達の生活が、金色の瞳をした皇子に委ねられていることに歓喜している。
『リオンドール皇子!』
群集は絶えず皇子の名を叫んでいる。皇子が群衆に微笑んだ。威厳に満ちた表情。
『万歳!リオンドール皇子、万歳!』
群集の歓喜に満ちた声が、王国を揺らす。太陽に照らされて、群衆に歓迎されて、金色の瞳を持った「リオンドール皇子」。彼は、ライオンの顔の勲章を胸に付けていた。ライオンもドラゴンと同じように、聖獣扱いなのかな…。私は群衆の顔を一人一人丁寧に確認した。でも、朱色の瞳は見当たらなかった。いったい、どこにいるんだろう…。
『クランシーや、こっちにおいで』
お婆さんの優しそうな声。「クランシー」が、朱色の瞳のあの赤ちゃんなの?
『はい』
この声、聞き覚えがある…。
視界がぼやけ始めて、群衆の叫び声が遠のいていくと、灰色の土で作られたような四角い空間が見え始めた。今回も、天井から見下ろしている視点。今見えているのは、色々なところにクモの巣が張っている灰色の狭い部屋だった。部屋の隅に、今にも足が折れてしまいそうな低いベッドにお婆さんが横たわっていて、若い青年がお婆さんの手を握っているのが見える。お婆さんは顔色が悪くて、息が浅くなっている。今にも寿命を迎えようとしているようだ。若い青年の後頭部しか見えない。だけど、茶髪に何本か混ざっている朱色の髪。この青年が、あの朱色の瞳の赤ちゃんだった人…。
『クランシーや、わしはもう長くない』
『そんな寂しいことを言わないでよ、お婆さん』
「クランシー」が骨の浮き出たお婆さんの手を両手で優しく包んだ。
『俺、お婆さんと一緒にいたい。一緒に色んな所に旅したいよ』
「クランシー」の声には嗚咽が混ざっている。お婆さんが涙を流しているだろう「クランシー」の顔を撫でる。しわがいっぱいの手で。捨てられた赤子を一人で育て上げた手で。
『わしは朱色の瞳が大好きじゃよ。わしは息子を80年も前に亡くしてな…十分に食べさせてやれなかった。だから、お前が大人になってくれて、本当に心から幸せじゃ。…息子が迎えに来たようじゃの…』
『お婆さん!お婆さん!』
お婆さんは息も絶え絶えに「クランシー」の頭を優しく撫でると、息絶えてしまった。顔には笑みが浮かんでいる。「クランシー」はお婆さんを何度もゆすって、目を覚ましてほしいと叫び続けた。でも、お婆さんがもういなくなってしまったことを受け入れたのか、泣き疲れたのか、溜息をつくと天井を仰いだ。涙が沢山流れた後が見える。朱色の瞳が、涙で潤っている。「クランシー」は、間違いなく「リオンドール皇子」の双子の片割れだ。瞳と髪の色さえ違っていなければ、誰が別人だと信じようか。私は「クランシー」を知っている。声も、顔も、瞳の色も。ウルフが言っていたように、この人は、ウルフたちを守ろうとした、あの男の人だ…。
「みんな、一回休憩しよう」
サファイヤが岩のところへと歩いていく足音がする。ウルフの息遣いが激しくなっている。目を開けると、圭吾くんが一生懸命に背伸びしながらウルフの背中をさすってあげていた。
「みんな、こっち来て」
サファイヤが岩の上でノートを広げて待っている。
「ここでいったん思いついたことがあれば、書き出していこうと思うんだけど」
蓮くんがシャーペンを握ってノートの前に腰を下ろした。目が爛々と光っている。これは、蓮くんが何かに物凄く集中しているときのサインだ。
「朱色の瞳の男が、ウルフたちを助けた男だっていうことは確定だと思う」
全身に力が入らないのかウルフがフラフラと倒れそうに歩いているのを圭吾くんが何とか支えて岩に向かってきている。先にサファイヤと一緒にノートの前で待っていたエメラルドがそれに気づくと、圭吾くんを手伝いに岩を離れた。
『事実③朱色の瞳=ウルフたちを守ろうとした男=クランシー』
『事実④金色の瞳=リオンドール皇子』
蓮くんがノートにその2行を書き終えた頃、ウルフたちが岩に着いた。エメラルドと圭吾くんが、力が抜けて上の空になっているウルフを蓮くんの隣に座らせた。
「ウルフ?」
蓮くんがウルフの目を伺うようにうなだれているウルフの顔を覗き込んだ。ウルフの目の焦点が合っていない。
「もしかしてさ」
エメラルドが再び目から光を発すると、ノートに蓮くんの手とシャーペンの影がにゅっと伸びた。
「ウルフたちを助けた男…朱色の瞳のクランシーっていう人、育ててくれたお婆さんのためにもウルフたちを助けようとしたんじゃないかな」
蓮くんがエメラルドの話していることを『推測③』として書き始めた。
「お婆さん、自分の息子を餓死させてしまったって言い遺しただろ。ウルフとバットも孤児で飢えていた。それにクランシー自身も生まれて間もない頃に餓死していたっておかしくない境遇だ。お婆さんの亡くなった息子のため、そして自分のためにウルフたちを助けたんじゃないか?あの、国王の奴…クランシーの瞳の色を血を連想させるからって忌み嫌っていたけど、クランシー…良いやつじゃないか」
ポタ…
