[水平線]
話し手の目線は、イ・ソクヒョンからウルフに転換しました。ご注意下さい。
[水平線]
KORJAたちが来日するまであと1日。つまり、明日だ。
俺とバットは、別にあいつらのファンでも何でもないが、アローとイ・ソクヒョンのことが気になって、ここ一週間で彼らのMVやテレビに出演した時の動画をYouTubeで見るようになった。
「ちょっと扇風機の風強くしても良い?」
「おう」
俺は今、大学の講義を受け終わって、バットのアパートにお邪魔させてもらっている。
カチッ
俺が扇風機のボタンを何度か押すと、扇風機は俺たちに強い風を送るようになった。
カラン…
キンキンに冷えた麦茶の中の氷が一回転。
俺とバットはリビングのテレビの前に置かれたソファで寛ぎながら、相変わらずKORJAの情報収集をしている。彼らがYouTubeにアップロードしているのはデビュー曲とLierの2曲だけ。明日の公演では新曲を披露するとかしないとか。
「あのさ、俺気になることがあるんだけど」
バットが右手に持ったトマトをかじりながら、左手に持ったスマホの画面を俺に見せてきた。そこには、イ・ソクヒョンが写った写真が幾つかコラージュされたものが映っていた。どれもイ・ソクヒョンが吸血鬼した時のものだ。
まだ田舎臭い少年だった彼が、オーディションを受けている時の写真。緊張した表情を浮かべた彼の顔。口からは鋭い牙がニョキッと遠慮なく姿を見せている。
練習生仲間と一緒に、死に物狂いでダンスの練習をしている時の写真。練習室の鏡に映る自分を、彼は血のように赤い瞳で睨んでいる。
デビューが決まって、他のメンバー6人と抱き合って泣いている時の写真。染めている可能性は捨てきれないが、彼の髪は赤くなっている。だが、他のメンバーは皆茶色に統一させていることを考えると、やはり彼だけが赤髪なのは不自然だろう。
「何か変じゃない?」
バットはトマトのヘタを皿の縁において、手をティッシュで拭くと、スマホに映る彼の姿を指差した。
「別に吸血鬼化する必要のない場所で吸血鬼化してるよな、こいつ」
「…と言うと?」
俺たちは普段、人間の姿で暮らしている。吸血鬼化すると厄介だからだ。俺たちが人間を前にして吸血鬼化したのは、蓮や佳奈美さんたちが初めてだ。俺たちだって別に、吸血鬼にならないといけないから吸血鬼化するわけではなく、ただなろうと思えばなれますよ、というだけだ。
「違う言い方をすれば…」
バットは暫くの間、言葉を探すように虚空を見つめると、俺の目をしっかりと見て言った。
「イ・ソクヒョン…吸血鬼の自覚がないかも」
自覚が…ない…?
俺とバットは、自分たちが吸血鬼であることを知っている。それは、龍獅国で死刑判決を受けて処刑された記憶を持っているからだ。
つまり、イ・ソクヒョンには、俺たちと似たような最期を前世で迎えたはずだが、それを覚えていないということか…?
「いや、バット。ちょっと待て」
俺は自分のスマホをソファに置いて、バットのスマホの画像を覗き込んだ。
イ・ソクヒョンが、オーディションを受けている時の。写真。デビューが決まり、イ・ソクヒョンが他のメンバーと抱き合って泣いている時の写真。写真はどれも、吸血鬼化したイ・ソクヒョンと一緒にそれ以外の人物も映っている。
先日バットが疑ったように、吸血鬼としてのイ・ソクヒョンの姿を一般人が認識できないのだとすれば筋は通る。吸血鬼化しているときでさえ、一般人にはイ・ソクヒョンが格好良い韓国人男性としか認識できないのだから。
でも…イ・ソクヒョン本人は?
彼自身でさえ、自分の吸血鬼化に気が付いていないのか?
それともただ、知らないフリをしているだけか?
