「考えているだけじゃ迷宮入りになる」
一裕の家に着いて、起きたばかりの一裕を蓮くんが家まで肩を支えるために車から降りている間に、峻兄ちゃんが膝に頭を乗せて寝ているりこちゃんの背中を撫でながら、ノートにウルフたちが書いた『仮説』を読みながら言った。
「計画は明日くらいに立て始めよう。一裕と彗星さんも含めて立てないと、意味がない。…まずは食べて落ち着こう。いったん、全部忘れよう」
蓮くんが車に戻ってきた。
「残りのメンバーは全員○○町の□□っていうアパートに送ってください」
峻兄ちゃんが彗星さんの運転手さんに伝えると、車はゆっくりとアパートに向けて発進した。
「あ、今、彗星から俺に交信が来た」
エメラルドの元に、明日一裕も一緒にみんなで王国に行く準備がしたいとの旨が、彗星さんから送られてきたそうだ。
「エメラルド」
一裕が車から降りてから、車が発進してもずっと一裕の家がある方向に顔を向けて策を巡らしていたサファイヤが口を開いた。
「俺も虫になれるか。自分で言うのは変かもしれないけど、目からその人の記憶を読み取れる俺の能力は王国に行ったらかなり役に立つ。俺が王国で何が出来るかは、まだ分からないけど…」
今、私たちの頭の中で、様々な仮説が複雑に絡み合っていて頭がパンクしそう。考えれば考えるほど、どれも本当のようにも嘘のようにも感じる。
「王国に行ってからじゃないと、分からないこともあると思う。だから…」
「おい、サファイヤ」
ウルフがバットの言葉を遮ってサファイヤを見た。
「お前、魚に姿を変えれたりしないか?」
「魚?」
サファイヤとバットの声が重なった。
「なれるけど…でも、なんで」
ウルフがバットを見て、ほら、と言った。バットはウルフが何を言おうとしているのか見当も付かず、何回か瞬きをした。
「俺たちが王国で殺される直前、王国の中心都市にそびえたっていたドラゴンのでっかい彫刻が急に取り壊されただろ。老朽化して危ないからって王国は声明を出していたけど…。たしか、その彫刻、海に沈められたまま放置されてるはずだ」
バットが思い出したのか、ウルフの顔を見ながら何回か頷いていた。
「そのドラゴンの彫刻が、何か関係あるのか?」
サファイヤは自分の知らない王国という世界に想像を巡らせているようだった。
「あのドラゴンの彫刻、『真実を示し裁く像』って王国で言われてたんだ。目の部分が、本当のドラゴンの目で出来ていたんだ。もし、お前が海に沈められたその像から王国の真実を読み取ることが出来るなら良いんだけどな…」
「…やってみる」
「着いたぞ」
私たちはアパートに着いた。アパートの真上の空に一番星が柔らかく光っていた。
「今晩は食べて、いったん全部忘れろ。考え事をしていると眠れなくなって、寝不足になるとダメだからな」
峻兄ちゃんが眠っている圭吾くんを背負ってりこちゃんを前に抱えているのを見た蓮くんが、車から降りて扉を開けて待っていた。
「お前ら、夕飯は何が良い」
彗星さんの車がアパートの前からゆっくりと走り去っていったのが聞こえた。子供達を寝室に寝かせた峻兄ちゃんが寝室から出てきた。
「子供達は食べなくて良いのか?」
エメラルドが子供たちの寝顔を寝室の外から見守りながら言った。
「…無理に起こすのも可哀そうだしな…」
峻兄ちゃんが台所の棚からインスタントラーメンを机の上に並べた。
「今晩はこれで良いか?…出前でも取るか?」
「いや、彗星さんの家で沢山頂いたから、お腹があまり空いてないっていうか…」