ノートに一滴の雫が落ちた。蓮くんの書いた文字が少し滲んでいる。今までずっと理論的に謎を解き進めてきたエメラルドが、初めて涙を流した。
「ねえ、皆さま。よろしいかしら」
彗星さんが片手は一裕の手を固く握ったまま、スマホの画面を私たちに見せた。
「なんとなく、リオンドールとクランシーの名前の由来が気になって、調べてみましたの。そうしたら、リオンドールは黄金の獅子、クランシーは赤い戦士の息子というのが名前の由来らしいですわ。リオンドール皇子、胸にライオンの勲章を付けていらしたでしょう?ライオンとなるべく名付けられたようなお方ですわね。ライオンが王国でどのような存在だったのかが気になりますわ」
蓮くんは二人の名前の由来を『事実⑤』として書いた。
「俺は知らねーぞ…」
ウルフがうなだれたまま、掠れた低い声で言った。息遣いは穏やかになっていた。
「俺が王国にいた頃に、ライオンが社会的に崇められることはなかった。双子の父親である国王が好きだったからじゃねーのか」
「じゃあ、クランシーっていうのはお婆さんに名付けられた…本当に瞳の色が朱色だからっていう理由なのか…?俺、深く考えすぎか?」
蓮くんの言葉を最後に、皆が黙ってしまった。
コポコポ…
ドーン…
海の呼吸する音だけが沈黙の中、確かにそこにあった。
「…とりあえず、名前の由来は後に残しておこう。まずはもう少し双子の人生の記憶を見てみよう。手がかりが十分にないのに、模索したところでキリがない。サファイヤ、頼んだ」
エメラルドが目を閉じると、黄緑色の光が無くなって、暗くなった。ノートの文字が全く見えない。
「じゃあ、続きを見せるね」
ズウゥーン…
『そなたは大切な跡取りだ、リオンドール』『父上、私に弟がいるというのは誠でございますか』『忘れろ!』『瞳が朱色であることがどうしたいうのですか?!』
これは…国王とリオンドール皇子が揉めている記憶?
リオンドール皇子、クランシーのことを知っている?
ズウゥーン…
海の底に沈んでいくような感覚が私の全身を包んだ。
『父上』
リオンドール皇子と国王が向き合って、ダイヤモンドで出来たような煌びやかな机に座っている。この部屋の広さだけで、家20件は建ちそうだな。ワイン色の絨毯が床一面に敷かれていて、ベージュの壁がその大きな部屋を囲んでいる。地震が来たら絶対に危ない巨大なシャンデリアが、二人の姿を照らしている。国王は初めの記憶で見た頃よりも老けていて、茶髪に白髪が混ざってクリーム色になっている。リオンドール皇子と同じ、金色の瞳。双子のお母さんが朱色の瞳だったのかな?
私は国王一家の肖像画を探した。
あ、あった。
国王が座っているところから数メートル離れたところの壁に、壁の半分は占めている巨大な肖像画が飾られている。その中に、朱色の瞳を持った人はいなかった。
金色の瞳を持った両親から、朱色の瞳を持つ子が生まれた?
『夢で獅子王様からお告げを頂きました』
リオンドール皇子が真面目な顔で国王の瞳の奥を探るように見つめている。クランシーと全く同じの顔で。リオンドール皇子の言葉に国王の顔に緊張が走った。
『獅子王様からとな…何を仰っていた』
リオンドール皇子の胸の勲章が光る。金で出来た、ライオンの勲章。
『私に双子の弟がいると仰っておられました。父上、誠ですか』
国王の金色の眼光がリオンドール皇子を鋭く睨む。
『戯言を申すな。忘れろ』
『獅子王様は常に真実をお示しになります。我が王国の建国神話にもございましょう。獅子王様は、真実を示し裁く神であられた龍王様の弟君にございます』
何かを隠すように部屋を出ていこうとする国王に、リオンドール皇子が道を腕で塞いで詰め寄る。
『父上、我が弟にお会いしたく存じます』
リオンドール皇子の目は真剣だった。
『我が国において、朱色がどのような意味を持つのかを忘れたわけではあるまい』
国王はやはり、頑なにクランシーを認めようとしない。
『朱色は滅ぼしの象徴。そなたも存じておろう。龍王様亡き後、獅子王様が我が国を統治なさっておられた時代、炎に包まれた朱色の隕石が我が国を襲った。獅子王様はご自身の命を差し出し、民の命をお救いになられた。獅子王様は天にお召しになる際、ご子息に王国の将来を託した。我々は、獅子王様の直系の子孫だ。お前のその瞳が、その証拠だ』
国王は声を荒げることもなく、幼子を諭すように話していた。
『…朱色がどうかなさいましたか』
『そなたの双子の弟は、朱色の瞳を持っていた。あやつはいずれ、王の座を狙ってそなたを殺したやもしれぬぞ。リオンドール、そなたは大切な跡取りだ』
リオンドール皇子は、国王を睨みながらワナワナと震えている。怒りの炎が、金色の炎が目の中で盛んに燃えている。
『偶然です。たとえ我が弟が朱色の瞳を持っていたとしても、我が弟は決してそのようなことは致しますまい』
国王が鼻で笑うように言った。
『何故そのように申すことが出来る。気味が悪いとは思わないかね。代々金色の炎を、獅子王様の御遺志を瞳に宿してまいった我々に、突然朱色の瞳を持った子が生まれるとは。悪魔の子に違いあるまい』
バンッ!
