とある朝の鎌倉。先ほどから蝉の声が聞こえている。
幡姫はようやく体の調子が回復しつつあった。また、その侍女の小菊も御所に戻ってきていた。
「姫様、朝餉の支度が出来たようにございます」
「…」
「姫?…姫?ひめー?」
肩をつついてみせると、幡姫はようやく気がつき、振り向いた。
「あ、ごめんなさい」
「姫はまた…あの方のことを?」
巴の言葉を受け、死ぬことは思いとどまったものの、義高謀殺は姫の小さな胸に深い傷を残したままだ。
「ゆっくり受け止めていきましょう。ともかく今は休まれませ」
幡姫にとっても、小菊にとっても、同じ痛みを抱える者が側にいてくれることは救いだった。
「ところで今、九郎殿はどうしているの…?」
「今は京で平家に備えていらっしゃるのではないでしょうか?」
(あの人は義高様と仲良しだった…)
彼と痛みを分け合いたい。
・・・
さて、八月になった。
この月、京の源義経は[漢字]検非違使[/漢字][ふりがな]けびいし[/ふりがな]に任命された。検非違使とは京の治安を守る警察のようなものである。
しかし、兄の頼朝に無断で任命されたため、彼の不興を買ってしまった。頼朝は源氏一門に勝手な任官を禁止していたのだ。御家人達を横一列に並べ、朝廷から独立した政権を持とうとする彼にとって、義経の行動は許し難いものだった。が、それが義経は分からない。
義経は子供のように弁慶に愚痴を聞いてもらっていた。
「俺は逆に喜んでもらえるとおもったんだがな…」
「御曹司(義経)の働きは大層なもんだったのに、なぜ鎌倉殿から褒美をくだされなんだか!」
弁慶が床をどんと叩く。義経は陰鬱な表情を隠すように下を向いた。
「本当のこと言うと、断りきれなかったんだ。兄に聞かないと、って言ったら法皇様が“これはお前の功労に対する正当な褒美だ”とかおっしゃるから、俺は…。その旨も書いて鎌倉に送ったんだが」
さらに義経は平家追討軍から外されている。頼朝の怒りもあったが、義経は検非違使として平家残党から都を守らなくてはいけなかったからだ。
「俺、検非違使になって、損ばかりしてないか?」
・・・
現在の香川県に、屋島という地がある。
平家は一ノ谷で破れて以来、この場所に安徳帝の御所を造り力をつけている。
九月に後白河院は平家に対して、三種の神器返還と源氏との和睦を交渉したが、決裂。平家と朝廷の仲は最悪のものになった。
そしてついに源範頼が三万の軍を率い、中国地方の平家方勢力を制圧。
水軍を持たない源氏は屋島をじかに攻められない。よって、目標は屋島の平家を孤立させることだ。そのために範頼は屋島に次ぐ平家の拠点、彦島を乗っ取ろうとした。
しかしここで深刻な食料不足が起こる。兵の士気は萎え、もとより船が無いのでどこへも進めずに困窮、彦島の占領も諦めざるを得なかった。
もうだめかと範頼も思ったとき、ようやく九州の豪族達から船と食料を手に入れられた。そして海を渡り九州の平氏勢力を倒し、彦島の孤立に成功した。
少し戻って、義経はというと、範頼の苦境を知って後白河院に会いに行った。
「どうか西国へ行くことをお許しくださいませ!我が兄の軍は食料不足に苦しみ進めずにいるとのことなのです」
後白河にすれば、義経を行かせるのには不安があった。
「しかし…そなたには検非違使の役割が…のう?」
「どうかお願いいたします!この義経なら、すぐに平家を滅ぼし、三種の神器を御もとに取り戻すことが出来まする!」
義経は頼み込み、ついに許可された。
(この戦で手柄をたてれば、兄上はきっと私に逆心の無いことを信じてくださるだろう)
義経は希望を抱き、出陣の支度を始めた。
つづく
