「久しぶり、こんなとこで何してんの?」
死人に口なし。
人は死んだら喋れないから出来た言葉なのに、目の前の[漢字]晴登[/漢字][ふりがな]しにん[/ふりがな]は堂々と私に挨拶をした。
晴登ではないと分かっているけど、あまりにもその声は晴登のままで、笑い方すら変わっていない。
可笑しい、異常だ。
頭の中でガンガンと鳴り響く警報と、驚きと混ざった得体の知れない恐怖が足裏を這う。
ドクドクっと、耳元で心臓が脈打っている。殴られた時の熱を持った痛みではなく、冷たい冷気が心臓から血液と一緒に巡回しているみたいだ。
「……久しぶり。晴登じゃないよね、誰?」
長い沈黙の後に口から出た言葉は、思っているより冷静で、相手に合わせて挨拶が出来ていた。
合わさなくてもよかったかも知れないが、口から勝手に出てしまったのだ。もしかしたら、本当に晴登だと期待していたのかも知れない。
晴登の形をした何かは、私の言葉に、一つも顔を変えていない。波瑠みたいな笑顔のまま、瞬きも、唇も動かしていない。
ずっと、仮面みたいにその顔が張り付いているみたいだった。
「俺は俺だよ。晴登だよ」
「一つアドバイスすると、アイツは万年ドライアイだったよ。瞬きは、基本多め」
「おっと、忘れてた。今からするよ」
晴登の形をした何かは両目を右手で覆って、数秒後に手を外した。
そこにはアイツのやぼったい一重があった。目が合ったと思ったと思ったら、更に笑みを浮かべて瞼をぱちぱちと動かし、瞬きをした。
ぱち、ぱち、ぱち、と三回。
音がしなかったのに、音が聞こえたような気がした。瞬きをするように調節しているような。とても人間とは思えない、機械的な動作。
目の奥が痛い。喉が乾く。逃げなきゃと思うのに、体が動かない。
それはきっと、熱帯夜のせいでも、父に殴られたせいでもない。
“この世に在ってはいけないもの”が目の前に立っていると、体のどこかが本能的に理解しているからだ。
「どうかな、君の思う晴登らしいかな?」
「それ聞いてる時点で、晴登じゃないって言ってるようなもんだよ」
「確かにそうだね。でも、この姿じゃ晴登以外に名乗れる名前がないんだよ」
なんとも言えない返しだ。
だが、私個人としては小学校から中学まで一緒にいた幼馴染未満の同級生に擬態した何かを、晴登の名前では呼びたくない。だけど、形自体は晴登としか言えないのに、全く別の名前で呼ぶのも憚られる。
私は少し考えた後、言った。
「じゃあハルって呼ぶよ」
そう口に出したとたん、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
死んだ晴登への裏切りみたいで、それでも目の前の「ハル」と呼んだ何かに、名前を与えてしまうしかなかった。形を持ってしまったものには、名前が必要だ。それが、人の姿をしているのなら、なおさら。
ハルは笑った。
「いいね、その名前。気に入ったよ。俺も呼びやすいし」
少し上擦ったような声。だけど、それはたしかに晴登の声とよく似ていた。
上辺だけをなぞったような親しみが、皮膚にざらざらと引っかかって残る。
私はベンチに座ったまま、無意識に距離を詰められないよう背筋を伸ばす。ハルは何も言わず、数歩、こちらへと近づいた。
「隣行ってもいい?」
「……あんまり近くに来ないで。まだ整理できてない」
「オーケー。じゃあ、ここにいる」
そう言って、ベンチから3メートルくらいの距離に立ち止まる。
切れかけの街頭が、一瞬消えて、ハルの影が揺らいだ。
「ねぇ、ほんとにアンタは何?」
「鈴ちゃんが言ったじゃないか。俺はハルだよ」
「そういうことじゃない、なんでここに居るの?晴登じゃないなら、なんなのよ……」
「んー難しい質問だ。俺の名前は今ハルと決まったところだけど、本質的に晴登ではない。形だけの紛い物さ」
「それは知ってる。晴登はそんな知性溢れる話し方はしない」
「アハハハハ、すごい言われようだな」
距離はあるはずなのに、呼吸の音が耳元で聞こえるような気がする。これは、自分のものだろうか、それともハルの?
