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自殺などの表現がございます。
お読みになられる際は十分にご注意ください。
夢うつつ
プロローグ
私は先日、友人Iから面白い感性を持っていると言われました。
その言葉を信じ、文章を書こうと思い立った訳です。
ですが友人からのその言葉がなかったとしても、多分何処かのタイミングでこのような文を書くことは運命で決まっていたような気がします。
そんな私の12年間を誰かが添削してくれることを願い、原文を書こうと思います。
そして、私は自分の名を作品の中で使用するのではなく、「私」という人物に私の人生を歩み、実況対象となってもらおうと思います。
この人の性別も、名も、生みの親である私にしか分かりません。
私にとっては誰かの名を借りるより唯の一人称にした方が気楽なのです。
第一の追憶
夢のような生涯を送ってきました。
上記の言葉は太宰治の人間失格から私なりにアレンジを加えたものです。
原文は「恥の多い生涯を送ってきました」です。
そのまま使っても私には似合っていたのでしょうが、自分の理解者であるために「夢」という言葉に置き換えてみました。
夢。
将来の夢は
今日こんな夢を見たんだ
夢を追いかけて生きてゆく
夢という一つの単語だけでこれほどの意味が出てきます。
私が書いたのは将来の夢としてです。
というのも私には一つの夢があります。それは自殺をする、ということです。
自殺。日本ではあまりポジティブな意味では使われませんよね。
でも、そんな世の中こそイレギュラーなのではないかと思います。
例えば、本当に辛くってどうしようもない時、私はいつも一つの手段として自殺を考えてみます。
今までただの一度も実行したことはないですが、そう考えて世間を見てみると何とかなるように思えるのです。
もしもそれが心の中で冗談として扱われていても、そう考えてみます。
自殺、したっていいじゃない?私には関係ないもの。
人はいつか死ぬんだもの。明日も明後日もずっと生きていられるというのは唯の願望にしか過ぎないのだから。
今生きている母親だって友達だって明日になれば死んでいるかもしれないのに、生きていて、元気でいるだなんてその瞬間になってみないとわからないっていうのに。
唯、こんなことを抜かしている私も、今自殺しろと言われたらびっくりしちゃいます。
いつか、死ぬ時を選べられるならば、死に方を選べられるならば、自殺するだけです。
先程私は「私には関係ないもの」と書きました。
私以外の私の知らない何処かの誰かが自殺するだけなら私はどうだっていいです。
そんなの薄情だ!なんて綺麗ごとを抜かす人間だっていつかは現れると思います。
ならば貴方は毎日亡くなった人間や命が成仏できるようにと祈りを捧げるのですか?命を粗末に扱ったことはただの一度もないと言えるのですか?命を懸けても?
そういうことです。
ですが私が本当に言いたいのは、これを見るであろう誰かに対してです。
もしかするとこれを見る時、私は死んでいるかもしれません。だったとしても私は自分自身が死ぬことに興味はありません。
これを誰かが見るタイミングはどうでもいいし、私自身の「死のタイミング」は正直どうだっていいです。
私の死に対して唯一大事だと思うのは死に方です。
どう死ぬのか、どれだけ美しく死ねるのか、どれだけ人々を感動させられるか。
私は死に方に対して一つの競技性を感じています。
自分の中で一番評価が高い死に方が太宰治、本名を津島修治という方の死に方です。
愛人と入水自殺。それが美しいと感じました。
私はその死に方と書かれた紙の裏にはみ出すぐらい津島修治が詰め込まれた死に方が大好きなのです。
だから私はその紙に私を詰め込んで死んでゆきたいのです。
大好きになるために。たったそれだけのために。
第二の追憶
私は自分が道化を演じていることに気付いたのは11の時でした。
道化。
道徳に沿った人間に化けている、化け狐。それが私の本性なのです。
これを実感したとき、何の感情も抱きませんでした。唯、普段の会話の中で嫌いな人間の話になった時のような、そんな感覚だったのを覚えています。
此処までのことを話したのはたった一人、友人Iです。
私の身内や友達ならばこの人間のことが誰かなど、一瞬で想像つくでしょう。
ですが私はこの人にも本当の私としてお話をしたことが唯の一度もないのです。
それが嘘に塗れた「私」という人物なのでしょう。
「お前の考えは独特だ」
そう友人Iが言い放ったのは今年の冬でした。
ストーブに当たりながら二人で何か哲学的なことについて話していたのでしょう。
友人Iは冗談交じりに言ったのかもしれません。
ですが私の心のキャンドルに火をつけるのには十分なくらいでした。
私でも気が付かなかった「私」に気が付けたのは友人Iだけだったのです。
私は何時も皆さんに嘘をついています。
この夢を描いている時だって、私の一つの嘘として描いているのかもしれません。
それくらい私の身体には嘘が纏わりついているのです。
でもそれを嫌だとは思いはしませんし、したくもないです。
例えば最前線で戦う兵士が戦の中で自分から甲冑を脱いだりなんてしません。
それと同じことです。
自分を守ってくれる鎧を大切に扱って、信頼しているだけです。
兵士にとって自分の鎧は甲冑ですが、私にとっては嘘です。貴方にだってあるはずです。
自分を守ってくれる何かが。
もしかしたら嘘となって化けて出てくるかもしれませんよ?
