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狭間に生きる僕ら

#83

浜辺の宵

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話し手の目線がウルフからイ・ソクヒョンに転換しました。お読みの際はご注意下さい。
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無事、午前中のアメリカ公演を終え、俺達は帰国するために空港に向かった。空港には俺達を出迎えてくれる人達が沢山いる。主に若い女性。スマホを片手に掲げて、俺達の周囲を歩いてくれているガードさん達を潰す勢いで俺達を囲む。何とかその大群のような人混みを抜け、一通りの手続きをメンバー全員が終えて、韓国行きの飛行機に搭乗した。

離陸までの間、俺の隣に座っていたミンホクが、黒のアイマスクを付けて仮眠を取っていた。離陸のアナウンスが流れ、機体がガタガタと地震が来た時のように揺れる振動が座席から伝わってくる。背中が席の背もたれに押し付けられる感覚。機内には当然風は吹いていないはずなのに、風が勢い良く俺達の横を走り去っていく感覚。

ついさっき、俺が飛行機の席に着いたとき、ウルフさんからメッセージが来た。ウルフさんの言う、吸血鬼交信だ。事務所前の川を泳ぐ、喋る魚を捕まえろとのこと。ウルフさん曰く、その魚がサファイヤらしい。

吸血鬼交信はスマホも要らず、言語の壁もなく、海を隔てても意思疎通が出来る。俺は自分にもこの能力が備わっていることを、先日、俺達がチェリーさんの結婚祝いにお邪魔して夜ご飯をいただいている時に知った。話してもいないのに、ウルフさんの考えている事が伝わってきたから。

俺が突然吸血鬼してから……いや、俺が自身の姿に気が付いてから早くも1週間が立った。

正直…よく分からない。
ウルフさんのことも、バットさんのことも、ウルフさんが言っていた喋る魚のことも、そして自分のことも。
普通の人間として生きてきたつもりの俺が、生まれて初めて出会った人から、実は人間ではなかったという事実を伝えられ。
ウルフさんとバットさんは、その事を何も不思議な事だとは認識していなくて。
2人からは、俺の前世は宮司龍臣という名前のドラゴンだったと聞かされ。
なのに、幼少期から俺を苦しめてきた悪夢と、最近になって脳に流れ込むようになった俺の声のことを思えば、何処か納得して安心している自分がいて。
そして、帰国したらすぐにでも喋る魚を捕りに行こうとする自分もいて。

不安。安堵。躊躇。葛藤。
様々な思いがちっぽけな頭の中を駆け巡る。

窓の外には、雲一つない真っ青な青い世界が何処までも広がっていた。

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「お〜い、魚さん。何処にいるの」
俺はウルフさんに頼まれたように、家から網とバケツを持ってきて、30分くらい事務所の近くの川辺をブラブラと歩いている。小学校の時に使って以来、物置にしまい込んでいた小さな網と軽いバケツ。俺は真っ黒なサングラスをかけ、帽子を深く被り、川辺に沿って植えられた木々の陰に腰を下ろした。少し湿った土が、ズボン越しに俺の尻を冷やす。茶色に濁っていたはずの汚い川は、夕陽の光を受けて、水面はまるで宝石のように光り輝いている。枯れかけた雑草が涼しい風に揺られ、陰が砂利の上を踊る。

夜に近い夕方だということもあってか、川辺には幸い人はあまりいない。俺はサングラスを外し、ひっくり返したバケツの底の上に置いた。
「小説?」
俺はポケットからスマホを出して、ウルフさんとバットさんが言っていた人物の名前を検索してみた。だが、彼は特に著名な人物ではないようだった。というか、実在する人物ではないらしい。数年前に日本で開かれた小中高生による小説コンテストで賞を取った作品の中のキャラクターの名前だった。
『宮司龍臣』
そのキャラクターの下の名前は、読み方こそ違えど、奇しくも俺と同じ名前だった。

フラッと、1つの人影が俺の背後から近付いてくる。俺は咄嗟にバケツの上のサングラスを掛け、靴の紐を固く縛った。
その人影は、俺の後方数mのところで立ち止まった。
「ソクヒョンだよね、あんた」
低くて落ち着いた、透き通るような声。彼の影が俺に重なっている。振り向けばそこには、俺よりも年下の、高校生くらいの少年が立っていた。
「ごめんね。俺、魚姿で現れるつもりだったんだけど、川で嘔吐している人を見かけてさ。あそこのトイレに日本から瞬間移動してきて、ここまで歩いてきたわけ」
彼はそう言って、ここから50mくらい離れたところにある公衆トイレを指差した。

