「ではまた会いましょう、幡姫様」
「ええ、必ず!」
義高は小袖を上に被り、小菊達に紛れて御所を出た。
(信濃までどうか、ご無事で…!)
幡姫は涙をぐっとこらえて、愛する人を見送った。
「ここから先は三浦にお任せ下さい」
義村が鎌倉の[漢字]切通[/漢字][ふりがな]きりどおし[/ふりがな]を抜けた先で義高を出迎えたが、彼は首を振った。
「もし私の逃亡が知れ、あなたが手伝っていることを見られたらいけません。これよりは私一人で大丈夫です。」
「しかし…」
だが、義高が頑ななので義村は諦めて馬を渡し、
「絶対に死になさるな。姫のためにも」
と告げて鎌倉へ戻った。
・・・
義高の部屋では、紺色の直垂の青年が双六をしていた。
幸氏だった。主君を無事に逃がすために、朝から晩まで義高のふりをしてさいころを振り続ける。
しかしそれで永遠に偽り続けることも出来ず、ついに義高逃亡は頼朝に知られてしまった。
「義高を捕まえろ!出来れば生け捕り、抗えば殺しても構わぬ!」
幸氏や小菊、幡姫の女中達は頼朝の前に連れ出された。幡姫は彼女達の前に立ちふさがって父に訴えた。
「父上!やめて!」
「幡姫、お前は下がっていろ」
「お戻りください、姫様!」
女中達の止めるのもきかず、必死に叫び続けた。
「何も殺すことないでしょ、お願い、父上!」
「あなたとて幼い日に平家に命を救われた身では?」
政子が非難がましく言った。かつて「平治の乱」に負け、捕らわれた頼朝はまだ子供と言うことで助命されている。
「ああ、命を救われたとも。しかしその儂は今、平家に何をしようとしている?」
「…頼朝様」
「そういうことだ」
突き刺すように冷たく言い放った。
「そもそも、逃げたのはやましき事があったからではないのか」
「違います!殺されるって聞いたから…!」
幡姫は父としばらく押し問答を繰り広げたが、頼朝の心が動くことはなかった。
うなだれて自分の居室に戻り一人になると、急に父に裏切られたような気持ちになった。
「あの優しい父上は偽りだったの…?」
悔しさと悲しさとが入り混じって、ただ苦しく、涙も出ない。
(ごめんなさい、義高様…どうかどうか、生き延びて…!!)
祈ることしか、幡姫に出来ることは残されていなかった。
頼朝は義時を呼びつけた。
「御家人に義高追討の知らせを広めよ」
「…まだ幼い姫様に、あまりの仕打ちとは思われませぬか」
「儂とて辛い」
「いいえ、鎌倉殿はあまりにひどい」
義時は切り込んだ。
「私の妻に、義高殿を討つと噂を流したのは頼朝様のお指図でしょう。そしてわざと義高殿が逃げるように仕向け…」
「小四郎」
部屋は暗く、頼朝の表情は分からない。
「それ以上は言うな」
「…はっ」
恐ろしく低い声に抗えず、下がった。自分の無力さに歯ぎしりしながら。
すると廊に小菊が縮こまっているのに気付いた。鼓動が早くなる。
(しまった、知らぬ方が良かったのに)
恐る恐る尋ねる。
「お前、聞いていたのか…?」
「小四郎殿、私…」
「小菊!!」
彼女は気を失い、義時に抱き抱えられた。
・・・
それから五日たった。
義高は武蔵国の知り合いを頼るべく数人の供と歩いていた。
「だいぶ鎌倉からも離れた。もう少しだぞ、皆」
手にはあの幡姫の髪留めの布を握り締めている。
山道に入った所で、ふと後ろから声をかけられた。
「お探ししていました!木曽義高殿でございますか?」
我らを助けるべく、迎えに来たのだろうか。
「ええ、あなたは一体…」
その刹那、空中に一筋の光が走った。
つづく
「ええ、必ず!」
義高は小袖を上に被り、小菊達に紛れて御所を出た。
(信濃までどうか、ご無事で…!)
