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狭間に生きる僕ら

#26

伝えられなかった「すき」 エピソード 2

ホテルの部屋に向かうと、蓮くんとサファイヤが部屋で揉めていた。バットとウルフが二人の喧嘩を楽しそうに見物している声がする。四人だけのようで、他の人がいる気配はまだない。
「言っちゃえって、お前の気持ち!」
サファイヤが蓮くんをからかう。誰なんだろ、蓮くんの好きな人…。
「言えないよ…」
私は部屋に入っていく勇気がなくて、部屋の扉の外でただ彼らの会話に耳を澄ませるしかなかった。
「早く言えよ!」
「そーだ、そーだ」
バットたちが蓮くんを激しくゆすっているような音がする。
「どうして俺が早く気持ちを伝えろって言っているか分かるか?」
蓮くんをからかっていたサファイヤの声に、悲しさを感じた。
「俺の初恋のクマノミちゃんが、あっという間に死んじゃったから…」
サファイヤのその言葉に、さすがのバットたちも面白がってはいられなかったようで、部屋の中の空気がお葬式みたいになった。
「死なないよ…かn…m…は」

え?誰って言った?

「お姉さん、何してるの?」
りこちゃんたちがやってきた。下の売店で買ってきたのか、ジュースを手に持っていた。
「…なんでもないよ」
何も聴かなかったふりをするのに必死だった。

私は部屋の扉のドアノブに手をかけた。でも、ドアノブを握る手に力が入らない。蓮くんと私は中学時代に短期間付き合っただけで自然消滅したのに、蓮くんに好きな人が出来ないでほしいと思っている自分がいる。蓮くんが私のことを好きでいてくれたら良いのにと思っている自分がいる。蓮くんが言いかけた、蓮くんが好きだと思っている子の名前。「か」から始まってて、その後は聞き取りづらかったけど「ん」って言っていた気がする。蓮くんが知っている女子の名前がずらりと頭の中に並ぶ。小学校の同級生。中学校の同級生。高校の同級生。同じ塾に通っている子。一瞬にして百人分くらいの女子の名前が、頭の中をメリーゴーラウンドみたいにぐるぐると回っている。
「…いた」
「何がや、早よ開けんか」
峻兄ちゃんがドアを開けて、ドアノブを握っていただけの私を部屋の中に押し込んだ。圭吾くんとりこちゃんが、蓮くんたちが腰かけているベットに飛び乗った。それに続いてエメラルドがそのベッドにダイブした。りこちゃんたちの身体が宙に浮かび上がって、ベッドから落ちそうになったりこちゃんをウルフが支えた。バットとサファイヤが顔を見合わせた後、コソコソと何やら相談したと思ったら、サファイヤが良い夢をとだけ言って部屋を出て行ってしまった。峻兄ちゃんがお風呂にお湯を入れ始めている。
「佳奈美、あの…」
蓮くんは私に背を向けて、窓の向こうを見ていた。月が薄い雲に隠れている。暗い夜。夜の窓に蓮くんの顔が反射していた。窓に映る蓮くんさえ、私のことを見ていなかった。
「…私、蓮くんの好きな人、知ってるよ」
バットとウルフが目を丸くして顔を見合わせた。蓮くんの身体がベッドの上でビクッと揺れた。
「いつか、私にも会わせてよ」
精いっぱいの笑顔を窓に映る蓮くんに向けて、私はお風呂に入りにいった。苗字は思い出せなかったし、見た目すら思い出せなかったけれど、下の名前だけがクッキリと私の心に浮かぶ。消えてほしいのに消えてくれない。どうして、私は蓮くんの想い人を知ろうだなんてしたのだろう。後悔すればするほど、その名前が明確な輪郭線を持って心に浮かんで惨めな気分になる。
「かんな」
幼稚園時代に、こけて膝から血を出した蓮くんに絆創膏を貼ってあげた、二つ上のお姉さん。
ポチャン…
お風呂のお湯に一滴の雫が落ちた。男子陣と子供たちのはしゃぐ声が、部屋の方から聞こえてきた。その部屋はずっとずっと遠いところにあるように聞こえた。

ーーーー蓮が佳奈美さんに背中を向けている間に、佳奈美さんはお風呂に入りに行ってしまった。それにしても、佳奈美さんが、私にも蓮くんの好きな人会わせてよって言ったということは、佳奈美さんは蓮が自分以外の誰かを好きだって勘違いしているということだ。蓮はベッドに腰かけたまま、俯いて、佳奈美さんがお風呂に入っている音に耳を澄ませている。
「佳奈美…俺のこと…異性としてもう…意識してくれないのか」
エメラルドは子供達と売店で買ってきたと思われる万華鏡をのぞき込んで大はしゃぎしているし、峻さんは俺たちの横のベッドで熟睡している。
カチャ…
サファイヤが音を立てないように扉を開けて部屋に入ってくると、蓮の隣に腰を下ろした。
「お前らのやりとり、部屋の外で盗み聞きしてた。佳奈美さん、お前の好意に全く気付いていないし、勘違いしてるぞ。早く、言いに行け」
サファイヤはお風呂場の佳奈美さんに聞こえないよう声を潜めて蓮に訴える。
「…言えない…壊したくない…ジュース、買ってくる」
そう言って蓮は幽霊みたいな足取りで部屋を出て行ってしまった。ベッドには、俺と、バットと、サファイヤだけ。シャワーの音が部屋に響く。
「傍にいてくれるんだから、言えば良いのにな」
サファイヤが開きっぱなしの部屋の扉の向こうの壁を見ている。壁に飾られた、一匹のクマノミの切り絵。
「もどかしいな…」
バットが峻さんの隣に寝そべって、部屋の照明を眺める。
「俺たちは、恋を知る前に殺されたからな…」
バットが遠くを見つめる。俺らがあの世界で殺されたのは、16歳の時。蓮たちよりも、1才だけ若かった時。
ザザン…
波が月に照らされながら砂浜を濡らしていった。

