寒い。冷たい。冬のプールの中にいるような感覚が私の全身を刺激する。
「佳奈美、佳奈美」
蓮くんの声。水中から話しているように曇って聞こえる。
「佳奈美さん」
彗星さんの声。
目を開けると、どこまでも透き通るような水色の世界が広がっていた。
「目、覚めた?」
目の前を泳いでいる、自分と同じくらいのサイズの見たことのない魚から蓮くんの声がする。緑色のクマノミみたい。
「俺が皆を魚にしたんだ」
サファイヤの声だけは陸上で話していた時と同じようにはっきりと聞き取れた。あ、そうか。ここは王国だ。
「まずは、皆で海に眠る彫刻から読み取れた記憶を皆と一緒に共有したいんだ」
水色の瞳を持った熱帯魚のような姿のサファイヤが私たちを集めた。圭吾くんとエメラルドは、二人とも銀色と黄緑色のストライプの模様の細身の魚。ウルフは真っ赤なアンコウみたい。彗星さんは、真っ白なクラゲ。一裕は、オレンジと赤が混ざった、楓のような色をしたタツノオトシゴになっていた。下を見ると、深くなるほど群青色が濃くなっていって、地球の中心部まで続いていそうなくらいに深い。今のところ、私たち以外に魚の姿はないけど、蓮くんがあたりを警戒して目をキョロキョロと動かしている。
「食われる心配はするな。俺が記憶を奪っているから」
エメラルドが蓮くんを安心させるように、蓮くんの周りを一周して泳いだ。
「サファイヤ」
アンコウの赤い光がサファイヤの姿を照らしている。
「お前はあの彫刻から何を読み取った」
サファイヤは何も言わなかった。いや、言えずにいた。水の流れる音がコポコポと私たちを包んでいる。エラを水が通っていく感覚が不思議だ。
「読み取れたことだけど」
サファイヤがようやく口を開いた。10分くらいは黙っていた気がする。
「断片的な情報が映像みたいに音声と一緒に見えたんだ。ノートに整理しながら説明した方が良いかも」
「地上に上がるか?」
「いや、」
サファイヤが群青色の底へと泳いでいく。海の底から、透明な球がプヨプヨと形を変えながら浮かんできている。
「結構深いところに、水がない空気の空間があるのを見つけたんだ。その空間に入ってから人間に戻ろう。ノートが濡れずに済むし、そもそも魚姿でノートなんて広げられないからな」
サファイヤの姿が次第に群青色の底へと姿を消していく。
「行こう」
ウルフが暗い底を赤いライトで照らしながらサファイヤに続いていく。
「佳奈美、俺たちも行こう。…魚姿も綺麗だ」
蓮くんがウルフの後を泳いでいく。そういえば私、どんな魚になってるんだろ。
「佳奈美お姉さん、虹色のクマノミみたいで綺麗だね!」
圭吾くんが私の周りをクルクルと泳いでいる。私は手を、いや、ヒレを動かしてみた。水中をゆらゆら踊る光が、私のヒレを赤や青、ピンク、黄色、と様々な色に反射して見える。
「おーい、お前ら」
海の底からウルフが私たちを呼んだ。群青色の海の底。小さなプランクトンが白や黄色に発光しながら、群青色の中を漂っている。海の中は、宇宙みたいだった。
次第に私たちの周りの水の色が群青色になっていく。彗星さんの真っ白なクラゲは、暗い海の中、土星のようだった。
「ここ」
サファイヤが私たちを待っていたのは、海底の地層の一つみたいに横に長く果てしなく広がっている空間だった。地層の幅は、2m弱くらい。群青色も濃くなりすぎて、もはや真っ暗な海の中、その空間は暗いけれど透明で、その空間の中に紫やピンクの彼岸花に似た花がポツポツと生えているのが柔らかく光って見える。そこから、空気の泡がチロチロと湧き出ている。まるで、その空間そのものが一つの生命体のようだ。
「この中で整理しよう」
サファイヤがそういうと、圭吾くんが真っ先に魚姿のまま、その空間に飛び込もうとした。
「ばか!」
アンコウが後ろから叫んで圭吾くんを止めた。圭吾くんのヒレがビクンと揺れた。
「魚のまま空気しかない所に行ったら死ぬぞ。ここで人間の姿に戻ったら、すぐに飛び込め」
サファイヤが先に水中で人間姿になると、慣れた動作で空間に入った。ポコンと少し大きめの泡が、サファイヤが入ったところから湧き出た。空間の中からサファイヤが私たちを手招きしているのが見える。
『おいで』
サファイヤの口がそう動いた。彗星さんと一裕が人間になって、ジタバタしながら何とか空間に入った。圭吾くんが人間に戻ると、エメラルドがほぼ同時に人間姿になって、圭吾くんの手を引いて空間に入った。
「佳奈美」
蓮くんが私の横に並んだ。