言葉のように使い方を間違えると凶器になってしまう嘘が。
第三の追憶
私は苛めというものに一度もあったことがありません。
それらしきものは幼少期に何度かはあったものの、知能も付いてきた小学生や中学生に上がってからは一度もそんなことありません。
世の大人はそれでいい。というはずですが、考えが独特な私はこういう物書きをする場合には苛めという新しいフォルダも作ることが必要だと感じています。
だから私は嫌われ役を買って出る。
だから私は不愛想にしている。
それでも苛めは起こることなんてありません。
ですがこの中で一つ、発見があったのです。
それは女子に注意をするときにでした。
その日は中学に上がって間もない時でした。
私の学校には他クラスに勝手に入ってはいけないというルールがありました。
ですがその日も、その前の日も彼女たちはクラスに入ってきており、私はそんなことに気が付かなかったのですが、私の友人が扉の前で固まられて扉が使えない、と相談を持ち掛けてきたのです。
先程も言ったように私は嫌われ役を進んでやるタイプの人間ですので、その日も彼女たちに自前の大声で
「ルールにあるから話すなら廊下行ったらどう?」
と注意をしました。その日は
「先生?」
だとかいう阿呆のような勘違いを見て独り心の中で大爆笑するだけでした。
事件はその数日後に起こりました。
その日も先日と同じように血栓のように扉で詰まっていて、私は近くで水筒の水を飲んでいたのですが、一人の気の弱そうな四角いメガネをかけた子が彼女たちの間をするりと通ろうとするとあろうことか彼女たちが得意の醜い足で妨害するのです!
流石に見過ごせなかった私は柄にもなく自分から注意することにしました。
(嫌われ役を進んでやるというのは、誰かに頼まれた時だけであり、自分からはどうも面倒くさく、やることは一度もなかったのです。)
「やめなよ。醜い。嫌われちゃうよ?」
それだけ言い、彼女たちの返答を待っていると彼女たちは私よりももっと気色の悪い顔を蛇のように斜めにし、一重瞼が可愛らしい目でキッと睨んできたのです。
それに関しては私は毛ほども気にしていないのですが、彼女らの顔と心の醜さにはゲボが出そうなくらいでした。
「別に嫌われてもいいし」
彼女たちはそう強がっていましたが、心の深海では恐怖と不安、淋しさのダイオウイカやリュウグウノツカイがゾウリムシのようにうじゃうじゃと培養されていたのでしょう。
この体験を通して私が感じたことは、心が醜く、ユスリカのように群れていないと気が気でない人間は自分が王であるかのように振る舞い、大蛇であるかのように首を傾げるのです。
そして、自分が恥ずかしいことをしていることに何時までたてども気が付かないものなのです。
第四の追憶
ここまで私のことを解読してくれた方は私がどのような人間か、よくわかったことでしょう。
まとめると、死について何も考えていない虐められてみたい道化師なのです。
そんな可哀そうな道化師は此処まで、~~な人とは書いていないのです。~~な人間と書いているのです。
この文だと、前者は自分が人であると確信を持ったもの、後者は確信を持っていないもの。そう見えますね。
私は後者のものです。
皆さんは自分が人間であると確信して動かないようですが、私は違います。私は自分が人間であるという証拠がないのであれば、それは人間に擬態した「ナニカ」なのではないかそれを考えたから、私は後者を選択しました。
だって、私は善人に見せかけた哀しい物書きに過ぎないのですから。
〇〇へ
さて、今は午後21時48分です。
これを見ているあなたの時間は何時ですか?
