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その日は、朝からおかしな予兆がありました。
武装探偵社のソファで丸まって、いつもなら景気良くラムネを飲み、駄菓子を頬張っているはずの乱歩さんが、珍しく「お腹がいっぱいだ」と言って、大好きなはずの特選金平糖に目もくれなかったのです。
「乱歩さん、顔が赤いですよ」
私が声をかけ、彼の額に手を伸ばすと、彼は逃げる気力もなかったのか、大人しくそれを受け入れました。手のひらから伝わるのは、春先の生ぬるい風とは比較にならない、じりじりとした熱。
「……あーあ、バレちゃった。名探偵の計算外だね、これは」
乱歩さんは力なく笑い、そのままずるずるとソファに沈み込みました。
結局、社長の「今日はもう帰って休め」という鶴の一声(というよりは、慈父のような深い溜息)により、私は彼の自宅まで送り届けることになったのです。
乱歩さんの自宅は、彼らしく本や資料、そして使いかけの知恵の輪や空き箱で溢れていました。彼をなんとか布団に潜り込ませ、私は台所を借ります。
「……行かないでよ」
背後から、熱で掠れた声が聞こえました。
振り返ると、乱歩さんが布団から少しだけ顔を出し、潤んだ瞳でこちらをじっと見つめています。
「どこにも行きませんよ。氷枕を持ってくるだけです」
「嘘だ。君はそうやって、僕が寝てる間にどっか別の事件に首を突っ込みに行くんだ。それか、僕のいないところで美味しいアイスを食べるつもりだろう」
熱のせいで、普段の子供っぽさが三割増しになっています。
私は苦笑しながら、冷やした氷枕を彼の頭の下に差し込みました。
「アイスなんて食べません。乱歩さんが治るまで、私もお菓子は禁止にしますから」
「……え、それは困る。君がひもじい思いをするのは、僕の本意じゃない」
彼はぶつぶつと文句を言いながらも、ひんやりとした感触に心地よさそうに目を細めました。
熱が上がるにつれ、乱歩さんはいつも以上に饒舌になり、そして少しだけ素直になりました。
「超推理」という異能(と本人は信じている力)で世界を見通してしまう彼は、普通の人には見えない「真実」というノイズに常に晒されています。
「ねえ、世界がうるさいんだ」
彼は布団の中から、熱い手を伸ばして私の袖を掴みました。
「僕には全部わかっちゃうからさ。あの建物のヒビがいつ崩れるかとか、あの人が隠してる嘘が何色かとか……。でも、今は熱のせいで、そのパズルが上手く噛み合わない。気持ち悪いんだ」
無敵の名探偵が見せる、一瞬の脆弱。
私は、彼が握っている袖ではなく、彼の手をそっと握り返しました。
「今はパズルなんて解かなくていいんです。乱歩さんは、ただの『乱歩さん』として寝ていればいいんですよ」
「……ただの乱歩さん? なにそれ。世界一の名探偵じゃない僕は、ただの迷子と一緒だよ」
「いいじゃないですか、迷子。私が見つけてあげますから。どこにいても、必ず」
私の言葉に、乱歩さんは一瞬だけ驚いたように目を見開きました。それから、照れ隠しのように布団を鼻先まで引き上げ、繋いだ手には、ぎゅっと力が込められます。
「……生意気。僕を見つけられる人間なんて、この世に一人しかいないのに」
その「一人」が誰を指しているのか。聞かなくてもわかるはずだと、彼の瞳が語っていました。
深夜。
看病の疲れで、私は彼の枕元に突っ伏して、うとうとしていました。
ふと視線を感じて目を覚ますと、そこには月明かりに照らされた乱歩さんの顔がありました。熱は少し下がったようで、呼吸も穏やかになっています。
「起きた?」
乱歩さんは、私が握っていた彼の手を、今度は自分の頬に当てていました。
「……あ、すみません。寝てしまって。体調はどうですか?」
「最高とは言えないけど、最悪は脱したかな。君の看病が、僕の推理通り『非常に献身的』だったおかげだよ」
彼はいつもの不敵な笑みを少しだけ浮かべ、でも繋いだ手は離そうとしません。
「ねえ。治ったら、あそこの通りにある新作の和菓子、買いに行こう。僕が奢ってあげる」
「えっ、乱歩さんが奢ってくれるんですか?」
「名探偵の快気祝いだよ。……それに、一人で買いに行くと、また帰り道が『書き換わって』迷子になるかもしれないし」
それは、彼なりの「これからも隣にいてほしい」という、不器用な招待状でした。
「喜んで。案内役はお任せください」
「うん。よろしくね、僕の助手さん」
乱歩さんは満足げに目を閉じると、今度は安らかな、本当の眠りに落ちていきました。
朝が来れば、また彼は傲慢で無敵な名探偵に戻るでしょう。でも、この夜の、熱に浮かされた彼が漏らした本音だけは、私だけの秘密にしておこう。
窓の外では、夜明け前の静寂が、二人を優しく包み込んでいました。
