[水平線]
語り手がイ・ソクヒョンからウルフに転換しました。お読みの際はご注意下さい。
[水平線]
『私が吸血鬼って、どういう意味ですか』
イ・ソクヒョンが俺たちに見せたスマホの画面に、彼が入力した韓国語が日本語訳されて表示されていた。
彼は今も吸血鬼化したままだ。真っ赤な瞳。真っ赤な髪の毛。長く鋭く、氷柱のように伸びた爪。獰猛な猛獣のように鋭くて大きな牙。
『自分の姿の異常さには気付いているんですよね?』
バットがそう入力して、韓国語訳が表示されたのを確かめた上でスマホを彼に見せた。彼はそれを読むと、躊躇うように小さく頷いて俺たちの方を見た。そしてまた、バットのスマホに視線を落とした。それは、吸血鬼化した俺たちの姿と、バットのスマホ画面に薄っすら映る吸血鬼化した自分の姿を見比べているようだった。
俺達はこの部屋に入ってから、彼とはスマホを使ってコミュニケーションを取っている。誰一人として声を出さない。彗星も、吸血鬼化した俺達が向かい合って座っているのを、傍から緊張した面持ちで見守っているだけだ。
「彗星…あんたには、イ・ソクヒョンの…その…異常が分かるか?普通の人間に見える?それとも…」
俺の声がその静寂を破った。部屋の外にいる誰かに聞かれると困る。俺は先輩にすら自分が吸血鬼であることを打ち明けていない。今、チェリー宅にいる人間で、俺とバットが吸血鬼であることを知っているのは、彗星だけ。
「え?今も…普通の人間姿に見えるんだけど…」
彗星は戸惑った表情を見せ、俺たちとイ・ソクヒョンを交互に見比べた。
「俺達が今、変身してるのは見えるよな」
彗星は、バットのその問いにはしっかりと首を縦に振った。
俺達にしか認識出来ない吸血鬼化…か。
それは、やっぱり、前世でのイ・ソクヒョン…つまり、宮司龍臣がドラゴンの禁忌を犯したことを知っているからか…?
そもそも…どうしてイ・ソクヒョンは、今になって突然自分の吸血鬼化を認識出来るようになったんだ。
「ちょっとちょっと」
思い詰めたような表情を顔に浮かべて俯くイ・ソクヒョンの右手の甲を人差し指で突き、俺は自分のスマホの画面を見せた。
『少なくとも貴方がオーディションに出た頃には既に吸血鬼化することもあったこと、知ってましたか?』
彼は、俺が入力したその言葉に、顔を上げると目を大きく開け、物凄い勢いで首を横に振った。その間、バットは、前に俺に見せてくれた、イ・ソクヒョンが吸血鬼化した時の写真をスマホで探してしいた。
「これ」
バットがそれらの写真をイ・ソクヒョンに見せると、彼は信じられないといった表情を顔に浮かべ、戦慄した様に身体を小刻みに震わせた。
「おい、バット。どうする?」
俺達は今日、きっとこいつに、吸血鬼化してしまった理由を伝えることになる。でもそれはきっと、彼には受け入れ難い現実。伝えない方が彼の為になるかもしれない。だからといって、吸血鬼化を治す方法は俺達には分からない。精々、他の一般人には吸血鬼化していることが分からないのを逆手に取って、吸血鬼化しても知らんぷりしとけとしかアドバイス出来ない。
バットは暫くスマホを弄りながら、イ・ソクヒョンの顔色を伺いながら、ポツリと呟いた。
「敢えて吸血鬼化の理由は伏せて、知らん振り路線でアドバイスするしか…。ドラゴンの禁忌を犯したなんて話をクソ真面目にしてもな…」
バットの最後の方の言葉を聞いたイ・ソクヒョンの右頬の肉が、ピクリと痙攣するように動いた。
「クンギ……?」
なんて?
彼は、スマホに何かを入力すると、それを俺達に見せた。そこには、はっきりと日本語で『禁忌』と表示されている。
何か…心当たりがある?
