〇〇市。知っている人は知っている、しかし県庁所在地でもない、何か大々的なPRポイントがある訳でもない、日本では至って平凡な小都市である。
そんな町の住宅街を、[漢字]魔折[/漢字][ふりがな]まおり[/ふりがな]アカネというキラキラした少女が走っている。彼女の服装や容姿はある意味で日本人らしいが、異質でもあった。それもそのはず、彼女は少子高齢化が進む日本全国で数人しか居ないと言われる『魔法少女』の一人なのである。纏う衣装はピンクが眩しい、十人に写真を見せたら十人が『魔法少女』をイメージするような、そんな人間だった。
────日本における魔法少女、そしてその敵である魔物の認知度はそう高くない。前者はむしろ創作の方が遥かに有名で、現実に存在するなど夢にも思わない人が格段に多い。後者は言わずもがなである。まあ、人間から見れば魔法少女が味方、魔物が敵。最低限それだけ覚えておけば損はない。
時間帯は昼間。平日らしく、アカネの他に外を歩く人影はいない。それが彼女が活動できる理由の一つだった。……そしてひとしきり街を巡り終わった時、それでもまだまだ走る彼女の肩に一羽の鳥が舞い降りる。雪のように真っ白な体躯を持つ鳩だった。
「お疲れさま。ハット……この街はどう?」
アカネはそんな鳩へと話しかける。まるで友人を相手にするかのように。そして、ハットと呼ばれた鳩も、それを受けて口を開く。流暢な人間の言葉だった。
「まあまあだな。あんまり物々しくない割には人も結構住んでる」
「使い魔じゃなくて人間視点で見てよ。せっかく飛べるし言葉喋れるんだからさ〜」
「……まあ、いいところなんじゃないか?学校は一通りあるしでかい商業施設もある。大都市にもその気になったら簡単に行けるし……」
「よくわかんない!簡潔に!」
「過ごしやすそうだな〜って思った!以上!」
「そうそれ!私も同じこと考えてた!」
割と適当なやり取りだが、見解は一致していた。確かに住むには丁度よさそうな街ではある。
そんな中をひたすら疾走するアカネの前に、昼休みだろうか数人のサラリーマンが会話をしながら通りかかった。……彼女は臆せずその前を走り抜ける。サラリーマン達も、まるで何も通らなかったかのように会話を続けている。何も通らなかった訳では無い。ただ、見えていないだけなのだ。
「アカネ。まだ夜でもないのに魔法少女体で活動する必要は無いんじゃないか?そもそも飛んでいけばいいと思うんだが」
ハットが相変わらず走り続けるアカネに向けてそう苦言を呈する。どうやら、『魔法少女体』は一般人には見えない代物らしい。
「確かにそうかもしれないけど……それでも魔法使ってる所見られたら大変でしょ?いちいち魔法少女体になるの面倒だし。飛ばないのはいつも言ってるけど趣味みたいな感じ」
「そうかい。……はぁ、それにしても凄いことを考えるもんだなぁ。街全体に結界張って魔物を閉じ込めるとか。だいたい20匹くらい掛かってるんじゃないか?」
「それほどでも。まあでも一網打尽にできたらこの辺はしばらく安泰だね!」
アカネは自らの遠大な計画を誇るかのように胸を張った。そう、彼女は魔物を倒すべくここにいるのである。今走っている理由も、ハットを手懐けているのも、全てはその魔法少女としての使命に直結する。
「でも流石に20匹を一度に相手にするのは骨が折れそうだな……」
「うん、私もそう思う……念の為聞いておくけど、マシロちゃんから返事はもらった?」
「前と変わらん。一ヶ月後に来るの一点張りだ」
「……」
「念の為ミドリとアオイの所にも行ったが『忙しい』って追い払われたな。……まあ向こうも向こうで苦労してそうだったが」
救援はない。ハットは気さくな口調でカバーしようと試みるが、アカネはしばらくの間黙ってしまった。とはいえ、表情が暗くないのは救いである。……そうハットは思うことにした。
しばらくして、アカネは街の外れの辺りに到達した。街の終わりは往々にして明確でない事が度々だが、ここは比較的その境界が判別しやすいようである。何せ、張られた光の障壁によって境目が────少なくとも魔法少女と魔物には一目瞭然となっているのだ。つまりは一般人は相変わらず曖昧な世界で生きるしかない。まあ、アカネの裁量なのでどちらにせよ確実性に乏しいのだが。
