文字サイズ変更

大姫鎌倉日記

#37

空蝉

七月末のことである。
静は産所に入った。愛する義経の子を産むために。
本来であれば、期待に胸を膨らませているはずであった。しかしその子はその後生きられるのかも分からないのだ。
(この子が外界に出てきた刹那に、生死が決まるのだ)
そう思えば気絶しそうなほど恐ろしかったが、体中の勇気を振り絞って、出産に望んだ。
(もうすぐ、義経様の子に会える。それだけを考えよう)
・・・
しばらくの後、静は子を産んだ。かなり疲れて弱っていたが、それでも、母の磯禅尼に恐る恐る聞いた。
「…ど、どう?女の子…?」
磯禅尼は言った。
「……男の子だよ…」
「…!!!」
男の子。そう聞くやいなや、静は考えるより先に息子をひったくっていた。
「嫌っ!!渡さないっ!!」
生まれたばかりの子供を、腕にしっかりと抱きしめて離さない。腕の中の息子は、本当に愛らしい顔だちだった。目元には義経の面影がある。それを見て、ますます涙が溢れ出た。
(この子は死なせない!!)
頼朝が良いと言うわけがないとは分かっている。でも、はいどうぞと渡せる訳がない。この子が何よりも、自分の命よりも大事なのだということが、母になった今分かったのである。
「いや、いや、いやあああああああああああっ!!」
・・・
静の泣き叫ぶ声を、幡姫も聞いた。幡姫は義時にすがりついた。
「なんとか…なんとかしてあげられないの!?」
義時はすぐに答えた。
「無理だ」
「こ、小四郎叔父上…?」
(義高様の時にはあんなに懸命に助けようとしてくれたのに)
姫の怯える視線に気づいた義時ははっと我にかえり、屈んで目線を合わせて謝る。
「あ…ごめん、怖かった?」
「ううん、大丈夫」
そっか、と言って立ち去ろうとする義時にふと、幡姫は問いかけた。
「こんなことして、父上は人の心が無いのかしら。小四郎叔父上は辛くないの?」
純粋で汚れを知らぬ丸い目に見つめられて、彼は危うく泣きそうになるところだった。なんとか、それをぐっとこらえて返答した。
「…ここだけの話、辛いよ。あのね…鎌倉殿だって辛いとは思ってらっしゃるんだ」
(父上だって辛い…?)
一瞬、幡姫は心の中の何かがぐらりと揺らぐ気がした。父を許しそうになった。が、義高の記憶が勢いよく頭になだれ込んできて、やはりそれは出来なかった。
「…嘘よ。父上は…人じゃないの!だから、だからあんなことを出来るの!!」
「幡ちゃん!!」
幡姫は自分の居室に駆け込んだ。
(気持ちが悪い…。もう疲れた。何も…考えたくない!!)
・・・
しかし、ついに御家人の一人が磯禅尼に告げた。
「さあ、子を渡せ!」
「お待ちを…今すぐ引き離すなんてむごすぎます…!」
磯禅尼は必死で訴えた。
「駄目だ!別れを惜しむ暇も与えず引き剥がしてしまえ!」
彼にしてみれば、せめてもの慈悲だったのかもしれない。
「いや、やめて、やめて…!!」
死にものぐるいで抵抗したが、赤子は腕からすり抜けていった。
「だめっ!返してっ!!返してええええ!!!!」
静は体中の力を振り絞って追いかける。それを泣きながら磯禅尼は止めた。
「静っ…!そんなに急に動いてはいけないよ…!」
「離して、母上っ!だめ、その子を…私の子を連れていかないで!!義経様の子を連れていかないでえええええっ!!」
彼女の必死の叫びも届かず、家人達は生まれて間もない小さな命を抱えて去った。
・・・
静の子は、由比ヶ浜に沈めて殺されたという。悲しき母を憐れんだ政子は彼女に沢山の宝物を持たせたが、静はすべて鶴岡八幡宮に納めてしまった。
その後、静は心の傷の癒えぬまま都に帰される。
幡姫は静のその後について色々と噂を聞いた。京で出家したとか、遊女になったとか…身を投げたという噂も立ったし、義経を探しているとも聞く。今となって幡姫に確かめるすべはないが、おそらくもう生きてはいないか、少なくとも長くはないだろう。静には巴御前ほどの折れない強さがあるわけではない。
(お二人ともそれぞれの生き方をなさった。では私は?)
義高亡き今、自分は今後どう生きるのか。一匹の蝉の声を聞きながら思いを馳せる。しかしやはり上手く想像出来なかった。まだまだ分からないことが多すぎる。
「まだ、いいよね。今はあなたの為に祈らせて、静さん」
そう言うと、数ヶ月の間確かに心を通わせあった、友人の不運を嘆いた。

つづく

作者メッセージ

今回も読んでいただきありがとうございます。
とりあえず静御前編終わりです。次回の義経、平泉行くってよ。

2024/04/21 16:47

青葉よしまつ
ID:≫ 4eITYY1IIrji.
コメント

この小説につけられたタグ

歴史日本史鎌倉時代源平合戦恋愛

通報フォーム

お名前
(任意)
Mailアドレス
(任意)

※入力した場合は確認メールが自動返信されます
違反の種類 ※必須 ※ご自分の小説の削除依頼はできません。
違反内容、削除を依頼したい理由など※必須

盗作されたと思われる作品のタイトル

どういった部分が元作品と類似しているかを具体的に記入して下さい。

※できるだけ具体的に記入してください。

《記入例》
・3ページ目の『~~』という箇所に、禁止されているグロ描写が含まれていました
・「〇〇」という作品の盗作と思われます。登場人物の名前を変えているだけで●●というストーリーや××という設定が同じ
…等

備考欄
※伝言などありましたらこちらへ記入
メールフォーム規約」に同意して送信しますか?※必須
タイトル
URL

この小説の著作権は青葉よしまつさんに帰属します

TOP