警察と救急隊が現場の女性を安全に運び出すと、店内の空気は一気に落ち着きを取り戻した。
だが、まだ完全に安心できるわけではない。事件の余韻は、店内の端に集まった一行の心に重く残っていた。
「……ふぅ」
霧空はソファに深く沈み込み、両手で顔を覆うようにして座った。動き回っていた分、ようやく力が抜けたのだろう。
「大丈夫?」
「まだ、ちょっと」
蘭がそっと霧空に声をかけると、彼女は顔を上げて笑おうとしたが、力の抜けた表情で首を小さく振った。
日向は変わらず無表情で、椅子に座りながら店内を静かに見回している。コナンもまた、端でメガネを光らせて、現場の痕跡や残留物を頭の中で整理していた。
女性が倒れた現場には、制服姿の警官と刑事の姿があった。
コナンがよく知っている目暮警部と佐藤刑事、高木刑事もいる。3人はそれぞれまた君たちか、という反応をしたが、見ない顔である霧空と日向には少し不思議そうな顔をしたが、それぞれの事情聴取を始める。
「では、はじめにここに名前と所属の学校を聞いても?」
佐藤警部補がゆっくりと霧空と日向に問いかける。
霧空はぐったりした様子をみせながらも、しっかりと応える。
「私は氷室沢 霧空で、こっちは双子の弟の……」
「………氷室……日向、です」
「えー、所属は帝丹高校2年になるのかな?蘭ちゃんたちとは同級生なんです」
佐藤は一瞬、氷室沢と聞いて上司である男の顔と名前が浮かんだ。
氷室沢 直継。
いつも人畜無害そうな笑顔を浮かべているが、中々強かな男で、舐めてかかってくる輩は全員見事にやられて帰ってくる。
それを知ってからあの顔が胡散臭くなってきたが、溺愛しているらしい妹が作った弁当(※第一課では[漢字]愛妹[/漢字][ふりがな]あいまい[/ふりがな]弁当と言われている)に向ける笑顔は、少し霧空に似ている……かも?
佐藤はもう一度、霧空をよく見た。
顔の作りは似ていないが、グレーの目と、笑ったときの笑窪は同じだ。
「もしかして何だけど、親戚の人に氷室沢 直継って人はいるかしら」
もしかしてっと、聞いてみたらビンゴだったらしい。
「えっ、兄です!佐藤さん、お兄ちゃんの事知ってるんですか!?」
「兄!?」
「……バカ霧空……。直兄さん……は、第一課……だろ………。佐藤さんと……同僚……だ」
「あそっか!」
確か、あの男は32歳で、この子達は17。兄妹にしては随分と、歳が離れてるが、家庭に突っ込むのはデリカシーがないだろう。
佐藤は上司の意外な繋がりに驚いたが、仕事に戻った。
「ごめんなさい、話がずれちゃったわね。ここにいる理由は何かしら」
「………常連……だから。……あいつらとは……、偶々……」
「なるほど……今日は偶然、毛利さんたちと一緒にいたんですね」
佐藤が頷くと、霧空は小さく息を吐き、少しほっとした表情を見せた。
日向は相変わらず無表情のままだが、目だけは店内を巡らせている。
「そうそう。だから、私たちは見てただけで……事件には関係ないです」
霧空の言葉に、コナンは小さく頷く。確かに、現場に居合わせただけで、事件に直接関わったわけではない。だが、毒を使った犯行という点では、巻き込まれる可能性は十分にあった。
「……わかりました。では、少し詳しくお聞きします」
佐藤は手元のメモ帳を開き、順を追って話を聞き始めた。霧空は落ち着いた声で説明を続けるが、時折、力の抜けた様子で肩を落とす。日向は淡々と、必要な部分だけ補足するように話す。
「……ちなみに、この店はよく来るのかね?」
目暮警部が尋ねると、霧空は軽く頷いた。
「はい、学校終わりには勉強したり、甘いもの食べたりしてます。今日はたまたま蘭ちゃんたちに会って一緒に来ただけです」
「なるほど。被害者の方とは、面識は?」
「いいえ。知らない人です。席も少し離れてたし……」
日向も無表情のまま、コナンの視線をちらりと見て、「……同意」と小声で答える。
その瞬間、コナンは頭の中で状況を整理し始める。
__犯行はテーブルに置かれた飲み物か、デザートに混入された可能性が高い。毒の種類は日向の言葉通り、特定困難で即効性があるもの。店内には複数の客が居たが、霧空と日向は明らかに被害者に接触していない。
「そうすると、犯人は店内の誰か……」
コナンは心の中で推理を進める。視線は自然に、事件直前に倒れた女性の席に向く。そこには、まだ回収されていないカップやお皿が残されている。
「ねぇ、日向兄ちゃん。被害者の人が倒れる時にさ、エステル類って言ってたじゃん。何でそう思ったの?」
