立花 綾と柃 壮獅の出会いは9年ほど遡る。
立花家の隣に新しく引っ越してきた一家は自分のところの一人息子である壮獅と年齢が近いと聞いたので、わざわざ親子で挨拶に来とという。
外面の良い綾の母親は、新しい隣人を屋敷に招き入れると、親子が手土産に持ってきたお高い洋菓子店の焼き菓子と一緒に紅茶を出し、なにやら世間話を始めた。
そうすると必然的に柃の相手をするのは綾だった。
兄はあいにく習い事の陸上に行っている間だったし、妹の奈子は生まれてすら居ない状態だったので、それは至極当然の流れだった。
「はじめまして、ひさかきそうしです」
「私ね、立花 綾っていうんだよ」
「へぇあやちゃんって言うんだ………ん、あれ?あや…っ、あ、あやちゃん?」
壮獅はその瞬間自分の中に稲妻が走ったような気がした。
今まで消えたパズルの最後のピースがソファーのしたから出てきた感覚………。埋められていなかった喪失感がやっと満たされたような妙な感覚と共にやってきた記憶。
今よりも高い目線、靡くスカート、笑顔から混乱に変わる表情、血溜まり、走り去る男。
あの日唐突に奪われた日常。
頭の中で霞がかっていた記憶が、その瞬間にどばっと溢れ出す。
小さな脳に叩き込まれる自分じゃない自分の記憶。____前世の記憶が、目の前のこの少女を見た事がトリガーとなって次々に思い出されてくる。
そして前世の自分の記憶が全部思い出された頃には感じていた割れそうなぐらい痛い頭痛は消え去っていた。
だけど、その代わり目の前の少女への罪悪感が胸いっぱいに広がった。
「っあ、ぁ……綾……………?」
「うん、どうしたの壮くん?」
その優しい表情と呼び方には、どうしても覚えがあった。
縋り付くように壮獅は綾を抱きしめた。記憶より短くなった手で綾の体をぎゅっと抱きしめながら謝罪の言葉をつむぐ。
「あ、ぅう……っ、俺、おれ……綾、あやを置いて行っちゃった」
「うん」
「ご、ごめんねぇ……はじめまして、じゃ、ないのに……ねぇ。ご、ごめんねぇ。おいて、いっ、ぅちゃ、おいていっちゃった、ごめんねぇ……俺、もっと綾とっ、あぁ……ああ………」
決壊したように涙をポロポロと流してひたすら謝罪を繰り返す壮獅に何事かと母親達は駆け寄る。
ぎゃんぎゃんと泣いて会話すらままならない壮獅のかわりに、綾が「壮獅くんの腕が当たってびっくりしたら、逆に壮獅くんがないちゃった」と嘘をつて誤魔化した。
なんとか泣き止まそうとする壮獅の母だが、壮獅は一向に泣き止まない。
すると綾はおもむろにたちあがり、壮獅と手を繋いだ。
「あのね、壮くん。私、おこってないよ」
それは前世の行いへの許し。
「だからね、もっと遊ぼう」
前世、17歳で奪われてしまった私たちの時間を。
今度こそは目一杯に使って、遊ぼう。今度こそちゃんと生きて、生きて、17歳になっても、シワくちゃなお婆ちゃんとお爺ちゃんになっても遊ぼう。
そう言うと、壮獅はようやく泣き止んでぎゅっと握りしめる。
「ゔん゙、いっぱい、いっぱいあそぼぉ。俺と綾が大人になってもずっと、今よりずっと歳を取ってもあそぼうね」
「なーんて事もあったね」
「うっせぇ忘れろ」
はるか昔の思い出話を語れば、壮くんは拗ねたように頬を膨らませた。
自分たちはいわゆる転生、もしくは生まれ変わりをしたと解釈して結論づけれる年齢になって更に数年の歳月が流れて小学6年生になった。
前世で何があったかは語る気が起きなかったけど、一言で言うなら壮くんが先に死んで、私も死んだ。それだけ。
でも今はそれなりに幸せにやれている。
小学生になる前に前世を思い出した私達は変に大人びた子供で、周囲に君悪がられることがあったけど、数年かけて家族に「私/俺は天才肌で周囲と馴染むのが苦手。でも綾/壮くんとだけは波長が合うので仲がいい」と思い込ませた。
おかげで家族は私達に周囲と無理やり馴染ませるのは辞めて、才能を伸ばす方向に決めたらしい。