峻兄ちゃんがポットでお湯を沸かし始めた。
ポコポコ…
お湯の沸く音が夜の台所に静かに聞こえる。
「とりあえず、食って寝ろ。本番は明日からだ」
ピーっ
お湯が沸いた。峻兄ちゃんが私たちのインスタントラーメンの中に順番にお湯を注いでいく。お湯の湿った熱い湯気が私たちの顔を覆った。
「魚、入ってないよね」
サファイヤが覚悟を決めたような顔で、ラーメンの中に魚貝類が入っていないかを箸でかき混ぜながら確かめていた。
「…だから、お前のだけこれなんだろうが」
峻兄ちゃんが、サファイヤのラーメンの蓋を閉じて商品名を見せた。肉うどん。サファイヤが私たちのラーメンの中を覗いた。
「エビ…」
丸まったピンク色のエビがラーメンに絡まっている。
「…俺の家族、美味しく食べてあげてね…」
そう言ってサファイヤはラーメンの中の牛肉を時間をかけてよく噛んだ後、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。
太陽の光が白く台所に差し込んでいる。太陽の光が当たっている所だけ、茶色い床が白く反射していて、素足で踏むと少し熱い。私以外はまだ寝ている。
ジジッジジッ
寝息が本当にかすかに寝室から届く台所で何か音がした。台所の網戸に蝉が一匹引っかかって、必死に羽根を動かしている。透き通った羽根が太陽の光をチラチラと反射している。
ジジッ
私が網戸を内側から軽く叩くと、蝉が青く澄み渡る空へと飛んで行った。三匹のオニヤンマが近くの用水路の上を悠々と飛び交っている。幅が1mくらいの用水路の水が透き通っていて、濃い緑色の苔が底にこびりついて生えているのがよく見える。サラサラと流れる水の音が涼しい。近くの雑木林では蝉が大合唱していて、虫取り網を持った小学生たちが透明な小さな籠を手に持ってはしゃぎながら駆けていく。
「彗星が地球に憧れた気持ちが分かる気がするな…おはよう」
次に目を覚ましたエメラルドが、うがいをしてから冷蔵庫から天然水を取り出し、氷と一緒にガラスのコップに注いでいた。
「俺たちが意識していないだけで、小さな命が確かにどこかで一生懸命生きている」
エメラルドは飲み干したコップを軽くゆすいで乾燥棚に置いた。
カチャ…
食器同士が触れる音。
「いよいよだな」
エメラルドが窓のサッシに両手をかけながら外の風景を見ている。
「俺にとって、地球は異世界だった。彗星に来てくれって頼まれた時は、正直生きた心地がしなかった。宇宙人が地球人に捕獲されて死体となって見つかるような事案が、たびたび報告されてきたから…俺は地球が嫌いだった。でも、俺が見ようとしなかっただけで、こんなにも綺麗だったんだ、地球は」
「おはよう…」
圭吾くんが目をこすりながら寝室から出てきた。エメラルドがいることに気付くと、圭吾くんは寝ぐせが付いたままの頭でエメラルドさんに走り寄って飛びつくように抱きついた。エメラルドが後ろによろけて、エメラルドの背中が熱い窓に押し付けられている。
「王国に行くの、ちょっと怖いけど、僕、頑張る」
何を頑張るのかは本人にもよく分かっていないようだったが、エメラルドは圭吾くんを優しく抱きしめた。
「おう、お前ら。もう起きてたのか」
峻兄ちゃんが朝日に目を細めて台所にやってきた。峻兄ちゃんが壁の時計を見る。六時半。
「佳奈美、エメラルド。残りの奴らに、そろそろ起きろって伝えて来い。パン焼いてる」
峻兄ちゃんが食パンを数枚ずつオーブンで焼き始めた。エメラルドが先に寝室に向かっていった。