日向は静かに口を開く。
「症状……紫色の唇、呼吸の浅さ、痙攣のリズム……あと、匂い」
「匂い?」
「……あの人が、……飲んでた……フルール…ティー。姉さん………が……前飲んでた……やつと……違った……。アーモンドっぽい……匂い。……たぶん………有機リン系、エステル……」
コナンの視線が現場に注がれる中、日向は静かに体を起こし、淡々と店内を観察していた。無表情のまま、しかし視線は鋭く、まるで店全体の空気を読んでいるかのようだ。
「……そして……、あの人……女性、だけを……狙った……可能性……高い」
日向の小さな声が、店内の端で響く。コナンは思わず耳を傾けた。
「ほんと?」
「……うん。立ち方、歩き方、喋り方……目線の使い方、指先の動き……全て……行動パターンが……女性に対して……特化している」
コナンがどういうことかと、思わず眉を顰めると、日向が目線を合わせないものの、軽く空気をなぞるようにして説明をする。
「男性に対しては……声のトーンや視線の間隔に変化はない。だが女性には……自然に近づき、視線を合わせ、微妙な距離感を保ちながら心理的圧迫をかけている。あの倒れた女性も……飲み物を手にした瞬間から……無意識に……緊張を示していた」
「なるほど……接触前から心理的な影響を与えていた、ということか」
「……あの動作も……意味がある」
日向は、店内にいる数人の女性の立ち方、足の角度、手の位置、指先の細かい動きに目を走らせる。
手の指先ですら、動き軽く触れるか触れないかの距離で微妙な緊張を作れる。
声の強弱、会話の間合い……無意識的にしろ、意識的にしろ、その全てに人の心は現れる。
謎は解かず、推理もしない。
日向はひたすらに観察して、推測するのだ。
「事件直前……女性は、自然に防御姿勢を取った。無意識に距離を取る動作をした。その瞬間……犯人の意図が見えた。心理学から導くと……この店にいる客の中に……犯人はいる……そして女性に限定して行動している」
コナンは心の中で整理する。つまり、犯人は目立たず、自然な振る舞いをしながら、女性客を心理的に操作し、毒を盛るタイミングを見計らったということだ。
「じゃあ、犯人はまだ店にいるってこと?」
「……可能性高い。……女性を観察していた動き……全ての行動が……矛盾なく説明できる」
店内の空気は一見落ち着きを取り戻したように見えるが、まだ犯人は残っている。
その事実が、コナンの視線を巡らせる。
日向の指摘が頭に残っている。犯人はまだ店内にいる可能性が高い──女性客に対してだけ巧妙に心理的圧迫をかけて行動しているのだ。
「なるほど、女性客の動きを観察してタイミングを計ったっと」
コナンの小さな声に反応するかのように、日向が無表情のまま微かに首を傾げる。
「目立たずに行動できるタイプ……。女性の反応を見ながら、毒を盛るタイミングを図れる場所に居た人物」
コナンは現場に残されたテーブルのカップや皿に目をやる。
倒れた女性が飲んでいたフルールティーの残り香、そしてまだ触れられていない他の客のテーブルも視線に入る。
日向も立ち上がり、店内を静かに観察し始める。
彼の視線は、客全員の持ち物の位置にまで細かく注がれる。
その間に、コナンは頭の中で整理を進めていた。
女性に対してのみ微妙に距離を詰める動作、自然に近づき、視線を合わせ、手元の動きで緊張を作ることができる。……目立たずに、しかし、女性にはしっかり見える席にいた人物……。
……もしかして。
「あの人?」
コナンがこっそりと、指を刺したのは丁度、佐藤刑事から事情聴取を受けている店員だ。
茶髪をお団子に纏めている普通の女性。でも、あの女性客とは元々友人だったそうで、この店を紹介したのは自分だと、ハンカチで涙を拭いながら喋っている。ずっと泣いているのだろう、目元が赤い。
引いてみると、自分が働いている店で友人が殺された哀れな女性だ。
でも、その中には明確な殺意が蠢いている。
「……たぶん」
日向は淡々と頷くと、コナンは少し考えてから目をやる。
園子を探偵役にする事は何回かあったが、麻酔銃で気絶させるのは無理だろう。日向鋭さは、さっき見たばかり。
あの曇った水色の目はどこまでも人を見ている。きっと、変な動きをすれば一瞬でバレてしまう。
だが、刑事に言うにも「容疑者を観察しまくって犯人特定しました」はだいぶ難しい。心理学というのを一から説明しないといけないし、それに一番詳しいめんどくさがりそうだ。
じゃあ、どうやって捕まえる?
