文字サイズ変更

狭間に生きる僕ら

#84

目隠し

「はぁ〜、快適、快適〜」
台所の隅にある本棚の上に、直方体の使い古した水槽がある。ところどころ色褪せたその水槽の中を、空を舞う天女のように優雅に泳ぐ一匹の金魚。
「サファイヤさん、教えて下さい。覚悟は出来ました。自分の吸血鬼化の原因も知りたいし、僕の前世を教えて下さい」
俺は、自分の手のひらにも満たないサイズの金魚に向かって、平伏すように乞い願う。
「うん。良いよ。でも、確実に前世の記憶を見に行ける方法があるから、君が眠くなるまで待つ」
彼は、水槽の端から端まで探索するように泳ぐ。
「俺が眠くなるまでって、どういう意味ですか」

時計の針は夜の9時を指している。俺の就寝時刻までは、後2時間。

マンションの外に見える街なかは、まだまだ賑やかだ。ピンクや赤にライトアップされた観覧車も遠くに見える。

なんか…。自分が実は吸血鬼だったと知って、本当の吸血鬼だと名乗る人物2人に会って、今は金魚とお喋りしてて……俺って
「順応性高いなって思ってる?」
俺が実際に心の中でそう考えるよりも前に、俺はサファイヤに言い当てられてしまった。
「まぁ…。君が元々人間じゃない事を考えれば当然か」

サファイヤは、遊んでいるのか、わざと口を尖らせて口から小さな泡をプクプクと吐き出している。その小さな泡は、水の中の小さな妖精みたいにチロチロと水面を目指して登っていく。

「俺、今日は早めに寝ましょうか」
「いやその前にさ、あ……。うん、そうしてもらおっかな」
サファイヤはふと何かを思い付いたような仕草を見せたが、直ぐに何かに気が付いたように、何かを誤魔化した。俺が歯磨きを終えてパジャマに着替え、ベットに向かう間、サファイヤはじっと俺の一挙手一投足を観察するように眺めていた。

[水平線]

「寝たら、何か分かるんですか?」
俺は慎重に、サファイヤが入った水槽をベットサイドの机の上に移動させた。寝室の電気を消すと、夜の灯りが水槽の水を照らした。キラキラと光る星空のような水を背景に、一匹の金魚の赤黒いシルエットがくっきりと浮かぶ。
「寝たら分かるというか、寝たほうが分かりやすいって感じ。ウルフとバットから、君の悪夢について聞いたよ。俺が推測するに、その悪夢は君の前世によるもの。それに、起きている時だと邪念に邪魔されて、前世の記憶が読み取りづらい」
サファイヤのヒレが、ピロピロと動く。
「はい。ねんねして」

いや、こいつ、俺のこと何歳だと思ってんの。

「あれ?ウルフから聞いてないの、君」
サファイヤは意外だと言うように、大げさにその小さなヒレを動かした。日本ではどうか知らないが、韓国で目下が目上に向かって君と呼んだり、タメ口で話すのは、よほど打ち解けた関係性でない限り許されない。

だけど…。不思議と腹が立たないんだ。
何だか…、サファイヤがまるで悟った仙人のように見えるんだ。
初めて出会った瞬間から。

「俺さ、今は金魚だし、さっきみたいに人間になったりするし、都合によっては微生物とかにもなるんだけど、俺の本当の姿は首長竜ね。所謂ネッシー」


え。

サファイヤがそう言った途端、俺の思考回路がハサミでチョキンと切られた音がした。
色々な情報が頭の中をグルグルと駆けずり回る。

ネッシーって、ネッシーの姿のままじゃないの?

え?

ネッシーって、いたの?

え?

何で、こいつ喋れるの。

え?

え?

「俺、今わからなくなるくらいに年取ってるからね。今ね、多分数百歳。いや、数千歳だったかな。後…八千年くらいは生きる」

待って。

じゃあ、こいつ、マジで人間の域を超えてるってこと?

俺なんて、サファイヤからしたら赤ちゃん以下じゃないの。

俺の思考回路が次から次へとハサミで切られていく。もう既に微塵切りにされている。

「一応補足しておくと、俺が人間姿になった時に、爺さんじゃなくて高校生くらいになるのは、人間と首長竜で時間の進み方が全く違うから。犬とかでも、数歳で大人になるでしょ。それと一緒。俺、ウルフたちとは数年前から知り合いなんだけど、あいつらは分かりやすく年取ってる。俺だけ高校生のまま、1か月分しか年取ってない」
サファイヤは、くだらない世間話を学校の休み時間にするような調子で話していく。俺はただ、思考を停止させて、口をポカンと開けてサファイヤの話を聞くしかなかった。
「はいはい、ほら。ねんね、ねんね」
サファイヤは、赤いヒレをピロピロと動かし、俺に寝るように催促する。俺は何だかよく分からないまま、間抜けな顔をしてベットの中に潜り込んだ。

今朝からベランダに干しておいた掛け布団の匂いが、俺の睡魔を誘う。

蜃気楼のような、ボヤケた薄暗い視界には、一匹の金魚だけが明確な輪郭線を持っていた。

[水平線]

[水平線]