一瞬の静寂。遠くで、またカラスが鳴いた。
「さて、俺が何なんだって話だよね」
ハルは「少し難しいな」と、呟きながら耳たぶを摘んだ。これも、晴登の考える時の癖だ。
本格的に人間染みてきたけど、なぜか違和感は拭えない。
ニュースアプリの通知で光った画面に映った時刻は1時13分。意外なことに、この晴登もどきのハルと話して15分も経っていないらしい。
ハルは耳たぶをいじり終わると、私に改めて向き合って言った。
「んー分かりやすく言うと、2025年7月5日午前4時18分の“在り方”の一部、みたいなもんかな。人間っぽくいうなら、災いってところだね」
ハルはあっけらかんとした様子でそう言った。
災い。
言葉の意味が分からないわけじゃない。だけど、言われた瞬間、頭の中で言語として処理する前に、身体が理解を拒否していた。
汗が、一滴、背中をつたう。
ぬるいはずの夜風が、氷みたいに皮膚を撫でていく。
「……はっ、………災い?」
私の口から、もう一度その言葉がこぼれた。
意味は分かる。でも、理解はしたくない。理解した瞬間、何かが壊れてしまいそうで。
ハルは首を傾げて、小さく笑う。
癖なのか演技なのか、どちらにしても“人間味”が濃すぎて、逆に不自然だ。
「そう。災い、禍、異変、破滅。言い方はいろいろあるよ。俺はその一部で、ここに来た。……鈴ちゃんに、会いに」
「……なんで、私?」
なぜ、私?
それはずっと、私がこの世界に対して思ってきた言葉だった。
どうして、自分が殴られなきゃいけないのか。
どうして、学校に行けないのか。
どうして、誰も助けてくれないのか。
“私が何をしたっていうの?”
はるか昔、ぼこぼこの赤いランドセルを抱いて晴登に溢した問い。
晴登にだけ言ったはずのその問いが、なぜか“世界”が答えようとしている気がして、私は酷く困惑する。
なんで、どうして。
「……どうして、今更」
私の消え入りそうな声と一緒に、公園の、古ぼけた時計は1時15分を差した。
死人に口なし。
人は死んだら喋れないから出来た言葉なのに、目の前の[漢字]晴登[/漢字][ふりがな]しにん[/ふりがな]は堂々と私に挨拶をした。
晴登ではないと分かっているけど、あまりにもその声は晴登のままで、笑い方すら変わっていない。
可笑しい、異常だ。
頭の中でガンガンと鳴り響く警報と、驚きと混ざった得体の知れない恐怖が足裏を這う。
ドクドクっと、耳元で心臓が脈打っている。殴られた時の熱を持った痛みではなく、冷たい冷気が心臓から血液と一緒に巡回しているみたいだ。
「……久しぶり。晴登じゃないよね、誰?」
長い沈黙の後に口から出た言葉は、思っているより冷静で、相手に合わせて挨拶が出来ていた。
合わさなくてもよかったかも知れないが、口から勝手に出てしまったのだ。もしかしたら、本当に晴登だと期待していたのかも知れない。
晴登の形をした何かは、私の言葉に、一つも顔を変えていない。波瑠みたいな笑顔のまま、瞬きも、唇も動かしていない。
ずっと、仮面みたいにその顔が張り付いているみたいだった。
「俺は俺だよ。晴登だよ」
「一つアドバイスすると、アイツは万年ドライアイだったよ。瞬きは、基本多め」
「おっと、忘れてた。今からするよ」
晴登の形をした何かは両目を右手で覆って、数秒後に手を外した。
そこにはアイツのやぼったい一重があった。目が合ったと思ったと思ったら、更に笑みを浮かべて瞼をぱちぱちと動かし、瞬きをした。
ぱち、ぱち、ぱち、と三回。
音がしなかったのに、音が聞こえたような気がした。瞬きをするように調節しているような。とても人間とは思えない、機械的な動作。
目の奥が痛い。喉が乾く。逃げなきゃと思うのに、体が動かない。
それはきっと、熱帯夜のせいでも、父に殴られたせいでもない。
“この世に在ってはいけないもの”が目の前に立っていると、体のどこかが本能的に理解しているからだ。
「どうかな、君の思う晴登らしいかな?」
「それ聞いてる時点で、晴登じゃないって言ってるようなもんだよ」