私が髪を乾かし終えて部屋に戻ると、なぜかサファイヤがいた。ウルフたちと三人でベッドに腰を下ろして深刻な表情で話している。蓮くんの姿が見えない。
「蓮くんは?」
三人は私に気が付くと、何かをごまかすように作り笑いしながら話し出した。何だか背中から風が吹いてくる気がする。振り向くと、なぜか部屋の扉が半開きになっている。血液型のせいだろうか、気になって仕方がなくて扉を閉めにいった。私が扉まであと一歩のところで、蓮くんが突然姿を現わした。私の後ろで話していた三人の会話が一瞬だけ途絶えた。
「あっ…佳奈美…!」
部屋の外で蓮くんが手に持っていた何かを背中に隠した。ピンク色のリボンが風に吹かれて、蓮くんの背中からチラリと見えた。
「…かんな…さんにあげるの?」
「かんな?」
蓮くんが背中の向こうに何かを隠したまま、すっとぼけた表情で私を見ている。
「誰だ」
「好きな人にそれ、贈りたいんでしょ?」
「…それは…そう…」
蓮くんは曖昧な答えを残したまま、何かを私に見せないようにして部屋に入ってきた。
「お兄さん、お風呂どうぞ!」
峻兄ちゃんが蓮くんの声に目を覚まして、眠そうな顔のままお風呂に入っていった。三人が蓮くんを神妙な面持ちで迎えて、蓮くんの耳元で何かささやいたと思ったら、四人でゲームをし始めた。みんな、どこか浮かない顔で。
「佳奈美お姉さん、見て!」
りこちゃんが万華鏡を手に持って、私をりこちゃんたちのベッドに座らせた。圭吾くんが私の目に万華鏡の穴を近づけた。
「綺麗でしょ?」
様々な色に光る三角形や四角形が絶えず形を変えながら輝く視界の向こう側で、二人の嬉しそうな声がする。
「エメラルドさんがね、心の中にも空があるって教えてくれた」
圭吾くんが私の隣に腰を下ろした感触がする。
「曇ってきたり、雨が降ったりしたら、星を見るといいんだって」
りこちゃんが私の背中に小さな手を添える。
「宇宙はいつも、晴れてるって。エメラルドさんが言ってた」
透き通るような緑色の六角形が姿を現わした。それは、エメラルドの瞳に似ていた。ほんの少しだけ、私の心に雨上がりの優しい日の光が差し込んだ。そんな気がした。

だけど、確かめなきゃ。受け入れなきゃ。たとえ、それが残酷な現実であったとしても。
私は万華鏡をりこちゃんたちに返して、蓮くんを部屋の外に連れ出すために、四人のところへ向かった。蓮くんは、背中に隠していたものをどこにしまったのか、その姿はどこにも見えなかった。サファイヤが、何か嫌なことが起きることが分かっているような顔で蓮くんと私の顔を交互に見ている。
「来て」
私は蓮くんの手を両手で握って立たせた。蓮くんの身体が重い。蓮くんは何も言わずに、ただ私に手を握られたまま、部屋の外に連れていかれた。
カチャ…
蓮くんを部屋の外に連れ出して、部屋の扉を閉める。扉の閉まる音が、誰もいないホテルの階に静かに響く。
月の光が蓮くんの頬を照らす。蓮くんの褐色の顔は、私の方を向いてはいたけど、目は私を見つめていなかった。
「かんなさんのこと、好きなんじゃないの?」
蓮くんは依然として私から目を逸らしたまま。
「俺、そんな人、知らん」
蓮くんの声と波の音が混ざる。知りたくない…知りたくない…聞きたくない…。心ではそう思っていたはずなのに、私の両手が勝手に蓮くんの顔を掴んで私の方を無理やり見させた。蓮くんの瞳に私の瞳が反射している。
「言っておくけど」
蓮くんが私の両手をそっとどけると、部屋の扉の前に立った。蓮くんが部屋の扉を開けて入っていく寸前、明るかった月を暗い雲が隠した。私たちの影が夜の闇に紛れる。
「俺は…お前のことなんか…好き…じゃない…」
真っ暗なホテルの廊下に私がただ一人。峻兄ちゃんが歌っているのが、シャワーの水音に紛れて、部屋の向こうから聞こえていた。
ザザン…
蓮くんはもう、私の前にはいなかった。

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2025/06/25 14:20

花火
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