ミカゲ歴672年。当主、[漢字]久城[/漢字][ふりがな]くじょう[/ふりがな][漢字]義視[/漢字][ふりがな]よしみ[/ふりがな]死去。享年34歳。死因は[漢字]流行病[/漢字][ふりがな]はやりまい[/ふりがな]。
この年は30歳以上の男にのみかかる奇病が国内に蔓延しており、義視様だけでなく多くの古参の家臣が命を落とした。
庶民にももちろんのこと被害は出て、火葬の煙が町を染める毎日。
新たな殿は仕事に追われた。
そして。
「しょっぱなからこれはキツいなうん色んな意味で。いや本当殿ってやばいんだな。ああ、父上ー⋯⋯」
義視様のご遺言により殿の座についた[漢字]晴信[/漢字][ふりがな]はるのぶ[/ふりがな]ー幼名陽太郎さまーは、ご丁寧に[漢字]襖[/漢字][ふりがな]ふすま[/ふりがな]に『開けないでください 食事はそこ置いておいてね↓』と書いた紙を貼り付け、引き籠もった。
家臣たちは待った。無駄に急かすようなことはせず、食事だけは3食おやつ付きできちんと用意して。そして1週間、1ヶ月、3ヶ月、5ヶ月が経った。
「流石に立ち直るの遅ェェェェェェェェ!!!!!!」
いい加減にしびれを切らし、顔に青筋を浮かべながら叫んだのは[漢字]神田[/漢字][ふりがな]かんだ[/ふりがな][漢字]天音[/漢字][ふりがな]あまね[/ふりがな]。次の5月で21になる、若い小柄な青年だ。
「引きこもりも大概にしろってんだあのバカ様が!!そうこうしてる間にパンデミックも収まったわ。もう待てねェ、部屋乗り込んでやる!」
「叔父上、落ち着いてください…いでっ」
と、いざ殿の部屋に特攻せんとする天音の腕を抱え込み止めようとしたところ、彼がお団子にした髪に巻いている紐が顔面に激突し小さな悲鳴を上げたのは、神田[漢字]平八郎[/漢字][ふりがな]へいはちろう[/ふりがな]、叔父と歳は4つしか違わないが身長は約15センチ違う少年だ。
甥が自分(の頭飾りの紐)で傷つくのもなりふり構わず、天音は暴れ続けた。
「結局あいつほぼ何もしてなかったじゃあねぇか!政策とかほぼ[漢字]真衣[/漢字][ふりがな]まい[/ふりがな]と[漢字]功助[/漢字][ふりがな]こうすけ[/ふりがな]さんの力だろクソが。なんで引き籠もってんだ。義視様の死に涙してんのか!?泣きてェのはこっちだよ!古参の家臣は全滅するし民の不満は上がってるし!今ユウゲツにでも攻め込まれたらひとたまりもねえぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ズリ⋯ズリ⋯。天音は必死に彼にしがみつく平八郎を引きずりながら、晴信の部屋の方へと向かっていた。
それを少し離れた廊下の陰から、ニコニコしながら眺めているのが[漢字]寺前[/漢字][ふりがな]てらまえ[/ふりがな]功助。そして「さて、どうしたもんか」顎をかきながら考え、結局何もしないことにしたのが[漢字]古賀[/漢字][ふりがな]こが[/ふりがな][漢字]流唯[/漢字][ふりがな]るい[/ふりがな]だ。
「平八郎はん、えらいことにならはってんのう」
おっとりと呟いたのは、平八郎と同じ16歳の[漢字]四十万[/漢字][ふりがな]しじま[/ふりがな][漢字]大河[/漢字][ふりがな]たいが[/ふりがな]。藍色のかかった髪を輪結びにした少年だ。彼は同い年の友人がズリズリ引きずられていくのを見過ごせなかったらしく、「平八郎はん、引きずられとりますえって」と言いながら二人を追いかけていった。
流唯が肩をすくめる。
「あっ大河。まだまだだな⋯⋯、二人がかりでもあいつは止まれねぇぞ」
「若い人たちはいいね、行動力があって」
実質的に置いてけぼりにされた2人の家臣たちは会話し始めた。
「いや若いって、あんた23だろ功助さん」