…いや、あいつは俺たちとは違う。
俺達みたいに前世の記憶があれば、自分が吸血鬼化しても驚きはしないのかもしれない。現に、俺が初めて吸血鬼化した時も、そう言えばそうだったとしか感じなかった。
でも、もしもあいつに前世の記憶がないと仮定すれば、自分の吸血鬼化に驚かずにはいられないはず。どうして自分が吸血鬼化するのかも分からないはず。
何処かに矛盾が生じている…。
「イ・ソクヒョンのデビュー前の様子とか、何かないかな?」
俺はスマホをバットに返し、自分のスマホで色々と検索し始めた。
「さあ…デビュー前は一般人だったみたいだし、そんなに情報は無いんじゃないかな」
バットはそう言って、自分のスマホでYouTubeを開けた。KORJAのYouTubeチャンネルが開設されて、そこに色々な動画が度々更新されていく。
「何か手掛かりは無いかな〜♪」
バットは、適当に作ったような歌を歌いながら、ソファに身を預けて画面をスクロールしていく。
「ん〜〜。デビュー前の話は少ないな…。イジメによる不登校を音楽に救われたのが、アイドルを目指すきっかけになったっていう情報はあるけど…」
俺が半分諦めかけた頃、バットが突然身を起こして俺に自分のスマホの画像を見せてきた。
「何か見つけたか?」
バットの表情は、仲間を見つけた安心感と好奇心、そして極微量の警戒心を混ぜたようなものだった。
「イ・ソクヒョンが一曲だけソロ曲を出してる。練習生時代に作ったものに少し手を加えたみたいだ」
バットはそう言って、KORJAのチャンネルのある動画をタップした。
MVは無いタイプの動画だ。血で滲んだような赤茶色の世界に、青い竜が一頭、寂しそうに空に向かって吠えている画像。右下に漢字で李龍臣と小さな文字で雑に書かれてる。
「練習生時代は、普通に本名を名乗ってたみたい」
バットはそう言って、俺の隣に腰を下ろし、興奮気味にその動画の概要欄を指差した。その指先に、この曲の題名が表示されていた。
『뱀파이어〜Vampire〜』
俺はその題名を見て、隣に座っているバットの方を見た。バットもまた、俺の方を見ていた。
「吸血鬼の自覚はあるってことか?」
「まだ分からん」
俺は視線をスマホの画面に戻し、自分の人差し指の指先を恐る恐る再生ボタンに近付けた。
「良い?」
俺の問いに、バットは興奮気味に頷いた。
トッ…
俺の爪の先が、スマホの画面を叩いた音が、夏の喧騒に紛れて聞こえた。
[水平線]
[斜体][明朝体]
너는 어디에 있는 거야?
[小文字]君はどこにいるの? [/小文字]
붉게 녹슨 하늘에 외쳐도
[小文字]赤く錆びた空に叫んでも [/小文字]
고독한 허공 속에 잠겨가며
[小文字]孤独な虚空に沈み込み [/小文字]
필사적으로 용서를 구하고 있어
[小文字]必死に許しを乞っている [/小文字]
나는 여기에 있어
[小文字]僕はここにいるよ [/小文字]
손을 뻗어도 어둠 너머
[小文字]手を伸ばしても闇の向こう [/小文字]
끈질긴 악몽에 지쳐가며
[小文字]しつこい悪夢に疲れ果て [/小文字]
비참한 체념을 가슴에 안아
[小文字]惨めな諦めを胸に抱く [/小文字]
만약 네가 죄인이라면
[小文字]もしも君が罪人なら [/小文字]
나는 널 사랑해야만 하는 걸까
[小文字]僕は君を愛さなきゃいけないのだろうか [/小文字]
부디 신이여, 이건 현실이 아니길
[小文字]どうか神様、これは現実じゃありませんように [/小文字]
별똥별에 소원을 빌어
[小文字]流れ星に願いをかける [/小文字]
만약 내가 죄인이라면
[小文字]もしも僕が罪人なら [/小文字]
축복 받을 자격조차 없어
[小文字]祝福を受ける資格さえない [/小文字]
부디 신이여, 이 악몽에서
[小文字]どうか神様、この悪夢から [/小文字]
깨어나게 해 달라며 고개 숙여
[小文字]目を覚まさせてくださいと俯く [/小文字]
너의 자리는 마치 블랙홀
[小文字]君の居場所はまるでブラックホール[/小文字]
희망의 빛조차 삼켜 버리고
[小文字]希望の光さえ飲み込んで [/小文字]
모습을 감춘 채 두려움이 되어
[小文字]姿を隠したまま恐怖となり [/小文字]
내 심장을 움켜쥐어 부숴
[小文字]僕の心臓を握り潰す [/小文字]
너의 자리는 나의 심장
[小文字]君の居場所は僕の心臓 [/小文字]
내 안 어딘가에 네가 살아 있어
[小文字]僕のどこかで君が生きている [/小文字]
만약 네가 내 심장이라면
[小文字]もしも君が僕の心臓なら [/小文字]
부디 날 죽이지 말아 줘
[小文字]どうか僕を殺さないで [/小文字]
Dreaming of bloody night
쓰디쓴 피의 향기
[小文字]苦い血の香り [/小文字]
It’s like I were a Vampire
[/明朝体][/斜体]
[水平線]
「え、何こいつ。精神状態大丈夫?」
僅か2分間足らずの曲を聴き終えると、バットは腕をグーンと宙に伸ばし、そのままソファに倒れ込んだ。
「歌詞が抽象的で理解が難しかったけどな…」
