秋風が吹いたら
十月の終わりだった。
駅前の並木道は、いつの間にか赤と黄色に染まっていた。
風が吹くたび、葉が一枚、また一枚と落ちていく。
僕はその道を、三ヶ月ぶりに歩いていた。
彼女と別れてから、初めてだった。
別れたのは夏だった。
「ごめんね。嫌いになったわけじゃないの」
最後まで、彼女は優しかった。
だから余計につらかった。
僕は何度も「もう一度だけ」と言った。
今度はちゃんとする。
今度は大切にする。
今までできなかったことを、全部やり直す。
そんな言葉を並べた。
でも彼女は、静かに首を横に振った。
「今度じゃなくて、今、大切にしてほしかったんだと思う」
その言葉が、三ヶ月経った今でも胸に残っている。
僕たちは二年付き合っていた。
最初の頃は、何をしても楽しかった。
コンビニで新作のお菓子を見つけただけで電話した。
夜中までどうでもいい話をした。
休日には電車を乗り継いで、目的もなく知らない街へ行った。
彼女はよく笑った。
僕は、その笑顔がずっと続くものだと思っていた。
だから、仕事が忙しくなってからも、
「また今度」
と言えば大丈夫だと思っていた。
彼女が会いたいと言った日も。
話したいと言った夜も。
僕は「疲れているから」と後回しにした。
そして気づいたときには、彼女の「また今度」がなくなっていた。
並木道のベンチに座る。
少し冷たい風が頬を撫でた。
ポケットからスマートフォンを取り出す。
連絡先には、まだ彼女の名前が残っている。
消すことができなかった。
でも、連絡することもできなかった。
別れてから一度も、僕から連絡していない。
何を書けばいいのかわからなかった。
「元気?」
そんな一言を送ったところで、何が変わるのだろう。
僕はスマートフォンをしまった。
そのときだった。
「……あれ?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げる。
そこに彼女がいた。
駅前の本屋の袋を抱えて、少し驚いた顔をしている。
「久しぶり」
彼女が笑った。
胸が、痛いほど鳴った。
「……久しぶり」
それだけ言うのが精一杯だった。
気まずい沈黙が落ちる。
風が吹いて、二人の足元に落ち葉が転がった。
「元気だった?」
「うん。そっちは?」
「私も」
それだけの会話だった。
けれど、僕にとっては、この三ヶ月で一番長い時間だった。
彼女は少し迷ってから、隣のベンチを指差した。
「座ってもいい?」
「もちろん」
彼女が隣に座る。
以前なら当たり前だった距離が、今はひどく遠く感じた。
「仕事、どう?」
「忙しいけど、前よりはちゃんと休むようになった」
「そっか」
「……君は?」
「私は、最近料理始めた」
「料理?」
「うん。前は全部あなたに作ってもらってたから」
僕は思わず笑った。
「そうだったな」
「ひどいよね。卵焼きすら焦がしてた」
「今でも焦がす?」
「……たまに」
二人で笑った。
ほんの数秒だった。
でも、その笑顔は昔と同じではなかった。
失った時間を知っているからこその、少し寂しい笑顔だった。
彼女が立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「あ……うん」
引き止めたい。
そう思った。
でも、僕は立ち上がらなかった。
以前の僕なら、きっと何も考えずに追いかけていた。
そして「やり直そう」と言っただろう。
けれど今は、言えなかった。
彼女の答えを変えるためじゃなく、
彼女が選んだ人生を尊重するために。
「……ねえ」
彼女が振り返った。
「なに?」
僕は少しだけ笑った。
「今度は、ちゃんと幸せになって」
彼女の目が、ほんの少し揺れた。
「……あなたもね」
彼女はそう言って、歩いていった。
僕はしばらく、その背中を見ていた。
そして気づいた。
不思議だった。
以前なら、彼女が遠ざかるほど胸が苦しくなった。
けれど今日は違った。
寂しい。
もちろん寂しい。
それでも、ちゃんと前を向ける気がした。
ベンチから立ち上がる。
落ち葉を踏んで歩き出す。