彼は続けて、スマホに入力し、それを俺たちに見せた。
『僕は幼少期から、血が滲んだような暗くて真っ暗な空に向かって、ひたすら謝り続ける夢を見ます。実は一昨日から、私に似た声が脳の中に流れ込むようになりました。その声は他人には聞こえません。その声は、断片的です。その声は、『俺は禁忌を犯した』と言います。不気味で鬱陶しいです』
コンコン
部屋の扉がノックされた。彼は慌ててスマホの画面を消してポケットに仕舞い、俺達は慌てて人間姿に戻った。イ・ソクヒョンは吸血鬼化したままだったが、俺とバット以外には見えないから良しとしよう。
「夜ご飯…。もしかして体調悪い?」
チェリーさんが不安そうな表情を浮かべながら能力をドアの向こうから顔を覗かせた。
「血洗。大丈夫か。滅茶苦茶静かだったけど、何の話してたんだ」
「ソクヒョン…ムスン イヤギヨッオヨ?」
[小文字]「何の話してたんですか?」[/小文字]
吸血鬼化の話をしてました…なんて言えるか。
「アニ…クェンチャナ」
[小文字]「いや…大丈夫」[/小文字]
イ・ソクヒョンは下手に誤魔化しながら、鋭い牙を生やしたまま、部屋を出て台所に向かった。台所の机には、一口も口が付けられていない料理が沢山の皿に盛り付けられており、席に付いていたKORJAのメンバーが、訝しそうな表情で俺とバットを睨んでいた。
「折角なら貴方達も食べていって下さいよ」
チェリーさんが俺とバットを、イ・ソクヒョンの隣の席に座るように促した。本当はさっさと話して夕飯頃には帰る予定だったが、俺達はチェリーさんの勢いに負けて夕飯を頂くことになった。
「失礼しますね」
俺達はイ・ソクヒョンの隣に、ペコリと頭を下げて腰を下ろした。
『どうしよう…俺が吸血鬼なんて…どうして…何で…?俺はどうすれば…』
あ。聞こえる。
俺は夕飯を食べ始めた頃、吸血鬼交信スイッチ(俺が勝手に名付けた)をオンにしていたのだ。
俺達が夕飯を半分くらい食べ終わった頃、俺の頭の中にイ・ソクヒョンの声が届いた。吸血鬼同士の通信に使われるもので、恐らくイ・ソクヒョンは自分の考えていることが吸血鬼である俺やバットに知られていることには気が付いていない。因みに、これに関しては外国語だろうと何だろうと意思疎通が出来る。慣れさえすれば遠隔地にいてもやり取りは出来るし、スマホが無くても良いから便利。ただ、人間とのやり取りにはスマホが必要不可欠。俺が今晩、ここに来たのも、先に彗星から電話で連絡を受けたバットから交信が送られてきたのだ。
彼は何も気にしていない振りをして、チェリーさんの手作りのお寿司を美味しそうに食べていたが、内心は自分の吸血鬼化に夢中になっている。
『もしもし?』
俺はワカメの汁物を吸いながら、隣に座っているイ・ソクヒョンに交信してみた。彼が吸血鬼なら、俺が声に出さなくても、俺が韓国語を話せなくても意思疎通が出来るはずだ。
『…ん?今、何か聞こえた?』
イ・ソクヒョンが、お箸でキムチの漬物を掴んだまま、部屋に紛れ込んだハエを探すように天井をキョロキョロと見渡した。
やっぱり…。聞こえてる。
『おい、ウルフ』
『あ?』
バットから交信だ。バットは素知らぬ顔で、マグロのお寿司を次から次へと口の中に入れていく。
『吸血鬼化のこと、いずれはイ・ソクヒョン自身が納得しないと駄目だ。どうする。どう伝える』
…そもそも、イ・ソクヒョンが何故吸血鬼化するのかは、推測で止まっていて事実と決まったわけではない。推測で物事を進めるのは危険。イ・ソクヒョンの前世が本当に宮司龍臣なのか、彼が本当にドラゴンの禁忌を犯したのか、それが彼の不思議な吸血鬼化の原因なのか…。それらを全て明らかにしてからでないといけない。
取り敢えず今日は、吸血鬼化しても何ら問題はないから気にするなとしか言えない…か。
『…あの…?』
イ・ソクヒョン?
俺はチラリと左横に視線をやった。俺は皆に怪しまれない様に彼を見ているのに、彼は俺の顔を穴が空くほど凝視している。
『……何で、俺は今、貴方の考えていることがわかるんですか』
彼の瞳が激しく揺れ動いている。一生懸命に平静を装って、空になったワカメの汁物が入っていたお椀を口につけている。
『吸血鬼だからですよ。だから、近くに吸血鬼がいる時は十分に気を付けましょう。もし、エッチな事を考えていたらバレバレですからね』
高級そうなウニを口にかきこみながら、バットが彼に交信したのが分かった。だが、イ・ソクヒョンは全く気にしていないようだった。他の何かに気を取られているような様子だ。
あ……。待って。バレた?
