ささみ
大切な人が夜空で瞬く星になるのは、これで2回目。
青い煙が天に昇っていくのをわたしはぼんやり眺めていた。半年前には目が隠れるほど長かった前髪は、彼のおかげですっきり短くなった。
もう涙を流せない乾いた瞳を隠す必要は、なくなったから。
5年半前、お母さんが死んだ。
心配されるのが面倒で笑顔を貼り付けて明るく振る舞っていたわたしは、いつのまにか自分の気持ちがわからなくなったんだ。いつのまにか人と話す時にとっさにそれらしい答えを選んでしまうように。
いつのまにか泣けなくなって、心の底から笑えなくなった。
でも、そんなとき君は夏空を背負って現れた。
ラムネ瓶のビー玉を閉じ込めたような綺麗でまっすぐな瞳は、あのころのわたしには眩しすぎて目を逸らしたくなった。思わず長い前髪を引っ張って目を隠そうとしたわたし。
それでも君はわたしの手を取って入道雲に向かって走り出した。それだけで私の心は炭酸水みたいに弾けたんだ。
変わりたい。
そう漏らした私に君は言う。
『変わりたいんなら、まずは見た目を変えてみない?』
美術部の君はセンスが良くて、でもそんな君のせいで私はにわとりなんてあだ名もついたんだよ。たしかにお団子にふわふわのセーターはにわとりかもね。
今ならわかるんだ、君が私の見た目を変えようとしてくれた理由。あれは、きっとわたしの笑顔がよく見えるようにって。だって私の笑顔、褒めてくれてたもんね。
写真フォルダには、君とわたしが写った写真がたくさんあった。
ひとつひとつスクロールしていくうちに思い出が次々によみがってくる。夏の美術室のクーラーのひんやりした心地よささえ思い出せるくらい。
誕生日プレゼントに君がくれたにわとりのぬいぐるみ、ちゃんと大事にしているよって伝えたいな。
でも。
せっかく君が、わたしを泣けるように、笑えるように変えてくれたのに、また戻っちゃった。
ううん、目からは休む間もなく熱い水が溢れている。なのに、笑えない。笑えるわけない。
気づけば空の東の方が白み始めていた。群青の空が、絵の具の白を溶かしたみたいに少しずつ明るい水色に染まっていく。
向日葵が朝日に照らされて輝いている。
『君の笑顔は、向日葵みたいだ』
そう言ってくれた君の柔らかい声が聞きたいよ。
君は、若年性アルツハイマーだった。
どうりで、おかしいとは思ってたんだ。だんだんと私だけが覚えている思い出ばかり増えてきて、君は困ったような曖昧な笑みを浮かべて。
宝物みたいなあの記憶は、君にとっても大切なものなんだって、言ってくれてた。うれしい、うれしいよ。
じゃあさ、そんな大切なものを君から奪う神様は残酷すぎないかな。
知ってるんだよ、夜に声を殺して一人泣いていた君のこと。綺麗なその瞳からこぼれ落ちる透明な雫。
君がくれた鶏のぬいぐるみ。思わずギュッと抱きしめると君の温もりが感じられそう。
そのとき、クシャッと紙のようなものに当たった音がした。
「ぇ?」
慌ててにわとりをひっくり返すと、そこには小さなメッセージカードが。
「もしかして、私に手紙を残してくれてる、、、?」
丁寧な君の字で端的に書かれてるのは、ある場所だった。
私と君が過ごした思い出の場所。
『美術室』
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜が明けてまっすぐに私は学校に向かった。
美術部の、君の顧問の先生は、少しだけ目が赤くなっていた。
先生に鍵を借りて入った美術室は、冷房が付いていて部屋に足を踏み入れた瞬間、ひんやりした空気に包まれた。懐かしい、でも慣れたその感覚。
油絵の具の独特の匂いが鼻をつき、懐かしさに目を細める。
スケッチブックが置かれた棚に、またさっきのメッセージカード。
メッセージカードを取ろうと手を伸ばすと、無造作にスケッチブックが崩れ落ちそうになって、慌てて受け止める。ずっしり重くて少しよろける。
そういえば、前にもこんなこと、あったな。
君はすぐに背中を受け止めてくれて、また二人で笑い合って。
懐かしさに目を細めて、少しだけうつむく。でもすぐに顔を上げて、今度こそメッセージカードを手に取る。
そこには。
『後ろにいるよ』
「へ、、、?」
パッと弾かれるように振り向くと、後ろにはイーゼルがひとつ。
よく見ると、それは確かに君が使っていたイーゼルだった。絵が立て掛けられてる、、、?