「せーのっ」
私はお互いが溺れてしまわないように、手を繋いで空間に飛び込んだ。空気が鼻を通って、体の中に染み込んでいく。懐かしい感じもするけど、水が身体を通っていく感覚が失われたことに違和感を抱いている自分もいた。
「こっち来て、皆」
サファイヤが地層の奥へと歩いていく。地層の壁には、緑色や赤色の宝石の原石みたいな石がところどころ埋まって光っている。サファイヤが歩いていく先に、ちょうど良い高さをした椅子みたいな円いグレーの岩がぼんやりと見える。サファイヤが先にそれに腰を下ろして、私たちを見ている。サファイヤで出来た星に向かって宇宙を歩いている感じ。
「お前、ノートはどこだよ」
岩にたどり着いたウルフがノートを探して岩の後ろや横を見始めた。サファイヤが私たち一人一人の目を丁寧に見つめてから、深呼吸をした。
「ノートには後で整理する。まずは俺が彫刻から読み取った記憶をお前らの中に流し込む。みんな、目閉じて」
私たちは全員、目を閉じた。サファイヤだけは目を開けているようで、何も見えない視界の中、水色の光がぼんやりと中央付近に光っている。
ドーン…
あの日聞いた、サファイヤのホテルのエレベーターが来た時のような深い音が地層に響く。大きな鐘の音みたいに、私たちの心臓に響いてくる。海の底で、ネッシー姿のサファイヤよりもずっと大きな何かが生きているような感じがする。
ドーン…
だんだんと心臓がその音に合わせてゆっくりと拍動するようになった。これが、地球の呼吸音。
「じゃあ、今から見せるね」
真っ暗な夜空にただ一つ光る星のように、サファイヤの声が小さく、でも確かに聞こえた。
『父上様』『大好き』『死ね』『殺せ』『返せ!』
私は思わず目を開いてしまった。映像は見えなかったけれど、4,5人くらいの声が一度に耳の中に流れ込んできた気がする。甘えるような声もあったし、怒鳴り声もあったし、吐き捨てるような声も全部混ざったようなものが、耳の中に流れ込んできた。
「何か、物騒なワードが…」
蓮くんが目をつぶったまま、眉をひそめてうつむいていた。
「第一王女様の声…」
エメラルドが震える圭吾くんを胸に抱き締めていた。
「返…せ…」
一裕の中に父親の人格が姿を現わし始めた。
「一裕」
諭すようなサファイヤの低い掠れた声。
「これが、王国の真実だ。皆、目を閉じて」
私たちは再び目を閉じた。
ドーン…
記憶としての映像が流れるのを待つ間、海の底から深い音が空間を揺らしていく。
ドーン…
見えない何かが、姿を現わそうとしている。
ドーン…
眠っている何かが、今、目覚めようとしている。
ズウゥーン…
私が今までに聞いた中で、一番深くて低い音が頭の中に流れた。
暗い視界に、大きな建物のような白いシルエットが浮かび始めた。輪郭線が曖昧な横に長い白の長方形が、紺色の視界にぼやけて見える。水の跳ねる音だけがする。サファイヤが私たちを連れてきてくれた空気の空間の中は、さっきまでは、確かに春の空気みたいに暖かくて優しかったのに。冷たくて乾いた空気が全身の肌を突き刺している。だんだんと視界が明確になってきた。白い長方形だと思っていたものは、大理石で造られた宮殿だった。深い紫色をした立派な岩で出来た巨大な門を中心に、その宮殿は左右対称に造られている。私が今見ているのは、誰目線の記憶なのだろう。ウルフたちが言っていた、真実を示し裁く像と言われていたドラゴンの彫刻目線なのだろうか。上空から宮殿を見下ろしているような視界。宮殿は草原の中に厳かに佇んでいる。エメラルドの瞳に似た色の草原が、冷たい風に寂しく揺られている。漆黒の大理石に水晶で出来た花の装飾が施された噴水。噴水の水が、音も立てずに夜空に浮かぶいくつかの星の光を反射して僅かに揺れている。宮殿の一室だけから、黄色い光が眩しく放たれている。誰かが宮殿の中にいるのだろうか。その他の部屋は電気が消えていて暗い。夜空の一部分になっているように見える。ただその一室だけが、黄色い満月の月みたいに明るく輝いている。
キラ…
宮殿の真上に、突如として二つの星が光った。一つは朱色の星。もう一つは金色の星。二つの星が夜空に生まれたその瞬間、宮殿の中から沢山の人の声が聞こえ始めた。赤ちゃんの泣き声がする。
『男児でございます、陛下』
『よくやった、これで王国の未来は安泰だ』
50歳くらいのおばさんの声と30歳くらいの男の人の重厚な声。何かを盛大に祝っている。もしかして、この宮殿、王城…?