さっきの部屋にいた時は、俺達が吸血鬼スイッチをオフにしていたから、ドラゴンの禁忌について話しても、彼には伝わっていない。吸血鬼スイッチは、双方がオンにしておかないと機能しないのだ。
あ……。終わった。
『ウルフさん、バットさん』
俺の嫌な予感が当たる。イ・ソクヒョンは、目の前にある帆立の貝柱に視線を落としながら、俺たちに交信してきた。彼は段々と、自身の吸血鬼としての特異性を受け入れ始めた。そしてそれは、俺達が現段階では望まない方向へと進んでいく。
『貴方達の考えていたことを盗み聞きしたようで申し訳ありませんが…』
最後の一つのお寿司に伸びていたバットの箸の先が、ピクリとごく僅かに揺れた。
『私の前世が宮司龍臣って、何の話ですか?私がドラゴンの禁忌を犯したって、いったいどういう意味ですか?』
あぁ…。
吸血鬼交信スイッチって、時にはこんなに厄介なものになり得るんだな。
『……事実だと決まったわけではありません。現段階では推測です。ただ…、ソクヒョンさんの吸血鬼化の原因が俺達で、俺達の吸血鬼化の原因がソクヒョンさんである可能性があるんです』
バットが丁寧な口調で、ソクヒョンに交信する。ソクヒョンは、食べ終わった皿の縁の柄を目で追うように目を泳がせながら、バットから送られてくる交信内容に耳を傾けている。
『悪夢も見ずに済むようになるかもしれないし、脳の中に声が流れ込むこともなくなるかもしれない。もしかしたら、吸血鬼から完全に人間になることだって可能かもしれない。ソクヒョンさん、俺達に協力してくれませんか』
「ソクヒョン…?ウェグレ?」
[小文字]「ソクヒョン…?どうした?」[/小文字]
動揺したように皿の縁を目でなぞるソクヒョンの不自然な様子に、ええ…。誰だっけ、こいつ。あ、そうそう、ビョングォンっていう人が、ソクヒョンの顔色を伺うような仕草を見せた。
「アニ…。クェンチャナ」
[小文字]「いや…。大丈夫」[/小文字]
ソクヒョンは、我に返ったように顔を上げて、水滴すら残っていない、既に飲み干して空になったコップの空気を一杯飲んだ。ソクヒョンは、何やらKORJAのメンバーと話しながら、俺達にメッセージを送ってきた。
『吸血鬼の件、ぜひ私からも協力させて下さい』と。
[水平線]
「カムサハムニダ」
[小文字]「ありがとうございました」[/小文字]
夕食を食べ終え、暫く談笑した後、アロー達は帰っていった。俺達は皆で玄関まで彼らを見送った。玄関のすぐ外に、彼らを乗せていくバンが停まっていた。ソクヒョンはバンに乗る直前、チラリと俺とバットを振り向いて、ペコリと頭を下げた。黒いバンは一人の運転手と七人のメンバーを乗せて、夜の暗闇に溶けていった。
「血洗」
「はい?!」
今の今まで、チェリーさんの隣に座って彼女の横顔を愛おしそうに眺めていた先輩が、突然俺に声を掛けてきた。俺は咄嗟に吸血鬼交信スイッチをオフにした。
「お前って好きな女子おらんの」
「まだいないっすね」
何を思い付いたのか、先輩は俺に好みの女性のタイプや彼女の有無、歴代彼女はどんなだとか尋ねてくる。先輩が言うには、最近海外から日本に引っ越してきたばかりのオランダ人家族と10年以上前から知り合いだったらしく、先輩と同い年のオランダ人の友人の妹が、彼氏募集中のようだ。
「いやあ…俺、英語とか出来ないし…」
その時、俺の脳裏に、ある記憶が蘇った。それは、俺達が死者の世界から戻ってくる直前に、晴馬が見せてくれた姿。綺麗にくねった赤髪と、ペリドットのように綺麗な透き通った緑色の瞳を持った少年の姿だった。
え…?
もしかして、俺、未来の奥さんとの出会いが近い?
あれ…?
っていうか、最近、同じような外見をした人を見たことがあるぞ…?