「よーし。ここの内側にもうひとつ結界を張るよ!」
アカネは張られた障壁を上から下まで満足そうに見た後で声を張り上げる。当然ハットは疑問を口にした。
「その心は?」
「内側の結界はね、少しずつ範囲を狭めていくんだよ。真ん中がだいたい中学校だから……魔物が出てくる夕方に始めるとして……そこで集まってきた所を叩いちゃおうってわけ」
「ふーむ。上手くいくといいな」
彼はアカネの語る計画に素直に感心した。そして、残っていた心配の感情を切り捨てた。この頼もしい相棒なら心配はいらない。今度も無事に魔物を倒してくれるだろう……と、心から信じて。
[水平線]
夜。月がちょうど真上に来る頃。街並みも寝静まり、夜更かしだったり夜勤に行く人以外は皆真っ暗な安全地帯へ身を落ち着ける時間帯。────魔物が活動を始める。とはいえ、魔物も魔法少女のように普通の人間には見えない。ただ闇に紛れて、人間の魂を喰らう。喰らい、自らの闇の魂と置き換える。だからこそ、おびき寄せでも結界でも何でも駆使して倒さなければならない、というのが魔法少女達の共通認識だった。
アカネはとある中学校の屋上で、階下に溜まる魔物の群れを睥睨する。結界は既に恐ろしい程までに収縮している。ここに集まった魔物はこの街の全てだと考えて相違ないだろう。……どう見ても20体以上居るが、彼女は臆さない。身を潜めていた所から息を深く吸い込む。そんな折、ハットが慌てた様子で飛んできて手すりに止まる。
「おいおい、パッと見40匹は軽くいるぞ!?アカネ!」
「うるさいなぁ。……確かにそうかもしれないけど。私が負けると思ってる?」
「雑魚ばっかりだったらまあ負けないだろうな。でもあの中には中級どころか上級までいる!」
「うーん……」
アカネは鬱陶しそうに首を振る。彼女は全てを分かっていた。そしてハットの忠告を嬉しくは思っていたのだが、今の彼女にはノイズにしかならなかった。しかし、
「わかった。ハット、私の力の一部を預ける。もし何かあったらそれは自由に使っていいよ」
「おい……」
ハットは翼を広げて止めようとしたが、自分に入ってくる力を拒絶することは不可能であった。感情の面でも、質の面でも。……彼女がどうしてそのような行動に出たのかは、誰にも分からない。彼女自身何か危機感のようなものがあったのかもしれないし、完全なる気まぐれであったのかもしれない。
何にせよ、アカネは力の一部をハットに預けた。そしてハットが怯んでいる隙に、屋上から飛び降りる。……着地は非常に柔らかかった。そして彼女は再び大きく息を吸い込み、自身の身体を囲うようにして光の球を浮かべる。
「困ってるよね?……この結界を張ったのは私!さあ、いくよ!」
そう宣言するのと結界が解けるのと光の球から光線が放たれるのがほぼ同時だった。いくつかの魔物に光線が突き刺さり、またその一部は無彩色の破片となって虚空に溶けていく。しかし、結界に囲まれていた事が仇となり、中央部や反対側にいた魔物には攻撃が届かない。……中には光線をものともしない強者、いや強物なども居り、アカネの方へ塊となって突っ込んできた。
「ビンゴ!落とし穴!」
彼女は芝居めかして指を鳴らす。大きな拳を持つその魔物は、まさにそれをアカネに振り下ろそうとした時、突如として足下に空いた穴に吸い込まれたのである。
止まれなかったいくつかの魔物が深淵へと転落する。そしてアカネはもう一度指を鳴らして、その落とし穴を地上から消し去った。穴がどこへ消えたのかは誰も知らない。そもそも使った本人にも気にする時間はない。翼を生やした魔物や単に身体能力が優れた魔物が、飛翔し跳躍し襲いかかってきたのである。
「邪魔!ソード!」
アカネはほぼ丸腰であった。しかし今まさに漂っていた光の欠片が集まり、彼女の右手で剣を構成した。そしてその剣は手だけではない。周囲にもいくつか構成され、彼女を護るかのように浮遊する。
魔物は一瞬怯んだがそれでも突撃することを選んだ。そして、待ってましたと言わんばかりの多重の剣筋によって、賽の目状に分割される。その後ろ、落とし穴があった場所を飛び越えた魔物にも同じ運命が待っていた。着地狩り、という言葉を連想させるが……全く無防備ではない上にあと0.1秒早ければアカネは両断されていた事であろう。