壮くんは前世から才能があった音楽を学んで、私は興味があった外国語を色々学ばさせてもらっている。
おかげで英検、フランス語検定、中国語検定などなど。いろんな言語の検定を取らせてもらったし、壮くんは色んなコンクールを総舐めしてるそうな。
「……それよりオマエ、塾はいいのかよ。もう4時40分は過ぎてるぞ」
「おっといけない。じゃあ行ってくるよ」
「おー、いってこい」
バイバイっと手を振って夕暮れの住宅街を歩き出す。
私は今から塾だ。
これも私を天才肌だと信じ込んだママが提案したことで、天才肌の娘が荒れてる(※ママ基準)公立中学校に行って、周囲と馴染めるか心配らしい。
別に私は壮くんみたいに徹底して人間と馴染めない孤高の天才を演じてるわけじゃないけど、お兄ちゃんも私立の中間一貫だし、気になるんだろう。
そして中学受験するとなると、当然塾に行かなければならない。
人生2周目とはいえ、中学受験は初めてなのでノウハウを知っている塾に行って、的確に指示してくれるからその方が楽だ。
それに定期的にテストもやって、点数も出るから上がれば上がるだけ楽しい。
今は何回連続でオール教科100点を出せるか試していて、今は4回連続。でもって今日はその連続記録が5になるか大切な節目だ。
そんな私が通っている塾は秀明ゼミナールという進学塾。
A、B、Cの順にクラス分けがされていて右に行くほど成績がいい。
私はオール科目で100点を出せる成績優秀者ではあるが、塾に入りたての時にちょっとしたいざこざがあって以来休む日が多くなった。
家族で話し合って塾を辞めて家庭教師の方向に切り替えようとしたけど、秀明側が「お嬢さんをうちの塾においてください」とパパに頼み込んだらしく、Bクラスに居る。
塾側として難関高に受かったという実績が欲しいんだろうけど、私は別に難関高に行く予定はない。
だって唯一行きたい学校は今の家から片道3時間かかる。
女子校も考えたけど、壮くんと会える時間が少なくなるので近くの共学に行こうと思っている。
ママのギリギリラインの学校だったけど、秀明と学校の進学コースに行く事でなんとか納得して貰えた。今は確実な合格に向けて頑張っているところだ。
最近は誠意を示すために塾の本授業に出る日を増やして、家でも自主学習を進めてる。
テストの点数にはパパもママも満足しているし、塾側も無理矢理Aクラスにあげようとしてこない。壮くんとの時間も取れていい感じだと、そう思ってた。
「立花 綾」
ネオンのギラつく繁華街を抜けて、秀明の玄関に到着した途端、私の名前が呼ばれた。
東大理Ⅲ合格確実と持て囃されてもはや英雄扱いの立場 祐樹の妹ということと、滅多に来ないのにテストの成績だけはいい私は塾ではそこそこ有名だったみたいで、周りの塾生が一斉に私を見た。
それが気まずくて視線を避けるように私の名前を呼んだ先生、江川先生の元に駆け寄る。
江川先生はスタスタと歩いて空き教室に入った。
「座って」
指示された席に腰掛け、江川先生も近くの椅子を取って前に座った。
多分、今日発表のテストの点数の話なんだろう。
一応。テストの点は自己採点したけど、どれも100点満点。お兄ちゃんにも見てもらったから多分間違いはないはず………。
「先週のテストの結果なんだけど……。おまえは相変わらず全部100点だった」
先に言っていいのだろうか?と疑問を持ちながら大人しく江川先生の話を聞く。
先生が生徒と個別に話すのは大抵進路とクラスの進退。
最近塾に行ける回数も増えてきて、テストの点数も高いならBクラスの下であるAクラスに行くんじゃなくて、多分Cクラスに上がることになると思う。
Aクラスに上がったら授業数や宿題、講習も増えるので壮くんと遊ぶ時間が取れなくなる。そうなるのは避けたいところ。
「欠席が多かったが、最近は出席する日も多くなってきているし、もっとおまえの力を伸ばせないかと他の先生と話し合ったんだが……」