「先輩、俺、その女の人に会ってみたいです」
「お?!そう伝えとくぜ」
先輩は俺以上にウキウキとした足取りで、玄関の電気を消し、リビングに向かった。
「っていうか、夜遅くまでお邪魔してしまってすみません」
気付けば時計の針は夜の9時を過ぎていた。俺達はすぐに帰る支度をして、玄関に向かった。先輩もチェリーさんも、泊まっていけば良いと言ったが、新婚夫婦の夜を邪魔したくない。
「お邪魔しましたー」
俺は、バットと彗星と3人で並んで、街灯の明かりを頼りに最寄り駅まで向かった。真っ暗な夜空には、星は一つとして輝いていない。月がただ一つ、黒い雲の向こうから僅かに顔を出している。
「ねえ。あの人、大丈夫そう?」
彗星は、遠くに光る月を見上げながら、道端に伸びた雑草を避けて進んでいく。
「ソクヒョンだろ?まぁ…まぁ…。不安や動揺は当然あるだろうけどね」
バットの影が、白い石塀に型抜きをしたようにくっきりと写っている。
ピーッ バサバサッ
バットは他に誰も人がいないのを確認すると、鷲の姿になって近くの電柱に止まった。
「おい、ウルフ。夜だし、お前もコウモリ姿になって帰ろうぜ。人間姿だと電車の運賃払わないと」
なるほど。名案だ。俺はコウモリになって宙に浮いた。身体が幾分か軽くなった。
「あ!ズルい。私も動物になりたい」
「彗星は人間だから無理だよ〜ん」
バットは誂うように彗星の頭上を飛び回る。
「翠ちゃん!」
「あ!かずくん!」
いつの間にか彗星は、一裕をかずくんと呼ぶようになった。一裕がチェリーさんの家のすぐ近くまで車で迎えに来ていたのだ。助手席の窓から、彗星が顔を出してニコニコと誇らしげな笑顔で俺達に手を振る。俺とバットは電柱に止まって、2人の乗った車が走り去っていくのを暫くの間黙って見送っていた。
「なあ…?」
「お…?」
目を凝らせば、夜の街の灯りに負けないように、星がたった一つだけ、か弱い光を放って月の側に光っている。
「俺たちって、何でワシとコウモリになるんだと思う?他の動物じゃなくて」
「…知らん」
「なあ…?」
「あ?」
「ソクヒョンってさ…何の動物になるんだろ」
何となく答えは分かっている。
ただ、何となく。
「…ねむ。帰ろうぜ」
バットはアパートがある方へと飛んでいく。俺は一歩遅れて、バットの軌跡を追うように飛んだ。民家からは、淡いオレンジ色の光がポツポツと漏れている。フッと灯りが消える家も。遠くには、街なかのビルディングの灯り。俺たちよりもずっと高い空を、1機の飛行機が赤いライトを点滅させながら、雲に時折隠れながら飛んでいく。
俺はふと思った。
俺は、いつの日か出会う大切な人…。
俺の奥さんに、俺の子供たちに、俺の本当の姿を伝えるべきか、と。
俺は吸血鬼だよ、と。
語り手がイ・ソクヒョンからウルフに転換しました。お読みの際はご注意下さい。
[水平線]
『私が吸血鬼って、どういう意味ですか』
イ・ソクヒョンが俺たちに見せたスマホの画面に、彼が入力した韓国語が日本語訳されて表示されていた。
彼は今も吸血鬼化したままだ。真っ赤な瞳。真っ赤な髪の毛。長く鋭く、氷柱のように伸びた爪。獰猛な猛獣のように鋭くて大きな牙。
『自分の姿の異常さには気付いているんですよね?』
バットがそう入力して、韓国語訳が表示されたのを確かめた上でスマホを彼に見せた。彼はそれを読むと、躊躇うように小さく頷いて俺たちの方を見た。そしてまた、バットのスマホに視線を落とした。それは、吸血鬼化した俺たちの姿と、バットのスマホ画面に薄っすら映る吸血鬼化した自分の姿を見比べているようだった。
俺達はこの部屋に入ってから、彼とはスマホを使ってコミュニケーションを取っている。誰一人として声を出さない。彗星も、吸血鬼化した俺達が向かい合って座っているのを、傍から緊張した面持ちで見守っているだけだ。
「彗星…あんたには、イ・ソクヒョンの…その…異常が分かるか?普通の人間に見える?それとも…」
俺の声がその静寂を破った。部屋の外にいる誰かに聞かれると困る。俺は先輩にすら自分が吸血鬼であることを打ち明けていない。今、チェリー宅にいる人間で、俺とバットが吸血鬼であることを知っているのは、彗星だけ。
「え?今も…普通の人間姿に見えるんだけど…」
彗星は戸惑った表情を見せ、俺たちとイ・ソクヒョンを交互に見比べた。
「俺達が今、変身してるのは見えるよな」
彗星は、バットのその問いにはしっかりと首を縦に振った。
俺達にしか認識出来ない吸血鬼化…か。
それは、やっぱり、前世でのイ・ソクヒョン…つまり、宮司龍臣がドラゴンの禁忌を犯したことを知っているからか…?