一番手取り早いのは、証拠品だろう。だけど、毒物なんてもう捨ててるかも知れない。………いや、待てよ。
あの女性のハンカチ……可笑しいぞ。
日向もおそらく気づいていただろうが、わざわざ指摘しなかった。多分、コナンが気づくと分かっていたのだろう。
なんとなく不愉快だが、日向が言わないなら自分でやるしかない。
コナンはトタトタと、佐藤刑事とて女性店員のそばまで駆け寄り、自分のハンカチを差し出した。
店員はコナンの突然の行動に驚いたようで、目を白黒させる。だが、直ぐに意図に気付いたのか、酷く青ざめた顔をした。
「ねっ、お姉さん大丈夫?僕のハンカチ貸そっか?」
「だ、大丈夫よ。お姉さんはハンカチ持ってるから、坊やのは要らないの」
「えー!でも、それじゃあ涙、拭きにくいでしょ?だから、僕の貸してあげる」
「コナン、何___」
刑事たちの驚きの声も、蘭たちの視線も、女性店員の明らかに震えている肩も、気にせずコナンは言った。
「ほら、ずっと同じところで涙拭いてるからさ。ハンカチの中に、なにか入ってるみたいなんでしょ」
その言葉に、佐藤刑事と高木刑事が同時に顔を上げた。
女性の手に握られたハンカチに視線が集まり、空気が一瞬で緊張に包まれる。
「な、何言ってるの坊や……! これはただの……」
「……違う」
低い声で割り込んだのは、日向だった。
彼は席から立ち上がり、女性を真っ直ぐに見据える。表情は相変わらず無表情だが、その声には確信の響きがあった。
「……中に……小瓶。……毒を入れてた容器。……涙なんか……拭いてない。……指先の力が……常に一点に集中してる……。拭く動作を装って……落とさない……ように、支えている……だけ……」
「!」
霧空が思わず息を呑み、佐藤刑事も「まさか……!」と低く声を漏らした。
女性店員の顔から血の気が引く。
慌ててハンカチをポケットにしまおうとした瞬間、目暮警部が声を張り上げた。
「待ちなさいっ!」
すかさず高木刑事がその手を押さえる。
乱れたハンカチが床に落ち、その中からころりとガラス瓶が転がり出た。
小さな瓶の中には、わずかに残った毒。周囲の視線が一斉にそこに注がれる。
「こ、これは……!」
「被害者が飲んだ紅茶に、混ぜたもの」
コナンが淡々と告げる。
その言葉に重なるように、日向も静かに続けた。
「……友人が……毒殺されそうに……なった……可哀想な……女性の……ふりを……したら、……騙せると……おもったの?」
店内にざわめきが広がる。
女性店員は顔を真っ青にしながら、唇を震わせて後ずさった。
「ち、違う……私は……っ!」
「いいえ、違いません」
佐藤刑事の鋭い声が飛ぶ。
「あなたを毒殺しようとした容疑者として、現行犯逮捕します!」
高木刑事が手錠を取り出し、逃げようとする女性の手首を素早く拘束した。
観念したのか、女性はその場に崩れ落ち、泣き声を漏らした。
事件はひとまず終わった。
しかし、その場に立ち尽くしたコナンは、日向の横顔を横目で見ながら思う。
「(観察だけでここまで断言するなんて……本当に、ただの高校生なのか?)」
無表情の少年は、ただ静かに目を閉じていた。
だが、まだ完全に安心できるわけではない。事件の余韻は、店内の端に集まった一行の心に重く残っていた。
「……ふぅ」
霧空はソファに深く沈み込み、両手で顔を覆うようにして座った。動き回っていた分、ようやく力が抜けたのだろう。
「大丈夫?」
「まだ、ちょっと」
蘭がそっと霧空に声をかけると、彼女は顔を上げて笑おうとしたが、力の抜けた表情で首を小さく振った。
日向は変わらず無表情で、椅子に座りながら店内を静かに見回している。コナンもまた、端でメガネを光らせて、現場の痕跡や残留物を頭の中で整理していた。
女性が倒れた現場には、制服姿の警官と刑事の姿があった。
コナンがよく知っている目暮警部と佐藤刑事、高木刑事もいる。3人はそれぞれまた君たちか、という反応をしたが、見ない顔である霧空と日向には少し不思議そうな顔をしたが、それぞれの事情聴取を始める。