私はたったの365×9+366×3+56日しか生きていません。
ですがこの追憶が誰かの為になるように、
私のためになるように、
何処かの私同じ考えの方へ紙飛行機を飛ばします。
自殺したっていいから。
嫌われ者になってもいいから。
道化師になってもいいから。
唯、私の今の考えを踏みにじらないで向き合ってほしい。
私がずっと夢の中でいられるように、ずっと自分が大好きだと錯覚させるために。
私と同じ考えの誰かへ、実況対象の私と、これを描いた私から。
終
私は先日、友人Iから面白い感性を持っていると言われました。
その言葉を信じ、文章を書こうと思い立った訳です。
ですが友人からのその言葉がなかったとしても、多分何処かのタイミングでこのような文を書くことは運命で決まっていたような気がします。
そんな私の12年間を誰かが添削してくれることを願い、原文を書こうと思います。
そして、私は自分の名を作品の中で使用するのではなく、「私」という人物に私の人生を歩み、実況対象となってもらおうと思います。
この人の性別も、名も、生みの親である私にしか分かりません。
私にとっては誰かの名を借りるより唯の一人称にした方が気楽なのです。
第一の追憶
夢のような生涯を送ってきました。
上記の言葉は太宰治の人間失格から私なりにアレンジを加えたものです。
原文は「恥の多い生涯を送ってきました」です。
そのまま使っても私には似合っていたのでしょうが、自分の理解者であるために「夢」という言葉に置き換えてみました。
夢。
将来の夢は
今日こんな夢を見たんだ
夢を追いかけて生きてゆく
夢という一つの単語だけでこれほどの意味が出てきます。
私が書いたのは将来の夢としてです。
というのも私には一つの夢があります。それは自殺をする、ということです。
自殺。日本ではあまりポジティブな意味では使われませんよね。
でも、そんな世の中こそイレギュラーなのではないかと思います。
例えば、本当に辛くってどうしようもない時、私はいつも一つの手段として自殺を考えてみます。
今までただの一度も実行したことはないですが、そう考えて世間を見てみると何とかなるように思えるのです。
もしもそれが心の中で冗談として扱われていても、そう考えてみます。
自殺、したっていいじゃない?私には関係ないもの。
人はいつか死ぬんだもの。明日も明後日もずっと生きていられるというのは唯の願望にしか過ぎないのだから。
今生きている母親だって友達だって明日になれば死んでいるかもしれないのに、生きていて、元気でいるだなんてその瞬間になってみないとわからないっていうのに。
唯、こんなことを抜かしている私も、今自殺しろと言われたらびっくりしちゃいます。
いつか、死ぬ時を選べられるならば、死に方を選べられるならば、自殺するだけです。
先程私は「私には関係ないもの」と書きました。
私以外の私の知らない何処かの誰かが自殺するだけなら私はどうだっていいです。
そんなの薄情だ!なんて綺麗ごとを抜かす人間だっていつかは現れると思います。
ならば貴方は毎日亡くなった人間や命が成仏できるようにと祈りを捧げるのですか?命を粗末に扱ったことはただの一度もないと言えるのですか?命を懸けても?
そういうことです。
ですが私が本当に言いたいのは、これを見るであろう誰かに対してです。
もしかするとこれを見る時、私は死んでいるかもしれません。だったとしても私は自分自身が死ぬことに興味はありません。
これを誰かが見るタイミングはどうでもいいし、私自身の「死のタイミング」は正直どうだっていいです。
私の死に対して唯一大事だと思うのは死に方です。
どう死ぬのか、どれだけ美しく死ねるのか、どれだけ人々を感動させられるか。
私は死に方に対して一つの競技性を感じています。
自分の中で一番評価が高い死に方が太宰治、本名を津島修治という方の死に方です。
愛人と入水自殺。それが美しいと感じました。
私はその死に方と書かれた紙の裏にはみ出すぐらい津島修治が詰め込まれた死に方が大好きなのです。
だから私はその紙に私を詰め込んで死んでゆきたいのです。
大好きになるために。たったそれだけのために。
第二の追憶
私は自分が道化を演じていることに気付いたのは11の時でした。
道化。
道徳に沿った人間に化けている、化け狐。それが私の本性なのです。
これを実感したとき、何の感情も抱きませんでした。唯、普段の会話の中で嫌いな人間の話になった時のような、そんな感覚だったのを覚えています。
此処までのことを話したのはたった一人、友人Iです。
私の身内や友達ならばこの人間のことが誰かなど、一瞬で想像つくでしょう。
ですが私はこの人にも本当の私としてお話をしたことが唯の一度もないのです。
それが嘘に塗れた「私」という人物なのでしょう。
「お前の考えは独特だ」
そう友人Iが言い放ったのは今年の冬でした。
ストーブに当たりながら二人で何か哲学的なことについて話していたのでしょう。
友人Iは冗談交じりに言ったのかもしれません。
ですが私の心のキャンドルに火をつけるのには十分なくらいでした。
私でも気が付かなかった「私」に気が付けたのは友人Iだけだったのです。
私は何時も皆さんに嘘をついています。
この夢を描いている時だって、私の一つの嘘として描いているのかもしれません。
それくらい私の身体には嘘が纏わりついているのです。
でもそれを嫌だとは思いはしませんし、したくもないです。
例えば最前線で戦う兵士が戦の中で自分から甲冑を脱いだりなんてしません。
それと同じことです。
自分を守ってくれる鎧を大切に扱って、信頼しているだけです。
兵士にとって自分の鎧は甲冑ですが、私にとっては嘘です。貴方にだってあるはずです。
自分を守ってくれる何かが。
もしかしたら嘘となって化けて出てくるかもしれませんよ?