『なんということだ!』
さっきの男の人の声。祝福の雰囲気が打って変わって、悲痛の雰囲気に包まれ始めた。
『双子だと?!不吉な…』
若い女性の泣き声がする。誰かに許しを請うような声。それに国王と思われる男の人が罵詈雑言を浴びせている。いったい、宮殿の中で何が行われているのだろう。気になる、でも身体が全く動かなくてもどかしい。そう思った時、気づいたら私は王城の一室のような豪華な部屋を天井から見下ろしていた。大人3人は寝れそうな広いベッドに20代くらいの若い女の人が涙を流しながら、許しを請うように30代くらいの筋肉質で身体が大きな男の人にすがりついている。その男の人は、まさに絢爛豪華な、という言葉が似合う宝石が散りばめられた軍服のようなものを身に付けている。
『お許しくださいませ、陛下!どうか二人の命だけは…』
『ならん!』
男の人が女の人の顔を勢いよく殴った。女の人がベッドに倒れ込む。鼻血が純白のベッドを赤く染めていく。女の人が力の入らない腕をガクガクと震えさせながら、必死にある方向へ伸ばしていた。
『息子よ…母を許し給え』
女の人が涙を濁流のように流して見ている先には、朱色の瞳を持った男の赤ちゃんと、金色の瞳を持った男の赤ちゃんが柔らかそうな毛布に包まれて柵のある木で出来たベッドの中で泣いている。男の人が朱色の瞳の赤ちゃんに近づいていく。
『こいつを捨てろ。殺せ』
男の人がベッドの近くに立っていた侍従らしきおばさんに、その赤ちゃんを雑に投げた。
『朱色の瞳とは…血を思い起こさせる。平和な我が王国には不適切な存在だ』
男の人は冷酷に言い放った。侍従が毛布の中で泣いている赤ちゃんを連れて部屋を出ていく。
『行かないで!』
母親と思われる女の人が、鼻血を出したまま床を這って赤ちゃんを取り戻そうとした。対して、父親と思われる男はあまりに残酷だった。女の人の手を固そうな靴で踏みつけると、部屋を出ていくもう一人の息子に冷たく言い放った。
『死ね』
あ、これ、私が初めて聞いたいくつかの言葉の中に入っていた…。
「みんな、一回目を開けてみて」
サファイヤの低くて静かな声。目の前で可愛い赤ちゃんが親の手によって葬られようとしている場面を、ただ見守ることしか出来ず動悸が激しくなってきたころ、サファイヤの声を聞いて少しだけ安心した。周りの空気が暖かい。海の中にいるなんて、完全に忘れてしまうくらいに空気が私を優しく包んでいる。私はゆっくりと目を開けた。みんながサファイヤの水色に光る眼を神妙な面持ちで見ている。
「僕、あの人達、知らない」
圭吾くんがエメラルドの手を固く握りながら、足元に視線を落としている。
「サファイヤ、俺たちが今見たことが、王城内部で起きていたということか?」
サファイヤがエメラルドの目をしっかりと見つめながら、しっかりと、静かに頷いた。
「俺…」
普段は冷静沈着なウルフの手がカタカタと震えている。足に力が入らないのか、膝が震えて今にも倒れてしまいそうだ。
「…ウルフ、俺の隣に座れ」
サファイヤがウルフの手を引いて、自分の隣に座らせた。ウルフは岩に腰を下ろした後も、額に油汗をかいて、苦しそうに呼吸している。
「ウルフ、何か心当たりがあるのか?」
サファイヤが隣に座ってウルフの背中を優しくさすると、ウルフは少し落ち着いたのか、呼吸が安定してきた。
「俺、あの朱色の瞳、知っている。俺とバットを守ろうとして、俺たちと一緒に処刑された、あの牢獄の監守だ…あの人も朱色の瞳だった」
それなら、あの赤ちゃんはあの時死なずに済んで、大人になったってこと…?
ウルフたちを守ろうとした人は、本当は王族だった…?
「じゃあ、俺たちがここに来る前に立てていた、ウルフとバットを守ろうとした男が実は第一王女様だったっていう仮説は、間違っていたということか。あの赤ん坊が捨てられた後、拾われたか何かで無事に大人になれたとしても、捨てられた時点で庶民になり下がるわけだから、王族の女性と結婚して子供を作るなんてことは到底考えにくい」
エメラルドが圭吾くんを連れてサファイヤの隣に腰を下ろすと、ふーっと長い息を吐いた。
「ウルフの仮説、俺、結構納得してたんだけどな…」
エメラルドが彗星さんの隣にいる一裕に視線を向けた。一裕は髪の毛を逆立たせながら何度も楓の名前を呼んでいて、彗星さんがそれを抱きしめて何とか落ち着かせている。
「一裕が、ウルフたちを助けた男であることに間違いはない。サファイヤが見せてくれた記憶から考えれば、その男は王国の皇子の双子の兄弟ってことになる。第一王女様の死に対する怒りの記憶が今の一裕に流れているかもってウルフは言っていた。でも、男は生まれて間もなく捨てられた。自分が王族の血を引いていることも知らずに育ったはずだ。それなら、姪である第一王女様の死も、そこまで悲しみはしなかったはずじゃ…」