「確かにそうだね。でも、この姿じゃ晴登以外に名乗れる名前がないんだよ」
なんとも言えない返しだ。
だが、私個人としては小学校から中学まで一緒にいた幼馴染未満の同級生に擬態した何かを、晴登の名前では呼びたくない。だけど、形自体は晴登としか言えないのに、全く別の名前で呼ぶのも憚られる。
私は少し考えた後、言った。
「じゃあハルって呼ぶよ」
そう口に出したとたん、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
死んだ晴登への裏切りみたいで、それでも目の前の「ハル」と呼んだ何かに、名前を与えてしまうしかなかった。形を持ってしまったものには、名前が必要だ。それが、人の姿をしているのなら、なおさら。
ハルは笑った。
「いいね、その名前。気に入ったよ。俺も呼びやすいし」
少し上擦ったような声。だけど、それはたしかに晴登の声とよく似ていた。
上辺だけをなぞったような親しみが、皮膚にざらざらと引っかかって残る。
私はベンチに座ったまま、無意識に距離を詰められないよう背筋を伸ばす。ハルは何も言わず、数歩、こちらへと近づいた。
「隣行ってもいい?」
「……あんまり近くに来ないで。まだ整理できてない」
「オーケー。じゃあ、ここにいる」
そう言って、ベンチから3メートルくらいの距離に立ち止まる。
切れかけの街頭が、一瞬消えて、ハルの影が揺らいだ。
「ねぇ、ほんとにアンタは何?」
「鈴ちゃんが言ったじゃないか。俺はハルだよ」
「そういうことじゃない、なんでここに居るの?晴登じゃないなら、なんなのよ……」
「んー難しい質問だ。俺の名前は今ハルと決まったところだけど、本質的に晴登ではない。形だけの紛い物さ」
「それは知ってる。晴登はそんな知性溢れる話し方はしない」
「アハハハハ、すごい言われようだな」
距離はあるはずなのに、呼吸の音が耳元で聞こえるような気がする。これは、自分のものだろうか、それともハルの?
一瞬の静寂。遠くで、またカラスが鳴いた。
「さて、俺が何なんだって話だよね」
ハルは「少し難しいな」と、呟きながら耳たぶを摘んだ。これも、晴登の考える時の癖だ。
本格的に人間染みてきたけど、なぜか違和感は拭えない。
ニュースアプリの通知で光った画面に映った時刻は1時13分。意外なことに、この晴登もどきのハルと話して15分も経っていないらしい。
ハルは耳たぶをいじり終わると、私に改めて向き合って言った。
「んー分かりやすく言うと、2025年7月5日午前4時18分の“在り方”の一部、みたいなもんかな。人間っぽくいうなら、災いってところだね」
ハルはあっけらかんとした様子でそう言った。
災い。
言葉の意味が分からないわけじゃない。だけど、言われた瞬間、頭の中で言語として処理する前に、身体が理解を拒否していた。
汗が、一滴、背中をつたう。
ぬるいはずの夜風が、氷みたいに皮膚を撫でていく。
「……はっ、………災い?」
私の口から、もう一度その言葉がこぼれた。
意味は分かる。でも、理解はしたくない。理解した瞬間、何かが壊れてしまいそうで。
ハルは首を傾げて、小さく笑う。
癖なのか演技なのか、どちらにしても“人間味”が濃すぎて、逆に不自然だ。
「そう。災い、禍、異変、破滅。言い方はいろいろあるよ。俺はその一部で、ここに来た。……鈴ちゃんに、会いに」
「……なんで、私?」
なぜ、私?
それはずっと、私がこの世界に対して思ってきた言葉だった。
どうして、自分が殴られなきゃいけないのか。
どうして、学校に行けないのか。
どうして、誰も助けてくれないのか。
“私が何をしたっていうの?”
はるか昔、ぼこぼこの赤いランドセルを抱いて晴登に溢した問い。
晴登にだけ言ったはずのその問いが、なぜか“世界”が答えようとしている気がして、私は酷く困惑する。
なんで、どうして。
「……どうして、今更」
私の消え入りそうな声と一緒に、公園の、古ぼけた時計は1時15分を差した。