二月十三日の夜。
ひよりちゃんが「ちょっと買い出し行ってきますね」と出ていってから、三十分。
玄関のドアが閉まる音を聞いて、私は深く息を吐いた。
「……よし」
キッチンの棚から、こっそり隠していた板チョコを取り出す。
本当は、もらう側でいるつもりだった。
でも、あの子が今日ずっと、何かを隠している顔をしていたから。
(私だって、驚かせたい)
エプロンをつける。
スマホでレシピを開く。
――湯せんでゆっくり溶かす。
「余裕でしょ」
そう思っていた。
……思っていたのに。
「え、ちょっと待って」
チョコが、もったりしすぎている。
火を弱める?
混ぜる?
あれ、分離してない?
ボウルの中で、つややかだったはずのチョコが、ざらっとした質感に変わっていく。
「うそでしょ……」
冷静沈着とよく言われる朝倉玲奈、動揺中。
とりあえず混ぜる。
でも戻らない。
「……やり直そう」
潔くゴミ箱へ。
時計を見る。
まだ時間はある。
今度は慎重に。
火加減を弱め、ゆっくり混ぜる。
「焦らない。仕事と同じ」
自分に言い聞かせる。
今度は、つやが戻った。
「……できた」
型に流し込み、軽くトントンと空気を抜く。
そこで、スマホが震えた。
――ひよりちゃん。
《今から戻りますね!》
「……は?」
思わず画面を二度見する。
え、早くない?
キッチンを見渡す。
ボウル。
泡立て器。
チョコの包み紙。
カカオパウダーがうっすら飛んでいる。
「やば」
急いで洗う。
水音がやけに大きい。
ボウルを拭く。
コンロ周りを拭く。
型はそのまま冷蔵庫へ。
ピンポーン。
「うわっ」
心臓が跳ねる。
「れ、玲奈さん? います?」
鍵の開く音。
テーブルの上、何もない?
エプロン、外した?
よし。
ドアが開く。
「ただいまです」
「おかえり」
平静を装う。
ソファに座る。
さっきまでキッチンで戦っていた人間とは思えない顔で。
「……なんか甘い匂いしません?」
「え?」
一瞬、固まる。
「気のせいじゃない?」
自然に言えた。たぶん。
ひよりちゃんは首を傾げながらも、買い物袋をキッチンへ運ぶ。
「明日、ちょっと楽しみにしててくださいね」
振り返って、少し照れた顔で笑う。
その瞬間、胸がきゅっと締まる。
(……負けない)
冷蔵庫の中で固まり始めているチョコを思い浮かべながら、私は小さく息をついた。
明日の朝、こっそり包んで、コートのポケットに忍ばせよう。
明日はどっちが先に、驚くかな。
ひよりちゃんが「ちょっと買い出し行ってきますね」と出ていってから、三十分。
玄関のドアが閉まる音を聞いて、私は深く息を吐いた。
「……よし」
キッチンの棚から、こっそり隠していた板チョコを取り出す。
本当は、もらう側でいるつもりだった。
でも、あの子が今日ずっと、何かを隠している顔をしていたから。
(私だって、驚かせたい)
エプロンをつける。
スマホでレシピを開く。
――湯せんでゆっくり溶かす。
「余裕でしょ」
そう思っていた。
……思っていたのに。
「え、ちょっと待って」
チョコが、もったりしすぎている。
火を弱める?
混ぜる?
あれ、分離してない?
ボウルの中で、つややかだったはずのチョコが、ざらっとした質感に変わっていく。
「うそでしょ……」
冷静沈着とよく言われる朝倉玲奈、動揺中。
とりあえず混ぜる。
でも戻らない。
「……やり直そう」
潔くゴミ箱へ。
時計を見る。
まだ時間はある。
今度は慎重に。
火加減を弱め、ゆっくり混ぜる。
「焦らない。仕事と同じ」
自分に言い聞かせる。
今度は、つやが戻った。
「……できた」
型に流し込み、軽くトントンと空気を抜く。
そこで、スマホが震えた。
――ひよりちゃん。
《今から戻りますね!》
「……は?」
思わず画面を二度見する。
え、早くない?
キッチンを見渡す。
ボウル。
泡立て器。
チョコの包み紙。
カカオパウダーがうっすら飛んでいる。
「やば」
急いで洗う。
水音がやけに大きい。
ボウルを拭く。
コンロ周りを拭く。
型はそのまま冷蔵庫へ。
ピンポーン。
「うわっ」
心臓が跳ねる。
「れ、玲奈さん? います?」
鍵の開く音。
テーブルの上、何もない?
エプロン、外した?
よし。
ドアが開く。
「ただいまです」
「おかえり」
平静を装う。
ソファに座る。
さっきまでキッチンで戦っていた人間とは思えない顔で。
「……なんか甘い匂いしません?」
「え?」
一瞬、固まる。
「気のせいじゃない?」
自然に言えた。たぶん。
ひよりちゃんは首を傾げながらも、買い物袋をキッチンへ運ぶ。
「明日、ちょっと楽しみにしててくださいね」
振り返って、少し照れた顔で笑う。
その瞬間、胸がきゅっと締まる。
(……負けない)
冷蔵庫の中で固まり始めているチョコを思い浮かべながら、私は小さく息をついた。
明日の朝、こっそり包んで、コートのポケットに忍ばせよう。
明日はどっちが先に、驚くかな。