「では、はじめにここに名前と所属の学校を聞いても?」
佐藤警部補がゆっくりと霧空と日向に問いかける。
霧空はぐったりした様子をみせながらも、しっかりと応える。
「私は氷室沢 霧空で、こっちは双子の弟の……」
「………氷室……日向、です」
「えー、所属は帝丹高校2年になるのかな?蘭ちゃんたちとは同級生なんです」
佐藤は一瞬、氷室沢と聞いて上司である男の顔と名前が浮かんだ。
氷室沢 直継。
いつも人畜無害そうな笑顔を浮かべているが、中々強かな男で、舐めてかかってくる輩は全員見事にやられて帰ってくる。
それを知ってからあの顔が胡散臭くなってきたが、溺愛しているらしい妹が作った弁当(※第一課では[漢字]愛妹[/漢字][ふりがな]あいまい[/ふりがな]弁当と言われている)に向ける笑顔は、少し霧空に似ている……かも?
佐藤はもう一度、霧空をよく見た。
顔の作りは似ていないが、グレーの目と、笑ったときの笑窪は同じだ。
「もしかして何だけど、親戚の人に氷室沢 直継って人はいるかしら」
もしかしてっと、聞いてみたらビンゴだったらしい。
「えっ、兄です!佐藤さん、お兄ちゃんの事知ってるんですか!?」
「兄!?」
「……バカ霧空……。直兄さん……は、第一課……だろ………。佐藤さんと……同僚……だ」
「あそっか!」
確か、あの男は32歳で、この子達は17。兄妹にしては随分と、歳が離れてるが、家庭に突っ込むのはデリカシーがないだろう。
佐藤は上司の意外な繋がりに驚いたが、仕事に戻った。
「ごめんなさい、話がずれちゃったわね。ここにいる理由は何かしら」
「………常連……だから。……あいつらとは……、偶々……」
「なるほど……今日は偶然、毛利さんたちと一緒にいたんですね」
佐藤が頷くと、霧空は小さく息を吐き、少しほっとした表情を見せた。
日向は相変わらず無表情のままだが、目だけは店内を巡らせている。
「そうそう。だから、私たちは見てただけで……事件には関係ないです」
霧空の言葉に、コナンは小さく頷く。確かに、現場に居合わせただけで、事件に直接関わったわけではない。だが、毒を使った犯行という点では、巻き込まれる可能性は十分にあった。
「……わかりました。では、少し詳しくお聞きします」
佐藤は手元のメモ帳を開き、順を追って話を聞き始めた。霧空は落ち着いた声で説明を続けるが、時折、力の抜けた様子で肩を落とす。日向は淡々と、必要な部分だけ補足するように話す。
「……ちなみに、この店はよく来るのかね?」
目暮警部が尋ねると、霧空は軽く頷いた。
「はい、学校終わりには勉強したり、甘いもの食べたりしてます。今日はたまたま蘭ちゃんたちに会って一緒に来ただけです」
「なるほど。被害者の方とは、面識は?」
「いいえ。知らない人です。席も少し離れてたし……」
日向も無表情のまま、コナンの視線をちらりと見て、「……同意」と小声で答える。
その瞬間、コナンは頭の中で状況を整理し始める。
__犯行はテーブルに置かれた飲み物か、デザートに混入された可能性が高い。毒の種類は日向の言葉通り、特定困難で即効性があるもの。店内には複数の客が居たが、霧空と日向は明らかに被害者に接触していない。
「そうすると、犯人は店内の誰か……」
コナンは心の中で推理を進める。視線は自然に、事件直前に倒れた女性の席に向く。そこには、まだ回収されていないカップやお皿が残されている。
「ねぇ、日向兄ちゃん。被害者の人が倒れる時にさ、エステル類って言ってたじゃん。何でそう思ったの?」
日向は静かに口を開く。
「症状……紫色の唇、呼吸の浅さ、痙攣のリズム……あと、匂い」
「匂い?」
「……あの人が、……飲んでた……フルール…ティー。姉さん………が……前飲んでた……やつと……違った……。アーモンドっぽい……匂い。……たぶん………有機リン系、エステル……」
コナンの視線が現場に注がれる中、日向は静かに体を起こし、淡々と店内を観察していた。無表情のまま、しかし視線は鋭く、まるで店全体の空気を読んでいるかのようだ。