『魚姿で現れるつもりだったんだけど』

あ。この人が。
「ごめんね。網とバケツまで持ってきて貰ったけど。お家まで案内お願いできる?」

いや。待て。
まだ…サファイヤだと決まったわけではない。
もしかしたら、ただの変質者かもしれない。
それに、初めて会った人に家の場所を教えるほど俺は無防備じゃない。
「ちょっと待って下さい。貴方がサファイヤさんなら…」
彼は俺よりも5つくらい年下のはずなのに、何処か達観していて、人間の域を越えたというか、俺なんかよりもずっと昔から生きてきた存在のような感じがした。
「あぁ。なるほどね」
彼は、俺が頼むよりも前に、まるで俺の思考を読み取ったかのように、自ら魚姿になった。俺はそれに驚きはしたが、目の前で人間が小さな魚になってしまったのを見て、さほど動揺していない自分にも衝撃を受けた。5センチくらいの金魚が、ピチピチと川辺の砂利の上を跳ねる。
「苦しくなってきたから人間姿に戻るけど、これで信じてくれた?」
彼は木陰で、人目を避けて、何事も無かったかのように人間に戻った。いや…人間になったと言うべきか。
「ソクヒョン。今、俺のことを信用して良いか迷ってるでしょ」
彼は木陰に体育座りをしながら、俺の顔を見つめる。彼の瞳は、何処までも続くような青空みたいな水色をしている。
「…今から君を怖がらせると思うけど、良いかな」
サファイヤはそう言って、俺が誰にも公表してこなかった事を次から次へと言い当てていった。

物心が付いた頃には、父親がいなかったこと。
5歳の時に親が再婚して、義父が出来たこと。
義父の家に住むために引っ越しをした直後に、父親違いの弟が生まれたこと。
俺の本名である李龍臣が、俺が中学校の時に無差別殺人事件を犯して死刑判決を受けた男と名前が一緒だったこと。これに関してはもしかしたらネットを漁れば得られる情報かもしれないが、死刑囚と同姓同名だったことが理由でイジメを受けて不登校になったことまでは、俺の家族と同級生を除けば誰も知らない。同級生の誰かが情報を漏らした…?
「それとさ、君の初恋の女の子の名前、ムン・ナラでしょ?」

ドクン…

サファイヤの言葉に、俺は初めて彼女に出会った日、話し掛けてくれた日をまざまざと思い出した。彼女にすら伝えることが出来なくて、メンバーの皆にも隠し続けてきた想いを、サファイヤは一発で見抜いた。

夕陽のオレンジに染まっていた空は、何時しか紫色になって、小さな星々を浮かべていた。サファイヤは、涼し気な表情を浮かべ、夜空になりかけの空を仰いでいる。彼は高校生くらいだし、俺よりも頭1つ分くらいは下だ。なのに、彼が、手の届きようのないとてもとても高い場所にいるような、孤独で崇高な感じがした。
「明日と明後日…休日なんです」
俺は声を振り絞って、彼の横顔に声を掛けた。
「知りたいです。色々と」
夜空は段々と暗みを帯びてきて、川沿いに立つ建物の明かりがポツポツと灯され始めた。
彼がゆっくりと俺の方に視線を向けた。彼の水色の瞳は、夜空に浮かぶ月に負けないくらいに明るく光っている。
「知るってね、怖いことだよ」
彼の声は何処か幼さを孕みつつ、俺の身体に染み渡っていく。
「一度知ってしまえば、知らなかったことには永遠に出来ない。ふと、昔の記憶が蘇ったりするでしょ?記憶っていうのはね、なくならないはずなんだ。忘れてしまうから、なくなったように見えてしまうだけで、本当はずっとそこに記憶はあったんだよ」

丸い月は、暗い水面を照らす。水面を月明かりが跳ねる。夏の湿った草の香りに、潮風の香り。俺はただ、祖父母の昔話に耳を傾ける幼い孫のように、サファイヤの言う言葉一つ一つを聞き漏らさないように聞いていた。

「もしかしたら君は、知りたくなかったことを知ることになるかもしれない。知ってしまったことを後悔するかもしれない」

『生きてくれ、頼む!』

俺の脳裏に声が流れる。
激しく咽ぶような声。
懇願するような、後悔するような声。

俺の脳裏に声が流れる時、俺は決まって吸血鬼化する。案の定、足元の草を弄くる俺の指先の爪は、鋭く長く伸びて、月の光を受けて不気味に光っていた。
「俺、今、吸血鬼してるんですけど、サファイヤさんにも見えませんか?ウルフさんとバットさんには見えていたみたいです」
サファイヤは、一瞬だけ俺を疑うような表情を見せたが、直ぐに納得したような表情になって首を横に振った。
「サファイヤさん、俺、知りたいです。ウルフさんから聞きました。もし、俺が前世で禁忌を犯したのなら、俺はそれを償わないといけない」
「いや、それは必要ないと思うけどね。ただ……それを知る覚悟は出来た?」

満天の星空の下。都会には珍しく、夜の街の灯りにも負けず、星々は夜空を誇らしげに照らしている。夜のぬるい風に吹かれて、俺の足元に落ちていた1枚の枯れ葉が、月明かりを目指すように水面の方に飛んでいった。

サファイヤの瞳から放たれる水色の光が俺を照らす。俺の首元からぶら下がっている青い龍のネックレスは、いつになくキラキラと光っている。

俺は静かに首を縦に振った。

サファイヤは悟ったような表情を見せると、星空を仰いだ。彼の真っ黒なシルエット。彼の髪の毛の隙間から、月の光が漏れている。



不思議だ。


その姿はまるで、俺が幼稚園児の時に見た、未確認生物図鑑に載っていたメインキャラクター、ネッシーを彷彿とさせた。
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2025/09/02 16:11

花火
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