春雨前線
#1
序章 甘美な文体の燦めきを!
山の麓の小さなまちで、風が木の葉を優しく揺らす午前。あまりに甘美な春が訪れると、このまちの個性のなさは、ちょっと助長されている。
長閑すぎたまち・[漢字]小古葉町[/漢字][ふりがな]おこはちょう[/ふりがな]に暮らす[太字][漢字]兎洞[/漢字][ふりがな]うどう[/ふりがな]みそぎ[/太字]は、愛犬のたくあんと早朝からアスファルトを走っていた。
あまりに退屈な日々に、最近の楽しみはちょっと遠出した先の本屋さんで買った雑誌をめくることと、これまたちょっと遠出して、雑貨店でかわいい小物を集めること。
とかく、高校受験が終わってからは、だいぶ退屈している次第だ。
でも今日は違う。かばんにしまったばかりの手紙の返事が、彼女の心を弾ませていた。
「あの[漢字]涼河[/漢字][ふりがな]りょうか[/ふりがな]ちゃんと文通なんて!奇跡みたいだよねえ」
そうたくあんに言った。たくあんは茶色の毛を揺らして、ただ尻尾を振るだけ。
なんとなく、どことなく、わくわくが止まらない。逸る気持ちとご一緒に、近所の文具屋へ向かった。[太字][漢字]正坂英直[/漢字][ふりがな]しょうさかひでなお[/ふりがな][/太字]の店だ。
幼馴染の彼は、いつも兎洞の突飛な行動に眉をひそめて、ついに眉間のしわが治らなくなってしまったドンマイな男子高校生。けど、今日は仕方ない。いいペンが欲しいんだ。
古めかしいスライドドアを開けると、正坂はカウンターでもくもくと万年筆を磨いていた。
姉のあかねが手伝う日もあるけど、一応今日の店番は正坂ひとり。兎洞はまっすぐに駆け寄る。
「ショーサカ!今日はショーサカが店番だったよね!」
「俺ん家の苗字は全員正坂だ」
兎洞の煩さで、集中から意識が戻る正坂。今日の店番が俺だからといって、何の用だと正坂は問いたげだ。
「ショーサカって文具屋さんなんだから、いい文具とかあるよね?」
「そりゃあ、文具屋なんだからあるに決まってるだろ」
「なにかいい万年筆とインクとか教えてよ!」
良い万年筆、良いインク────。頭の中を、店にある在庫や、最近読んだ文具本の情報が駆け巡る。正坂は無類の文具好き──そして万年筆好きなのだ。得意分野を頼られるのは少し好い、と内心思いつつ、それを尋ねてきたのが兎洞であるということになんとも言えない虚無感を覚えた正坂。…あぁ、古めかしい趣味を持っている兎洞のことだから、なにか手紙でも書くのだろうかと思う。
「なんか手紙でも書いてんのか」
「うん、そうなんですよお。あの[太字][漢字]鈴涼河[/漢字][ふりがな]れいりょうか[/ふりがな][/太字]ちゃんと文通してるんだよ!涼河ちゃん!」
「ふうん…」
レイリョウカ。聞き覚えのある名前だ、と正坂は思った。
…家の床が踏み荒らされる音…兎洞の声が大きいせいで、二階にある自宅から正坂の姉のあかねが降りてきて、にゅっと顔を出してこっちを見てきた。専ら姉の部屋は三階にあるのだが。こいつは声が大きすぎるやつだ、本当に。
「みそちゃん!?あの『White Asque』の涼河ちゃんと文通してんの〜!?」
驚きと羨望を帯びた声であかねは言った。ちなみに、あかねは兎洞のことを、下の名前から採ってみそちゃんと呼んでいる。誤解を生むから早く辞めた方がいいと、正坂は常日頃から思っている。
「まあね!たまたま会って仲よくなったから文通することになったんだ〜」
「いいなあ〜っ」
あかねはきらきらと目を輝かせる。たまたま会った、ってどういうことだ。第一そんな有名そうな人、このまちにいる訳が無い。
兎洞が文通を誇るも、兎洞が文通しようしよう…と何度も言って強行突破で文通を始めたのではないかと疑問に思う正坂。
