数万の兵を引き連れた堂々たる凱旋将軍は、今ではわずか千人ほどの手勢で戦いに挑もうとしている。源義経の軍は範頼と合流して数万人に膨れ上がり、とても勝ち目はなかった。
義仲のもとに残り続ける忠臣達はそれでも果敢に敵に立ち向かったが、多勢に無勢、義仲軍は敗れる。
平家と同じように後白河法皇を連れて西へ逃げようとしたが、それさえ阻まれた。
[漢字]粟津[/漢字][ふりがな]あわづ[/ふりがな]。ぼろぼろの武士が数騎、落ち延びていく。
「これで、しまいか」
義仲だった。自分の死期とは、そのときになれば分かるものなのだろうか。諦めの境地でつぶやかれた彼の言葉に、反応した女がいた。
「聞き捨てなりませぬ。生きて、再起をはかるのでございます!」
「…巴よ、いつもそうやって俺を励ましてくれたこと、感謝している」
「なりませぬ!」
巴御前は泣き声で訴えた。
「巴がこの先もずっとお守りいたします!ご心配には及びませぬ!」
「その必要はもはや無い。お前は我らとは別に落ち延びよ。」
義仲は馬を止めた。巴御前は呆然としている。
「義仲様…?おっしゃっていることが、分かりませぬ…」
「最期の時まで女を連れていたなど末代までの恥だ」
一見あまりに冷たいが、このとき付き従っていた者達には真意が分かった。
「……かしこまりましたっ…!!」
涙ながらに別れを告げ、巴は振り向かずに馬に乗って走り去った。
「女ひとりなら命は取られまい。よく戦ってくれたな、巴」
義仲のこのつぶやきは、おそらく誰にも聞こえなかっただろう。
「…さて、信濃へ行くぞ」
ところが、不運にも敵と遭遇してしまった。
(すまぬ、義高。お前は…)
義仲は顔を射られて死んだ。
鎌倉にいる義高にも、その知らせは届く。
「父上が…」
義高は一人で中庭の茂みのそばに身を隠し、涙にかきくれていた。幡姫はそれに気付いていたものの、かける言葉も無く離れた場所から見守っていた。
(こんなの、義高様が、可哀想…)
幼心に、これが仕方ないことだというのは理解していた。義仲は京の法皇を幽閉したというのだから。それでも、義高の嘆き悲しむ様子を見てひどく心が痛んだ。
「あ…」
にわかに胸が詰まるような感覚がして、幡姫は座り込んだ。異常に気付いた義高がやってきて彼女は室内に運ばれる。
「大丈夫ですか?いや、大丈夫ではないですよね…」
まだ目を赤くしていたが、もう涙は枯れ果てたようで優しく幡姫の手をさすっている。
「義高様こそ…大丈夫なの…?」
彼女は義高に聞いた。
(私なら、父上が死んでしまったら大丈夫じゃない)
しかし義高はそれに答えず、…というよりも、それが耳に入っていないかのように、ただただ遠くを見つめていた。
つづく
義仲のもとに残り続ける忠臣達はそれでも果敢に敵に立ち向かったが、多勢に無勢、義仲軍は敗れる。
平家と同じように後白河法皇を連れて西へ逃げようとしたが、それさえ阻まれた。
[漢字]粟津[/漢字][ふりがな]あわづ[/ふりがな]。ぼろぼろの武士が数騎、落ち延びていく。
「これで、しまいか」
義仲だった。自分の死期とは、そのときになれば分かるものなのだろうか。諦めの境地でつぶやかれた彼の言葉に、反応した女がいた。
「聞き捨てなりませぬ。生きて、再起をはかるのでございます!」
「…巴よ、いつもそうやって俺を励ましてくれたこと、感謝している」
「なりませぬ!」
巴御前は泣き声で訴えた。
「巴がこの先もずっとお守りいたします!ご心配には及びませぬ!」
「その必要はもはや無い。お前は我らとは別に落ち延びよ。」
義仲は馬を止めた。巴御前は呆然としている。
「義仲様…?おっしゃっていることが、分かりませぬ…」
「最期の時まで女を連れていたなど末代までの恥だ」
一見あまりに冷たいが、このとき付き従っていた者達には真意が分かった。
「……かしこまりましたっ…!!」
涙ながらに別れを告げ、巴は振り向かずに馬に乗って走り去った。
「女ひとりなら命は取られまい。よく戦ってくれたな、巴」
義仲のこのつぶやきは、おそらく誰にも聞こえなかっただろう。
「…さて、信濃へ行くぞ」
ところが、不運にも敵と遭遇してしまった。
(すまぬ、義高。お前は…)
義仲は顔を射られて死んだ。
鎌倉にいる義高にも、その知らせは届く。
「父上が…」
義高は一人で中庭の茂みのそばに身を隠し、涙にかきくれていた。幡姫はそれに気付いていたものの、かける言葉も無く離れた場所から見守っていた。
(こんなの、義高様が、可哀想…)
幼心に、これが仕方ないことだというのは理解していた。義仲は京の法皇を幽閉したというのだから。それでも、義高の嘆き悲しむ様子を見てひどく心が痛んだ。
「あ…」
にわかに胸が詰まるような感覚がして、幡姫は座り込んだ。異常に気付いた義高がやってきて彼女は室内に運ばれる。
「大丈夫ですか?いや、大丈夫ではないですよね…」
まだ目を赤くしていたが、もう涙は枯れ果てたようで優しく幡姫の手をさすっている。
「義高様こそ…大丈夫なの…?」
彼女は義高に聞いた。
(私なら、父上が死んでしまったら大丈夫じゃない)
しかし義高はそれに答えず、…というよりも、それが耳に入っていないかのように、ただただ遠くを見つめていた。
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