「起きろだって」「ええ、もう?」「眠いよ…」「お前、昨日寝てる間に俺のこと蹴とばしただろ」「蹴ってねーよ」
寝室がザワザワし始めた。
「焼けたぞー。パンが硬くなるから早く食べろ」
峻兄ちゃんが台所から叫んで、寝室にいた人たちがゾロゾロと台所にやってきた。テーブルの上にバターやジャム、マーガリン諸々がパンの近くに置かれている。
「りこ、この茶色いやつと赤いやつ、一緒にパンに塗ってみたい」
「ピーナッツジャムとイチゴジャムー?!やめておけ、マズなるぞ」
りこちゃんが二種類のジャムを一度に塗ろうとしているのを、ウルフとバットが何とか説得してやめさせようとしている。
「なあ、佳奈美」
蓮くんがパンにバターを塗りながら、その様子を見守っていた。
シャリ…シャリ…
少し焦げた食パンにバターが擦り付けられる音がする。
「俺たちさ、大家族みたいだな。なんか、ずっとこうやって、皆でわちゃわちゃと過ごしたいな…」
ザク…
蓮くんがパンにかぶりついた。
「あれ?サファイヤ、あいつどこに行った」
「ここだよ」
サファイヤがリビングの水槽の中からピチョンと魚の姿で飛び出した。数秒間床の上でぴちぴち跳ねると、ポンと人間になった。
「寝るのはやっぱり、水の中が落ち着くんだ。峻兄さん、勝手に金魚さんの家に上がってしまってすみませんでした」
峻兄ちゃんは食べ終えたお皿をシンクで洗っていた。
「魚なら許されるだろ。でも、人間姿のままで同じことをすると、不法侵入罪っていう罪を犯すことになるから絶対にするなよ」
峻兄ちゃんが水道を捻った。少しだけ錆びているような音がした。これが、私たちの日常。吸血鬼とか、宇宙人とか、ネッシーとか。そんなの、もう、どうでも良くなった。
朝ごはんを食べ終えて特にすることもなく、私たちは畳の部屋でぼんやりとくつろいでいた。畳が少しひんやりとしていて、畳に触れている手の平とふくらはぎの裏が気持ちいい。子供たちが扇風機の真ん前に座って、声を出して楽しんでいる。男子陣は子供たちの後ろで、畳に寝転がったり腕枕をしたりうつぶせで寝てみたり、各々の涼しい体勢を探していた。
「エメラルド」
「ん?」
扇風機の前が混み過ぎて、蓮くんは私の隣で保冷剤を全身にペタペタとくっつけて涼みながら、扇風機の前で腕枕をしていたエメラルドに声をかけた。
「彗星さんと一裕、うちに来るって言ってたんだろ?いつ頃来るか分かるか?」
エメラルドが目を閉じた。1分くらいたって、エメラルドの緑色の瞳がパチッと現れた。
「彗星、一裕と一緒に午後二時くらいに来るってさ。ここへの道も、まあ、彗星なら元宇宙人だから直感に従えば来れるさ」
「それなら、昼飯も用意せなな」
峻兄ちゃんが顔を扇子で仰ぎながら冷蔵庫の中身を確認しに行った。
ガラ…コチ…ガサガサ…
峻兄ちゃんが五分くらい冷蔵庫を漁っている。さすがに電気代がもったいない。
「峻兄ちゃん、食材がないなら外n…」
「そうめんが大量に残ってるから、それで良いか」
扇風機の前の男子陣が、台所にいる峻兄ちゃんに「へい」と返事した。
ピーンポーン
エメラルドがお椀の中の麺つゆを飲み干し終えたタイミングでインターホンが鳴った。
「あいつらだ」
エメラルドはお椀をシンクに置きがてら、インターホンに返事もせず玄関に向かった。
「ごきげんよう」
額に汗の粒を浮かべた彗星さんと、汗でシャツにシミを作った一裕がリビングに向かってくる足音。
「翠ちゃーん、暑いよー」
「それなら抱きつかないでくださる?汗を沢山かいた身体で」