「いや俺さ」
蓮くんがエメラルドの言葉を遮った。目を固く瞑っている。サファイヤに見せられた記憶を、もう一度見返しているようだった。
「俺の友達に、一卵性双生児の奴らがいるんだけど、一卵性双生児って遺伝子的には同一人物なんだ。そのせいか、双子の片割れが実際に経験したことじゃなくても、もう片方が経験したことが記憶として覚えていることが少なくないらしいんだ。医学的な実験もされていて、理由は分からないらしいけど、でも実際にそういうことが起こってるらしいんだ。もし、ウルフたちを助けた朱色の瞳の男と、王国の正式な皇子で後に第一王女様の父親となる金色の瞳の男が一卵性双生児なら、第一王女様の死に対して、朱色の瞳の男も父親としての怒りを覚えた可能性はあるんじゃないかって思う。だとしたら、ウルフの仮説は完全には間違っていない」
サファイヤがどこから取り出したのか、知らない間にノートを自分とウルフの間に広げて新しいページを開けて置いていた。「みんな、今、頭がこんがらがってると思うから、俺が皆に見せた記憶と新たな仮説を順番に整理していこう」
サファイヤが岩の上に広げたノートに、蓮くんがジャケットの胸ポケットから出したシャーペンで、彫刻の瞳に眠っていた記憶のことを整理し始めた。サファイヤが初めに腰かけていて、蓮くんが今机にしているその岩は、2畳半くらいの広さで少し歪な円形をしていた。
ノートに箇条書きで何か書いているのを彗星さんと一裕が蓮くんの隣で二人並んでノートの中身を覗き込む。二人の手はお互いに固く握りあっている。サファイヤが蓮くんの後ろに立って、ノートの内容を確認している。ウルフは唇が白くなるくらいに強く噛みしめて、両手の手汗を握ったまま、私たちから少し離れたところで地面に脚を伸ばしてうなだれるように座り込んでいる。エメラルドと手を繋いでいた圭吾くんが、ウルフの様子がいつもと違うことに気が付くと、ウルフを後ろから抱きしめた。ウルフは圭吾くんの手首を、大きくて色の白い手で優しく、強く、握っている。
「蓮、暗いだろ」
そう言ってエメラルドは蓮くんがいるところとは反対側の岩に立つと、両目から薄い黄緑色の光を放った。てっきりLEDのような眩しい光だと思っていたけれど、むしろ蛍光灯のように優しくて穏やかな光だった。ノートと蓮くんの顔が光に照らされて黄緑色になっている。
「佳奈美さん、ここにおいで」
私はエメラルドの隣に立って、ノートの中身を呼んだ。エメラルドがライトの役割を果たしてくれているおかげで、何とか蓮くんの少し雑な文字を逆さまからでも解読することが出来た。
『事実②王国でかつて、双子が生まれた。金色の瞳と朱色の瞳で、後者が王族から排除された。』
『推測①朱色の瞳の男児は、ウルフたちを守って処刑された?=ウルフたちを守った男には王族の血が流れていた?』
『推測②金色の瞳の男児と朱色の瞳の男児は一卵性双生児だった?→一裕の怒り記憶を解き明かすカギ』
蓮くんは一通り書き終えると、サファイヤに記入漏れが無いかを確認した。サファイヤはもう一度ノートの内容を確認するように開かれたページの隅々を見ると、首を縦に振った。
「サファイヤ、もっと記憶を見ることは出来ないのか?手がかりが少なすぎる」
エメラルドはノートを覗き込む皆の顔を黄緑色に照らしたまま、視線はノートの文字に向けてサファイヤに尋ねた。
「そもそもサファイヤ、例の像はどこにあるんだ」
サファイヤは立ち上がると、岩を離れて空気の層と海中の境目のところまで歩いていくと、そこで立ち止まって、海の底を指さした。ウルフはまだ地面に座り込んでうなだれている。圭吾くんがその隣で、サファイヤが指さす方向を見ている。
「あそこ」
私はサファイヤがいるところまで行って、サファイヤが指さす先を見た。漆黒のような深い群青色の中、バスケットボールくらいの大きさの球が二つ、夜の街灯みたいに曖昧に光っているのが見えた。よく目を凝らすと、石膏のようなもので出来た大きなものが光の球のおかげで辛うじて見える。
「あれが…?」
サファイヤが岩のところにいたメンバーを手招きした。
「そう、あれ。暗くてよく見えないけど、あれがウルフたちの言っていた、真実を示し裁く像。本来なら10mくらいの高さだったんだろうけど、彫刻の身体が粉々に砕かれていたんだ。自然に腐敗したからなのか人為的なのかは断定できないけど、頭部だけが綺麗に残っていたんだ」
「サファイヤ…」
ウルフの掠れた声がサファイヤの後ろからした。ウルフはいつの間にか圭吾くんと手を繋いで、自分より少し背の低いサファイヤの肩越しに深海に光る像の目を見ていた。
「記憶を呼んでくれ。そして、それを俺にも見せてくれ。俺、知らないといけない。俺を命を懸けて救おうとしてくれたあの人の人生を」