俺はスマホを消して、バットと同じように腕を伸ばして後ろのソファに倒れ込んだ。
ピッポ パッポ ピッポ パッポ…
バットのアパートは街から少し離れたところにある。信号機の音が、生温い風に乗ってここまで運ばれて来る。
「悪夢ねえ…」
バットは目を瞑りながら、溜息と一緒にそう吐き出した。龍獅国での記憶を呼び起こしているようだった。
「なあなあ」
「あ?」
生温い風を俺たちに吹き付ける扇風機に仰がれて、俺たちの前髪がチロチロと動く。おでこがくすぐったい。
「ウルフにとっては、処刑された日のこと、悪夢か?」
「俺達が殺された日?」
俺はふと自分の左胸に手を当てた。心臓の鼓動が確かに伝わってくる。だが、前世はこの心臓を、馬鹿みたいに長い槍で一突きされた。
「怖かった記憶はあるけどな…」
「それな…」
前世では俺の方が先に息絶えた。バットの息が、俺の死後どれだけ持ったのかは分からない。
「悪夢と言うよりかは、ただの過去だよな?」
「うーん…」
俺はもう一度、さっき聴いた曲の歌詞を頭の中に思い浮かべた。
「なあなあ、ウルフ」
「お?」
バットが扇風機を俺たちに近付け、コップの中の麦茶を一杯仰ぐと、何か考え事をするようにブツブツと呟き始めた。
「イ・ソクヒョンに、青龍…宮司龍臣としての記憶は無さそうだよな…?」
「あぁ」
「でも、そいつの名前が宮司龍臣とリンクしてる可能性は濃厚だよな」
「うん」
「調べてみたら、ドラゴンのアクセサリーが好きだって言うしな。しかも、メンバーカラーが青だろ?リンクしてるよな、確実に」
「あぁ」
「吸血鬼としての自覚があるのか、歌詞だけだと判断できないよな……?」
「……多分」
俺たちはテンポよくやり取りしていたが、バットが突然身体を起こし、俺の前で突然吸血鬼化し始めた。バットの瞳が、みるみる紫色に染まっていく。口からは鋭い犬歯が、遠慮なくニョキニョキと生えだす。バットは自分のスマホの画面を鏡のようにして、鏡に映る自分の姿を確認した。
「見えるよな?」
「あぁ」
黒い画面に、吸血鬼化したバットの姿が映っている。
「どうしても分からん」
バットはスマホを机に伏せながら、人間の姿に戻り、さっきと同じように腕を広げてソファに倒れ込んだ。俺の横から、ボスンとした衝動が伝わる。
「一般人には、イ・ソクヒョンの吸血鬼化を認識出来ないのは置いといて、なんでイ・ソクヒョン自身がそれを自覚出来ない?」
イ・ソクヒョンは歌詞の中で、悪夢から救われたいというような思いをぶつけていた。
どうして自分が悪夢を見るのかも分からないようだった。
諦観を抱くほど、何度も悪夢を見ているらしい。
最後には、彼の本当の姿かもしれない吸血鬼についても歌詞にしている。
だけど、もしもイ・ソクヒョンに吸血鬼としての自覚があれば、そんな歌詞は書かないだろう。
悪夢を見ることはあっても。
もしも、吸血鬼としての自覚があるならば…前世の記憶があるならば、悪夢を見る原因も自ずと分かる。
「いや、バット、待て。自覚云々の問題じゃない」
色々と考えているうちに、筋道が少しズレている気がした。
「吸血鬼としての自覚がなかったとしたら、突然自分が吸血鬼化したら驚くだろ」
「そうだね」
数年前に俺達が蓮たちと一緒に死後の世界に行く直前、バグで吸血鬼化してしまった時の佳奈美さんの反応も、当然のものだった。一般人としての自覚を持っている人間だから、吸血鬼化を認識できないわけではない。
だが、俺たちとは違って、あいつの吸血鬼化は一般人には認識出来ない。俺たち吸血鬼だけが気付ける。
「でも、吸血鬼化してる最中でも本人が認識出来ないってことは…?」
あいつの吸血鬼化は、…やはり特殊?
「年のため確かめるけど、俺たちって前世は普通の人間だったよな?吸血鬼じゃなくて」
バットが俺の方に身体を向けて、俺の横顔にそう尋ねた。俺が首を縦に振ると、バットは何度か瞬きをしてから、俺の顔を覗き込むような姿勢になった。
「龍獅国で死刑判決を受けるのって、人間だけだよな?」
「そうだろ」
犬とか猫が死刑判決を受けるなんて、前世でも今世でも聞いたことがない。
「宮司龍臣が龍として最期を迎えた時…」
何を言おうとしているのかが分からず、俺がバットの方を見ると、俺とバットの目が合った。
「吸血鬼になる条件が、前世で死刑判決を受けたから以外にある可能性は…?」
吸血鬼になる…条件?
「変な言い方するけどさ…死刑判決って自分で自分に下せるよな」
「えっ…?いやいや、待て待て」
歴史上の人物の中には、処刑された人、自決した人が何人もいる。バットの理論で行けば、その人らも吸血鬼に転生することになる。それに、メイプル第一王女様に仕えていた圭吾も自害したが、吸血鬼にはならなかった。
「分かってる…ただの推測だ」
「……死刑判決に拘る必要ない気もするけどな?」
なああんも、分からん…。
「メイプル第一王女様に仕えていた青龍って、どんなだったっけ?」
俺は、所々薄れた前世の記憶を辿っていった。それは、俺とバットが龍隊に入隊申請をした日。年少者用のドラゴンが多数配置された場所に連れて行かれ、自分に一番懐くドラゴンを探した。
俺たちに懐いてくれたドラゴンたち、元気かな…?