江川先生は小等部の先生だけど、時々高等部の講師をしていて、兄妹ともどもお世話になっている。
私が不登塾(?)だった頃も親身に対応してくれたので、この人に頼まれたら私もパパもママも断れないんだよなぁ……。
「おまえを特別クラスに入れることにする」
おっとぉ、それは予想外。
秀明のパンフレットにも載ってなかったし、内々になってることなのか試験的にやってることなのかは知らないけど、それが多分特例だということは分かった。
先生曰く、特別クラスはまだ試験的な段階で教科ごとに成績のバラつきがある生徒の中でも優秀なのを選んで、特別な教材を渡して学習させるクラスらしい。
簡単にいえば、私みたいな天才肌な奴らはみんなと同じ学習をさせても意味がないから、得意を伸ばしつつ苦手を克服しようって感じらしい。
私はなんで入れられるんだろう?と思ったけど、そのクラスには私みたいに成績はいいものの、欠席が多い生徒も入ってるらしく、秀明側が「ほなら同じタイプの立花 綾も入れようぜ!(要約)」となったらしく、私も特別クラスにぶっ込まれる運びとなった。
貰った受講申請用紙は一応秀明のバックの中に入れたけど、少し気になることがある。
「あの、江川先生。特別クラスに入っても行けるか怪しいですよ?」
そう、そもそもクラスに行けるのかって話だ。
いざこざがあって以来、塾は休む日が多くなったし、勉強より優先したいことは幾らでもある。
でも、費用を払って貰ってる分、本授業には出ているし、ワークも完璧に仕上げて提出して、終わったやつも全部取って復習に使っている。
それはなんとか私が塾の授業に出られるように頑張ったからであって、それに加えて特別クラスとなると、今で精一杯の私にそもそも行けるかどうか怪しい。
私の言葉に先生はうんうんと頷いた。
「立花はそこだよな。一応、金銭面はテキスト数千円だけ負担してもらうことになるんだが、他は試験的段階だし、ほぼ無料なんだが、」
「たぶん、秀明側が私に期待してるのって、成績云々よりも塾に行く回数を増やすことですもんね………。少人数クラスで行くハードルは大分下がりますけど、正直言って、やってみないと分からないとしか言えないしなぁ……」
「……察しが良くて助かるよ」
子供らしくないともいう。
「まぁ、心配だっていうならとちょっと特別クラスを覗きに行こうか」
先生が教室の後ろにかかった時計を見た。
まだ授業が始まるまで大分時間があるので、見に行っても問題ないだろう。
「なぁ立花、おまえ、男ってどういうものか知ってるか?」
「んー、知らないわけじゃないですけど、関わってる人たちが特殊なので、私の知っていることが世間一般はどうなのか分かりませ。唯一知ってると言ったら、幼馴染ぐらいしか………」
「ああ、たしか親御さんが唯一仲がいいって言ってた、ひさぎくんだっけか」
「[漢字]柃[/漢字][ふりがな]ひさかき[/ふりがな]ですね。人付き合いは私よりも悪いですけど、思ってることはちゃんと言うというか、言い過ぎるっていうか……。でも話が合うし、なんだかんだで隣が落ち着くので今でも仲良くやってますよ」
壮くんの話をすると江川先生は驚いたようにこっちを見た。
私が怪訝そうにすると、先生は「悪いな、立花が家族以外の人間のことを話すのが珍しくてな」と言った。
人のことをなんだと思ってるんだと、思いつつ今までの私を思い返してみたら確かに家族以外のこと話してないな……。
パパやママ、お兄ちゃんについて面談で軽く話しただけだし。奈子に至っては存在すら先生には言ってない。秀明には友達もいないし、言うこともないしなぁ。
そう考えると確かに私が家族以外で誰かに珍しい。
江川先生の視線はちょっと生暖かくなったので、私は露骨に話を切り上げる。
「すいません話がズレました。確か男がどう言うものか知ってるかでしたよね」
「ああ、男っていうのは女を全て敵だと思ってる」
それは違くないか?
