[太字][大文字]♡好きと気づいてから。[/大文字][/太字]
君が好き。
その気持ちに気づいたのはいつだろう。
知らないうちに好きになって、知らないうちに君を目で追うようになっていた。
でも、その恋は叶わなかった____。
ある日を境に。
キーンコーンカーンコーン……。
5限目の始まりを告げるチャイムが、どこか気だるげに校舎に響き渡る。
窓から差し込む5月の西日は少し汗ばむほどに暖かく、天井で回る古びた扇風機が、ぬるい空気をかき混ぜていた。黒板に向かう数学の教師の声は、まるで心地よい子守唄のようにクラス全体の眠気を誘っている。
周りの奴らがシャーペンを握ったままウトウトとし始める中、俺――楠凪葉瑠(くすなぎ はる)の意識だけは、完全に冴え渡っていた。
理由は、俺の斜め前の席にある。
窓からの柔らかな光を浴びて、さらさらとした黒髪がかすかに揺れていた。時折、ノートを取るために動く白い手首。退屈そうにシャーペンをくるくると回す細い指先。真剣に黒板を見つめる、少し上がった口角。
深山一花(みやま いちか)。
それが、俺がこの春からずっと、胸の奥で密かに想い続けている女の子の名前だった。
同じクラスになって、もう2ヶ月が経とうとしている。明るくて、誰に対しても優しくて、クラスの中心にいるような存在。
対する俺は、自分で言うのも本当にアレなんだけど、昔から顔だけはやたらと目立つ方だった。
廊下を歩けば他クラスの女子にチラチラ見られるし、入学当初もそれなりに騒がれたらしい。だけど、俺自身は人前に出るのも目立つのも大の苦手。ただ静かに教室の隅で息を潜めるように過ごしていた。周りの女子から遠巻きに見られることはあっても、俺が誰か特定の女子に興味を示すことなんて、これまで一度もなかった。
話しかける勇気なんて、あるはずがない。
だから俺にとって、この斜め後ろの席は、彼女の姿を誰にも邪魔されずに眺められる「特等席」だった。ただ見ているだけで幸せだ。そう自分に言い聞かせながら、今日も今日とて、ただ一人、彼女にだけ視線を奪われていた。
だが、その日はあまりにも油断しすぎていた。
教師が黒板に、気が遠くなるほど長い数式を書き殴り始めた瞬間だった。
俺がいつものように、彼女の後ろ姿――特に、制服のセーラー服の襟元から覗く華奢なうなじあたりを、ぼんやりと見つめていた、その時。
深山さんが、くるりと席を振り返ったのだ。
「っ……!」
心臓がどくん、と不条理な音を立てて跳ね上がった。
あまりの衝撃に、一瞬だけ息が止まる。深山さんの大きくて澄んだ瞳が、まっすぐに俺の目を射抜いていた。
「ねえ、くすなぎ君」
鈴の鳴るような、少し高めの綺麗な声が、俺の耳に届く。
名前を呼ばれた瞬間、俺の脳内細胞は一斉にパニックを起こした。回路がショートしたみたいに、頭の中がまっ白に染まっていく。
「あ……うん。何、深山さん?」
なんとか声を絞り出したが、内心の動揺は隠しきれていなかった。
いつも通りを装おうとした拍子に手元が狂い、机の端に置いてあった消しゴムをパチンと弾いてしまう。
「あ……」と声を漏らしながら、俺は慌てて右手を伸ばし、床に落ちる寸前でなんとかキャッチした。
体勢を少し崩したせいでパイプ椅子が『ガタッ』と小さく音を立てる。いつもは静かな俺の突然の不器用な動きに、前の席の奴が少し不思議そうに振り返った。最悪だ。顔がどれだけイケメンだと言われようが、今、深山さんの前での俺は、余裕なんて一ミリもないただの男だ。
深山さんは、そんな俺の少し焦った様子をじっと見つめていたが、やがて楽しそうに、小さな手を口元に当てた。
「ふふっ……ごめんね、そんなに驚かせちゃうと思わなかった」
クスッと笑う彼女の笑顔は、暴力的なまでに可愛かった。
怒っている様子はない。けれど、俺の心臓は別の意味で破裂しそうだった。
「……ねえ、さっきからずーっと私のこと見てたでしょ? 私の背中、何かついてる?」
深山さんは少し上目遣いになりながら、悪戯っぽく微笑む。
完全にバレていた。隠し通せるはずがなかった。俺の視線が彼女の背中に突き刺さっていたのは、紛れもない事実なのだから。
(終わった。変質者だと思われた。嫌われた……!)