そもそも…どうしてイ・ソクヒョンは、今になって突然自分の吸血鬼化を認識出来るようになったんだ。
「ちょっとちょっと」
思い詰めたような表情を顔に浮かべて俯くイ・ソクヒョンの右手の甲を人差し指で突き、俺は自分のスマホの画面を見せた。
『少なくとも貴方がオーディションに出た頃には既に吸血鬼化することもあったこと、知ってましたか?』
彼は、俺が入力したその言葉に、顔を上げると目を大きく開け、物凄い勢いで首を横に振った。その間、バットは、前に俺に見せてくれた、イ・ソクヒョンが吸血鬼化した時の写真をスマホで探してしいた。
「これ」
バットがそれらの写真をイ・ソクヒョンに見せると、彼は信じられないといった表情を顔に浮かべ、戦慄した様に身体を小刻みに震わせた。
「おい、バット。どうする?」
俺達は今日、きっとこいつに、吸血鬼化してしまった理由を伝えることになる。でもそれはきっと、彼には受け入れ難い現実。伝えない方が彼の為になるかもしれない。だからといって、吸血鬼化を治す方法は俺達には分からない。精々、他の一般人には吸血鬼化していることが分からないのを逆手に取って、吸血鬼化しても知らんぷりしとけとしかアドバイス出来ない。
バットは暫くスマホを弄りながら、イ・ソクヒョンの顔色を伺いながら、ポツリと呟いた。
「敢えて吸血鬼化の理由は伏せて、知らん振り路線でアドバイスするしか…。ドラゴンの禁忌を犯したなんて話をクソ真面目にしてもな…」
バットの最後の方の言葉を聞いたイ・ソクヒョンの右頬の肉が、ピクリと痙攣するように動いた。
「クンギ……?」
なんて?
彼は、スマホに何かを入力すると、それを俺達に見せた。そこには、はっきりと日本語で『禁忌』と表示されている。
何か…心当たりがある?
彼は続けて、スマホに入力し、それを俺たちに見せた。
『僕は幼少期から、血が滲んだような暗くて真っ暗な空に向かって、ひたすら謝り続ける夢を見ます。実は一昨日から、私に似た声が脳の中に流れ込むようになりました。その声は他人には聞こえません。その声は、断片的です。その声は、『俺は禁忌を犯した』と言います。不気味で鬱陶しいです』
コンコン
部屋の扉がノックされた。彼は慌ててスマホの画面を消してポケットに仕舞い、俺達は慌てて人間姿に戻った。イ・ソクヒョンは吸血鬼化したままだったが、俺とバット以外には見えないから良しとしよう。
「夜ご飯…。もしかして体調悪い?」
チェリーさんが不安そうな表情を浮かべながら能力をドアの向こうから顔を覗かせた。
「血洗。大丈夫か。滅茶苦茶静かだったけど、何の話してたんだ」
「ソクヒョン…ムスン イヤギヨッオヨ?」
[小文字]「何の話してたんですか?」[/小文字]
吸血鬼化の話をしてました…なんて言えるか。
「アニ…クェンチャナ」
[小文字]「いや…大丈夫」[/小文字]
イ・ソクヒョンは下手に誤魔化しながら、鋭い牙を生やしたまま、部屋を出て台所に向かった。台所の机には、一口も口が付けられていない料理が沢山の皿に盛り付けられており、席に付いていたKORJAのメンバーが、訝しそうな表情で俺とバットを睨んでいた。
「折角なら貴方達も食べていって下さいよ」