リオンドール皇子が机を叩いた。
『瞳が朱色であることが何だと仰るのですか!この世界には、朱色の花が、鳥が、魚が己の色に恥じることなく、正々堂々と輝きを放っております。父上はそれらの命までも、忌み嫌いなさるおつもりですか!ただの色で!』
『…お告げのことは忘れろ』
『私は弟を愛したくございます!』
『忘れろ!』
国王はリオンドール皇子を突き放して、部屋を出て行ってしまった。リオンドール皇子は目を怒りの炎で燃やしたまま、皇子である以上、国王に歯向かうことも出来ず、ただ国王の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「みんな、いったん休憩」
サファイヤの声は、大火事の中に投げ込まれた氷だった。
私はゆっくりと目を開けた。
コポコポ…
ドーン…
「記憶の内容を整理しよう」
蓮くんがシャーペンを握った。
「みんな、何か考えたことは無い?」
サファイヤが皆に意見を伺っている間に、蓮くんが先に夢でのことをノートに書き連ねていた。
『事実④リオンドール皇子はクランシーの存在を獅子王様から聞いて受け入れようとした⇔国王はクランシーを認めない』
『事実⑤朱色は王国では滅ぼしの象徴=クランシーが王族から排除された理由』
シャーペンの芯がノートの上を滑らかに滑っていく。
「俺さ、気になることがある」
ウルフはもう、うなだれていなかった。目は真っすぐ、正面を向いている。クランシーの過去を見る覚悟を決めたようだ。
「どうして獅子王様はリオンドール皇子の夢で、クランシーの存在を仄めかしたんだろう。自分が死ぬきっかけになった朱色の瞳を持つ人間を、俺なら殺したいとまでは思わなくても、受け入れる勇気はない。クランシーを捨てたあの国王、最低な奴だけど、かつて立派な君主の命を奪った色に対して恐怖心を抱いてしまう気持ちはよく分かるんだ」
蓮くんはウルフが話している間、バットが前に書いてくれた【確かめること】リストに、ウルフが気になっていることを書き加えた。
「今のところ、リオンドール皇子とクランシーで記憶を共有しているような描写は無いな」
エメラルドがノートを目で照らしている。
「そろそろ次の記憶を見せようと思う。急がないと、りこちゃんが怪しみ始める。疲れたから寝るって言っても、丸一日眠っていたらさすがに違和感を抱き始めるだろ。たぶん、現実では今頃ちょうどお昼ごろだ。出来れば夕飯までには一度、現実に帰ろうと思う。夕飯の美味しそうな匂いで目が覚めたって誤魔化せるようにな」
私たちはサファイヤに指示されて、再び目を閉じた。
ズウゥーン…
『弟よ』『お前が俺の兄?』『そなたの瞳は美しい』『近寄るな!』『愛したいんだ』
全く同じ声が立て続けに、支離滅裂なことを頭の中で叫んだ。
『龍王様』
リオンドール皇子が私を見上げている。いや、そうか、記憶は像目線だから、リオンドール皇子は像に向かって話しかけているんだ。国王と揉めた後だろうか。リオンドール皇子が少し疲れて見える。
『昨夜、弟君である獅子王様からお告げを頂きました。私に、朱色の瞳を持つ弟がいると』
リオンドール皇子の金色の瞳から、彼がどれだけ真剣にクランシーを受け入れようとしているかが手に取るように分かる。リオンドール皇子が、像の足元に口づけをした。
『龍王様、どうか、獅子王様のお命を奪った命を愛そうとする愚かな私をお許しください』
そう言ってリオンドール皇子は、宮殿の中に何事もなかったかのように入っていった。しばらくすると、見覚えのある毛布で顔を隠した人物が、辺りを注意深く警戒しながら出てきた。顔は暗くてよく見えなかったが、金色のものが奥の方で光っている。リオンドール皇子だ。どこから手に入れたのか、リオンドール皇子はボロボロの庶民服を身にまとっていたが、動作の一挙手一投足が上品で高貴な身分であることが隠しきれていない。リオンドール皇子は衛兵の目をかいくぐって、城下町らしきところへ歩いていった。おそらく、クランシーに会いに。
『おーい、クランシー。運ぶのを手伝ってくれんか』
『任しておきな、おっちゃん』
知らないおじさん声と、リオンドール皇子と全く同じの声がしたかと思うと、私は民宿のような質素だけどなかなかにセンスのある小さな建物を見下ろしていた。
『今回のお客様、荷物を大量に持ってきやがった』
クランシーが60歳くらいのおじいさんと一緒に、大量の荷物を宿に運んでいる。朱色の瞳には、自分が排除された存在であることを知らず、純粋に今の庶民の生活を楽しんでいるようだ。
『いててて、腰が』
『大丈夫かー?』
クランシーが宿泊客だと思われる団体と楽しそうに話している。この人が、いずれ、憎まれ処刑されるなんて。今、楽しそうにしゃべっている人たちに、罵詈雑言を浴びせられながら殺されるなんて…。
『あれ、クランシー、お前に双子の兄弟なんていたか?』
腰を押さえていたおじいさんが、人々で混みあっている市場の方を指さした。
『兄弟?いないけど。俺、お婆さんと二人で暮らしてきたからさ』
クランシーが市場の方に視線を向けた。おじいさんは、宮殿から城下町に続く道を指さしている。まさか…。
『もし、ここに朱色の瞳を持つ者はいないか』
…リオンドール皇子だ。
『なんだ?どっかで見たことのある顔だな』
『お前、俺にそっくりだな!びっくりした』
『生き別れの兄弟じゃないか?』
『まさかー』
クランシーたちがリオンドール皇子を囲んで勝手にしゃべっている。リオンドール皇子がクランシーの朱色の瞳に気が付いた。
『我が…弟よ。獅子王様…お導きに感謝いたします』
『…は?』