この世にはいろんな人が居て、いろんな考え方があるんだよ?確かに口うるさい女の子はいるし、男の子がそれを嫌うって言うのも分かる。
でもそれで黙っちゃったらダメだよね。
戦争も紛争も喧嘩もコミュニケーション不足から誤解や偏見が生まれて想いが通じ合わずに争いが起こる。
そうならないためにはお互いに話し合うしかないけど、話し合ったって分かり合えないこともあるよ。だからと言って歩み合うのを辞めた瞬間、一瞬で相手は敵となる。
でも私達はまだ10代。
どんなに背伸びしようと子供で、話し合うのも下手で、余裕も何もない。
私や壮くんは人生2周目だし、人と話すのは好きだからあんまり人を嫌いになることはない。
お兄ちゃんも器用な人だから、なんだかんだで家族とはうまくやってるけど、でもやっぱり衝突しちゃうよね。
だから人というか、自分と同じもの以外の人間と敵対するのは必然とも言える。
まっ、私が先生に言う理由も義理もねぇよな!!
パタンと思考をたたんで先生のお有難いお話を右から左に聞き流して階段を登る。
その特別クラスとやらがある3階の端の教室にある。
元々塾の先生方が仮眠に使っていた部屋だったはずなので、本当に急拵えなんだろう。
江川先生がドアノブをガチャリと回すと、中から「まずい来た」「隠せ!」というくぐもった声が聞こえた。
壮くんはそもそも授業中でも堂々と理科室から持って来たガスバーナーで鍋焼きうどんしてたぐらいだし、何かを隠すということが珍しくて、本当に私は壮くん以外男子と話したことがないなぁ……と実感した。
「女子だけじゃなくて、教師も敵らしい」
と、先生が冗談っぽく言ってドアを開けた。
教室はリビング程度の広さで、いくつかの机と椅子が並べてあった。狭いとも広いとも言えない空間の中には男の子が4人いた。
先生が言っていた特別クラスの生徒たちなんだろう。
男の子達のうち、活発そうな印象を受ける子が大きく目を見開いてこっちを見つめてきた。
キラキラし過ぎるその瞳が苦手で、逃げるように軽く微笑んでから先生を見上げたけど、先生は特に聞いていない生徒の紹介をし始めた。
今更沸いてきた緊張を誤魔化すように私は秀明バッグの持ち手を握りしめて内心ため息をつく。
さてはて、ここからどうなるのやら………。
立花家の隣に新しく引っ越してきた一家は自分のところの一人息子である壮獅と年齢が近いと聞いたので、わざわざ親子で挨拶に来とという。
外面の良い綾の母親は、新しい隣人を屋敷に招き入れると、親子が手土産に持ってきたお高い洋菓子店の焼き菓子と一緒に紅茶を出し、なにやら世間話を始めた。
そうすると必然的に柃の相手をするのは綾だった。
兄はあいにく習い事の陸上に行っている間だったし、妹の奈子は生まれてすら居ない状態だったので、それは至極当然の流れだった。
「はじめまして、ひさかきそうしです」
「私ね、立花 綾っていうんだよ」
「へぇあやちゃんって言うんだ………ん、あれ?あや…っ、あ、あやちゃん?」
壮獅はその瞬間自分の中に稲妻が走ったような気がした。
今まで消えたパズルの最後のピースがソファーのしたから出てきた感覚………。埋められていなかった喪失感がやっと満たされたような妙な感覚と共にやってきた記憶。
今よりも高い目線、靡くスカート、笑顔から混乱に変わる表情、血溜まり、走り去る男。
あの日唐突に奪われた日常。
頭の中で霞がかっていた記憶が、その瞬間にどばっと溢れ出す。
小さな脳に叩き込まれる自分じゃない自分の記憶。____前世の記憶が、目の前のこの少女を見た事がトリガーとなって次々に思い出されてくる。
そして前世の自分の記憶が全部思い出された頃には感じていた割れそうなぐらい痛い頭痛は消え去っていた。
だけど、その代わり目の前の少女への罪悪感が胸いっぱいに広がった。
「っあ、ぁ……綾……………?」
「うん、どうしたの壮くん?」
その優しい表情と呼び方には、どうしても覚えがあった。
縋り付くように壮獅は綾を抱きしめた。記憶より短くなった手で綾の体をぎゅっと抱きしめながら謝罪の言葉をつむぐ。
