森谷 茶子は語らない
#1
湯に溶ける殺意 #1
なんの脈絡もなく、突然であることは重々承知ではあるが、殺人事件である。
私自身も、なぜ取材のためにやって来た旅館で殺人事件が起きて、その容疑者として名を挙げられているのか、未だに納得していない。
いや、冷静に考えれば理由は明白だ。容疑者候補の中で、私だけが“アリバイがない”という、ただそれだけの理由である。
絵を見に来ただけなのに、なんでこんなことになるのか……。
昔から人の引きが悪いのは自覚している。
従兄弟といい、教師といい、ストーカーといい、担当編集者といい、まったくどうしてこうも厄介な人間ばかりが寄ってくるのか。
「おいおいおいおい」
目の前のソファーにいるのは、その“引きの悪さ”の代表格とも言える、岸部露伴。
ギザギザのヘアバンドに、漫画の世界から抜け出したようなリアクションを全力で披露している。
両手を上げて肩をすくめ、まるで洋画の一場面のように困ってみせているが、その瞳の奥では好奇心がきらきらと輝いている。口元だって、抑えきれない笑みを浮かべているのだから、まったく説得力がない。
「おいおいおい、お前さあ……」
その口調と目線は、明らかに“楽しんでる”。
そう、間違いない。露伴がご機嫌なのは、旅館の近くにある美術館に飾られた絵画が目当てというのもあるが、それ以上に「殺人事件が起きた」という、非日常の体験に立ち会えたから。
しかも、その事件の容疑者に、可愛い従姉妹が疑われているのだから、彼の創作意欲も最高潮に違いない。
まったく、厄介な従兄弟を持ったものだ。
「まったく、ここまで来たら笑えてくるよ。茶子、お前、容疑者に疑われるの何度目だ? 僕が覚えてるだけで、7回目だったと思うんだが」
「残念、私一人で行った海外取材も含めたら、これで11回目よ」
「事件に愛されすぎじゃないか?」
「ほんとにね……。でもまぁ、小説のリアリティに繋がるし、人間観察もできるからいいんだけど」
これはもう、“事件に巻き込まれる体質”として割り切るしかない。
現に私は、それを利用して創作に役立てている。……とはいえ、今回ばかりは少々まずい。
二日後に、とても大事な予定がある。不本意であるが、露伴と予定を合わせてまで確保した日程だ。この旅行も、その約束のために組まれた前哨戦のようなもの。
つまり、この事件で足止めを食らうと非常に困る。
私、森谷 茶子の小説においても。
彼、岸部 露伴の漫画においても。
ネタ切れを最も恐れる作家としては、とても大事な取材なのだ。うっかりすると、来年出版予定の短編集から、話が一つ増えるかもしれないし、減るかもしれない。
そういう意味で、私にとってこの事件は「なんとしても早く終わってほしい事件」なのである。
[中央寄せ][大文字][大文字][大文字][大文字][大文字][大文字]☕︎[/大文字][/大文字][/大文字][/大文字][/大文字][/大文字][/中央寄せ]
『人喰い聖女の絵に興味はありませんか?』
そんな一通のメールが、事の発端だった。
「人喰い聖女の絵」――正式な作品名は『嘆きの聖女』。作者はミハイル・ドロズドフという画家だ。
ミハイルはちょうど100年前にロシアで生まれ、68年前に亡くなった。シュルレアリスム的な表現を好み、当時変容しつつあった宗教観と、人間の個人的な苦悩を描いた作家である。
露伴が唸ったほどの画家だ。絵については素人の私ですら、彼の作品からただならぬ才能を感じた。
だが彼は32歳という若さでこの世を去り、戦時中に多くの作品が生み出されたこと、そして本人の“精神的な問題”もあって、作品のほとんどが焼失、紛失、破壊、あるいは行方不明になった。
現存するのは、わずかに2点のみ。
ひとつは初期の作品『人間的動物性』。
そしてもうひとつが、晩年の混乱期に描かれた『嘆きの聖女』。
そう――俗に「人喰い聖女の絵」と呼ばれている作品だ。
これを聞いたとき、直感的に「ネタになる」と思った。
これまで取材で死にかけたことは何度かあるが、私の直感が外れたことはない。16歳で作家デビューして15年、そろそろ自分の勘を信じてもいい頃だろう。