瞳と髪の色だけが違う全く同じ顔の人間が、出会ってしまった。
『お前が俺の兄?ふーん、お前は誰に育ててもらったんだ?俺はな、今はもう死んじゃったけどお婆さんに育ててもらったんだ。まあいいや、うちで何か食ってけよ。良いだろ、おっちゃん?』
そう言ってクランシーはリオンドール皇子の手を雑に引いて民宿の中に入っていった。
『お前、名前は何なんだよ』
クランシーはリオンドール皇子を木製の円いテーブルに座らせて、お茶らしきものを準備しながら話しかけた。
『私は…リオンドールだ』
クランシーの手がピタリと止まった。クランシーが目を丸くしてリオンドール皇子を見る。
『お前、獅子王様の名前を付けられたのか?!すっげーな』
クランシーは相手が王国の皇子であることにすら気付かず、コップをリオンドール皇子の前に置いた。コップの中の飲み物が揺れている。
『あれ?その毛布、俺も持ってるぞ』
クランシーはリオンドール皇子の頭を覆っている毛布を見ると、皇子をその部屋に待たせてどこかへ行ってしまった。
『ほらよ。俺がくるまれていたらしい。お婆さんが言っていたんだ』
クランシーが部屋に戻ってきて、リオンドール皇子に渡した。全く同じ毛布。二人が生まれた日の記憶で見た、あの毛布だった。
『…すまなかった!』
手渡された毛布をしばらく黙って眺めていたリオンドール皇子が突然、土下座をするようにクランシーにひれ伏した。顔が汚れることすら厭わず、床に額を付けていた。
『な、な、なんだよ。なんで謝るんだよ』
クランシーは慌てて部屋を見回して、たまたまそこに誰もいないことを確認すると、部屋の扉に鍵をかけた。
『私はそなたの兄だ。獅子王様のお導きでそなたに出会うことが出来た』
『とーにーかく、顔上げろって!』
クランシーがひれ伏すリオンドール皇子の顎を、雑に手で上げた。リオンドール皇子の金色の瞳から涙がとめどなく流れている。
『なんで泣いてんだ?』
クランシーはまだ、目の前の男が自分の兄であることに気付いていない。
クランシーはまだ、自分が王家の血を引いていることを知らない。
『そなたの瞳は美しいではないか。生命の輝きのようではないか』
戸惑った表情のクランシーを、リオンドール皇子がクランシーの目に魅入りながら頬を撫でた。
『すまないことをした…』
リオンドール皇子がクランシーを固く抱きしめた。もう、誰にも、捨てさせないという意思を感じた。涙を流す金色の瞳を、何も知らない朱色の瞳が困惑しながら見ている。
『お前、誰だ。何者だ』
リオンドール皇子がクランシーを抱きしめたまま、真実を明かした。
『私はそなたの兄で、そなたは私の弟だ。そなたと私には、同じ獅子王様の血が流れておる。私は龍獅国の第一皇子、リオンドールだ』
『近寄るな!』
リオンドール皇子が、自分の正体を明かすや否や、クランシーはリオンドール皇子を突き飛ばした。朱色の瞳が、憎しみの炎を宿している。クランシーがリオンドール皇子の髪の毛を引っ張って自分の顔に近づけた。リオンドール皇子の顔が苦悶に歪む。
『弟よ…』
『呼ぶな!俺は王族が大っ嫌いだ!俺を育ててくれたお婆さんの息子は餓死したんだぞ!お前らに一人でも飢えて死んだ子供がいたか!俺らが苦しんでいる間、お前らは楽しそうに生きていたじゃないか!俺が貴様の片割れだと。ふざけるな。どうして俺を捨てた。俺と全く同じ顔をした貴様は、さぞかし裕福に暮らしてきたんだろうな!』
クランシーが掴んでいたリオンドール皇子の頭を乱暴に離した。クランシーの手に、金色の髪の毛が何本か握られている。クランシーの憎しみの炎が、金色の瞳を焼かんとばかりの勢いで睨みつける。
『俺が、自分のずっと大っ嫌いだった王族だったなんて、考えただけで吐き気がする』
そう吐き捨ててクランシーはリオンドール皇子の方を一度も振り替えることなく、部屋を出て行ってしまった。
『龍王様、これは罰なのでしょうか。愚かな私が、弟君のお命を奪った色を愛そうとした罪でしょうか』
リオンドール皇子が地面に伏したまま、手を握りしめている。
『愛したいんだ…私を兄にしてくれないか、弟よ…』
「はい、いったん、やめ」
なんか、ドラマの悲しいシーンのクライマックスで、ママにお風呂に入れって言われたのを思い出した。
像が返事するように、地球の底から聞こえてきそうな深い音が聞こえた時、見え始めた。視点は相変わらず、取り壊される前の彫刻の像のようだ。宮殿の5階くらいのベランダに、焦げ茶色の豪華な軍服に身を包んで、堂々と胸を張って宮殿の広場に群集に手を振っている20歳くらいの青年がいるのが見える。金色の瞳。茶髪に何本か金色の毛。それは、間違いなく、双子の片割れのうちの一人だった。群集は国旗と思われる旗を振って、5階にいる皇子を見上げている。何とか一目皇子を見ようと、群衆が押し合いへし合いしている。群集の顔は歓喜に満ちている。王国の将来が、自分達の生活が、金色の瞳をした皇子に委ねられていることに歓喜している。
『リオンドール皇子!』
群集は絶えず皇子の名を叫んでいる。皇子が群衆に微笑んだ。威厳に満ちた表情。
『万歳!リオンドール皇子、万歳!』
群集の歓喜に満ちた声が、王国を揺らす。太陽に照らされて、群衆に歓迎されて、金色の瞳を持った「リオンドール皇子」。彼は、ライオンの顔の勲章を胸に付けていた。ライオンもドラゴンと同じように、聖獣扱いなのかな…。私は群衆の顔を一人一人丁寧に確認した。でも、朱色の瞳は見当たらなかった。いったい、どこにいるんだろう…。
『クランシーや、こっちにおいで』
お婆さんの優しそうな声。「クランシー」が、朱色の瞳のあの赤ちゃんなの?