武装探偵社のソファで丸まって、いつもなら景気良くラムネを飲み、駄菓子を頬張っているはずの乱歩さんが、珍しく「お腹がいっぱいだ」と言って、大好きなはずの特選金平糖に目もくれなかったのです。
「乱歩さん、顔が赤いですよ」
私が声をかけ、彼の額に手を伸ばすと、彼は逃げる気力もなかったのか、大人しくそれを受け入れました。手のひらから伝わるのは、春先の生ぬるい風とは比較にならない、じりじりとした熱。
「……あーあ、バレちゃった。名探偵の計算外だね、これは」
乱歩さんは力なく笑い、そのままずるずるとソファに沈み込みました。
結局、社長の「今日はもう帰って休め」という鶴の一声(というよりは、慈父のような深い溜息)により、私は彼の自宅まで送り届けることになったのです。
乱歩さんの自宅は、彼らしく本や資料、そして使いかけの知恵の輪や空き箱で溢れていました。彼をなんとか布団に潜り込ませ、私は台所を借ります。
「……行かないでよ」
背後から、熱で掠れた声が聞こえました。
振り返ると、乱歩さんが布団から少しだけ顔を出し、潤んだ瞳でこちらをじっと見つめています。
「どこにも行きませんよ。氷枕を持ってくるだけです」
「嘘だ。君はそうやって、僕が寝てる間にどっか別の事件に首を突っ込みに行くんだ。それか、僕のいないところで美味しいアイスを食べるつもりだろう」
熱のせいで、普段の子供っぽさが三割増しになっています。
私は苦笑しながら、冷やした氷枕を彼の頭の下に差し込みました。
「アイスなんて食べません。乱歩さんが治るまで、私もお菓子は禁止にしますから」
「……え、それは困る。君がひもじい思いをするのは、僕の本意じゃない」
彼はぶつぶつと文句を言いながらも、ひんやりとした感触に心地よさそうに目を細めました。
熱が上がるにつれ、乱歩さんはいつも以上に饒舌になり、そして少しだけ素直になりました。
「超推理」という異能(と本人は信じている力)で世界を見通してしまう彼は、普通の人には見えない「真実」というノイズに常に晒されています。
「ねえ、世界がうるさいんだ」
彼は布団の中から、熱い手を伸ばして私の袖を掴みました。
「僕には全部わかっちゃうからさ。あの建物のヒビがいつ崩れるかとか、あの人が隠してる嘘が何色かとか……。でも、今は熱のせいで、そのパズルが上手く噛み合わない。気持ち悪いんだ」
無敵の名探偵が見せる、一瞬の脆弱。
私は、彼が握っている袖ではなく、彼の手をそっと握り返しました。
「今はパズルなんて解かなくていいんです。乱歩さんは、ただの『乱歩さん』として寝ていればいいんですよ」
「……ただの乱歩さん? なにそれ。世界一の名探偵じゃない僕は、ただの迷子と一緒だよ」
「いいじゃないですか、迷子。私が見つけてあげますから。どこにいても、必ず」
私の言葉に、乱歩さんは一瞬だけ驚いたように目を見開きました。それから、照れ隠しのように布団を鼻先まで引き上げ、繋いだ手には、ぎゅっと力が込められます。
「……生意気。僕を見つけられる人間なんて、この世に一人しかいないのに」
その「一人」が誰を指しているのか。聞かなくてもわかるはずだと、彼の瞳が語っていました。
深夜。
看病の疲れで、私は彼の枕元に突っ伏して、うとうとしていました。
ふと視線を感じて目を覚ますと、そこには月明かりに照らされた乱歩さんの顔がありました。熱は少し下がったようで、呼吸も穏やかになっています。
「起きた?」
乱歩さんは、私が握っていた彼の手を、今度は自分の頬に当てていました。
「……あ、すみません。寝てしまって。体調はどうですか?」
「最高とは言えないけど、最悪は脱したかな。君の看病が、僕の推理通り『非常に献身的』だったおかげだよ」
彼はいつもの不敵な笑みを少しだけ浮かべ、でも繋いだ手は離そうとしません。
「ねえ。治ったら、あそこの通りにある新作の和菓子、買いに行こう。僕が奢ってあげる」
「えっ、乱歩さんが奢ってくれるんですか?」
「名探偵の快気祝いだよ。……それに、一人で買いに行くと、また帰り道が『書き換わって』迷子になるかもしれないし」
それは、彼なりの「これからも隣にいてほしい」という、不器用な招待状でした。
「喜んで。案内役はお任せください」
「うん。よろしくね、僕の助手さん」
乱歩さんは満足げに目を閉じると、今度は安らかな、本当の眠りに落ちていきました。
朝が来れば、また彼は傲慢で無敵な名探偵に戻るでしょう。でも、この夜の、熱に浮かされた彼が漏らした本音だけは、私だけの秘密にしておこう。
窓の外では、夜明け前の静寂が、二人を優しく包み込んでいました。
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