実は、俺とバットに懐いたドラゴンは、メイプル第一王女様の守護竜の子供だった。恐れ多いことに、俺たちは王家に仕える竜の子供の上に跨っていたのだ。
俺に懐いてくれた個体は、透き通るような水色。今思えば、サファイヤの瞳の色にもよく似ている。バットに懐いた個体は、どこまでも深い藍色。2頭の色を足して2で割れば、丁度例の青竜になる。
でも…イ・ソクヒョンの前世の姿が宮司龍臣だとして、メイプル第一王女様の死後とは言え、用無しになったからと言って殺されるなんてことは決して無かった。メイプル第一王女様の形式上の叔父であったクランシーに贈呈されたから。
「イ・ソクヒョンが俺達を死刑に導いたと仮定して…あ?…ああ!!駄目だ。俺達だけじゃ限界だよ」
バットは頭を掻きむしり、まるでヤケ酒のように麦茶を仰いだ。
「サファイヤに記憶を見てもらえるかな」
「…それ、イ・ソクヒョンにバラすのか?サファイヤの異能を」
ポチャン
「あ?」
バットの前に置かれた麦茶のコップの中に、何かが落ちた。俺とバットは、同時に身体を起こし、コップの中を覗いた。
真っ赤な金魚だ。窮屈そうにコップの中を泳いでいる。
「クソ!お茶かよ。水だと思ったのに」
コップの中からサファイヤの声がする。バットはコップの中の麦茶を捨て、中に水を入れた。
「こりゃどうも」
透明なコップの中を、金魚姿のサファイヤが悠々と泳いでいる。
「サファイヤさ、前世の記憶を見れたりする?」
「前世?」
バットはコップに顔を近付けて、サファイヤに尋ねた。
「試したことない…。多分、今世の記憶に邪魔されまくるだろうけどね。なんで?」
バットは、イ・ソクヒョンの吸血鬼化に関する謎を解き明かすには、彼の前世が鍵になることを話した。
「ややこし…吸血鬼化した自分を認識出来ないって、どういう原理?」
今まで色々な謎を解き明かすのに尽力してくれたサファイヤでさえ、手も足も出ない様子だ。バットもコップを前に、頭を抱えている。
「あのさ、イ・ソクヒョンの前世が宮司龍臣だとして、どうしてそいつは守護竜としてメイプル第一王女様に仕えられたの?」
サファイヤが、水面に出来る限り身体を近付けて、口をパクパクさせながら俺たちに尋ねた。
「ああ、それは…確か…」
バットはそう言って、青龍がメイプル第一王女様の守護竜になる経緯を簡単に説明した。王家は、嘘や騙しが蔓延る世界。いつでも足を引っ張ろうとする輩、使者に見せかけた刺客等も珍しくない。その際、偽文書かどうかを判断するのに長けた龍が、王族の守護竜として選ばれたのだ。すべての個体にあるわけではないが、彼らのようなドラゴンの目には、過ちや嘘を察知しそれを正すという能力がある。実際、それのおかげで、リオンドールに送った予算報告書から官僚の横領を感知することが出来たのだ。宮司龍臣も、同じような目を持っていたのだろう。
「ふうん…?」
サファイヤはバットの説明を聴き終えると、何かを思い付いたように言葉を発した。
「イ・ソクヒョンの吸血鬼化は、単に吸血鬼にしか認識できないんじゃない。ウルフとバットにしか分からないのかも」
金魚姿でコップの中を泳ぐのはやはり窮屈だったようで、サファイヤは水中で金魚からメダカに姿を変えた。サファイヤは多少ゆとりを持って泳げるようになった。
「お前らの推測では、前世のイ・ソクヒョン、つまり宮司龍臣がお前らを死刑に導いたと考えてるんだろ?俺、正しいと思うよ、それ」
サファイヤは、のうのうと透き通った水の中を泳ぎ回る。上の方を泳いでみたり、下の方を泳いでみたり。
「だってさ、この世界にはお前ら以外にも吸血鬼がいる可能性は十分にあるでしょ」
「そりゃそうだよな」
バットはコップの中の水を洗面器に移し替え、水の量を少し足し、その中にメダカ姿のサファイヤをポチャンと落とした。サファイヤは洗面器の中を、羽根を伸ばして自由自在に泳ぎ回る。
「YouTubeに吸血鬼化してる時の様子が映っているのに対して、他の吸血鬼からの反応が全くないのもおかしいだろ」
言われれば確かに…。
俺はあの日の後も、何日かに渡ってLierのMVのコメント欄を全て確認したが、誰一人としてイ・ソクヒョンの吸血鬼化に触れていなかった。
「でもさ、あなた吸血鬼ですよねなんてコメントを送る人なんていない。ましてや吸血鬼なら。人にバレたら厄介なことになるってのを知っているのは、吸血鬼張本人だからな」
バットは洗面器に指を突っ込み、クルクルと水面を掻き回した。サファイヤは、それに逆らうように水の流れに乗って泳ぐ。
「まぁ良いや。勝手な推測だけど、俺の話聞いてくれる?」
サファイヤはピタリと泳ぐのを止め、俺とバットを見上げた。一匹の小さなメダカが、水色の光を目に宿して俺達を見上げていた。
「お前たちが宮司龍臣を、吸血鬼化させた説」
俺達が……?