功助は加勢に行った大河も天音に平八郎とともに引きずられ、晴信の部屋に向かってつきあたりの廊下を左折するのを見ながら言った。
「家臣団では最年長だよ」
「イカれてんのはこの国の中枢だ。そりゃ民も不安になるわ!!!」
天音と流唯の20歳コンビは国内きってのツッコミ名手として名を[漢字]馳[/漢字][ふりがな]は[/ふりがな]せていた。現在そのうちの一人はツッコミをしながらも全力でボケポジションにまわっているわけだが。
「―ところで功助さん」
流唯は腕を組み、たすき掛けした着物の裾を握りながら彼の先輩に話しかけた。その声色は、先程までの軽さを失っていた。
「俺ァテンが怒るのにも納得できるんだ。正直、晴信様には『殿』としての素質はなかった。それでも努力してりゃ別だが⋯⋯。あの方はそういう姿すら見せねェ」
今だってきっと引きこもりライフをエンジョイしていやがるぜ、と苦く笑う。
「⋯⋯。あ。スンマセン!功助さん[漢字]傅役[/漢字][ふりがな]もりやく[/ふりがな]してたのに」
流唯はまだミカゲの殿の家臣として働くようになって2年だ。ここに来たばかりの頃に、テン―天音から家臣たちの名前と身分、役割等の紹介は一通り受けていた。
傅役に対して先程のようなことを言ってしまい怒られるかと思ったが、功助は寛大だった。ちなみに流唯は功助の全力で怒っているところを一度も見たことがない。
「いいんだよ、話して」
功助は柔らかく笑った。そしてすこしためらった後、流唯は話し始めた。
「―俺はあんた達とは違って、元から久城家に仕えるもんじゃねェ。義視様にホレ込んで、あの方に仕えてたんだ。だから⋯⋯」
そこで彼は言葉を切った。
「⋯⋯」
「『⋯⋯』?」
「⋯⋯⋯⋯。」
功助は何かひらめいた様子で笑顔で手を軽く打ち、言った。
「ああ、[漢字]晴信様[/漢字][ふりがな]あのばかやろう[/ふりがな]にお仕えする必要は全くないと。なるほど」
「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
人が何とかオブラートに包んで言おうとしてたことを⋯。しかも晴信様と書いてあの馬鹿野郎と呼んだ!?」
「オブラートに包もうがリボンで飾ろうが本質は変わらないよ」
「オブラートの意味ぃぃぃぃ!不敬罪で捕まるぞ!?」
「まさか。私は田中芳◯ファンじゃあないからね」
一通り漫才を終えると、気を取り直して功助は言った。
「さて、私も心境として君と同じところはあるけれど。流唯はどうしたい?情報を持ってユウゲツにでも[漢字]出奔[/漢字][ふりがな]しゅっぽん[/ふりがな]するかい」
いつもとは違う、どこか鋭さを宿した笑みだった。
「!」
ユウゲツは、ミカゲの東側に位置する、しょっちゅうミカゲに軍事的なちょっかいをかけてくる国だ。彼らがミカゲへの侵攻を企んでいるというのはもっぱらの噂で、義視亡き今、最も危険な敵と言える。
「バカ言わねェでください。今殿がちゃんとしてねェときに、もしアイツらに義視様の死を伝えりゃァ間違いなくミカゲは攻め込まれちまう。[漢字]流石[/漢字][ふりがな]さすが[/ふりがな]に俺もそんな恩知らずじゃあねェ⋯⋯です!!」
言い切り、流唯はじっと功助を見つめた。そして、ふっと笑った。
「冗談だよ、よく言ったね」
「心臓に悪ィよ、功助さん⋯⋯」
「悪かった悪かった。さて、じゃあ私はちょっと行ってくるよ」
「へっ!?」
会話の流れ的に功助はミカゲの味方だろうと思っていた。しかしそれは嘘だったのか!?俺に[漢字]出奔[/漢字][ふりがな]しゅっぽん[/ふりがな]しないかと声をかけたのは[漢字]本気[/漢字][ふりがな]マジ[/ふりがな]で、それを俺が断ったから一人で行くつもりなのか!?功助は既に彼に背を向けて鼻歌交じりに歩き出しており、流唯は焦った。