チェリーさんが俺とバットを、イ・ソクヒョンの隣の席に座るように促した。本当はさっさと話して夕飯頃には帰る予定だったが、俺達はチェリーさんの勢いに負けて夕飯を頂くことになった。
「失礼しますね」
俺達はイ・ソクヒョンの隣に、ペコリと頭を下げて腰を下ろした。
『どうしよう…俺が吸血鬼なんて…どうして…何で…?俺はどうすれば…』
あ。聞こえる。
俺は夕飯を食べ始めた頃、吸血鬼交信スイッチ(俺が勝手に名付けた)をオンにしていたのだ。
俺達が夕飯を半分くらい食べ終わった頃、俺の頭の中にイ・ソクヒョンの声が届いた。吸血鬼同士の通信に使われるもので、恐らくイ・ソクヒョンは自分の考えていることが吸血鬼である俺やバットに知られていることには気が付いていない。因みに、これに関しては外国語だろうと何だろうと意思疎通が出来る。慣れさえすれば遠隔地にいてもやり取りは出来るし、スマホが無くても良いから便利。ただ、人間とのやり取りにはスマホが必要不可欠。俺が今晩、ここに来たのも、先に彗星から電話で連絡を受けたバットから交信が送られてきたのだ。
彼は何も気にしていない振りをして、チェリーさんの手作りのお寿司を美味しそうに食べていたが、内心は自分の吸血鬼化に夢中になっている。
『もしもし?』
俺はワカメの汁物を吸いながら、隣に座っているイ・ソクヒョンに交信してみた。彼が吸血鬼なら、俺が声に出さなくても、俺が韓国語を話せなくても意思疎通が出来るはずだ。
『…ん?今、何か聞こえた?』
イ・ソクヒョンが、お箸でキムチの漬物を掴んだまま、部屋に紛れ込んだハエを探すように天井をキョロキョロと見渡した。
やっぱり…。聞こえてる。
『おい、ウルフ』
『あ?』
バットから交信だ。バットは素知らぬ顔で、マグロのお寿司を次から次へと口の中に入れていく。
『吸血鬼化のこと、いずれはイ・ソクヒョン自身が納得しないと駄目だ。どうする。どう伝える』
…そもそも、イ・ソクヒョンが何故吸血鬼化するのかは、推測で止まっていて事実と決まったわけではない。推測で物事を進めるのは危険。イ・ソクヒョンの前世が本当に宮司龍臣なのか、彼が本当にドラゴンの禁忌を犯したのか、それが彼の不思議な吸血鬼化の原因なのか…。それらを全て明らかにしてからでないといけない。
取り敢えず今日は、吸血鬼化しても何ら問題はないから気にするなとしか言えない…か。
『…あの…?』
イ・ソクヒョン?
俺はチラリと左横に視線をやった。俺は皆に怪しまれない様に彼を見ているのに、彼は俺の顔を穴が空くほど凝視している。
『……何で、俺は今、貴方の考えていることがわかるんですか』
彼の瞳が激しく揺れ動いている。一生懸命に平静を装って、空になったワカメの汁物が入っていたお椀を口につけている。
『吸血鬼だからですよ。だから、近くに吸血鬼がいる時は十分に気を付けましょう。もし、エッチな事を考えていたらバレバレですからね』
高級そうなウニを口にかきこみながら、バットが彼に交信したのが分かった。だが、イ・ソクヒョンは全く気にしていないようだった。他の何かに気を取られているような様子だ。
あ……。待って。バレた?
