三月十四日。
朝から、玲奈さんがやけに静かだった。
「……どうかしました?」
ネクタイを整えながら聞くと、視線をそらされる。
「別に?」
嘘だ。
先月のバレンタイン。
非常階段で、あの人は確かに言った。
――「ホワイトデー、覚悟してて。倍返しだから」――
あれから一ヶ月。
私は何度も思い出して、そのたびに落ち着かなくなった。
会社でも、なんとなく距離が近い。
会議室で資料を渡すとき、指が少し触れる。
廊下ですれ違うとき、ほんの一瞬、肩がかすめる。
(わざと……?)
問いただす勇気はない。
そして、定時。
「ひよりちゃん、今日ちょっと寄り道いい?」
「……はい」
連れて行かれたのは、会社近くの小さなレストラン。
落ち着いた照明。
静かな音楽。
「え、ここ……」
「予約した」
さらっと言う。
「倍返しって言ったでしょ」
心臓が、うるさい。
食事はどれも美味しくて、でも味はあまり覚えていない。
視線が合うたび、玲奈さんが少しだけ楽しそうに笑うから。
帰り道。
夜風が、まだ少し冷たい。
「はい」
差し出された小さな箱。
バレンタインのとき、私が渡したものより、少しだけ大きい。
「開けていいですか?」
「どうぞ」
中には、繊細なガラス細工のネックレス。
小さな銀の輪が、二つ重なっている。
「……きれい」
「対等のつもり」
静かな声。
「守るとか守られるとかじゃなくて。 ちゃんと、並んでる形」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
「物で倍返しするつもりはなかったんだけどね」
「え?」
「一ヶ月、ずっと考えてた。 ひよりちゃんに何を返すのが“倍”なんだろうって」
真剣な目。
「私、あの日。 あなたに好きって言われて、すごく嬉しかった。 でも同時に思ったの」
一歩、距離が近づく。
「もう、可愛い後輩扱いはしないって」
息が止まる。
「隣に立ちたいって言ったでしょ? だったら、ちゃんと隣に立ってもらう」
そっと、ネックレスを首にかけられる。
指先が、うなじに触れる。
「これからは、甘やかすの半分」
「半分?」
「残り半分は、頼る」
思わず、笑ってしまう。
「それ、倍返しですか?」
「うん」
少しだけ照れた顔。
「独占したい気持ちも、素直さも、全部」
胸がいっぱいになって、言葉がうまく出ない。
代わりに、そっと手を握った。
「じゃあ私も、倍返しします」
「なにを?」
「ちゃんと、隣で支えます」
一瞬、目を見開いて、それから優しく細める。
「……ほんと、ずるいの覚えたね」
夜道で、指を絡める。
守るでもなく、守られるでもなく。
並んで歩く。
「ひよりちゃん」
「はい」
「好きだよ」
バレンタインより、ずっとはっきりした声。
胸が甘く溶ける。
「私も、好きです」
ホワイトデーの倍返しは、 プレゼントの大きさじゃない。
対等でいる覚悟を、 言葉にして返すこと。
――君の隣は、今日もちゃんと、あたたかい。
朝から、玲奈さんがやけに静かだった。
「……どうかしました?」
ネクタイを整えながら聞くと、視線をそらされる。
「別に?」
嘘だ。
先月のバレンタイン。
非常階段で、あの人は確かに言った。
――「ホワイトデー、覚悟してて。倍返しだから」――
あれから一ヶ月。
私は何度も思い出して、そのたびに落ち着かなくなった。
会社でも、なんとなく距離が近い。
会議室で資料を渡すとき、指が少し触れる。
廊下ですれ違うとき、ほんの一瞬、肩がかすめる。
(わざと……?)
問いただす勇気はない。
そして、定時。
「ひよりちゃん、今日ちょっと寄り道いい?」
「……はい」
連れて行かれたのは、会社近くの小さなレストラン。
落ち着いた照明。
静かな音楽。
「え、ここ……」
「予約した」
さらっと言う。
「倍返しって言ったでしょ」
心臓が、うるさい。
食事はどれも美味しくて、でも味はあまり覚えていない。
視線が合うたび、玲奈さんが少しだけ楽しそうに笑うから。
帰り道。
夜風が、まだ少し冷たい。
「はい」
差し出された小さな箱。
バレンタインのとき、私が渡したものより、少しだけ大きい。
「開けていいですか?」
「どうぞ」
中には、繊細なガラス細工のネックレス。
小さな銀の輪が、二つ重なっている。
「……きれい」
「対等のつもり」
静かな声。
「守るとか守られるとかじゃなくて。 ちゃんと、並んでる形」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
「物で倍返しするつもりはなかったんだけどね」
「え?」
「一ヶ月、ずっと考えてた。 ひよりちゃんに何を返すのが“倍”なんだろうって」
真剣な目。
「私、あの日。 あなたに好きって言われて、すごく嬉しかった。 でも同時に思ったの」
一歩、距離が近づく。
「もう、可愛い後輩扱いはしないって」
息が止まる。
「隣に立ちたいって言ったでしょ? だったら、ちゃんと隣に立ってもらう」
そっと、ネックレスを首にかけられる。
指先が、うなじに触れる。
「これからは、甘やかすの半分」
「半分?」
「残り半分は、頼る」
思わず、笑ってしまう。
「それ、倍返しですか?」
「うん」
少しだけ照れた顔。
「独占したい気持ちも、素直さも、全部」
胸がいっぱいになって、言葉がうまく出ない。
代わりに、そっと手を握った。
「じゃあ私も、倍返しします」
「なにを?」
「ちゃんと、隣で支えます」
一瞬、目を見開いて、それから優しく細める。
「……ほんと、ずるいの覚えたね」
夜道で、指を絡める。
守るでもなく、守られるでもなく。
並んで歩く。
「ひよりちゃん」
「はい」
「好きだよ」
バレンタインより、ずっとはっきりした声。
胸が甘く溶ける。
「私も、好きです」
ホワイトデーの倍返しは、 プレゼントの大きさじゃない。
対等でいる覚悟を、 言葉にして返すこと。
――君の隣は、今日もちゃんと、あたたかい。