「えっちょっ⋯⋯やめてくだせェよ!どこ行くんスか!」
くるりと振り返り、功助は言った。
「助っ人のところ♡」
そして場面は代わり、[漢字]晴信[/漢字][ふりがな]はるのぶ[/ふりがな]の部屋の前では、天音が襖と格闘していた。それを拳骨をくらわされ大きなたんこぶのできた16歳コンビが黙って(呆れて)見ていた。
「殿ぉぉぉぉ出てきやがれくださいこのバカ野郎ォォォ⋯って、マジでこの襖何!?全然 開かねェんだけど!!!」
何かおかしな細工でもしてあるのか、ミカゲ[漢字]一[/漢字][ふりがな]いち[/ふりがな]のばか[漢字]力[/漢字][ふりがな]ぢから[/ふりがな]とうたわれる天音が全力で襖を引いても、それはびくともしない。そんな状態が小半刻ーおよそ15分ほど続いていた。
「叔父上ぇ、もうそっとしといてやりましょうよ。悲しみを乗り越えて人は強くなるんですよ」
「強くなってねェ!!!劣化してんだよあの人!!!!」
もうこの叔父を止めることは不可能だと諦めた平八郎は、自分の加勢に来てくれたせいで共に拳骨をくらう羽目になった友に謝罪した。
「すまん大河、お前まで巻き添えくらわせて」
「ええんどす。でもまあ、殿もなかなか困ったお方どすなァ。過ぎたことは忘れはらへんと、長生きできまへんえって」
「いや⋯⋯うん、忘れるまではいかなくてもいいけど⋯⋯」
大河は、おっとりしているがなかなかに辛辣だ。本人は無自覚だが。平八郎はたいてい返答に窮する。
「にしても平八郎はん。あの天音はんでも開けられへん襖があるんどすなぁ」
「いやもう本当ですね大河さん。なんかこう⋯⋯『殿の決意』が感じられますよね」
平八郎と大河の呑気な会話に、天音の額に血管が浮き出る。
「キャスターしてねーで手伝えェェェ!!」
「「[漢字]痛[/漢字][ふりがな]いっだ[/ふりがな]っ!!!!!!!」」
いつの間にか背後にまわりこんだ天音に、彼らは二度目の拳骨をくらわされた。
「これが家庭内暴力やいうことどすか、平八郎はん」
「家庭外も入りましたね大河さん」
平八郎はどこからか出た血で〝バカ力〟とダイイングメッセージを書き残していた。
「うるせェよ愛だ愛。 ん?って待てこれ⋯⋯まだ何か書いてあるぞ。」
甥とその友人をあしらった後、ふと襖の張り紙を見た天音は、『開けないでください 食事はそこ置いておいてね↓』の下にとても小さな文字でもうⅠ文書いてあるのを発見した。
「えー⋯⋯『この襖は押したら開くぞ』。ーは??」
冗談だろうと思って天音が軽く襖を押すと、張り紙が[漢字]剥[/漢字][ふりがな]は[/ふりがな]がれ、キイッという音を立てて襖が開いた。
「⋯オイ。誰だ襖を開き戸に変えたのは」
天音は頬をピクピクさせながら呟いた。
「殿じゃないですか?改造好きだったし」
「あーそうかそうだな。そしてこれは俺の目がおかしいんだなきっと。
殿の部屋に全く知らねえ男が寝そべって[漢字]煎餅[/漢字][ふりがな]せんべい[/ふりがな]食ってる」
ボリッ。男が煎餅をかじる音がした。
「⋯⋯、天音はん、ウチにも見えますわ。あかん老眼やろか」
「マジかよ。一番趣味がジジイな平八でさえまだだぜ」
「いや儂にも見える。全員眼科行きだな」
平八郎は言うと、ずかずかと晴信の部屋にあがりこんで、男の着物の襟合わせを掴み持ち上げた。
「しかもこれ人形です、叔父上。きっと殿自作だ。この煎餅も作り物⋯すげ、[漢字]咀嚼音[/漢字][ふりがな]そしゃくおん[/ふりがな]まで」
「なんでこんなだらけたポーズの人形にした!?しかも似せる気ゼロだろこれ!!」
「それはほらまぁ、自分そっくりに作るのは照れるでしょう」
「照れねェだろ!!お前経験あんの平八!?」
「それはほらまぁ⋯⋯」
「意味深」