絶望が脳裏をよぎる。パニックを起こした俺は、どうにかして怪しまれない言い訳を探そうと、少し早口になって言葉を紡いだ。
「いや、違うんだ。深山さんの、その……髪が、すごくサラサラで綺麗だなと思って。あ、いや、じゃなくて! 今日は天気がいいから、なんとなく窓の外を見ようとしたら視線がそっちにいっちゃって。ほら、黒板の数式が難しすぎて、ちょっと現実逃避してただけだから……!」
自分でも何を言っているのか分からなかった。髪が綺麗なんて、口が裂けても言っちゃいけない本音だった。あまりの恥ずかしさに、顔に血が上るのが分かる。
俺の必死な弁明を聞きながら、深山さんは楽しそうに目を細めた。
「ふーん? 私の背中は数式じゃないんだけどな」
「う……」
返す言葉がない。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
深山さんは椅子の背もたれに体を預け、少しだけ俺の方に身を乗り出してきた。彼女の甘いシャンプーの香りがふわりと鼻腔をくすぐり、俺の心拍数は限界突破を果たす。
「でも、そっか。変な虫とか、ゴミがついてるんじゃなくて良かった」
深山さんは小さな声でそう言うと、内緒話をするようにトーンを落とした。
「くすなぎ君って、いつも静かで、あんまり女子と話さないからさ。話しかけるのちょっと緊張したんだよね。私、変なことしちゃったかなって」
「え……?」
まさか、深山さんの方も、俺が普段女子を寄せ付けない雰囲気だから緊張していたなんて、思いもしなかった。
俺が呆然としていると、深山さんは最後にいたずらな笑みを浮かべた。
「でも、授業中、あんまりじっと見つめられると……私でも、さすがに照れちゃうからさ。今度からは、普通に前からも話しかけてね?」
そう言って、深山さんはぱちんとウインクをひとつ残すと、くるりと前を向いてしまった。
再び、俺の視界には彼女の綺麗な後ろ姿だけが残される。
けれど、さっきまでとは決定的に違っていた。
教科書の向こう側で、俺の心臓はさっきの何倍もの速さで、うるさいくらいにドクドクと脈打っていた。
ただ遠くから眺めているだけでいいと思っていた。
だけど、彼女がこちらを振り返ってくれたあの瞬間の、瞳の輝きと、優しい笑顔が、俺の頭からどうしても離れない。
これが、俺と深山さんの、短くて、だけど一生忘れることのできない物語の、本当の始まりだった。
君が好き。
その気持ちに気づいたのはいつだろう。
知らないうちに好きになって、知らないうちに君を目で追うようになっていた。
でも、その恋は叶わなかった____。
ある日を境に。
キーンコーンカーンコーン……。
5限目の始まりを告げるチャイムが、どこか気だるげに校舎に響き渡る。
窓から差し込む5月の西日は少し汗ばむほどに暖かく、天井で回る古びた扇風機が、ぬるい空気をかき混ぜていた。黒板に向かう数学の教師の声は、まるで心地よい子守唄のようにクラス全体の眠気を誘っている。
周りの奴らがシャーペンを握ったままウトウトとし始める中、俺――楠凪葉瑠(くすなぎ はる)の意識だけは、完全に冴え渡っていた。
理由は、俺の斜め前の席にある。
窓からの柔らかな光を浴びて、さらさらとした黒髪がかすかに揺れていた。時折、ノートを取るために動く白い手首。退屈そうにシャーペンをくるくると回す細い指先。真剣に黒板を見つめる、少し上がった口角。
深山一花(みやま いちか)。
それが、俺がこの春からずっと、胸の奥で密かに想い続けている女の子の名前だった。
同じクラスになって、もう2ヶ月が経とうとしている。明るくて、誰に対しても優しくて、クラスの中心にいるような存在。
対する俺は、自分で言うのも本当にアレなんだけど、昔から顔だけはやたらと目立つ方だった。
廊下を歩けば他クラスの女子にチラチラ見られるし、入学当初もそれなりに騒がれたらしい。だけど、俺自身は人前に出るのも目立つのも大の苦手。ただ静かに教室の隅で息を潜めるように過ごしていた。周りの女子から遠巻きに見られることはあっても、俺が誰か特定の女子に興味を示すことなんて、これまで一度もなかった。
話しかける勇気なんて、あるはずがない。
だから俺にとって、この斜め後ろの席は、彼女の姿を誰にも邪魔されずに眺められる「特等席」だった。ただ見ているだけで幸せだ。そう自分に言い聞かせながら、今日も今日とて、ただ一人、彼女にだけ視線を奪われていた。
だが、その日はあまりにも油断しすぎていた。