二人は相変わらず、仲良く喧嘩していた。
「お邪魔いたしますわね」
二人が畳の部屋に入ってきた。
「とりあえず、涼んでから計画を立てよう」
峻兄ちゃんが二人の前に、氷の入った緑茶を置いて、寝室に置いてある蓮くんのカバンの中からノートを取り出しに行った。畳の部屋には壁一面の大きな窓があって、ありふれた田舎の風景が見える。雑木林で目当ての虫を捕ることが出来たのか、子どもたちがはしゃぎながら田んぼを抜けて住宅街の方へ走っていくのが見える。彗星さんは、遠い眼差しでその子らの後ろ姿を見送っていた。
「元宇宙人の私が言うのも変でしょうけど…これから異世界に行くなんて…そんな気が全く致しませんわね」
網戸から入ってきた少し涼しい夏の風が、彗星さんの長い髪を揺らした。彗星さんの額の汗は、既に乾いていて、汗が流れた後がかすかに光って見える。一裕の服のシミも小さくなっている。
「さて」
首に氷水で濡らしたタオルを巻いたバットが、パンっと手を叩いた。
「プランを立てるぞ」
家の外を、虫取り網を振りかざしながらトンボを追いかける男の子たちの声が通っていった。
「エメラルド、俺ら、虫になるべきか?」
男の子たちの様子を見ていたウルフが、エメラルドに不安な表情で尋ねる。
「あら、それなら…エメラルド、私たちの能力を使えばよろしくて?」
彗星さんが氷の溶けた緑茶を一口飲んだ。
「ああ、虫を見たっていう記憶を王国の人から瞬時に奪えってか…俺、相当忙しくなるな」
そうか。宇宙人には記憶を奪ったりできる能力があるって、前にエメラルドに教えてもらったな。峻兄ちゃんが、ノートを畳の上に広げて置いた。
「やるか…」
網戸からの風で、ノートが何枚か捲れそうになるのを、蓮くんが手で押さえていた。
一裕の家に着いて、起きたばかりの一裕を蓮くんが家まで肩を支えるために車から降りている間に、峻兄ちゃんが膝に頭を乗せて寝ているりこちゃんの背中を撫でながら、ノートにウルフたちが書いた『仮説』を読みながら言った。
「計画は明日くらいに立て始めよう。一裕と彗星さんも含めて立てないと、意味がない。…まずは食べて落ち着こう。いったん、全部忘れよう」
蓮くんが車に戻ってきた。
「残りのメンバーは全員○○町の□□っていうアパートに送ってください」
峻兄ちゃんが彗星さんの運転手さんに伝えると、車はゆっくりとアパートに向けて発進した。
「あ、今、彗星から俺に交信が来た」
エメラルドの元に、明日一裕も一緒にみんなで王国に行く準備がしたいとの旨が、彗星さんから送られてきたそうだ。
「エメラルド」
一裕が車から降りてから、車が発進してもずっと一裕の家がある方向に顔を向けて策を巡らしていたサファイヤが口を開いた。
「俺も虫になれるか。自分で言うのは変かもしれないけど、目からその人の記憶を読み取れる俺の能力は王国に行ったらかなり役に立つ。俺が王国で何が出来るかは、まだ分からないけど…」
今、私たちの頭の中で、様々な仮説が複雑に絡み合っていて頭がパンクしそう。考えれば考えるほど、どれも本当のようにも嘘のようにも感じる。
「王国に行ってからじゃないと、分からないこともあると思う。だから…」
「おい、サファイヤ」
ウルフがバットの言葉を遮ってサファイヤを見た。
「お前、魚に姿を変えれたりしないか?」
「魚?」
サファイヤとバットの声が重なった。
「なれるけど…でも、なんで」
ウルフがバットを見て、ほら、と言った。バットはウルフが何を言おうとしているのか見当も付かず、何回か瞬きをした。
