この村では、夜に人の本名を呼ばない。
それがどれほど当たり前か、私は説明できない。息をするなと言われないのと同じだ。
日が沈むと、村は急に静かになる。戸が閉まり、灯りが落とされ、言葉が消える。
呼び名でさえ、夜には重すぎるらしい。誰もが声を潜め、本名を胸の奥にしまい込む。
それでも“夜”は来る。
“夜”は、歩く。
音を立てず、境目を踏み越え、名を探して歩く。
私は夜が嫌いじゃない。
夜の見回りは、いつも私の役目だった。
誰かが言い出したわけじゃない。気づいたら、そうなっていた。
「おまえなら大丈夫だろ」
理由はそれだけだ。
私は本名を持たない。
少なくとも、この村で“本名”と呼べるものを、誰からも教えられていない。
呼び名はある。昼に使う、適当な名前。
けれど夜に呼ばれる名は、ない。
だから私は、夜に一人で歩ける。怖くない。
足元の土は冷たく、空気は重い。
それでも“夜”は、私を連れていかない。
誰かの家の前に立つ。戸は閉まっている。灯りはない。
私は耳を澄ます。呼吸の音、布の擦れる気配。何もなければ、それでいい。
名を持つ人間は、“夜”に呼ばれないよう、必死だ。
名を持たない私は、“夜”に呼ばれようがない。
それは、楽だった。
村の外れで、私は立ち止まる。
闇が濃い。夜が深い。
けれど怖くはない。
“夜”は、私を素通りする。
——そう、信じていた。
それがどれほど当たり前か、私は説明できない。息をするなと言われないのと同じだ。
日が沈むと、村は急に静かになる。戸が閉まり、灯りが落とされ、言葉が消える。
呼び名でさえ、夜には重すぎるらしい。誰もが声を潜め、本名を胸の奥にしまい込む。
それでも“夜”は来る。
“夜”は、歩く。
音を立てず、境目を踏み越え、名を探して歩く。
私は夜が嫌いじゃない。
夜の見回りは、いつも私の役目だった。
誰かが言い出したわけじゃない。気づいたら、そうなっていた。
「おまえなら大丈夫だろ」
理由はそれだけだ。
私は本名を持たない。
少なくとも、この村で“本名”と呼べるものを、誰からも教えられていない。
呼び名はある。昼に使う、適当な名前。
けれど夜に呼ばれる名は、ない。
だから私は、夜に一人で歩ける。怖くない。
足元の土は冷たく、空気は重い。
それでも“夜”は、私を連れていかない。
誰かの家の前に立つ。戸は閉まっている。灯りはない。
私は耳を澄ます。呼吸の音、布の擦れる気配。何もなければ、それでいい。
名を持つ人間は、“夜”に呼ばれないよう、必死だ。
名を持たない私は、“夜”に呼ばれようがない。
それは、楽だった。
村の外れで、私は立ち止まる。
闇が濃い。夜が深い。
けれど怖くはない。
“夜”は、私を素通りする。
——そう、信じていた。