昔、正坂自身も、「一回だけでいいから!」と言われて一度兎洞と文通したことがある。ただ、文通というのを“愉しむ”ためには、こんな近距離ではやってられないと思う正坂であった。
「兎洞お前、万年筆は何が欲しいんだ」
「んーとねなんか、書きやすいやつ。あとインクは綺麗なやつ。あ、黒以外で!」
「抽象的すぎるだろ…」
「そーかな?」
「まあ、万年筆は──俺も愛用してる、この桜杢軸のこれでどうだ」
「…へー、さらさらしてるんだね、これ。インクかわいいやつはある?」
愛着の湧いている万年筆をさらっとすっ飛ばしていく兎洞に若干憤りすら覚える正坂。まあ、昔からこういうやつではあるのを知ってるんだからとっくに諦めが付いている。
「うーん、…じゃあこれとか買っていけよ」
奥の棚から、正坂が差し出したのはラベンダーと群青、葡萄。個人的に洒落た色の印象がある。
「へー、いいね!買ったっ」
趣味を万年筆とする正坂にとって、こいつは深みを理解するのかと疑問な正坂。適当に扱うわけではないと思うが、本質をわかって欲しいと願うばかりだった。
「喜ばれるといいねえ。また私にも教えてよ!」
「もちろん!涼河ちゃんの返信が楽しみだなっ」
「はあ…」
正坂は包んだ万年筆とインクを紙袋に入れ、会計をする。
その顰めっ面と割と大きめの体格に似合わない、ぽちぽちとした電卓の音が小高くなったカウンターから響いた。
「…合計で一万百十円です」
「いい買い物だねぇ、みそちゃん。まいどあり!」
意外と多くの売り上げが出て、幼馴染とは言えど巧く売り込めた、と満足した正坂も、心なしか表情が綻びたように思われた。しかしまたもやいつもの顰めっ面に戻ってしまった。
兎洞は袋を抱えて、宝物をしまうみたいに胸の前でぎゅっと持ってはにかんだ。
「ありがとうショーサカ!なんか文字がきれいに書けそうだよ」
「気のせいだと思うけどな」
「ひどい。ショーサカのいじわる…」
依然として、正坂はちょっと厳しい現実主義者なのだ。文房具とかに対して、いちばんそういう大切にする趣とかありそうなのに?
店の外に出ると、風が一段冷たくなっていた。何かを閃いたらしい兎洞は「そうだ」と言って、二、三歩進んだところで立ち止まり、いたずらに振り返って、口をひらいた。
「ねえショーサカ」
「今度は何だよ」
「文通ってさ、いいよお」
「……今さら何を」
「だってさ、考える時間があるのがいいんだよ。書くのと届くまでに時間があるから、一回に一週間くらいかけるしさあ。みんなで文通できたらたのしそーだよね!」
兎洞はそう言いながら、紙袋の中をちらりと覗いた。中では、まるで宝石のように、それぞれが輝きを増している。
「あたし、人と仲よくなるってそれくらいゆっくりやるものって思ってるよ」
正坂は返す言葉を探して、一瞬だけ黙った。兎洞の言葉は、いつも唐突で、割と言い得て妙なのだ。こいつもこいつなりの考えはあるらしい。
「お前は何を考えているんだか…」
「ショーサカがそれ言う?」
「はあ、俺がそんなに分かり辛いかよ」
「うん。まち一番のポーカーフェイスにしてあげよう!」
勝手に決めるな、と言いかけて、正坂はやめた。突飛なやつなんてのは、知ってるんだからとっくに諦めが付いている。
いつの間に古めかしいスライドドアを動かして、兎洞はもう走り出していた。たくあんが嬉しそうに後を追っている。…犬飼ってるのは本の少しだけ羨ましい、なんて正坂は思った。
その日の夕方、兎洞は自分の部屋で机に向かった。
窓の外では、山の端がゆっくりと近づいてくる。気分はけっこう、清少納言でいるつもりだ。どういうことかっていうと、昔の人みたいな純朴な感性でいることをね。