「あ、ぅう……っ、俺、おれ……綾、あやを置いて行っちゃった」
「うん」
「ご、ごめんねぇ……はじめまして、じゃ、ないのに……ねぇ。ご、ごめんねぇ。おいて、いっ、ぅちゃ、おいていっちゃった、ごめんねぇ……俺、もっと綾とっ、あぁ……ああ………」
決壊したように涙をポロポロと流してひたすら謝罪を繰り返す壮獅に何事かと母親達は駆け寄る。
ぎゃんぎゃんと泣いて会話すらままならない壮獅のかわりに、綾が「壮獅くんの腕が当たってびっくりしたら、逆に壮獅くんがないちゃった」と嘘をつて誤魔化した。
なんとか泣き止まそうとする壮獅の母だが、壮獅は一向に泣き止まない。
すると綾はおもむろにたちあがり、壮獅と手を繋いだ。
「あのね、壮くん。私、おこってないよ」
それは前世の行いへの許し。
「だからね、もっと遊ぼう」
前世、17歳で奪われてしまった私たちの時間を。
今度こそは目一杯に使って、遊ぼう。今度こそちゃんと生きて、生きて、17歳になっても、シワくちゃなお婆ちゃんとお爺ちゃんになっても遊ぼう。
そう言うと、壮獅はようやく泣き止んでぎゅっと握りしめる。
「ゔん゙、いっぱい、いっぱいあそぼぉ。俺と綾が大人になってもずっと、今よりずっと歳を取ってもあそぼうね」
「なーんて事もあったね」
「うっせぇ忘れろ」
はるか昔の思い出話を語れば、壮くんは拗ねたように頬を膨らませた。
自分たちはいわゆる転生、もしくは生まれ変わりをしたと解釈して結論づけれる年齢になって更に数年の歳月が流れて小学6年生になった。
前世で何があったかは語る気が起きなかったけど、一言で言うなら壮くんが先に死んで、私も死んだ。それだけ。
でも今はそれなりに幸せにやれている。
小学生になる前に前世を思い出した私達は変に大人びた子供で、周囲に君悪がられることがあったけど、数年かけて家族に「私/俺は天才肌で周囲と馴染むのが苦手。でも綾/壮くんとだけは波長が合うので仲がいい」と思い込ませた。
おかげで家族は私達に周囲と無理やり馴染ませるのは辞めて、才能を伸ばす方向に決めたらしい。
壮くんは前世から才能があった音楽を学んで、私は興味があった外国語を色々学ばさせてもらっている。
おかげで英検、フランス語検定、中国語検定などなど。いろんな言語の検定を取らせてもらったし、壮くんは色んなコンクールを総舐めしてるそうな。
「……それよりオマエ、塾はいいのかよ。もう4時40分は過ぎてるぞ」
「おっといけない。じゃあ行ってくるよ」
「おー、いってこい」
バイバイっと手を振って夕暮れの住宅街を歩き出す。
私は今から塾だ。
これも私を天才肌だと信じ込んだママが提案したことで、天才肌の娘が荒れてる(※ママ基準)公立中学校に行って、周囲と馴染めるか心配らしい。
別に私は壮くんみたいに徹底して人間と馴染めない孤高の天才を演じてるわけじゃないけど、お兄ちゃんも私立の中間一貫だし、気になるんだろう。
そして中学受験するとなると、当然塾に行かなければならない。
人生2周目とはいえ、中学受験は初めてなのでノウハウを知っている塾に行って、的確に指示してくれるからその方が楽だ。
それに定期的にテストもやって、点数も出るから上がれば上がるだけ楽しい。
今は何回連続でオール教科100点を出せるか試していて、今は4回連続。でもって今日はその連続記録が5になるか大切な節目だ。
そんな私が通っている塾は秀明ゼミナールという進学塾。
A、B、Cの順にクラス分けがされていて右に行くほど成績がいい。
私はオール科目で100点を出せる成績優秀者ではあるが、塾に入りたての時にちょっとしたいざこざがあって以来休む日が多くなった。
家族で話し合って塾を辞めて家庭教師の方向に切り替えようとしたけど、秀明側が「お嬢さんをうちの塾においてください」とパパに頼み込んだらしく、Bクラスに居る。
塾側として難関高に受かったという実績が欲しいんだろうけど、私は別に難関高に行く予定はない。
だって唯一行きたい学校は今の家から片道3時間かかる。
女子校も考えたけど、壮くんと会える時間が少なくなるので近くの共学に行こうと思っている。
