サニーデー
雨の匂いがする朝だった。
天気予報は、午後から晴れると言っていた。
「ほんとかな」
窓の外を見ながら、紗季は小さく呟いた。
四月の終わり。新しいクラスにも少しずつ慣れてきた頃だった。
教室の窓際、一番後ろの席。
そこが紗季の席だった。
そして、その二つ前の席に、彼がいた。
悠真。
入学式の日から、なぜか目で追ってしまう人。
特別かっこいいわけではない。成績が飛び抜けているわけでもない。
ただ、よく笑う。
友達と話すときも、先生に叱られているときも、少し困ったように笑う。
その笑顔を見ると、紗季までつられて笑ってしまう。
だから、好きになった。
たぶん、それだけだった。
*
「紗季、今日の放課後って暇?」
昼休み、悠真が突然振り返った。
「え?」
「駅前の本屋、付き合ってくれない?」
「……私でいいの?」
「私がいいんだけど」
心臓が、一度だけ大きく跳ねた。
「う、うん」
「じゃ、決まり」
悠真はそう言って、また前を向いた。
紗季はしばらく、何も考えられなかった。
放課後。
二人で歩く帰り道は、いつもより少しだけ短かった。
本屋では、悠真が参考書を探している間、紗季は隣で文庫本を眺めた。
「紗季って、小説読むんだ」
「うん。好き」
「恋愛もの?」
「……まあ」
「じゃあ、好きな人とかいる?」
ページをめくる手が止まった。
「い、いるけど」
「へえ」
悠真は笑った。
「どんな人?」
「……よく笑う人」
「それだけ?」
「あと、優しい」
「なるほど」
彼はしばらく考えてから言った。
「その人、幸せだね」
「なんで?」
「紗季に好きになってもらえるんだから」
今度こそ、心臓が止まりそうになった。
けれど悠真は、何でもない顔で参考書を手に取った。
――ずるい。
そう思った。
そんな言葉を、どういうつもりで言うのか。
帰り道、空は少しずつ明るくなっていた。
「ねえ、紗季」
「ん?」
「明日、晴れるかな」
「天気予報では晴れるって」
「そっか」
悠真は空を見上げた。
「じゃあ、明日も一緒に帰ろうよ」
「……うん」
雲の切れ間から、夕日の光が差し込んだ。
*
次の日。
朝から、空は青かった。
昼休み、悠真が紗季の机までやってきた。
「昨日の本、面白かった?」
「うん。すごく」
「そっか」
悠真は少しだけ照れたように笑った。
「じゃあ、次は俺が好きな本、貸す」
「どんな本?」
「秘密」
「なんで?」
「読んでからのお楽しみ」
そう言って、彼は一冊の文庫本を差し出した。
紗季は受け取った。
表紙をめくると、最初のページに小さな文字が書いてあった。
『晴れの日に読んでください』
「……なにこれ?」
「今日、晴れてるから」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
放課後。
二人は昨日と同じ道を歩いた。
紗季は借りた本を胸に抱えていた。
何となく、聞いてみたくなった。
「悠真」
「ん?」
「昨日の……好きな人の話」
「うん」
「誰のこと?」
悠真は歩く速度を少し落とした。
そして、紗季の顔を見る。
「まだ、わからない?」
「え?」
「俺が好きなの」
風が吹いた。
桜の花びらが、一枚だけ二人の間を通り過ぎた。
「紗季だよ」
何も言えなかった。
嬉しいのに、涙が出そうだった。
「……どうして?」
「よく笑うから」
「私?」
「うん。それに、俺がくだらないこと言ってもちゃんと笑ってくれる」
「それだけ?」
「あと――」
悠真は少し考えてから、笑った。
「俺が晴れてほしいって思った日に、一緒にいてくれたから」
紗季は俯いた。
頬が熱い。
「……私も」
「うん」
「私も、悠真が好き」
言葉にした瞬間、不思議なくらい空が広く見えた。
昨日まで灰色だった世界が、今日はどこまでも青い。
「じゃあさ」
悠真が言った。
「これから、晴れの日は一緒に帰ろう」
「うん」
「雨の日も」
「うん」
「雪の日も」
「……うん」
二人は笑った。
空は、どこまでも晴れていた。
――たぶん、恋というのは、こんなふうに始まる。
特別な出来事なんてなくても。
ただ隣にいる人と、同じ空を見上げて。
明日も一緒にいたいと思う。
それだけで、昨日までとは違う一日になる。
だから今日も、明日も。
私たちはきっと、大丈夫。
晴れの日には、笑っていよう。
雨の日には、隣にいよう。
そしていつか、今日という日を思い出す。
あの日の空は、人生でいちばん綺麗だったと。
そんなふうに思える恋を、
私はこれから、ゆっくり育てていく。
サニーデー。
それが、私たちの恋の始まりだった。
天気予報は、午後から晴れると言っていた。