白い便箋を一枚取り出し、万年筆を握る。
さすがは正坂の愛筆で、やわらかくて懐かしい感じの握り心地でいて。
インクはかなり迷った末に、ラベンダーを選んだ。なんとなく、ミスティックで、そしていつも、どこかかわいらしさを纏っている涼河ちゃんにぴったりなんだって思っている。群青も葡萄も捨てがたくて、最初にもう開けてしまってつけて洗ってを繰り返してずいぶんと時間がかかってしまった。でも、気持ちを磨くにはいい時間だった。
新品で、ちょっと固いふたを開けた。…あ、ほんのり甘い匂いがしたような気がする。気がしてるんだ。
――拝啓。
そこで一度、手が止まる。
拝啓だなんて、急にかしこまりすぎじゃないか。もったいないんだけど一旦この紙に書くのは取りやめて、新しく白い便箋を取り出す。また後で、らくがきでもしようか。
今度は、もっとあったかく書くんだ。
――涼河ちゃんへ
それだけで、胸が少し軽くなった。そうだよ、仮にも、いちおう同い年ではある。自分から壁をつくっちゃ、親睦の手がかりは掴めないのにね。
宛名を書いただけで、兎洞の筆は止まる。
ことばの選定が必要なんだよ。元気です、は嘘じゃないけど物足りないし、会えてうれしかった、も本当だけど、絶対にそれだけじゃないんだ。
兎洞は、便箋の端に小さく走り書きをした。
「今日はね、万年筆とインクを買ったんだよ!!」
それから、たくあんのこと、ざっとしている自己紹介、インクを三つも買ってなかなかに散財してしまったことや、自分の幼馴染のセンスがあんななりしておいてエレガントなことを書いた。最後に、少しだけ迷ってから、こう書いていた。「返事は、急がなくていいからね!また会ってお話しもしようねっ うどうより。」
退屈が功を奏した、色鮮やかな封筒に切手、たくさんのシールを広げて満足げな兎洞。兎洞の思い描く鈴の「かわいい」を、形からも構成できたのだから。
家の近くのポストまで兎洞はダッシュした。ポスト前できゅっと止まって、穴を間違えないように投函して。
ポストに投函した瞬間が兎洞はまあまあ好きだ。その瞬間から、待ちわびる時間が長くなってわくわくするからだ。首が長くなっちゃう、と思いながらまたダッシュで帰った。
数日後。
兎洞家の郵便受けをのぞくと、封筒が一通だけ紛れ込んでいた。
涼河ちゃんかも!そう思った矢先、差出人の欄には、短くこう書かれていた。
――五戸千賀。
だれだろう…?ごと、ちか?知らない切手の絵は、どこか色褪せていて、文字は堅苦しく思える。
兎洞は一瞬だけ首を傾げてから、とりあえず中身のチェックをと、家に戻っていった。
‥ first letter ‥ to Ryoka from Misogi
涼河ちゃんへ
今日はね、万年筆とインクを買ったんだよ!!
わたしはたくあんっていう柴犬を飼っているんだけど、その子と散歩ついでにいっしょに買いに行ったんだ⭐︎☆
実は、わたしの幼なじみ(正坂っていうんだけど)のお家が文具屋さんで、そこで買ったんだ〜。
でもね、ずいぶんとお金を使っちゃったの。正坂が意外と商売上手だから、かわいいインクを三色も買っちゃったんだ。。。あ!今書いてるこのインクと万年筆が、正坂のお店で買ったやつで、色はラベンダーなんだよ!涼河ちゃんぽいかなって思って。好きかなあ?
でも、実は色も万年筆も正坂が選んでくれたんだ〜。
正坂は同い年なんだけど、だいぶしかめっ面してるのに、センスだけはエレガントなんだよ。すごくおもしろいんだ!
そうだ、こないだ会った時はあまり自己紹介できなかったから、改めて自己紹介するね!!
名前は、兎洞みそぎだけど、うどうーとかでよんで!誕生日は3.14 ホワイトデー!!