というわけで、私はすぐに返信を送り、美術館の倉庫に眠っているという『嘆きの聖女』を見に行くことにした。
……そしたら、まんまと取材先で露伴とかぶった。
いつの間にか連絡先を交換していた私と露伴の担当編集者は、それぞれのがスケジュールを合体させ、「岸部露伴&森谷茶子の合同取材」などという、寒気のするタイトルで集英社の公式ブログに掲載されることとなった。
私たちは親戚同士で、ジャンルは違えど、ざっくり括れば同じ“作家”という職業に就いている。
仲も悪くないので、合同取材もまあ許容範囲だ。だが、いくつか問題もある。
あ、念のために言っておくけど、ネタが被るくらいならどうでもいい。
私と露伴では、「ネタ」に対する解釈も、それを作品に落とし込むアプローチもまったく違う。同じ素材を扱ったところで、パクリだパクられただなんてくだらない話にはならない。
私は露伴の漫画に、露伴は私の小説に、それぞれプロとしての信頼を置いている。
問題は彼の、良くも悪くも暴走気味な好奇心だ。
漫画のために破産したり、執筆の参考にしようと自宅に忍び込んできた泥棒を軟禁したり……とにかく、「創作に必要だ」と思ったことは何でもやる男だ。
その姿勢は、彼が年下であるとかそういった事実を抜きにして、心から尊敬している。
ただし、関わってはいけないものに真正面から突っ込んでいくし――そしてしばしば……いや、かなりの頻度で、私を巻き込んでくるのだ。
ネタになるから、ある程度は覚悟している。
でも私にも命があるし、私の作品を待っている読者もいる。
死んでしまっては、彼らに作品を届けることができない――それだけは、私のプライドが許さない。
だから、毎回なんとか生き延びているうちに、気づけば私は露伴の“観察対象兼、愉快なおもちゃ”にされていた。
……そんなわけで、彼と一緒に行動するのは、正直なところ、複雑だ。
まぁ、そんな複雑な感情をいだきつつも、露伴とやってきた旅館で見事に殺人事件。
しかも第一の容疑者候補が私と来た。もはや、呪いだと疑うレベルである。
「はぁ……全く、面倒くさい」
警察の事情聴取であからさまに疑われ、アリバイがないからとマーキング。
人を疑うのが仕事、なんて言われるぐらいだし、怪しいやつを疑うのは結構だが、事件解決に注力して欲しいところだ。
露伴も事情聴取でいなので、話し相手が居なくて暇。
そう思っていたとき、ラウンジの入り口から小さな足音。
子供だろうか、タッタッタッと小君の良い音を響かせてロビーに飛び込んで来た。
大人用のメガネのような大きなメガネみ、入学式のような格好。知的に輝く目が、その背格好とは不釣り合いのような気がした。
私はその少年を見て、確かに心の中で思い出した。
テレビで見たことがある。新聞の見出しに載っていた、あの少年だ。怪盗キッドを追い詰めたという有名な小学生の探偵。今目の前にいるのがその本人だとは、驚きだが。
確か名前は_____キッドキラーの江戸川コナンくん………だったかな。
コナンくん(暫定)は、私の視線に気づくと、愛想のいい笑顔で元気よく挨拶した。
「こんにちは!」
「こんにちは……って、時間でもないかしら」
9時ごろに死体が見つかって、気づけばもう12時過ぎだ。
健全な子供ならもうぐっすりお休みする時間だ。
事件があって、眠れないのは分かるけど、夜更かしし過ぎると大きくなれないと。やんわり諭してみるが、少年は引かない。
「ええー!!やーだーあ!ボクお姉さんとおしゃべりしたいー!」
その言葉に、内心笑みが引き攣った。
見るからに小学低学年が、事件が起きた旅館で容疑者第一候補の三十路の女とラウンジに二人。
やましい事は何もないが、事件関係なく逮捕されそうな事は避けない。
だけど、この少年部屋に戻って来れなさそうだなぁ〜。
「そう……。そこまで言うなら、ちょっとだけお話ししましょうか。私も露伴……まぁ、連れが居なくて暇だもの」
「わーい!」
「でも、本当にちょっとだけからね。15分までにはお部屋に戻るのよ」