『はい』
この声、聞き覚えがある…。
視界がぼやけ始めて、群衆の叫び声が遠のいていくと、灰色の土で作られたような四角い空間が見え始めた。今回も、天井から見下ろしている視点。今見えているのは、色々なところにクモの巣が張っている灰色の狭い部屋だった。部屋の隅に、今にも足が折れてしまいそうな低いベッドにお婆さんが横たわっていて、若い青年がお婆さんの手を握っているのが見える。お婆さんは顔色が悪くて、息が浅くなっている。今にも寿命を迎えようとしているようだ。若い青年の後頭部しか見えない。だけど、茶髪に何本か混ざっている朱色の髪。この青年が、あの朱色の瞳の赤ちゃんだった人…。
『クランシーや、わしはもう長くない』
『そんな寂しいことを言わないでよ、お婆さん』
「クランシー」が骨の浮き出たお婆さんの手を両手で優しく包んだ。
『俺、お婆さんと一緒にいたい。一緒に色んな所に旅したいよ』
「クランシー」の声には嗚咽が混ざっている。お婆さんが涙を流しているだろう「クランシー」の顔を撫でる。しわがいっぱいの手で。捨てられた赤子を一人で育て上げた手で。
『わしは朱色の瞳が大好きじゃよ。わしは息子を80年も前に亡くしてな…十分に食べさせてやれなかった。だから、お前が大人になってくれて、本当に心から幸せじゃ。…息子が迎えに来たようじゃの…』
『お婆さん!お婆さん!』
お婆さんは息も絶え絶えに「クランシー」の頭を優しく撫でると、息絶えてしまった。顔には笑みが浮かんでいる。「クランシー」はお婆さんを何度もゆすって、目を覚ましてほしいと叫び続けた。でも、お婆さんがもういなくなってしまったことを受け入れたのか、泣き疲れたのか、溜息をつくと天井を仰いだ。涙が沢山流れた後が見える。朱色の瞳が、涙で潤っている。「クランシー」は、間違いなく「リオンドール皇子」の双子の片割れだ。瞳と髪の色さえ違っていなければ、誰が別人だと信じようか。私は「クランシー」を知っている。声も、顔も、瞳の色も。ウルフが言っていたように、この人は、ウルフたちを守ろうとした、あの男の人だ…。
「みんな、一回休憩しよう」
サファイヤが岩のところへと歩いていく足音がする。ウルフの息遣いが激しくなっている。目を開けると、圭吾くんが一生懸命に背伸びしながらウルフの背中をさすってあげていた。
「みんな、こっち来て」
サファイヤが岩の上でノートを広げて待っている。
「ここでいったん思いついたことがあれば、書き出していこうと思うんだけど」
蓮くんがシャーペンを握ってノートの前に腰を下ろした。目が爛々と光っている。これは、蓮くんが何かに物凄く集中しているときのサインだ。
「朱色の瞳の男が、ウルフたちを助けた男だっていうことは確定だと思う」
全身に力が入らないのかウルフがフラフラと倒れそうに歩いているのを圭吾くんが何とか支えて岩に向かってきている。先にサファイヤと一緒にノートの前で待っていたエメラルドがそれに気づくと、圭吾くんを手伝いに岩を離れた。
『事実③朱色の瞳=ウルフたちを守ろうとした男=クランシー』
『事実④金色の瞳=リオンドール皇子』
蓮くんがノートにその2行を書き終えた頃、ウルフたちが岩に着いた。エメラルドと圭吾くんが、力が抜けて上の空になっているウルフを蓮くんの隣に座らせた。
「ウルフ?」
蓮くんがウルフの目を伺うようにうなだれているウルフの顔を覗き込んだ。ウルフの目の焦点が合っていない。
「もしかしてさ」
エメラルドが再び目から光を発すると、ノートに蓮くんの手とシャーペンの影がにゅっと伸びた。
「ウルフたちを助けた男…朱色の瞳のクランシーっていう人、育ててくれたお婆さんのためにもウルフたちを助けようとしたんじゃないかな」
蓮くんがエメラルドの話していることを『推測③』として書き始めた。
「お婆さん、自分の息子を餓死させてしまったって言い遺しただろ。ウルフとバットも孤児で飢えていた。それにクランシー自身も生まれて間もない頃に餓死していたっておかしくない境遇だ。お婆さんの亡くなった息子のため、そして自分のためにウルフたちを助けたんじゃないか?あの、国王の奴…クランシーの瞳の色を血を連想させるからって忌み嫌っていたけど、クランシー…良いやつじゃないか」
ポタ…
ノートに一滴の雫が落ちた。蓮くんの書いた文字が少し滲んでいる。今までずっと理論的に謎を解き進めてきたエメラルドが、初めて涙を流した。
「ねえ、皆さま。よろしいかしら」
彗星さんが片手は一裕の手を固く握ったまま、スマホの画面を私たちに見せた。
