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狭間に生きる僕ら

#32

桜 

ーーーー「峻お兄さん、お姉さんたち、どこに行った?」
りこに夜ご飯のオムレツを食べさせているときに、皆が倒れる音が寝室から聞こえた。寝室には鍵をかけてある。りこは鍵にはまだ届かない。りこが寝室の方を気にしている。バットはひたすらオムレツを口の中にかき込んでいる。本当に皆と再会できるのか。その不安を必死に隠そうとしているように、俺には見えた。
「疲れたから寝るって」
「…お姉さんたち、起きる?」
グワン
なんだ、地震か?俺は咄嗟にりこの頭を両手で守ったけれど、電気の紐が揺れていない。気のせいか?
「お姉さんたちと、またお話しできる?」
グワン
また揺れた。
「峻兄さん、先に寝な」
バットが俺をリビングのソファに無理やり座らせた。
「りこの面倒は、俺が見ておいてやるから」
そう言ってバットは、ベランダに干してあった俺の掛布団を取ってきて、ソファに俺を無理やり横たわらせた。
「多分だけど、思い出してほしいんだと思うよ?」
「何を」
バットは俺のことが聞こえなかったのか、いや、聞こえないふりをしてリビングから台所に行ってしまった。バットがテレビを点けたようだ。りこと一緒に俺の知らないアニメか何かを見始めた。ギャグシーンが多いのか、二人の笑い声がずっと聞こえてくる。
「寝れそうにないんだけどな…」
俺はリビングの電気を消して、全く眠くない眼を無理やりつぶって、ソファに横になった。バットの言葉が気になる。俺は何を思い出さないといけないんだ?
『起きる?』
グワン
誰かの声が頭の中に響いた。頭痛がする。目隠しをしてメリーゴーラウンドに乗っているように、空間が揺れる感じがする。でも、スマホは静かだ。緊急地震速報のアラームはならない。めまいか?
『またお話しできる?』
グワン
また揺れた。誰が俺の中で話しているんだ。
『ねえ、峻兄ちゃん?』
…幼少期の佳奈美の声?どうして…。
『桜大兄ちゃん、起きるかな?』

…思い出した。寝室の時計の針が夜を刻んでいく。りこの言葉を聞いて、めまいがした理由が分かった。りこの言葉が、佳奈美の言葉とそっくりだったから。
佳奈美と一緒に桜大の…たった一人の幼馴染の…お葬式に参列した時の言葉だ。
桜大。俺はお前を忘れていないのに。
『思い出してほしいんだと思うよ?』
バットの言葉を心の中で反芻する。俺はお前の、何を忘れてしまってたっけ?俺は目を開けた。なんとなく桜大の気配を感じたから。でも、電気が消えて暗いリビングの天井しか見えない。りこたちの楽しそうな話声が、遠いところから聞こえてくる感じがする。
「夢に…出てくるんか?」
声も顔も笑顔も口癖も、全部覚えているつもりなのに。リビングの窓の外を一筋の光が走った。
「りこちゃん、流れ星だよ。ほら、お願い事言って」
バットたちの声が、俺が水中にいるみたいに、ぼわんぼわんと聞こえた。