絵をみようと反対側に回ると、青と赤が飛び込んできた。
向日葵を抱きしめて泣きながら破顔しているわたしと、隣でラムネの瓶を持った君。
そして、絵の端っこには走り書きで、「笑って、約束」と。
思わず、笑いが溢れた。
だって、君らしいね。
普通は自分を絵に描かないんじゃない?やっぱりああ見えて君は意外とナルシストなんだ。
そう思うとなんだかおかしい。
でもまたすぐに顔が歪んで、次の瞬間嗚咽が漏れる。
ごめんね。
約束は守れそうにないよ、今は。
無責任すぎるんだよ、君は。笑ってほしいんなら、ずっとそばにいてほしいよ、ほしかったよ。
でも、約束なら仕方ないね。がんばるよ。
もう少しだけ泣かせて。
次に向日葵が咲く季節になる頃には、きっと笑えてるから。
君が好きって言ってくれた、あの笑顔で。
青い煙が天に昇っていくのをわたしはぼんやり眺めていた。半年前には目が隠れるほど長かった前髪は、彼のおかげですっきり短くなった。
もう涙を流せない乾いた瞳を隠す必要は、なくなったから。
5年半前、お母さんが死んだ。
心配されるのが面倒で笑顔を貼り付けて明るく振る舞っていたわたしは、いつのまにか自分の気持ちがわからなくなったんだ。いつのまにか人と話す時にとっさにそれらしい答えを選んでしまうように。
いつのまにか泣けなくなって、心の底から笑えなくなった。
でも、そんなとき君は夏空を背負って現れた。
ラムネ瓶のビー玉を閉じ込めたような綺麗でまっすぐな瞳は、あのころのわたしには眩しすぎて目を逸らしたくなった。思わず長い前髪を引っ張って目を隠そうとしたわたし。
それでも君はわたしの手を取って入道雲に向かって走り出した。それだけで私の心は炭酸水みたいに弾けたんだ。
変わりたい。
そう漏らした私に君は言う。
『変わりたいんなら、まずは見た目を変えてみない?』
美術部の君はセンスが良くて、でもそんな君のせいで私はにわとりなんてあだ名もついたんだよ。たしかにお団子にふわふわのセーターはにわとりかもね。
今ならわかるんだ、君が私の見た目を変えようとしてくれた理由。あれは、きっとわたしの笑顔がよく見えるようにって。だって私の笑顔、褒めてくれてたもんね。
写真フォルダには、君とわたしが写った写真がたくさんあった。
ひとつひとつスクロールしていくうちに思い出が次々によみがってくる。夏の美術室のクーラーのひんやりした心地よささえ思い出せるくらい。
誕生日プレゼントに君がくれたにわとりのぬいぐるみ、ちゃんと大事にしているよって伝えたいな。
でも。
せっかく君が、わたしを泣けるように、笑えるように変えてくれたのに、また戻っちゃった。
ううん、目からは休む間もなく熱い水が溢れている。なのに、笑えない。笑えるわけない。
気づけば空の東の方が白み始めていた。群青の空が、絵の具の白を溶かしたみたいに少しずつ明るい水色に染まっていく。
向日葵が朝日に照らされて輝いている。
『君の笑顔は、向日葵みたいだ』
そう言ってくれた君の柔らかい声が聞きたいよ。
君は、若年性アルツハイマーだった。
どうりで、おかしいとは思ってたんだ。だんだんと私だけが覚えている思い出ばかり増えてきて、君は困ったような曖昧な笑みを浮かべて。
宝物みたいなあの記憶は、君にとっても大切なものなんだって、言ってくれてた。うれしい、うれしいよ。
じゃあさ、そんな大切なものを君から奪う神様は残酷すぎないかな。
知ってるんだよ、夜に声を殺して一人泣いていた君のこと。綺麗なその瞳からこぼれ落ちる透明な雫。
君がくれた鶏のぬいぐるみ。思わずギュッと抱きしめると君の温もりが感じられそう。
そのとき、クシャッと紙のようなものに当たった音がした。
「ぇ?」
慌ててにわとりをひっくり返すと、そこには小さなメッセージカードが。
「もしかして、私に手紙を残してくれてる、、、?」
丁寧な君の字で端的に書かれてるのは、ある場所だった。
私と君が過ごした思い出の場所。
『美術室』
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
夜が明けてまっすぐに私は学校に向かった。
美術部の、君の顧問の先生は、少しだけ目が赤くなっていた。
先生に鍵を借りて入った美術室は、冷房が付いていて部屋に足を踏み入れた瞬間、ひんやりした空気に包まれた。懐かしい、でも慣れたその感覚。
油絵の具の独特の匂いが鼻をつき、懐かしさに目を細める。
スケッチブックが置かれた棚に、またさっきのメッセージカード。
メッセージカードを取ろうと手を伸ばすと、無造作にスケッチブックが崩れ落ちそうになって、慌てて受け止める。ずっしり重くて少しよろける。
そういえば、前にもこんなこと、あったな。
君はすぐに背中を受け止めてくれて、また二人で笑い合って。
懐かしさに目を細めて、少しだけうつむく。でもすぐに顔を上げて、今度こそメッセージカードを手に取る。
そこには。
『後ろにいるよ』
「へ、、、?」
パッと弾かれるように振り向くと、後ろにはイーゼルがひとつ。
よく見ると、それは確かに君が使っていたイーゼルだった。絵が立て掛けられてる、、、?
絵をみようと反対側に回ると、青と赤が飛び込んできた。
向日葵を抱きしめて泣きながら破顔しているわたしと、隣でラムネの瓶を持った君。
そして、絵の端っこには走り書きで、「笑って、約束」と。
思わず、笑いが溢れた。
だって、君らしいね。
普通は自分を絵に描かないんじゃない?やっぱりああ見えて君は意外とナルシストなんだ。
そう思うとなんだかおかしい。
でもまたすぐに顔が歪んで、次の瞬間嗚咽が漏れる。
ごめんね。
約束は守れそうにないよ、今は。
無責任すぎるんだよ、君は。笑ってほしいんなら、ずっとそばにいてほしいよ、ほしかったよ。
でも、約束なら仕方ないね。がんばるよ。
もう少しだけ泣かせて。
次に向日葵が咲く季節になる頃には、きっと笑えてるから。
君が好きって言ってくれた、あの笑顔で。
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