コントを繰り広げる二人をよそに、大河はひとり思索していた。
(うーん、ここのお人が人形やいうことは、ほんまの殿はどこへ行かはったんやろうか。それに、[漢字]何時[/漢字][ふりがな]いつ[/ふりがな]からおらへんようにならはったんかいうんも、気になるとこどすなぁ。⋯⋯あかんわ、ウチ一人やと、そこまでよう考え及ばへん。せめて功助はんか真衣はんがいてくれはったらなぁ。)
すると、「あれ?」と、大河が待ち望んでいた人の声が聞こえた。
「そこの襖、開けてしまわれたのですか。ふぅん、独特な襖ですね」
天音と平八郎もそれに気がついたようで、ハッとしてこちらを見ている。
「真衣!」「真衣さん!」「真衣はん!」
3人に同時に名前を呼ばれた少女ー[漢字]明津[/漢字][ふりがな]あけつ[/ふりがな][漢字]真衣[/漢字][ふりがな]まい[/ふりがな]は、驚いたような顔で男3人組を眺め返した。[漢字]聡明叡智[/漢字][ふりがな]そうめいえいち[/ふりがな]な18歳の少女で、動く拍子に後ろでゆるく結んだ長い黒髪がふわっと揺れる。
「えっはい、真衣です」
「どうしてここに?」
殿もどき(天音命名)の襟首をつかんだままの平八郎が問うた。ちなみにその後ろには般若のごとき形相をした天音が立っている。
「功助様に頼まれました。みなさんそろそろ困っている頃だろうと」
「功助はん⋯⋯先読みしすぎやろ」
大河がぼやく。
「で」
真衣は天音に「なんか腹立つ」と奪われ今にも殴り壊さんとされる『殿もどき』をチラと見やった。「あれは?大河」
「殿の代わりに、あの人形がいはったんどす。まさか、長うて5ヶ月もあんなもんに[漢字]騙[/漢字][ふりがな]だま[/ふりがな]されとったなんて⋯⋯」
ふむ、と真衣が呟く。殿もどきをなんとか叔父から守った平八郎が、それを見つめながら言った。
「殿はいつからここにいなかったのだろうか?食事だって用意するよう指示していたし、逃げたとしてもすぐ見つかる可能性もある」
「あーもうなんなんだよ。考えだしゃキリがねェ」
天音が呆れたように呟く。
その時だった。
「失礼致っ⋯⋯エッ!!!!????」
「あ゛?」
侍女が[漢字]朝餉[/漢字][ふりがな]あさげ[/ふりがな]を殿に持ってきたのだった。もう[漢字]辰[/漢字][ふりがな]たつ[/ふりがな]の刻(午前7時〜9時の間)らしい。天音のドスのきいた声に怯えた侍女は、涙目になって謝罪した。
「っ!ももももももも申し訳ございません!!!!!どうか命だけは!!」
流石に怖がらせすぎてしまったか、と反省した天音は『できるだけ優しく』を意識して侍女に声をかけた。笑顔を浮かべると平八郎に「それが引きつってるから怖さが増すんですよ、叔父上。普段[漢字]無愛想[/漢字][ふりがな]ぶあいそう[/ふりがな]なんだから」と言われることが目に見えているので、それはやめておく。
「いや殺さねェから。今は食事は大丈夫だ。すまねェな」
「ひ、ひいっ!!申し訳ございません!!」
いやだから謝らなくていいんだって⋯⋯。天音は返答に詰まった。それを見かねた平八郎が助け舟を出す。「やけにたどたどしいが、お主新入りか?」
侍女の[漢字]瞳孔[/漢字][ふりがな]どうこう[/ふりがな]が見開かれる。どうやら図星らしかった。
「!はい、実は先日までこのお役目を務めていたものが急遽辞めてしまい、代わりに私が」
「それはまた⋯⋯。どないして?」
「えっと、どうやら体調が優れなかったらしく」
それを聞いてなにかピンと来たのか、真衣が少し考え、侍女に尋ねた。
「ごめんなさい、あと一つだけいいかしら。ーその次女の名前は『とわ』で合っていますか?」
「あっ⋯は、仰るとおりで⋯⋯」
真衣の口がきれいな弧を描く。天音は、真衣が何か『[漢字]理解[/漢字][ふりがな]わか[/ふりがな]った』ときにする表情を見て、もう謎は解けたのだと確信した。