何かが窓の外をヒラヒラと舞っている。白にもピンクにも見える。蝶か?蛾?それか、ただのナイロン袋の破片?俺は目を細めた。少しだけ何かの輪郭がはっきりした。何かの花びらだ…まさか、いや、今は夏だ。散っているわけがない。
『しゅーん!こっち来いって!』
目の前で誰かが叫んだ。俺は昔から急な物音に弱い。びっくりして顔をあげた。
桜の木…?
目の前に、見覚えのある桜の木があった。桜の木って、こんなにデカかったか?俺は周りを見渡した。公民館の看板が見える。
あれ…?夢…?
『峻!何してんだ、早く登って来いよ!』
桜大の声?!
俺は見上げた。ピンクと白の花が咲き誇る中、桜大が俺を手招きしていた。
『良い景色だぞ!』
桜大が俺に手を伸ばした。
「桜…大…?」
おい、俺の声が低くない。ガキの頃の声。
『はーやーく!』
桜大が木から降りてきて、下から俺を支えて無理やり桜の木に登らせた。
「桜大…?」
『なんだよ』
間違いなく、目の前に桜大がいる。
『峻、見ろ』
桜の木に軽々と登ってきて、俺の隣に腰を下ろした桜大が、どこかを指さした。桜大が指さしていたのは、オレンジ色に染まった夕日だった。山の奥に半分だけ姿を隠した太陽が眩しい。
『俺ね、夏に妹が生まれるんだ』
え?桜大、そんなこと、俺に言ったっけ。
桜大は太陽に目を細めながら、遠くを見つめていた。桜大の目が、キラキラと光っていた。
『俺、お前に妹がいるのが、本当はすごく羨ましかったんだ。だから、俺、最っ高に嬉しいんだ。』
桜大が軽々と木から飛び降りると、今度は俺に降りろと言ってきた。桜の木を見上げると、ピンク色が俺たちの真上に広がっていた。
『この木、俺にピッタリの名前だろ?だからさ、俺も妹に、ピッタリの名前を付けてやりたくてさ』
桜大は空全部をピンク色に染めるような桜の花を見ていた。
『どんな名前が良いかな?』
俺、こんな会話、覚えてない…。
「桜大、お前」
俺は桜大に手を伸ばしたけど、桜大は公民館の広場から走っていってしまった。
『俺、五時までに帰って来いって言われてるから。』
桜大が俺の方を何度も振り向きながら大きく手を振っていた。
『じゃあな!』
そこから先は、全部覚えていた。トラックが急ブレーキをかけた音。大人たちが騒ぐ声。救急車のサイレン。パトカーのサイレン。泣き叫ぶ声。次の日、学校で桜大が亡くなったことを知らされたこと。クラスの皆で泣いたこと。葬式に参列したこと。佳奈美は、桜大が火葬されているときに、あの言葉を言っていたんだ。
でも、どうして。どうして、忘れてしまったんだ。桜大、お前は妹にどんな名前を付けてあげたんだ。どうして、どうして、どうして…。
「峻兄さん」目を開けると、暗いリビングにバットが俺を見下ろすように立っていた。
「何か、思い出した?」
「…りこは。」
俺の声が元通り低くなっていた。バットが俺の胸あたりを指さしている。俺の腕の中で、りこが子猫みたいに丸まって寝ていた。りこの寝息が腕にかかって、少しくすぐったい。
「まあさ、一度に全部思い出さないでも良いだろ」
バットはそう言ってりこの寝顔を起こさないように優しく撫でると、リビングから出ていこうとした。
「どこに行くんだ」
バットが窓から飛び降りそうな格好をしていたから、俺は思わず呼び止めた。
「どこかの木で寝てくるよ。おやすみ」
バットはワシになると、近くの雑木林に向かって飛んで行った。ワシが滑らかに星が浮かぶ夜空を飛んでいく。りこが俺の腕の中で寝息を立てて、すやすやと寝ている。いい夢でも見ているのだろうか。口元に少し笑みが浮かんでいる。
「桜大…」
記憶喪失って、大切な記憶を失われないようにするために起こる症状だと医学的には言われているらしいが…思い出そう。今度こそ、全部を。