White Asqueの新刊もこの日だから、すっごく嬉しいな⭐︎☆
小古葉町、っていうすっごくのどかなとこに住んでるよ。いいとこかもしれないけど、あんまり物はないかなぁ・・・
それくらいかな!涼河ちゃんの自己紹介もよかったらきかせてね!!まってまーす❤︎
返事は、急がなくていいからね!また会ってお話しもしようねっ うどうより。
‥
長閑すぎたまち・[漢字]小古葉町[/漢字][ふりがな]おこはちょう[/ふりがな]に暮らす[太字][漢字]兎洞[/漢字][ふりがな]うどう[/ふりがな]みそぎ[/太字]は、愛犬のたくあんと早朝からアスファルトを走っていた。
あまりに退屈な日々に、最近の楽しみはちょっと遠出した先の本屋さんで買った雑誌をめくることと、これまたちょっと遠出して、雑貨店でかわいい小物を集めること。
とかく、高校受験が終わってからは、だいぶ退屈している次第だ。
でも今日は違う。かばんにしまったばかりの手紙の返事が、彼女の心を弾ませていた。
「あの[漢字]涼河[/漢字][ふりがな]りょうか[/ふりがな]ちゃんと文通なんて!奇跡みたいだよねえ」
そうたくあんに言った。たくあんは茶色の毛を揺らして、ただ尻尾を振るだけ。
なんとなく、どことなく、わくわくが止まらない。逸る気持ちとご一緒に、近所の文具屋へ向かった。[太字][漢字]正坂英直[/漢字][ふりがな]しょうさかひでなお[/ふりがな][/太字]の店だ。
幼馴染の彼は、いつも兎洞の突飛な行動に眉をひそめて、ついに眉間のしわが治らなくなってしまったドンマイな男子高校生。けど、今日は仕方ない。いいペンが欲しいんだ。
古めかしいスライドドアを開けると、正坂はカウンターでもくもくと万年筆を磨いていた。
姉のあかねが手伝う日もあるけど、一応今日の店番は正坂ひとり。兎洞はまっすぐに駆け寄る。
「ショーサカ!今日はショーサカが店番だったよね!」
「俺ん家の苗字は全員正坂だ」
兎洞の煩さで、集中から意識が戻る正坂。今日の店番が俺だからといって、何の用だと正坂は問いたげだ。
「ショーサカって文具屋さんなんだから、いい文具とかあるよね?」
「そりゃあ、文具屋なんだからあるに決まってるだろ」
「なにかいい万年筆とインクとか教えてよ!」
良い万年筆、良いインク────。頭の中を、店にある在庫や、最近読んだ文具本の情報が駆け巡る。正坂は無類の文具好き──そして万年筆好きなのだ。得意分野を頼られるのは少し好い、と内心思いつつ、それを尋ねてきたのが兎洞であるということになんとも言えない虚無感を覚えた正坂。…あぁ、古めかしい趣味を持っている兎洞のことだから、なにか手紙でも書くのだろうかと思う。
「なんか手紙でも書いてんのか」
「うん、そうなんですよお。あの[太字][漢字]鈴涼河[/漢字][ふりがな]れいりょうか[/ふりがな][/太字]ちゃんと文通してるんだよ!涼河ちゃん!」
「ふうん…」
レイリョウカ。聞き覚えのある名前だ、と正坂は思った。
…家の床が踏み荒らされる音…兎洞の声が大きいせいで、二階にある自宅から正坂の姉のあかねが降りてきて、にゅっと顔を出してこっちを見てきた。専ら姉の部屋は三階にあるのだが。こいつは声が大きすぎるやつだ、本当に。
「みそちゃん!?あの『White Asque』の涼河ちゃんと文通してんの〜!?」
驚きと羨望を帯びた声であかねは言った。ちなみに、あかねは兎洞のことを、下の名前から採ってみそちゃんと呼んでいる。誤解を生むから早く辞めた方がいいと、正坂は常日頃から思っている。
「まあね!たまたま会って仲よくなったから文通することになったんだ〜」
「いいなあ〜っ」
あかねはきらきらと目を輝かせる。たまたま会った、ってどういうことだ。第一そんな有名そうな人、このまちにいる訳が無い。
兎洞が文通を誇るも、兎洞が文通しようしよう…と何度も言って強行突破で文通を始めたのではないかと疑問に思う正坂。