話し手の目線は、イ・ソクヒョンからウルフに転換しました。ご注意下さい。
[水平線]
KORJAたちが来日するまであと1日。つまり、明日だ。
俺とバットは、別にあいつらのファンでも何でもないが、アローとイ・ソクヒョンのことが気になって、ここ一週間で彼らのMVやテレビに出演した時の動画をYouTubeで見るようになった。
「ちょっと扇風機の風強くしても良い?」
「おう」
俺は今、大学の講義を受け終わって、バットのアパートにお邪魔させてもらっている。
カチッ
俺が扇風機のボタンを何度か押すと、扇風機は俺たちに強い風を送るようになった。
カラン…
キンキンに冷えた麦茶の中の氷が一回転。
俺とバットはリビングのテレビの前に置かれたソファで寛ぎながら、相変わらずKORJAの情報収集をしている。彼らがYouTubeにアップロードしているのはデビュー曲とLierの2曲だけ。明日の公演では新曲を披露するとかしないとか。
「あのさ、俺気になることがあるんだけど」
バットが右手に持ったトマトをかじりながら、左手に持ったスマホの画面を俺に見せてきた。そこには、イ・ソクヒョンが写った写真が幾つかコラージュされたものが映っていた。どれもイ・ソクヒョンが吸血鬼した時のものだ。
まだ田舎臭い少年だった彼が、オーディションを受けている時の写真。緊張した表情を浮かべた彼の顔。口からは鋭い牙がニョキッと遠慮なく姿を見せている。
練習生仲間と一緒に、死に物狂いでダンスの練習をしている時の写真。練習室の鏡に映る自分を、彼は血のように赤い瞳で睨んでいる。
デビューが決まって、他のメンバー6人と抱き合って泣いている時の写真。染めている可能性は捨てきれないが、彼の髪は赤くなっている。だが、他のメンバーは皆茶色に統一させていることを考えると、やはり彼だけが赤髪なのは不自然だろう。
「何か変じゃない?」
バットはトマトのヘタを皿の縁において、手をティッシュで拭くと、スマホに映る彼の姿を指差した。
「別に吸血鬼化する必要のない場所で吸血鬼化してるよな、こいつ」
「…と言うと?」
俺たちは普段、人間の姿で暮らしている。吸血鬼化すると厄介だからだ。俺たちが人間を前にして吸血鬼化したのは、蓮や佳奈美さんたちが初めてだ。俺たちだって別に、吸血鬼にならないといけないから吸血鬼化するわけではなく、ただなろうと思えばなれますよ、というだけだ。
「違う言い方をすれば…」
バットは暫くの間、言葉を探すように虚空を見つめると、俺の目をしっかりと見て言った。
「イ・ソクヒョン…吸血鬼の自覚がないかも」
自覚が…ない…?
俺とバットは、自分たちが吸血鬼であることを知っている。それは、龍獅国で死刑判決を受けて処刑された記憶を持っているからだ。
つまり、イ・ソクヒョンには、俺たちと似たような最期を前世で迎えたはずだが、それを覚えていないということか…?
「いや、バット。ちょっと待て」
俺は自分のスマホをソファに置いて、バットのスマホの画像を覗き込んだ。
イ・ソクヒョンが、オーディションを受けている時の。写真。デビューが決まり、イ・ソクヒョンが他のメンバーと抱き合って泣いている時の写真。写真はどれも、吸血鬼化したイ・ソクヒョンと一緒にそれ以外の人物も映っている。
先日バットが疑ったように、吸血鬼としてのイ・ソクヒョンの姿を一般人が認識できないのだとすれば筋は通る。吸血鬼化しているときでさえ、一般人にはイ・ソクヒョンが格好良い韓国人男性としか認識できないのだから。
でも…イ・ソクヒョン本人は?
彼自身でさえ、自分の吸血鬼化に気が付いていないのか?
それともただ、知らないフリをしているだけか?