言葉のように使い方を間違えると凶器になってしまう嘘が。
第三の追憶
私は苛めというものに一度もあったことがありません。
それらしきものは幼少期に何度かはあったものの、知能も付いてきた小学生や中学生に上がってからは一度もそんなことありません。
世の大人はそれでいい。というはずですが、考えが独特な私はこういう物書きをする場合には苛めという新しいフォルダも作ることが必要だと感じています。
だから私は嫌われ役を買って出る。
だから私は不愛想にしている。
それでも苛めは起こることなんてありません。
ですがこの中で一つ、発見があったのです。
それは女子に注意をするときにでした。
その日は中学に上がって間もない時でした。
私の学校には他クラスに勝手に入ってはいけないというルールがありました。
ですがその日も、その前の日も彼女たちはクラスに入ってきており、私はそんなことに気が付かなかったのですが、私の友人が扉の前で固まられて扉が使えない、と相談を持ち掛けてきたのです。
先程も言ったように私は嫌われ役を進んでやるタイプの人間ですので、その日も彼女たちに自前の大声で
「ルールにあるから話すなら廊下行ったらどう?」
と注意をしました。その日は
「先生?」
だとかいう阿呆のような勘違いを見て独り心の中で大爆笑するだけでした。
事件はその数日後に起こりました。
その日も先日と同じように血栓のように扉で詰まっていて、私は近くで水筒の水を飲んでいたのですが、一人の気の弱そうな四角いメガネをかけた子が彼女たちの間をするりと通ろうとするとあろうことか彼女たちが得意の醜い足で妨害するのです!
流石に見過ごせなかった私は柄にもなく自分から注意することにしました。
(嫌われ役を進んでやるというのは、誰かに頼まれた時だけであり、自分からはどうも面倒くさく、やることは一度もなかったのです。)
「やめなよ。醜い。嫌われちゃうよ?」
それだけ言い、彼女たちの返答を待っていると彼女たちは私よりももっと気色の悪い顔を蛇のように斜めにし、一重瞼が可愛らしい目でキッと睨んできたのです。
それに関しては私は毛ほども気にしていないのですが、彼女らの顔と心の醜さにはゲボが出そうなくらいでした。
「別に嫌われてもいいし」
彼女たちはそう強がっていましたが、心の深海では恐怖と不安、淋しさのダイオウイカやリュウグウノツカイがゾウリムシのようにうじゃうじゃと培養されていたのでしょう。
この体験を通して私が感じたことは、心が醜く、ユスリカのように群れていないと気が気でない人間は自分が王であるかのように振る舞い、大蛇であるかのように首を傾げるのです。
そして、自分が恥ずかしいことをしていることに何時までたてども気が付かないものなのです。
第四の追憶
ここまで私のことを解読してくれた方は私がどのような人間か、よくわかったことでしょう。
まとめると、死について何も考えていない虐められてみたい道化師なのです。
そんな可哀そうな道化師は此処まで、~~な人とは書いていないのです。~~な人間と書いているのです。
この文だと、前者は自分が人であると確信を持ったもの、後者は確信を持っていないもの。そう見えますね。
私は後者のものです。
皆さんは自分が人間であると確信して動かないようですが、私は違います。私は自分が人間であるという証拠がないのであれば、それは人間に擬態した「ナニカ」なのではないかそれを考えたから、私は後者を選択しました。
だって、私は善人に見せかけた哀しい物書きに過ぎないのですから。
〇〇へ
さて、今は午後21時48分です。
これを見ているあなたの時間は何時ですか?
私はたったの365×9+366×3+56日しか生きていません。
ですがこの追憶が誰かの為になるように、
私のためになるように、
何処かの私同じ考えの方へ紙飛行機を飛ばします。
自殺したっていいから。
嫌われ者になってもいいから。
道化師になってもいいから。
唯、私の今の考えを踏みにじらないで向き合ってほしい。
私がずっと夢の中でいられるように、ずっと自分が大好きだと錯覚させるために。
私と同じ考えの誰かへ、実況対象の私と、これを描いた私から。
終
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