話題を頼朝・義経兄弟の対立に移そう。
頼朝追討に失敗し、逆に自分が追討対象になってしまった義経。彼は姿をくらました。
そこで頼朝はそのことを上手く使った。「義経を捕らえるため」を口実に、全国に“守護”と“地頭”の設置することを後白河に認めさせたのである。守護は国の治安維持、つまり警察の役割。地頭は税の取り立てをする役。つまり頼朝は全国の支配権を得たと言える。
そのために最近では守護・地頭の置かれたこの年、1185年を鎌倉幕府の成立年とする説がある。
さて、逃げた義経の方はと言うと。
彼は奥州平泉(今の岩手県)にいた。かつて義経が牛若丸という名だった頃に暮らした地だ。ここには平家絶頂期に、源氏の残党である彼をこの地に引き取ってくれた男がいる。
「弁慶、果たしてあの方は俺を匿ってくれるかな」
名を[漢字]藤原秀衡[/漢字][ふりがな]ふじわらのひでひら[/ふりがな]という。
奥羽を支配し、砂金や馬などを取引して莫大な財を築いた“奥州藤原氏”の三代目である。義経の不安は杞憂で、この男は義経を温かく迎えてくれた。
「よう帰ってきたな、九郎。…いや、義経殿」
「おやめくださいませ、九郎で結構でございます」
秀衡は義経をそばに寄らせた。
「兄と戦いたいと望んだお前を、ここから送り出した時から、ずいぶんと成長なされたのだな」
「いえ、…私は」
義経は頭を横に振った。
「[漢字]御館[/漢字][ふりがな]みたち[/ふりがな](秀衡のこと)…私は確かに戦で成果を上げて平家を滅ぼしました。ですが、何故か兄に疎まれ、ついには朝敵となり、ほうほうの体であなたを頼って逃げて参りました…情けなく思いまする」
義経は言っているうちに、顔を上げていられないほど、いたたまれない気持ちになった。しかし秀衡は義経の肩にそっと手を置いて言った。
「九郎はよくやった。戦場には居らずとも、儂は知っている。お主はよく頑張った。恥じることはない」
子供の頃に見たのと少しも変わらない眼は、なんと優しいことだろう。肩に置かれた手のひらのなんと温かいことだろう。何より。
(それは、俺の聞きたかった言葉だ)
下を向いて肩を震わせる義経を、秀衡はまるで子供にするようにその上気した頬を撫でてやった。
・・・
しかし義経の平泉での平和は長く続かなかった。
秀衡が病に倒れたのだ。義経は病床の秀衡の手を固く握った。
「御館!」
「九郎…」
(また、俺から味方が一人いなくなっていく。俺の周りからは、いつか誰もいなくなってしまうのか…?)
そんな義経の顔から恐怖心を感じ取った秀衡は、そっと微笑む。やがて破顔して語りかけた。
「九郎は大丈夫だ。儂の見込んだあの少年は、こんなに立派な[漢字]武士[/漢字][ふりがな]もののふ[/ふりがな]になったのだからな」
「…はい…!」
泣き笑いの表情を見せる義経を見て、秀衡は満足そうにうなずいた。そして、側近に命じた。
「息子たちを呼べ」
秀衡は義経と、嫡男の[漢字]泰衡[/漢字][ふりがな]やすひら[/ふりがな]を始め、一族を集めた。ゆっくりと起き上がると、彼は最期の言葉を伝え始めた。
「…これから儂の言うこと、心して聞け。平家が滅びた今、源頼朝が次に狙うのはここじゃ。そこで」
義経が前に進み出た。
「この義経殿を主君と思え。頼朝が攻めてきたら義経殿を大将に戦え。よいな…この方がおれば平泉は安泰じゃ。頼みまするぞ、義経殿」
「必ずや」
義経は力強くうなずく。
「義経殿を、まもれ…」
最後にそう言うと、秀衡は目をつむった。
その後藤原秀衡は亡くなった。最期まで、義経の味方であった。
その跡を継いだのは藤原泰衡である。
このまま、義経を主として平泉は存続し、義経も無事に暮らしていくかに見えた。
しかし、彼らの知らぬところで、頼朝の策謀が迫っていた。
つづく