…いや、あいつは俺たちとは違う。
俺達みたいに前世の記憶があれば、自分が吸血鬼化しても驚きはしないのかもしれない。現に、俺が初めて吸血鬼化した時も、そう言えばそうだったとしか感じなかった。
でも、もしもあいつに前世の記憶がないと仮定すれば、自分の吸血鬼化に驚かずにはいられないはず。どうして自分が吸血鬼化するのかも分からないはず。
何処かに矛盾が生じている…。
「イ・ソクヒョンのデビュー前の様子とか、何かないかな?」
俺はスマホをバットに返し、自分のスマホで色々と検索し始めた。
「さあ…デビュー前は一般人だったみたいだし、そんなに情報は無いんじゃないかな」
バットはそう言って、自分のスマホでYouTubeを開けた。KORJAのYouTubeチャンネルが開設されて、そこに色々な動画が度々更新されていく。
「何か手掛かりは無いかな〜♪」
バットは、適当に作ったような歌を歌いながら、ソファに身を預けて画面をスクロールしていく。
「ん〜〜。デビュー前の話は少ないな…。イジメによる不登校を音楽に救われたのが、アイドルを目指すきっかけになったっていう情報はあるけど…」
俺が半分諦めかけた頃、バットが突然身を起こして俺に自分のスマホの画像を見せてきた。
「何か見つけたか?」
バットの表情は、仲間を見つけた安心感と好奇心、そして極微量の警戒心を混ぜたようなものだった。
「イ・ソクヒョンが一曲だけソロ曲を出してる。練習生時代に作ったものに少し手を加えたみたいだ」
バットはそう言って、KORJAのチャンネルのある動画をタップした。
MVは無いタイプの動画だ。血で滲んだような赤茶色の世界に、青い竜が一頭、寂しそうに空に向かって吠えている画像。右下に漢字で李龍臣と小さな文字で雑に書かれてる。
「練習生時代は、普通に本名を名乗ってたみたい」
バットはそう言って、俺の隣に腰を下ろし、興奮気味にその動画の概要欄を指差した。その指先に、この曲の題名が表示されていた。
『뱀파이어〜Vampire〜』
俺はその題名を見て、隣に座っているバットの方を見た。バットもまた、俺の方を見ていた。
「吸血鬼の自覚はあるってことか?」
「まだ分からん」
俺は視線をスマホの画面に戻し、自分の人差し指の指先を恐る恐る再生ボタンに近付けた。
「良い?」
俺の問いに、バットは興奮気味に頷いた。
トッ…
俺の爪の先が、スマホの画面を叩いた音が、夏の喧騒に紛れて聞こえた。
[水平線]
[斜体][明朝体]
너는 어디에 있는 거야?
[小文字]君はどこにいるの? [/小文字]
붉게 녹슨 하늘에 외쳐도
[小文字]赤く錆びた空に叫んでも [/小文字]
고독한 허공 속에 잠겨가며
[小文字]孤独な虚空に沈み込み [/小文字]
필사적으로 용서를 구하고 있어
[小文字]必死に許しを乞っている [/小文字]
나는 여기에 있어
[小文字]僕はここにいるよ [/小文字]
손을 뻗어도 어둠 너머
[小文字]手を伸ばしても闇の向こう [/小文字]
끈질긴 악몽에 지쳐가며
[小文字]しつこい悪夢に疲れ果て [/小文字]
비참한 체념을 가슴에 안아
[小文字]惨めな諦めを胸に抱く [/小文字]
만약 네가 죄인이라면
[小文字]もしも君が罪人なら [/小文字]
나는 널 사랑해야만 하는 걸까
[小文字]僕は君を愛さなきゃいけないのだろうか [/小文字]
부디 신이여, 이건 현실이 아니길
[小文字]どうか神様、これは現実じゃありませんように [/小文字]
별똥별에 소원을 빌어
[小文字]流れ星に願いをかける [/小文字]
만약 내가 죄인이라면
[小文字]もしも僕が罪人なら [/小文字]
축복 받을 자격조차 없어
[小文字]祝福を受ける資格さえない [/小文字]
부디 신이여, 이 악몽에서
[小文字]どうか神様、この悪夢から [/小文字]
깨어나게 해 달라며 고개 숙여
[小文字]目を覚まさせてくださいと俯く [/小文字]
너의 자리는 마치 블랙홀
[小文字]君の居場所はまるでブラックホール[/小文字]
희망의 빛조차 삼켜 버리고
[小文字]希望の光さえ飲み込んで [/小文字]
모습을 감춘 채 두려움이 되어
[小文字]姿を隠したまま恐怖となり [/小文字]
내 심장을 움켜쥐어 부숴
[小文字]僕の心臓を握り潰す [/小文字]
너의 자리는 나의 심장
[小文字]君の居場所は僕の心臓 [/小文字]
내 안 어딘가에 네가 살아 있어
[小文字]僕のどこかで君が生きている [/小文字]
만약 네가 내 심장이라면
[小文字]もしも君が僕の心臓なら [/小文字]
부디 날 죽이지 말아 줘
[小文字]どうか僕を殺さないで [/小文字]
Dreaming of bloody night
쓰디쓴 피의 향기
[小文字]苦い血の香り [/小文字]
It’s like I were a Vampire
[/明朝体][/斜体]
[水平線]
「え、何こいつ。精神状態大丈夫?」
僅か2分間足らずの曲を聴き終えると、バットは腕をグーンと宙に伸ばし、そのままソファに倒れ込んだ。
「歌詞が抽象的で理解が難しかったけどな…」
