文字サイズ変更

狭間に生きる僕ら

#19

楓(1)

「俺に教えてくれる?彗星」
翠さん、いや、彗星さんはその真っ白な身体を一裕にうずめた。
「綺麗だなって思ったの。地球のこと」
バットとウルフの前に置かれたいくら丼から、イクラが一粒彗星さんの前に転がっていった。

あの日、お父様に地球に連れて行ってもらったあの日に、家に龍の水晶が落ちていていることに気付いて。その中に、一裕さんがいた。私にとって、初めての地球人だった。お父様とお母様はいつも、地球人のことを愚かだと仰っていた。でも、水晶に映った一裕さんの目がすごく綺麗だったの。それで、地球に行きたいって思った。家庭教師の先生から、地球では水が命を生むと教わった。海の写真を見せてもらった。なんて綺麗なんだろうって思った。地球の生き物は、羊水っていう液体の中で我が子を育てて生むと教わった。なんて、神秘的なんだろうって。私は、地球人が羨ましかった。

彗星さんの目から流れた一筋の涙が、一裕の服に染み込んだ。
「彗星」
蓮くんがこぼれたイクラの粒をティッシュでつぶれないように摘まみながら尋ねる。
「前に俺らがここに来た時には、お父さんが料亭のお偉いさんだって言ってたよな。お前のお父さんも、本当は宇宙人だけど人間に化けて地球にいるのか」
彗星さんは一裕の胸の中で首を横に振った。
「ここのお父様は、正真正銘の地球人。お母様もそう。私が記憶を塗り替えたの」

お父様とお母様には娘がいた。でも、その子は五歳の時に交通事故で亡くなった。最愛の我が子を失って、お父様もお母様も取り乱していた。それで、私、ちょうどいいなんて思っちゃたの。私がその子にそっくりな人間に化ければ、地球人として生きていけるって。

「だから、お父様もお母様も、私が実の子だと信じていらっしゃるのよ」
一裕が彗星さんを固く抱き寄せた。

彗星さんの肩が一裕の腕の中で震えている。
「ねえ、蓮」
バットが蓮くんに近づく。そして、一裕に聞こえないように蓮くんの耳にささやく。
「あの名前。言ってみていいか」
あの名前。楓。一裕を暴走させる、あの名前。蓮くんの顔に緊張が走る。
「吸血鬼の扱いなら俺たちが一番知ってるんだから、心配すんな」
バットはそういうと、席の反対側に行って彗星さんの横に腰かけた。バットがスーッハーと深呼吸をした。
「彗星、楓というものに何かしら心当たりはない?」

一裕の瞳が揺れた。瞳の奥で、炎が燃えているよう。
「一裕さん?」
一裕の胸に顔をうずめていた彗星さんが顔を上げると、恐怖に戦慄したような表情になった。
「…どうなさったの?」
「返…せ…」
一裕の全身の毛が逆立っている。一裕に、再び父親が戻ってきた。ウルフが彗星さんを一裕から引き剥がす。一裕の瞳の奥で炎が激しく燃えている。
「ああ、俺とウルフを救えなかったあの男の人が一裕だから」
燃える炎を見つめながらバットが彗星さんと一裕の間に立つ。
「どこかの馬の骨みたいな孤児でさえ、命がけで守ろうとしたのにな。わが子が目の前で消えたら…」
バットの目から紫の光がレーザーのように一裕の瞳に照射された。
「しばらく眠っていてもらおうか」
一裕が、こくりと眠ってしまった。床に大きな体が横たわっている。
「さっ、どっこいせっと」
バットが腰を抜かした彗星さんの横に腰を下ろした。
「楓に心当たりはない?」
彗星さんの前で一裕が寝息を気持ちよさそうに立てている。
「楓は木の名前ですわね。それがどうなさったの」
彗星さんは何も知らないのかな。
「もうわかっているだろうけど、俺、吸血鬼なのよ。前にドラゴンの王国で龍隊に属してた。ここにいるウルフも同じだ。」バットがウルフを指さす。
「俺たちが初めて蓮たちに会った時、初めて楓っていう男の子の話を聞いたんだ。俺らと蓮たちとでは、いた世界が元々は違うから、相談しに来たんだ。お前の彼氏の一裕って奴が、楓っていう名前を聞くたびに狂い始めるってな」
彗星さんの視線が一裕に向けられる。
「その男の子がどうなさったの?」
ウルフが話に入る。
「俺たちが王国にいた頃、龍隊の一員として、別の惑星から来た奴らと戦ったことがあるんだ。そいつらが胸に勲章をつけてたんだ。楓の形のな。彗星、お前は宇宙人だ。何か知らないか」
「どうしてそこまで、その子のことを気になさるの?」
蓮くんがバットとウルフに挟まれる彗星さんに伝えた。
「あんたと…一裕の…息子だ」彗星さんの目が輝いた。
「私、一裕さんとの間に子供を産めるの?」
彗星さんは、まだ楓のことを全く知らない。歓喜と希望に輝く彗星さんの目が、この空間には不自然だった。