ウルフの声は震えていた。泣き出しそうにも不安と戦っているようにも、覚悟を決めているようにも聞こえた。
「俺、もう先の記憶も読んであるんだ。…見るか?みんな」
私たちは皆、目を閉じた。
「いくよ?」
ズウゥーン…
目は閉じていたけれど、海の底で、龍の像の目に光が宿ったような気がした。
『リオンドール皇子様!万歳!万歳!』『クランシーや、こっちにおいで』『そなたは大切な跡取りだ、リオンドール』
サファイヤが見せてくれる記憶は、どうやら声だけのものから始まるらしい。
コポコポ…
空気の層の外を水が流れていく音。
真実を示し裁く像よ、私たちに見せてください。王国の真実を。
「佳奈美、佳奈美」
蓮くんの声。水中から話しているように曇って聞こえる。
「佳奈美さん」
彗星さんの声。
目を開けると、どこまでも透き通るような水色の世界が広がっていた。
「目、覚めた?」
目の前を泳いでいる、自分と同じくらいのサイズの見たことのない魚から蓮くんの声がする。緑色のクマノミみたい。
「俺が皆を魚にしたんだ」
サファイヤの声だけは陸上で話していた時と同じようにはっきりと聞き取れた。あ、そうか。ここは王国だ。
「まずは、皆で海に眠る彫刻から読み取れた記憶を皆と一緒に共有したいんだ」
水色の瞳を持った熱帯魚のような姿のサファイヤが私たちを集めた。圭吾くんとエメラルドは、二人とも銀色と黄緑色のストライプの模様の細身の魚。ウルフは真っ赤なアンコウみたい。彗星さんは、真っ白なクラゲ。一裕は、オレンジと赤が混ざった、楓のような色をしたタツノオトシゴになっていた。下を見ると、深くなるほど群青色が濃くなっていって、地球の中心部まで続いていそうなくらいに深い。今のところ、私たち以外に魚の姿はないけど、蓮くんがあたりを警戒して目をキョロキョロと動かしている。
「食われる心配はするな。俺が記憶を奪っているから」
エメラルドが蓮くんを安心させるように、蓮くんの周りを一周して泳いだ。
「サファイヤ」
アンコウの赤い光がサファイヤの姿を照らしている。
「お前はあの彫刻から何を読み取った」
サファイヤは何も言わなかった。いや、言えずにいた。水の流れる音がコポコポと私たちを包んでいる。エラを水が通っていく感覚が不思議だ。
「読み取れたことだけど」
サファイヤがようやく口を開いた。10分くらいは黙っていた気がする。
「断片的な情報が映像みたいに音声と一緒に見えたんだ。ノートに整理しながら説明した方が良いかも」
「地上に上がるか?」
「いや、」
サファイヤが群青色の底へと泳いでいく。海の底から、透明な球がプヨプヨと形を変えながら浮かんできている。
「結構深いところに、水がない空気の空間があるのを見つけたんだ。その空間に入ってから人間に戻ろう。ノートが濡れずに済むし、そもそも魚姿でノートなんて広げられないからな」
サファイヤの姿が次第に群青色の底へと姿を消していく。
「行こう」
ウルフが暗い底を赤いライトで照らしながらサファイヤに続いていく。
「佳奈美、俺たちも行こう。…魚姿も綺麗だ」
蓮くんがウルフの後を泳いでいく。そういえば私、どんな魚になってるんだろ。
「佳奈美お姉さん、虹色のクマノミみたいで綺麗だね!」
圭吾くんが私の周りをクルクルと泳いでいる。私は手を、いや、ヒレを動かしてみた。水中をゆらゆら踊る光が、私のヒレを赤や青、ピンク、黄色、と様々な色に反射して見える。
「おーい、お前ら」
海の底からウルフが私たちを呼んだ。群青色の海の底。小さなプランクトンが白や黄色に発光しながら、群青色の中を漂っている。海の中は、宇宙みたいだった。
次第に私たちの周りの水の色が群青色になっていく。彗星さんの真っ白なクラゲは、暗い海の中、土星のようだった。
「ここ」
サファイヤが私たちを待っていたのは、海底の地層の一つみたいに横に長く果てしなく広がっている空間だった。地層の幅は、2m弱くらい。群青色も濃くなりすぎて、もはや真っ暗な海の中、その空間は暗いけれど透明で、その空間の中に紫やピンクの彼岸花に似た花がポツポツと生えているのが柔らかく光って見える。そこから、空気の泡がチロチロと湧き出ている。まるで、その空間そのものが一つの生命体のようだ。
「この中で整理しよう」
サファイヤがそういうと、圭吾くんが真っ先に魚姿のまま、その空間に飛び込もうとした。
「ばか!」
アンコウが後ろから叫んで圭吾くんを止めた。圭吾くんのヒレがビクンと揺れた。
「魚のまま空気しかない所に行ったら死ぬぞ。ここで人間の姿に戻ったら、すぐに飛び込め」
サファイヤが先に水中で人間姿になると、慣れた動作で空間に入った。ポコンと少し大きめの泡が、サファイヤが入ったところから湧き出た。空間の中からサファイヤが私たちを手招きしているのが見える。