そのあとは、俺は夢を見なかった。桜大は、俺の前に姿を現わさなかった。台所とリビングの間の引き戸から、光が差し込んでいる。ああ、朝か。
腕の中で丸まって寝ているりこを起こさないように、そっとソファに寝かせて、俺は現実組三人の朝食を用意し始めた。佳奈美たちはまだ帰ってきていない。俺が起きた頃には既に着替え終わっていたバットが、今晩か次の日の晩に一度帰ってくるだろうと言った。
ジーッ…チーン!
パンが焼きあがったころ、リビングの引き戸を開けてりこが台所にやってきた。
「佳奈美お姉さんたちは?」
「もう少しだけ、寝かせておいてあげよう。ね?」
バットが小さなお皿に食パンをオーブンから出して乗せると、イチゴジャムを塗ってあげていた。桜大のこと。佳奈美たちのこと。交互に頭の中に浮かんでは消える。
「りこ?自分の名前、漢字で書けるか?」
りこはイチゴジャムがたっぷりと塗られたパンにかぶりついたまま俺を見ていた。口の周りにジャムが赤く付いている。自分でもどうして急にそんなことが気になったのかは分からない。だけど、知らないといけない、と俺の中で何かが騒いでいる。
「りこの漢字?うーん…たしか…」
りこは近くに置いてあった裏紙にフニャフニャの黒い線を書き始めた。佳奈美たちの話によれば、時間と色のない世界から来たというが…年齢的には、りこは多分6歳くらいか。頑張れば漢数字を書けるくらいの年齢だろう。
「りこ、やっぱり…」
食べかけのパンが皿に放置されている。まずはりこに朝ごはんを食べさせようと思って、りこが黒い線を書いている紙をいったん回収した。
ん…?この漢字は…?
それは、俺が知る限りは存在しない漢字だ。でも、なんか見覚えあるぞ。
「りこ、前にいた世界で学校に行ってた時に、自分の名前を漢字で書いてみましょうっていう授業があって、りこ、一回だけ書いてみてね」
りこが残りのパンを、パンのかけらを皿の上にボトボトと落として話している。なんか、知っているようで知らない文字…。
駄目だ。力を借りよう。
俺は、小さな妹と弟が沢山いる友人にその漢字らしき漢字の写真を送って、それぞれの写真を解読してくれるように頼んだ。あいつなら、普段から幼い兄弟たちからの手紙を読んでいるだろうし、子どもが書く文字の解読力は凄まじいことになっている。
30分後。あいつから返事が来た。
『悪い。弟を寝かしつけていたら俺も一緒に寝てしまってた。それで、写真の文字だけど、もしかしたら莉香じゃないかと思う。』
莉香。俺は何となく気になって、バットがりこと一緒にリビングでお絵描きをしている間に、スマホの検索欄に莉香と入力した。花の写真がズラリと表示された。
『莉はジャスミンの花のこと。6月の誕生花として知られています!』
6月…夏だ。
俺の指が勝手にジャスミンを説明するサイトをクリックした。
『ジャスミンの花言葉は、あなたと一緒にいたい、なんてロマンチックなのでしょう。』
りこの笑い声がリビングから聞こえてくる。台所の時計が朝の時間を刻んでいく。
桜大…お前、りこの…莉香の兄貴か…?
「バットの絵、下手くそー!クマ?」
「違う、キリンだ!」
二人がリビングではしゃいでいる。
…俺、佳奈美たちから、りこがいた世界のこと、もっと詳しく聞かなきゃな…。

いや、待てよ。佳奈美たち、莉香は異世界から来たって言っていた。でも、桜大は間違いなく、現実の人間。桜大の妹が、今、リビングにいる「りこ」なら、りこも現実の人間っていうことになる…。佳奈美が言うには、りこは時間と色のない世界にいた。
俺は台所の窓の外を見た。空の青。雑木林の深緑。草の明るい緑色。赤い、白い、黄色い花。グレーの鳥や、黒い鳥。俺たちの世界には、色がある。りこのいた世界と、現実は、やっぱり違う…?
いや、違う。三年くらい前に流行った失恋ソングの歌詞で、たしか、色がなくて寂しいっていうのがあった気がする。失恋は、恋人という大切な存在を失うこと。桜大の両親にとって、桜大の死は失恋程度では比べ物にならないくらいの喪失感と悲しみに襲われたはずだ。りこが桜大の妹なら、桜大が死んでから数か月後には生まれていたことになる。でもきっと、桜大の両親は、我が子の死を悲しめば良いのか、我が子の誕生を喜べば良いのか、分からなくなっていたはずだ…。もしかして、桜大の両親、桜大のことで頭がいっぱいになって、莉香のことを存分に可愛がれなかったとしたら、莉香が色を失った世界に行ってもおかしくはない…。
てことは、やっぱり、異世界は異世界ではない…?
ガラガラ
「峻兄さん、りこがお腹空いたってよ」
時計の針がもう、12時を指していた。
「あ、ああ。何が食べたい」
俺は震える声を押さえるのに必死だった。
「オムレツ!」
「昨晩も食っただろ!俺はチャーハンが良い」
俺は二人のリクエストを無理やりくっ付けて、オムライスを作ることにした。





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2025/07/28 19:58

花火
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