「皆様、少し私の考えを聞いてはいただけませんか?」
この年は30歳以上の男にのみかかる奇病が国内に蔓延しており、義視様だけでなく多くの古参の家臣が命を落とした。
庶民にももちろんのこと被害は出て、火葬の煙が町を染める毎日。
新たな殿は仕事に追われた。
そして。
「しょっぱなからこれはキツいなうん色んな意味で。いや本当殿ってやばいんだな。ああ、父上ー⋯⋯」
義視様のご遺言により殿の座についた[漢字]晴信[/漢字][ふりがな]はるのぶ[/ふりがな]ー幼名陽太郎さまーは、ご丁寧に[漢字]襖[/漢字][ふりがな]ふすま[/ふりがな]に『開けないでください 食事はそこ置いておいてね↓』と書いた紙を貼り付け、引き籠もった。
家臣たちは待った。無駄に急かすようなことはせず、食事だけは3食おやつ付きできちんと用意して。そして1週間、1ヶ月、3ヶ月、5ヶ月が経った。
「流石に立ち直るの遅ェェェェェェェェ!!!!!!」
いい加減にしびれを切らし、顔に青筋を浮かべながら叫んだのは[漢字]神田[/漢字][ふりがな]かんだ[/ふりがな][漢字]天音[/漢字][ふりがな]あまね[/ふりがな]。次の5月で21になる、若い小柄な青年だ。
「引きこもりも大概にしろってんだあのバカ様が!!そうこうしてる間にパンデミックも収まったわ。もう待てねェ、部屋乗り込んでやる!」
「叔父上、落ち着いてください…いでっ」
と、いざ殿の部屋に特攻せんとする天音の腕を抱え込み止めようとしたところ、彼がお団子にした髪に巻いている紐が顔面に激突し小さな悲鳴を上げたのは、神田[漢字]平八郎[/漢字][ふりがな]へいはちろう[/ふりがな]、叔父と歳は4つしか違わないが身長は約15センチ違う少年だ。
甥が自分(の頭飾りの紐)で傷つくのもなりふり構わず、天音は暴れ続けた。
「結局あいつほぼ何もしてなかったじゃあねぇか!政策とかほぼ[漢字]真衣[/漢字][ふりがな]まい[/ふりがな]と[漢字]功助[/漢字][ふりがな]こうすけ[/ふりがな]さんの力だろクソが。なんで引き籠もってんだ。義視様の死に涙してんのか!?泣きてェのはこっちだよ!古参の家臣は全滅するし民の不満は上がってるし!今ユウゲツにでも攻め込まれたらひとたまりもねえぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ズリ⋯ズリ⋯。天音は必死に彼にしがみつく平八郎を引きずりながら、晴信の部屋の方へと向かっていた。
それを少し離れた廊下の陰から、ニコニコしながら眺めているのが[漢字]寺前[/漢字][ふりがな]てらまえ[/ふりがな]功助。そして「さて、どうしたもんか」顎をかきながら考え、結局何もしないことにしたのが[漢字]古賀[/漢字][ふりがな]こが[/ふりがな][漢字]流唯[/漢字][ふりがな]るい[/ふりがな]だ。
「平八郎はん、えらいことにならはってんのう」
おっとりと呟いたのは、平八郎と同じ16歳の[漢字]四十万[/漢字][ふりがな]しじま[/ふりがな][漢字]大河[/漢字][ふりがな]たいが[/ふりがな]。藍色のかかった髪を輪結びにした少年だ。彼は同い年の友人がズリズリ引きずられていくのを見過ごせなかったらしく、「平八郎はん、引きずられとりますえって」と言いながら二人を追いかけていった。
流唯が肩をすくめる。
「あっ大河。まだまだだな⋯⋯、二人がかりでもあいつは止まれねぇぞ」
「若い人たちはいいね、行動力があって」
実質的に置いてけぼりにされた2人の家臣たちは会話し始めた。
「いや若いって、あんた23だろ功助さん」
功助は加勢に行った大河も天音に平八郎とともに引きずられ、晴信の部屋に向かってつきあたりの廊下を左折するのを見ながら言った。