昔、正坂自身も、「一回だけでいいから!」と言われて一度兎洞と文通したことがある。ただ、文通というのを“愉しむ”ためには、こんな近距離ではやってられないと思う正坂であった。
「兎洞お前、万年筆は何が欲しいんだ」
「んーとねなんか、書きやすいやつ。あとインクは綺麗なやつ。あ、黒以外で!」
「抽象的すぎるだろ…」
「そーかな?」
「まあ、万年筆は──俺も愛用してる、この桜杢軸のこれでどうだ」
「…へー、さらさらしてるんだね、これ。インクかわいいやつはある?」
愛着の湧いている万年筆をさらっとすっ飛ばしていく兎洞に若干憤りすら覚える正坂。まあ、昔からこういうやつではあるのを知ってるんだからとっくに諦めが付いている。
「うーん、…じゃあこれとか買っていけよ」
奥の棚から、正坂が差し出したのはラベンダーと群青、葡萄。個人的に洒落た色の印象がある。
「へー、いいね!買ったっ」
趣味を万年筆とする正坂にとって、こいつは深みを理解するのかと疑問な正坂。適当に扱うわけではないと思うが、本質をわかって欲しいと願うばかりだった。
「喜ばれるといいねえ。また私にも教えてよ!」
「もちろん!涼河ちゃんの返信が楽しみだなっ」
「はあ…」
正坂は包んだ万年筆とインクを紙袋に入れ、会計をする。
その顰めっ面と割と大きめの体格に似合わない、ぽちぽちとした電卓の音が小高くなったカウンターから響いた。
「…合計で一万百十円です」
「いい買い物だねぇ、みそちゃん。まいどあり!」
意外と多くの売り上げが出て、幼馴染とは言えど巧く売り込めた、と満足した正坂も、心なしか表情が綻びたように思われた。しかしまたもやいつもの顰めっ面に戻ってしまった。
兎洞は袋を抱えて、宝物をしまうみたいに胸の前でぎゅっと持ってはにかんだ。
「ありがとうショーサカ!なんか文字がきれいに書けそうだよ」
「気のせいだと思うけどな」
「ひどい。ショーサカのいじわる…」
依然として、正坂はちょっと厳しい現実主義者なのだ。文房具とかに対して、いちばんそういう大切にする趣とかありそうなのに?
店の外に出ると、風が一段冷たくなっていた。何かを閃いたらしい兎洞は「そうだ」と言って、二、三歩進んだところで立ち止まり、いたずらに振り返って、口をひらいた。
「ねえショーサカ」
「今度は何だよ」
「文通ってさ、いいよお」
「……今さら何を」
「だってさ、考える時間があるのがいいんだよ。書くのと届くまでに時間があるから、一回に一週間くらいかけるしさあ。みんなで文通できたらたのしそーだよね!」
兎洞はそう言いながら、紙袋の中をちらりと覗いた。中では、まるで宝石のように、それぞれが輝きを増している。
「あたし、人と仲よくなるってそれくらいゆっくりやるものって思ってるよ」
正坂は返す言葉を探して、一瞬だけ黙った。兎洞の言葉は、いつも唐突で、割と言い得て妙なのだ。こいつもこいつなりの考えはあるらしい。
「お前は何を考えているんだか…」
「ショーサカがそれ言う?」
「はあ、俺がそんなに分かり辛いかよ」
「うん。まち一番のポーカーフェイスにしてあげよう!」
勝手に決めるな、と言いかけて、正坂はやめた。突飛なやつなんてのは、知ってるんだからとっくに諦めが付いている。
いつの間に古めかしいスライドドアを動かして、兎洞はもう走り出していた。たくあんが嬉しそうに後を追っている。…犬飼ってるのは本の少しだけ羨ましい、なんて正坂は思った。
その日の夕方、兎洞は自分の部屋で机に向かった。
窓の外では、山の端がゆっくりと近づいてくる。気分はけっこう、清少納言でいるつもりだ。どういうことかっていうと、昔の人みたいな純朴な感性でいることをね。
白い便箋を一枚取り出し、万年筆を握る。
さすがは正坂の愛筆で、やわらかくて懐かしい感じの握り心地でいて。