「なんとなく、リオンドールとクランシーの名前の由来が気になって、調べてみましたの。そうしたら、リオンドールは黄金の獅子、クランシーは赤い戦士の息子というのが名前の由来らしいですわ。リオンドール皇子、胸にライオンの勲章を付けていらしたでしょう?ライオンとなるべく名付けられたようなお方ですわね。ライオンが王国でどのような存在だったのかが気になりますわ」
蓮くんは二人の名前の由来を『事実⑤』として書いた。
「俺は知らねーぞ…」
ウルフがうなだれたまま、掠れた低い声で言った。息遣いは穏やかになっていた。
「俺が王国にいた頃に、ライオンが社会的に崇められることはなかった。双子の父親である国王が好きだったからじゃねーのか」
「じゃあ、クランシーっていうのはお婆さんに名付けられた…本当に瞳の色が朱色だからっていう理由なのか…?俺、深く考えすぎか?」
蓮くんの言葉を最後に、皆が黙ってしまった。
コポコポ…
ドーン…
海の呼吸する音だけが沈黙の中、確かにそこにあった。
「…とりあえず、名前の由来は後に残しておこう。まずはもう少し双子の人生の記憶を見てみよう。手がかりが十分にないのに、模索したところでキリがない。サファイヤ、頼んだ」
エメラルドが目を閉じると、黄緑色の光が無くなって、暗くなった。ノートの文字が全く見えない。
「じゃあ、続きを見せるね」
ズウゥーン…
『そなたは大切な跡取りだ、リオンドール』『父上、私に弟がいるというのは誠でございますか』『忘れろ!』『瞳が朱色であることがどうしたいうのですか?!』
これは…国王とリオンドール皇子が揉めている記憶?
リオンドール皇子、クランシーのことを知っている?
ズウゥーン…
海の底に沈んでいくような感覚が私の全身を包んだ。
『父上』
リオンドール皇子と国王が向き合って、ダイヤモンドで出来たような煌びやかな机に座っている。この部屋の広さだけで、家20件は建ちそうだな。ワイン色の絨毯が床一面に敷かれていて、ベージュの壁がその大きな部屋を囲んでいる。地震が来たら絶対に危ない巨大なシャンデリアが、二人の姿を照らしている。国王は初めの記憶で見た頃よりも老けていて、茶髪に白髪が混ざってクリーム色になっている。リオンドール皇子と同じ、金色の瞳。双子のお母さんが朱色の瞳だったのかな?
私は国王一家の肖像画を探した。
あ、あった。
国王が座っているところから数メートル離れたところの壁に、壁の半分は占めている巨大な肖像画が飾られている。その中に、朱色の瞳を持った人はいなかった。
金色の瞳を持った両親から、朱色の瞳を持つ子が生まれた?
『夢で獅子王様からお告げを頂きました』
リオンドール皇子が真面目な顔で国王の瞳の奥を探るように見つめている。クランシーと全く同じの顔で。リオンドール皇子の言葉に国王の顔に緊張が走った。
『獅子王様からとな…何を仰っていた』
リオンドール皇子の胸の勲章が光る。金で出来た、ライオンの勲章。
『私に双子の弟がいると仰っておられました。父上、誠ですか』
国王の金色の眼光がリオンドール皇子を鋭く睨む。
『戯言を申すな。忘れろ』
『獅子王様は常に真実をお示しになります。我が王国の建国神話にもございましょう。獅子王様は、真実を示し裁く神であられた龍王様の弟君にございます』
何かを隠すように部屋を出ていこうとする国王に、リオンドール皇子が道を腕で塞いで詰め寄る。
『父上、我が弟にお会いしたく存じます』
リオンドール皇子の目は真剣だった。
『我が国において、朱色がどのような意味を持つのかを忘れたわけではあるまい』
国王はやはり、頑なにクランシーを認めようとしない。
『朱色は滅ぼしの象徴。そなたも存じておろう。龍王様亡き後、獅子王様が我が国を統治なさっておられた時代、炎に包まれた朱色の隕石が我が国を襲った。獅子王様はご自身の命を差し出し、民の命をお救いになられた。獅子王様は天にお召しになる際、ご子息に王国の将来を託した。我々は、獅子王様の直系の子孫だ。お前のその瞳が、その証拠だ』
国王は声を荒げることもなく、幼子を諭すように話していた。
『…朱色がどうかなさいましたか』
『そなたの双子の弟は、朱色の瞳を持っていた。あやつはいずれ、王の座を狙ってそなたを殺したやもしれぬぞ。リオンドール、そなたは大切な跡取りだ』
リオンドール皇子は、国王を睨みながらワナワナと震えている。怒りの炎が、金色の炎が目の中で盛んに燃えている。
『偶然です。たとえ我が弟が朱色の瞳を持っていたとしても、我が弟は決してそのようなことは致しますまい』
国王が鼻で笑うように言った。
『何故そのように申すことが出来る。気味が悪いとは思わないかね。代々金色の炎を、獅子王様の御遺志を瞳に宿してまいった我々に、突然朱色の瞳を持った子が生まれるとは。悪魔の子に違いあるまい』
バンッ!
