目が覚めたとき 、 彼は自分の名前を思い出せなかった 。
まっ白な天井 。
まっ白なシーツ 。
カーテンの向こうで揺れる風の音だけが 、 やけにやさしい 。
「 ……ここ 、 どこ 」
声を出したのに 、 その声が自分のものみたいに感じられない 。
舌の先に 、 なにか大事なものの跡が残っている気がした 。
けれど 、 思い出そうとするとするりと逃げる 。
窓の外には 、 大きな時計塔が見えた 。
その針は 、 午後三時で止まっている 。
空は薄い水色なのに 、 世界の端だけが少し歪んで見えた 。
「 やっと起きた 」
声がした 。
振り向くと 、 窓際の椅子に座っていたのは 、 同じくらいの年の男の子だった 。
黒い髪 。
細い肩 。
眠たそうな目 。
でも 、 どこか不機嫌そうで 、 近づきにくい 。
「 ……きみ 、 誰 」
「 それ 、 こっちのセリフ 」
男の子は短く答えて 、 ベッドの横に置いてあった紙を指さした 。
そこには 、 たった一行だけ書かれている 。
――記憶喪失者 、 保護中 。
「 きおくそうしつ……? 」
「 たぶんね 」
「 多分? 」
「 僕も忘れたから 」
「 え? 」
男の子は少しだけ目をそらした 。
「 自分の名前も 、 ここに来た理由も 、 全部 。 気づいたらこの部屋にいた 。 それで 、 あんたもいた 」
「 ……じゃあ 、 俺たちどこから来たの 」
「 知らない 」
「 じゃあ 、 どうしてここにいるの 」
「 それも知らない 」
「 …… 」
「 …… 」
沈黙が落ちる 。
なのに 、 なぜか気まずくはなかった 。
それが余計に変だった 。
「 とりあえず 、 外に出てみる? 」
男の子が立ち上がる 。
「 出て 、 なにするの? 」
「 思い出す 」
「 それだけ? 」
「 それだけど 」
あまりにも雑な答えだった 。
でも 、 今の彼にはそれくらいしかなかった 。
ベッドから降りると 、 足元が少しふらつく 。
その瞬間 、 机の上に置かれていた小さな鏡が目に入った 。
そこに映っていたのは 、 知らない顔だった 。
いや 、 知らないはずなのに 、 完全には知らないとも言い切れない顔 。
自分の顔なのに 、 自分じゃないみたいで 、 胸の奥がきゅっと痛んだ 。
「 ……俺 、 こんな顔してたっけ 」
「 知らない 。 たぶんしてた 」
「 たぶんで済ませるなよ 」
「 だって本当に知らないし 」
男の子は少しだけ口元をゆるめた 。
ほんの一瞬だけど 、 それが妙に印象に残った 。
そのときだった 。
[明朝体][中央寄せ]コン 、 コン 。[/中央寄せ][/明朝体]
扉がノックされた 。
「 失礼します 。 新しい“未登録者”のお目覚めですね 」
入ってきたのは 、 白衣みたいなローブを着た女性だった 。
年齢はわからない 。
でも 、 やけに声が落ち着いていて 、 笑っているのかいないのか判別しづらい 。
「 ここは 、 時計塔の保健室です 。 あなたたちは 、 記憶の一部が抜け落ちたままここへ流れ着きました 」
「 流れ着いた……? 」
「 ええ 。 まるで 、 最初から何かを落としに来たみたいに 」
男の子が眉をひそめる 。
「 何を落としたんですか? 」
「 それを探すために 、 貴方達はここにいるのです 」
「 答えになってない 」
「 ええ 、 わざとですから笑 」
女性はさらりと言ったあと 、 二人の間に視線を移した 。
「 あなたたち 、 相性がいいみたいですね 」
「「 は? 」」
声が重なった 。
「 忘れているものの種類が近い 。 ひとりでは戻れないけれど 、 ふたりなら戻れる可能性がある 」
そう言って 、 彼女は机の上に小さな箱を置いた 。
中には 、 二つの古びた指輪が入っていた 。
金でも銀でもない 、 不思議な色の輪 。
「これは“同盟印”です 。 持つ者同士は 、 互いの記憶の欠片を感じ取れます 」
「 そんな便利なもの 、 あるんだ 」