『おいで』
サファイヤの口がそう動いた。彗星さんと一裕が人間になって、ジタバタしながら何とか空間に入った。圭吾くんが人間に戻ると、エメラルドがほぼ同時に人間姿になって、圭吾くんの手を引いて空間に入った。
「佳奈美」
蓮くんが私の横に並んだ。
「せーのっ」
私はお互いが溺れてしまわないように、手を繋いで空間に飛び込んだ。空気が鼻を通って、体の中に染み込んでいく。懐かしい感じもするけど、水が身体を通っていく感覚が失われたことに違和感を抱いている自分もいた。
「こっち来て、皆」
サファイヤが地層の奥へと歩いていく。地層の壁には、緑色や赤色の宝石の原石みたいな石がところどころ埋まって光っている。サファイヤが歩いていく先に、ちょうど良い高さをした椅子みたいな円いグレーの岩がぼんやりと見える。サファイヤが先にそれに腰を下ろして、私たちを見ている。サファイヤで出来た星に向かって宇宙を歩いている感じ。
「お前、ノートはどこだよ」
岩にたどり着いたウルフがノートを探して岩の後ろや横を見始めた。サファイヤが私たち一人一人の目を丁寧に見つめてから、深呼吸をした。
「ノートには後で整理する。まずは俺が彫刻から読み取った記憶をお前らの中に流し込む。みんな、目閉じて」
私たちは全員、目を閉じた。サファイヤだけは目を開けているようで、何も見えない視界の中、水色の光がぼんやりと中央付近に光っている。
ドーン…
あの日聞いた、サファイヤのホテルのエレベーターが来た時のような深い音が地層に響く。大きな鐘の音みたいに、私たちの心臓に響いてくる。海の底で、ネッシー姿のサファイヤよりもずっと大きな何かが生きているような感じがする。
ドーン…
だんだんと心臓がその音に合わせてゆっくりと拍動するようになった。これが、地球の呼吸音。
「じゃあ、今から見せるね」
真っ暗な夜空にただ一つ光る星のように、サファイヤの声が小さく、でも確かに聞こえた。
『父上様』『大好き』『死ね』『殺せ』『返せ!』
私は思わず目を開いてしまった。映像は見えなかったけれど、4,5人くらいの声が一度に耳の中に流れ込んできた気がする。甘えるような声もあったし、怒鳴り声もあったし、吐き捨てるような声も全部混ざったようなものが、耳の中に流れ込んできた。
「何か、物騒なワードが…」
蓮くんが目をつぶったまま、眉をひそめてうつむいていた。
「第一王女様の声…」
エメラルドが震える圭吾くんを胸に抱き締めていた。
「返…せ…」
一裕の中に父親の人格が姿を現わし始めた。
「一裕」
諭すようなサファイヤの低い掠れた声。
「これが、王国の真実だ。皆、目を閉じて」
私たちは再び目を閉じた。
ドーン…
記憶としての映像が流れるのを待つ間、海の底から深い音が空間を揺らしていく。
ドーン…
見えない何かが、姿を現わそうとしている。
ドーン…
眠っている何かが、今、目覚めようとしている。
ズウゥーン…
私が今までに聞いた中で、一番深くて低い音が頭の中に流れた。
暗い視界に、大きな建物のような白いシルエットが浮かび始めた。輪郭線が曖昧な横に長い白の長方形が、紺色の視界にぼやけて見える。水の跳ねる音だけがする。サファイヤが私たちを連れてきてくれた空気の空間の中は、さっきまでは、確かに春の空気みたいに暖かくて優しかったのに。冷たくて乾いた空気が全身の肌を突き刺している。だんだんと視界が明確になってきた。白い長方形だと思っていたものは、大理石で造られた宮殿だった。深い紫色をした立派な岩で出来た巨大な門を中心に、その宮殿は左右対称に造られている。私が今見ているのは、誰目線の記憶なのだろう。ウルフたちが言っていた、真実を示し裁く像と言われていたドラゴンの彫刻目線なのだろうか。上空から宮殿を見下ろしているような視界。宮殿は草原の中に厳かに佇んでいる。エメラルドの瞳に似た色の草原が、冷たい風に寂しく揺られている。漆黒の大理石に水晶で出来た花の装飾が施された噴水。噴水の水が、音も立てずに夜空に浮かぶいくつかの星の光を反射して僅かに揺れている。宮殿の一室だけから、黄色い光が眩しく放たれている。誰かが宮殿の中にいるのだろうか。その他の部屋は電気が消えていて暗い。夜空の一部分になっているように見える。ただその一室だけが、黄色い満月の月みたいに明るく輝いている。
キラ…
宮殿の真上に、突如として二つの星が光った。一つは朱色の星。もう一つは金色の星。二つの星が夜空に生まれたその瞬間、宮殿の中から沢山の人の声が聞こえ始めた。赤ちゃんの泣き声がする。
『男児でございます、陛下』
『よくやった、これで王国の未来は安泰だ』
50歳くらいのおばさんの声と30歳くらいの男の人の重厚な声。何かを盛大に祝っている。もしかして、この宮殿、王城…?