そう言う事で、少年との短い会話が始まった。
私自身も、なぜ取材のためにやって来た旅館で殺人事件が起きて、その容疑者として名を挙げられているのか、未だに納得していない。
いや、冷静に考えれば理由は明白だ。容疑者候補の中で、私だけが“アリバイがない”という、ただそれだけの理由である。
絵を見に来ただけなのに、なんでこんなことになるのか……。
昔から人の引きが悪いのは自覚している。
従兄弟といい、教師といい、ストーカーといい、担当編集者といい、まったくどうしてこうも厄介な人間ばかりが寄ってくるのか。
「おいおいおいおい」
目の前のソファーにいるのは、その“引きの悪さ”の代表格とも言える、岸部露伴。
ギザギザのヘアバンドに、漫画の世界から抜け出したようなリアクションを全力で披露している。
両手を上げて肩をすくめ、まるで洋画の一場面のように困ってみせているが、その瞳の奥では好奇心がきらきらと輝いている。口元だって、抑えきれない笑みを浮かべているのだから、まったく説得力がない。
「おいおいおい、お前さあ……」
その口調と目線は、明らかに“楽しんでる”。
そう、間違いない。露伴がご機嫌なのは、旅館の近くにある美術館に飾られた絵画が目当てというのもあるが、それ以上に「殺人事件が起きた」という、非日常の体験に立ち会えたから。
しかも、その事件の容疑者に、可愛い従姉妹が疑われているのだから、彼の創作意欲も最高潮に違いない。
まったく、厄介な従兄弟を持ったものだ。
「まったく、ここまで来たら笑えてくるよ。茶子、お前、容疑者に疑われるの何度目だ? 僕が覚えてるだけで、7回目だったと思うんだが」
「残念、私一人で行った海外取材も含めたら、これで11回目よ」
「事件に愛されすぎじゃないか?」
「ほんとにね……。でもまぁ、小説のリアリティに繋がるし、人間観察もできるからいいんだけど」
これはもう、“事件に巻き込まれる体質”として割り切るしかない。
現に私は、それを利用して創作に役立てている。……とはいえ、今回ばかりは少々まずい。
二日後に、とても大事な予定がある。不本意であるが、露伴と予定を合わせてまで確保した日程だ。この旅行も、その約束のために組まれた前哨戦のようなもの。
つまり、この事件で足止めを食らうと非常に困る。
私、森谷 茶子の小説においても。
彼、岸部 露伴の漫画においても。
ネタ切れを最も恐れる作家としては、とても大事な取材なのだ。うっかりすると、来年出版予定の短編集から、話が一つ増えるかもしれないし、減るかもしれない。
そういう意味で、私にとってこの事件は「なんとしても早く終わってほしい事件」なのである。
[中央寄せ][大文字][大文字][大文字][大文字][大文字][大文字]☕︎[/大文字][/大文字][/大文字][/大文字][/大文字][/大文字][/中央寄せ]
『人喰い聖女の絵に興味はありませんか?』
そんな一通のメールが、事の発端だった。
「人喰い聖女の絵」――正式な作品名は『嘆きの聖女』。作者はミハイル・ドロズドフという画家だ。
ミハイルはちょうど100年前にロシアで生まれ、68年前に亡くなった。シュルレアリスム的な表現を好み、当時変容しつつあった宗教観と、人間の個人的な苦悩を描いた作家である。
露伴が唸ったほどの画家だ。絵については素人の私ですら、彼の作品からただならぬ才能を感じた。
だが彼は32歳という若さでこの世を去り、戦時中に多くの作品が生み出されたこと、そして本人の“精神的な問題”もあって、作品のほとんどが焼失、紛失、破壊、あるいは行方不明になった。
現存するのは、わずかに2点のみ。
ひとつは初期の作品『人間的動物性』。
そしてもうひとつが、晩年の混乱期に描かれた『嘆きの聖女』。
そう――俗に「人喰い聖女の絵」と呼ばれている作品だ。
これを聞いたとき、直感的に「ネタになる」と思った。
これまで取材で死にかけたことは何度かあるが、私の直感が外れたことはない。16歳で作家デビューして15年、そろそろ自分の勘を信じてもいい頃だろう。