しかしそれを気にする暇は無い。また後ろから、鈍重な魔物が地響きを立てつつ向かってくる。……魔法少女と魔物の戦いは現実面に影響を齎さないため、地響きというのはあくまで比喩に近いが、迫力はかなりのものがあった。それを。
「撃ち抜く!ブラスター!」
開戦の合図より遥かに太い光線が、同じく遥かに大きい光球から放たれる。……まるで岩山のようだったその魔物は恐らく顔面に相当するであろう部位をしたたかに撃ち抜かれた。そのまま前のめりに倒れる。倒れた時も地響きが聞こえた気がしたがきっと気のせいであろう。そんな魔物は巨大は破片に分かれたが、それもまた無数の破片となり、光と闇に溶けていく。
アカネは息をついた。そして、今までその魔物と落とし穴に阻まれていた魔物が殺到してくるのを両の目で確認する。彼女は再び最初に放った光線の斉射をもう一度行おうとして――――やめた。先頭を進む魔物が、鏡のような質感の盾を構えていたからである。
「……よし!」
彼女は気合いを入れた。瞬きをすると、先頭の魔物は今まさにアカネを突き飛ばそうとするところであった。彼女は軽く横に跳んで魔の手を回避すると、やにわにその魔物の腕を掴んで――――振り回す。再び後ろの魔物の足が止まった。しかし注目するのはそこではない。アカネはお世辞にも筋骨隆々ではないが、どこにそのような力があるのだろうか。それとも現実面とは違うので質量も無になるのだろうか。……一つ確実なのは、数回転も振り回され、今まさに投げ飛ばされた魔物が斜め上に飛んでいったことである。魔物は建物の向こう側へと消えた。生きているのか、よしんば生きていたとしても立ち直れるのかは誰にもわからない。
……さてここまで見た限りではアカネは押し寄せる魔物の波を軽くあしらっているかのように見える。しかし、実際の所は徐々に追い詰められていたのである。寄せる魔物は次第に堅く強くなり、彼女が処理できる量の限界をまさに超えようとしているところであった。
「ふぅ……」
アカネは一息を入れる。前線に出てきた魔物に変化があった事を彼女が把握していない筈がない。しかしそれでも彼女は逃げずに立ち向かうことを選択する。……表情からして本当にまだ何とかなると思い込んでいるという線も捨てきれないが。
「爆ぜろ!ファイア!」
手を振ると、橙色をした炎の弾が撃ち出される。それはどちらかと言えば燃やすことより爆発力を重視した代物らしく――――いくつかの魔物が吹っ飛んだが死傷したものはいなかった。それとも、これこそが耐久力が上がっている事の証左なのだろうか。アカネは構わないとでも言うかのように吹っ飛んだ先を一瞥し、今度は氷の槍を生成する。
「アイス!貫け!」
数十本。彼女のどちらかというと華奢な横幅から射出された氷の槍は、まるで傘を広げた時のように展開し突き進み、魔物を貫く。いや、貫くだけではない。砕け散ってもなお、その鋭い破片はまるで生物のように再び魔物へと向かい、無視できないような傷を与えるのである。
……こうして見ると、アカネは実に多彩である。扱う魔法の単純な量は元より、その効果的な使い方まで弁えているようで。というよりその使い方が実に奔放なのである。セオリーを無視した戦い方、と言うべきか。それは往々にして生兵法となりがちであるか、彼女に限ってそんなことはないという不思議な安心感があった。
「あ痛!……この!」
しかし安心感はともかく、実際に彼女が不利な局面に追い込まれているのは飾りようもない事実であった。今まで軽いステップで躱していた敵の攻撃が、ついに左の肩に届いたのである。……どす黒い弾丸であった。傷口も、まるで侵食するかのようにアカネの身体を蝕んでいく。
「ヒール!……まだ戦える!」
彼女はそう声を張り上げ、肩に右手をかざす。黄緑の淡い光が指の間から漏れ出したかと思えば、手を離すころには傷口はすっかり癒えていた。
一旦光の剣を振り回して魔物を牽制し、距離を取る。……ここは中学校の前の道路である。現実面に干渉しないとはいえ、戦いやすい場所であることには議論の余地はなさそうである。アカネは一旦額の汗を拭い、何気なしに宵闇の空を見上げた。すると、