リオンドール皇子が机を叩いた。
『瞳が朱色であることが何だと仰るのですか!この世界には、朱色の花が、鳥が、魚が己の色に恥じることなく、正々堂々と輝きを放っております。父上はそれらの命までも、忌み嫌いなさるおつもりですか!ただの色で!』
『…お告げのことは忘れろ』
『私は弟を愛したくございます!』
『忘れろ!』
国王はリオンドール皇子を突き放して、部屋を出て行ってしまった。リオンドール皇子は目を怒りの炎で燃やしたまま、皇子である以上、国王に歯向かうことも出来ず、ただ国王の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「みんな、いったん休憩」
サファイヤの声は、大火事の中に投げ込まれた氷だった。
私はゆっくりと目を開けた。
コポコポ…
ドーン…
「記憶の内容を整理しよう」
蓮くんがシャーペンを握った。
「みんな、何か考えたことは無い?」
サファイヤが皆に意見を伺っている間に、蓮くんが先に夢でのことをノートに書き連ねていた。
『事実④リオンドール皇子はクランシーの存在を獅子王様から聞いて受け入れようとした⇔国王はクランシーを認めない』
『事実⑤朱色は王国では滅ぼしの象徴=クランシーが王族から排除された理由』
シャーペンの芯がノートの上を滑らかに滑っていく。
「俺さ、気になることがある」
ウルフはもう、うなだれていなかった。目は真っすぐ、正面を向いている。クランシーの過去を見る覚悟を決めたようだ。
「どうして獅子王様はリオンドール皇子の夢で、クランシーの存在を仄めかしたんだろう。自分が死ぬきっかけになった朱色の瞳を持つ人間を、俺なら殺したいとまでは思わなくても、受け入れる勇気はない。クランシーを捨てたあの国王、最低な奴だけど、かつて立派な君主の命を奪った色に対して恐怖心を抱いてしまう気持ちはよく分かるんだ」
蓮くんはウルフが話している間、バットが前に書いてくれた【確かめること】リストに、ウルフが気になっていることを書き加えた。
「今のところ、リオンドール皇子とクランシーで記憶を共有しているような描写は無いな」
エメラルドがノートを目で照らしている。
「そろそろ次の記憶を見せようと思う。急がないと、りこちゃんが怪しみ始める。疲れたから寝るって言っても、丸一日眠っていたらさすがに違和感を抱き始めるだろ。たぶん、現実では今頃ちょうどお昼ごろだ。出来れば夕飯までには一度、現実に帰ろうと思う。夕飯の美味しそうな匂いで目が覚めたって誤魔化せるようにな」
私たちはサファイヤに指示されて、再び目を閉じた。
ズウゥーン…
『弟よ』『お前が俺の兄?』『そなたの瞳は美しい』『近寄るな!』『愛したいんだ』
全く同じ声が立て続けに、支離滅裂なことを頭の中で叫んだ。
『龍王様』
リオンドール皇子が私を見上げている。いや、そうか、記憶は像目線だから、リオンドール皇子は像に向かって話しかけているんだ。国王と揉めた後だろうか。リオンドール皇子が少し疲れて見える。
『昨夜、弟君である獅子王様からお告げを頂きました。私に、朱色の瞳を持つ弟がいると』
リオンドール皇子の金色の瞳から、彼がどれだけ真剣にクランシーを受け入れようとしているかが手に取るように分かる。リオンドール皇子が、像の足元に口づけをした。
『龍王様、どうか、獅子王様のお命を奪った命を愛そうとする愚かな私をお許しください』
そう言ってリオンドール皇子は、宮殿の中に何事もなかったかのように入っていった。しばらくすると、見覚えのある毛布で顔を隠した人物が、辺りを注意深く警戒しながら出てきた。顔は暗くてよく見えなかったが、金色のものが奥の方で光っている。リオンドール皇子だ。どこから手に入れたのか、リオンドール皇子はボロボロの庶民服を身にまとっていたが、動作の一挙手一投足が上品で高貴な身分であることが隠しきれていない。リオンドール皇子は衛兵の目をかいくぐって、城下町らしきところへ歩いていった。おそらく、クランシーに会いに。
『おーい、クランシー。運ぶのを手伝ってくれんか』
『任しておきな、おっちゃん』
知らないおじさん声と、リオンドール皇子と全く同じの声がしたかと思うと、私は民宿のような質素だけどなかなかにセンスのある小さな建物を見下ろしていた。
『今回のお客様、荷物を大量に持ってきやがった』
クランシーが60歳くらいのおじいさんと一緒に、大量の荷物を宿に運んでいる。朱色の瞳には、自分が排除された存在であることを知らず、純粋に今の庶民の生活を楽しんでいるようだ。
『いててて、腰が』
『大丈夫かー?』
クランシーが宿泊客だと思われる団体と楽しそうに話している。この人が、いずれ、憎まれ処刑されるなんて。今、楽しそうにしゃべっている人たちに、罵詈雑言を浴びせられながら殺されるなんて…。
『あれ、クランシー、お前に双子の兄弟なんていたか?』
腰を押さえていたおじいさんが、人々で混みあっている市場の方を指さした。