ママのギリギリラインの学校だったけど、秀明と学校の進学コースに行く事でなんとか納得して貰えた。今は確実な合格に向けて頑張っているところだ。
最近は誠意を示すために塾の本授業に出る日を増やして、家でも自主学習を進めてる。
テストの点数にはパパもママも満足しているし、塾側も無理矢理Aクラスにあげようとしてこない。壮くんとの時間も取れていい感じだと、そう思ってた。
「立花 綾」
ネオンのギラつく繁華街を抜けて、秀明の玄関に到着した途端、私の名前が呼ばれた。
東大理Ⅲ合格確実と持て囃されてもはや英雄扱いの立場 祐樹の妹ということと、滅多に来ないのにテストの成績だけはいい私は塾ではそこそこ有名だったみたいで、周りの塾生が一斉に私を見た。
それが気まずくて視線を避けるように私の名前を呼んだ先生、江川先生の元に駆け寄る。
江川先生はスタスタと歩いて空き教室に入った。
「座って」
指示された席に腰掛け、江川先生も近くの椅子を取って前に座った。
多分、今日発表のテストの点数の話なんだろう。
一応。テストの点は自己採点したけど、どれも100点満点。お兄ちゃんにも見てもらったから多分間違いはないはず………。
「先週のテストの結果なんだけど……。おまえは相変わらず全部100点だった」
先に言っていいのだろうか?と疑問を持ちながら大人しく江川先生の話を聞く。
先生が生徒と個別に話すのは大抵進路とクラスの進退。
最近塾に行ける回数も増えてきて、テストの点数も高いならBクラスの下であるAクラスに行くんじゃなくて、多分Cクラスに上がることになると思う。
Aクラスに上がったら授業数や宿題、講習も増えるので壮くんと遊ぶ時間が取れなくなる。そうなるのは避けたいところ。
「欠席が多かったが、最近は出席する日も多くなってきているし、もっとおまえの力を伸ばせないかと他の先生と話し合ったんだが……」
江川先生は小等部の先生だけど、時々高等部の講師をしていて、兄妹ともどもお世話になっている。
私が不登塾(?)だった頃も親身に対応してくれたので、この人に頼まれたら私もパパもママも断れないんだよなぁ……。
「おまえを特別クラスに入れることにする」
おっとぉ、それは予想外。
秀明のパンフレットにも載ってなかったし、内々になってることなのか試験的にやってることなのかは知らないけど、それが多分特例だということは分かった。
先生曰く、特別クラスはまだ試験的な段階で教科ごとに成績のバラつきがある生徒の中でも優秀なのを選んで、特別な教材を渡して学習させるクラスらしい。
簡単にいえば、私みたいな天才肌な奴らはみんなと同じ学習をさせても意味がないから、得意を伸ばしつつ苦手を克服しようって感じらしい。
私はなんで入れられるんだろう?と思ったけど、そのクラスには私みたいに成績はいいものの、欠席が多い生徒も入ってるらしく、秀明側が「ほなら同じタイプの立花 綾も入れようぜ!(要約)」となったらしく、私も特別クラスにぶっ込まれる運びとなった。
貰った受講申請用紙は一応秀明のバックの中に入れたけど、少し気になることがある。
「あの、江川先生。特別クラスに入っても行けるか怪しいですよ?」
そう、そもそもクラスに行けるのかって話だ。
いざこざがあって以来、塾は休む日が多くなったし、勉強より優先したいことは幾らでもある。
でも、費用を払って貰ってる分、本授業には出ているし、ワークも完璧に仕上げて提出して、終わったやつも全部取って復習に使っている。
それはなんとか私が塾の授業に出られるように頑張ったからであって、それに加えて特別クラスとなると、今で精一杯の私にそもそも行けるかどうか怪しい。
私の言葉に先生はうんうんと頷いた。
「立花はそこだよな。一応、金銭面はテキスト数千円だけ負担してもらうことになるんだが、他は試験的段階だし、ほぼ無料なんだが、」
「たぶん、秀明側が私に期待してるのって、成績云々よりも塾に行く回数を増やすことですもんね………。少人数クラスで行くハードルは大分下がりますけど、正直言って、やってみないと分からないとしか言えないしなぁ……」