「どうしてそんなに喜んでいられるんだ!」
バットの怒鳴り声に彗星さんが怯んだ表情を見せた。
「教えてやるよ、お前の息子、楓のことを!」
バットは私たちが教えてあげた楓くんの過去を伝えた。真実を知った彗星さんは茫然としていた。
「どうして産もうと思った。どうしてそんな世界に我が子を産み落とそうとした!」
「よせ、バット」
バットが仲裁に入ろうとしたウルフの手をはねのける。そしてウルフを鋭い眼光で睨んだ。
「お前だって、あの世界で十分味わったはずだ。飢えとの戦い、社会から不必要とされる屈辱。生まれさえしなければ味わずに済んだ!」
バットの嗚咽の混じる叫び声が結界の中を響く。一裕は熟睡している。
「宇宙人社会によって我が子が虐げられる未来が見えていながら、どうして楓を産んだ!」
彗星さんが叫び返す。
「じゃあ、一裕さんとの子供を殺そうって仰るの?!大事な、息子を、この手で?自分に命が宿ってくれた喜びを捨てろって言うの?!」
ああ、私は勝手に勘違いをしていた。楓くんが生まれた頃には既にいなかったという彗星さん。こんなにも、楓くんの誕生を喜ぼうとしていたんだ。私たち以上に。

ただ黙って見守るしかない蓮くんと私。圭吾くんとりこちゃんは、蓮くんの後ろで震えている。
「佳奈美」
蓮くんが落ち着いた声で私を呼ぶ。
「楓さ、消える時、地球人の子供として生まれるって言っていたよな。でも、一裕は吸血鬼になりかけてて、彗星さんが宇宙人で…楓は、どこに行こうとしているんだ」
カラン
ガラスの中の氷が一回転した。バットと彗星さんはお互いに叫び疲れたようでぐったりしている。ウルフがパチンと指を鳴らした。
「あれ…寝てた?」
一裕がもぞもぞと起き上がる。彗星さんの姿を見ると、一瞬誰か忘れたような顔をしたが、すぐに翠ちゃーんと抱きついてイチャイチャし始めた。
「かず…ひろ…さん…」
彗星さんは再び人間の姿に戻った。
彗星さん自身がそれに困惑していた。だけど、すぐに悟ったような表情で私たちに言った。
「私もあなた方の仲間入りですわ。よろしくお願いいたしますわね」
自分に抱きつく一裕の頭を愛おしそうに撫でる。
「どういうことや」
バットが食卓に置かれたマグロの刺身を数切れかまとめて口に放り込んだ。
「地球上で、我々が自分の意志に関わらず、地球人の姿になること。それは、宇宙人失格ということですの。地球人を…愛してしまったから…」

彗星さんにじゃれつく一裕に、吸血鬼の面影はなかった。
「かず」
一裕が蓮くんのほうを振り返る。彼女がいて羨ましいだろと言わんばかりに彗星さんを抱き寄せた。
「かず、お前。口を開けろ」
「なんで」
「なんでもいい」
一裕は訳も分からないまま口を開けた。一裕の犬歯は依然として吸血鬼のようだった。
「吸血鬼って、地球人に分類されるのか?」
蓮くんが隣でバクバクといくら丼を口にかきこむバットとウルフに尋ねる。
「わっかんねー」
口をパンパンに膨らませたバットが答える。
「言っておくけど、やたらと地球と宇宙を切り分けようとしているの、お前らだけだからな」
そう言ってバットはイチゴを口に放り込んだ。
「地球に住んでいたら、地球人ということなのか」
蓮くんはめげずに尋ねる。
「無教養な俺らに聞いても意味ねーぞ」
「いや、お前らの話を聞いてて思ったけど、」
ウルフが緑茶を一口飲んだ。
「お前ら曰く、いくつも世界があるなら、いくつも宇宙があってもおかしくないと思うんだ」
バットがスイカの種をお皿の中に吐き出す。
「ウルフ、それってどう意味だよ」
バットがもう一つ種を吐き出した。
「楓が、迷子になっている可能性はないか?自分って、どの地球に生まれれば良いんだっだっけって…」

「翠ちゃーん、俺、ほんっと大好き」
一裕は私たちに構わず、彗星さんを愛でる。
「私…」
一裕を赤ちゃんみたいにあやしながら、彗星さんだけは私たちの会話に耳を澄ませていた。
「宇宙に友達がおりますの。宇宙との交信能力は失われていないはず。だから、私の方でも友人の力を借りて、私の息子が迷子になっていないか、探してくれるように頼みますわ」
蓮くんがハッと思い出したように息を飲んだ。
ブブ
蓮くんからメール。
『俺たちが読んだ小説の冒頭部分に出てきた、サガシテっていう言葉、楓のものかもしれない』
一裕は最後まで彗星さんを愛でていた。
蓮くんの家に着いたころには、いつの間にかもう、夜になっていた。
「力がみなぎるぜー!」
ワシとコウモリが暗い空を飛び回る。
キキッ
ウルフの泣き声が閑静な夜空を貫いた。



ページ選択

2025/06/23 18:05

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
コメント

通報フォーム

お名前
(任意)
Mailアドレス
(任意)

※入力した場合は確認メールが自動返信されます
違反の種類 ※必須 ※ご自分の小説の削除依頼はできません。
違反内容、削除を依頼したい理由など※必須

盗作されたと思われる作品のタイトル

どういった部分が元作品と類似しているかを具体的に記入して下さい。

※できるだけ具体的に記入してください。

《記入例》
・3ページ目の『~~』という箇所に、禁止されているグロ描写が含まれていました
・「〇〇」という作品の盗作と思われます。登場人物の名前を変えているだけで●●というストーリーや××という設定が同じ
…等

備考欄
※伝言などありましたらこちらへ記入
メールフォーム規約」に同意して送信しますか?※必須
タイトル
URL

この小説の著作権は花火さんに帰属します

TOP