「 ええ 。 あるんです 。 ただし 、 使い方を間違えると 、 相手の恥ずかしい記憶まで拾います 」
「 最悪じゃん 」
「 でも 、 たぶん必要です 」
男の子はしばらく黙ってから 、 箱の中の指輪を見つめた 。
そして 、 ぽつりと言った 。
「 俺たち 、 ほんとに戻れるのかな 」
その言い方が 、 少しだけ弱かった 。
さっきまでの不機嫌さの奥に 、 迷子みたいな不安があった 。
もうひとりの男の子は 、 なぜかその声を聞いて胸が痛んだ 。
初めて会ったはずなのに 、 ずっと前から知っているような気がした 。
「 ……戻れなくても 」
自分でも意外なほど 、 まっすぐな声が出た 。
「 一緒なら 、 なんとかなる気がする 」
男の子が 、 少し目を見開く 。
「 何それ 。 根拠なさすぎ 」
「 でも 、 嫌じゃないだろ 」
「 ……まあ? 」
女性は満足そうに頷いた 。
「 決まりですね 。 今日からあなたたちは 、 同盟を組みなさい 」
「 同盟? 」
「 名前はどうでもいいです 。 大事なのは 、 “ひとりで自分を探さない”こと 」
時計塔の針が 、 かすかに動いた 。
止まっていた午後三時が 、 ほんの少しだけ未来へ進む 。
窓の外で風が鳴る 。
それはまるで 、 忘れていた何かが扉を叩く音みたいだった 。
「 ……じゃあ 、 同盟ってことで 」
最初にそう言ったのは 、 黒髪の男の子だった 。
「 うん 」
「 名前 、 ないけど 」
「 ないなら 、 今から作ればいい 」
そう答えたとき 、 二人の指先がほんの少しだけ触れた 。
その瞬間 、 片方の胸の奥で 、 鈴の音みたいな記憶が鳴った気がした 。
――知らない誰かが 、 笑っている 。
けれどその笑顔は 、 なぜだかとても大事なものに思えた 。
こうして、名前を失くした二人は 、 “人間失格同盟”を結成する 。
人間に戻るため 。
自分を思い出すため 。
そしていつか 、 無理に誰かの形に合わせなくても 、 自分たちのままで生きていいのだと知るために 。
まっ白な天井 。
まっ白なシーツ 。
カーテンの向こうで揺れる風の音だけが 、 やけにやさしい 。
「 ……ここ 、 どこ 」
声を出したのに 、 その声が自分のものみたいに感じられない 。
舌の先に 、 なにか大事なものの跡が残っている気がした 。
けれど 、 思い出そうとするとするりと逃げる 。
窓の外には 、 大きな時計塔が見えた 。
その針は 、 午後三時で止まっている 。
空は薄い水色なのに 、 世界の端だけが少し歪んで見えた 。
「 やっと起きた 」
声がした 。
振り向くと 、 窓際の椅子に座っていたのは 、 同じくらいの年の男の子だった 。
黒い髪 。
細い肩 。
眠たそうな目 。
でも 、 どこか不機嫌そうで 、 近づきにくい 。
「 ……きみ 、 誰 」
「 それ 、 こっちのセリフ 」
男の子は短く答えて 、 ベッドの横に置いてあった紙を指さした 。
そこには 、 たった一行だけ書かれている 。
――記憶喪失者 、 保護中 。
「 きおくそうしつ……? 」
「 たぶんね 」
「 多分? 」
「 僕も忘れたから 」
「 え? 」
男の子は少しだけ目をそらした 。
「 自分の名前も 、 ここに来た理由も 、 全部 。 気づいたらこの部屋にいた 。 それで 、 あんたもいた 」
「 ……じゃあ 、 俺たちどこから来たの 」
「 知らない 」
「 じゃあ 、 どうしてここにいるの 」
「 それも知らない 」
「 …… 」
「 …… 」
沈黙が落ちる 。
なのに 、 なぜか気まずくはなかった 。
それが余計に変だった 。
「 とりあえず 、 外に出てみる? 」
男の子が立ち上がる 。
「 出て 、 なにするの? 」
「 思い出す 」
「 それだけ? 」
「 それだけど 」
あまりにも雑な答えだった 。
でも 、 今の彼にはそれくらいしかなかった 。
ベッドから降りると 、 足元が少しふらつく 。
その瞬間 、 机の上に置かれていた小さな鏡が目に入った 。