俺はスマホを消して、バットと同じように腕を伸ばして後ろのソファに倒れ込んだ。
ピッポ パッポ ピッポ パッポ…
バットのアパートは街から少し離れたところにある。信号機の音が、生温い風に乗ってここまで運ばれて来る。
「悪夢ねえ…」
バットは目を瞑りながら、溜息と一緒にそう吐き出した。龍獅国での記憶を呼び起こしているようだった。
「なあなあ」
「あ?」
生温い風を俺たちに吹き付ける扇風機に仰がれて、俺たちの前髪がチロチロと動く。おでこがくすぐったい。
「ウルフにとっては、処刑された日のこと、悪夢か?」
「俺達が殺された日?」
俺はふと自分の左胸に手を当てた。心臓の鼓動が確かに伝わってくる。だが、前世はこの心臓を、馬鹿みたいに長い槍で一突きされた。
「怖かった記憶はあるけどな…」
「それな…」
前世では俺の方が先に息絶えた。バットの息が、俺の死後どれだけ持ったのかは分からない。
「悪夢と言うよりかは、ただの過去だよな?」
「うーん…」
俺はもう一度、さっき聴いた曲の歌詞を頭の中に思い浮かべた。
「なあなあ、ウルフ」
「お?」
バットが扇風機を俺たちに近付け、コップの中の麦茶を一杯仰ぐと、何か考え事をするようにブツブツと呟き始めた。
「イ・ソクヒョンに、青龍…宮司龍臣としての記憶は無さそうだよな…?」
「あぁ」
「でも、そいつの名前が宮司龍臣とリンクしてる可能性は濃厚だよな」
「うん」
「調べてみたら、ドラゴンのアクセサリーが好きだって言うしな。しかも、メンバーカラーが青だろ?リンクしてるよな、確実に」
「あぁ」
「吸血鬼としての自覚があるのか、歌詞だけだと判断できないよな……?」
「……多分」
俺たちはテンポよくやり取りしていたが、バットが突然身体を起こし、俺の前で突然吸血鬼化し始めた。バットの瞳が、みるみる紫色に染まっていく。口からは鋭い犬歯が、遠慮なくニョキニョキと生えだす。バットは自分のスマホの画面を鏡のようにして、鏡に映る自分の姿を確認した。
「見えるよな?」
「あぁ」
黒い画面に、吸血鬼化したバットの姿が映っている。
「どうしても分からん」
バットはスマホを机に伏せながら、人間の姿に戻り、さっきと同じように腕を広げてソファに倒れ込んだ。俺の横から、ボスンとした衝動が伝わる。
「一般人には、イ・ソクヒョンの吸血鬼化を認識出来ないのは置いといて、なんでイ・ソクヒョン自身がそれを自覚出来ない?」
イ・ソクヒョンは歌詞の中で、悪夢から救われたいというような思いをぶつけていた。
どうして自分が悪夢を見るのかも分からないようだった。
諦観を抱くほど、何度も悪夢を見ているらしい。
最後には、彼の本当の姿かもしれない吸血鬼についても歌詞にしている。
だけど、もしもイ・ソクヒョンに吸血鬼としての自覚があれば、そんな歌詞は書かないだろう。
悪夢を見ることはあっても。
もしも、吸血鬼としての自覚があるならば…前世の記憶があるならば、悪夢を見る原因も自ずと分かる。
「いや、バット、待て。自覚云々の問題じゃない」
色々と考えているうちに、筋道が少しズレている気がした。
「吸血鬼としての自覚がなかったとしたら、突然自分が吸血鬼化したら驚くだろ」
「そうだね」
数年前に俺達が蓮たちと一緒に死後の世界に行く直前、バグで吸血鬼化してしまった時の佳奈美さんの反応も、当然のものだった。一般人としての自覚を持っている人間だから、吸血鬼化を認識できないわけではない。
だが、俺たちとは違って、あいつの吸血鬼化は一般人には認識出来ない。俺たち吸血鬼だけが気付ける。
「でも、吸血鬼化してる最中でも本人が認識出来ないってことは…?」
あいつの吸血鬼化は、…やはり特殊?
「年のため確かめるけど、俺たちって前世は普通の人間だったよな?吸血鬼じゃなくて」
バットが俺の方に身体を向けて、俺の横顔にそう尋ねた。俺が首を縦に振ると、バットは何度か瞬きをしてから、俺の顔を覗き込むような姿勢になった。
「龍獅国で死刑判決を受けるのって、人間だけだよな?」
「そうだろ」
犬とか猫が死刑判決を受けるなんて、前世でも今世でも聞いたことがない。
「宮司龍臣が龍として最期を迎えた時…」
何を言おうとしているのかが分からず、俺がバットの方を見ると、俺とバットの目が合った。
「吸血鬼になる条件が、前世で死刑判決を受けたから以外にある可能性は…?」
吸血鬼になる…条件?
「変な言い方するけどさ…死刑判決って自分で自分に下せるよな」
「えっ…?いやいや、待て待て」
歴史上の人物の中には、処刑された人、自決した人が何人もいる。バットの理論で行けば、その人らも吸血鬼に転生することになる。それに、メイプル第一王女様に仕えていた圭吾も自害したが、吸血鬼にはならなかった。
「分かってる…ただの推測だ」
「……死刑判決に拘る必要ない気もするけどな?」
なああんも、分からん…。
「メイプル第一王女様に仕えていた青龍って、どんなだったっけ?」
俺は、所々薄れた前世の記憶を辿っていった。それは、俺とバットが龍隊に入隊申請をした日。年少者用のドラゴンが多数配置された場所に連れて行かれ、自分に一番懐くドラゴンを探した。
俺たちに懐いてくれたドラゴンたち、元気かな…?