「俺たちが王国で殺される直前、王国の中心都市にそびえたっていたドラゴンのでっかい彫刻が急に取り壊されただろ。老朽化して危ないからって王国は声明を出していたけど…。たしか、その彫刻、海に沈められたまま放置されてるはずだ」
バットが思い出したのか、ウルフの顔を見ながら何回か頷いていた。
「そのドラゴンの彫刻が、何か関係あるのか?」
サファイヤは自分の知らない王国という世界に想像を巡らせているようだった。
「あのドラゴンの彫刻、『真実を示し裁く像』って王国で言われてたんだ。目の部分が、本当のドラゴンの目で出来ていたんだ。もし、お前が海に沈められたその像から王国の真実を読み取ることが出来るなら良いんだけどな…」
「…やってみる」
「着いたぞ」
私たちはアパートに着いた。アパートの真上の空に一番星が柔らかく光っていた。
「今晩は食べて、いったん全部忘れろ。考え事をしていると眠れなくなって、寝不足になるとダメだからな」
峻兄ちゃんが眠っている圭吾くんを背負ってりこちゃんを前に抱えているのを見た蓮くんが、車から降りて扉を開けて待っていた。
「お前ら、夕飯は何が良い」
彗星さんの車がアパートの前からゆっくりと走り去っていったのが聞こえた。子供達を寝室に寝かせた峻兄ちゃんが寝室から出てきた。
「子供達は食べなくて良いのか?」
エメラルドが子供たちの寝顔を寝室の外から見守りながら言った。
「…無理に起こすのも可哀そうだしな…」
峻兄ちゃんが台所の棚からインスタントラーメンを机の上に並べた。
「今晩はこれで良いか?…出前でも取るか?」
「いや、彗星さんの家で沢山頂いたから、お腹があまり空いてないっていうか…」
峻兄ちゃんがポットでお湯を沸かし始めた。
ポコポコ…
お湯の沸く音が夜の台所に静かに聞こえる。
「とりあえず、食って寝ろ。本番は明日からだ」
ピーっ
お湯が沸いた。峻兄ちゃんが私たちのインスタントラーメンの中に順番にお湯を注いでいく。お湯の湿った熱い湯気が私たちの顔を覆った。
「魚、入ってないよね」
サファイヤが覚悟を決めたような顔で、ラーメンの中に魚貝類が入っていないかを箸でかき混ぜながら確かめていた。
「…だから、お前のだけこれなんだろうが」
峻兄ちゃんが、サファイヤのラーメンの蓋を閉じて商品名を見せた。肉うどん。サファイヤが私たちのラーメンの中を覗いた。
「エビ…」
丸まったピンク色のエビがラーメンに絡まっている。
「…俺の家族、美味しく食べてあげてね…」
そう言ってサファイヤはラーメンの中の牛肉を時間をかけてよく噛んだ後、ゴクリと音を立てて飲み込んだ。
太陽の光が白く台所に差し込んでいる。太陽の光が当たっている所だけ、茶色い床が白く反射していて、素足で踏むと少し熱い。私以外はまだ寝ている。
ジジッジジッ
寝息が本当にかすかに寝室から届く台所で何か音がした。台所の網戸に蝉が一匹引っかかって、必死に羽根を動かしている。透き通った羽根が太陽の光をチラチラと反射している。
ジジッ
私が網戸を内側から軽く叩くと、蝉が青く澄み渡る空へと飛んで行った。三匹のオニヤンマが近くの用水路の上を悠々と飛び交っている。幅が1mくらいの用水路の水が透き通っていて、濃い緑色の苔が底にこびりついて生えているのがよく見える。サラサラと流れる水の音が涼しい。近くの雑木林では蝉が大合唱していて、虫取り網を持った小学生たちが透明な小さな籠を手に持ってはしゃぎながら駆けていく。
「彗星が地球に憧れた気持ちが分かる気がするな…おはよう」