『兄弟?いないけど。俺、お婆さんと二人で暮らしてきたからさ』
クランシーが市場の方に視線を向けた。おじいさんは、宮殿から城下町に続く道を指さしている。まさか…。
『もし、ここに朱色の瞳を持つ者はいないか』
…リオンドール皇子だ。
『なんだ?どっかで見たことのある顔だな』
『お前、俺にそっくりだな!びっくりした』
『生き別れの兄弟じゃないか?』
『まさかー』
クランシーたちがリオンドール皇子を囲んで勝手にしゃべっている。リオンドール皇子がクランシーの朱色の瞳に気が付いた。
『我が…弟よ。獅子王様…お導きに感謝いたします』
『…は?』
瞳と髪の色だけが違う全く同じ顔の人間が、出会ってしまった。
『お前が俺の兄?ふーん、お前は誰に育ててもらったんだ?俺はな、今はもう死んじゃったけどお婆さんに育ててもらったんだ。まあいいや、うちで何か食ってけよ。良いだろ、おっちゃん?』
そう言ってクランシーはリオンドール皇子の手を雑に引いて民宿の中に入っていった。
『お前、名前は何なんだよ』
クランシーはリオンドール皇子を木製の円いテーブルに座らせて、お茶らしきものを準備しながら話しかけた。
『私は…リオンドールだ』
クランシーの手がピタリと止まった。クランシーが目を丸くしてリオンドール皇子を見る。
『お前、獅子王様の名前を付けられたのか?!すっげーな』
クランシーは相手が王国の皇子であることにすら気付かず、コップをリオンドール皇子の前に置いた。コップの中の飲み物が揺れている。
『あれ?その毛布、俺も持ってるぞ』
クランシーはリオンドール皇子の頭を覆っている毛布を見ると、皇子をその部屋に待たせてどこかへ行ってしまった。
『ほらよ。俺がくるまれていたらしい。お婆さんが言っていたんだ』
クランシーが部屋に戻ってきて、リオンドール皇子に渡した。全く同じ毛布。二人が生まれた日の記憶で見た、あの毛布だった。
『…すまなかった!』
手渡された毛布をしばらく黙って眺めていたリオンドール皇子が突然、土下座をするようにクランシーにひれ伏した。顔が汚れることすら厭わず、床に額を付けていた。
『な、な、なんだよ。なんで謝るんだよ』
クランシーは慌てて部屋を見回して、たまたまそこに誰もいないことを確認すると、部屋の扉に鍵をかけた。
『私はそなたの兄だ。獅子王様のお導きでそなたに出会うことが出来た』
『とーにーかく、顔上げろって!』
クランシーがひれ伏すリオンドール皇子の顎を、雑に手で上げた。リオンドール皇子の金色の瞳から涙がとめどなく流れている。
『なんで泣いてんだ?』
クランシーはまだ、目の前の男が自分の兄であることに気付いていない。
クランシーはまだ、自分が王家の血を引いていることを知らない。
『そなたの瞳は美しいではないか。生命の輝きのようではないか』
戸惑った表情のクランシーを、リオンドール皇子がクランシーの目に魅入りながら頬を撫でた。
『すまないことをした…』
リオンドール皇子がクランシーを固く抱きしめた。もう、誰にも、捨てさせないという意思を感じた。涙を流す金色の瞳を、何も知らない朱色の瞳が困惑しながら見ている。
『お前、誰だ。何者だ』
リオンドール皇子がクランシーを抱きしめたまま、真実を明かした。
『私はそなたの兄で、そなたは私の弟だ。そなたと私には、同じ獅子王様の血が流れておる。私は龍獅国の第一皇子、リオンドールだ』
『近寄るな!』
リオンドール皇子が、自分の正体を明かすや否や、クランシーはリオンドール皇子を突き飛ばした。朱色の瞳が、憎しみの炎を宿している。クランシーがリオンドール皇子の髪の毛を引っ張って自分の顔に近づけた。リオンドール皇子の顔が苦悶に歪む。
『弟よ…』
『呼ぶな!俺は王族が大っ嫌いだ!俺を育ててくれたお婆さんの息子は餓死したんだぞ!お前らに一人でも飢えて死んだ子供がいたか!俺らが苦しんでいる間、お前らは楽しそうに生きていたじゃないか!俺が貴様の片割れだと。ふざけるな。どうして俺を捨てた。俺と全く同じ顔をした貴様は、さぞかし裕福に暮らしてきたんだろうな!』
クランシーが掴んでいたリオンドール皇子の頭を乱暴に離した。クランシーの手に、金色の髪の毛が何本か握られている。クランシーの憎しみの炎が、金色の瞳を焼かんとばかりの勢いで睨みつける。
『俺が、自分のずっと大っ嫌いだった王族だったなんて、考えただけで吐き気がする』
そう吐き捨ててクランシーはリオンドール皇子の方を一度も振り替えることなく、部屋を出て行ってしまった。
『龍王様、これは罰なのでしょうか。愚かな私が、弟君のお命を奪った色を愛そうとした罪でしょうか』
リオンドール皇子が地面に伏したまま、手を握りしめている。
『愛したいんだ…私を兄にしてくれないか、弟よ…』
「はい、いったん、やめ」
なんか、ドラマの悲しいシーンのクライマックスで、ママにお風呂に入れって言われたのを思い出した。
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線