「……ハット!?」
居るはずのない者、いや真っ白な鳩が上空を旋回しているのが見えた。思わず────そちらに意識を集中させてしまう。
「アカネ!苦戦してそうだったから……助けに来たのさ」
「それはどうも。でも助けってどんな?」
「俺に力の一部……というかほとんど半分を預けたろ。それを返す。これでどうにかなるんじゃないか」
ハットの提案はアカネにとって思いもよらないものだったらしい。いかに彼女が日頃自己犠牲を志向しているかよく分かる。ただ、当然ながら犠牲は最小限に収めた方が何事も都合がいい。犠牲とは自分自身も含めて計算するものである。
「そっかー。……うん。それなら何とか――――」
「って、アカネ後ろ!」
「大丈夫!」
ハットの警報が彼女の耳に届くよりも早く、アカネは後ろに迫っていた魔物を振り返りざまに切り捨てていた。しかし、ちょうどその時。その魔物の後ろから、あのどす黒い弾丸が彼女の額を目掛けて飛翔していたのである。そして直後。
……撃った魔物からすれば会心であっただろうタイミングで、魔法少女の頭は弾丸によって貫かれた。
「――――」
アカネの両目は驚愕と不覚の感情か、それとも単なる反射かで見開かれる。
「アカネ!!」
ハットはハヤブサもかくやという急降下を敢行してアカネを救おうと試みるが――――魔物が彼女を包囲する方が早かった。そしてそのまま、群がった魔物はアカネに乱打を加える。
……魔法少女体の致命部位は脳ではない。しかし、現実では脳を貫かれれば人はほぼ助からない。その認識が作用する。何もない場所であれば魔法少女は少しすると立ち直れるのだが、魔物はその隙を与える筈がない。
しかし、アカネはどうにか叫ぶことはできた。断末魔ではない。明確な『声』を。願いを。
「ハット!逃げて!!……後はどうにでも……任せたよ!!」
「……!」
ハットはもう何も言わない。急上昇していく彼の姿をいくつかの攻撃や飛び道具が追うが、捉えられない。そのまま、純白の鳩は闇の向こうへと消えていった。
……彼は、この直後にアカネがいた場所から放たれた巨大な光を、果たして見る事ができたのだろうか。それを知る者は誰もいない。
そんな町の住宅街を、[漢字]魔折[/漢字][ふりがな]まおり[/ふりがな]アカネというキラキラした少女が走っている。彼女の服装や容姿はある意味で日本人らしいが、異質でもあった。それもそのはず、彼女は少子高齢化が進む日本全国で数人しか居ないと言われる『魔法少女』の一人なのである。纏う衣装はピンクが眩しい、十人に写真を見せたら十人が『魔法少女』をイメージするような、そんな人間だった。
────日本における魔法少女、そしてその敵である魔物の認知度はそう高くない。前者はむしろ創作の方が遥かに有名で、現実に存在するなど夢にも思わない人が格段に多い。後者は言わずもがなである。まあ、人間から見れば魔法少女が味方、魔物が敵。最低限それだけ覚えておけば損はない。
時間帯は昼間。平日らしく、アカネの他に外を歩く人影はいない。それが彼女が活動できる理由の一つだった。……そしてひとしきり街を巡り終わった時、それでもまだまだ走る彼女の肩に一羽の鳥が舞い降りる。雪のように真っ白な体躯を持つ鳩だった。
「お疲れさま。ハット……この街はどう?」
アカネはそんな鳩へと話しかける。まるで友人を相手にするかのように。そして、ハットと呼ばれた鳩も、それを受けて口を開く。流暢な人間の言葉だった。
「まあまあだな。あんまり物々しくない割には人も結構住んでる」
「使い魔じゃなくて人間視点で見てよ。せっかく飛べるし言葉喋れるんだからさ〜」
「……まあ、いいところなんじゃないか?学校は一通りあるしでかい商業施設もある。大都市にもその気になったら簡単に行けるし……」
「よくわかんない!簡潔に!」
「過ごしやすそうだな〜って思った!以上!」
「そうそれ!私も同じこと考えてた!」
割と適当なやり取りだが、見解は一致していた。確かに住むには丁度よさそうな街ではある。
そんな中をひたすら疾走するアカネの前に、昼休みだろうか数人のサラリーマンが会話をしながら通りかかった。……彼女は臆せずその前を走り抜ける。サラリーマン達も、まるで何も通らなかったかのように会話を続けている。何も通らなかった訳では無い。ただ、見えていないだけなのだ。