さっきの部屋にいた時は、俺達が吸血鬼スイッチをオフにしていたから、ドラゴンの禁忌について話しても、彼には伝わっていない。吸血鬼スイッチは、双方がオンにしておかないと機能しないのだ。
あ……。終わった。
『ウルフさん、バットさん』
俺の嫌な予感が当たる。イ・ソクヒョンは、目の前にある帆立の貝柱に視線を落としながら、俺たちに交信してきた。彼は段々と、自身の吸血鬼としての特異性を受け入れ始めた。そしてそれは、俺達が現段階では望まない方向へと進んでいく。
『貴方達の考えていたことを盗み聞きしたようで申し訳ありませんが…』
最後の一つのお寿司に伸びていたバットの箸の先が、ピクリとごく僅かに揺れた。
『私の前世が宮司龍臣って、何の話ですか?私がドラゴンの禁忌を犯したって、いったいどういう意味ですか?』
あぁ…。
吸血鬼交信スイッチって、時にはこんなに厄介なものになり得るんだな。
『……事実だと決まったわけではありません。現段階では推測です。ただ…、ソクヒョンさんの吸血鬼化の原因が俺達で、俺達の吸血鬼化の原因がソクヒョンさんである可能性があるんです』
バットが丁寧な口調で、ソクヒョンに交信する。ソクヒョンは、食べ終わった皿の縁の柄を目で追うように目を泳がせながら、バットから送られてくる交信内容に耳を傾けている。
『悪夢も見ずに済むようになるかもしれないし、脳の中に声が流れ込むこともなくなるかもしれない。もしかしたら、吸血鬼から完全に人間になることだって可能かもしれない。ソクヒョンさん、俺達に協力してくれませんか』
「ソクヒョン…?ウェグレ?」
[小文字]「ソクヒョン…?どうした?」[/小文字]
動揺したように皿の縁を目でなぞるソクヒョンの不自然な様子に、ええ…。誰だっけ、こいつ。あ、そうそう、ビョングォンっていう人が、ソクヒョンの顔色を伺うような仕草を見せた。
「アニ…。クェンチャナ」
[小文字]「いや…。大丈夫」[/小文字]
ソクヒョンは、我に返ったように顔を上げて、水滴すら残っていない、既に飲み干して空になったコップの空気を一杯飲んだ。ソクヒョンは、何やらKORJAのメンバーと話しながら、俺達にメッセージを送ってきた。
『吸血鬼の件、ぜひ私からも協力させて下さい』と。
[水平線]
「カムサハムニダ」
[小文字]「ありがとうございました」[/小文字]
夕食を食べ終え、暫く談笑した後、アロー達は帰っていった。俺達は皆で玄関まで彼らを見送った。玄関のすぐ外に、彼らを乗せていくバンが停まっていた。ソクヒョンはバンに乗る直前、チラリと俺とバットを振り向いて、ペコリと頭を下げた。黒いバンは一人の運転手と七人のメンバーを乗せて、夜の暗闇に溶けていった。
「血洗」
「はい?!」
今の今まで、チェリーさんの隣に座って彼女の横顔を愛おしそうに眺めていた先輩が、突然俺に声を掛けてきた。俺は咄嗟に吸血鬼交信スイッチをオフにした。
「お前って好きな女子おらんの」
「まだいないっすね」
何を思い付いたのか、先輩は俺に好みの女性のタイプや彼女の有無、歴代彼女はどんなだとか尋ねてくる。先輩が言うには、最近海外から日本に引っ越してきたばかりのオランダ人家族と10年以上前から知り合いだったらしく、先輩と同い年のオランダ人の友人の妹が、彼氏募集中のようだ。
「いやあ…俺、英語とか出来ないし…」
その時、俺の脳裏に、ある記憶が蘇った。それは、俺達が死者の世界から戻ってくる直前に、晴馬が見せてくれた姿。綺麗にくねった赤髪と、ペリドットのように綺麗な透き通った緑色の瞳を持った少年の姿だった。
え…?
もしかして、俺、未来の奥さんとの出会いが近い?
あれ…?
っていうか、最近、同じような外見をした人を見たことがあるぞ…?
「先輩、俺、その女の人に会ってみたいです」
「お?!そう伝えとくぜ」
先輩は俺以上にウキウキとした足取りで、玄関の電気を消し、リビングに向かった。
「っていうか、夜遅くまでお邪魔してしまってすみません」
気付けば時計の針は夜の9時を過ぎていた。俺達はすぐに帰る支度をして、玄関に向かった。先輩もチェリーさんも、泊まっていけば良いと言ったが、新婚夫婦の夜を邪魔したくない。
「お邪魔しましたー」
俺は、バットと彗星と3人で並んで、街灯の明かりを頼りに最寄り駅まで向かった。真っ暗な夜空には、星は一つとして輝いていない。月がただ一つ、黒い雲の向こうから僅かに顔を出している。
「ねえ。あの人、大丈夫そう?」
彗星は、遠くに光る月を見上げながら、道端に伸びた雑草を避けて進んでいく。
「ソクヒョンだろ?まぁ…まぁ…。不安や動揺は当然あるだろうけどね」
バットの影が、白い石塀に型抜きをしたようにくっきりと写っている。
