1184年。
この年の二月にはかの有名な「一ノ谷の戦い」が起こった。
義経軍が一ノ谷の断崖絶壁を馬で駆け降り、平家軍の背後を急襲したという。平家は海に出て屋島へ逃げた。義経は三種の神器こそ奪い返せなかったが、この大勝利で武名を轟かせた。
四月。鎌倉にまた春が来た。
柔らかな日の光が降り注いでいる。
「義高様が来てからもう一年たつのね?」
「そうでございますね…あれからすっかり幡姫様は元気に外で走り回られるようになって、もう小菊の手にはおえませぬ」
小菊は無事出産を終えて御所に戻ってきていた。その横で、夫の義時ものほほんとした顔で控えていた。
「春は好き…暖かくてお花も咲くし」
「素敵ですよね」
義高は近くに咲いていた花を押し花にしている。それを横目で見ながら幡姫は照れくさそうに言った。
「それだけじゃないの…義高様が来てくれた季節だから好きなの」
わぁ、と小菊が小さく声を上げた。
義高は耳まで赤くしながら押し花を手渡した。
「ありがとうございます。同じ理由で、私も春が一番好きです」
そこにいた人々の間に鎌倉のどこよりも温かい空気が満ちていった。
ある日の朝である。小菊は幡姫の膳を運んでいる。
するとある女中が駆け寄ってきた。
(確か、鎌倉殿付きの女中だったかしら)
彼女は緊張した面持ちで小菊に耳打ちした。
「え…?それはまことなのですか?」
「ええ、御家人の方々が言っているのを確かに聞きました」
「ど、どうしましょう…!」
「とにかく姫君にお知らせなさいませ!」
冷や汗がどっと流れ出る。小菊は走り出した。
「あら、どうしたの?」
幡姫は髪を整えているところだった。
「姫、大変なことを聞きました!耳をお貸しください!」
(な、なに…何があったの…!?)
小菊の話を聞いた彼女の表情からは血の気が引き、青白い顔をして震えていた。
「父上が、義高様を、討つ…?」
つづく
この年の二月にはかの有名な「一ノ谷の戦い」が起こった。
義経軍が一ノ谷の断崖絶壁を馬で駆け降り、平家軍の背後を急襲したという。平家は海に出て屋島へ逃げた。義経は三種の神器こそ奪い返せなかったが、この大勝利で武名を轟かせた。
四月。鎌倉にまた春が来た。
柔らかな日の光が降り注いでいる。
「義高様が来てからもう一年たつのね?」
「そうでございますね…あれからすっかり幡姫様は元気に外で走り回られるようになって、もう小菊の手にはおえませぬ」
小菊は無事出産を終えて御所に戻ってきていた。その横で、夫の義時ものほほんとした顔で控えていた。
「春は好き…暖かくてお花も咲くし」
「素敵ですよね」
義高は近くに咲いていた花を押し花にしている。それを横目で見ながら幡姫は照れくさそうに言った。
「それだけじゃないの…義高様が来てくれた季節だから好きなの」
わぁ、と小菊が小さく声を上げた。
義高は耳まで赤くしながら押し花を手渡した。
「ありがとうございます。同じ理由で、私も春が一番好きです」
そこにいた人々の間に鎌倉のどこよりも温かい空気が満ちていった。
ある日の朝である。小菊は幡姫の膳を運んでいる。
するとある女中が駆け寄ってきた。
(確か、鎌倉殿付きの女中だったかしら)
彼女は緊張した面持ちで小菊に耳打ちした。
「え…?それはまことなのですか?」
「ええ、御家人の方々が言っているのを確かに聞きました」
「ど、どうしましょう…!」
「とにかく姫君にお知らせなさいませ!」
冷や汗がどっと流れ出る。小菊は走り出した。
「あら、どうしたの?」
幡姫は髪を整えているところだった。
「姫、大変なことを聞きました!耳をお貸しください!」
(な、なに…何があったの…!?)
小菊の話を聞いた彼女の表情からは血の気が引き、青白い顔をして震えていた。
「父上が、義高様を、討つ…?」
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