そこに映っていたのは 、 知らない顔だった 。
いや 、 知らないはずなのに 、 完全には知らないとも言い切れない顔 。
自分の顔なのに 、 自分じゃないみたいで 、 胸の奥がきゅっと痛んだ 。
「 ……俺 、 こんな顔してたっけ 」
「 知らない 。 たぶんしてた 」
「 たぶんで済ませるなよ 」
「 だって本当に知らないし 」
男の子は少しだけ口元をゆるめた 。
ほんの一瞬だけど 、 それが妙に印象に残った 。
そのときだった 。
[明朝体][中央寄せ]コン 、 コン 。[/中央寄せ][/明朝体]
扉がノックされた 。
「 失礼します 。 新しい“未登録者”のお目覚めですね 」
入ってきたのは 、 白衣みたいなローブを着た女性だった 。
年齢はわからない 。
でも 、 やけに声が落ち着いていて 、 笑っているのかいないのか判別しづらい 。
「 ここは 、 時計塔の保健室です 。 あなたたちは 、 記憶の一部が抜け落ちたままここへ流れ着きました 」
「 流れ着いた……? 」
「 ええ 。 まるで 、 最初から何かを落としに来たみたいに 」
男の子が眉をひそめる 。
「 何を落としたんですか? 」
「 それを探すために 、 貴方達はここにいるのです 」
「 答えになってない 」
「 ええ 、 わざとですから笑 」
女性はさらりと言ったあと 、 二人の間に視線を移した 。
「 あなたたち 、 相性がいいみたいですね 」
「「 は? 」」
声が重なった 。
「 忘れているものの種類が近い 。 ひとりでは戻れないけれど 、 ふたりなら戻れる可能性がある 」
そう言って 、 彼女は机の上に小さな箱を置いた 。
中には 、 二つの古びた指輪が入っていた 。
金でも銀でもない 、 不思議な色の輪 。
「これは“同盟印”です 。 持つ者同士は 、 互いの記憶の欠片を感じ取れます 」
「 そんな便利なもの 、 あるんだ 」
「 ええ 。 あるんです 。 ただし 、 使い方を間違えると 、 相手の恥ずかしい記憶まで拾います 」
「 最悪じゃん 」
「 でも 、 たぶん必要です 」
男の子はしばらく黙ってから 、 箱の中の指輪を見つめた 。
そして 、 ぽつりと言った 。
「 俺たち 、 ほんとに戻れるのかな 」
その言い方が 、 少しだけ弱かった 。
さっきまでの不機嫌さの奥に 、 迷子みたいな不安があった 。
もうひとりの男の子は 、 なぜかその声を聞いて胸が痛んだ 。
初めて会ったはずなのに 、 ずっと前から知っているような気がした 。
「 ……戻れなくても 」
自分でも意外なほど 、 まっすぐな声が出た 。
「 一緒なら 、 なんとかなる気がする 」
男の子が 、 少し目を見開く 。
「 何それ 。 根拠なさすぎ 」
「 でも 、 嫌じゃないだろ 」
「 ……まあ? 」
女性は満足そうに頷いた 。
「 決まりですね 。 今日からあなたたちは 、 同盟を組みなさい 」
「 同盟? 」
「 名前はどうでもいいです 。 大事なのは 、 “ひとりで自分を探さない”こと 」
時計塔の針が 、 かすかに動いた 。
止まっていた午後三時が 、 ほんの少しだけ未来へ進む 。
窓の外で風が鳴る 。
それはまるで 、 忘れていた何かが扉を叩く音みたいだった 。
「 ……じゃあ 、 同盟ってことで 」
最初にそう言ったのは 、 黒髪の男の子だった 。
「 うん 」
「 名前 、 ないけど 」
「 ないなら 、 今から作ればいい 」
そう答えたとき 、 二人の指先がほんの少しだけ触れた 。
その瞬間 、 片方の胸の奥で 、 鈴の音みたいな記憶が鳴った気がした 。
――知らない誰かが 、 笑っている 。
けれどその笑顔は 、 なぜだかとても大事なものに思えた 。
こうして、名前を失くした二人は 、 “人間失格同盟”を結成する 。
人間に戻るため 。
自分を思い出すため 。
そしていつか 、 無理に誰かの形に合わせなくても 、 自分たちのままで生きていいのだと知るために 。