「家臣団では最年長だよ」
「イカれてんのはこの国の中枢だ。そりゃ民も不安になるわ!!!」
天音と流唯の20歳コンビは国内きってのツッコミ名手として名を[漢字]馳[/漢字][ふりがな]は[/ふりがな]せていた。現在そのうちの一人はツッコミをしながらも全力でボケポジションにまわっているわけだが。
「―ところで功助さん」
流唯は腕を組み、たすき掛けした着物の裾を握りながら彼の先輩に話しかけた。その声色は、先程までの軽さを失っていた。
「俺ァテンが怒るのにも納得できるんだ。正直、晴信様には『殿』としての素質はなかった。それでも努力してりゃ別だが⋯⋯。あの方はそういう姿すら見せねェ」
今だってきっと引きこもりライフをエンジョイしていやがるぜ、と苦く笑う。
「⋯⋯。あ。スンマセン!功助さん[漢字]傅役[/漢字][ふりがな]もりやく[/ふりがな]してたのに」
流唯はまだミカゲの殿の家臣として働くようになって2年だ。ここに来たばかりの頃に、テン―天音から家臣たちの名前と身分、役割等の紹介は一通り受けていた。
傅役に対して先程のようなことを言ってしまい怒られるかと思ったが、功助は寛大だった。ちなみに流唯は功助の全力で怒っているところを一度も見たことがない。
「いいんだよ、話して」
功助は柔らかく笑った。そしてすこしためらった後、流唯は話し始めた。
「―俺はあんた達とは違って、元から久城家に仕えるもんじゃねェ。義視様にホレ込んで、あの方に仕えてたんだ。だから⋯⋯」
そこで彼は言葉を切った。
「⋯⋯」
「『⋯⋯』?」
「⋯⋯⋯⋯。」
功助は何かひらめいた様子で笑顔で手を軽く打ち、言った。
「ああ、[漢字]晴信様[/漢字][ふりがな]あのばかやろう[/ふりがな]にお仕えする必要は全くないと。なるほど」
「あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
人が何とかオブラートに包んで言おうとしてたことを⋯。しかも晴信様と書いてあの馬鹿野郎と呼んだ!?」
「オブラートに包もうがリボンで飾ろうが本質は変わらないよ」
「オブラートの意味ぃぃぃぃ!不敬罪で捕まるぞ!?」
「まさか。私は田中芳◯ファンじゃあないからね」
一通り漫才を終えると、気を取り直して功助は言った。
「さて、私も心境として君と同じところはあるけれど。流唯はどうしたい?情報を持ってユウゲツにでも[漢字]出奔[/漢字][ふりがな]しゅっぽん[/ふりがな]するかい」
いつもとは違う、どこか鋭さを宿した笑みだった。
「!」
ユウゲツは、ミカゲの東側に位置する、しょっちゅうミカゲに軍事的なちょっかいをかけてくる国だ。彼らがミカゲへの侵攻を企んでいるというのはもっぱらの噂で、義視亡き今、最も危険な敵と言える。
「バカ言わねェでください。今殿がちゃんとしてねェときに、もしアイツらに義視様の死を伝えりゃァ間違いなくミカゲは攻め込まれちまう。[漢字]流石[/漢字][ふりがな]さすが[/ふりがな]に俺もそんな恩知らずじゃあねェ⋯⋯です!!」
言い切り、流唯はじっと功助を見つめた。そして、ふっと笑った。
「冗談だよ、よく言ったね」
「心臓に悪ィよ、功助さん⋯⋯」
「悪かった悪かった。さて、じゃあ私はちょっと行ってくるよ」
「へっ!?」
会話の流れ的に功助はミカゲの味方だろうと思っていた。しかしそれは嘘だったのか!?俺に[漢字]出奔[/漢字][ふりがな]しゅっぽん[/ふりがな]しないかと声をかけたのは[漢字]本気[/漢字][ふりがな]マジ[/ふりがな]で、それを俺が断ったから一人で行くつもりなのか!?功助は既に彼に背を向けて鼻歌交じりに歩き出しており、流唯は焦った。
「えっちょっ⋯⋯やめてくだせェよ!どこ行くんスか!」
くるりと振り返り、功助は言った。