「……察しが良くて助かるよ」
子供らしくないともいう。
「まぁ、心配だっていうならとちょっと特別クラスを覗きに行こうか」
先生が教室の後ろにかかった時計を見た。
まだ授業が始まるまで大分時間があるので、見に行っても問題ないだろう。
「なぁ立花、おまえ、男ってどういうものか知ってるか?」
「んー、知らないわけじゃないですけど、関わってる人たちが特殊なので、私の知っていることが世間一般はどうなのか分かりませ。唯一知ってると言ったら、幼馴染ぐらいしか………」
「ああ、たしか親御さんが唯一仲がいいって言ってた、ひさぎくんだっけか」
「[漢字]柃[/漢字][ふりがな]ひさかき[/ふりがな]ですね。人付き合いは私よりも悪いですけど、思ってることはちゃんと言うというか、言い過ぎるっていうか……。でも話が合うし、なんだかんだで隣が落ち着くので今でも仲良くやってますよ」
壮くんの話をすると江川先生は驚いたようにこっちを見た。
私が怪訝そうにすると、先生は「悪いな、立花が家族以外の人間のことを話すのが珍しくてな」と言った。
人のことをなんだと思ってるんだと、思いつつ今までの私を思い返してみたら確かに家族以外のこと話してないな……。
パパやママ、お兄ちゃんについて面談で軽く話しただけだし。奈子に至っては存在すら先生には言ってない。秀明には友達もいないし、言うこともないしなぁ。
そう考えると確かに私が家族以外で誰かに珍しい。
江川先生の視線はちょっと生暖かくなったので、私は露骨に話を切り上げる。
「すいません話がズレました。確か男がどう言うものか知ってるかでしたよね」
「ああ、男っていうのは女を全て敵だと思ってる」
それは違くないか?
この世にはいろんな人が居て、いろんな考え方があるんだよ?確かに口うるさい女の子はいるし、男の子がそれを嫌うって言うのも分かる。
でもそれで黙っちゃったらダメだよね。
戦争も紛争も喧嘩もコミュニケーション不足から誤解や偏見が生まれて想いが通じ合わずに争いが起こる。
そうならないためにはお互いに話し合うしかないけど、話し合ったって分かり合えないこともあるよ。だからと言って歩み合うのを辞めた瞬間、一瞬で相手は敵となる。
でも私達はまだ10代。
どんなに背伸びしようと子供で、話し合うのも下手で、余裕も何もない。
私や壮くんは人生2周目だし、人と話すのは好きだからあんまり人を嫌いになることはない。
お兄ちゃんも器用な人だから、なんだかんだで家族とはうまくやってるけど、でもやっぱり衝突しちゃうよね。
だから人というか、自分と同じもの以外の人間と敵対するのは必然とも言える。
まっ、私が先生に言う理由も義理もねぇよな!!
パタンと思考をたたんで先生のお有難いお話を右から左に聞き流して階段を登る。
その特別クラスとやらがある3階の端の教室にある。
元々塾の先生方が仮眠に使っていた部屋だったはずなので、本当に急拵えなんだろう。
江川先生がドアノブをガチャリと回すと、中から「まずい来た」「隠せ!」というくぐもった声が聞こえた。
壮くんはそもそも授業中でも堂々と理科室から持って来たガスバーナーで鍋焼きうどんしてたぐらいだし、何かを隠すということが珍しくて、本当に私は壮くん以外男子と話したことがないなぁ……と実感した。
「女子だけじゃなくて、教師も敵らしい」
と、先生が冗談っぽく言ってドアを開けた。
教室はリビング程度の広さで、いくつかの机と椅子が並べてあった。狭いとも広いとも言えない空間の中には男の子が4人いた。
先生が言っていた特別クラスの生徒たちなんだろう。
男の子達のうち、活発そうな印象を受ける子が大きく目を見開いてこっちを見つめてきた。
キラキラし過ぎるその瞳が苦手で、逃げるように軽く微笑んでから先生を見上げたけど、先生は特に聞いていない生徒の紹介をし始めた。
今更沸いてきた緊張を誤魔化すように私は秀明バッグの持ち手を握りしめて内心ため息をつく。
さてはて、ここからどうなるのやら………。