静が承諾したことで幡姫は“都一番の舞”を見られることになった。
「幡姫様、静にございまする」
幡姫が顔を上げると、そこには美しい娘がいた。肌は白く顔の輪郭は柔らかな線を描いている。まつげは長く純粋な瞳を飾り、黒髪は艶やかに、長く彼女の背中に垂れていた。
「は、はじめまして、静さん」
なんて美しいひとなんだろう。義高を初めて見たときと同じ様な感動を覚えた。
その後の歌舞も見事なもので、今後の人生でこれより素晴らしい舞を見ることは無いだろうと思うほどであった。
・・・
「素敵でした…!まるで蝶が飛び回り、花が揺れるみたいだったわ」
「うふふ。お褒めにあずかり、嬉しゅうございます」
静は可愛らしく笑った。そういえば、こんな風に笑うなんて久しぶりだった。鎌倉にやってきてから何度笑っただろうか。
「あなたのお陰でなんだか元気が出ました。病も治りそう」
「どうかお大事になさいましよ」
静の慈しむような瞳と目が合う。幡姫はうなずいたが、何かが引っかかった表情で黙っていた。そして静が立とうとすると、急に袖を捕まえた。
「あの、あの…少しだけ、よろしくて?」
「ええ…」
幡姫は静に勢いよく飛び込み、抱きついた。静の方は当惑した顔でおろおろとして座った。
「…静さんだけなのよ、私の味方は」
「味方?」
「私の気持ちが分かるでしょう…?」
懇願するような眼差しですがりつく童女を、彼女は他人と思えなかった。
「はい。あなた様のことは義経様からなんとなく聞いておりました」
「く、ろうどのが」
幡姫はその言葉を聞くなり、泣きながら義高の事を話した。静はうなずきながら、時には涙を浮かべて聞いた。否定や過度な励ましは一切言わず、ただ話を聞いてくれた。それが幡姫には嬉しい。
姫はこの年九歳だった。静はひどくやるせない気持ちになった。
(年上の私でさえこんなに憔悴しているのに、この小さな娘さんは…増してや想い人の命をもとられたのに、この二年どういう気持ちで過ごしてきたのだろう!!)
と思わざるをえない。
聞き終わると静は
「私達はやはり仲間同士のようですね…。追い打ちをかけるようで申し訳ないけれど、どうか私の話も聞いてくださりませ」
と言って、義経と別れた時のことを語り始めた。
・・・
「鎌倉殿が出陣なさったと知った義経様は、都を落ち延びていかれました。かつての華やかさが夢のようでした…義経様は船で西へ渡ろうとなさったのだけど駄目で、家人達も別れ別れになってしまったのです」
悲しさを秘める伏した目は、どことなく義高に似ていた。
「一晩お寺に泊まって、その後は吉野山に逃げたの……でも、やっぱり足手まといになると思ったのです。雪の降る中、御正室の京姫様ならともかく、妾の私が邪魔になってはいけないと思って…!」
目が潤み、声が震え始めた。幡姫はそっと彼女の細い肩をさすってやった。
「義経様は私の身を案じて、宝物を持たせて、下人達をつけてくださった…でも、下人達は私を見捨てて、置いていってしまったの…あとはもう、たった一人で…深い雪の中をさまよい歩いて…」
ここでわっと泣き出し、うずくまってしまった。
「一人でなんて…怖かったでしょう?寒かったでしょう?」
「ええ…とても…とても…」
「九郎殿がこんな身でさえなければ、静さんはそんな目には遭わなかったのに!」
幡姫が不憫に思って言ったが、静は首を振った。
「いえ、私はまだ良いのです…でも、今も義経様はどこかで、身をやつしてお逃げになって…おいたわしいこと!!」
・・・
「…父上は…父上は鬼だわ!!」
静の話を聞き終えた幡姫は、胸につかえていた塊を吐き出すように言った。
「人の出来る所業じゃ無いでしょう…鬼だわ、父上は鬼だったんだわ…!でなければ弟ぎみをこんな風に扱うわけないんだもの!!」
静もまた涙が出てきた。そして腕の中の小さな姫を守るように袖で覆って、二人で声を潜め、人目を忍んで泣き続けた。
つづく
「幡姫様、静にございまする」
