八月三十日
「今日をずっと待ってたの」
彼女はなんだか、悲しそうな、苦しそうな、嬉しそうな、よくわからない顔で微笑んだ。
ある日、入院している祖母のお見舞いに来た僕。
母に頼まれて待合室の自動販売機で、水を買いに行った。その時だった。
待合室で女の人と楽しそうに話す君を見たんだ。
長い黒髪が窓の光を受けてキラキラ輝いて見えた。
なんだか目が離せなくなっていた僕のスマホにメッセージアプリの通知が届いた。
『まだ?はやく買ってきてね』
母からだった。
後ろを向いていた彼女がふと、こちらを向いた。目が合ってしまった。彼女の目は明るく茶色がかっていて、まるで夜空を彩る満天の星みたいにキラキラとして、希望に溢れていた。
しばらくして僕はまた、祖母のお見舞いに来た。
何やら母が祖母に話があるから、散歩でもしてきなさいと部屋を追い出された。
ぶらぶらとあてもなく歩いていると、待合室の窓際に彼女がいた。この待合室は広くて、窓も大人の男の人ぐらいの高さがあり大きい。ベランダもついている。
「……何をしているんですか?」
なんだか気になってしまった僕は、話しかけてみた。
「え?海を見ているの。綺麗だよね」
海なんか気にしていなかった僕は、今日この時、初めてこの病院から見える景色を、彼女と見た。
太陽の光を浴びてキラキラと水平線が光っている。深みのある海の青、爽やかな青空。
「今は五月だけど、八月になったら花火大会があるの。ここから見えるよ」
「そうなんだ……」
そう言うと彼女は目線だけをこちらに向けて、
「君、名前は?」
「僕は……透。透明の透」
「綺麗な名前だね」
そんな事、言われたこともなかった。彼女に言われるとなんだか嬉しくなってしまう僕がいた。
「君は?」
「私は……秘密!」
あの後、帰りの車の中で偶然彼女の話になった。
「そういえば、あんたあの子と話してたの?黒髪の髪長い女の子……」
「そうだけど、何?」
すると母は、なんだか言いにくそうにしながら、
「あの子……あんたと同じ年頃なのに難病を患ってるそうよ。いつ死んでもおかしくないって。可哀想にね……」
この瞬間、僕は言葉を失った。彼女はあんなに明るく、美しい人なのに。そんなはずないと。
「まあ、仲良くするもしないもあんた次第だけど」
母は病院で買った水を口にし、こう言った。
「後悔だけは、しないようにね」
それから毎回、祖母のお見舞いに行く度に彼女と話をするようになった。
好きな食べ物、好きな色、好きな場所など、お互いについてどんどん知っていった。
でも一つだけ、教えてくれないことがあった。
「名前は?」
「だから秘密だって。」
「なんでよ。僕は教えたのに」
「透、人にしてあげたからって、相手からお返しが来ると思ったら大間違いだよ〜」
「……」
こんな調子で、毎回教えてもらえなかった。
でも今回は少し、違った。
「いい加減教えてよ〜」
「……じゃあ、八月の花火大会。その時まで、私が生きていたら、教えるね」
僕は一瞬息を呑んだ。普通に話していて忘れていたけど、彼女はいつ死んでもおかしくない状況なんだ、という現実が大波となって、僕に押し寄せてきた感覚だった。
「……わかった。」
祖母が死んだ。
それはある六月の、雨が強い日だった。
母は泣き崩れ、いつもは仕事で来れない父も急いで迎えに来た。スーツが濡れていた。
僕はいたたまれなくなって、祖母の病室を抜け出した。
「……死んじゃった……?」
彼女が声をかけてきた。彼女も悲しそうな顔をしている。
「……うん」
「……そっか」
誰もいない、少し薄暗くて雨音が響く待合室。
「もう、ここ、来なくなる?」
「そうだね。もうお見舞いも来れないし……」
「だったら、私のお見舞いに来てよ」
彼女はまるで、何かに縋り付くような顔で、僕の手を握って、頼んだ。
「私……透と出会ってから……楽しくて……前までは検査とか怖いし、誰にも話せなかったから……でも今は、君に、透に、色々話せる」
泣きそうになりながら話す彼女を見て、なんだか僕まで泣きそうになってしまった。
「……わかった。来るよ。絶対、お見舞いに来るから。」