インクはかなり迷った末に、ラベンダーを選んだ。なんとなく、ミスティックで、そしていつも、どこかかわいらしさを纏っている涼河ちゃんにぴったりなんだって思っている。群青も葡萄も捨てがたくて、最初にもう開けてしまってつけて洗ってを繰り返してずいぶんと時間がかかってしまった。でも、気持ちを磨くにはいい時間だった。
新品で、ちょっと固いふたを開けた。…あ、ほんのり甘い匂いがしたような気がする。気がしてるんだ。
――拝啓。
そこで一度、手が止まる。
拝啓だなんて、急にかしこまりすぎじゃないか。もったいないんだけど一旦この紙に書くのは取りやめて、新しく白い便箋を取り出す。また後で、らくがきでもしようか。
今度は、もっとあったかく書くんだ。
――涼河ちゃんへ
それだけで、胸が少し軽くなった。そうだよ、仮にも、いちおう同い年ではある。自分から壁をつくっちゃ、親睦の手がかりは掴めないのにね。
宛名を書いただけで、兎洞の筆は止まる。
ことばの選定が必要なんだよ。元気です、は嘘じゃないけど物足りないし、会えてうれしかった、も本当だけど、絶対にそれだけじゃないんだ。
兎洞は、便箋の端に小さく走り書きをした。
「今日はね、万年筆とインクを買ったんだよ!!」
それから、たくあんのこと、ざっとしている自己紹介、インクを三つも買ってなかなかに散財してしまったことや、自分の幼馴染のセンスがあんななりしておいてエレガントなことを書いた。最後に、少しだけ迷ってから、こう書いていた。「返事は、急がなくていいからね!また会ってお話しもしようねっ うどうより。」
退屈が功を奏した、色鮮やかな封筒に切手、たくさんのシールを広げて満足げな兎洞。兎洞の思い描く鈴の「かわいい」を、形からも構成できたのだから。
家の近くのポストまで兎洞はダッシュした。ポスト前できゅっと止まって、穴を間違えないように投函して。
ポストに投函した瞬間が兎洞はまあまあ好きだ。その瞬間から、待ちわびる時間が長くなってわくわくするからだ。首が長くなっちゃう、と思いながらまたダッシュで帰った。
数日後。
兎洞家の郵便受けをのぞくと、封筒が一通だけ紛れ込んでいた。
涼河ちゃんかも!そう思った矢先、差出人の欄には、短くこう書かれていた。
――五戸千賀。
だれだろう…?ごと、ちか?知らない切手の絵は、どこか色褪せていて、文字は堅苦しく思える。
兎洞は一瞬だけ首を傾げてから、とりあえず中身のチェックをと、家に戻っていった。
‥ first letter ‥ to Ryoka from Misogi
涼河ちゃんへ
今日はね、万年筆とインクを買ったんだよ!!
わたしはたくあんっていう柴犬を飼っているんだけど、その子と散歩ついでにいっしょに買いに行ったんだ⭐︎☆
実は、わたしの幼なじみ(正坂っていうんだけど)のお家が文具屋さんで、そこで買ったんだ〜。
でもね、ずいぶんとお金を使っちゃったの。正坂が意外と商売上手だから、かわいいインクを三色も買っちゃったんだ。。。あ!今書いてるこのインクと万年筆が、正坂のお店で買ったやつで、色はラベンダーなんだよ!涼河ちゃんぽいかなって思って。好きかなあ?
でも、実は色も万年筆も正坂が選んでくれたんだ〜。
正坂は同い年なんだけど、だいぶしかめっ面してるのに、センスだけはエレガントなんだよ。すごくおもしろいんだ!
そうだ、こないだ会った時はあまり自己紹介できなかったから、改めて自己紹介するね!!
名前は、兎洞みそぎだけど、うどうーとかでよんで!誕生日は3.14 ホワイトデー!!
White Asqueの新刊もこの日だから、すっごく嬉しいな⭐︎☆
小古葉町、っていうすっごくのどかなとこに住んでるよ。いいとこかもしれないけど、あんまり物はないかなぁ・・・
それくらいかな!涼河ちゃんの自己紹介もよかったらきかせてね!!まってまーす❤︎
返事は、急がなくていいからね!また会ってお話しもしようねっ うどうより。
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