頼朝追討に失敗し、逆に自分が追討対象になってしまった義経。彼は姿をくらました。
そこで頼朝はそのことを上手く使った。「義経を捕らえるため」を口実に、全国に“守護”と“地頭”の設置することを後白河に認めさせたのである。守護は国の治安維持、つまり警察の役割。地頭は税の取り立てをする役。つまり頼朝は全国の支配権を得たと言える。
そのために最近では守護・地頭の置かれたこの年、1185年を鎌倉幕府の成立年とする説がある。
さて、逃げた義経の方はと言うと。
彼は奥州平泉(今の岩手県)にいた。かつて義経が牛若丸という名だった頃に暮らした地だ。ここには平家絶頂期に、源氏の残党である彼をこの地に引き取ってくれた男がいる。
「弁慶、果たしてあの方は俺を匿ってくれるかな」
名を[漢字]藤原秀衡[/漢字][ふりがな]ふじわらのひでひら[/ふりがな]という。
奥羽を支配し、砂金や馬などを取引して莫大な財を築いた“奥州藤原氏”の三代目である。義経の不安は杞憂で、この男は義経を温かく迎えてくれた。
「よう帰ってきたな、九郎。…いや、義経殿」
「おやめくださいませ、九郎で結構でございます」
秀衡は義経をそばに寄らせた。
「兄と戦いたいと望んだお前を、ここから送り出した時から、ずいぶんと成長なされたのだな」
「いえ、…私は」
義経は頭を横に振った。
「[漢字]御館[/漢字][ふりがな]みたち[/ふりがな](秀衡のこと)…私は確かに戦で成果を上げて平家を滅ぼしました。ですが、何故か兄に疎まれ、ついには朝敵となり、ほうほうの体であなたを頼って逃げて参りました…情けなく思いまする」
義経は言っているうちに、顔を上げていられないほど、いたたまれない気持ちになった。しかし秀衡は義経の肩にそっと手を置いて言った。
「九郎はよくやった。戦場には居らずとも、儂は知っている。お主はよく頑張った。恥じることはない」
子供の頃に見たのと少しも変わらない眼は、なんと優しいことだろう。肩に置かれた手のひらのなんと温かいことだろう。何より。
(それは、俺の聞きたかった言葉だ)
下を向いて肩を震わせる義経を、秀衡はまるで子供にするようにその上気した頬を撫でてやった。
・・・
しかし義経の平泉での平和は長く続かなかった。
秀衡が病に倒れたのだ。義経は病床の秀衡の手を固く握った。
「御館!」
「九郎…」
(また、俺から味方が一人いなくなっていく。俺の周りからは、いつか誰もいなくなってしまうのか…?)
そんな義経の顔から恐怖心を感じ取った秀衡は、そっと微笑む。やがて破顔して語りかけた。
「九郎は大丈夫だ。儂の見込んだあの少年は、こんなに立派な[漢字]武士[/漢字][ふりがな]もののふ[/ふりがな]になったのだからな」
「…はい…!」
泣き笑いの表情を見せる義経を見て、秀衡は満足そうにうなずいた。そして、側近に命じた。
「息子たちを呼べ」
秀衡は義経と、嫡男の[漢字]泰衡[/漢字][ふりがな]やすひら[/ふりがな]を始め、一族を集めた。ゆっくりと起き上がると、彼は最期の言葉を伝え始めた。
「…これから儂の言うこと、心して聞け。平家が滅びた今、源頼朝が次に狙うのはここじゃ。そこで」
義経が前に進み出た。
「この義経殿を主君と思え。頼朝が攻めてきたら義経殿を大将に戦え。よいな…この方がおれば平泉は安泰じゃ。頼みまするぞ、義経殿」
「必ずや」
義経は力強くうなずく。
「義経殿を、まもれ…」
最後にそう言うと、秀衡は目をつむった。
その後藤原秀衡は亡くなった。最期まで、義経の味方であった。
その跡を継いだのは藤原泰衡である。
このまま、義経を主として平泉は存続し、義経も無事に暮らしていくかに見えた。
しかし、彼らの知らぬところで、頼朝の策謀が迫っていた。
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