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君の姿に憧れて

#11

エイプリルフール編:遠くに行くという嘘

 朝のオフィスはいつもより静かで、パソコンのキーボードの音だけが響いていた。


 私は深呼吸をして、覚悟を決める。

 今日、冗談として言うつもりの言葉。

 けれど、胸は妙に早く打っていた。

「玲奈さん、私……海外転勤が決まりました」

 真顔で告げると、一瞬、時間が止まったように感じた。


 玲奈さんの手が止まり、視線が私に注がれる。

 目を瞬かせるその横顔に、思わず息を飲む。

「どこ……?」

 声が低い。

 低すぎて、まるで怒っているのか心配しているのか判断がつかない。


 冷たい汗が背中を伝う。

 あ、まずい、と思った瞬間、数秒耐えられず、私は声をあげた。

「ご、ごめんなさい!嘘です、エイプリルフールです!」

 オフィスの静けさが戻るより先に、額を軽く小突かれた。


「心臓に悪い」と小さく呟くその声に、私は思わず笑う。

 緊張が一気にほぐれる。

 でもその後、玲奈さんの手が、自然に私の手に触れる。


「行かせるわけないでしょ」と、低く、でも柔らかい声。

 冗談のはずだったのに、胸がぎゅっと熱くなる。


 息を整える前に、玲奈さんは軽く肩を寄せてきた。

「ひよりちゃん、こういうの、ほんとにやめて」

 少し困ったように眉を寄せて、でも笑うその顔。


 心臓が跳ねて、私は思わず手を握り返す。

 朝の光がデスクに差し込み、ふたりの影を長く伸ばす。


 オフィスの静けさの中で、指先が絡むだけで、世界が満たされる感覚。

「冗談だったけど……本当にいなくなったら困る」

 ぽつり、と耳元で囁かれた言葉に、私は笑って首を横に振る。

「私も、行きません。転勤なんて嘘です」

 その瞬間、ふたりの間に言葉はいらなかった。


 冗談の嘘は、ちょっとしたドキドキと笑いをもたらし、でも本当に大事なものを確かめる時間になった。

 コーヒーを手に、隣に座る。


 いつもより少し距離が近い、背が高い先輩の横顔。


 守られるとか、守るとか、そんな言葉は不要だった。

 ただ、こうして隣にいるだけで、安心できる。


 嘘と本当が交錯した短い朝の時間で、改めて思う。

 私は、隣にいる玲奈さんを離したくない。


 今日の小さな嘘は、それだけを再確認させる魔法のようだった。

作者メッセージ

沢山読んでくださりありがとうございます!次はお花見編です。

2026/04/01 07:12

魂染朱廻
ID:≫ 307X6okIvTEt6
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GLラブコメ百合日常純愛

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