『なんということだ!』
さっきの男の人の声。祝福の雰囲気が打って変わって、悲痛の雰囲気に包まれ始めた。
『双子だと?!不吉な…』
若い女性の泣き声がする。誰かに許しを請うような声。それに国王と思われる男の人が罵詈雑言を浴びせている。いったい、宮殿の中で何が行われているのだろう。気になる、でも身体が全く動かなくてもどかしい。そう思った時、気づいたら私は王城の一室のような豪華な部屋を天井から見下ろしていた。大人3人は寝れそうな広いベッドに20代くらいの若い女の人が涙を流しながら、許しを請うように30代くらいの筋肉質で身体が大きな男の人にすがりついている。その男の人は、まさに絢爛豪華な、という言葉が似合う宝石が散りばめられた軍服のようなものを身に付けている。
『お許しくださいませ、陛下!どうか二人の命だけは…』
『ならん!』
男の人が女の人の顔を勢いよく殴った。女の人がベッドに倒れ込む。鼻血が純白のベッドを赤く染めていく。女の人が力の入らない腕をガクガクと震えさせながら、必死にある方向へ伸ばしていた。
『息子よ…母を許し給え』
女の人が涙を濁流のように流して見ている先には、朱色の瞳を持った男の赤ちゃんと、金色の瞳を持った男の赤ちゃんが柔らかそうな毛布に包まれて柵のある木で出来たベッドの中で泣いている。男の人が朱色の瞳の赤ちゃんに近づいていく。
『こいつを捨てろ。殺せ』
男の人がベッドの近くに立っていた侍従らしきおばさんに、その赤ちゃんを雑に投げた。
『朱色の瞳とは…血を思い起こさせる。平和な我が王国には不適切な存在だ』
男の人は冷酷に言い放った。侍従が毛布の中で泣いている赤ちゃんを連れて部屋を出ていく。
『行かないで!』
母親と思われる女の人が、鼻血を出したまま床を這って赤ちゃんを取り戻そうとした。対して、父親と思われる男はあまりに残酷だった。女の人の手を固そうな靴で踏みつけると、部屋を出ていくもう一人の息子に冷たく言い放った。
『死ね』
あ、これ、私が初めて聞いたいくつかの言葉の中に入っていた…。
「みんな、一回目を開けてみて」
サファイヤの低くて静かな声。目の前で可愛い赤ちゃんが親の手によって葬られようとしている場面を、ただ見守ることしか出来ず動悸が激しくなってきたころ、サファイヤの声を聞いて少しだけ安心した。周りの空気が暖かい。海の中にいるなんて、完全に忘れてしまうくらいに空気が私を優しく包んでいる。私はゆっくりと目を開けた。みんながサファイヤの水色に光る眼を神妙な面持ちで見ている。
「僕、あの人達、知らない」
圭吾くんがエメラルドの手を固く握りながら、足元に視線を落としている。
「サファイヤ、俺たちが今見たことが、王城内部で起きていたということか?」
サファイヤがエメラルドの目をしっかりと見つめながら、しっかりと、静かに頷いた。
「俺…」
普段は冷静沈着なウルフの手がカタカタと震えている。足に力が入らないのか、膝が震えて今にも倒れてしまいそうだ。
「…ウルフ、俺の隣に座れ」
サファイヤがウルフの手を引いて、自分の隣に座らせた。ウルフは岩に腰を下ろした後も、額に油汗をかいて、苦しそうに呼吸している。
「ウルフ、何か心当たりがあるのか?」
サファイヤが隣に座ってウルフの背中を優しくさすると、ウルフは少し落ち着いたのか、呼吸が安定してきた。
「俺、あの朱色の瞳、知っている。俺とバットを守ろうとして、俺たちと一緒に処刑された、あの牢獄の監守だ…あの人も朱色の瞳だった」
それなら、あの赤ちゃんはあの時死なずに済んで、大人になったってこと…?
ウルフたちを守ろうとした人は、本当は王族だった…?
「じゃあ、俺たちがここに来る前に立てていた、ウルフとバットを守ろうとした男が実は第一王女様だったっていう仮説は、間違っていたということか。あの赤ん坊が捨てられた後、拾われたか何かで無事に大人になれたとしても、捨てられた時点で庶民になり下がるわけだから、王族の女性と結婚して子供を作るなんてことは到底考えにくい」
エメラルドが圭吾くんを連れてサファイヤの隣に腰を下ろすと、ふーっと長い息を吐いた。
「ウルフの仮説、俺、結構納得してたんだけどな…」
エメラルドが彗星さんの隣にいる一裕に視線を向けた。一裕は髪の毛を逆立たせながら何度も楓の名前を呼んでいて、彗星さんがそれを抱きしめて何とか落ち着かせている。
「一裕が、ウルフたちを助けた男であることに間違いはない。サファイヤが見せてくれた記憶から考えれば、その男は王国の皇子の双子の兄弟ってことになる。第一王女様の死に対する怒りの記憶が今の一裕に流れているかもってウルフは言っていた。でも、男は生まれて間もなく捨てられた。自分が王族の血を引いていることも知らずに育ったはずだ。それなら、姪である第一王女様の死も、そこまで悲しみはしなかったはずじゃ…」
「いや俺さ」
蓮くんがエメラルドの言葉を遮った。目を固く瞑っている。サファイヤに見せられた記憶を、もう一度見返しているようだった。