「助っ人のところ♡」
そして場面は代わり、[漢字]晴信[/漢字][ふりがな]はるのぶ[/ふりがな]の部屋の前では、天音が襖と格闘していた。それを拳骨をくらわされ大きなたんこぶのできた16歳コンビが黙って(呆れて)見ていた。
「殿ぉぉぉぉ出てきやがれくださいこのバカ野郎ォォォ⋯って、マジでこの襖何!?全然 開かねェんだけど!!!」
何かおかしな細工でもしてあるのか、ミカゲ[漢字]一[/漢字][ふりがな]いち[/ふりがな]のばか[漢字]力[/漢字][ふりがな]ぢから[/ふりがな]とうたわれる天音が全力で襖を引いても、それはびくともしない。そんな状態が小半刻ーおよそ15分ほど続いていた。
「叔父上ぇ、もうそっとしといてやりましょうよ。悲しみを乗り越えて人は強くなるんですよ」
「強くなってねェ!!!劣化してんだよあの人!!!!」
もうこの叔父を止めることは不可能だと諦めた平八郎は、自分の加勢に来てくれたせいで共に拳骨をくらう羽目になった友に謝罪した。
「すまん大河、お前まで巻き添えくらわせて」
「ええんどす。でもまあ、殿もなかなか困ったお方どすなァ。過ぎたことは忘れはらへんと、長生きできまへんえって」
「いや⋯⋯うん、忘れるまではいかなくてもいいけど⋯⋯」
大河は、おっとりしているがなかなかに辛辣だ。本人は無自覚だが。平八郎はたいてい返答に窮する。
「にしても平八郎はん。あの天音はんでも開けられへん襖があるんどすなぁ」
「いやもう本当ですね大河さん。なんかこう⋯⋯『殿の決意』が感じられますよね」
平八郎と大河の呑気な会話に、天音の額に血管が浮き出る。
「キャスターしてねーで手伝えェェェ!!」
「「[漢字]痛[/漢字][ふりがな]いっだ[/ふりがな]っ!!!!!!!」」
いつの間にか背後にまわりこんだ天音に、彼らは二度目の拳骨をくらわされた。
「これが家庭内暴力やいうことどすか、平八郎はん」
「家庭外も入りましたね大河さん」
平八郎はどこからか出た血で〝バカ力〟とダイイングメッセージを書き残していた。
「うるせェよ愛だ愛。 ん?って待てこれ⋯⋯まだ何か書いてあるぞ。」
甥とその友人をあしらった後、ふと襖の張り紙を見た天音は、『開けないでください 食事はそこ置いておいてね↓』の下にとても小さな文字でもうⅠ文書いてあるのを発見した。
「えー⋯⋯『この襖は押したら開くぞ』。ーは??」
冗談だろうと思って天音が軽く襖を押すと、張り紙が[漢字]剥[/漢字][ふりがな]は[/ふりがな]がれ、キイッという音を立てて襖が開いた。
「⋯オイ。誰だ襖を開き戸に変えたのは」
天音は頬をピクピクさせながら呟いた。
「殿じゃないですか?改造好きだったし」
「あーそうかそうだな。そしてこれは俺の目がおかしいんだなきっと。
殿の部屋に全く知らねえ男が寝そべって[漢字]煎餅[/漢字][ふりがな]せんべい[/ふりがな]食ってる」
ボリッ。男が煎餅をかじる音がした。
「⋯⋯、天音はん、ウチにも見えますわ。あかん老眼やろか」
「マジかよ。一番趣味がジジイな平八でさえまだだぜ」
「いや儂にも見える。全員眼科行きだな」
平八郎は言うと、ずかずかと晴信の部屋にあがりこんで、男の着物の襟合わせを掴み持ち上げた。
「しかもこれ人形です、叔父上。きっと殿自作だ。この煎餅も作り物⋯すげ、[漢字]咀嚼音[/漢字][ふりがな]そしゃくおん[/ふりがな]まで」
「なんでこんなだらけたポーズの人形にした!?しかも似せる気ゼロだろこれ!!」
「それはほらまぁ、自分そっくりに作るのは照れるでしょう」
「照れねェだろ!!お前経験あんの平八!?」
「それはほらまぁ⋯⋯」
「意味深」
コントを繰り広げる二人をよそに、大河はひとり思索していた。