幡姫が顔を上げると、そこには美しい娘がいた。肌は白く顔の輪郭は柔らかな線を描いている。まつげは長く純粋な瞳を飾り、黒髪は艶やかに、長く彼女の背中に垂れていた。
「は、はじめまして、静さん」
なんて美しいひとなんだろう。義高を初めて見たときと同じ様な感動を覚えた。
その後の歌舞も見事なもので、今後の人生でこれより素晴らしい舞を見ることは無いだろうと思うほどであった。
・・・
「素敵でした…!まるで蝶が飛び回り、花が揺れるみたいだったわ」
「うふふ。お褒めにあずかり、嬉しゅうございます」
静は可愛らしく笑った。そういえば、こんな風に笑うなんて久しぶりだった。鎌倉にやってきてから何度笑っただろうか。
「あなたのお陰でなんだか元気が出ました。病も治りそう」
「どうかお大事になさいましよ」
静の慈しむような瞳と目が合う。幡姫はうなずいたが、何かが引っかかった表情で黙っていた。そして静が立とうとすると、急に袖を捕まえた。
「あの、あの…少しだけ、よろしくて?」
「ええ…」
幡姫は静に勢いよく飛び込み、抱きついた。静の方は当惑した顔でおろおろとして座った。
「…静さんだけなのよ、私の味方は」
「味方?」
「私の気持ちが分かるでしょう…?」
懇願するような眼差しですがりつく童女を、彼女は他人と思えなかった。
「はい。あなた様のことは義経様からなんとなく聞いておりました」
「く、ろうどのが」
幡姫はその言葉を聞くなり、泣きながら義高の事を話した。静はうなずきながら、時には涙を浮かべて聞いた。否定や過度な励ましは一切言わず、ただ話を聞いてくれた。それが幡姫には嬉しい。
姫はこの年九歳だった。静はひどくやるせない気持ちになった。
(年上の私でさえこんなに憔悴しているのに、この小さな娘さんは…増してや想い人の命をもとられたのに、この二年どういう気持ちで過ごしてきたのだろう!!)
と思わざるをえない。
聞き終わると静は
「私達はやはり仲間同士のようですね…。追い打ちをかけるようで申し訳ないけれど、どうか私の話も聞いてくださりませ」
と言って、義経と別れた時のことを語り始めた。
・・・
「鎌倉殿が出陣なさったと知った義経様は、都を落ち延びていかれました。かつての華やかさが夢のようでした…義経様は船で西へ渡ろうとなさったのだけど駄目で、家人達も別れ別れになってしまったのです」
悲しさを秘める伏した目は、どことなく義高に似ていた。
「一晩お寺に泊まって、その後は吉野山に逃げたの……でも、やっぱり足手まといになると思ったのです。雪の降る中、御正室の京姫様ならともかく、妾の私が邪魔になってはいけないと思って…!」
目が潤み、声が震え始めた。幡姫はそっと彼女の細い肩をさすってやった。
「義経様は私の身を案じて、宝物を持たせて、下人達をつけてくださった…でも、下人達は私を見捨てて、置いていってしまったの…あとはもう、たった一人で…深い雪の中をさまよい歩いて…」
ここでわっと泣き出し、うずくまってしまった。
「一人でなんて…怖かったでしょう?寒かったでしょう?」
「ええ…とても…とても…」
「九郎殿がこんな身でさえなければ、静さんはそんな目には遭わなかったのに!」
幡姫が不憫に思って言ったが、静は首を振った。
「いえ、私はまだ良いのです…でも、今も義経様はどこかで、身をやつしてお逃げになって…おいたわしいこと!!」
・・・
「…父上は…父上は鬼だわ!!」
静の話を聞き終えた幡姫は、胸につかえていた塊を吐き出すように言った。
「人の出来る所業じゃ無いでしょう…鬼だわ、父上は鬼だったんだわ…!でなければ弟ぎみをこんな風に扱うわけないんだもの!!」
静もまた涙が出てきた。そして腕の中の小さな姫を守るように袖で覆って、二人で声を潜め、人目を忍んで泣き続けた。
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