駅へ向かう途中、スマートフォンが震えた。
メッセージが一件。
彼女からだった。
『今日は会えてよかった』
僕は立ち止まった。
しばらく画面を見つめる。
そして返信した。
『僕も』
送信する。
数秒後、またメッセージが届いた。
『もしよかったら、今度ご飯行かない?』
僕は目を疑った。
何度も読み返す。
すぐに「もちろん」と打とうとして、指を止めた。
そして、ゆっくり文字を入力した。
『うん。今度は、ちゃんと予定合わせよう』
送信する。
既読がつく。
そして、
『うん』
とだけ返ってきた。
それ以上の言葉はなかった。
復縁できるかなんて、わからない。
また恋人になれるかもわからない。
もしかしたら、ただの友達として会うだけかもしれない。
それでもよかった。
僕たちの物語は、あの日で終わったと思っていた。
でも、終わった物語の続きを、もう一度書き始めることはできるのかもしれない。
駅の階段を上る。
外はもう暗くなり始めていた。
街灯に照らされて、黄色い葉が一枚、僕の肩に落ちた。
それを手に取る。
少し笑った。
秋は、何かを失う季節だと思っていた。
葉が落ちるから。
寒くなるから。
夏の終わりを、どうしても思い知らされるから。
でも、違うのかもしれない。
葉が落ちるからこそ、新しい季節を迎えられる。
終わりは、いつだって終わりとは限らない。
駅のホームに立つ。
遠くから電車の音が聞こえてくる。
僕はポケットの中でスマートフォンを握った。
もう一度だけ、画面を見る。
彼女から届いた「うん」の二文字。
それだけで、少しだけ未来が明るく見えた。
秋風が吹いた。
僕は顔を上げた。
そして今度は、彼女のいない未来ではなく、
彼女がいるかもしれない未来と、
彼女がいなくても笑っていられる未来。
その両方を抱えて、歩き出した。
次に会う日は、まだ決まっていない。
でも、きっと大丈夫だ。
急がなくていい。
今度は、ちゃんと時間をかけよう。
落ち葉の舞う道を歩きながら、僕はそう思った。
駅前の並木道は、いつの間にか赤と黄色に染まっていた。
風が吹くたび、葉が一枚、また一枚と落ちていく。
僕はその道を、三ヶ月ぶりに歩いていた。
彼女と別れてから、初めてだった。
別れたのは夏だった。
「ごめんね。嫌いになったわけじゃないの」
最後まで、彼女は優しかった。
だから余計につらかった。
僕は何度も「もう一度だけ」と言った。
今度はちゃんとする。
今度は大切にする。
今までできなかったことを、全部やり直す。
そんな言葉を並べた。
でも彼女は、静かに首を横に振った。
「今度じゃなくて、今、大切にしてほしかったんだと思う」
その言葉が、三ヶ月経った今でも胸に残っている。
僕たちは二年付き合っていた。
最初の頃は、何をしても楽しかった。
コンビニで新作のお菓子を見つけただけで電話した。
夜中までどうでもいい話をした。
休日には電車を乗り継いで、目的もなく知らない街へ行った。
彼女はよく笑った。
僕は、その笑顔がずっと続くものだと思っていた。
だから、仕事が忙しくなってからも、
「また今度」
と言えば大丈夫だと思っていた。
彼女が会いたいと言った日も。
話したいと言った夜も。
僕は「疲れているから」と後回しにした。
そして気づいたときには、彼女の「また今度」がなくなっていた。
並木道のベンチに座る。
少し冷たい風が頬を撫でた。
ポケットからスマートフォンを取り出す。
連絡先には、まだ彼女の名前が残っている。
消すことができなかった。
でも、連絡することもできなかった。
別れてから一度も、僕から連絡していない。
何を書けばいいのかわからなかった。
「元気?」
そんな一言を送ったところで、何が変わるのだろう。
僕はスマートフォンをしまった。
そのときだった。
「……あれ?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げる。
そこに彼女がいた。
駅前の本屋の袋を抱えて、少し驚いた顔をしている。
「久しぶり」
彼女が笑った。
胸が、痛いほど鳴った。
「……久しぶり」