「俺の友達に、一卵性双生児の奴らがいるんだけど、一卵性双生児って遺伝子的には同一人物なんだ。そのせいか、双子の片割れが実際に経験したことじゃなくても、もう片方が経験したことが記憶として覚えていることが少なくないらしいんだ。医学的な実験もされていて、理由は分からないらしいけど、でも実際にそういうことが起こってるらしいんだ。もし、ウルフたちを助けた朱色の瞳の男と、王国の正式な皇子で後に第一王女様の父親となる金色の瞳の男が一卵性双生児なら、第一王女様の死に対して、朱色の瞳の男も父親としての怒りを覚えた可能性はあるんじゃないかって思う。だとしたら、ウルフの仮説は完全には間違っていない」
サファイヤがどこから取り出したのか、知らない間にノートを自分とウルフの間に広げて新しいページを開けて置いていた。「みんな、今、頭がこんがらがってると思うから、俺が皆に見せた記憶と新たな仮説を順番に整理していこう」
サファイヤが岩の上に広げたノートに、蓮くんがジャケットの胸ポケットから出したシャーペンで、彫刻の瞳に眠っていた記憶のことを整理し始めた。サファイヤが初めに腰かけていて、蓮くんが今机にしているその岩は、2畳半くらいの広さで少し歪な円形をしていた。
ノートに箇条書きで何か書いているのを彗星さんと一裕が蓮くんの隣で二人並んでノートの中身を覗き込む。二人の手はお互いに固く握りあっている。サファイヤが蓮くんの後ろに立って、ノートの内容を確認している。ウルフは唇が白くなるくらいに強く噛みしめて、両手の手汗を握ったまま、私たちから少し離れたところで地面に脚を伸ばしてうなだれるように座り込んでいる。エメラルドと手を繋いでいた圭吾くんが、ウルフの様子がいつもと違うことに気が付くと、ウルフを後ろから抱きしめた。ウルフは圭吾くんの手首を、大きくて色の白い手で優しく、強く、握っている。
「蓮、暗いだろ」
そう言ってエメラルドは蓮くんがいるところとは反対側の岩に立つと、両目から薄い黄緑色の光を放った。てっきりLEDのような眩しい光だと思っていたけれど、むしろ蛍光灯のように優しくて穏やかな光だった。ノートと蓮くんの顔が光に照らされて黄緑色になっている。
「佳奈美さん、ここにおいで」
私はエメラルドの隣に立って、ノートの中身を呼んだ。エメラルドがライトの役割を果たしてくれているおかげで、何とか蓮くんの少し雑な文字を逆さまからでも解読することが出来た。
『事実②王国でかつて、双子が生まれた。金色の瞳と朱色の瞳で、後者が王族から排除された。』
『推測①朱色の瞳の男児は、ウルフたちを守って処刑された?=ウルフたちを守った男には王族の血が流れていた?』
『推測②金色の瞳の男児と朱色の瞳の男児は一卵性双生児だった?→一裕の怒り記憶を解き明かすカギ』
蓮くんは一通り書き終えると、サファイヤに記入漏れが無いかを確認した。サファイヤはもう一度ノートの内容を確認するように開かれたページの隅々を見ると、首を縦に振った。
「サファイヤ、もっと記憶を見ることは出来ないのか?手がかりが少なすぎる」
エメラルドはノートを覗き込む皆の顔を黄緑色に照らしたまま、視線はノートの文字に向けてサファイヤに尋ねた。
「そもそもサファイヤ、例の像はどこにあるんだ」
サファイヤは立ち上がると、岩を離れて空気の層と海中の境目のところまで歩いていくと、そこで立ち止まって、海の底を指さした。ウルフはまだ地面に座り込んでうなだれている。圭吾くんがその隣で、サファイヤが指さす方向を見ている。
「あそこ」
私はサファイヤがいるところまで行って、サファイヤが指さす先を見た。漆黒のような深い群青色の中、バスケットボールくらいの大きさの球が二つ、夜の街灯みたいに曖昧に光っているのが見えた。よく目を凝らすと、石膏のようなもので出来た大きなものが光の球のおかげで辛うじて見える。
「あれが…?」
サファイヤが岩のところにいたメンバーを手招きした。
「そう、あれ。暗くてよく見えないけど、あれがウルフたちの言っていた、真実を示し裁く像。本来なら10mくらいの高さだったんだろうけど、彫刻の身体が粉々に砕かれていたんだ。自然に腐敗したからなのか人為的なのかは断定できないけど、頭部だけが綺麗に残っていたんだ」
「サファイヤ…」
ウルフの掠れた声がサファイヤの後ろからした。ウルフはいつの間にか圭吾くんと手を繋いで、自分より少し背の低いサファイヤの肩越しに深海に光る像の目を見ていた。
「記憶を呼んでくれ。そして、それを俺にも見せてくれ。俺、知らないといけない。俺を命を懸けて救おうとしてくれたあの人の人生を」
ウルフの声は震えていた。泣き出しそうにも不安と戦っているようにも、覚悟を決めているようにも聞こえた。
「俺、もう先の記憶も読んであるんだ。…見るか?みんな」
私たちは皆、目を閉じた。
「いくよ?」
ズウゥーン…
目は閉じていたけれど、海の底で、龍の像の目に光が宿ったような気がした。
『リオンドール皇子様!万歳!万歳!』『クランシーや、こっちにおいで』『そなたは大切な跡取りだ、リオンドール』
サファイヤが見せてくれる記憶は、どうやら声だけのものから始まるらしい。
コポコポ…
空気の層の外を水が流れていく音。
真実を示し裁く像よ、私たちに見せてください。王国の真実を。
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線