「アカネ。まだ夜でもないのに魔法少女体で活動する必要は無いんじゃないか?そもそも飛んでいけばいいと思うんだが」
ハットが相変わらず走り続けるアカネに向けてそう苦言を呈する。どうやら、『魔法少女体』は一般人には見えない代物らしい。
「確かにそうかもしれないけど……それでも魔法使ってる所見られたら大変でしょ?いちいち魔法少女体になるの面倒だし。飛ばないのはいつも言ってるけど趣味みたいな感じ」
「そうかい。……はぁ、それにしても凄いことを考えるもんだなぁ。街全体に結界張って魔物を閉じ込めるとか。だいたい20匹くらい掛かってるんじゃないか?」
「それほどでも。まあでも一網打尽にできたらこの辺はしばらく安泰だね!」
アカネは自らの遠大な計画を誇るかのように胸を張った。そう、彼女は魔物を倒すべくここにいるのである。今走っている理由も、ハットを手懐けているのも、全てはその魔法少女としての使命に直結する。
「でも流石に20匹を一度に相手にするのは骨が折れそうだな……」
「うん、私もそう思う……念の為聞いておくけど、マシロちゃんから返事はもらった?」
「前と変わらん。一ヶ月後に来るの一点張りだ」
「……」
「念の為ミドリとアオイの所にも行ったが『忙しい』って追い払われたな。……まあ向こうも向こうで苦労してそうだったが」
救援はない。ハットは気さくな口調でカバーしようと試みるが、アカネはしばらくの間黙ってしまった。とはいえ、表情が暗くないのは救いである。……そうハットは思うことにした。
しばらくして、アカネは街の外れの辺りに到達した。街の終わりは往々にして明確でない事が度々だが、ここは比較的その境界が判別しやすいようである。何せ、張られた光の障壁によって境目が────少なくとも魔法少女と魔物には一目瞭然となっているのだ。つまりは一般人は相変わらず曖昧な世界で生きるしかない。まあ、アカネの裁量なのでどちらにせよ確実性に乏しいのだが。
「よーし。ここの内側にもうひとつ結界を張るよ!」
アカネは張られた障壁を上から下まで満足そうに見た後で声を張り上げる。当然ハットは疑問を口にした。
「その心は?」
「内側の結界はね、少しずつ範囲を狭めていくんだよ。真ん中がだいたい中学校だから……魔物が出てくる夕方に始めるとして……そこで集まってきた所を叩いちゃおうってわけ」
「ふーむ。上手くいくといいな」
彼はアカネの語る計画に素直に感心した。そして、残っていた心配の感情を切り捨てた。この頼もしい相棒なら心配はいらない。今度も無事に魔物を倒してくれるだろう……と、心から信じて。
[水平線]
夜。月がちょうど真上に来る頃。街並みも寝静まり、夜更かしだったり夜勤に行く人以外は皆真っ暗な安全地帯へ身を落ち着ける時間帯。────魔物が活動を始める。とはいえ、魔物も魔法少女のように普通の人間には見えない。ただ闇に紛れて、人間の魂を喰らう。喰らい、自らの闇の魂と置き換える。だからこそ、おびき寄せでも結界でも何でも駆使して倒さなければならない、というのが魔法少女達の共通認識だった。
アカネはとある中学校の屋上で、階下に溜まる魔物の群れを睥睨する。結界は既に恐ろしい程までに収縮している。ここに集まった魔物はこの街の全てだと考えて相違ないだろう。……どう見ても20体以上居るが、彼女は臆さない。身を潜めていた所から息を深く吸い込む。そんな折、ハットが慌てた様子で飛んできて手すりに止まる。
「おいおい、パッと見40匹は軽くいるぞ!?アカネ!」
「うるさいなぁ。……確かにそうかもしれないけど。私が負けると思ってる?」
「雑魚ばっかりだったらまあ負けないだろうな。でもあの中には中級どころか上級までいる!」
「うーん……」
アカネは鬱陶しそうに首を振る。彼女は全てを分かっていた。そしてハットの忠告を嬉しくは思っていたのだが、今の彼女にはノイズにしかならなかった。しかし、
「わかった。ハット、私の力の一部を預ける。もし何かあったらそれは自由に使っていいよ」
「おい……」