(うーん、ここのお人が人形やいうことは、ほんまの殿はどこへ行かはったんやろうか。それに、[漢字]何時[/漢字][ふりがな]いつ[/ふりがな]からおらへんようにならはったんかいうんも、気になるとこどすなぁ。⋯⋯あかんわ、ウチ一人やと、そこまでよう考え及ばへん。せめて功助はんか真衣はんがいてくれはったらなぁ。)
すると、「あれ?」と、大河が待ち望んでいた人の声が聞こえた。
「そこの襖、開けてしまわれたのですか。ふぅん、独特な襖ですね」
天音と平八郎もそれに気がついたようで、ハッとしてこちらを見ている。
「真衣!」「真衣さん!」「真衣はん!」
3人に同時に名前を呼ばれた少女ー[漢字]明津[/漢字][ふりがな]あけつ[/ふりがな][漢字]真衣[/漢字][ふりがな]まい[/ふりがな]は、驚いたような顔で男3人組を眺め返した。[漢字]聡明叡智[/漢字][ふりがな]そうめいえいち[/ふりがな]な18歳の少女で、動く拍子に後ろでゆるく結んだ長い黒髪がふわっと揺れる。
「えっはい、真衣です」
「どうしてここに?」
殿もどき(天音命名)の襟首をつかんだままの平八郎が問うた。ちなみにその後ろには般若のごとき形相をした天音が立っている。
「功助様に頼まれました。みなさんそろそろ困っている頃だろうと」
「功助はん⋯⋯先読みしすぎやろ」
大河がぼやく。
「で」
真衣は天音に「なんか腹立つ」と奪われ今にも殴り壊さんとされる『殿もどき』をチラと見やった。「あれは?大河」
「殿の代わりに、あの人形がいはったんどす。まさか、長うて5ヶ月もあんなもんに[漢字]騙[/漢字][ふりがな]だま[/ふりがな]されとったなんて⋯⋯」
ふむ、と真衣が呟く。殿もどきをなんとか叔父から守った平八郎が、それを見つめながら言った。
「殿はいつからここにいなかったのだろうか?食事だって用意するよう指示していたし、逃げたとしてもすぐ見つかる可能性もある」
「あーもうなんなんだよ。考えだしゃキリがねェ」
天音が呆れたように呟く。
その時だった。
「失礼致っ⋯⋯エッ!!!!????」
「あ゛?」
侍女が[漢字]朝餉[/漢字][ふりがな]あさげ[/ふりがな]を殿に持ってきたのだった。もう[漢字]辰[/漢字][ふりがな]たつ[/ふりがな]の刻(午前7時〜9時の間)らしい。天音のドスのきいた声に怯えた侍女は、涙目になって謝罪した。
「っ!ももももももも申し訳ございません!!!!!どうか命だけは!!」
流石に怖がらせすぎてしまったか、と反省した天音は『できるだけ優しく』を意識して侍女に声をかけた。笑顔を浮かべると平八郎に「それが引きつってるから怖さが増すんですよ、叔父上。普段[漢字]無愛想[/漢字][ふりがな]ぶあいそう[/ふりがな]なんだから」と言われることが目に見えているので、それはやめておく。
「いや殺さねェから。今は食事は大丈夫だ。すまねェな」
「ひ、ひいっ!!申し訳ございません!!」
いやだから謝らなくていいんだって⋯⋯。天音は返答に詰まった。それを見かねた平八郎が助け舟を出す。「やけにたどたどしいが、お主新入りか?」
侍女の[漢字]瞳孔[/漢字][ふりがな]どうこう[/ふりがな]が見開かれる。どうやら図星らしかった。
「!はい、実は先日までこのお役目を務めていたものが急遽辞めてしまい、代わりに私が」
「それはまた⋯⋯。どないして?」
「えっと、どうやら体調が優れなかったらしく」
それを聞いてなにかピンと来たのか、真衣が少し考え、侍女に尋ねた。
「ごめんなさい、あと一つだけいいかしら。ーその次女の名前は『とわ』で合っていますか?」
「あっ⋯は、仰るとおりで⋯⋯」
真衣の口がきれいな弧を描く。天音は、真衣が何か『[漢字]理解[/漢字][ふりがな]わか[/ふりがな]った』ときにする表情を見て、もう謎は解けたのだと確信した。
「皆様、少し私の考えを聞いてはいただけませんか?」