「……そして……、あの人……女性、だけを……狙った……可能性……高い」
日向の小さな声が、店内の端で響く。コナンは思わず耳を傾けた。
「ほんと?」
「……うん。立ち方、歩き方、喋り方……目線の使い方、指先の動き……全て……行動パターンが……女性に対して……特化している」
コナンがどういうことかと、思わず眉を顰めると、日向が目線を合わせないものの、軽く空気をなぞるようにして説明をする。
「男性に対しては……声のトーンや視線の間隔に変化はない。だが女性には……自然に近づき、視線を合わせ、微妙な距離感を保ちながら心理的圧迫をかけている。あの倒れた女性も……飲み物を手にした瞬間から……無意識に……緊張を示していた」
「なるほど……接触前から心理的な影響を与えていた、ということか」
「……あの動作も……意味がある」
日向は、店内にいる数人の女性の立ち方、足の角度、手の位置、指先の細かい動きに目を走らせる。
手の指先ですら、動き軽く触れるか触れないかの距離で微妙な緊張を作れる。
声の強弱、会話の間合い……無意識的にしろ、意識的にしろ、その全てに人の心は現れる。
謎は解かず、推理もしない。
日向はひたすらに観察して、推測するのだ。
「事件直前……女性は、自然に防御姿勢を取った。無意識に距離を取る動作をした。その瞬間……犯人の意図が見えた。心理学から導くと……この店にいる客の中に……犯人はいる……そして女性に限定して行動している」
コナンは心の中で整理する。つまり、犯人は目立たず、自然な振る舞いをしながら、女性客を心理的に操作し、毒を盛るタイミングを見計らったということだ。
「じゃあ、犯人はまだ店にいるってこと?」
「……可能性高い。……女性を観察していた動き……全ての行動が……矛盾なく説明できる」
店内の空気は一見落ち着きを取り戻したように見えるが、まだ犯人は残っている。
その事実が、コナンの視線を巡らせる。
日向の指摘が頭に残っている。犯人はまだ店内にいる可能性が高い──女性客に対してだけ巧妙に心理的圧迫をかけて行動しているのだ。
「なるほど、女性客の動きを観察してタイミングを計ったっと」
コナンの小さな声に反応するかのように、日向が無表情のまま微かに首を傾げる。
「目立たずに行動できるタイプ……。女性の反応を見ながら、毒を盛るタイミングを図れる場所に居た人物」
コナンは現場に残されたテーブルのカップや皿に目をやる。
倒れた女性が飲んでいたフルールティーの残り香、そしてまだ触れられていない他の客のテーブルも視線に入る。
日向も立ち上がり、店内を静かに観察し始める。
彼の視線は、客全員の持ち物の位置にまで細かく注がれる。
その間に、コナンは頭の中で整理を進めていた。
女性に対してのみ微妙に距離を詰める動作、自然に近づき、視線を合わせ、手元の動きで緊張を作ることができる。……目立たずに、しかし、女性にはしっかり見える席にいた人物……。
……もしかして。
「あの人?」
コナンがこっそりと、指を刺したのは丁度、佐藤刑事から事情聴取を受けている店員だ。
茶髪をお団子に纏めている普通の女性。でも、あの女性客とは元々友人だったそうで、この店を紹介したのは自分だと、ハンカチで涙を拭いながら喋っている。ずっと泣いているのだろう、目元が赤い。
引いてみると、自分が働いている店で友人が殺された哀れな女性だ。
でも、その中には明確な殺意が蠢いている。
「……たぶん」
日向は淡々と頷くと、コナンは少し考えてから目をやる。
園子を探偵役にする事は何回かあったが、麻酔銃で気絶させるのは無理だろう。日向鋭さは、さっき見たばかり。
あの曇った水色の目はどこまでも人を見ている。きっと、変な動きをすれば一瞬でバレてしまう。
だが、刑事に言うにも「容疑者を観察しまくって犯人特定しました」はだいぶ難しい。心理学というのを一から説明しないといけないし、それに一番詳しいめんどくさがりそうだ。
じゃあ、どうやって捕まえる?