ハットは翼を広げて止めようとしたが、自分に入ってくる力を拒絶することは不可能であった。感情の面でも、質の面でも。……彼女がどうしてそのような行動に出たのかは、誰にも分からない。彼女自身何か危機感のようなものがあったのかもしれないし、完全なる気まぐれであったのかもしれない。
何にせよ、アカネは力の一部をハットに預けた。そしてハットが怯んでいる隙に、屋上から飛び降りる。……着地は非常に柔らかかった。そして彼女は再び大きく息を吸い込み、自身の身体を囲うようにして光の球を浮かべる。
「困ってるよね?……この結界を張ったのは私!さあ、いくよ!」
そう宣言するのと結界が解けるのと光の球から光線が放たれるのがほぼ同時だった。いくつかの魔物に光線が突き刺さり、またその一部は無彩色の破片となって虚空に溶けていく。しかし、結界に囲まれていた事が仇となり、中央部や反対側にいた魔物には攻撃が届かない。……中には光線をものともしない強者、いや強物なども居り、アカネの方へ塊となって突っ込んできた。
「ビンゴ!落とし穴!」
彼女は芝居めかして指を鳴らす。大きな拳を持つその魔物は、まさにそれをアカネに振り下ろそうとした時、突如として足下に空いた穴に吸い込まれたのである。
止まれなかったいくつかの魔物が深淵へと転落する。そしてアカネはもう一度指を鳴らして、その落とし穴を地上から消し去った。穴がどこへ消えたのかは誰も知らない。そもそも使った本人にも気にする時間はない。翼を生やした魔物や単に身体能力が優れた魔物が、飛翔し跳躍し襲いかかってきたのである。
「邪魔!ソード!」
アカネはほぼ丸腰であった。しかし今まさに漂っていた光の欠片が集まり、彼女の右手で剣を構成した。そしてその剣は手だけではない。周囲にもいくつか構成され、彼女を護るかのように浮遊する。
魔物は一瞬怯んだがそれでも突撃することを選んだ。そして、待ってましたと言わんばかりの多重の剣筋によって、賽の目状に分割される。その後ろ、落とし穴があった場所を飛び越えた魔物にも同じ運命が待っていた。着地狩り、という言葉を連想させるが……全く無防備ではない上にあと0.1秒早ければアカネは両断されていた事であろう。
しかしそれを気にする暇は無い。また後ろから、鈍重な魔物が地響きを立てつつ向かってくる。……魔法少女と魔物の戦いは現実面に影響を齎さないため、地響きというのはあくまで比喩に近いが、迫力はかなりのものがあった。それを。
「撃ち抜く!ブラスター!」
開戦の合図より遥かに太い光線が、同じく遥かに大きい光球から放たれる。……まるで岩山のようだったその魔物は恐らく顔面に相当するであろう部位をしたたかに撃ち抜かれた。そのまま前のめりに倒れる。倒れた時も地響きが聞こえた気がしたがきっと気のせいであろう。そんな魔物は巨大は破片に分かれたが、それもまた無数の破片となり、光と闇に溶けていく。
アカネは息をついた。そして、今までその魔物と落とし穴に阻まれていた魔物が殺到してくるのを両の目で確認する。彼女は再び最初に放った光線の斉射をもう一度行おうとして――――やめた。先頭を進む魔物が、鏡のような質感の盾を構えていたからである。
「……よし!」
彼女は気合いを入れた。瞬きをすると、先頭の魔物は今まさにアカネを突き飛ばそうとするところであった。彼女は軽く横に跳んで魔の手を回避すると、やにわにその魔物の腕を掴んで――――振り回す。再び後ろの魔物の足が止まった。しかし注目するのはそこではない。アカネはお世辞にも筋骨隆々ではないが、どこにそのような力があるのだろうか。それとも現実面とは違うので質量も無になるのだろうか。……一つ確実なのは、数回転も振り回され、今まさに投げ飛ばされた魔物が斜め上に飛んでいったことである。魔物は建物の向こう側へと消えた。生きているのか、よしんば生きていたとしても立ち直れるのかは誰にもわからない。
……さてここまで見た限りではアカネは押し寄せる魔物の波を軽くあしらっているかのように見える。しかし、実際の所は徐々に追い詰められていたのである。寄せる魔物は次第に堅く強くなり、彼女が処理できる量の限界をまさに超えようとしているところであった。
「ふぅ……」