次に目を覚ましたエメラルドが、うがいをしてから冷蔵庫から天然水を取り出し、氷と一緒にガラスのコップに注いでいた。
「俺たちが意識していないだけで、小さな命が確かにどこかで一生懸命生きている」
エメラルドは飲み干したコップを軽くゆすいで乾燥棚に置いた。
カチャ…
食器同士が触れる音。
「いよいよだな」
エメラルドが窓のサッシに両手をかけながら外の風景を見ている。
「俺にとって、地球は異世界だった。彗星に来てくれって頼まれた時は、正直生きた心地がしなかった。宇宙人が地球人に捕獲されて死体となって見つかるような事案が、たびたび報告されてきたから…俺は地球が嫌いだった。でも、俺が見ようとしなかっただけで、こんなにも綺麗だったんだ、地球は」
「おはよう…」
圭吾くんが目をこすりながら寝室から出てきた。エメラルドがいることに気付くと、圭吾くんは寝ぐせが付いたままの頭でエメラルドさんに走り寄って飛びつくように抱きついた。エメラルドが後ろによろけて、エメラルドの背中が熱い窓に押し付けられている。
「王国に行くの、ちょっと怖いけど、僕、頑張る」
何を頑張るのかは本人にもよく分かっていないようだったが、エメラルドは圭吾くんを優しく抱きしめた。
「おう、お前ら。もう起きてたのか」
峻兄ちゃんが朝日に目を細めて台所にやってきた。峻兄ちゃんが壁の時計を見る。六時半。
「佳奈美、エメラルド。残りの奴らに、そろそろ起きろって伝えて来い。パン焼いてる」
峻兄ちゃんが食パンを数枚ずつオーブンで焼き始めた。エメラルドが先に寝室に向かっていった。
「起きろだって」「ええ、もう?」「眠いよ…」「お前、昨日寝てる間に俺のこと蹴とばしただろ」「蹴ってねーよ」
寝室がザワザワし始めた。
「焼けたぞー。パンが硬くなるから早く食べろ」
峻兄ちゃんが台所から叫んで、寝室にいた人たちがゾロゾロと台所にやってきた。テーブルの上にバターやジャム、マーガリン諸々がパンの近くに置かれている。
「りこ、この茶色いやつと赤いやつ、一緒にパンに塗ってみたい」
「ピーナッツジャムとイチゴジャムー?!やめておけ、マズなるぞ」
りこちゃんが二種類のジャムを一度に塗ろうとしているのを、ウルフとバットが何とか説得してやめさせようとしている。
「なあ、佳奈美」
蓮くんがパンにバターを塗りながら、その様子を見守っていた。
シャリ…シャリ…
少し焦げた食パンにバターが擦り付けられる音がする。
「俺たちさ、大家族みたいだな。なんか、ずっとこうやって、皆でわちゃわちゃと過ごしたいな…」
ザク…
蓮くんがパンにかぶりついた。
「あれ?サファイヤ、あいつどこに行った」
「ここだよ」
サファイヤがリビングの水槽の中からピチョンと魚の姿で飛び出した。数秒間床の上でぴちぴち跳ねると、ポンと人間になった。
「寝るのはやっぱり、水の中が落ち着くんだ。峻兄さん、勝手に金魚さんの家に上がってしまってすみませんでした」
峻兄ちゃんは食べ終えたお皿をシンクで洗っていた。
「魚なら許されるだろ。でも、人間姿のままで同じことをすると、不法侵入罪っていう罪を犯すことになるから絶対にするなよ」
峻兄ちゃんが水道を捻った。少しだけ錆びているような音がした。これが、私たちの日常。吸血鬼とか、宇宙人とか、ネッシーとか。そんなの、もう、どうでも良くなった。
