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桜の下で、もう一度

#6

言えない名前

昼休みが終わり、教室に戻ると、さっきまでのざわめきが嘘みたいに静かになった。
新しいクラスの空気はまだ固くて、誰もが様子を探りながら席に座る。

凛は自分の席に戻りながら、夕奈の背中を見た。
屋上での会話が、まだ胸の奥に残っている。

――中学のこと、いつか話す。

その言葉は嬉しいはずなのに、どこか不安を連れてきた。
夕奈が“言えない”理由。
それが何なのか、考えれば考えるほど胸がざわつく。

「凛くん」

名前を呼ばれて、凛は顔を上げた。
夕奈が、少しだけ不安そうな表情でこちらを見ていた。

「さっき……屋上で言ったこと、気にしないでね」

「気にするよ。夕奈が言ったんだし」

夕奈は視線を落とした。
その仕草は、まるで何かを隠すようだった。

「……ごめん。ほんとは、言わないほうがよかったのかもしれない」

「どうして?」

夕奈は答えない。
ただ、机の端を指でなぞるように触れた。

その指先が震えているのを見て、凛は息を飲んだ。

「夕奈……」

名前を呼ぶと、夕奈はびくりと肩を揺らした。
まるでその名前が痛みのように響いたかのように。

「……ごめん。ちょっと、びっくりしただけ」

夕奈は笑おうとしたが、その笑顔はうまく形にならなかった。

「凛くんに名前呼ばれるの、久しぶりだから」

その言葉は、優しさよりも寂しさのほうが強かった。

凛は胸が締めつけられるのを感じた。
名前を呼ぶだけで、夕奈がこんな顔をする理由。
それが分からないことが、余計に苦しかった。

「……呼んじゃだめだった?」

凛がそう言うと、夕奈は慌てて首を振った。

「違うの。だめじゃない。むしろ……嬉しいよ」

夕奈は小さく息を吸い、続けた。

「でもね、凛くんに名前呼ばれると……中学のこと、思い出しちゃうから」

その声は、震えていた。

凛は言葉を失った。
夕奈が“思い出したくない何か”を抱えていることだけが、はっきり分かった。

チャイムが鳴り、授業が始まる。
夕奈は前を向いたまま、もう何も言わなかった。

凛はただ、夕奈の背中を見つめるしかできなかった。

名前を呼ぶだけで痛む記憶。
その記憶の正体を、凛はまだ知らない。

春の光が教室に差し込み、ふたりの影を静かに揺らした。

止まっていた時間は、また少しだけ重くなる。

2026/07/03 16:40

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