幡姫はようやく体の調子が回復しつつあった。また、その侍女の小菊も御所に戻ってきていた。
「姫様、朝餉の支度が出来たようにございます」
「…」
「姫?…姫?ひめー?」
肩をつついてみせると、幡姫はようやく気がつき、振り向いた。
「あ、ごめんなさい」
「姫はまた…あの方のことを?」
巴の言葉を受け、死ぬことは思いとどまったものの、義高謀殺は姫の小さな胸に深い傷を残したままだ。
「ゆっくり受け止めていきましょう。ともかく今は休まれませ」
幡姫にとっても、小菊にとっても、同じ痛みを抱える者が側にいてくれることは救いだった。
「ところで今、九郎殿はどうしているの…?」
「今は京で平家に備えていらっしゃるのではないでしょうか?」
(あの人は義高様と仲良しだった…)
彼と痛みを分け合いたい。
・・・
さて、八月になった。
この月、京の源義経は[漢字]検非違使[/漢字][ふりがな]けびいし[/ふりがな]に任命された。検非違使とは京の治安を守る警察のようなものである。
しかし、兄の頼朝に無断で任命されたため、彼の不興を買ってしまった。頼朝は源氏一門に勝手な任官を禁止していたのだ。御家人達を横一列に並べ、朝廷から独立した政権を持とうとする彼にとって、義経の行動は許し難いものだった。が、それが義経は分からない。
義経は子供のように弁慶に愚痴を聞いてもらっていた。
「俺は逆に喜んでもらえるとおもったんだがな…」
「御曹司(義経)の働きは大層なもんだったのに、なぜ鎌倉殿から褒美をくだされなんだか!」
弁慶が床をどんと叩く。義経は陰鬱な表情を隠すように下を向いた。
「本当のこと言うと、断りきれなかったんだ。兄に聞かないと、って言ったら法皇様が“これはお前の功労に対する正当な褒美だ”とかおっしゃるから、俺は…。その旨も書いて鎌倉に送ったんだが」
さらに義経は平家追討軍から外されている。頼朝の怒りもあったが、義経は検非違使として平家残党から都を守らなくてはいけなかったからだ。
「俺、検非違使になって、損ばかりしてないか?」
・・・
現在の香川県に、屋島という地がある。
平家は一ノ谷で破れて以来、この場所に安徳帝の御所を造り力をつけている。
九月に後白河院は平家に対して、三種の神器返還と源氏との和睦を交渉したが、決裂。平家と朝廷の仲は最悪のものになった。
そしてついに源範頼が三万の軍を率い、中国地方の平家方勢力を制圧。
水軍を持たない源氏は屋島をじかに攻められない。よって、目標は屋島の平家を孤立させることだ。そのために範頼は屋島に次ぐ平家の拠点、彦島を乗っ取ろうとした。
しかしここで深刻な食料不足が起こる。兵の士気は萎え、もとより船が無いのでどこへも進めずに困窮、彦島の占領も諦めざるを得なかった。
もうだめかと範頼も思ったとき、ようやく九州の豪族達から船と食料を手に入れられた。そして海を渡り九州の平氏勢力を倒し、彦島の孤立に成功した。
少し戻って、義経はというと、範頼の苦境を知って後白河院に会いに行った。
「どうか西国へ行くことをお許しくださいませ!我が兄の軍は食料不足に苦しみ進めずにいるとのことなのです」
後白河にすれば、義経を行かせるのには不安があった。
「しかし…そなたには検非違使の役割が…のう?」
「どうかお願いいたします!この義経なら、すぐに平家を滅ぼし、三種の神器を御もとに取り戻すことが出来まする!」
義経は頼み込み、ついに許可された。
(この戦で手柄をたてれば、兄上はきっと私に逆心の無いことを信じてくださるだろう)
義経は希望を抱き、出陣の支度を始めた。
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