ピーッ バサバサッ
バットは他に誰も人がいないのを確認すると、鷲の姿になって近くの電柱に止まった。
「おい、ウルフ。夜だし、お前もコウモリ姿になって帰ろうぜ。人間姿だと電車の運賃払わないと」
なるほど。名案だ。俺はコウモリになって宙に浮いた。身体が幾分か軽くなった。
「あ!ズルい。私も動物になりたい」
「彗星は人間だから無理だよ〜ん」
バットは誂うように彗星の頭上を飛び回る。
「翠ちゃん!」
「あ!かずくん!」
いつの間にか彗星は、一裕をかずくんと呼ぶようになった。一裕がチェリーさんの家のすぐ近くまで車で迎えに来ていたのだ。助手席の窓から、彗星が顔を出してニコニコと誇らしげな笑顔で俺達に手を振る。俺とバットは電柱に止まって、2人の乗った車が走り去っていくのを暫くの間黙って見送っていた。
「なあ…?」
「お…?」
目を凝らせば、夜の街の灯りに負けないように、星がたった一つだけ、か弱い光を放って月の側に光っている。
「俺たちって、何でワシとコウモリになるんだと思う?他の動物じゃなくて」
「…知らん」
「なあ…?」
「あ?」
「ソクヒョンってさ…何の動物になるんだろ」
何となく答えは分かっている。
ただ、何となく。
「…ねむ。帰ろうぜ」
バットはアパートがある方へと飛んでいく。俺は一歩遅れて、バットの軌跡を追うように飛んだ。民家からは、淡いオレンジ色の光がポツポツと漏れている。フッと灯りが消える家も。遠くには、街なかのビルディングの灯り。俺たちよりもずっと高い空を、1機の飛行機が赤いライトを点滅させながら、雲に時折隠れながら飛んでいく。
俺はふと思った。
俺は、いつの日か出会う大切な人…。
俺の奥さんに、俺の子供たちに、俺の本当の姿を伝えるべきか、と。
俺は吸血鬼だよ、と。
- 1.開始せよ(1)
- 2.開始せよ(2)
- 3.開始せよ(3)
- 4.扉(1)
- 5.扉(2)
- 6.灰色(1)
- 7.灰色(2)
- 8.灰色(3)
- 9.混血(1)
- 10.混血(2)
- 11.混血(3)
- 12.いのち(1)
- 13.いのち(2)
- 14.仮面(1)
- 15.仮面(2)
- 16.仮面(3)
- 17.思い出せ(1)
- 18.思い出せ(2)
- 19.楓(1)
- 20.楓(2)
- 21.兄の過去(1)
- 22.兄の過去(2)
- 23.伝えられなかった「すき」 エピソード1
- 24.海の少年(1)
- 25.海の少年(2)
- 26.伝えられなかった「すき」 エピソード 2
- 27.王国の真実(1)
- 28.王国の真実(2)
- 29.王国の真実(3)
- 30.王国の真実(4)
- 31.王国の真実(5)
- 32.桜
- 33.眠った記憶(1)
- 34.眠った記憶(2)
- 35.眠った記憶(3)
- 36.眠った記憶(4)
- 37.眠った記憶(5)
- 38.記憶よ、目覚めよ(1)
- 39.記憶よ、目覚めよ(2)
- 40.記憶よ、目覚めよ(3)
- 41.休憩タイム(1)
- 42.休憩タイム(2)
- 43.休憩タイム(3)
- 44.伝えられた「すき」
- 45.謎解きゲーム(1)
- 46.謎解きゲーム(2)
- 47.隠された宇宙(1)
- 48.隠された宇宙(2)
- 49.隠された宇宙(3)
- 50.隠された宇宙(4)
- 51.死者の想い(1)
- 52.死者の想い(2)
- 53.死者の想い(3)
- 54.死者の想い(4)
- 55.親子(1)
- 56.親子(2)
- 57.親子(3)
- 58.親子(4)
- 59.親子(5)
- 60.こどもたち(1)
- 61.こどもたち(2)
- 62.ほこり(1)
- 63.ほこり(2)
- 64.食う(1)
- 65.食う(2)
- 66.食う(3)
- 67.本当の自分(1)
- 68.本当の自分(2)
- 69.本当の自分(3)
- 70.宿題との戦いの末、2人の高校生男子「死す」
- 71.別れ(1)
- 72.別れ(2)
- 73.喧騒に紛れて
- 74.仮面を脱げ
- 75.名前は
- 76.虚構と真実
- 77.ヨミガエル
- 78.迷宮
- 79.橋を渡る、境目を越える
- 80.罪人の証
- 81.真実との対峙
- 82.扉を開ける前に
- 83.浜辺の宵
- 84.目隠し
- 85.鏡の中
- 86.夜明け
- 87.誕生日
- 88.真実の足枷
- 89.覚悟の時
- 90.逃避
- 91.罪と真実と
- 92.父の懺悔
- 93.best friend
- 94.兄弟
- 95.境界線