祖母が亡くなってから、お葬式などを終えてまた普段通りの日常を迎える頃にはもう七月を迎えていた。
六月の憂鬱になりそうな暗い雨模様よりも、少し気分が楽になる青空が見えていた。
あの日から、2週間おきに僕は彼女のお見舞いに行っていた。宿題を持っていって一緒に解いたり、おすすめの漫画を教えたり、待合室のベランダに出て外を眺めながら雑談したりしていた。
「……あ、そうだ。そういえばね、今年の花火大会のプリント、透の分も貰っておいたよ」
はいこれ、と渡されたプリントを見てみた。
「八月三十日、日曜日。来れる?」
「行けると思う。多分」
「多分って」
そう冗談めかして彼女がツッコミを入れると、彼女は嬉しそうに笑った。
綺麗な青空と彼女の白い肌のコントラストに、目が眩むほどの美しさを感じた。
「なあ、八月三十日、土曜だっけ?忘れたけど、その日花火大会あんだってさ!遊びに行かね?」
とある学校の平日。僕の友達の海人が話しかけてきた。
八月三十日。その日は彼女との約束の日だ。
「無理。予定ある」
「なんだお前彼女でもできたんかー?」
にやけた顔でからかってくる海人。
あれ、僕達の関係ってどんなのなんだろう。ふと、そう思った。
友達、よりは親しいかな……恋人……はあっちが迷惑だろうし。
「まあいいや、彼女と仲良くしろよ」
「彼女じゃないって!」
「じゃあ誰だよ」
「……わかんない」
「はあ?」
僕だって、わからない。彼女は自分にとってどんな存在か、自分は彼女にとってどんな存在か。
……彼女はいついなくなってしまうのか。
「ほらお前ら座れー。授業始まるぞー」
「はーい」
とうとう夏休みに入り、暑さも厳しくなってきた。七月に入ってから彼女は体調を崩すことが増えてきていた。
『今日はごめん、あんまり良くないから会えない』
メッセージアプリから通知が届いた。
『わかった。お大事に』
『ありがと』
不安に思っている自分がいることに気がついた。
いなくなってしまったらどうしようと、彼女は僕のことどう思っているのかと。
体調、大丈夫かな。
八月に入ると僕達はほとんど会わなくなっていった。彼女は検査やら注射やらと、だんだん病気が悪化している様だ。
僕は僕で部活や勉強もあり、忙しかった。
でも心のどこかでいつも、彼女を思い描いていた。元気かな、前貸した漫画もう読んだかな、また間食ばかりとって怒られたりしていないかな……
……僕は彼女がいなくなるまでに、何をしてあげられるのかな……。
八月三十日。夕暮れ時。
彼女は僕の手を掴み、小走りでベランダまで出た。
「今日をずっと待ってたの」
彼女はなんだか、悲しそうな、苦しそうな、嬉しそうな、よくわからない顔で微笑んだ。
「私、もうすぐ死ぬと思う」
「え」
「なんかさあ、死ぬのが近くなると、わかるんだよね……前から体調崩したり良くなったり繰り返してたけど、今回はなんとなく違うっていうか」
「なんで」
「だから、死ぬ前に透と花火を見たかったの!今日まで生きてて、私、良かった……」
「そんなこと言わないでよ」
思わず涙が零れる。僕の目からも、君の目からも。
その時、花火が上がった。
「綺麗だね、透」
彼女は涙を流しながら、僕と目を合わせた。
いつの間にか暗くなっていた周辺に、花火の光を受けて彼女の涙が、瞳が、キラキラと輝いていた。 それは今まで生きて見てきた中で、どんな花よりも、どんな景色よりも美しかった。
「好きだよ」
僕の急な一言に、彼女は目を見開いた。
「私も」
嬉しかった。純粋にすごく嬉しい、ただそれだけ。
「そういえば、私の名前、言ってなかったね」
涙を拭いながら君が言った。
「私の名前は____」
透へ
この手紙を読んでいる頃に、
私はもうこの世にはいないと思います。
本当は死ぬのがとても怖かった。
でも、人に話せなかった。相談できなかった。
迷惑かけたくなかったから。
でも、透はなんでも受け入れてくれたよね。
それどころか、一緒に楽しめることとか
探してくれたのがすごく嬉しかった。
私は透のことが好きになったけど
透がどう思っているかはわからないから
死ぬ前にせめて、自分の気持ちだけ伝えようと
思ったけど、伝わったかな?