幡姫は涙をぐっとこらえて、愛する人を見送った。
「ここから先は三浦にお任せ下さい」
義村が鎌倉の[漢字]切通[/漢字][ふりがな]きりどおし[/ふりがな]を抜けた先で義高を出迎えたが、彼は首を振った。
「もし私の逃亡が知れ、あなたが手伝っていることを見られたらいけません。これよりは私一人で大丈夫です。」
「しかし…」
だが、義高が頑ななので義村は諦めて馬を渡し、
「絶対に死になさるな。姫のためにも」
と告げて鎌倉へ戻った。
・・・
義高の部屋では、紺色の直垂の青年が双六をしていた。
幸氏だった。主君を無事に逃がすために、朝から晩まで義高のふりをしてさいころを振り続ける。
しかしそれで永遠に偽り続けることも出来ず、ついに義高逃亡は頼朝に知られてしまった。
「義高を捕まえろ!出来れば生け捕り、抗えば殺しても構わぬ!」
幸氏や小菊、幡姫の女中達は頼朝の前に連れ出された。幡姫は彼女達の前に立ちふさがって父に訴えた。
「父上!やめて!」
「幡姫、お前は下がっていろ」
「お戻りください、姫様!」
女中達の止めるのもきかず、必死に叫び続けた。
「何も殺すことないでしょ、お願い、父上!」
「あなたとて幼い日に平家に命を救われた身では?」
政子が非難がましく言った。かつて「平治の乱」に負け、捕らわれた頼朝はまだ子供と言うことで助命されている。
「ああ、命を救われたとも。しかしその儂は今、平家に何をしようとしている?」
「…頼朝様」
「そういうことだ」
突き刺すように冷たく言い放った。
「そもそも、逃げたのはやましき事があったからではないのか」
「違います!殺されるって聞いたから…!」
幡姫は父としばらく押し問答を繰り広げたが、頼朝の心が動くことはなかった。
うなだれて自分の居室に戻り一人になると、急に父に裏切られたような気持ちになった。
「あの優しい父上は偽りだったの…?」
悔しさと悲しさとが入り混じって、ただ苦しく、涙も出ない。
(ごめんなさい、義高様…どうかどうか、生き延びて…!!)
祈ることしか、幡姫に出来ることは残されていなかった。
頼朝は義時を呼びつけた。
「御家人に義高追討の知らせを広めよ」
「…まだ幼い姫様に、あまりの仕打ちとは思われませぬか」
「儂とて辛い」
「いいえ、鎌倉殿はあまりにひどい」
義時は切り込んだ。
「私の妻に、義高殿を討つと噂を流したのは頼朝様のお指図でしょう。そしてわざと義高殿が逃げるように仕向け…」
「小四郎」
部屋は暗く、頼朝の表情は分からない。
「それ以上は言うな」
「…はっ」
恐ろしく低い声に抗えず、下がった。自分の無力さに歯ぎしりしながら。
すると廊に小菊が縮こまっているのに気付いた。鼓動が早くなる。
(しまった、知らぬ方が良かったのに)
恐る恐る尋ねる。
「お前、聞いていたのか…?」
「小四郎殿、私…」
「小菊!!」
彼女は気を失い、義時に抱き抱えられた。
・・・
それから五日たった。
義高は武蔵国の知り合いを頼るべく数人の供と歩いていた。
「だいぶ鎌倉からも離れた。もう少しだぞ、皆」
手にはあの幡姫の髪留めの布を握り締めている。
山道に入った所で、ふと後ろから声をかけられた。
「お探ししていました!木曽義高殿でございますか?」
我らを助けるべく、迎えに来たのだろうか。
「ええ、あなたは一体…」
その刹那、空中に一筋の光が走った。
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