「ほんとかな」
窓の外を見ながら、紗季は小さく呟いた。
四月の終わり。新しいクラスにも少しずつ慣れてきた頃だった。
教室の窓際、一番後ろの席。
そこが紗季の席だった。
そして、その二つ前の席に、彼がいた。
悠真。
入学式の日から、なぜか目で追ってしまう人。
特別かっこいいわけではない。成績が飛び抜けているわけでもない。
ただ、よく笑う。
友達と話すときも、先生に叱られているときも、少し困ったように笑う。
その笑顔を見ると、紗季までつられて笑ってしまう。
だから、好きになった。
たぶん、それだけだった。
*
「紗季、今日の放課後って暇?」
昼休み、悠真が突然振り返った。
「え?」
「駅前の本屋、付き合ってくれない?」
「……私でいいの?」
「私がいいんだけど」
心臓が、一度だけ大きく跳ねた。
「う、うん」
「じゃ、決まり」
悠真はそう言って、また前を向いた。
紗季はしばらく、何も考えられなかった。
放課後。
二人で歩く帰り道は、いつもより少しだけ短かった。
本屋では、悠真が参考書を探している間、紗季は隣で文庫本を眺めた。
「紗季って、小説読むんだ」
「うん。好き」
「恋愛もの?」
「……まあ」
「じゃあ、好きな人とかいる?」
ページをめくる手が止まった。
「い、いるけど」
「へえ」
悠真は笑った。
「どんな人?」
「……よく笑う人」
「それだけ?」
「あと、優しい」
「なるほど」
彼はしばらく考えてから言った。
「その人、幸せだね」
「なんで?」
「紗季に好きになってもらえるんだから」
今度こそ、心臓が止まりそうになった。
けれど悠真は、何でもない顔で参考書を手に取った。
――ずるい。
そう思った。
そんな言葉を、どういうつもりで言うのか。
帰り道、空は少しずつ明るくなっていた。
「ねえ、紗季」
「ん?」
「明日、晴れるかな」
「天気予報では晴れるって」
「そっか」
悠真は空を見上げた。
「じゃあ、明日も一緒に帰ろうよ」
「……うん」
雲の切れ間から、夕日の光が差し込んだ。
*
次の日。
朝から、空は青かった。
昼休み、悠真が紗季の机までやってきた。
「昨日の本、面白かった?」
「うん。すごく」
「そっか」
悠真は少しだけ照れたように笑った。
「じゃあ、次は俺が好きな本、貸す」
「どんな本?」
「秘密」
「なんで?」
「読んでからのお楽しみ」
そう言って、彼は一冊の文庫本を差し出した。
紗季は受け取った。
表紙をめくると、最初のページに小さな文字が書いてあった。
『晴れの日に読んでください』
「……なにこれ?」
「今日、晴れてるから」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
放課後。
二人は昨日と同じ道を歩いた。
紗季は借りた本を胸に抱えていた。
何となく、聞いてみたくなった。
「悠真」
「ん?」
「昨日の……好きな人の話」
「うん」
「誰のこと?」
悠真は歩く速度を少し落とした。
そして、紗季の顔を見る。
「まだ、わからない?」
「え?」
「俺が好きなの」
風が吹いた。
桜の花びらが、一枚だけ二人の間を通り過ぎた。
「紗季だよ」
何も言えなかった。
嬉しいのに、涙が出そうだった。
「……どうして?」
「よく笑うから」
「私?」
「うん。それに、俺がくだらないこと言ってもちゃんと笑ってくれる」
「それだけ?」
「あと――」
悠真は少し考えてから、笑った。
「俺が晴れてほしいって思った日に、一緒にいてくれたから」
紗季は俯いた。
頬が熱い。
「……私も」
「うん」
「私も、悠真が好き」
言葉にした瞬間、不思議なくらい空が広く見えた。
昨日まで灰色だった世界が、今日はどこまでも青い。
「じゃあさ」
悠真が言った。
「これから、晴れの日は一緒に帰ろう」
「うん」
「雨の日も」
「うん」
「雪の日も」
「……うん」
二人は笑った。
空は、どこまでも晴れていた。
――たぶん、恋というのは、こんなふうに始まる。
特別な出来事なんてなくても。
ただ隣にいる人と、同じ空を見上げて。
明日も一緒にいたいと思う。
それだけで、昨日までとは違う一日になる。
だから今日も、明日も。
私たちはきっと、大丈夫。
晴れの日には、笑っていよう。
雨の日には、隣にいよう。
そしていつか、今日という日を思い出す。
あの日の空は、人生でいちばん綺麗だったと。
そんなふうに思える恋を、
私はこれから、ゆっくり育てていく。
サニーデー。
それが、私たちの恋の始まりだった。
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