こんなのずるいかもしれないけど、
私は透のことずっと大好きだよ。
優しいところも、たまに叱ってくる
面倒見が良いところも、優しい笑顔も。
私のことずっと忘れないでとは言わないけど、
たまに思い出して欲しい。
出会った五月のこと、それから
花火大会の八月三十日。
楽しかったです。ありがとう
ちとせ より
彼女はなんだか、悲しそうな、苦しそうな、嬉しそうな、よくわからない顔で微笑んだ。
ある日、入院している祖母のお見舞いに来た僕。
母に頼まれて待合室の自動販売機で、水を買いに行った。その時だった。
待合室で女の人と楽しそうに話す君を見たんだ。
長い黒髪が窓の光を受けてキラキラ輝いて見えた。
なんだか目が離せなくなっていた僕のスマホにメッセージアプリの通知が届いた。
『まだ?はやく買ってきてね』
母からだった。
後ろを向いていた彼女がふと、こちらを向いた。目が合ってしまった。彼女の目は明るく茶色がかっていて、まるで夜空を彩る満天の星みたいにキラキラとして、希望に溢れていた。
しばらくして僕はまた、祖母のお見舞いに来た。
何やら母が祖母に話があるから、散歩でもしてきなさいと部屋を追い出された。
ぶらぶらとあてもなく歩いていると、待合室の窓際に彼女がいた。この待合室は広くて、窓も大人の男の人ぐらいの高さがあり大きい。ベランダもついている。
「……何をしているんですか?」
なんだか気になってしまった僕は、話しかけてみた。
「え?海を見ているの。綺麗だよね」
海なんか気にしていなかった僕は、今日この時、初めてこの病院から見える景色を、彼女と見た。
太陽の光を浴びてキラキラと水平線が光っている。深みのある海の青、爽やかな青空。
「今は五月だけど、八月になったら花火大会があるの。ここから見えるよ」
「そうなんだ……」
そう言うと彼女は目線だけをこちらに向けて、
「君、名前は?」
「僕は……透。透明の透」
「綺麗な名前だね」
そんな事、言われたこともなかった。彼女に言われるとなんだか嬉しくなってしまう僕がいた。
「君は?」
「私は……秘密!」
あの後、帰りの車の中で偶然彼女の話になった。
「そういえば、あんたあの子と話してたの?黒髪の髪長い女の子……」
「そうだけど、何?」
すると母は、なんだか言いにくそうにしながら、
「あの子……あんたと同じ年頃なのに難病を患ってるそうよ。いつ死んでもおかしくないって。可哀想にね……」
この瞬間、僕は言葉を失った。彼女はあんなに明るく、美しい人なのに。そんなはずないと。
「まあ、仲良くするもしないもあんた次第だけど」
母は病院で買った水を口にし、こう言った。
「後悔だけは、しないようにね」
それから毎回、祖母のお見舞いに行く度に彼女と話をするようになった。
好きな食べ物、好きな色、好きな場所など、お互いについてどんどん知っていった。
でも一つだけ、教えてくれないことがあった。
「名前は?」
「だから秘密だって。」
「なんでよ。僕は教えたのに」
「透、人にしてあげたからって、相手からお返しが来ると思ったら大間違いだよ〜」
「……」
こんな調子で、毎回教えてもらえなかった。
でも今回は少し、違った。
「いい加減教えてよ〜」
「……じゃあ、八月の花火大会。その時まで、私が生きていたら、教えるね」
僕は一瞬息を呑んだ。普通に話していて忘れていたけど、彼女はいつ死んでもおかしくない状況なんだ、という現実が大波となって、僕に押し寄せてきた感覚だった。
「……わかった。」
祖母が死んだ。
それはある六月の、雨が強い日だった。
母は泣き崩れ、いつもは仕事で来れない父も急いで迎えに来た。スーツが濡れていた。
僕はいたたまれなくなって、祖母の病室を抜け出した。
「……死んじゃった……?」
彼女が声をかけてきた。彼女も悲しそうな顔をしている。
「……うん」
「……そっか」
誰もいない、少し薄暗くて雨音が響く待合室。
「もう、ここ、来なくなる?」
「そうだね。もうお見舞いも来れないし……」
「だったら、私のお見舞いに来てよ」
彼女はまるで、何かに縋り付くような顔で、僕の手を握って、頼んだ。
「私……透と出会ってから……楽しくて……前までは検査とか怖いし、誰にも話せなかったから……でも今は、君に、透に、色々話せる」
泣きそうになりながら話す彼女を見て、なんだか僕まで泣きそうになってしまった。
「……わかった。来るよ。絶対、お見舞いに来るから。」
祖母が亡くなってから、お葬式などを終えてまた普段通りの日常を迎える頃にはもう七月を迎えていた。