アカネは一息を入れる。前線に出てきた魔物に変化があった事を彼女が把握していない筈がない。しかしそれでも彼女は逃げずに立ち向かうことを選択する。……表情からして本当にまだ何とかなると思い込んでいるという線も捨てきれないが。
「爆ぜろ!ファイア!」
手を振ると、橙色をした炎の弾が撃ち出される。それはどちらかと言えば燃やすことより爆発力を重視した代物らしく――――いくつかの魔物が吹っ飛んだが死傷したものはいなかった。それとも、これこそが耐久力が上がっている事の証左なのだろうか。アカネは構わないとでも言うかのように吹っ飛んだ先を一瞥し、今度は氷の槍を生成する。
「アイス!貫け!」
数十本。彼女のどちらかというと華奢な横幅から射出された氷の槍は、まるで傘を広げた時のように展開し突き進み、魔物を貫く。いや、貫くだけではない。砕け散ってもなお、その鋭い破片はまるで生物のように再び魔物へと向かい、無視できないような傷を与えるのである。
……こうして見ると、アカネは実に多彩である。扱う魔法の単純な量は元より、その効果的な使い方まで弁えているようで。というよりその使い方が実に奔放なのである。セオリーを無視した戦い方、と言うべきか。それは往々にして生兵法となりがちであるか、彼女に限ってそんなことはないという不思議な安心感があった。
「あ痛!……この!」
しかし安心感はともかく、実際に彼女が不利な局面に追い込まれているのは飾りようもない事実であった。今まで軽いステップで躱していた敵の攻撃が、ついに左の肩に届いたのである。……どす黒い弾丸であった。傷口も、まるで侵食するかのようにアカネの身体を蝕んでいく。
「ヒール!……まだ戦える!」
彼女はそう声を張り上げ、肩に右手をかざす。黄緑の淡い光が指の間から漏れ出したかと思えば、手を離すころには傷口はすっかり癒えていた。
一旦光の剣を振り回して魔物を牽制し、距離を取る。……ここは中学校の前の道路である。現実面に干渉しないとはいえ、戦いやすい場所であることには議論の余地はなさそうである。アカネは一旦額の汗を拭い、何気なしに宵闇の空を見上げた。すると、
「……ハット!?」
居るはずのない者、いや真っ白な鳩が上空を旋回しているのが見えた。思わず────そちらに意識を集中させてしまう。
「アカネ!苦戦してそうだったから……助けに来たのさ」
「それはどうも。でも助けってどんな?」
「俺に力の一部……というかほとんど半分を預けたろ。それを返す。これでどうにかなるんじゃないか」
ハットの提案はアカネにとって思いもよらないものだったらしい。いかに彼女が日頃自己犠牲を志向しているかよく分かる。ただ、当然ながら犠牲は最小限に収めた方が何事も都合がいい。犠牲とは自分自身も含めて計算するものである。
「そっかー。……うん。それなら何とか――――」
「って、アカネ後ろ!」
「大丈夫!」
ハットの警報が彼女の耳に届くよりも早く、アカネは後ろに迫っていた魔物を振り返りざまに切り捨てていた。しかし、ちょうどその時。その魔物の後ろから、あのどす黒い弾丸が彼女の額を目掛けて飛翔していたのである。そして直後。
……撃った魔物からすれば会心であっただろうタイミングで、魔法少女の頭は弾丸によって貫かれた。
「――――」
アカネの両目は驚愕と不覚の感情か、それとも単なる反射かで見開かれる。
「アカネ!!」
ハットはハヤブサもかくやという急降下を敢行してアカネを救おうと試みるが――――魔物が彼女を包囲する方が早かった。そしてそのまま、群がった魔物はアカネに乱打を加える。
……魔法少女体の致命部位は脳ではない。しかし、現実では脳を貫かれれば人はほぼ助からない。その認識が作用する。何もない場所であれば魔法少女は少しすると立ち直れるのだが、魔物はその隙を与える筈がない。
しかし、アカネはどうにか叫ぶことはできた。断末魔ではない。明確な『声』を。願いを。
「ハット!逃げて!!……後はどうにでも……任せたよ!!」
「……!」
ハットはもう何も言わない。急上昇していく彼の姿をいくつかの攻撃や飛び道具が追うが、捉えられない。そのまま、純白の鳩は闇の向こうへと消えていった。
……彼は、この直後にアカネがいた場所から放たれた巨大な光を、果たして見る事ができたのだろうか。それを知る者は誰もいない。