実は、俺とバットに懐いたドラゴンは、メイプル第一王女様の守護竜の子供だった。恐れ多いことに、俺たちは王家に仕える竜の子供の上に跨っていたのだ。
俺に懐いてくれた個体は、透き通るような水色。今思えば、サファイヤの瞳の色にもよく似ている。バットに懐いた個体は、どこまでも深い藍色。2頭の色を足して2で割れば、丁度例の青竜になる。
でも…イ・ソクヒョンの前世の姿が宮司龍臣だとして、メイプル第一王女様の死後とは言え、用無しになったからと言って殺されるなんてことは決して無かった。メイプル第一王女様の形式上の叔父であったクランシーに贈呈されたから。
「イ・ソクヒョンが俺達を死刑に導いたと仮定して…あ?…ああ!!駄目だ。俺達だけじゃ限界だよ」
バットは頭を掻きむしり、まるでヤケ酒のように麦茶を仰いだ。
「サファイヤに記憶を見てもらえるかな」
「…それ、イ・ソクヒョンにバラすのか?サファイヤの異能を」
ポチャン
「あ?」
バットの前に置かれた麦茶のコップの中に、何かが落ちた。俺とバットは、同時に身体を起こし、コップの中を覗いた。
真っ赤な金魚だ。窮屈そうにコップの中を泳いでいる。
「クソ!お茶かよ。水だと思ったのに」
コップの中からサファイヤの声がする。バットはコップの中の麦茶を捨て、中に水を入れた。
「こりゃどうも」
透明なコップの中を、金魚姿のサファイヤが悠々と泳いでいる。
「サファイヤさ、前世の記憶を見れたりする?」
「前世?」
バットはコップに顔を近付けて、サファイヤに尋ねた。
「試したことない…。多分、今世の記憶に邪魔されまくるだろうけどね。なんで?」
バットは、イ・ソクヒョンの吸血鬼化に関する謎を解き明かすには、彼の前世が鍵になることを話した。
「ややこし…吸血鬼化した自分を認識出来ないって、どういう原理?」
今まで色々な謎を解き明かすのに尽力してくれたサファイヤでさえ、手も足も出ない様子だ。バットもコップを前に、頭を抱えている。
「あのさ、イ・ソクヒョンの前世が宮司龍臣だとして、どうしてそいつは守護竜としてメイプル第一王女様に仕えられたの?」
サファイヤが、水面に出来る限り身体を近付けて、口をパクパクさせながら俺たちに尋ねた。
「ああ、それは…確か…」
バットはそう言って、青龍がメイプル第一王女様の守護竜になる経緯を簡単に説明した。王家は、嘘や騙しが蔓延る世界。いつでも足を引っ張ろうとする輩、使者に見せかけた刺客等も珍しくない。その際、偽文書かどうかを判断するのに長けた龍が、王族の守護竜として選ばれたのだ。すべての個体にあるわけではないが、彼らのようなドラゴンの目には、過ちや嘘を察知しそれを正すという能力がある。実際、それのおかげで、リオンドールに送った予算報告書から官僚の横領を感知することが出来たのだ。宮司龍臣も、同じような目を持っていたのだろう。
「ふうん…?」
サファイヤはバットの説明を聴き終えると、何かを思い付いたように言葉を発した。
「イ・ソクヒョンの吸血鬼化は、単に吸血鬼にしか認識できないんじゃない。ウルフとバットにしか分からないのかも」
金魚姿でコップの中を泳ぐのはやはり窮屈だったようで、サファイヤは水中で金魚からメダカに姿を変えた。サファイヤは多少ゆとりを持って泳げるようになった。
「お前らの推測では、前世のイ・ソクヒョン、つまり宮司龍臣がお前らを死刑に導いたと考えてるんだろ?俺、正しいと思うよ、それ」
サファイヤは、のうのうと透き通った水の中を泳ぎ回る。上の方を泳いでみたり、下の方を泳いでみたり。
「だってさ、この世界にはお前ら以外にも吸血鬼がいる可能性は十分にあるでしょ」
「そりゃそうだよな」
バットはコップの中の水を洗面器に移し替え、水の量を少し足し、その中にメダカ姿のサファイヤをポチャンと落とした。サファイヤは洗面器の中を、羽根を伸ばして自由自在に泳ぎ回る。
「YouTubeに吸血鬼化してる時の様子が映っているのに対して、他の吸血鬼からの反応が全くないのもおかしいだろ」
言われれば確かに…。
俺はあの日の後も、何日かに渡ってLierのMVのコメント欄を全て確認したが、誰一人としてイ・ソクヒョンの吸血鬼化に触れていなかった。
「でもさ、あなた吸血鬼ですよねなんてコメントを送る人なんていない。ましてや吸血鬼なら。人にバレたら厄介なことになるってのを知っているのは、吸血鬼張本人だからな」
バットは洗面器に指を突っ込み、クルクルと水面を掻き回した。サファイヤは、それに逆らうように水の流れに乗って泳ぐ。
「まぁ良いや。勝手な推測だけど、俺の話聞いてくれる?」
サファイヤはピタリと泳ぐのを止め、俺とバットを見上げた。一匹の小さなメダカが、水色の光を目に宿して俺達を見上げていた。
「お前たちが宮司龍臣を、吸血鬼化させた説」
俺達が……?
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