六月の憂鬱になりそうな暗い雨模様よりも、少し気分が楽になる青空が見えていた。
あの日から、2週間おきに僕は彼女のお見舞いに行っていた。宿題を持っていって一緒に解いたり、おすすめの漫画を教えたり、待合室のベランダに出て外を眺めながら雑談したりしていた。
「……あ、そうだ。そういえばね、今年の花火大会のプリント、透の分も貰っておいたよ」
はいこれ、と渡されたプリントを見てみた。
「八月三十日、日曜日。来れる?」
「行けると思う。多分」
「多分って」
そう冗談めかして彼女がツッコミを入れると、彼女は嬉しそうに笑った。
綺麗な青空と彼女の白い肌のコントラストに、目が眩むほどの美しさを感じた。
「なあ、八月三十日、土曜だっけ?忘れたけど、その日花火大会あんだってさ!遊びに行かね?」
とある学校の平日。僕の友達の海人が話しかけてきた。
八月三十日。その日は彼女との約束の日だ。
「無理。予定ある」
「なんだお前彼女でもできたんかー?」
にやけた顔でからかってくる海人。
あれ、僕達の関係ってどんなのなんだろう。ふと、そう思った。
友達、よりは親しいかな……恋人……はあっちが迷惑だろうし。
「まあいいや、彼女と仲良くしろよ」
「彼女じゃないって!」
「じゃあ誰だよ」
「……わかんない」
「はあ?」
僕だって、わからない。彼女は自分にとってどんな存在か、自分は彼女にとってどんな存在か。
……彼女はいついなくなってしまうのか。
「ほらお前ら座れー。授業始まるぞー」
「はーい」
とうとう夏休みに入り、暑さも厳しくなってきた。七月に入ってから彼女は体調を崩すことが増えてきていた。
『今日はごめん、あんまり良くないから会えない』
メッセージアプリから通知が届いた。
『わかった。お大事に』
『ありがと』
不安に思っている自分がいることに気がついた。
いなくなってしまったらどうしようと、彼女は僕のことどう思っているのかと。
体調、大丈夫かな。
八月に入ると僕達はほとんど会わなくなっていった。彼女は検査やら注射やらと、だんだん病気が悪化している様だ。
僕は僕で部活や勉強もあり、忙しかった。
でも心のどこかでいつも、彼女を思い描いていた。元気かな、前貸した漫画もう読んだかな、また間食ばかりとって怒られたりしていないかな……
……僕は彼女がいなくなるまでに、何をしてあげられるのかな……。
八月三十日。夕暮れ時。
彼女は僕の手を掴み、小走りでベランダまで出た。
「今日をずっと待ってたの」
彼女はなんだか、悲しそうな、苦しそうな、嬉しそうな、よくわからない顔で微笑んだ。
「私、もうすぐ死ぬと思う」
「え」
「なんかさあ、死ぬのが近くなると、わかるんだよね……前から体調崩したり良くなったり繰り返してたけど、今回はなんとなく違うっていうか」
「なんで」
「だから、死ぬ前に透と花火を見たかったの!今日まで生きてて、私、良かった……」
「そんなこと言わないでよ」
思わず涙が零れる。僕の目からも、君の目からも。
その時、花火が上がった。
「綺麗だね、透」
彼女は涙を流しながら、僕と目を合わせた。
いつの間にか暗くなっていた周辺に、花火の光を受けて彼女の涙が、瞳が、キラキラと輝いていた。 それは今まで生きて見てきた中で、どんな花よりも、どんな景色よりも美しかった。
「好きだよ」
僕の急な一言に、彼女は目を見開いた。
「私も」
嬉しかった。純粋にすごく嬉しい、ただそれだけ。
「そういえば、私の名前、言ってなかったね」
涙を拭いながら君が言った。
「私の名前は____」
透へ
この手紙を読んでいる頃に、
私はもうこの世にはいないと思います。
本当は死ぬのがとても怖かった。
でも、人に話せなかった。相談できなかった。
迷惑かけたくなかったから。
でも、透はなんでも受け入れてくれたよね。
それどころか、一緒に楽しめることとか
探してくれたのがすごく嬉しかった。
私は透のことが好きになったけど
透がどう思っているかはわからないから
死ぬ前にせめて、自分の気持ちだけ伝えようと
思ったけど、伝わったかな?
こんなのずるいかもしれないけど、
私は透のことずっと大好きだよ。
優しいところも、たまに叱ってくる
面倒見が良いところも、優しい笑顔も。
私のことずっと忘れないでとは言わないけど、
たまに思い出して欲しい。
出会った五月のこと、それから
花火大会の八月三十日。
楽しかったです。ありがとう
ちとせ より
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