「もしも〜し。お〜い」
サファイヤが俺を呼んでいる声がする。焦げた煙のような匂いが充満している。
「火事?!」
心臓の方が先にビクンッと起き上がった。それに驚いて俺の瞼は眠気を手放した。両目を開けてベットから起き上がり、辺りを見渡す…つもりだった。

そこには、息絶えたような荒涼とした大地が広がっていた。見上げれば、血で滲んだような赤くて淀んだ暗い空が。

俺の目の前に広がっていたのは、昔から散々俺を苦しめてきた悪夢の世界だった。
「夢…じゃない?」
いつもなら俺は、誰かに向かって泣き叫ぶ様に謝り続けるのに、今回はそれが無い。ただ、理由も分からずポツンとただ独り、荒れ地に呆然と立っていた。
「サファイヤ…?」
確かにさっき、俺を呼んだはずだが、彼の姿が見当たらない。
「ここだよ」
俺の足元からサファイヤの声がした。足元に視線を落としてみると、俺の両足の間に、甲虫が頑張って二本足で立ったのと同じくらいのサイズのサファイヤがいた。人間姿の彼は、正真正銘の小人のようだった。

「なんで……」
駄目だ。考えるのは止めた方が賢明だ。
夢だからだ。そう、夢だから。

「俺たちは今、何処に…?」
いや、分かってる。悪夢の中の世界だ。ただ、何も苦しむ事なく、この世界に居ることが不思議でならなかったのだ。
「君が前世にいた世界だよ」
小さなサファイヤが俺の足元で、俺を見上げながら言う。叫んでも大きな声を出しているわけでもないのに、彼の透き通るような声ははっきりと俺に届いた。
「これが…?」

これが……ウルフたちの言っていた、俺がドラゴンの禁忌を犯したっていう前世…?

「そう。君が意識していなかっただけで、君の無意識下には前世の記憶が残っているんだ。割と鮮明に。それが稀に、意識下に現れると悪夢として認識してたみたい」
サファイヤは、自分のこめかみを右の人差し指でツンツンと突きながらそう言った。
「今から長い長い夢を見に行くよ」

「ちょっと確かめたいんだけど」
サファイヤが俺の爪先の辺りをウロウロと徘徊する。彼は、俺の足の親指、人差し指、と順番に険しい顔をしながら見ていく。
「君には、自分の身体が人間に見えているということでOK?」
「……サファイヤさんには、どういうふうに見えてるんですか」
サファイヤは、俺の爪先から頭の天辺まで隅々を観察する。するとサファイヤは、突然クルリと身体の向きを変えて、荒れ地の遥か向こうに薄っすら見える大樹に向かって歩き出した。
「何処に行くんですか」
俺はサファイヤについていこうとしたが、俺が一歩歩けば彼を潰してしまいそうで、俺はその場に立ち止まっていた。
「…。後々詳しく話すけど、諸事情あって前にここに来た。確か、あっちの方向に、『真実の樹池』って呼ばれてた池があったはず」

呼ばれてた…?

「サファイヤさん、待って!」
俺がそう叫んだ時、ブワンブワンと空気が振動した。戦闘用の大きな鐘や太鼓を叩いた時のようだった。サファイヤはピタリと立ち止まり、俺に背を向けたまま話した。
「ここは龍獅国。君が前世でいた場所。ドラゴンと人間が共生していた世界だ」
そしてサファイヤはクルリと身体の向きを変え、俺の全てを見透かすような鋭い眼差しを俺に向けた。
「ウルフとバットは、前世でここにいたんだよ」

淀んだ空を覆い尽くしていた雨雲のような真っ黒な雲の切れ間から、一本の真っ白な光が差し込んだ。光はサファイヤの全身を照らしている。徐々に切れ間が広がり、光は段々と俺の爪先、両足、ふくらはぎを照らしていく。

サファイヤの真っ青な瞳。

サファイヤがいれば、深海にだって光が差し込まれるのかもしれない。

俺は特に理由もなく、そんな事を思った。

そんな俺の心を見透かしたのか、サファイヤはフッと大人びた微笑みを浮かべていた。
「行こか」
クルリと俺に背を向け、サファイヤは「真実の樹池」を目指して歩いた。

彼の小さな後ろ姿は、とても心強いものに感じた。
ページ選択

2025/09/03 16:07

花火
ID:≫ 6.vyqE1zzWDXY
コメント

通報フォーム

お名前
(任意)
Mailアドレス
(任意)

※入力した場合は確認メールが自動返信されます
違反の種類 ※必須 ※ご自分の小説の削除依頼はできません。
違反内容、削除を依頼したい理由など※必須

盗作されたと思われる作品のタイトル

どういった部分が元作品と類似しているかを具体的に記入して下さい。

※できるだけ具体的に記入してください。

《記入例》
・3ページ目の『~~』という箇所に、禁止されているグロ描写が含まれていました
・「〇〇」という作品の盗作と思われます。登場人物の名前を変えているだけで●●というストーリーや××という設定が同じ
…等

備考欄
※伝言などありましたらこちらへ記入
メールフォーム規約」に同意して送信しますか?※必須
タイトル
URL

この小説の著作権は花火さんに帰属します

TOP