というわけで、私はすぐに返信を送り、美術館の倉庫に眠っているという『嘆きの聖女』を見に行くことにした。
……そしたら、まんまと取材先で露伴とかぶった。
いつの間にか連絡先を交換していた私と露伴の担当編集者は、それぞれのがスケジュールを合体させ、「岸部露伴&森谷茶子の合同取材」などという、寒気のするタイトルで集英社の公式ブログに掲載されることとなった。
私たちは親戚同士で、ジャンルは違えど、ざっくり括れば同じ“作家”という職業に就いている。
仲も悪くないので、合同取材もまあ許容範囲だ。だが、いくつか問題もある。
あ、念のために言っておくけど、ネタが被るくらいならどうでもいい。
私と露伴では、「ネタ」に対する解釈も、それを作品に落とし込むアプローチもまったく違う。同じ素材を扱ったところで、パクリだパクられただなんてくだらない話にはならない。
私は露伴の漫画に、露伴は私の小説に、それぞれプロとしての信頼を置いている。
問題は彼の、良くも悪くも暴走気味な好奇心だ。
漫画のために破産したり、執筆の参考にしようと自宅に忍び込んできた泥棒を軟禁したり……とにかく、「創作に必要だ」と思ったことは何でもやる男だ。
その姿勢は、彼が年下であるとかそういった事実を抜きにして、心から尊敬している。
ただし、関わってはいけないものに真正面から突っ込んでいくし――そしてしばしば……いや、かなりの頻度で、私を巻き込んでくるのだ。
ネタになるから、ある程度は覚悟している。
でも私にも命があるし、私の作品を待っている読者もいる。
死んでしまっては、彼らに作品を届けることができない――それだけは、私のプライドが許さない。
だから、毎回なんとか生き延びているうちに、気づけば私は露伴の“観察対象兼、愉快なおもちゃ”にされていた。
……そんなわけで、彼と一緒に行動するのは、正直なところ、複雑だ。
まぁ、そんな複雑な感情をいだきつつも、露伴とやってきた旅館で見事に殺人事件。
しかも第一の容疑者候補が私と来た。もはや、呪いだと疑うレベルである。
「はぁ……全く、面倒くさい」
警察の事情聴取であからさまに疑われ、アリバイがないからとマーキング。
人を疑うのが仕事、なんて言われるぐらいだし、怪しいやつを疑うのは結構だが、事件解決に注力して欲しいところだ。
露伴も事情聴取でいなので、話し相手が居なくて暇。
そう思っていたとき、ラウンジの入り口から小さな足音。
子供だろうか、タッタッタッと小君の良い音を響かせてロビーに飛び込んで来た。
大人用のメガネのような大きなメガネみ、入学式のような格好。知的に輝く目が、その背格好とは不釣り合いのような気がした。
私はその少年を見て、確かに心の中で思い出した。
テレビで見たことがある。新聞の見出しに載っていた、あの少年だ。怪盗キッドを追い詰めたという有名な小学生の探偵。今目の前にいるのがその本人だとは、驚きだが。
確か名前は_____キッドキラーの江戸川コナンくん………だったかな。
コナンくん(暫定)は、私の視線に気づくと、愛想のいい笑顔で元気よく挨拶した。
「こんにちは!」
「こんにちは……って、時間でもないかしら」
9時ごろに死体が見つかって、気づけばもう12時過ぎだ。
健全な子供ならもうぐっすりお休みする時間だ。
事件があって、眠れないのは分かるけど、夜更かしし過ぎると大きくなれないと。やんわり諭してみるが、少年は引かない。
「ええー!!やーだーあ!ボクお姉さんとおしゃべりしたいー!」
その言葉に、内心笑みが引き攣った。
見るからに小学低学年が、事件が起きた旅館で容疑者第一候補の三十路の女とラウンジに二人。
やましい事は何もないが、事件関係なく逮捕されそうな事は避けない。
だけど、この少年部屋に戻って来れなさそうだなぁ〜。
「そう……。そこまで言うなら、ちょっとだけお話ししましょうか。私も露伴……まぁ、連れが居なくて暇だもの」
「わーい!」
「でも、本当にちょっとだけからね。15分までにはお部屋に戻るのよ」
そう言う事で、少年との短い会話が始まった。