教師が黒板に、気が遠くなるほど長い数式を書き殴り始めた瞬間だった。
俺がいつものように、彼女の後ろ姿――特に、制服のセーラー服の襟元から覗く華奢なうなじあたりを、ぼんやりと見つめていた、その時。
深山さんが、くるりと席を振り返ったのだ。
「っ……!」
心臓がどくん、と不条理な音を立てて跳ね上がった。
あまりの衝撃に、一瞬だけ息が止まる。深山さんの大きくて澄んだ瞳が、まっすぐに俺の目を射抜いていた。
「ねえ、くすなぎ君」
鈴の鳴るような、少し高めの綺麗な声が、俺の耳に届く。
名前を呼ばれた瞬間、俺の脳内細胞は一斉にパニックを起こした。回路がショートしたみたいに、頭の中がまっ白に染まっていく。
「あ……うん。何、深山さん?」
なんとか声を絞り出したが、内心の動揺は隠しきれていなかった。
いつも通りを装おうとした拍子に手元が狂い、机の端に置いてあった消しゴムをパチンと弾いてしまう。
「あ……」と声を漏らしながら、俺は慌てて右手を伸ばし、床に落ちる寸前でなんとかキャッチした。
体勢を少し崩したせいでパイプ椅子が『ガタッ』と小さく音を立てる。いつもは静かな俺の突然の不器用な動きに、前の席の奴が少し不思議そうに振り返った。最悪だ。顔がどれだけイケメンだと言われようが、今、深山さんの前での俺は、余裕なんて一ミリもないただの男だ。
深山さんは、そんな俺の少し焦った様子をじっと見つめていたが、やがて楽しそうに、小さな手を口元に当てた。
「ふふっ……ごめんね、そんなに驚かせちゃうと思わなかった」
クスッと笑う彼女の笑顔は、暴力的なまでに可愛かった。
怒っている様子はない。けれど、俺の心臓は別の意味で破裂しそうだった。
「……ねえ、さっきからずーっと私のこと見てたでしょ? 私の背中、何かついてる?」
深山さんは少し上目遣いになりながら、悪戯っぽく微笑む。
完全にバレていた。隠し通せるはずがなかった。俺の視線が彼女の背中に突き刺さっていたのは、紛れもない事実なのだから。
(終わった。変質者だと思われた。嫌われた……!)
絶望が脳裏をよぎる。パニックを起こした俺は、どうにかして怪しまれない言い訳を探そうと、少し早口になって言葉を紡いだ。
「いや、違うんだ。深山さんの、その……髪が、すごくサラサラで綺麗だなと思って。あ、いや、じゃなくて! 今日は天気がいいから、なんとなく窓の外を見ようとしたら視線がそっちにいっちゃって。ほら、黒板の数式が難しすぎて、ちょっと現実逃避してただけだから……!」
自分でも何を言っているのか分からなかった。髪が綺麗なんて、口が裂けても言っちゃいけない本音だった。あまりの恥ずかしさに、顔に血が上るのが分かる。
俺の必死な弁明を聞きながら、深山さんは楽しそうに目を細めた。
「ふーん? 私の背中は数式じゃないんだけどな」
「う……」
返す言葉がない。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
深山さんは椅子の背もたれに体を預け、少しだけ俺の方に身を乗り出してきた。彼女の甘いシャンプーの香りがふわりと鼻腔をくすぐり、俺の心拍数は限界突破を果たす。
「でも、そっか。変な虫とか、ゴミがついてるんじゃなくて良かった」
深山さんは小さな声でそう言うと、内緒話をするようにトーンを落とした。
「くすなぎ君って、いつも静かで、あんまり女子と話さないからさ。話しかけるのちょっと緊張したんだよね。私、変なことしちゃったかなって」
「え……?」
まさか、深山さんの方も、俺が普段女子を寄せ付けない雰囲気だから緊張していたなんて、思いもしなかった。
俺が呆然としていると、深山さんは最後にいたずらな笑みを浮かべた。
「でも、授業中、あんまりじっと見つめられると……私でも、さすがに照れちゃうからさ。今度からは、普通に前からも話しかけてね?」
そう言って、深山さんはぱちんとウインクをひとつ残すと、くるりと前を向いてしまった。
再び、俺の視界には彼女の綺麗な後ろ姿だけが残される。
けれど、さっきまでとは決定的に違っていた。
教科書の向こう側で、俺の心臓はさっきの何倍もの速さで、うるさいくらいにドクドクと脈打っていた。
ただ遠くから眺めているだけでいいと思っていた。
だけど、彼女がこちらを振り返ってくれたあの瞬間の、瞳の輝きと、優しい笑顔が、俺の頭からどうしても離れない。
これが、俺と深山さんの、短くて、だけど一生忘れることのできない物語の、本当の始まりだった。