朝ごはんを食べ終えて特にすることもなく、私たちは畳の部屋でぼんやりとくつろいでいた。畳が少しひんやりとしていて、畳に触れている手の平とふくらはぎの裏が気持ちいい。子供たちが扇風機の真ん前に座って、声を出して楽しんでいる。男子陣は子供たちの後ろで、畳に寝転がったり腕枕をしたりうつぶせで寝てみたり、各々の涼しい体勢を探していた。
「エメラルド」
「ん?」
扇風機の前が混み過ぎて、蓮くんは私の隣で保冷剤を全身にペタペタとくっつけて涼みながら、扇風機の前で腕枕をしていたエメラルドに声をかけた。
「彗星さんと一裕、うちに来るって言ってたんだろ?いつ頃来るか分かるか?」
エメラルドが目を閉じた。1分くらいたって、エメラルドの緑色の瞳がパチッと現れた。
「彗星、一裕と一緒に午後二時くらいに来るってさ。ここへの道も、まあ、彗星なら元宇宙人だから直感に従えば来れるさ」
「それなら、昼飯も用意せなな」
峻兄ちゃんが顔を扇子で仰ぎながら冷蔵庫の中身を確認しに行った。
ガラ…コチ…ガサガサ…
峻兄ちゃんが五分くらい冷蔵庫を漁っている。さすがに電気代がもったいない。
「峻兄ちゃん、食材がないなら外n…」
「そうめんが大量に残ってるから、それで良いか」
扇風機の前の男子陣が、台所にいる峻兄ちゃんに「へい」と返事した。
ピーンポーン
エメラルドがお椀の中の麺つゆを飲み干し終えたタイミングでインターホンが鳴った。
「あいつらだ」
エメラルドはお椀をシンクに置きがてら、インターホンに返事もせず玄関に向かった。
「ごきげんよう」
額に汗の粒を浮かべた彗星さんと、汗でシャツにシミを作った一裕がリビングに向かってくる足音。
「翠ちゃーん、暑いよー」
「それなら抱きつかないでくださる?汗を沢山かいた身体で」
二人は相変わらず、仲良く喧嘩していた。
「お邪魔いたしますわね」
二人が畳の部屋に入ってきた。
「とりあえず、涼んでから計画を立てよう」
峻兄ちゃんが二人の前に、氷の入った緑茶を置いて、寝室に置いてある蓮くんのカバンの中からノートを取り出しに行った。畳の部屋には壁一面の大きな窓があって、ありふれた田舎の風景が見える。雑木林で目当ての虫を捕ることが出来たのか、子どもたちがはしゃぎながら田んぼを抜けて住宅街の方へ走っていくのが見える。彗星さんは、遠い眼差しでその子らの後ろ姿を見送っていた。
「元宇宙人の私が言うのも変でしょうけど…これから異世界に行くなんて…そんな気が全く致しませんわね」
網戸から入ってきた少し涼しい夏の風が、彗星さんの長い髪を揺らした。彗星さんの額の汗は、既に乾いていて、汗が流れた後がかすかに光って見える。一裕の服のシミも小さくなっている。
「さて」
首に氷水で濡らしたタオルを巻いたバットが、パンっと手を叩いた。
「プランを立てるぞ」
家の外を、虫取り網を振りかざしながらトンボを追いかける男の子たちの声が通っていった。
「エメラルド、俺ら、虫になるべきか?」
男の子たちの様子を見ていたウルフが、エメラルドに不安な表情で尋ねる。
「あら、それなら…エメラルド、私たちの能力を使えばよろしくて?」
彗星さんが氷の溶けた緑茶を一口飲んだ。
「ああ、虫を見たっていう記憶を王国の人から瞬時に奪えってか…俺、相当忙しくなるな」
そうか。宇宙人には記憶を奪ったりできる能力があるって、前にエメラルドに教えてもらったな。峻兄ちゃんが、ノートを畳の上に広げて置いた。
「やるか…」
網戸からの風で、ノートが何枚か捲れそうになるのを、蓮くんが手で押さえていた。
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線