それだけ言うのが精一杯だった。
気まずい沈黙が落ちる。
風が吹いて、二人の足元に落ち葉が転がった。
「元気だった?」
「うん。そっちは?」
「私も」
それだけの会話だった。
けれど、僕にとっては、この三ヶ月で一番長い時間だった。
彼女は少し迷ってから、隣のベンチを指差した。
「座ってもいい?」
「もちろん」
彼女が隣に座る。
以前なら当たり前だった距離が、今はひどく遠く感じた。
「仕事、どう?」
「忙しいけど、前よりはちゃんと休むようになった」
「そっか」
「……君は?」
「私は、最近料理始めた」
「料理?」
「うん。前は全部あなたに作ってもらってたから」
僕は思わず笑った。
「そうだったな」
「ひどいよね。卵焼きすら焦がしてた」
「今でも焦がす?」
「……たまに」
二人で笑った。
ほんの数秒だった。
でも、その笑顔は昔と同じではなかった。
失った時間を知っているからこその、少し寂しい笑顔だった。
彼女が立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行くね」
「あ……うん」
引き止めたい。
そう思った。
でも、僕は立ち上がらなかった。
以前の僕なら、きっと何も考えずに追いかけていた。
そして「やり直そう」と言っただろう。
けれど今は、言えなかった。
彼女の答えを変えるためじゃなく、
彼女が選んだ人生を尊重するために。
「……ねえ」
彼女が振り返った。
「なに?」
僕は少しだけ笑った。
「今度は、ちゃんと幸せになって」
彼女の目が、ほんの少し揺れた。
「……あなたもね」
彼女はそう言って、歩いていった。
僕はしばらく、その背中を見ていた。
そして気づいた。
不思議だった。
以前なら、彼女が遠ざかるほど胸が苦しくなった。
けれど今日は違った。
寂しい。
もちろん寂しい。
それでも、ちゃんと前を向ける気がした。
ベンチから立ち上がる。
落ち葉を踏んで歩き出す。
駅へ向かう途中、スマートフォンが震えた。
メッセージが一件。
彼女からだった。
『今日は会えてよかった』
僕は立ち止まった。
しばらく画面を見つめる。
そして返信した。
『僕も』
送信する。
数秒後、またメッセージが届いた。
『もしよかったら、今度ご飯行かない?』
僕は目を疑った。
何度も読み返す。
すぐに「もちろん」と打とうとして、指を止めた。
そして、ゆっくり文字を入力した。
『うん。今度は、ちゃんと予定合わせよう』
送信する。
既読がつく。
そして、
『うん』
とだけ返ってきた。
それ以上の言葉はなかった。
復縁できるかなんて、わからない。
また恋人になれるかもわからない。
もしかしたら、ただの友達として会うだけかもしれない。
それでもよかった。
僕たちの物語は、あの日で終わったと思っていた。
でも、終わった物語の続きを、もう一度書き始めることはできるのかもしれない。
駅の階段を上る。
外はもう暗くなり始めていた。
街灯に照らされて、黄色い葉が一枚、僕の肩に落ちた。
それを手に取る。
少し笑った。
秋は、何かを失う季節だと思っていた。
葉が落ちるから。
寒くなるから。
夏の終わりを、どうしても思い知らされるから。
でも、違うのかもしれない。
葉が落ちるからこそ、新しい季節を迎えられる。
終わりは、いつだって終わりとは限らない。
駅のホームに立つ。
遠くから電車の音が聞こえてくる。
僕はポケットの中でスマートフォンを握った。
もう一度だけ、画面を見る。
彼女から届いた「うん」の二文字。
それだけで、少しだけ未来が明るく見えた。
秋風が吹いた。
僕は顔を上げた。
そして今度は、彼女のいない未来ではなく、
彼女がいるかもしれない未来と、
彼女がいなくても笑っていられる未来。
その両方を抱えて、歩き出した。
次に会う日は、まだ決まっていない。
でも、きっと大丈夫だ。
急がなくていい。
今度は、ちゃんと時間をかけよう。
落ち葉の舞う道を歩きながら、僕はそう思った。
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