一番手取り早いのは、証拠品だろう。だけど、毒物なんてもう捨ててるかも知れない。………いや、待てよ。
あの女性のハンカチ……可笑しいぞ。
日向もおそらく気づいていただろうが、わざわざ指摘しなかった。多分、コナンが気づくと分かっていたのだろう。
なんとなく不愉快だが、日向が言わないなら自分でやるしかない。
コナンはトタトタと、佐藤刑事とて女性店員のそばまで駆け寄り、自分のハンカチを差し出した。
店員はコナンの突然の行動に驚いたようで、目を白黒させる。だが、直ぐに意図に気付いたのか、酷く青ざめた顔をした。
「ねっ、お姉さん大丈夫?僕のハンカチ貸そっか?」
「だ、大丈夫よ。お姉さんはハンカチ持ってるから、坊やのは要らないの」
「えー!でも、それじゃあ涙、拭きにくいでしょ?だから、僕の貸してあげる」
「コナン、何___」
刑事たちの驚きの声も、蘭たちの視線も、女性店員の明らかに震えている肩も、気にせずコナンは言った。
「ほら、ずっと同じところで涙拭いてるからさ。ハンカチの中に、なにか入ってるみたいなんでしょ」
その言葉に、佐藤刑事と高木刑事が同時に顔を上げた。
女性の手に握られたハンカチに視線が集まり、空気が一瞬で緊張に包まれる。
「な、何言ってるの坊や……! これはただの……」
「……違う」
低い声で割り込んだのは、日向だった。
彼は席から立ち上がり、女性を真っ直ぐに見据える。表情は相変わらず無表情だが、その声には確信の響きがあった。
「……中に……小瓶。……毒を入れてた容器。……涙なんか……拭いてない。……指先の力が……常に一点に集中してる……。拭く動作を装って……落とさない……ように、支えている……だけ……」
「!」
霧空が思わず息を呑み、佐藤刑事も「まさか……!」と低く声を漏らした。
女性店員の顔から血の気が引く。
慌ててハンカチをポケットにしまおうとした瞬間、目暮警部が声を張り上げた。
「待ちなさいっ!」
すかさず高木刑事がその手を押さえる。
乱れたハンカチが床に落ち、その中からころりとガラス瓶が転がり出た。
小さな瓶の中には、わずかに残った毒。周囲の視線が一斉にそこに注がれる。
「こ、これは……!」
「被害者が飲んだ紅茶に、混ぜたもの」
コナンが淡々と告げる。
その言葉に重なるように、日向も静かに続けた。
「……友人が……毒殺されそうに……なった……可哀想な……女性の……ふりを……したら、……騙せると……おもったの?」
店内にざわめきが広がる。
女性店員は顔を真っ青にしながら、唇を震わせて後ずさった。
「ち、違う……私は……っ!」
「いいえ、違いません」
佐藤刑事の鋭い声が飛ぶ。
「あなたを毒殺しようとした容疑者として、現行犯逮捕します!」
高木刑事が手錠を取り出し、逃げようとする女性の手首を素早く拘束した。
観念したのか、女性はその場に崩れ落ち、泣き声を漏らした。
事件はひとまず終わった。
しかし、その場に立ち尽くしたコナンは、日向の横顔を横目で見ながら思う。
「(観察だけでここまで断言するなんて……本当に、ただの高校生なのか?)」
無表情の少年は、ただ静かに目を閉じていた。